ES〈エンドレス・ストラトス〉   作:KiLa

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第一八話【100万回生きたねこ(転)】

 ES_019_100万回生きたねこ(転)

 

 

 

『織斑一夏は装置である』

『月がキレイだ』

 

「ゆえに思考はいらない」

「だから斯道はいらない」

 

「くたばれ」

「死に腐れ」

 

 

 ◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

「────織斑一夏は、装置である」

 

 

 

 

 

 強い言葉。迷いの廃絶された解答。いいやまさか、ただの事実。

 虚空を踏みしめ刃を握り、定まる瞳は止まったように硬いまま。

 それは聞いても、正直意味なんてわからない。だけれど織斑一夏を知っている人間ならば、誰しも納得するしかないただの真実。悲しい答え。

 とても、とても簡単な話なのだ。彼にとって、それは実に当然のことなのだ。

 自分は装置で、そういうもので。そうするだけのそれだけで。

 

 それ以外の、意味なんてないと。

 

『……そうか、なんだ。つまり(おまえ)は、私が閉めずとも閉じているのか。

 いいや違うな。そもそも比べる定規が可笑しいわけだ』

 

 その解答に、在りように、ようやく合点がいったとばかりに零す顔無。得心、納得。そうした種々を噛み締めるように染み込ませるように、再度彼女は静謐に沈んでいく。

 己こそが間違っていたと、勘違いしていたと。誤解して、期待して、馬鹿を見たと。反転してそれは、高望みからの自虐。気味が悪いほどに素直な事態の受け止めようは、高々女子高生程度には未だわからない考え方。そうして下して終わってしまって、再び萎えて死人に還る。

 一夏も、顔無も。ことここに至って異常だった。

 意味不明な在り方を確信した単細胞と、それにすら納得を示している老獪鉄。

 その場に居合わせ、当事者ですらある少女らを差し置いて、曖昧不理解な二人だけがあまつさえ正しく時を刻み始めていく。一夏の歯車(おもい)が回転を始める。顔無の体温が沈んでいく。

 沈み、凝り、ああつまりそれは本来の顔無そのものに戻るということにほかならず。

 未だ候補生らが一夏の答えを咀嚼する『空白』は、今一度の窮地となって花開くのだ。

 

『そら潰えろ、手弱女が』

 

 ゴッ! とした轟砲のもと吐き出されるのはやはり特大の熱線。轟き唸る破壊の風に、空気がたちまち犯される。

 ──誰もが止まったその合間、つまりただの順当に、敵機は己が銃剣のトリガーを引いていた。別段油断を誘って質問を投げたわけでもないのだろうが、結果として、一夏の解答の意図に思慮をめぐらせてしまったばっかりに、ずさんなまでに『隙』という空白を少女達は見せてしまった。なれば無論、顔無がそれに目をつむるなんてあり得ない。己を起因にしていようが、悪気もうしろめたさも感じずに──いいや考えてみれば馬鹿らしく、そんな装飾で誤魔化さずとも、老獪な戦士たる相手がこんな隙を逃すはずはない。

 最初に驚愕を晒したのは隠す間もなく敵機であるが、そんなかわいい講義なんて、吐き出された暴虐の一射に対してまったく微塵も意味はない。だから。

 

「あ」

 

 だから思わず間抜けな声を漏らした更識簪へ向かうその凶弾を、止めるなんてできないのだ。

 

 簪は反応できなかった。

 当然のごとく先の一夏の言葉を反芻していたからであり、わかりかねたからであり、それでも織斑一夏は織斑一夏であると得心したからで、当然ながらそれらの思考の数々が、肉体の行動を遅らせた。

 視界はスローモーション。高速域ではすべてが線に見えるというなら、返って今は正逆に、目に映るあらゆるものが点に止まってぶれている。それでも、そのなかを赤い熱線が迫ってきていて。

 途端に、思考が加速した。暴威に犯される間際、言ってしまえば走馬灯の一瞬。本人が『死』を自覚しようがしてまいが、そうした異変が起こっているということは、本能がどうしようもなく『死』を受け入れてしまったということの証明。無意識の生体反応に遅れて、ようやくと簪は有意識でもって『そういうこと』になっていると理解した。

 これは、だめだ。このビームは耐えられない。一撃くらいなら、まだシールドバリアーは満タンだし、絶対防御だってあるし。などという、気休めでさえままならない。敵はアリーナのバリアーを破ってきているということからもわかる通り、これは当たらないことこそが正解なのだ。だからまぁ、つまらない物言いで絶体絶命。

 

(ごめん、織斑君)

 

 その刹那、今わの際の最期でありながら、やはり彼女が夢想したのは己の憧れだった。

 ごめん、ごめんね織斑君。あなたのためにと喜び勇んで奮起して、烈火にうぬぼれてピンチになってる。どころか敵の美感を不用意に刺激して、結局あなたの足をひっぱってしまっている。

 まさしく余計なお世話。的を射すぎて笑えない。

 血を流させてたまるものかと立ち上がったのに。悪に瞋恚を覚えているはずなのに。

 あなたの隣りで、一緒に戦えるはずなのに。だったのに。

 死が直前のこの()におよんで、それでも思考がぐるぐる悪循環。言い逃れのできない痴愚の極み。後悔ばかりを繰り返して、悔しくて、どうにもならないと絶望して。ただ。

 

(ごめんなさい)

 

 守られる女でしかないのだと、己の愚かさに溺死した。

 

 

 

 などという未来が、まさかこの場で許されるとは思うまいな?

 

 

 

 

 

過剰(オーバード)──瞬時加速(イグニッション)

 

 

 

 

 

 雷光は不滅。ゆえに普遍の歯車なりし。

 

「え?」

 

 そういうだけのそれだけの男が、絶対に間に合わない熱線の前に立ちはだかるのは、この場でなんら不思議なことではなかった。

 なにも難しいことはしていない。誰も反応できない空白に、誰にも追いつけない高速のビームが打ち放たれて、それに一夏が間に合っただけ。織斑一夏がそういう構成をしていたというだけで、それを恒常的に機能しただけ。

 

 過剰瞬時加速(オーバード・イグニッション)

 それはごく一部の特別なISにのみ許された加速マニューバ。

 

 その名の意味する通り、瞬時加速(イグニッション・ブースト)というマニューバは瞬時に加速する技能である。エネルギーを圧縮し、一時的に通常以上の放出をすることで爆発的な加速を得る。比較的──整備性なんなりを度外視すれば容易な技であるが、ゆえに欠点も目立つ。

 たとえば持続時間。数字を用いれば多少はわかりやすい。スラスターの単位時間あたりの放出量が1だとして、そこへのエネルギー供給量が10だとする。これが普通の飛行状態だ。スラスターにおける出力調整とはこの放出を1~10に増減させること、といえば大まかに正解だ。瞬時加速(イグニッション・ブースト)はこのエネルギーを20なり50なり100なりになるまで圧縮し、一度に放出して通常の倍以上、ないし性能限界ギリギリの速度を叩き出す仕組みということになる。その供給量が問題。

 常に10しか供給されないのだから、一回で10以上を消費する瞬時加速(イグニッション・ブースト)を維持し続けるの無理なわけだ。

 だからこそ初速を得るという意味合いの強いこの技能は、もっぱら奇襲戦法に使用されるわけだが、ああその通り。

 

 その『無理』を、可能にする方法があるならばどうだろうか。

 

 ISに使われている装備はすべてコアで生産されるエネルギーを、()()()()()()()()()()()()まかなわれている。ありていに未知の、それこそ『ISエネルギー』と呼ばれるそれを、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、ようやく今のISは行動が可能になっている──難しい話は切り捨てる。ジェネレーターもコンデンサーもコンバーターもあらかじめコアに設えてあること、どころか一〇年たった今でもISエネルギーを解明できず、コアもわからず、ただ『そういう機能を持っている』としか認識して利用するしかない現状の話は無視する。

 つまりはISエネルギーを直接使う技術がないから、手に負える程度の力に加工して用いる理屈だ。石油でいう原油やらガソリンやらといった精製に近いか。ただそちらはより純度を高いものにしようとするのに反して、ISは手に負えないほどに強力すぎるから格を下げているという明瞭な差がある──ゆえに、ここで一つの簡単な答え。

 

 そのISエネルギー。劣化させずに直接使用できるのならば、どうだろう。

 原油を直接流し込んで、加工損失なしに駆動する機構があればどうだろう?

 

 特別なIS──つまるところ原油をそのまま使用できる異端仕様。

 普通に考えれば無理な話。エネルギーの性質も知らず、生成法も知らず、変換技術も知らない。その程度の技術でおおもとを利用するなど、乗用車に水を入れて駆動させるに似た浅はかさだ。だからこそ、それほどまでに荒唐無稽だからこそ、例外に対する鬼殺しが成立する。

 そうとも。《白式》は篠ノ之束のお手製だ。

 篠ノ之束が創造したコアがゆえ、それを十全に生かせるのも彼女の(せき)()だけ。ならば。

 ならば。

 ならば。

 ならば──。

 

 

「──ぁぁああああああああああああああああッッ!!」

 

 

 出力されるのは音速、雷火、いいや超速の空気破断──違うぞ足らない、それ以上。

 ()()()()()()()()()()()()()は、桜の残光に追い縋る!

 音速突破の大衝撃。ソニックブームを引き離したなかでこそ鋭利な絶叫。体中の血液循環を裏返して沸騰させるように、全身の歯車を駆動させて、しがない諸刃が灼熱する。反して体内の大切ななにかを流失させる。素晴らしいなにがしかを差し出して、この世の物理法則を嘲笑うかのごとく、一夏は極超音速域にすら手を伸ばす──終わる者(オーバード)

 簪の目の前で白光が輝く一瞬に、確かに音が消えていた。

 

「《零落白夜》」

 

 ただ、その一言だけのために。

 途端に音が動き出す。轟音爆音衝撃音。『ドン』とか『ゴン』とかいうカタカナ擬音じゃあ到底とおよびもつかない熱量を破裂させながら、白の男が赤い閃光を抹殺する。おおよそ競技用ISでは許されない高出力のビーム。シールド破壊が容易に察せる燃費度外視の必殺は、それでもただの一刀のもとに削ぎ殺される。白夜のもとで零落する。

 許さぬ許さぬ許されざる。織斑一夏の存在する窮地において、かような光景はあり得ざる。

 実にありきたりの既知感覚。だけれど至高の大王道。

 

「ぎ、ぃル」

 

 織斑一夏が。

 

「あ。あ、お……」

 

 更識簪のもとへ。

 

「織斑君──ッ!」

「ル、ォォオオオオッ!」

 

 間に、合った。

 反射で叫ぶ彼の名前に、応える声は声帯の駆動。

 意思や意識や矜持の前の、ただシャウト効果を狙う効率重視。結果だけをひた求め、『それ』にのみ専心し、ほかの外部・付属・要素の()()さえも捨てて、起動し稼働し機能する。熱量を捧げ尽くしてなおも搾り出す!

 しかしそんな内側の事情は誰にも知られず、熱線だけが物を語る。

 この趨勢を、物語る。

 

『で、あるよな。おまえなら』

 

 沈んだ静寂は零下にて、もはや言葉は不要と萎えていた。

 追いつけない一撃に間に合われようとも、いかに決死の爆轟たろうと、細波立てずに収まりよく。

 しからばすべての者が抱く通り、物語の続きは鉄火に盛る。

 

 ドドドドドドドド──言葉にすればその程度、聞くがままに八連射。

 

 鉄面皮の向こうの表情なんてとんとわからないが、それでもきっと無表情だったろう。そう思えてしまうほどに、そう感じるしかない程度に、感慨なく、引き金を引く。それに人命が左右されるなど、いまさらながら蠅頭未満にも感じられない無機質具合。

 展開伸縮した二挺の長銃。どうした機構かわからないが、白く内核を発光させる左右の一対が、ともに極大の熱弾丸を放っていた。無論、先と変わらぬ超密度。威力の真髄はなんたるかと、体現するがごとくの大砲弾。

 量より質だという世迷いごとも、量は質を兼ねるなどとの遠吠えも、まるで諫言を笑う暴君の嘲りでもって、質と量を十全に満たした瀑布が顕現する。──そこに質量がともなわないのはある種の皮肉めいていて。

 《零落白夜》の白光の前に、なお殺到する理不尽の武威。

 必殺八連、至当に必至──!

 

「だからなんだラァァ!」

 

 咆哮は変わらず、熱量は(たが)わず。

 必ず殺す八連などが、装置(いちか)を殺せるはずがない。なぜなら。

 

 その身は、心は、()()()()()────。

 

 

 

 

 

 瞬く八連の必殺に、削ぎ殺す蒼光の同数なるや。

 更識簪をその背中に、迫る猛悪の赤に果敢と吼える。

 まるで盾、そういう()()。織斑一夏の在り方とは、存在意義とはこうなのだと、語るべくもなく機能して体現する。一連なりの熱量は閃光をともなって視界を覆う。恐怖を煽って猛威に嘶く。それでも欠片の一粒さえ、簪のもとには届かない。だって彼がすべてを受け止めてくれているから。

 情けなかった。

 熱線を殺し続ける彼は一度たりとてこちらを振り向かない。だけれどきっとその顔は、苦痛に焦げる逼迫したものだろう。もしもそんな表情で面と向かえば、彼女は直視できずに俯くしかできなかったかもしれない。いいやうしろ姿しかうかがえぬ今だって大して変わりないだろう。

 彼とともに、と。一緒に戦いたいと挑んだ戦場なのだ。それでこのザマなのだ……自分勝手など百も承知だが、バツが悪いどころの話じゃなかった。顔向けできない、悔しくてたまらない。結局その背中に収まっている我が身が矮小にすぎて、捩れる心臓は痛烈だ。

 だったらこんなぐだぐだと塞ぎ込む前に、それこそ今こそもう一度立ち上がればいいものを、ああ。灼熱の中空にあって、未だに体が震えて止まらないのだ。怖い怖いと馬鹿の一つ覚えで。

 

 なのに、すごいと。

 

 なにより簪を満たすのは感動で。

 感嘆驚嘆、いいや憧憬滲み焦がれる銀光。己が望む理想のなんたるかを、幻滅させるどころか三段飛ばしに昇華させて、白夜を翳すそのヒーロー。

 情けないと自分を思う。かっこいいと彼を思う。ともに戦いたいと、けれど怖いと──彼と一緒なら怖くないと。

 葛藤、矛盾? 様々折々ない交ぜに、彼女の心は震えに震える。幾重にも重なる心の色取り取りを咀嚼し嚥下して、ともにありたいと決意を新たに。その心情はきっと、動向はきっと、少年少女らが堪能すべき背中合わせの青春なんかよりも青臭いかっこよさで。

 ありながら、

 

 

「────は、ぁあ……」

 

 

 艶めき色めく彼女の吐息を、彼女自身さえ気づかない。

 白を映して潤む瞳は、ああなるほど。

 女である。

 

 

 ◇

 

 

『だからなんだラァァ!』

 

 怒号。

 彼は止まらぬ。留まったままに剣を振るう。

 ゾゾゾとした不愉快な音色は彼の秘技、《零落白夜》。一対一の戦闘における破壊力に対しては他の追随を許さず、比較対象にすらさせず、極峰の武威で持って破砕する消滅の一刀。

 しかして諸刃、その代償はシールドバリアー。この場で示すところの生命ゲージ。

 正しく自分を釣り合いに、まさしく生命を代価にして、顔色一つ曇らせず、決心を揺らさず、誰に宣言するまでもなく吶喊する。……たった数瞬、凰鈴音が呆けていただけで、どうしようもないほどに一夏が傷ついていた。

 いいや、自分が思考に空白なんて生まずに対応できてたとして、いったいなにができたという。装甲を展開させた敵機をして手も足もでなかった卑小な己に、矮小さに、掴める結末があったのか。箒や更識簪まで戦線に加わった挙句に仕留められない敵なのに──などという弱音はすでにない。

 足りてないのは悔しいが知ってる。理解してる。足手まといになるかもしれないとも。そんな気概でさえはた迷惑なんだろうとも。

 だが。

 

 ──あたしは、凰鈴音だから。

 

 彼に並ぶのだ。

 彼らに追いつくのだ。

 お前らは本当に足が速くて止まらなくて、ちっちゃなあたしじゃ足の回転率を上げたくらいじゃ存分に足りないけど。

 足りないことは、劣っていることは、諦める理由には決してならない。

 彼がとんでもない馬鹿なのなら、あたしは途方もないアホだから。

 

 

衝撃加速(インパクト・ブースト)ッ!」

 

 

 文字通りの衝撃を持ってして、弾かれるように飛び出した。

 敵機が放つ八連の熱線。それを防ぐ盾であるべしと、一夏はそこから動けない。更識簪をかばって動かない。ゆえにこのときこの瞬間、間違いなく黒星は無防備である。

 たとえどれほど攻撃力に、防御力に、機動性に、性能に優れようが。

 一夏しか見ていないのだったなら、そこには必ず、付け入る隙が生まれるから。

 

 

瞬時加速(イグニッション・ブースト)ッッ!」

 

 

 速度の追加、視界がせばまり線に伸びる。

 けれども焦点その先に、怨敵の姿を捉えて外さない。

 脳が警鐘を鳴らす錯覚。心臓が爆裂して伝える異常。両手に握る『必殺』は己が持ち得る最大だが、それでも相手に届くかは多分に怪しい。どころか突如と反応した黒星に反撃されて、打ち落とされる確立のほうが高いくらい。それほどに強敵、歴戦の(つわもの)。だがそうではないのだ。先にも言ったぞ。

 敵う敵わない、できるできない、足りない劣っているの話じゃないんだ。理屈じゃないんだ。

 あいつが戦っている。そこに追いつきたいとずっと吼えてた、ここまできた。たった一人で生命を晒して囮にして、それでも最後には『よかった』と笑みを浮かべる馬鹿野郎の顔を、もう二度と見たくなんてなかったから──!

 

 砕けろゴミクズ、この悪党。

 織斑一夏にこれ以上、そんな顔をさせてたまるか。

 

 音速の突破。一夏におよばないまでもそれは颶風の閃きに相違ない。衝撃に伸びる外部空間を、高速で流れる線の視界が縦横無尽と跳ね回る。しかしこの意の焦点は、熱源よりもなお煌々。軋む身体を鼻で笑って、見据える怨敵のこそ麗しかな!

 迫る。迫る。まだ迫る。

 阿呆の所業か、止まる算段が見え透かない。そうとも止まるつもりが頭目ない。

 数十メートルの距離をマッハで減少させながら──敵機を鼻先に捕らえてなおと、鈴音は速度を緩めずに。

 さぁ。

 ここぞ、私の戦場だ。

 

 

 

「砕けろぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!!」

 

 

 

 (おの)が両手を突き出して、零距離の『奥の手』をお見舞いする!

 

 ドッとした、という程度の擬音でなくば伝わらない。もはや陳腐に伝わるほどに強大な轟音で空間を陵辱し、《甲龍》の両手が炸裂した。この零距離砲撃こそ凰鈴音が《甲龍》の最大威力。

 

 衝撃砲《崩拳》。

 それは、《甲龍》の両手に装備された二門の衝撃砲。

 

 あの熾烈を極めたセシリアとの対戦で披露し損ねた文字通りの奥の手、《崩拳》。非固定浮遊部位(アンロック・ユニット)の《龍咆》は大型化によって連射~大威力まで対応させたのに対し、《崩拳》は手のひらに装備するために小型化し、連射性に重点を置いている。いわば《龍咆》のサブないしバックアップ的な意味合いの装備としてメーカーは設計したのだが……それが凰鈴音によって、別の用途に花を咲かせた。

 その用途は単純。

 限界ギリギリまで空間を圧縮して零距離で運用すれば、最高の近接兵装になるんじゃないか?

 実に馬鹿げた話であるが、確かに威力は高くなろう。しかしIS戦闘において、至近距離(クロス・レンジ)の戦いとはそう多くない。剣や槍など近接装備によって近距離戦闘(ショート・レンジ)になることは多々とあるが、それでもPICによって重量がある程度無視されているゆえに必然、質量に見合う程度にリーチが長い。つまり腕の距離の外側から襲ってくる。

 となるとどうやって相手の懐に潜り込むのだとか、第一《龍咆》で零距離砲撃を行えばいいのだとかいった話になるが、ああそうとも。凰鈴音はそれらを克服してる。

 

 なにせ、そのための衝撃加速(インパクト・ブースト)

 瞬時加速(イグニッション・ブースト)と併用できる推進装置でもって最速で敵に近づけば。

 手のひらくらい、届くでしょう?

 

 それが彼女の言い分で、実際こうしてこの通り。その馬鹿げた論法を実現させている。

 よってなされる轟爆破砕の大爆発。一息に放たれた零距離衝撃砲は二重の強加速に支えられ、まさしく必穿の槍と貫く。威力、これ以上と語るまじ。大気犯す振動と、視界を侵す爆煙が堂々と意味を語っていた。

 ──代償に、彼女の体をゴムまりのように弾き出して。

 

「ぎ、ぃーーーーッ!」

 

 悲鳴。突如と掛かる正逆のベクトル。

 打ち出した両手に確かな手ごたえを残しながら、軋む両の腕で骨が泣いてる。

 当然だ。あのような大威力をあろうことか相手と距離を密着させて打ち放ったのだ。ならば空間振動に犯されて吹き飛ぶなど自明の理。敵機と腕部との間で行き場を失った衝撃があるがままに爆裂する。

 まるでボール。ドッドッドと数トンクラスの装甲塊が苦もなく地面をバウンドするさまは、返って現実味を剥奪する。視界が回る、空気が重い、上下感覚が強制的に曖昧になる。爆風が削るように肌を舐める。ある意味で吐き気、だけれど清々しささえ。

 

 ──一発、かましてやったわよ。

 

 にやりと口角を釣り上げたまま、満遍なく(しん)(たい)を打ちつける。

 たっぷり数十メートルの距離を使って、ようやく機体が停止した。

 体中で疼痛。打撲、捻挫、擦過傷。骨折……はさすがにないだろうか。けれでも未だに視界がままならない程度に、ハイパーセンサーの補正が間に合わないほどに、視野はぐわんぐわんと波を打つ。3D映画を専用の眼鏡なしで観るような、奇妙なブレ。

 それでも据える。敵を見る。視線の先には──敵ではなく、もうもうの土煙が上がっていた。ちょうど、黒星が存在していた位置のはず。

 グラウンドを抉り、砂塵と土砂を巻き上げ、さらに爆煙を混合させて黒とも茶色ともつかないまだら模様を創造して、機体反応はそのなかの中心を指している。所属不明ゆえに向こうのエネルギー残量や破損状況はわからないが、もうと煙が増殖するばかりで、敵はその場から動いていないようだ。

 つまり今度こそ偽りなく、敵にダメージを与えられたのだろう。

 そうだとすれば、体中を苛む痛みだって祝福に感じてしまう。……もっとも勝負が決まったわけではないのだが。

 

『──さん! 凰さんっ? 応答してください、凰さん!』

 

 そこまで現状を分析してようやく、視界の隅で裂帛とばかりの表情を投影していたウィンドウパネルを認識することができた。

 あわや噛みつかんばかりに散らばる砂金の髪をして、焦燥に駆られる声はセシリアのもの。

 鈴音の吶喊によってようやくか、『思考の空白』を淘汰したらしく(というよりか後回しにしているだけかもしれない)、感情のこもった肉声が発せられた。

 ……なにそんなに慌ててんのよ。候補生でしょ? もうちょっと余裕持ちなさいよ。

 なんて軽口をきこうとして、しかし声帯がうまく動かないことに気づく。

 どうにも思考ばかりが確然としているばかりで、体のほうはてんで追いついていないらしい。だとすれば、セシリアが必至になって状況確認を求めてしまうほどに、あたしの姿はボロボロに見えるんだろう、なんて。

 

「んぐ──うるっさい、わね……大丈夫よ、生きてるわ。今ならへそで茶が沸かせそうよ」

『あいにく中国のことわざはわからないのですが……軽口がきけるようでしたら大丈夫ですわね。それで、凰さん。現状は? こちらからは土煙くらいしか視認できないのですが』

「こっちも同じよ。爆煙ばっか、敵は見えないわ。……ってことは本当に、煙幕のど真ん中にいるみたいね」

 

 口のなかのなにやらどろっとしたものを無理矢理飲み込んでのどを潤し応答すれば、返ってきたのは安心と次なる問い。

 生存を確認した途端にあれよと状況分析に移るあたり、この女もなかなかなタマなんじゃないか? ……と思う裏側で、中国のことわざじゃないわよ、などともツッコミを入れてしまう自分もいるのでなかなかどうして、そういうタマか。

 少し、切り替える。

 努めて今度は意識して、自機の状況を認識する。

 機体の損傷は軽微。《崩拳》も《龍咆》もダメージがあるが、出力調節次第でまだ撃てそう。シールドエネルギーは競技用のパーティションは空っぽ。でも総量としては8000以上あまりある。

 機体位置はグランドライン。レーダーを見るに、高さは敵機と一緒だ……セシリアがわざわざ聞いてくるってことは、やはり彼女の高さからでもなにも見えないようだ。それくらい煙の量が多いということ。それだけの破壊力だったとも言い換えられる。

 セシリアの位置は同じまま。こちらに駆け飛ぶことはない、それはそうだ。さすがにそこまで馬鹿ではない。未だ狙撃手。適度に高く、適度に遠いその位置は妥当だろう。

 箒はセシリアよりも近い位置で空中停止しているが、高さは同じ程度。瞬時加速(イグニッション・ブースト)で一息に飛べる程度か。というより、こいつはそんな技能使えたのかとか、どうして簪が一緒だったのだとかという疑問がいまさらながらにむくむくと繁殖する──っと待て、そうだ一夏はどうしている!

 

(一夏────)

 

 首が巡る、いた。

 空中、敵機と簪を結んで、その(あいだ)。彼のほぼ真後ろに簪がいる。鈴音からすると、ちょうどを黒星を中心に、九〇度回った辺りだろう。。

 視線はなおも土煙の向こう側、黒星にむけられたままであり、握る光剣にブレはない。いうまでもなくボロボロのその白は、なのにそれでも確然として、返す日光その煌きを、誇示するでもなくありのままにその身にまとう。外装する。

 無事だとはお世辞にもいえない諸刃のさまだが、だけれどそれはきっと確かに、凰鈴音が手にできた結果だった。

 ……追いついたとは、はばからない。

 でも。これは。この瞬間は。

 凰鈴音が成したこと。

 

 彼女が起こした、叫び続けた、ささやかな意地。

 

 一夏が深呼吸する。

 一心不乱に《雪片》を振り続けていたのか、ようやく敵の連弾が途切れたのだと認識して、目に見えて大きく肩を上下に。連動するように《零落白夜》の光も消えて、握るは()のない鍔だけの刀。

 

『大丈夫か?』

 

 そうして彼は背後へ振り返る。

 更識簪。

 己が身を呈して、盾となって、間に合ったものへと顔を向ける。

 きっと目の前のことに必至すぎて、おそらく誰の盾代わりになっていたのかすら認識してはいなかったのだろう。いなかったのだろうが、そもそも頓着しなかったろう。関係なかったろう。

 こういうときの織斑一夏はどうしようもなく、狂わしようもなく、間違えようもなく、『そういう』やつに完結してしまうのだから。

 表情が緩む。大丈夫かと、心底心配するように。

 

「ありがとう、織斑君」

 

 その柔らかな表情を……させてしまったことが、やはりどうしても悔しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ぁ   き み ……は ────、』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 奇しくも、鈴音の願いは結実する。

 織斑一夏の、表情が凍る。

 笑みではない。

 ただ、それは、本当になにが起こっているのかわからないという表情。

 『どうして?』という表情。

 心が回った証拠。

 

「え?」

 

 思わず鈴音は声に出た。

 なんだ、どうした、なにがあったどうなってる? なんで一夏はそんな顔をしている? どうして更識簪と目を合わせて、そんな『どうして?』という表情を晒している? なんだなにが、いったい、それはどういう意味なんだ? 空白空白。

 思考が漂白される。

 

『織斑、君?』

 

 そんな彼と面と向かって顔を突き合わせてる簪だ。疑問に思うのもやむ負えまい。

 だが答えない。返事はない。反応はない。

 空白を世界に放つ。凰鈴音にはわからない。セシリア・オルコットも同様。更識簪だっててんでだし、かの篠ノ之箒ですら存外に驚いている。もしも驚愕にランクやレベルがあるのなら、あの一夏がこうして停滞してしまうというこの瞬間、いかほどの高位に位置するというのか。

 ただ一つ、確かなのは。

 己を『装置』だと自称した男が。

 駆動を、たった一刹那とはいえ止めてしまったということで。

 

 

 

 

 

『悲しいかな、一夏。

 私とおまえの聖戦なのに、よもや私から視線を外しておいて……無事に済むとは、思うまいな?』

 

 

 

 

 

 あの静かなメタルエコーが聞こえるころには、すでに砲口が向けられていた。

 渾身の一撃すらものともせずに黒星が生き残っていたと視認するころには、すでに砲撃が行われていた。

 そしてその金打声が憤懣と嘲笑とそして憮然の混合だと気づくころには、すでに極大の熱線が目標物へ最短最速の疾走を開始していた。

 その目標物は、凰鈴音といった。

 

 ──あえて。

 

 あえて、この現状を表すのならば、予定調和というほかなかったろう。

 なんとなく、誰もが気づいていたかもしれなかったこと。

 あの無人機は、遠隔操作機は、まだ起き上がる。

 先の鈴音の一撃は、なんの痛痒にすらなっていなかったんじゃないか。

 鈴音の接射衝撃砲が悪かったとは言わない。むしろ目をみはる大威力で、あんなものを実際にお見舞いされた日には、自分の内臓が実はどんな役割を担っているのかと三日三晩親身に教えてくれることだろう。それほどだったのだ、誇張はない。が、けれど。

 はたして。はたしてそれだけで、あの黒星に一太刀入れられるか──?

 この場に居合わせなければわかり得ない。紙面で、あるいは録画映像などでも知り得ない。眼球に据え、のどをひりつかせ、肌を破り、そして胃袋を裏返して洗いたい衝動に駆られなければ共有できない。

 その通りであった。

 それほどに期待にを裏切らず、ただ真摯。

 敵機黒星は、立ち上がっていた。

 起き上がって、砲撃を行っていた。

 熱線である。

 今までの──今まですら脅威だったが──極大の弾丸ではない。

 極大、膨大、大々莫大の、レーザー。

 速い上に、威力も最大。

 誰かが大声を上げている。セシリアが飛び出す、飛び出して追いすがろうとする、間に合うはずもなく、おいついたところでどうにもならない。どうにかできる武装も手段も、《ブルー・ティアーズ》は持っていない。

 誰かが呆けている。簪にはどうしようもできない。現状、織斑一夏に守られているその状態では、なにもできない。どころかそれこそ悪いいやな言い方をすれば、彼女がいたばっかりに、鈴音はこうして銃火に晒されて、的にされて、断崖の先に落下する。《打鉄弐式》にはその程度の機構しかない。

 彼女はなにもしない。箒は、ただ黙する。《打鉄》は飛ばない。

 一夏は──間に合わない。

 《白式》では、間に合わない。

 断言しよう。

 この攻撃を前に、いくら8000をも超えるシールドエネルギーだろうと。

 防ぎ切れない。

 そしてこの機体では、避けられない。

 ゆえに確信する。

 凰鈴音は、確信する。

 ああダメだ。これは、もう、絶対に。

 あたしは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あたしは、絶対に助かってしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 確信がする。どうしても確信がしてしまうのだ。

 なにを馬鹿なと、ええ。言われたってしようがない。正直なところ、それに反論できる理論も理屈も、言葉だって持っていない。無想で幻視。ご都合主義。さすがに今どきの高校生がそんなことを、たとえ死に際の苦し紛れだったとしても、あわや自生の句にすらなってしまいかねないかもしれないときに口走るなど、あり得ざるとしかオウムのように返せない。

 絶体絶命、言わずもがな。

 でも、ああでも。

 こんな状況になってる自分が恥ずかしくて。

 こういうザマにしかなれない己が無様すぎて。

 これでもかと危なっかしいあんちくしょうに返って腹が立って。

 悔しくて、不甲斐なくて、むかついて、苛立たしくて、情けなくて、許せなくて──ああなのにどうしようもなく、この目からあふれるものは心の底からに起因しているのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「大丈夫か、鈴?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ああなのに、心は歓喜に打ち震えているのだ。

 そうしてついに、凰鈴音は見た。

 その純白の翼を。その純白の盾を。

 その場の誰もが、それを見た。

 わからぬ者はいない。清純なるそが二つを、理解できない者はいない。

 そうとも、ああそうだとも。

 ()()を忘れなどするものか! ()()を知らないなどと言えるものか!

 

 

 

 

 

     白の肆番 《華雪》

 

     白の陸番 《雪崩》

 

 

 

 

 

 かつて世界を創造した、原初の権能が二つ。

 白騎士の神器を携える、織斑一夏がその姿を、視た。


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