ES_014_射干無貌(上)
『────
『────インパクトォォオオオオオオオオッッ!!!!』
空気を破るふたつの咆哮。
セシリアと鈴が持つ、現状最大最高の必殺手。その雄叫びに
見とれる。素直に。掛け値なしに脚色なく輝かしい。
どうしてそうまで真っ直ぐに在れるのかと、ああこの気持ちに嘘はなくて。
ゆえに、まず身体が動いていた。
「……あら、織斑さん? 篠ノ之さん?」
続くは、呼びかけを覆い隠す大爆音。
意識が置いてきぼりにされたと認識するころにはアリーナが砂煙に包まれていて。
肉体と精神との誤差が消えるあたりには観客席が悲鳴の大合唱で。
そして自身の所有権が復活したところでその行動に迷いはない。
爆音、重低音。轟音撒き散らす土砂粉塵。連動する大振動。未曾有の地震の到来だと、しかし誰もそうだと誤解しない。
地震? 事故? いいや違うぞ、だってこれは人為的──セシリアと鈴の決着がつくと思われたまさにその直前、アリーナのシールドを破って『なにか』がやってきたらしい。
鳴り響く警戒音、洪水の悲鳴、途端に閉じていく防護壁の数々。そこかしこの投影パネルが赤い警告文を明示して、試合模様にささやかな彩りを与えていた照明類は同様に真っ赤っか。パニックが急速に伝播してそれは一個の津波を思わせた。
と、俺にわかるのはそれくらい。どこぞの有識者とやらならもっとまともに現状を理解していることだろうが、あいにくと織斑一夏に理解できたのはそれくらいで。
俺は、
身体が最初に動いて、遅れて精神が合流して、意識が定まったところで回る脚が加速した。自我を介在させる前に、『なにか』が到来する前に体が稼動し、そして認識しても目的は決して変わらず。それはいったいなんの天啓だというのか。
しかしどうしてだとか、なぜだとか。そういう理屈はどうでもいい。なんで気づけたのかわからなくてかまわない。都合がいいとか異常だとかも関係ない。六感七感虫の知らせ、そんなの今はなんでもいいから、通路が防護壁に塞がれる前に走り抜けろ。
あれは絶対まずいから。
あれは絶対ダメだから。
あれは、織斑一夏の『それ』に反するから。
ならば走れ、ちぎれる思いで脚部を稼動させろ。その他一切の思考をすべて停止させて、ひたすらに『それ』を出力するためだけに焦点をおいて、呼吸も鼓動も忘れるほどに盲目して、そのためだけの単細胞にまで簡略化しろ。無駄は許されない、最短を最速で。いいやこうして思考すること自体がすでに無駄なのだから、さぁもう三歩この
ガコン、と。そうして俺が駆け抜けるが直後、開場出入り口が防護壁で塞がれる。
ギリギリ。よもやアクション映画さながらの緊迫感で、間一髪と通路に突入した。展開まで一秒とかからないだろう防護シャッターに身を割り込ませたは、たとえ『おかしい』との
「まだだぞ一夏、防護壁はこの先にもある」
同様に、
なぜついてきた、どうしてついてこれた、それらも同じくどうでもよいのはいまさらだから。
「このままAピットに行って、そこからグラウンドに出る」
「委細、承知」
爆走する血流を、さらに加熱した。
◇
「これは、いったい……」
「……どーしたってのよ」
赤々と警告文を表示するモニターを意にと介さず、セシリアと鈴音、両者がその照準を合わせているのは現在進行形の爆心地。
照準。つまり、二人はこの異常事態の中心へと砲口を向けていた。
突然の爆音に阻害されて
候補生ゆえか、あるいは単純な本能か。いずれにしろ今は状況把握こそが最優先であり、しからば警戒するなど当たり前。向ける砲身は最適な判断である。
まさに決着、という試合のクライマックスに突如として入った横槍。環境情報を検索すれば、どうにもアリーナの遮断シールドを突破し、なにかがここに侵入したようだ。と、言葉にすればいとも容易く、だからこそ単純に言い表せるこの状況が、どれだけ常軌を逸していることだろうか。
何者か。つまりこのひとことによって、あらゆる原因の選択肢が均されてひとつになる。
ゆらり。その中心で、
すなわち、ISが外部より乱入してきたというひとつに。
「どうやら侵入者、だそうですわ」
「どちらかっていうなら襲撃者っぽいけどね」
軽口を交わしながらもふたりの視線は黒影に向けられたまま。徐々にと晴れていく砂埃に苛立ちを覚えながらも、反するように生唾を飲み込んだのはセシリアか鈴音か。
生唾、緊張。当たり前だろう。なにせ天下のIS学園に、それこそ各国のVIPが集う学内イベントにおいて、わざわざ強襲などとの行動を起こしたのだ。いいやそういった関連付けの前に、こうした異常事態そのものに緊張するのは人間としてしかたない。
セシリアも鈴音も、自慢するものでもないがそれなりに
だからまずは警戒と分析。最速で情報を収集し、今なにをすべきか考えること。
そうして晴れる砂煙のむこう、彼女らにお目見えしたのは巨大な装甲群だった。
視界に映るは、
それに乗り込むはこれまた同系色の、暗めカラーで作られたISスーツだが、それは通常なら露出されていることが多い太ももや二の腕などまで満遍なく覆われていて、一見すると
そんなISスーツに加えて、搭乗者の頭部をすっぽりとフルフェイスのアーマーが隠している。ハイパーセンサーを兼ねているだろうそれは、背中にコブのように生えた装甲と後部がひと繋がりになっていて、いうまでもなく脊椎の防御力を高めている。鎧はそこから背骨の裏を這って腰骨にまでおよび、いうなれば背中面にエグゾスケルトンをあしらっているかのよう。
こればかりを見れば実にスマート、もとい
背面の
長い四肢、長銃、板状装甲──現れたその特徴などそれだけだが、しかしどうしてこんなにも『不気味』なのか。背中の長大プレートにこそインパクトはあるが、冷静に装備の構成を考えるなら、なんとも中途半端の印象を受ける。
近距離に主眼を当てているなら手足は短くなっているはずだろうし、長距離であるならその長銃では役者が足りず、ならば中距離かといえば背中のプレートが機動力を阻害している。それは誰の目から見ても不気味だろう……いや、確かに
違う。それとは別、別の感覚。
「ねぇ、オルコットさん。あの機体、」
「あなたも、違和を感じますか?」
のっそりとその全貌を開帳した黒影に、対する彼女達は同様の感想を抱いていた。
その感覚は、いうなれば非科学的と称されてしまうかもしれない。根拠はないし理屈もない。ひたすら見たまま感じたまま、ゆえに少し馬鹿らしいようなオカルト的で。けれど共振しているというならそれは本能とかいうやつかもしれなくて。
共通の感覚──あの機体は、
その瞬間であった。
ピピ。
((え?))
内心ふたりが重なったのもしかたなしで、同時に
【──
「「────、」」
息が止まった。
音声ではなくメッセージのみ。なんの飾りもないシンプルなものだが、しかしその内容がどれだけ衝撃的であるかなど、ことIS操縦者なら納得の驚愕だ。
無人機。ISの。
前提条件であるが、インフィニット・ストラトスは人間が乗らないと動かない。これはISが女性しか動かせないというのと同じく当然のことで、そういうものなのだからしかたない。無論のことどうして女性にしか反応しないのか、なぜ人が乗らなければ動かないのか、という研究はIS登場当初より議論され、研究されてきたことだ。が、未だにそれは解明されていない。
ISのブラックボックス──PIC、シールドバリアー、量子変換、自己進化、擬似意識、女性限定、有人必須。それらIS特有の機能が、一切。この一〇年まったくと解明されていないのだ。
ISという現物があるというにもかかわらず。並みいる科学者も、桁外れの技術者も、別アプローチによる芸術家や哲学者も、なにひとつの例外なく、その仕組みを詳らかにできていない。
その内の未踏技術が一つ、無人機。
それが、今。自分らの目の前に存在しているなど……
「ブラフ、なんじゃないの?」
「……そのおそれは十二分。第一、どうしてそんな機密事項をわざわざ伝えてくるのでしょう?」
到底、信じることはできない。
それは上の事実を踏まえなくとも、候補生としてほかの人々よりも長くISに携わってきたからこそ、ちゃんと自分の意見として言えることだ。
インフィニット・ストラトスという機械は、別格だ。
なにかどうしようもなく、どうにもできないような理外のものである、と。
先ほど己らが直感を『オカルト』だとか称しておいてなんであろうが、そもそもにこのインフィニット・ストラトスというもの自体、まさしく非科学的なものの筆頭ではなかろうか。人間の心に反応し、機体ごとに好みを持ち得、あまつさえ『進化』するなど……これが、とてつもないものだといやでもわかるし、そうおいそれと理解して解明できることでもないはず。
ならば自ら『無人機です』なんて明かすなど、疑いをもってしかるべきだ。脈絡なし、意味不明。
先のメッセージが真実であるかのように、それこそ無人らしく棒立ちの未確認IS。果たしてこれにどう対処すべきか。戦闘、観察? 機体の損傷は軽微、シールドエネルギーは互いに200ポイント近辺をうろついているが、そもそも
という前に、先のメッセージを思い返してみろ。
「……っていうか、ねぇオルコットさん。一応これ、誘われてるわよね?」
「まぁ意訳次第でいかようにも受け取れますが……ええ、少なくとも、」
瞬間、前方に向けられた長銃から赤い閃光が放たれた。
「──友好的ではないようですね」
ビッ! として空に走ったのは左長銃からの赤い弾丸、ビーム一発。それが宙に並ぶふたりの
それを両者
無人機だとかなにが目的だとか、そんな小難しいことはこの際あと。どのような思惑があるにせよ、すでに相手は『やる気』を見せた。なにはともあれ、今はこの敵を制し、その身柄を確保することこそが最良だ。
それにこうして攻撃する意思があるということは、最悪、アリーナの一般生徒にまで危害がおよぶこともありうる。いくらアリーナに隔壁・シャッター、バリアーがあろうとも、この敵はそれを破って現れたのだ。
そんなの当然、織斑一夏ではなくとも、ふたりからしたら許せない選択。
「そんなにお望みならお見舞いしてやろうじゃないの、全力ってやつを」
「もれなくあなたの敗北を披露させてあげてよ、
気勢新たに再度燃え上がる快活少女と英国淑女。先刻まで気炎をぶつけ合っていたとは思えない意識の重なり。弾ける円の回避機動はそのまま開戦の布石へと、瞬く間。ともに戦意の刃を抜刀する。
対する黒いその機体からは、反して際立つように一切の生々しさを感じなかった。
◇
「凰さん、オルコットさん!? 聞こえますか? 試合は中止です、早くアリーナから避難してください! 聞こえてますか?!」
管制室に大を発するのは山田真耶その人だ。いつもの彼女らしからぬ切羽詰った
しかたなし。いくら大の大人といえど、こうして学園が襲撃されるなんてクレバーを気取っていられるわけがない。こうした非常時にこそ冷静な態度を、それこそ生徒の模範でもある教師が取るべきなのだろうが、そんな殊勝を封殺して事態はまさに未曾有の危機だ。
所属不明機の到来。アリーナのシールドを障子紙に格下げて登場すれば、あろうことか中継モニターの向こう側で戦闘が始まってしまった。それも本来、守られるべき立場である凰鈴音とセシリア・オルコットのふたりがだ。
それはだめだ。候補生のプライドだとか重荷だとか、そんなの子供地味た責務など放っておいて、今すぐ逃げてほしいというのが真耶の内心。生徒を危険に晒すのをよしとする教師がどこにいるというのだ。
だから真耶は先程から必死とふたりのプライベートチャネルに呼びかけるのだが、反応がない。あちらの音声も映像もこちらには伝わっているのに、ここからの呼びかけはまったく伝達されていない!
(機材トラブル? 違う、タイミングがよすぎる。だったらこの襲撃者の仕業と考えるのが妥当──!)
から回る、焦る。事態が好転しない、という前に判然としない。幸い防護壁は生きているようで展開に問題はなし……いや、でも避難が思うように進んでいない? まさか隔壁までロックされているのか? くそ、だったら早くシステムクラックと職員に避難誘導、いや政府に連絡だって──!
「そう慌てるなよ山田君。生徒の救出部隊もクラック要員も、既に私が編成して指示を出した。君が焦燥することなど何もない」
その加熱する思考を冷やしてくれたのは、やはりこのひとしかいなかった。
織斑、千冬。
誰もが慌ただしく奔走するなか、まったく微塵の揺れを見せず、悠々いつも通りのやにさがりで、真耶のかたわらで腕を組む。周りと対比してこそじゃなく、事実として颯爽とさえいえる落ち着きよう。冷静沈着とはかくあるべしと、けれど、そんな尊敬よりも疑問が先に立ってしまう。
「ですが織斑先生。襲撃ですよ? 襲撃者ですよ!? それが生徒と戦っているんですよ!? 落ち着くもなにも、心配にならないはずありません!」
あまりにも普段と変わらない千冬のせいか、己こそがおかしいのではと錯覚してしまうが、違う。その感情の至りこそが錯覚で、現実錯誤の大過誤だ。
どうしてこのひとは、こんなにも落ち着いている!?
「心中察する、とは尊大な言い回しになってしまうがね、私とて君の気心その心情、それが分からぬ訳まいよ。が、ともあれ叫んでも変わらんのも事実。今はクラック班の結果を待つしかあるまい。
──なら熱くなるな、目を開けろ。焦点が合っても視野が狭ければ盲目も同義だ」
「……はい」
口は一応の納得をみせる。
千冬の言葉も一理あろう。なにもできないなら慌てても意味はない。心を落ち着けてこれからに即座対応、それこそ現状の最良かもしれない。窮地でこそ底冷えの沈着を。そういう思考の収束に関しては、先ほどより幾千倍ともまとまった。だが。
そこでは、ない。
「とはいえ、良かったよ。凰もオルコットも、私が何も言わずとも襲撃者に対応してくれて」
「……え?」
なにを、言っているのだ?
「ん? いやなあ。生徒の危害を抑えるため、避難完了まで足止めを指示するつもりだったんだよ、始めからな」
「でも、ですが」
「それに──下らない話ではあるがね、奴等二人は候補生だ。人命第一とは言うものだが、どうして済まされないものがあるよ」
「尤も教師が対応するのが至当に決まっているがな」と。そう口にする千冬はなんとも無念だという風だが、実際その態度からは微塵もそうだと感じられない。口先だけにしか聞こえないし、というよりそれを隠そうとすらしていない。口でこそ歯噛みする無能な教師を皮肉る言いようなのに、あまりに飄々としすぎて動じない。
それこそ、この事態を歓迎しているかのような挙措を隠さない。そんなの全部でまかせであるということを隠蔽しない。白々しい。
──ああ、やはり。やはりこのひとは違う。
「……一応、このままこちらからのコールは続けてみます」
「そうだな。もしかしたら何かしらの手違いで繋がるかもしれない」
──やはりこのひとは、
そのどうしようもないものを抱きながら、真耶はいま己にできることに従事した。自らの側に立つ世界最強を無視するかのように、ひたすら回線のアクセスに没頭する。
襲撃者だとか今後の処遇だとか、生徒への被害だとかですらなく。ただ、そうした現状よりもこの女性が怖しい。
得体の知れぬおぞましさ。事態に恐慌する心を押し潰して、ひたすら別種の焦燥に胸を焼かれた。……けれどこうして生徒を心配するのはそれを忘れるためでは決してないと、誰とも聞かぬ言い訳を脳裏に走らせたことに気がついて、道理の通らぬ葛藤になおのこととコールする言葉に力がこもった。
「それにしてもやはや何とも、お前は駆け足が過ぎるよ。『Ⅳ』だなどと、私以上じゃあないか」
にやにやと。
その呟きが聞こえなくなる程度に、山田真耶は生徒を想う教師であった。
◆
「ここもダメか」
都合三度目、目の前で閉鎖した隔壁をして、俺は即座に進路を巻き戻る。
観客席を出れたのは無論のこと僥倖
進まないが、止まれない。体も心も、そんな決断を許さない。
息は上がらない、足は動く。血流も未だ爆速のまま。しからば最速のままに体を切り返し、ほかのルートを模索する。
(確かひとつ前のT字路で……)
「──一夏、こっちだ」
と。瞬間、追従していたはずの箒が突如として俺を追い越して前に出る。抜きざまに短く呟くと、返事も待たずに足の回転率を上げていく。その挙動によどみはなく、まるでこちらからなら行けると知っているかのごとくの不自然さ──なんでもいい。それ以降の思考はいらない。
箒がこっちだと言ったんだ。だったらそれがすべてだろう。
「了解」
遅れて了承の意を返し、彼女のポニーテールのあとを追った。
角を曲がる、階段を降りる。そうしていくつかの方向転換を経て、たどり着いた先は、来客用の男子トイレ?
「一端、ここの窓から外に出る」
「──オーケー、箒」
『外に出る』のひとことで、箒がなにをせんとするのかを理解した。
なぜか窓のシャッターはおりていなかったが、やはりそんなのどうでもよかった。
「…………」
──まったくの疑問も抱かず早速と窓へ身を乗り出す一夏に対し、しかし一方の篠ノ之箒はなんとも奇妙な表情をしていた。
複雑で、それでいて苛立ちとある意味での無念。そして確然の憤懣。やるかたない、どうしようもない。それが最良であるとわかってしまうのが、なによりも度し難い。
彼のそのうしろ、彼女がその手に握る学園配給の携帯端末。ルート検索のために取り出していたそれのディスプレイ、そこには。
そこには、
「……ッ!」
奥歯を噛み締め、けれどそれこそが最短なのは明白。理不尽でありながら不自然な進路表示、このタイミングで送られてくるという異常性を隠そうとすらしない一周
競り上がる灼熱を無理矢理に推力へと転じさせ、箒は赤い思考で窓をくぐった──。