ES〈エンドレス・ストラトス〉   作:KiLa

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第一七話【100万回生きたねこ(散)】

 ES_018_100万回生きたねこ(散)

 

 

 

『燃えてみせろよ、生者ども』

 

 

 瞬く間と姿を変えた敵機の前に、二人の候補生は絶句しかできなかった。いや、させられた。

 理解が追いつかない。およばない。知らないなにかが知らないことを知らない内に完了させている。不気味とも禍々しいとも、いいやある意味での花の美しさとさえつかない変容に……言葉を失う以外の、いったいどんな反応ができたという。

 しかしだが、それでも未だ確然なのだ。確固としてわかるのだ。

 

 殺意。

 

 その妄念だけは、決して微塵も揺らいでなかったから──そうとも、狂する敵を前にして、この()におよんで呆けているしかできないなど、どのような結末に直結するか子供の算数じみて簡単だ。

 

 ズオッ! 言葉とともに放たれるのはビーム一閃。

 

 単純、己の窮地にほかならない。

 『打ち放つ』というよりも『吐き出す』といった一撃、轟音。

 夥しく溢れさせる殺意を擦りつけるような、暴虐。

 『装甲の展開』という変調による影響か、その一撃たるや、先までと比べるまでもない。弾速・密度・射程、つまりは火力に関する全要素。出現したエネルギーエッジがそれらを幾段にも増強させているかのごとく、暴威の光が空白の主人へと走っていく。

 思考の空白、その終点。凰鈴音へと。

 

「────ッ!」

 

 意識が追いついたときにはもう遅い。

 もはや射撃ではなく砲撃。空気を焼き切って進む閃光は、おそらく襲来時にアリーナを壊した一撃をはるかに凌駕している出力。

 たとえばの話。これがセシリア程度に距離を空けていたのならば対応できたのかもしれないが、前衛を担当していた鈴音ゆえ、現在彼我の(あいだ)はミドルレンジにおよばない。そのなかであろうことか意識の合間を横殴りされているとなれば……そうとも、必死以外のなにものでもない!

 短距離を高速で走る光弾に、講じれた手段は機体を横転(ロール)させるというワン・アクションのみ──!

 

 

 

「────ぉ」

 

 

 

 だからこそ、そんな刹那の間隙に躍り出る白い機影は、どうしようもなく完結していた。

 実に簡単に馬鹿らしく、ビームの斜線上に一夏が割り込んでいた。二人が驚愕を晒していたその(かん)も、彼はどこまでも織斑一夏だったから。

 だからこうした超速の反応は当たり前で、《雪片弐型》では到底受け止め切れない熱量に焦がされながらも、皆目微塵も動じない。

 

「一夏ッ!?」

 

 そんな彼の挙動を知っているがゆえ、心情をわかっているがゆえ、鈴音の口を突くのは感謝でなく悲鳴。こうなるだろう予測ができてようが、こうして実際一夏が脅威に晒されるのになにも感じないわけがない。

 削られるシールド、飛散するビーム。それらすべてを彼が肩代わりしてくれるから、鈴音に一切ダメージはない。しかし代わりにその彼の、《白式》を示すシールドエネルギーが湯水のように消えている。現状において『安全』という項目を数値化したそれが、レッドゾーンに反転する。危険、危険。

 だけれどそんなただなかなのに、

 

「大丈夫か、鈴」

 

 『我が身を焼き切られる程度厭わない』といった面持ちで微笑んでいる一夏の顔が、どうしようもなく悲しいのだ。

 力およばずの己が憎たらしい。未だ追いつけてないと宣言されているようで呪わしい。今すぐ泣き喚いて癇癪したい衝動に、けれどもそうならに程度に心は落ち着いてしまっているから。

 

『ああ、()いな』

 

 だからにたりと声だけで笑うフィルター越しの(きん)(ちょう)(じょう)が、憎たらしいほど予想できた。

 直後、ゴッ。と大気を打ち破る轟音を巻き起こして、敵機第二射が放たれる。同じく極大の熱量。照準に迷いなんてあろうわけもなく、(あやま)たず射るその先はセシリア。一夏が一弾目を受けきった直後の妙なるトリガー。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 あたかも『間に合ってみせろ』との意地汚さを確信させるタイミングで、その凶弾が淑女を狙う──そう、間に合えと。間に合ってみせろと言っているのだ。

 

『織斑一夏は絶対に仲間のもとへたどり着く』と。

 

 この敵は、あろうことか一夏を信頼しているのだ──!

 

 

 

 

 

「…………三重(トリプル)瞬時加速(イグニッション)

 

 

 

 

 

 音が、消えた。

 ──その言葉の意味、候補生である鈴音がわからぬはずはない。

 三重(トリプル)。すなわち、瞬時加速(イグニッション・ブースト)の三連続使用。……驚愕なんて、最早ない。あるのはただただ、痛みに泣いてるちっぽけな心臓。

 機械的にさえ聞こえる言葉が速く、鈴音の視界を一筋の雷光が分断する。音が消える錯覚。刹那が延長する誤認識。ハイパーセンサーのなかにおいて、すべての感覚が遅れているような瞬間を突き抜ける白の翼が──音速を置き去りにしたその先で、白の機体が熱線と邂逅した。

 間に、合った。

 

「遅いぞ顔無」

 

 瞬間、すべての時間が現実に追いつく。

 まるで先の焼き直しであるかのごとく熱波を撒き散らすビーム一閃。重量砲に違わない射撃を、しかして目標へと到達させないは割り込んだ一夏にほかならず、ただでさえ枯渇に向かうシールドエネルギーが、熱湯にあぶられる淡雪を手本に消えてゆく。

 

「一夏さんッ!」

 

 放射を肩代わりする一夏に、たまらずとセシリアの悲鳴が上がった。当然だ。ISの防御機構の源たるシールドバリアーをかぎりなくゼロへとすり減らしながら、しかして彼はなんら痛痒にすら感じていないのだから。試合でないこの現状で、それがどれだけイカレていることか。

 彼の肉の中身、言葉もはばかられるほどにぐちゃぐちゃだろう。度重なる瞬時加速(イグニッション・ブースト)の連続使用と、二重三重の蛮勇行使。さらに増強されたビーム射撃を盾すらもたずに受け止めているのだ。そんな無茶を晒しておいて、強健だなどとは力説されても信じられない。

 なのに。

 

「平気かセシリア」

「え、ああ、そのっ……はい」

「じゃあよかった」

 

 なのに、彼は心底安心したように笑うから──!

 

『羨ましいな、一夏』

 

 そんな、なかで。

 そんな予定調和のギリギリを演出しておきながら、敵機黒星は無機質な能面から羨望の言葉を漏らす。そうでなくては困るのだと、そうあるのがお前なのだと。性能等級を確認する検品めいて。

 いや、言葉こそ羨望であるが、声色はむしろ自虐や嘲笑めいているような……。

 

「もう終わりかよ」

『無論、否だ。(いくさ)の鉄火はここからさ』

「そぉかいッ!」

 

 そして再度雷光が閃く。

 瞬時加速(イグニッション・ブースト)の迅雷。持てる生命を削ぎ落としながら、それでも一夏は加速する。機体も体もボロボロで、なのに心は灼々だからと、体温を流失させながら火の国へと行軍する。……正直、見るに耐えない。痛々しくて、苦しくて、どうしようもなくド阿呆でしかたない。

 ズタボロの傷だらけ。断崖へ狂喜しながら疾走する諸刃の剣。回転率の限界を嬉々として踏み越えながら崩れていく、善性の内燃機関。それはさながら蝋の翼であり……。

 それが凰鈴音には悲しくて、セシリア・オルコットには悔しくて、張り裂ける心臓に嘘をつくなんてどうしてもできなかったから──。

 

 

 

「────シェン・ロォォンッッ!!」

 

「────ブルー・ティアァァズッッ!!」

 

 

 

 思考が確然とめぐるよりも早く、二人の機体が瞬時加速(イグニッション・ブースト)を決行する!

 それは反射力を凌駕する感情の暴発。噴門から湧き上がる塩酸よりも(から)い赤熱が、二人の感情を駆動させた。

 だって見ていられなかったのだ。悔しかったのだ。悲しくて辛くて──負けられないと確信したのだ。織斑一夏のそのさまに、たまらなく胸の内をかきむしられるのだ。だから。

 ゆえにここにすべてのセオリーは無視される。

 内に起因する感情だけが、すべてに解答をくだしている。

 清涼の理性は淘汰された。理路整然なんて朽ち果てろ。

 わけもわからぬ熱に唆されているのだろうと、この爆轟が嘘であるなどあり得ない!

 一夏に遅れること一秒以下、小数点のゼロ隣り。赤い視界を白く割り裂き、二人が剣を抜刀する。白の雷光に追いすがらんと、発破の思いで嘶き踊る!

 

『そうだよ。それでいいんだ、生者ども──終わってしまえ』

 

 走るは三つの剣流星。白と青とそれから臙脂。心をすり減らすその前で、顔無し少女は確かに笑った。嘲笑の類か苦笑なのか、はたまた思いがけずの失笑の類いか。

 いいぞ吼えてろ、羨ましがれ。馬鹿にしなさい、ああそうさ。お前が怖いだなどとどうでもいいから、今はひたすら織斑一夏に追いすがれ。

 穿つ三連、全弾鋭利。《ストレイト・ブルー》の一閃が、《双天牙月》の一刀が、《雪片弐型》の一点が、焦点目がけて収束した。

 

「はぁああああああああ!」

「ザァアアアアアアアア!」

「────ぉ」

『それでもまだまだ、届かんよ』

 

 その三連を前にして、なお立ちはだかるや黒の星。

 《雪片弐型》を二剣で受け止め、遅れて連なる《ストレイト・ブルー》と《双天牙月》を現出したエネルギーエッヂで片手間程度にいなして払った。しかし軽く弾いた程度の一動作だろうと、この速度帯では指先一つすら絶大の威力に相当する。だから背部に広がる六枚の凶刃に触れた二人は、まさしく大剣に削ぎ落とされるがごとく弾かれた。強打!

 貴様らに用はないと。一夏だけが望みだと。

 届かな、

 

「いわけなんでしょうがぁああああ!」

 

 敵の光刃にいなされるその転瞬、しかし轟く快活は栗毛のツインテール。

 端から『弾かれることはわかっていた』と言わんばかりに、その瞬間に噴射横転(スラスト・ロール)。顔無に弾かれ機動が逸れるタイミングで、鈴音の射程距離に敵を収めた状態で、横転(ロール)する。と、なれば。

 機体周囲に展開した《双天牙月》が回る機体に連動して、顔無の側面から襲いかかって当然!

 その瞬間、鈴音が一迅の颶風となる。

 そして。

 

「それでもォオオオオ!」

 

 同時同刻、再展開した《ストレイト・ブルー》が、敵機の背後に向かって投擲される。

 セシリアが放った瞬時加速(イグニッション・ブースト)によって加速した打突。ゆえにPICの恩恵を最大まで受けた直線突きは絶大の威力だが、それは咄嗟に『受け』や『払い』の行動に移行できないことを浮き彫りにする。

 だが、それを一度格納してしまえばどうだろうか。PICに干渉されない格納領域に戻してしまったあとに、再度展開すればどうだろうか。

 簡潔、現れたるは瞬時加速(イグニッション・ブースト)のなかにおいてPICの影響を受けていない近接武装。

 一時的に慣性制御の呪縛から解き放たれたその刃を、ならばいなされ過ぎるその瞬間に、敵の後方に向かって射出できない道理はない!

 その瞬間、セシリアが一閃の紫電を撃つ。

 鈴音、セシリア。ともにタイムロスなしのカウンター。一夏に専心してばかりの妄念を縫うように、旋風と必穿が筋繊維を引きちぎりながら放たれた。

 

『やるな』

 

 決死の前に短く、しかしわずかの賞賛を透けさせて。

 ジィ──。と、しかし返礼の剣は、エネルギーエッヂに再度阻まれていた。焦げる音は光刃が高出力ゆえか、武器の鋼鉄を焼いていた。颶風も紫電も、それでも届かない……!

 簡単な理屈なのだろう。『おまえら二人に出来るなら、私が対応出来ないはずがない』。展開した装甲がなせた技か、はたまた単純な技量か、こちらの決死を阻むタマスダレ。しかしいずれに結果は同じ、こちらがおよばなかったという明瞭解。届かぬ思いが空回り、

 

『剥がれろ』

 

 静謐の台詞が早く、全身から現出するその光刃。その表面からエネルギーの破片が剥離する。それも無数。幾十幾百の小型片が、飛び散るようにささくれ立ち──射出。

 エネルギーエッヂの鱗粉が、光弾となって弾け飛ぶ。

 

「がッ!?」

「チィ──!」

 

 指向性のない全方位、ゆえに薄く広がる弾幕、なんてわけもなく。それを補ってあまりある大量の光片が、瀑布のように空間に刺さる。オマケに一つひとつが見た目より重い。どういった構造か、物体に接触した瞬間、光の破片が炸裂している……!。

 それを、一夏と鈴音は極近距離で浴びせられた。

 破裂、炸裂。全身に満遍なく刺さって弾ける。慣性のままに過ぎていったセシリアと違い、鈴音は体勢を変えて、一夏は剣を受け止められた状態であるため、咄嗟の回避が無論きかない。セシリアとて投擲のために体勢を崩してこそいるが、それでも距離が離れている分、二人に比べればまだマシだ。

 が、とはいえ鈴音にも怪我の功名か。非固定浮遊部位(アンロック・ユニット)の恩恵、展開した六枚の刃がはからずしも光弾を阻む即席の盾となって、彼女への五月雨を和らげる。

 ゆえに被害が甚大なのは……。

 

「一夏!」

「一夏さん!」

「────《零落白夜》、超動」

 

 織斑一夏の、はずなのに。

 彼はその体勢のまま、己の必殺を抜刀した──!?

 その瞬間をこそ必殺と確信したのか。今で頑なに使用しなかったアビリティー、それをあろうことかこのタイミングで、この状態で、ためらいもなく行使する。なるほど、敵に『受け止められた』ということは相手は『受け止めた姿勢』で固定されるにほかならず、つまりこの機会ならば、外さない。

 考えればわかる話。あの至近距離、確かに光の弾幕を回避なんて、それこそ奇跡でも起きなければ無理かも知れない。が、はたして『あの』織斑一夏が本当に躱すことができなかったのか? いいや違う、躱せないのでなく避けなかっただけ。絶対に外さない一瞬のために、自分の生命を囮に使っただけ。ゆえ外さない。

 血液を失おうが、肉を削ぎ落とそうが、感情をすり減らそうが、外さない。

 そのさま、まさしく諸刃。

 

『──くはっ』

 

 それは今日初めての目に見える笑いだった。

 そう来るか。そう来るのか。来たな来たなそうだな来ォい! ──待ちわびたとばかりの凶念、狂わしいばかりの歓喜。互いに視線は目前の一人。焦がれるゆえの熱視線。周りはすべてただの環境で、煩わしいと眼中外。……セシリア・オルコットと凰鈴音とのすべては茶番だったと語らんばかりの牢乎さで、白黒二人は完結していた。

 部外者だった。

 友達なのに、仲間なのに、ともに戦っていたのに。

 部外者、だった。

 

 

 

 

「────部外者なのは貴様の方だろう、顔無風情が」

 

 

 

 

 

 だから、その瞬間に響いた(すず)なる声は、その場の誰もが予想だにしていなかったこと。

 

「え?」

「はい?」

「お前ら三人いいから退()けい!」

 

 その声色は間違えるはずもなく、だからこそ錯覚しようもなく、いいやにわかに信じられなくて。その(りん)の声は、凛の声は。刀の閃きで明瞭たる響きは。

 

 ────《打鉄》をまとった、篠ノ之箒その人だった。

 

 認識するが早く、呆ける暇など一切ない。その言葉の真意を知らぬまま、いや知る知らない以前に『あの状態』の織斑一夏がなんの異論もなく()()()退()()()()()のだ。ならば疑念など切り捨て走れ。

 回避だとかそんなものを微塵も考慮せず、満遍なく光の破片を受けながら、ちぎるように顔無との距離を空け。

 

「────ナマクラ俗刀流」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「「なぁ?!」」

 

 まずなにから驚けばいいのかわからない、という認識の前に箒は敵機へと到達し、上段に握る近接ブレード、それを加速のままに振り下ろす。確かによく見れば、そのまとう《打鉄》が高速機動用パッケージに換装してあることや、多重瞬時加速(デュアル・イグニッション)に加えて個別瞬時加速(リボルバー・イグニッション)を行おうとしていることが察知できていたかもしれないが、結局たられば、驚愕がすべてを抜き去っていた。

 その彼女の機動は正面、真っ向。なのに上段というあわや隙だらけとも思える技であるが、そも正面はもともと一夏が陣取っていた位置。つまり、一夏が被弾して受けた分、弾幕が薄い。全方位の死角なし攻撃であったがゆえに生まれた、一瞬の死角──!

 振り下ろされるは流麗。なぞるは半円、いいや半月。その一刹那、すべてから隔離されたように洗練された絶技が時間を割いて。

 

 

『────なんだよソレは。「篠ノ之」で来いよ、妹(ぎみ)

 

 

 酷く萎えた冷徹の前に、間断なく受け止められていた。

 それは息を呑む攻防だった。セシリアや鈴音の自らを惹起させる熱意じゃない。織斑一夏の完結した決意じゃない。

 しゃらんと砥がれて澄まされた、(わざ)の交差。

 そう見るものに抱かせた泡沫は、けれども憤慨すら滲ませる金打声に切り落とされた。

 

「……『篠ノ之』なんてないよ、ここには。私はこれがいいんだ」

『はっ。笑止だよ、千万だ。殺意と害意は満腔のくせに、床に(しり)を着けているのが好きなのか』

()()しいか?」

『愚かしいとも』

「嬉しいな」

『生憎マゾヒストの友人は()らんでな。教えてくれよ。楽しいか?』

「私は()()にいたいんだよ。そう教えてくれたんだよ。──タナトフィリアにはわからんだろうさ」

『流石だなコミュ障。言葉の重みが違う』

「吼えたな害悪が」

 

 ヤケに饒舌であった。それこそ、ご執心だった一夏もかくやとの言葉回しで、二人の会話は積み上がっていた。吐き出されるのは意味不明の羅列、それでもセシリアと鈴音に加勢できる雰囲気でなんてとんでもなく。

 ただ、納得に完結した箒と、笑止と萎える顔無がどうしようもなく自分達からズレているのだと知らされているようで……。

 

「排斥してやる」

『その死に方じゃあ、終点(わたし)には届かんよ』

「だろうさ」

 

 そして再び動き出す。

 みなぎる戦意は驚くことに敵機から。一夏にこそ殺意を振りまいていた専用装置だったはずの顔無が、初めて、彼以外に殺気を迸らせていた。

 対する箒も無論のこと燃え盛り、とはしかしてはからず。

 

 

 

 

 

「届かんよ、私じゃあな────()()()()ッ!」

 

「はいっ!!」

 

 

 

 

 

 箒の言葉に呼応する、さらなる響き。

 まるで自分こそが最後の登場人物だと、大取りを飾る最終演目。箒が吶喊してきた方角と同方向、巨大な翼で颯爽と空を切る彼女を、この場の誰もが知らなかった。

 いいや知ってこそいた。その名を、顔を、けれど面識はなかったから──ここぞというこの鉄火に勇んだそのさまは、誰もの思考を凌駕する。

 

 

「照準完了。全弾頭手動制御クリア。《山嵐》──全弾一斉発射(フ ル ・ フ ァ イ ア)ッ!!」

 

 

 その少女、名を、更識簪。日本の代表候補生。

 内気そうな眼鏡の奥、しかして応と答えた声は反して強く。心気みなぎる鮮烈さ。悠と、轟と、颯爽とすら見える彼女のさまは、まるで()()()()()連想させる果敢さで──そしてその言葉以上に彼女の機体が苛烈に吼える。

 その機体、《打鉄弐式》。彼女が自ら作り上げた専用IS。おおもとになった《打鉄》と違い、その特徴は背部に携える巨大なウィングスラスター、などとの話は捨て去り、その機械翼に施されたハッチが開き、なかから彼女の戦意が現出する。

 八連装ミサイル《山嵐》。のかけること六。

 それは、全四八発にもおよぶミサイルだ。

 

「行っけぇぇええええええええ!!」

 

 裂帛。

 ボボボッ! と炸裂する噴射音を連続させて、一気呵成と吐き出されるミサイル群。腰部・浮遊非固定部位の各所から射出される弾頭が、いっそおぞましい統率を経て群狼と吼える。

 瀑布の怒涛。これこそ箒がみなを引かせた理由で、そして彼女自身が突撃した理由。

 

 許し難いが……箒があの顔無と刃を合わせれば、()()()()()

 

 『愚かしいよ』──それは実に腹立たしくて、子供の癇癪よりみっともなく怒鳴りつけて否定したい言葉であるが、それでも己の、篠ノ之箒の『それ』に対する熱のほうが上回った。願とかみ殺す熱、よって生まれるのは敵機の致命的な隙だ。

 箒に戦意を向けて、それをいなされて、敵が肩透かしを食らった瞬間に、『すべてをマニュアルで制御されたミサイル』が叩き込まれる。

 

「っ────!」

 

 キッとする眼光は眼鏡レンズを通しても減退せず、ゆえに簪という少女の戦意のほどを物語る。それは憎悪や憤怒でありながら、なおと濃い憧れの炎。盲目的な熱情のなか、彼女の指は(いっ)(とき)たりとて休みなく、弾道制御のためにコンソールを走る。リアルタイムの並列手動制御。

 それは驚嘆の技。一切の自動化された命令をはさまずに四八発の弾頭を操る驚異。だが、しかしてISの発展にともないレーダーやFCSの類いが軒並み発展した現在において、それいささか効率が悪いにすぎるのでは? むしろ人的な要素を取り去って簡略化したシステムこそが、そうした面攻撃を行う兵装の強みであるはず。負担にしかならないフル・マニュアルなど、利点に対するリスクばかりが目立つ。

 だがそれこそ笑止。発想を逆転すれば実に呆気ない事実の裏づけだ。

 

 ただそれは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だということだ。

 

 よってここになされるはどんな状況にも即座に対応する数の暴威。自動追尾よりもより精密かつ粘着質な追跡能力を実現可能にする。瞬間的な火力においては、さしもの《ブルー・ティアーズ》《甲龍(シェン・ロン)》すら凌駕する大威力が、ここに絶対必中の収束を果たす!

 

『…………、』

 

 それを前に、さすがの顔無すら満足な反応ができず。

 

「私はもう、守られない!」

 

 回避許さぬ炸裂の雨が、無慈悲に敵へと降り注いだ。

 

 

 ◇

 

 

「行っけぇぇええええええええ!!」

 

 ──空に舞う弾頭。その狙いは過たず、そして外れるなどとありえない。それをなせるだけの実力を、更識簪はこの一年間で身につけたのだから。

 それは次の試合のために私がピットで機体を調整していたときのこと。オルコットさんと凰さんの試合のさなか、その敵は突然やってきた。

 敵。訓練でも遊びでもましてや幻でなんて絶対にない、純粋なる敵。

 恐怖、した。

 (がい)(けん)が不気味だとか装備がおかしいとか、視覚的な情報によっての感情じゃない。冷静であることが前提な、理由ありきのものじゃない。もっと根源的で、芯の(しん)に知らしめる、恐怖。理不尽がやってきたんだ。

 怖くて、恐ろしくて、畏怖して、内心恐慌して……倒れてしまいそうなほどに心が寒い。そんななかでも戦おうとした二人はすごくて、だからこそそのあとに転調した敵にやられるのが見ていられなくて、ぎゅっと目を閉じて呪ったんだ。

 なんでおかしい、許せない。こんなの絶対間違ってる。私達はなにもしていないのに。

 だから同時に、祈ってしまった。もうそんなことはしないと決めたはずなのに。あなたが救ってくれたあのときに、そんな自分とは決別したはずなのに。

 

 願ってしまった──ヒーローを。

 

 ヒーローはピンチに絶対現れる。こんなときにヒーローがいてくれたら、絶対自分を私を助けてくれるに違いない。少女の幻想? お笑い種? そうかもしれない。現実はそんなに甘くない。知ってるわかるよ、御伽噺だ。祈れば手が届くコンビニ感覚の奇跡、安っぽすぎて馬鹿らしい。誰に言われるまでもなく、冷たいリアルを理解してるの。だけど。

 だけどやっぱり。

 

()()()は、駆けつけてくれた)

 

 颯爽と空を裂く白の翼、戦うさまは雷光につき。天蓋を裂いて降臨する絶叫は、どうしようもなくこの胸の内を疼かせる。それはまるで漫画のなかからそのまま飛び出してきたヒーローのようで、思わず涙が出そうになって。ぐしゃぐしゃと心が入り乱れてしまう。

 ごめんね、弱いよね、恥ずかしいよね。それこそ自分で立ち上がって、戦わないとだめだよね。他人に頼ってるばかりじゃ、なにもできやしないよね。お姉ちゃんに対するくだらない悩みだって、あなたが解決してくれたのに、一人で立ち上がったはずなのに──だからありがとう、もう大丈夫。

 

(私は候補生になったんだから、憧れるだけじゃないんだから)

 

 織斑君、大丈夫。心配しないで安心して。私はもう守られるだけじゃないんだから。そうともあなたは私の理想、唯一現存する『正義の味方(ヒ ー ロ ー)』なんだ。だから私も、負けないの。そんなあなたに憧れるから、私はあなたに並ぶから。

 

 ────もうあなたに、血なんて流させやしないから。

 

 いっしょに戦おう。戦って勝とう。そうだよ悪は倒さなきゃ、誰かの涙は許せないんだ。

 あなたが教えてくれたあの日の夢が、確かに私を動かして。

 

『ここか』

 

 突如、ピットに響いた声が、感激の追憶を縫った。確然とする決意のなか、ピットに誰かが現れていた。

 女生徒。高めの身長、突き出た胸、黒髪艶髪のポニーテール。女性らしい体つきながらなにくわぬとさえいえる飄々さで、しかしそれでいて悠然とするそのさまは、正直女の私からしてもほれぼれするような挙措、って、いやいやいや! どうして人がここに? 救助にきた先生方ならまだしも、全部ロックされてるアリーナ生徒がやってくるなんて……ううん、それよりも不可思議なその雰囲気にこそ、私は息を呑んだ。『それより』と思ってしまうほどに、その雰囲気が圧倒的だったから。

 

 だって飄々としているのに……その体から溢れかえるこの冷々とした空気は、いったいなんの表れなのか。

 

 氷点下に降下するこの鋼の蕭条に、ぞくりと背筋が静まり返る。理不尽極まる鉄火熱血の火口で、赤熱色の純深紅が(こご)っている。

 けれど困惑する私とは裏腹に、その人はぐるりとピット内を見渡すと、とある一点で視点を固定させた。のも早く、微塵も迷いを感じられない足取りで、カツカツと床面を弾くように『そこ』へ向かった。

 『そこ』。別の生徒のために整備されていた《打鉄》のもとへ。

 

『え、えぇ……?』

『ん、誰だ?』

 

 そのあまりにも突拍子で意図の掴めない行動に、とうとう口から音のある驚きが漏れた。

 私の呟きが聞こえたのだろう。そうしてこちらを振り向いた彼女の追随して空気に踊る黒髪とそこから覗く都雅の麗貌……鋒両刃を思わせるそれが誰かなんて、問いただす必要はなかった。

 だってその人を知っていた。彼の幼馴染みだと知っていた。

 篠ノ之箒だと、知っていた。

 

『お前は確か、更識──』

『か、簪。更識……簪』

 

 蛾眉を携える瞳と視線が繋がる。

 凛としてしゃんと。鈴であり凛冽。刀のように底冷えで玲々。うしろ姿だけで感じた酷寒が、面と向かう今でこそはっきりとわかる。

 判るから、解る。

 

(この人……怒ってるんだ)

 

 憤懣、赫怒、瞋恚。言い出したらキリがない、満開の怒りだった。そんな女の人と直接視線を合わせるとなれば、さすがにたじろいでしまいそうになるけれど。

 今の私なら、そんなことはない。

 

『そう更識簪、だったな。済まないが、私は少しばかし急いで、』

『あなた……どうするつもり、なの?』

 

 さすがに途切れ途切れの言葉だけど、心は決して怯んでいない。だから訊けた。

 どうやってここにきたのだとか、なんで怒っているのだとか、そんなことはどうでもいいのだ。わざわざ台詞を遮る無作法ささえやっておいても、それより重要なことなのだ。

 ただ、この異常事態のただなかで、その《打鉄》を前にして、織斑君が戦っている戦場を目の当たりにして。

 あなたは。

 なにをしようとしているのかと。

 ()()()()()、更識簪には気になったから。

 言葉足らずで曖昧だ。なにを指しているかもわからない。口下手どころか頭が足りていないんじゃないかと私ながら恥ずかしい(つたな)さを、だけど彼女は推理・逡巡の瞬きさえ見せずに。

 

 

 

『私は()く』

 

 

 

 ふっ、とかすかに笑って短く。それきりだと、彼女は再び《打鉄》と向き合う。

 それ以上語ることはないと。それだけで()()()には伝わるだろうと。たった数秒目を合わせただけで、この人はそこまで見抜いてしまったのだろうか。

 往く──あの鉄火場に。火の国に。戦場に向かうと決断していた。それはほれぼれするほどに牢乎であり、なるほど。織斑君の幼馴染みであることに決して恥じない確固さ具合。()()()()()()()()()()()()──だったら。

 だったら、私も行かないと。

 私も、彼に並ばないと。

 

『私も、行く』

『別に私に断る必要はないぞ』

 

 ぶっきらぼうにもとれる言葉は別にそっけないとかじゃなくて、きっとこの人の持ち味なのだろう。あっさりしてるけど、でも心地の悪くない、切れ味のよさ。

 

『私が、行く』

『……強気だな。ふふ、喜ぶといい。丁度舞台は大取りだ』

 

 それは、なんとヒーローに相応しい舞台だろうか。

 だから語ろう、私が抱くわずかばかりの灼熱を。至上と信ずる真実を。

 あの日確かに知ったのだ。あのとき強固に結実したのだ。あなたが聖なる血を流すそのうしろで、私は自分の祈りを自覚したから。

 そうだ。更識簪は。

 

『悪が、許せないの』

 

 

 

『…………はあ、そうか』

 

 

 

 けれど、なぜかさっきまで不敵ささえ滲ませていたこの人は、私の言葉に妙な言葉を返して。

 

『その……。私、変なこと、言った?』

『気にするな、そのまま往けよ。あいつにはそんな風でも丁度いいさ』

 

 よくわからない言葉で自嘲して。

 

『自己紹介がまだだったな。私は篠ノ之箒だ、更識』

『それは、知ってる。篠ノ之さん』

 

 だけど向かう修羅場は同じだったから。並ぶべきところが同じだったから。

 

『私が囮だ。お前が決めろ』

『……悉知、了解』

 

 ──彼女自身が刀になってしまいかねない白熱の赫怒を鞘に収めたさまに、彼女を信じると決断したのだ。

 だったら。

 

 

 

「っ────!」

 

 だったら、私がやるべきことは撃滅の一手だけ。

 焦点が決まる。現実を据える。息が詰まる。呼吸が()む。無呼吸のなかで拍動する。

 その場の誰もが驚いていた。オルコットさんも凰さんも、ううんあなただけはやっぱり違くて、なんだかうれしくて戦意がみなぎる。体の震え声の震え、そんな臆病をかみ殺して嚥下して、心の熱を打ち放つために投影キーボードに両の指を走らせる。

 私が組み上げた《打鉄弐式》の最大攻撃、《山嵐》。その威力は言わずもがな、絶滅必至の正真切り札。

 目指す黒星、猛悪なりし。

 そんな悪党の一切合財、更識簪は許しはしない!

 

『…………、』

 

 その前に、敵はまったく微動だにせず。

 

「私はもう、守られない!」

 

 絶対に変わらない熱情を宣言した。

 ミサイルが着弾する。グラウンドを穿つ、視界が爆ぜる、大気に炸裂して燃え上がる。それはまさしく数の暴力。レーザーだとか衝撃砲だとか、そんな小難しい話をはさむ余地すらない、いいや余地がないゆえに単調な破壊の雨。

 全弾命中、外れなし。それを受けて無事でいられるなんて、失笑(原義の意味で)ものの笑い話……ただその、自らやっておいてあれだけど、少しやりすぎてしまった感がぬぐえない。痛々しいくらいにえぐれたグラウンドを見てると、正直ほっぺたの筋肉が吊りそうになる。

 う、ううん、そんなことない。ないったらない。相手は敵だ、悪党だ。倒し撃滅すべき壊人だ。みんなを危険にさらしたんだ、織斑君を傷つけたんだ。だから疑念の意味はないし、私が剣を向けるのは当たり前。

 だからもう一度、ありがとう。あなたのおかげで私はここにいる。いられる。いたいと思える。あなたの役に立ちたくて、並んで立って誇りたくて、脇目も振らずに駆けてきた。だから、倒せた。

 私の『正義の味方(ヒ ー ロ ー)』。今やっと、あなたに追いつけたよ──

 

 

 

 

 

『そうか。よかったな』

 

 

 

 

 

「…………え?」

 

 ──なのに聞こえてくるその声は、いったいなんの間違いなのだろうか。

 錯覚? 幻聴? いいやそうしたもろもろが全部が燃えるリアルだと、なによりそうして私は立ち上がったわけで。つまり爆煙のむこうから響くメタルエコーはなんとでもないただの現実。

 もうもう漂う砂煙のなかに悠然と佇む敵は──ただの、真実なんだ。

 

『人の生き様がどうだなどと、私が言う筋合いではないのだろうがな。

 ひとこと不快だ、つまらんよ。おまえはそんな(ざま)で死にたいのか?』

 

 息を飲んだのは私かオルコットさんか凰さんか、それとも居合わせた全員か。

 それはいま登場したばかりの私だけじゃなくて、二人の候補生だって驚いていたこと。直前までの戦いから確かに相手が強固であることを私だって知っていたけど、それでも打ち抜けるほどの火力だったのだ。それだけの威力があったはずなのだ。四八発の同時放火、瞬間火力は暴威につきる。が。

 そこにいたのは、特に捻りもなくタマスダレの花弁を盾に生きながらえた、顔無の姿。

 無傷の、姿。

 

『妄念我執、盲目も結構だ。怒りも勇気も存知だとも。……しかしな』

 

 その語調は変わらずゆっくりと、静寂に同調する沈殿の色。沈むように、軽やかな少女の声色でありながら深い音が耳に這う。

 けれど、その一切が頭に入らなかった。

 

 

 

『なんてモノを連れて来たんだよ妹(ぎみ)

 メンヘラ女学生なんぞ、不良紛いどものカキタレでもさせておけよ』

 

 

 

 もはや怒りを通り越した呆れだったのかもしれない。とても酷い言葉でなじられているみたいだけど、でもそんなことさえ今の私には理解できなくて──代わりに途端、再び恐怖の波が湧き上がる。

 揚々勇んだ戦場で、切り札を放ったその挙句、結局なんら被害を与えられなかったただの事実。それをがんばって認識して、してしまって、打ち勝ったはずの恐れに体が急に冷えてくる。

 下手な心の動きなんてもう知らない。

 こわい。

 

『発破なんぞ、やはり私の(がら)ではなかったな。……ああ、一夏。面倒だ。終わらせようか、私達で。そもそもそれだけでよいのだから。

 だから聞かせてくれよ、なあ一夏。──おまえ、死ぬのが怖いか?』

 

 どうしてそんなことをいま訊くのかなんてもちろんわからなかったけど、けどそのなかだからこそ。

 そんななかだからこそ、私の耳に届いたその名前が、零下の深奥にじかに届く。

 一夏。織斑一夏。織斑君。

 そうとも、ここにはまだ彼がいる。

 私の信じる理想の姿が、そこにある。

 

「当たり前だ。死ぬのは怖いに決まってる」

 

 即決、その姿は確信で揺れず。

 (おの)が在り方のなんたるか、それのみに完結した銀光の翼。

 死は怖い。当たり前。虚飾も驕りも一切なく、本能だとかすらの理由付けすら不要に、そうとも死ぬのは恐いから。

 それを知ってる。理解してる。その上で熱血して鉄血の完結なのだと。静かに、しかして力強い返答のありようは、青臭くも輝かしいくて憧れる。私の胸を、疼かせる。

 やっぱり……やっぱりあなたは──!

 

 

 

 

 

 

『……………………は?』

 

 

 

 

 

 

 ──断言しよう。

 この日。一夏達学生側にはいくたびもの驚愕の瞬間があった。黒星が現れたことしかり、OSがすげ代わったことも無論、一夏が登場したのも当然、箒と簪の乱入は最たるもの。だが、しかしだ。

 しかしこと敵機顔無が、老獪極まる頂上の戦士が戦いのさなかに驚愕を晒したのは、この瞬間だけであった。

 今まで驚きを隠したポーカーフェイスであったりだとか、我慢していたとか、そんな稚拙な誤魔化しなんて愚かしいほどに廃絶して断言しよう。

 その敵は、まるで信じられないものを見るように。

 ただ。

 驚いていた。

 

『…………』

 

 それは不気味に映っただろう。

 そもそも来襲時から静謐を代弁する静けさ具合であった敵だが、それでも一夏と対するときは饒舌であったし、それ以外でも戦いの最中であればそれなりに言葉は使っていた。その火の国こそに静かに燃えると、鉄火こそに沈殿していた敵だった。

 それがただ言葉を絶やす。挑発・フェイントの類いですらなく純粋に、絶句の空白を曝け出している……黒星の目的なんてとんとわからない現状だが、それでも少なくない技の打ち合いをやってきた手前、わずかながらに得心した部分はある。

 この敵は戦いに真摯である。戦うことのなんたるかを知っている。

 そのはずの敵が、相手が。なんの伏線でもなく、不様とさえ称せる低劣さで、よもや『聞き間違いだろう』なんて稚児の呆けを見せている。

 その豹変ぶりに、候補生三人はとてつもない不安に駆られていた。

 恐怖や恐慌、その前に。ただの直感で間違いなく。理不尽の絶頂でどうしようもなく。

 

 なにか、今、とてつもなくどうしようもないことをやってしまったのではないか──?

 

 そんな不安に揺れる少女と裏腹に、とうの解答者たる一夏は少し怪訝気に顔をくもらせただけで、以降はいつも通りに、彼らしく、揺れずブレずに中空を踏む。

 『死ぬのは怖い』──歴戦の英雄がこぞって口にするはその正逆。死ぬのなんて怖くない。だけれど彼が口にした言葉は当たり前で、だからこそどんな否定さえも跳ね除ける真実の気持ち。

 その前に、どうして敵機は、言葉を絶やしているのか。

 

『おい、待て、待ってくれ。何だこれは、可笑しいだろう』

 

 ただわかるのは、彼女はその言葉が信じられないのではなく、意味が許せないのではなく、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ようで。

 次いで放たれる言葉の弾丸は、至極当然でありながら──しかしてどうして、その場の乙女らすべての心を代弁していた議題だった。

 そう、ならば質問は極単純。

 

 

 

 

 

『何だ、おまえ?』

 

 

 

 

 

 おまえはどういった存在なのかという、根源に対する問いかけだった。

 それはセシリア・オルコットの疑問だった。

 それは凰鈴音の躊躇だった。

 それは更識簪の核心だった。

 顔無にとっては誤算であり、しかし篠ノ之箒にかぎっては今さらであったかもしれなくて、ならばなおと、その問いはもっともであり、誰しも気になっていても訊けなかったこと。はからずしもそうした機会を得た今に、彼は、織斑一夏はどういった答えを返すのか。

 五者五様、彼に集う視線の槍。

 自分のレゾンデートルやらアイデンティティに対する言葉に、だがやはり彼はまったくの思考すらなく答えるのだ。絶対たる決心ゆえか、信念か。揺るがぬ熱量(おもい)の意志がためか。織斑一夏を尊重するような当たり前の事実だから──いや。

 下手な装飾はいらない。それでは言葉が多すぎる。もっと簡単、一工程で伝わるはずの物語。

 

 そうとも単純、これは思考なんて不要の解答ゆえに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     「────織斑一夏は、装置である」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それこそが、ただ一つの真実。


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