ES〈エンドレス・ストラトス〉   作:KiLa

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第一〇話【男女間友愛】

 ES_011_男女間友愛

 

 

 

 そうしてセシリアとの模擬戦が終わり、更衣室。

 

「ったく、どこが調整なんだよ」

 

 ため息()じりの愚痴をこぼして、俺は備えつけられたベンチに腰を下ろした。PICより解放された体にのしかかる重力は、普段自分が請け負っているとは到底考えられないと思うほどに重みを増し、全身を這い回る疲労感をこれでもかと後押しする。しかしそれは忌むべきものじゃ当然なく、どこか心地よい安らぎをたたえていた。……それだけ、俺がセシリアを認めているということかもしれない。

 鮮烈でもある今の模擬戦。普段よりはいくぶん早めに切り上げた本日だが、その密度は今までよりもはるかに極大か。

 彼女が戦闘の最中にみせたブレードの投擲と再展開──紛れもなく、それは俺とセシリアの()()のきっかけでもある最初の一戦で行った、俺の技。

 普通、ISの武装というのは操縦者の手元を離れると量子化し格納される。無論そのまま展開しっぱなしにもできるのだが、そも自分の手の届く範囲になければ総じて武装は無意味であり、なれば相手に利用される・破損を防ぐために格納するというのはもっともだろう。相手に利用される、ということに関しては所有者の許可がなければ使用するどころか触れることさえかなわないけど、しかしむやみやたらと顕現させておくのはそれこそ無駄だ。だからこそ、特殊な事例──それこそなにかしらの奇策──でもないかぎり自動で格納されるわけだが、今回のそれは、その機能を逆手にとった妙手である。

 手元を離れれば量子化される──それを任意で行うなら、それを織り込んで戦術を組み立てるなら、どうだろう?

 たとえば、そう。わざとブレードを弾かせて油断させ、その直後に再展開して奇襲する、とか。

 俺がセシリアを引き分けに持ち込めた要因の一つがその技だ。……とはいえ、なにもこれはそんな驚かれるような類いの技能ではないはずだ。むしろこんな程度で奇襲だなんだのとはおこがましいだろう。セシリアのときに成功したのだって、それは彼女が中距離主体の戦闘スタイルゆえに、そういったことと縁がなかったからに違いない。もし彼女が近距離戦を主眼においた戦い方をしていたなら、こんな武装の再展開程度、対応できない()()()()()

 ……いくぶん彼女を持ち上げすぎじゃないかと、そう誰かにいわれそうな解釈。盲信や買いかぶりの域に通ずる、ある種の自尊。そういわれたってしかたないかもしれないけど、けれど事実、彼女はそうやって思い込んでしまいたくなるほどに、強い。いいや、言いなおす必要もなく、強い。

 セシリア・オルコットは、一切の脚色、一片の色眼鏡なしに、強い。

 ゆえにならば、なおさらに。

 

「……負けられないな、負けられない」

 

 彼女にかぎらず、誰にだって負けられない。

 負けていたら守れないし追いつけない。空にだって届かない──。

 

「一夏おつかれさま」

 

 そう決意あらたに視線を上げれば、耳朶をくすぐる労いの声。それが誰のものなのかなんて決まっていて、にこやかな鈴と目が合った。どうやら訓練が終わるのを待っていてくれたみたいだ。

 そして労うが早く、俺の返事よりも先にぽーんとなにかが投げてよこされる。たぷんとした流動を手のひらに感じて、受けとったものが水筒であると判別できた。

 

「サンキュー鈴」

 

 感謝しつつキャップを開ける。直飲みタイプの水筒だ。未だほてる体のなかに、ぬるい液体が落とされる。喉を伝うは薄めたスポーツドリンク。まったく、なんとも気がきくやつだ。

 

「スポドリ薄めたうえにぬるいなんて……飲み物くらいすきに飲んだらいいのに」

「体は大事だからな。いざなんかあったら、大変だろ」

「飲みもんひとつで力説されてもね……まっ、あんたのそういうジジくさいことは今に始まったことじゃないし」

 

 長年家事をやっていたせいか、俺は食事に関してなにかと健康趣向だ。無論なにからなにまで鵜呑みにして信じることはないけど、しかし口に入れるもの、食事というのはいずれ己の身体を作る。ならば『それ』を奉じる俺のこと、体は重要極まりなく、こういう小さなことでも気を使ってしまうわけだ。まぁあとは千冬姉っていう体本位のお方もいるし、どうしたって気になるよ。ちなみに冷たい飲み物っていうのは体の組織や血管を収縮させてしまったり、大量に摂りがちになって体内で温められなかったりとよろしくない。薄めたスポーツドリンクは体液・血液よりも低い浸透圧にするため。こういうことを覚えていてくれた鈴にちょっぴり感動である。

 

「そういえば鈴、お前が日本にきたこと、もうみんなに伝えてあるのか?」

「言われなくても、あたり前じゃない。弾にも数馬にも、花梨とは今週末遊ぶ約束もとりつけたわよ」

「会長は?」

「受験生を誘うのは酷ってもんでしょ?」

「してないんだな、連絡」

「……だって、あのひとすぐ抱きついてくるんだもん」

 

 中学最後の一年をともにすることはできなかったといえ、しかしその二年間でも交友を深めるには十分で。一年二年とも俺は鈴と同じクラスで、弾や数馬も一緒だった。花梨というのはこれまた旧友たる(ひと)(ざと)()(りん)のことで、クラスも同上。鈴の一番仲がいい女友達といえば間違いなく彼女であろう。俺と鈴に弾と数馬、そこに花梨を交えた五人で、鈴が転校するまではよく行動していたと思う。まぁそこにつけ加えてよいのなら二つ年上の会長が挙げられて……そして、その会長が苦手な鈴であった。

 

「別に悪気があるわけじゃないだろ。むしろ目に見える好意じゃないか」

「よく言うわよ。当人になってみなさい、たまったもんじゃないわ」

 

 あーやだやだと鬱陶しがる風の鈴であったが、もちろんそこでは笑顔をにじませてて。それが照れ隠しだってことは、言質をとるまでもない確定事実。なんともまさに凰鈴音たるさまである。こういうところがまた好印象なのだろう、日向の笑み。……しかしそういえば、あれから会長にはあんまり会ってないな。

 夏休み(あ れ)から──遮断する、した。

 いまさら考えたってどうにもならない、したくない。安易簡素な和解なんて、これっぽっちもお呼びじゃない。これでいいのだ、これがいいんだ。

 だから、今は再会を喜ぼう。喜んで噛み締めて、満たされよう。

 

「──にしても花梨と会うのか? どうせならみんな呼んで遊ぼうぜ?」

「ガールズトークはそれこそ女の子の特権よ。無粋な男は黙らっしゃい、なんて無下にはできないわね。いいじゃない、予定空けときなさいよ」

「オーケイ、そうこなくっちゃな」

 

 その若干の硬直を、どうにか()どられないことに成功して、内心秘密の息を吐く。なにかと鋭い彼女のこと、ごまかせたのは僥倖だった。

 まったく本当に馬鹿らしいけど、これは譲れないから。

 

「……みんな、ね」

 

 しかし、対する鈴は。

 顔がくもる、とはまた違った表情だった。

 しみじみとしたひとこと。感慨深いとでもいうような、ましてや始めからこの話題に持っていきたかったというような、万感が込められている錯覚の言の葉。その含みのある言いように、わずかな疑問が脳内をめぐる。

 

「どうしたんだよ。そんな変な顔して」

「…………そう、そうね。ちょっとした質問があるのよ」

「質問? なんだよ」

 

 鈴らしからぬ、普段ではあまりお目にかかれないような微妙な笑み。予期していた『変な顔ってなによッ!?』なんてキレ味のよい返しもなく、己のさまを肯定する。やはり感づいたかとも思ったが違うようで、なんというか躊躇いが見えた。自嘲気味、といえなくもないだろうけど、込められるは金剛でもって言葉になり。

 凛と、彼女は言う。

 

 

「あんた、ISに乗ってなにがしたい?」

 

 

 ──それは、先日箒からもたらされた質問に酷似して、まるであの日の会話を幻聴させる。

 

『一夏。お前、ISに乗ってどうだった?』

『どうだった、って。どういう意味だ?』

『そのままの意味だ。乗ってどう思った? 何を感じた? 好きに答えてくれていいぞ』

 

 忘れるはずもない決闘、その直後。ぽんと、その問いかけがあらわれたのだ。

 なにを訊きたかったのか、なにが聞きたかったのか。それは残念ながらわからない。それは俺が知識も知恵も欠けているからととれる話であり、ゆえにこうして思惟している時点で至れない議題でもあるかもしれない。しかしどちらにしろ、俺の答えは『ISと一体になったみたいだった』という素直なもので、あいにくそれ以上のものは取得できていない。ただあのときの問いかけはそれこそ軽く投げられたもの……良いか悪いか、いま目の前で放たれた質問のほうが、幾倍数倍と重みを感じた。

 箒と言葉こそ近しいが、意味合いはまったく違っているようで。

 とても真面目に、俺を見ていた。

 

「なにがしたい、か」

 

 訝るとでもいうのか、じっと俺の言葉を待つ鈴の瞳は真っ直ぐで、それだけ重要であるといやでも予見させる。さりとて、どうしてそんな問いをかけられるのか心当たりはないのだが、だからといってはぐらかすつもりはない。真摯な心には誠実で相対するのが当たり前。そんなの再認識するまでもなく決めている。だが、しかし。

 とはいえ、だとしても。なぜお前はそんなことを訊くのか。お前達は訊くのか。

 『なにがしたいか』などと、そんなの呆れてしまうほどにいまさらだろうに。

 

「だったら、あれだな。せっかくISに乗れるんだから、」

 

 

 

 

 

 ────空は、狭いな。

 

 

 

 

 

「空に、行ってみたい」

 

 

 

「────、」

 

 日本語としてはいくぶん違和のある文面で、第一にISで飛行した時点で達成されているような破綻した答え。しかし言葉遊びや冗談のつもりは心底なくて、そうしたいと俺は思っている。

 入試会場を間違えたあの日。初めてISに触れたあの日。

 なにかしらの波乱を望んで触ったわけじゃないけれど、しかし羨望がなかったといえばうそなのだ。

 俺は空に至りたい。

 あの無窮の青空に、行って、至って、超えてみたい。

 そう思って俺は、ISに触れたはずだ。

 ……真面目に答えた末がこの一言なのかと、誰かが聞いたら呆気にとられて、あまつさえ笑いだしそうな願い。純粋といえば聞こえはいいが、幼稚といってしまえばその通り。でも、それなのだ。それが答えなのだ。そう思っているのだ。だから鈴の瞳から逸らさずに、はっきり確かに出力した。

 だというのに。

 

「…………」

 

 とうの彼女は、

 

「……空、ねぇ」

 

 とても深刻そうな瞳で、

 

「ありがと。もういいわ」

 

 俺を見ていた。

 

「……どうしたんだよ鈴。俺、なんか変なこと言ったか?」

 

 あまりにも暗い顔しているからそう訊いてしまう。俺の答えがお気に召さなかったのだろうか? いいやしかしこの質問、もとより決まった解答がない類いのものだし、それが気に食わないからと不機嫌になるのは理不尽だ。というか鈴がそんなつまらないことするなんて考えられない。そういうやつだ。だったら、どうしてそんな顔してる?

 一転して訝る側が逆になる。質問された方に疑問が増えるという、あわやキリがなくなる状態。いったい鈴はどうしたというのか。

 疑り混じりの俺の言葉に、けれど彼女は(いっ)(とき)()をはさんで「なんでもないわよ」とこともなく。薄く笑うような表情が、次の瞬間にはいつものような暖かみを帯びていた。転瞬、名残もなく……よもや、さっきのは気のせいだったのだろうか?

 

「あー、もしかして体調でも悪いのか? だったら保健室にでも連れてってやるけど」

「──違うっての。そんな転校初日から保健室だなんて、カッコつかないマネはしないわよ」

「ならいいけどさ……というかなんでこんな質問したんだ? 心理クイズ?」

「まぁ、そんなとこ。さしずめあんたはガキ臭い、って感じかしら」

「む、失礼な」

 

 ……つっても、否定はまったくできないわけですが。いやそもそも一五歳なんて子供なわけでして、否定する材料なんてはなからないよ。そんなこといったら鈴だって同い年だけどさ。

 

「そりゃあちょっと子供っぽいかもしれないけどさ、そういうお前だって、」

「外見だけで判断するの、あんたきらいだったよね?」

「一年も合わないと変わるな。身内びいきじゃなくて大人っぽいぜ」

「よろしい」

 

 『相変わらずちっこいだろ』などと言う前に釘を刺された。……我ながら大人(おとな)()ない反論だったと思います。ああ、そういえば子供でしたね、俺。

 

「それで、話が変わって悪いけどさ。あんた、篠ノ之さんの部屋が何号室か知ってる?」

 

 笑顔で気圧される俺などなんのその、それこそいきなり話題を変えるあたり、やはり我が強いのか。強引とまではいわないが、しかしもうちょっとこっちを忖度してくれたりしませんかね。などとは口に出せるはずもなく、鈴にあやかって切り替える。どうにも篠ノ之さんとやらにご用事だそうだ。え、箒?

 

「篠ノ之、って箒だよな。どうしてお前が箒の部屋知りたがるんだよ?」

「なんでもいいでしょ、あんたにゃ関係ないことよ。で、結局知ってるの? どうなの?」

「いやまぁそりゃ知ってるけどよ」

「何番?」

「……1025だけど、つーかあいつ俺と同じへ、」

「りょーかい。ありがと。それじゃあね。今のあんたは疲れてるだろうし、またあとで話しましょ」

 

 こちらの疑問などおかまいなし。まくし立てる勢いで答えをもぎとって、それで用は済んだとばかりに(きびす)をかえす。前言撤回、もはや傲岸。さっぱとした清々しいさまが憎たらしい。「じゃあね」とうしろ()に軽く振り、こちらの返事も待たずに行ってしまった。なんというか、本当に質問だけが目的だったみたいだ。

 そしてそんな鈴の気性などそれこそ熟知というもので。

 

「やっぱ、箒のとこ行ったんだよな」

 

 思い立ったが吉日というやつ。急がば回れなんて、それこそ彼女には似つかわしくないか。単純といえばそれまでだけど、素直というほうが性に合ってる。やはりお前は凰鈴音だ……当たり前だけどさ。

 しかしつっても。

 

(鈴が箒に用?)

 

 鈴も箒も今日が初対面のはずだ。それこそ朝方少々ばかし言葉を交えた程度で、別段特別な事柄があったわけもなかった。確かに両者、鈴がまだこちらにいた頃に箒の話をしたことはあったし、箒も再会したにあたって鈴のことを会話に出したことがある。間接的だが存知ではある、しかし、用があるというのはこりゃ妙だ。

 

(女同士、なんか思うことでもあんのかね)

 

 考えたってわからない。けれど鈴がわざわざ訊きにきたくらいなんだから、それなりの意味があいつのなかにはあるんだろう。だったらそれが正解で、俺が掘り返すことじゃない。

 

(とりあえずシャワーはここで浴びてくか)

 

 入学初日のシャワー事件、というか浴び上がりの箒さんと出くわしちゃったこともあり、俺と箒との(あいだ)で使用時間にルールを設けていた。男女の同室、いくら親しい幼馴染みといえ、線引きは必要不可欠だ。よってシャワーの順番が決めてあり、先に使うことになってるのは箒。箒は気にしないと言ったが、さすがに女の子が汗臭いままなのはいけないだろう思っての俺の具申である……つーか変なところで感心がないよね、あなた。

 さておき、時間帯的に箒はすでにシャワーを浴び終わってるだろう。が、けれど鈴が向かったとみて間違いない。となると男の俺がその場に居合わせるのは、ちょいとばかし無粋だろう。ガールズトーク、話題はなんにしても邪魔はしたくないもんだ。だったら更衣室付随のシャワー使って、のんびりのったり行こうじゃないか。時間の不可逆性やら一期一会とやらの刹那的情熱もわかっちゃいるが、俺はこの今を好いている。

 仲間がいるこの日々が、過ぎ去りゆくのを好んでいる。

 

 

 ◇

 

 

 サアアアアァァ、と柔らかいのはシャワーの飛沫。

 指の腹で頭皮をマッサージしながら、泡立てたシャンプーを落としていく。ノンシリコンのアミノ酸シャンプー。値段も少々張るし洗浄力は弱いが、如何(いかん)せん成分が頭皮にも頭髪にも合っている。二度洗いは仕方ない。

 シャワーを終える。長めのフェイスタオルで毛先を挟むようにタオルドライ、そのまま髪を包み込む。美容室などでやってるまとめ方だ。続いてバスタオルで身体を拭く。そのあと顔、体の順番で化粧水。ちなみお手製。精製水+グリセリン+クエン酸の弱酸性()()()。そして次の工程に。

 ヘアケア。手のひらに落とした椿油の雫をよく伸ばし、タオルドライした髪になじませる。まずは毛先。こすりつけるのではなく揉み込むように。濡れた髪というのはダメージを受けやすくて繊細だ。タオルで水分を拭き取るだけで傷付いてしまったりもする。ゆえに懇切丁寧、優しく優しくなでるようにまぶしていく、続いて髪の中間部から先端にかけてまた伸ばす。根元にはつけない。頭皮に付着するのを避けるためというのもあるが、そも根元一五センチは頭皮から出る自分の『油』によってコーティングされ、保護されているから必要ないらしい(もっとも頭皮をマッサージするなどして血行を促進しなければそういった効果は望めないが)。そうしてからようやくドライヤーで乾かす段階になるわけだ。

 そうした一通りの、もはや習慣でもある工程を終えて、私はシャワー室を上がる。篠ノ之箒はシャワーを終える。

 (なに)(ゆえ)性分のせいか、同年代の女子よりは『さっぱり』していると自覚している。しかし曲がりなりにも女子であり女子高生であり、まぁヘアケア・スキンケアの類いはそれなりにやっている。特に髪の毛は『きれいだな』などと面と向かって言ってくる奴もいるので、()()()念入りだ。……そうしたことをやると、どうしてか驚かれることが少なくないのは愛嬌にしておこう。

 ちなみに、『らしい』といったのは化粧水が一夏のお手製だったりするからだ。……どうして男の癖に化粧水なんて手作りしているんだと、女子でもそうそうやらないのに。などと言おうものなら『だって作った方が安いだろ?』……ああまったく女子力高いなお前。しかし余計なものが使われていないせいか、まことに癪だが肌に合う。女としての立つ瀬がない。

 ──しかし、いや。

 

(ふふ。立つ瀬が欲しいのか、私は)

 

 着替えに袖を通しながらそんなことを考える。女でよかった男がよかった。そういった類いの感情は未だかつて抱いたことはないし、かといって満足しているとかもなく、要は性別に対する思い入れが特にない。無論異性に肌を見られれば相応の羞恥も覚えるし、女性らしく友人との雑談だって好きで、正味他人の恋愛ごとに興味がないわけでもない。女性としての自覚はあるのだ。世間一般でいうところの『女子高生』という枠に、一応は所属している。

 でも、それでも。そんな女としてあれこれよりも。

 人であることの喜びが、『日常』が愛しいという感情が、普遍であるという風景が、好きなのだ。穏やかな世界がよいのだ。ありふれている連続がよいのだ。暖かい日だまりに納得しているのだ。だから。

 

 

 

『そう、それだよ箒ちゃん。()()こそが君の「本質」だ』

 

 

 

 いつかの言葉。この世界で最も嫌悪する、貴女の言葉。知るかよ言うなよふざけるなよ。怒りも納得もしているから、口を(つぐ)んでどこかに行けよ。()()()()()()()()()()()()()()

 ──私の『本質』とやらが日常を必要としていなくとも。

 篠ノ之箒という私は、()()を願望している。

 

 ピンポーン。そうした思考の事後硬直に転がり込むのは、インターホンの機械音。

 

 埋没からの意識浮遊。どうにも来客らしい。珍しいな、交友関係が狭くはない私だが、かといってアポなしに友人が訪ねてくるほど親しくない。やはや悲しいものだが、せいぜい心当たりはセシリアぐらい。しかし彼女は目前の対抗戦に精を注いでいる時分、となれば一夏への来訪か? だが生憎、あいつもまだ帰ってきていない。

 

(そういえば一夏、遅いな)

 

 と、益体もないなんていうほどじゃないが、軽い疑問でインターホンの子機を覗いてみる。

 まず映ったのは栗色のツインテール、なんて、そんな容姿でここを尋ねる人間など、IS学園にはそれこそ一人しかあり得ないだろう。

 凰、鈴音。

 一夏の幼馴染みにして、彼の『心友』──心友というのは彼の言だったか。いずれにしても、一夏にそう言わしめる程に大きくて、重要な、存在。彼女が部屋の前にやって来ていた。

 一体何用か、と思い至って十中八九一夏に用だろうとの結論を下す。というかそれ以外ないだろうに。とりあえずと子機の通話ボタンを押し込む。

 

「どうした凰。何か用か?」

 

 

 ◇

 

 

「1025。ここね」

 

 IS学園の一号館、一年生専用の寮棟。学生館は全部で三つあり、それぞれ学年ごとに分かれて使っている。構造はRC造の七階建て。おもに一階は学食や大浴場などが占め、二階からが学生の部屋となっている。その二階。扉に貼りつけられているネームプレートには『織斑一夏』と『篠ノ之箒』の名前。

 凰鈴音は件の1025室へとやって来ていた。

 一夏と別れてからノンストップ最短に、逸る心を抑えて最速で。少々強引だったかと、一夏との会話にうしろめたいものを感じながら、しかし決心した以上は止まらない。

 訊くべきことが、確かめるべきことがあるのだから。

 スーハー、と数回の深呼吸で頭のクールダウン。インターホンを押す。数秒の遅れで反応があった。

 

『どうした凰。何か用か?』

 

 女性の声、篠ノ之箒に違いないだろう。とりあえずは部屋にいてくれたようだ。

 

「こんばんは、あたしよ。なーんて親しい間柄じゃないけどね。凰鈴音よ」

『それはそうだがな。しかし生憎だが、一夏なら不在だぞ』

「いいのよあいつは。あたしは、あんたに用があるんだから」

『私に……?』

 

 スピーカー越しでもわかる怪訝そうな声色。心当たりなどまるでないという風に、『はて、なんだろう?』と疑問そうだ。が。

 

『──入れ、凰』

 

 その瞬間、語調が凛と引き締まった。刀の抜刀を思わせる、ある種の冷たい声。突き放すといった類でなく、それこそ切り裂く声色が、突如。それこそ『お前の要件は理解した』とでもいうのか、いきなり態度が急変した。

 本性、というと聞こえが悪いが、こうした刀のようなものが芯にある人間なのだろう。

 ……ああなるほど。やはりこいつも一夏に深く関わっているのか。そう確信させてくれるには十分。

 ガチャリとドアが開いて、とうとうそのサムライガールと対面した。

 

「やあ凰。適当に座ってくれ。茶ぐらい出そう」

「いいわよそんな、気を使わなくても」

 

 ひらひらと手を振って交わされるのは定型文の会話。別にお茶しに来たわけじゃないのだ。雑談歓談のカテゴリーだろうけど、しかし真面目な話であるのだから。

 鈴音は適当にイスを引っさらって腰をかける。もう一方のイスに箒が座った。

 

「で、私に要件とは、何だ?」

「……まぁ気づいてるでしょうけど、簡単よ」

 

 改めて尋ねられるが婉曲など用いない。最短て直球。変な小芝居じみた雑談なんて二段飛ばしで乗り越えて、真面目な言葉をぶち込んだ。

 

「あんた、()()()()()()?」

 

 その一言。

 曖昧である、抽象的である。目的語が欠けているから内容が判らず、実に端とした物言いだった。けれど、それで十分だろう。それだけで事足りるだろう。それだけで十二分すぎるほどに伝わると、鈴音は確信していた。

 『一夏の異変に気づいているか』と。

 ただそれだけを言の葉に乗せていた。

 

「無論だ」

 

 それだけ。一切の逡巡も躊躇いもなく、確然としたさまで答えた。わかっている、知っていると。お前に訊かれずとも存知であると。端的にそう言っていた。

 

「……そう。まっ、そりゃそうか。そりゃあ気づいて当然よね。幼馴染みだもん」

「気付かん方が無理だというものだろうさ。お前だってそうだろう?」

「ごもっとも」

 

 苦笑、ゆえに思うところは同じだったのだろう。

 織斑一夏を知っているのならば。彼の生き方に、願いに触れたことがあるのならば、絶対『違和』を感じるはずだろうと。まったくどこの漫画の新人類を思わせる構図であるが、事実それほど純粋な男なのだ。馬鹿でもわかるくらいに一直線だから、歪みはすぐにわかるのだ。

 

「……一夏ね、空に行ってみたいんだって」

「そうか」

 

 男女問わず、大抵の人間は『空を飛びたい』と思ったことがあるだろう。心底神域で渇望したとかの話ではなく、ふとなんとなくでも空に憧れたことがあるはずだ。ジャンボジェットのパイロットでも、鳥になって羽ばたきたいでもいい。なんにしてもなにかしらの形で、飛んでみたいと思ったことがあるはずだ。

 それこそISに乗れない男ならば。

 ISに乗って飛びたいなどと、願っていても不思議じゃない。けれど。

 

 それが優先順位の頂点を席巻するなど、織斑一夏にはあり得ない。

 

 二人とも。箒も鈴音もそれがわかっているから、だから今の彼に違和感を覚える。

 織斑一夏の願いなどそれこそ絶対ひとつの『それ』しかないだろう。

 それが根幹。それこそが根源。彼を構成する脳みそや心臓よりも重要な、部品なんか以前の概念そのもの。(たが)えるはずなんて永劫皆無で、見失うなんてお笑い草。それを諧謔などと冗談めかしてみようものなら、荒唐無稽すぎて笑えない。そういうレベル、そういう領域。改めるべくもない不変の渇望。──ゆえに。

 ゆえに、なのだ。

 それほどまでの純粋さだから純真さだから。織斑一夏のそれに、著しく違和を覚えさせるなにかがあるというのならば。

 

 

 

 

 

「ねぇ、篠ノ之さん。『アイツ』と一夏、どうして二人が喧嘩したか、知らない?」

 

 

 

 

 

 『アイツ』以外の理由など、ありうるはずあるまいて。

 

「……生憎と、知らないな」

「訊いてないのね」

「お前だってそうだろう」

「あたしはこれからよ。……あんたは?」

「私は、()()()()()

 

 ふっ、とかすめるように笑うさまはどうしようもなく自嘲的で。

 

『九ろ────』

 

 あの日言いかけた言葉。わざわざ呼び出してまで訊ねたかった疑問。けれどだからこそ、そのあとの一件で機会を失った。 

 

「私はどうにも意地っ張りでな、入学当日には訊くつもりだったんだが……どうして色々あって、あいつが中々(こく)なことを訊いてくるんだ」

 

 

 ──なぁ箒。お前、束さんとなにかあったのか?

 ──確かにクラスの娘達も不躾だったかもしれないさ。でも、そもそも解りようがないんだよ、他人なんて。そのくせお前は勝手にイラついて、『何が解る』、じゃねぇよ。

 ──じゃあわからない方が悪いのか? ふざけるなよ。解ってほしいなら話せよ、解り合いたいなら言葉にしろよ。黙ってなにも口にしないで、それで誰も彼もが勝手に察して、理解してくれると思うんじゃねえよ。

 

 

「あいつ、嘘つけないからね」

「はは。まぁお互い様なわけだがな……だが、私も対抗したのか当て付けのつもりだったのか、『私は訊かんぞ』と、言ってしまったんだよ」

「あんたも馬鹿ね」

「そういう性分だ、残念ながらな。もちろん軽はずみだったつもりはないし、納得もした。ただ、しかしな」

 

 それでも、恥を承知でそれでも。私はそれを訊きたい思っているよ。

 そう、箒はやはり自重するように苦笑していた。それだけ重要なのだろう。己の納得をへし折ってまでも、求めるものがあるんだろう。そのすごさは、鈴音だって理解できる。『己を裏切る』ということがどれだけ勇気のいることか痛みのあることか、理解できるから。

 ……ああもうまったく、やっぱりこいつもそうなのね。

 

「はぁ。やっぱりあんたも『一夏ラヴァーズ』なのか」

「はっ。なんだ、まだ『アイツ』その名称使っているのか?」

「じゃああんたも知ってるのね、一夏ラヴァーズ」

「私は一応ナンバー1……いや、ナンバー2だからな。言い得て妙だよ、まったくな」

「それならあたしは三番目ってとこね」

 

 二人して笑い合う。そうか、そうだよな。そうなってしまうよな、と。確信やら納得やら、決心決断理解得心。そんなあり方をめんどくさくもこねくり返しているのは、つまるところそういうわけで。なるほど、世の中の恋愛思想家が聞いたら、一様にあり得ないと一蹴しそうなことである。異常だろうか、異質だろうか? これこそまさに夢物語で、きっと幾度となく議論されてきたことなのだろう。

 しかし、おかしいと思わない。

 

「訊いても私に教えてくれるなよ、凰?」

「あたり前よ。そんなに馬鹿じゃないわ、篠ノ之さん」

 

 確信も決断も、裏切るならば納得を。これこそが至高と得心を。

 

「名前で呼んでよ」

「お前もな」

 

 それがよいのだと、納得を。

 

「まあ、あれだ。頑張れよ鈴音」

「がんばって訊くこと、なのかしらね……」

 

 彼を知っているのだから、今に納得できていないのだから。だったら、我を通してこそ王道だ。余計な世話などと言わせない。こちらからすれば、こんがらがってるお前が悪いのだから。

 言葉は交わされ各人の答えは出た。だからあとはその場面に臨むのみ。臨み挑んで向かうだけ、なのだが。

 

「ところで、ねぇ箒」

「ん? どうした鈴音」

「鈴でいいわよ。……それよりまだ訊きたいことがあるの」

「なんだ、どうした?」

 

 一転して真面目の『方向』が変わる鈴音。さっきの会話からすればかわいいものだが、当人にしたら看過できない程度には疑問の種なのだ。

 

「あんた、どうして一夏と同じ部屋なの?」

「先に言っておこう。部屋は代わらんぞ?」

 

 

 ◇◇◇

 

 

 深夜のアリーナに風切り音が舞う。

 晏然たる星の海を背景に、白い()(かい)(よく)が大気をかき回す。直線、曲線。上昇と降下。急停止からの逆噴射軌道(スラスト・リバース)を経て、()()()()()()()()。音速域を目指し加速していく体に、俺はさらに噴射回転(スラスト・ロール)で身体を反転、同時にスラスターの噴射方向を通常へと移行し、まったくの減速なしで後方へと進路を変えた。──まだだ。

 まだ足りない。

 

「ぃい!」

 

 瞬時加速(イグニッション・ブースト)はその特性上、持続時間が短い。使用直後はそれこそ爆発的な速度を得られるが、あくまでそれは初速だけだ。圧縮した多量のエネルギーを瞬時に放つことによって加速する技能……そんな過度にエネルギーを供給し続けられるなら、そもそも瞬時加速(イグニッション・ブースト)なんて技が生まれるはずないだろう。

 ゆえにもう一度、連続して同じ速度域に届きたいのならば、それこそ瞬時加速(イグニッション・ブースト)専用のスラスターなり増槽なり、エネルギーの圧縮(チャージ)性能を高めるほかない。が。

 だからこそ、《白式》の四枚のスラスターはそういった点で有能だ。

 前進する機体。しかし稼働するは上段二枚のスラスター。そう、下段の二枚が残っている。推進装置が豊富な《白式》だからこそできる、時間差の瞬時加速(イグニッション・ブースト)

 圧縮を開放、加えてPICで頭頂部を回転の軸に指定──そうなれば。そうなれば、それを軸に体が逆上がるのは当然。逆上がりの画に近い。オーバーヘッドシュートのが伝わりやすいか、ともあれさらに機体が反転しているに違いなく。

 逆上がりでいう鉄棒の頂点。ちょうど逆立ちのように逆さまになった瞬間、軸指定を解除。からの偏向重力推進角錐(グラビティー・ヘッド)を再び前方へ。そのまま飛翔しながらライフリングを走る弾丸のように上下を入れ替えて。

 特異な軌道。後進、反転、加速、上下反転、また加速。一連の動作を簡潔にするとその連続で、言葉の上でなら単純だ。しかし、俺はそれをほとんど瞬時加速(イグニッション・ブースト)中の高速域で行った。きっと多分、学園の先生方が褒めてくれる()()()()さまになっているだろう。しかし。

 まだ、足りない。

 まだまだ、『彼女』に届かない。

 

(千冬姉は──)

 

 『彼女』は。

 

(──もっと、速い!)

 

 俺が信じる、織斑一夏が信じる強さの体現者、織斑千冬。信奉するその彼女ならば、こんな程度、わざわざ実践するまでもなく通常機動として行っている。

 

 織斑千冬は究極だ。

 

 卓越、究極。異常にして頂点。そもそれを目指そうとするのが間違いなのかもしれない。しかしダメだ、ダメなのだ。この程度ができないようじゃ、千冬姉に()()()はずがない。あの強さにになんて至れない。

 桜の騎士のそのうしろ姿に、追いつけるなんてできやしない。

 視界が回る、視線が巡る。全方位視野のすみずみまで意識を伸ばし、けれど進行方向を『核』とするように思考は乱さない。補正された目線視線、けれどもその外枠を揺るがす勢いの超加速と進路変更。アクロバットを気どるつもりもないけど、しかしこれくらい鼻歌交じりにできないようでなんとする。ゆえに速く。だから飛べと。過ぎ去りゆくのを好いているが、それは漫然を肯定しているわけじゃないんだから。

 ピー! と、しかし意気込みとは裏腹、《白式》からアラーム音。どうにもタイマーの三分をむかえたようで、俺はそれを皮切りに機体速度を下げる。そこから今度は一分間に遊覧飛行だ。いや、第一なんのアラームであるか。

 簡単にいえばインターバル・トレーニングというやつ。それの合図。内容は全力とジョグの繰り返し、それのIS版みたいなものだ。心肺機能の強化はもちろんあるが、全速力を出す感覚を鍛えるのがおもな効能であるか、まぁなんにしても緩急のついた運動ほど辛いものはない。

 風を切る。汗を乗せる肌に夜風が心地よい。ある意味凪いでいる時間、いいや深夜である時分、そも静謐であることのほうが正常だ。俺のように、それこそ汗だくになっているのこそ異様だろう。しかし見てくれなど関係ないし、俺にはこれが必要だ。もうすっかり日課である。箒がいて、セシリアと競い、夜に羽ばたく、日常。

 

 ふと、数時間前の一幕を思い出す。

 

 セシリアの模擬戦あと、鈴と話したさらにあと。俺がシャワーを浴びて部屋に戻ればやっぱり鈴はそこにいて、そしてなぜか箒と言い争っていた。よもや喧嘩か? とも思ったが違うようで、なにやら鈴が箒に対して『部屋代わって』とごねていた。箒はどちらかというと妹をあやす姉みたい。……まさか出会って初日にこんな微笑ましいことになるとは思いもつかなかったが、しかしどうして『サマ』になっている。しっくりくる。

 でもってさらによくわからないが『ISでケリ付けるわよ!』とか意気込んで加えてなぜか箒がセシリア呼び出してセシリアが箒の代理人になった。……いや、うん。とりあえず長くなるから今は割愛しておこう。愉快なのには変わりない。

 愉快で、楽しくて、緩やかで。()()()

 ()()()、こんなにも────

 

 

 

 

 

「────『月が綺麗』、か?」

 

 

 

 

 

 ずばりと内心を打ち抜いたひとことに、しかしギクリとした硬直は訪れない。ただあえていうなら、高校一年生の男子が気どっている風にとられるのはちょいとばかし心外で──しつこくこの言葉を繰り返したどこぞの誰かにイラついた。こうして思わずつぶやいてしまうほどに耳に馴染んだ台詞が、いやでも去年を想起させて。

 

 ──やはり、どうしてそんなことを口にするのかわからなかった。

 

 たゆたう空のなか、視線を向ければ千冬姉が立っていた。やに下がった表情が深夜の照明に浮かんでいる。

 

「大分瞬時加速(イグニッション・ブースト)を使いこなせるようになったみたいだな、一夏」

「誰かさんが熱心に指導してくれたおかげでね」

「はっ、私は何もしていないがな。精々口頭で説明しただけだよ」

 

 そんなことはない、とはしかし我実姉にかぎっては言えなくて、その言葉の通り、本当に口頭だけで解説してくれた。どうにも学園の量産機に乗るつもりはないらしい。それが気になってなにげなく訊いてみれば『私は束の作った機体にしか乗らんよ』とのこと。なんだそりゃ。教師だろうに、実演指導ができないのはないだろう……って文句がはさめないほどに見事言葉で説明してくれる。なにも言い返せない。

 減速、機体高度を下げる。千冬姉がきたってことは、今日も今日とて訓練につき合ってくれるのだろう。

 ここ数日、俺は千冬姉直々にIS操縦の指導を受けていた。しかしこれは俺が自ら頼んだことではなく、むしろ我が姉が勝手にやっているものだった。いつも通り箒を気づかれないように忍び起きてアリーナで特訓、していればひょろっと彼女が現れて、いつも通りのあの顔でさらりと技術を教えてくれたのだ。この瞬時加速(イグニッション・ブースト)もそう。そしてなんとか、苦もなく行使できるほどには会得していた。

 

「それで千冬姉。今日もなにか教えてくれるのか?」

「教えるも何も『そういう性能がある』と示唆しているだけだ──と。等と説いても分からんよな、お前は」

「……わるかったな、出来が悪くて」

「私の友の言もあるがな、何も言わん。しかし知れ、分かれ。ISがどういう『道具』か理解しろ」

「……道具」

 

 そういえば箒も同じこと言ってたよな。『高性能な鎧』だかどうとか。つーか束さんがなんか言ってたの?

 

「まあ良いさ、良しとしよう。今日は大人しく、お前に個別(リボルバー)多重(デュアル)の話をしてやる。(あと)はそうだな、過剰(オーバード)──いや、いやいやそうだ。それもあったな」

 

 と、不理解の俺をそっちのけて彼女いわく『示唆』が始まろうとしていたのだが、けれど千冬姉は忘れていたとばかりの不遜な態度。傲慢じゃなくてへりくだる気持ちがないって意味で。とりあえずなにやら優先すべきことがあるよう。

 

「なあ一夏。お前、《零落白夜》をどの程度まで使える?」

「はい?」

 

 告げられた言葉はそれこそ意味がわからなくて、間抜けな声が口をついた。いやだってしかたないだろ? どの程度まで使える? なんだそれ。それじゃあまるで《零落白夜》に別の用途があるみたいな言いようじゃないか。ただでさえ《零落白夜》が使用できる意味がわからないのに、俺がそれを知り得るはずがない。第一《暮桜》がそんなおかしなことをしていた覚えはない。

 記憶のなかの桜の騎士は、別段変わったことをしていなかったはずだ。

 

「──ならいいさ。始めよう」

 

 そうやってみせたある種の憮然に決まりきった感情を抱いて、俺は再び舞い上がる。

 信奉する強さのため、憧憬する『彼女』のため。なによりも渇望する根幹に準じて。

 今日も、夜は長い。

 

 

 ◇

 

 

「これが、織斑一夏」

 

 深夜のアリーナに舞う彼の姿に、少女はただひとりごちる。アリーナの管制室、その屋根。その上に颯爽悠然、堂と立つ。しかし剛で終わらず凛としなやか。そんな佇まい。静動合一のあり方に、しかし似合わぬ内面か。その言葉が如実に表していた。

 それは驚愕を含んでいた。それは畏怖を滲ませていた。

 高々一ヶ月も搭乗経験のない素人のさまに、卓越した高速機動に。そして。

 その傍らに立つ、世界最強の姿に、得体の知れないなにかを抱いている。

 本来の彼女らしからぬ不安定な表情。普段ならば素敵とも不敵ともいわないミステリアスな微笑みで、それこそ周囲から尊敬と恐れを集めているだろう。権謀術数、人たらし。そういわしめている自負がある。そういう性分で、役割で。全力を賭けて望んでいる。

 けれど、織斑千冬だけは、別だ。

 あれだけは絶対に解れない──。

 

「それ、でもね。止まるなんてあり得ないのよ」

 

 決心も決意もすでにある。ゆえに彼女は止まらないと。

 夜の星を背負いながら、扇子を片手に少女は彼らを見下ろしていた。

 自身の妹が盲目的なまでに求めている、その男を。

 

 

 

 そして。

 そして別の場所からもうひとり。

 

「……あぁ」

 

 アリーナの観客席、月光を返すはメガネのレンズ。特に遊びも装飾もないシンプルなもので、それを購入した人間の人柄を簡単に表してくれそうな一品──しかし、それをかける少女は、そんな装飾品に見合わぬような艶のある息を吐いていた。

 やっと、やっと会えた。ようやく貴方に(まみ)えられる、と。

 感動と感激と決意を純粋に織り込んだ、嘘偽りない感情。ようやく並び立てるという感動。もう助けられるだけの私じゃないからと、確かな決意を抱いている。そのあまりの昂ぶりに、吐息が熱を帯びてしまったのか。

 しかし焦がれたその姿に、迸る感情は収まりを見せない。

 しかたないだろう。己が信じる理想がそこにあるのなら、幻想が体現しているのならば。誰しも、畏敬と尊敬で炸裂してしまうだろう。感動してしまうだろう。

 そして彼女は言う。想いを、羨望を。憧れと歓喜。その言葉に嘘も嘲りも皮肉もなく、ただただ真実と純粋が。

 溶けてほどけて再認識して、やはり夜は更けていく。

 

 

 

 

 

「やっぱり貴方は変わらない──私の『正義の味方(ヒーロー)』」




勘違いの話。

突如名前のあがった人里さんですが、彼女はアニメDVD/Blu-ray特典の書き下ろし小説に登場しています。
とはいえ書き下ろしでも名前だけですが。

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