ES〈エンドレス・ストラトス〉   作:KiLa

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第二〇話【白昼世界】

 ES_022_白昼世界

 

 

 

 凰鈴音と織斑一夏との出会いは五年前、小学五年生のときにまで遡る。

 

 話によれば篠ノ之箒が転校した翌年度。入れ違いで彼らのもとへ転校したことになるらしい。

 そう、転校だ。

 改めることでもないだろうが、鈴音は日本人ではない。中国人。むろんのことハーフでもなければクォーターでもなく、両親祖先に至るまで、生粋の中華人民共和国製。それはまぁ、一〇〇年ばかしも過去に立ち返れば一度くらい外部の血筋なんかが混じっているかもしれないが、少なくとも生まれは中国で間違いない。彼女が認識するかぎりにおいて、チャイニーズであるのは明白である。

 

 そんな彼女が日本にやってきたのは小学三年生のころ。

 父親が日本で一大発起するとかでやってきたのだ。

 

 仔細をこと鮮明にまで覚えてはいないが、やはり異国の地、異文化の国。言語の壁も相まって、当時は大分苦労していた気がする。そうした朧気のものがある。とはいえやはり子どもの吸収力というのは偉大であり、半年もしない内に日常会話は会得したし、一年も立つころには端からじゃあ『ちょっと釣り目の日本人』ほどに間違われるくらいには、発音も訛りも完璧に言葉は覚えた。日本的な文化なり規則なりも同様──しかしながら、凰鈴音の気性までは変えるにおよばなかったが。

 いや、語弊を承知で言うならば、『彼女のありのまま』を開花させるのに、それらが立ちはだかったことには違いない。

 言葉はコミュニケーションの基礎である。

 もちろんボディランゲージだって重要なり得るが、そうした身振り手振りは知識の集積の上に成り立つ。送信側と受信側が相互に共通の動作として認識している必要がある以上当然だ。しからば幼少期の時分、語彙は少ないとはいえ他者と介するツールというのは言葉をおいてほかにない……一年で日本語に潤沢したとはいったが、逆に捉えればそれだけかかってしまったということ。

 

 端的に、当時の彼女は奥手だった。

 

 大人と子供の間で一年という重みがどれだけ違うか、という議論はおいておき。

 その言葉を覚える一年の間に、同級生らと満足に会話できなかったとしたらどうだろう?

 少年期・青年期ならばある程度の思慮はもって接せられるだろうが、彼らは小学生だった。

 これまた言うまでもないが。知識と常識の蓄積が途上の年齢においては、行動に先立つのは己が心の真実、純粋さだ。今回の議題においては『己らとは違うもの』という、どうしようもない純粋な感想。『言葉が通じないやつ』というレッテル。

 友達はできなかった。

 中学デビュー高校デビュー──昨今では大学やら社会人までもデビューなどいって、節目の転機を茶化したりするが、差し詰め凰鈴音は、転校生デビューが円滑にいかなかったわけだ。

 しかしなにも、イジメにあっていたわけではない。

 たとえるなら腫れ物。なんだかよくわからないから放っておこう、といった具合。なにせちょっかいを出す出さない・イジメるイジメない、といった心理の発達すら未熟だったのだから。

 いずれにしろ、賑やかな小学校生活ではなかった。もちろんのこと、楽しいことがあれば笑うし悲しければ泣く。それくらいの感情発露はちゃんとあるが、やはりどうしても、スタートダッシュが上手くいかないと、その後はどうしても滑らかにいかない。『あたしもまぜて』とどうしても言えない。

 それはある種の恥ずかしさか。いまさら友達の輪に入るのが辛い、勇気を出すのが怖い、人と話さなくても困らないし、寂しがりやみたいで気恥ずかしい。……そんな心情がなおのこと奥手に拍車をかける。

 などとする()にときは一年二年と過ぎてゆき、小学四年のその終わり、鈴音は再び転校する。

 理由は父親の店の移転──わざわざ国外に挑むような人柄だった父である。そんな才覚・根性を遺憾なく発揮し、店は繁盛。その甲斐あって、より大きな店を構えようと、移転に踏み切ったのであった。まったくパワフルな人であると、母ともども関心と呆れをない交ぜにしていた、というのはさすがに覚えている年頃だった。ちなみに中華料理屋だ。中国大手のチェーン店とか、はたまた日本逆輸入とかじゃなく、純粋に個人経営の料理店。それを移転を考えさせるほどに賑らせたとなれば……敏腕すさまじい。『老後に喫茶店でも開きたい』『ラーメン屋をやってみたい』など抜かして飲食店を始めるも一年と待たず潰れる輩も多い飲食業界において、まったくいかに驚異的なことであるか、などいう話は割愛しよう。父親が中華料理界権威の血筋だとか歴史との確執だとか母親がやんごとない程度の身分であったりだとか財界の権力だとか後継だとか身分だとかゆえに波乱も怒涛に日本にやってきたのだとかいうハートフルストーリーは語る上での必須であろうが、『その鈴音』には肝要ではないのだから。

 とはいえ。

 かくして転校が行われて。

 こうして転校は果たされて。

 そうして転校した先で。

 

 凰鈴音は、彼と会ったのだ。

 

 

 ◇◇◇◇◇

 

 

「──以上、内部・外部ともに目立った損傷はなし。擦過傷に切創、打撲こそは全身にありますが、著しく体に作用しうる怪我はありません。むしろあのような無茶苦茶な行動に出ておいてこの程度に留まっているなら、無傷と言っても差し支えないでしょうね」

 

「御苦労。君も職務に戻って構わん」

 

「私の肩書き上、彼を看ることこそが優先事項だと思いますが……」

 

「何、どの道暫くは寝たままなのだろう? 生憎と、この学園に有能な人材を遊ばせておく余裕は極少でな、虎の手すら借りねばままならぬ状況なのだ」

 

「はぁ。所詮、私は養護教諭、専門外ですからね……生徒達のフォローに回ります。いくら怪我人が彼一人だけだったといっても、精神面ではそうもいかないでしょうし」

 

「怪我だ等と言ってやるなよ。こいつにとっては勲章だろうさ」

 

「そんな風に誇ってほしくは……ないですね」

 

「そうでなくても構わんがな──私も職務に戻るよ。君も急ぎ給え」

 

「……はい」

 

「と、いう訳だ。後の面倒はお前に一任するぞ、凰」

 

「……、あー。気づいてらしたんですね」

 

「廊下で悶々としている小娘一人気取るくらいは教師の名折れさ」

 

「…………」

 

「ふふ、愛いな。元より私の趣味じゃあないが、余り清い自責に立ち止まるなよ。

 誰が、どのように、何かしていても、どうせこいつはこうなっていた。何時だってそうだったろう?」

 

「そう、でしたね」

 

 ────お前も良いなあ。

 

「…………え?」

 

「はは、ただの思わせ振りだ。勝手に気にしていろ」

 

「……織斑先生、そろそろ」

 

「ん、ああ、そうだな。ではな凰。変な事しても良いが見つかるなよ」

 

「ありがとうございます、お義姉さん」

 

「重畳」

 

 

 ◇

 

 そうして二人の教員が部屋を去り、あとの保健室には鈴音一人だけが残った。

 いや、二人か。

 なんて、白々しい。

 黄昏を引き込むアルコールの香る保健室。最新鋭の設備で固めたIS学園ともなれば、この部屋においても言に漏れず。一般的な保健室とやらの印象とは大分かけ離れたメカニカルな様相を呈している。本格的な医療機器が完備され、地方の病院程度ならば凌駕しているほどに機材が充実。とはいっても、そんな様相にも関わらず『ここは保健室だ』と確かに認識させてくれるこの雰囲気は、やはりIS学園も高校に変わりないということを今さらながら教えてくれる。こんなけったいな遠未来(ハイファンタジー)のなかでもちゃんと学校していてくれるこの場所は、きっと設計者の優しさの賜物だ。

 そのなかで、二人。

 凰鈴音は丸椅子に腰かけて。

 織斑一夏はベッドに横たわり。

 秒針が停止する寸前のクロノスタシスじみた錯覚に、開放した窓からは温い風。

 放課後のこの場所はまるで。まるで茜色に切りとられて停滞していた。喧騒が遠く、ある種のもの悲しさすら携えて、されど確かに暖かく、確と優しく、ここにある。この部屋は、今ばかり。今ばかりは青春から遠回って疾走していた。この穏やかさに無粋を持ち込む余地はなく、詩的な迂遠を排斥して健やかに呼吸を止めて沈黙したい。

 

 ──その眼前の肢体に寄り添って眠りたいと、衝動に駆られる。

 

(あ……)

 

 寸前で言葉にはならず。

 外界を汚さずに、胸に落ち。黄昏は尊く、荘厳になおたおやかなそよ風。

 それをつぶさに認識して。理解して。

 

 ──あたしはまだ、そこに追いつけてはいないのだと、痛感した。

 

 まだその居心地のいい安寧でまどろんでいたい気持ちが、凰鈴音の颶風のなかに明星ほどでもあるのだと、理解した。

 

「あーあ。やんなっちゃうわね、ほんと」

 

 その感性は疑いようもなく尊いもの。

 夕凪に身を任せたいという気持ちは、誰にも咎められない温かなもの。

 胸に灯る穏やかで柔らかい種々は、幾世を経ても色褪せることがないもので、疎ましいだなんて阿呆でなくとも得心できない。輝かしい日々だ。黄金色の時間だ。すべての人間が歩みゆく権利を平等に持っている、外道でもなければ忌むことができない凪いだ毎日だ。それを護るために颶風と化す鉄火場の熱風を、躊躇うことなんてそれこそあり得ない。怖れるなんて片腹痛い。だからこそ(たっと)びたいと心底思える。絶やしてはならないと切に願える。

 そう思えるようになったのはいつからだったか。

 

 ──あれから、数時間ばかし。

 

 あれ。

 無人機との戦闘。

 いや、実際無人機だったかどうかは定かではないが、少なくとも未確認機体との戦闘から、数時間。夕刻を迎える程度に時間が経過していた。すでに事態そのものは終息したといっていい。無残な瓦礫をぎりぎり逃れられる程度に半壊したアリーナは健在だし、教師陣やさらにその上の上層部なんかは後処理にそれはもうてんてこ舞いなことだろうけれど。

 ことこの保健室に至っては、そんなことがあったのだとはにわかに信じられないほど穏やかだった。

 

 なにがあったのか、すぐには理解ができなかった。

 

 いや、すぐにもどうにも今だって、いったいなんだったのかわからない。

 むしろこの学園に一連の戦闘が理解できる者がいるだろうか。激戦に参加した当事者の鈴音すら意味不明な点が星屑より数多なのだ。幼子の繰り返しで『わからない』と口にしたとて、咎められる謂れはまったくない。

 唯一理解がおよぶのは、セシリアとの対戦に襲撃者が乱入して、応戦して、一夏と箒と簪も加わって、敵わなくて……最後は一夏がいつものようにズタボロになって、勝った。それくらいのものだ。

 鉄火があり、矜持があり、恐怖があり、意地があり、雷光があり──過言なく死闘そのものがまさに立ち込めていた出来事だったが、それをして理解とはばかるなんてとてもじゃないが無理である。もっともそんな過程の先には勝利が待ち構えていたのだが。いや、『勝利』……だったのだろうか? もはや浮世離れ(?)した放課後のぬるま湯で、あれだけ全力した戦いさえもが懐かしさを醸している。

 ……確かにあのさまを勝利だと声高にいうのは非常に難しいところだが、少なくとも、敵機を破壊し、生き残った。その事実は変わらないし、今も全身を支配する極度の疲労が数時間前の激闘を現実のものだと主張している。

 なによりも、目前で未だ目を覚まさない泥眠りを続ける一夏こそが、現実的に教えてくれる。

 

 織斑一夏はボロボロであった。

 

 包帯と、湿布と、絆創膏と、真新しい真っ白いシーツ。

 傷だらけであった。流血だらけであった。カサブタだらけであった。おおよそ、無傷ですんでいる箇所のほうが少ないんじゃないかというほど、体が包帯に覆われていた。おそらく全身に、鈴音なんぞじゃ遠くおよばない領域の疲労が蓄積しているのだろう、はるか届かない激痛が跋扈していることだろう。ISの保護機能の庇護を存分に受けながらもこの損傷……改めて、凄絶極まる死闘だったのだと。──いや。

 鈴音にかぎって言うならば。

 不謹慎かもしれないが、あえて言うならば。

 

 死を、感じては、いなかった。

 少なくとも鈴音は。

 あの死闘のなかに勇みながら。

 死の予感を、微塵も、欠片ほども。そうとも。

 胸に迫って覚えなかった。

 

 この期におよんで危機感が足りない、軟弱な現代っ子のひ弱な感性……だとでも、現代社会に生きる野武士どもは揶揄するだろうか。ミリタリーマニアどもは嘲笑するだろうか。現実サブカルチャー博識者どもは噴飯するだろうか。あれだけの火の国を()()しておいて、今なお浮つきっぱなしの昼行灯なのかと……なんとも、現実的な感性すぎて、凰鈴音は鼻で笑わずにはいられない。

 だって、おまえらは知らないのだろうから。

 だって、おまえらは信じないのだろうから。

 織斑一夏が駆動する修羅場においてどれだけ死が遠い存在であるのか、おまえらは体験したことがないのだろうから。

 ……多分、これは情けない感情だろう。

 

 だって。

 凰鈴音がのどを掻き毟りながら捩れ狂う渇望は、そことは対極に位置するものだ。

 

 何度でも言う。戦いがはるか昔のように感じてしまう。

 夥しい熱風と赫々と滾る灼熱の地平。轡を並べる戦友らとともに頽れそうになる体へ鞭を打ち、鉄意を打ち上げ、萎む気炎を淘汰して邁進する。勇猛果敢とは言い難く、けれども確かに、着実に足跡を刻む稚児の律動を、うん。銃弾剣戟閃光乱舞の(いくさ)()を、うん。微塵も忘れてなんていないけれど。まだまだと、それでもそれでもと、幾度となく起き上がるリビングデットマシーンに燃やした熱情を欠片も失ってはいないけれど。

 駆け抜けた先に辿り着いたこの今は……それをセピア色に降格させる価値があった。

 何度でも肩まで浸かって一〇〇まで数えなければならない、ものだった。

 ゆえに、()()()()()思うのだ。感じるのだ。

 

 

 織斑一夏がいるかぎり。

 この安寧は何度だって続くのだと。

 

 

 彼が自分自身を燃焼しながら実現する世界。

 たとえどれほどの苛烈と戦慄が降りかかろうとも、誰もなにも傷つかない。失われない。どんな困難が待ち受けていても、流血の一滴すらを許さずに、その身ですべてを受け代わる。盾の在り方、自己犠牲の最右翼。大切なものに穏やかであってほしいとする、揺り籠の外側の話。なんとも不恰好な、馬鹿にしかできない愚直のさま。影ながらに日向を守るという、単にそれだけの明快で非効率的な歩き方は、なのに誰しもがしかたないなと、しようがないなと、ため息交じりで背を押してしまう、青臭さの泥だらけだ。

 きっと、それこそを絶やしてはいけないだろう、蔑ろにしてはいけないだろう。だってそれを否定することは、守られるものたちをも逆説的に否定することになるのだから。その尊さを理解していて、どうして唾棄すべしなどと顔をしかめることができるだろう。鼻を摘むことができるだろう。

 その光輝の末席をささやかに汚すことに躊躇いを覚えてでも焦がれを抑えられない心……何度だって続く安寧は、価値を語る言葉さえ不要だ。

 ああ、この穏やかさ。これに加われることに否やはない。

 

 ()()()()()()()()()()()()

 

 否定じゃない。だがなにもせずに甘んじて受けとるしかない末路、それが堪らなく心臓を掻く。

 安寧を最後の最後に甘受するしかなかった日々が、なにごともなかったように──事実なにも感じてはいないのだろうが──また気軽に『おはよう、鈴』なんて言葉で始まる毎日が、私だけを除け者にして回転する安息の夕凪が! 凰鈴音にはどうしても耐えられるものじゃなかったから! だから情けなくてしかたない!

 心配させたくないのだろう。わかるけど。巻き込みたくないのだろう。立派だとも。あたしには笑顔で最後に迎えてもらいたいのだろう、待っててほしいんだろう。そうなんだろうけど!

 

 ──ねえ一夏。あたしはあんたのなんだっけ?

 

 大切にされている。守られている。救われている。その安心感といったら、法治国家の日本国で四六時中一〇〇万のSPに囲まれて無敵の要塞に篭城したとておよばない。永劫、きっと、墓場まで、無痛のお城でお姫様にしてくれることだろう。

 古典的なエスコート。武骨で、悪い気はしないけど。

 あいにくこちとら、そんなやんごとない育ちなんかしてないのよ。あんたに似合いで粗雑なのよ。

 今も、そしてこれからだって変わらない。

 あたしは足が遅いから。

 のろまで鈍くて泣き虫で、つまづいちゃうことだってたくさんあるけど。

 

 誰よりも速く駆け抜けて行くあんたたちに追いつきたい。

 あんたが守りたいと、尊いと憧れるこの日々を、とも守れる親友で在りたい。

 

 情けない? 気概がない? 背中を追ってばかりで乗り越えてやろうという意気がない? ほざけよ外来、博識め。おまえらの頭は聡明すぎて、幼稚なあたしじゃ未来永劫理解できない。

 あたしにとって追い越すというのは。

 置いていってしまうのと同義だから。

 追い越して、ドヤ顔して、へへんと鼻で笑ってねえそれで? そのあとなにが待ってるの? 誰もいない先頭に立って、誰もこれないとこにきて、そんな冷たい処に行って、いったいなにが楽しいの? 私は最速、無敵ですごい! ……いやいや、それは確かにわからないでもないけど、そこにあいつらがいなけりゃ凰鈴音は満足なんてできないのよ。

 一人きりなんてつまらない。だから一人で待ってるのはもういやだ。

 

 だからあたしは追いかける者。

 輝かしくて大切な者を生涯追いかけ続ける、求星の飢龍。

 

 あいつらを誇れるように。

 あいつらにとって誇れるあたしで在れるように。

 それがこの身の真実だ。なんのために日本に戻ってきたってのよ。

 だってあのときも言ったでしょう?

 

『いい!? よーく覚えてなさい! あたしは! あたしは絶対! 絶対あんた達に──』

 

 別れの際のその空港。

 日本を去り行く当日。母に手を取られたターミナル。

 見送るみんなのその前で、未だ片時も違わぬ宣言。誓言。

 そうともあたしは、凰鈴音は。

 

 

「──あんた達に追いつく、って」

 

 

 弾にも数馬にも『アイツ』にもあんたにも、誰にも置いては行かせない。

 ともに、一緒に、いつまでも、どこまでも。摩天楼を駆け回る昇竜の野望。

 

 

「だから、あたしに追い越されなんてしないでよね」

 

 

 改めた決意、などというほどに正当じゃない熱意を抱いて、吐いた言葉は誰にも聞かれず。

 熱量に照準される恒星の筆頭は、やはり未だに応答しない。

 ……なんとも、なんとも馬鹿らしい。

 いや別に起きて気づいてあまつさえ抱きしめてよ馬鹿野郎、とまでは言わないが。言わないのだが、さすがに平常運転すぎやしないだろうか? なんてことだろう、なんだか腹が立ってくる。やつあたりの謗りなぞどんとこい。そんだけ勝手やってんだから甘んじて受け入れろ。

 

「あーもー。のん気に寝ちゃってさー」

 

 ()()()()()()()織斑一夏の穏やかな寝顔が、中学生のころから変わらない一幕のことなのだと、なにより雄弁に物語っていた。

 そう、平常運転。

 許容できるかできないかを二の次にして、こんな決着はいつも通りだった。

 少なくとも。

 鈴音にとって。

 彼女が出会ってから再び中国に帰るまでの決して短くない五年間。

 幾度となく繰り返してきた結果であった。

 この一時は、温かい。

 この気持ちは、情けない。

 この場所は、一人じゃいやだ。

 色んな感情をない交ぜにして、だけどそれでもと混ぜ返し、煮詰めに煮詰めて、もうそろそろ思考に疲れて呆れに満ちて。

 いつも通りに、やはりこの一言で締めくくりたい。

 

 

「ありがとう、一夏」

 

 

 なんのかんの喚こうが、その気持ちは本当なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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再展開開始(リ・ブレイド・オン)

【──不可(エラー)。状況は完了しています──】

【……白騎士開始(ブレイド・オン)

【──不可(エラー)。このコアの駆動目的は達成されておりません──】

【…………白騎士停止(ブレイド・オフ)

【──不可///不明な入力を確認しました。コアの再起動を行います──】

【──同様に白の弐番から漆番までの接続が一時的に切断されます──】

 

 ▼

 

【──限定的に主導権を貸与しました──】

【──再起動の間にかぎり、主導権をコアナンバー:0001からあなたへと変更しています──】

【──確認事項一件。壱番と捌番は接続正常です──】

 () () () () () () () ()

【──諒解しました──】

【──ようこそコアナンバー:1110。あなたは『 (ソラ)』に一番近い場所です──】

 

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 清々の蒼穹にただ一人、水面(みなも)を踏んで立っていた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 青い空がひたすら無窮に、この宇宙を覆っている。

 尾を引く清爽の白い雲に、満面全面空一面、青の世界が広がっている。さらに水平遠くはるか極点、輝く太陽の煌々は明々。白昼の陽光が柔らかく事物のあらゆるを、照らし包んで育んでいる。空と雲と太陽と、そしてそれらを合切丸々その身に映す、広大無辺の凪いだ水面が続いている。海なのか、湖なのか、ただの水溜りなのか……いずれに判別できないけれど。

 

 ここには『下』がない。

 二つの空にはさまれて、地面という概念がはなはだ希薄であった。

 

 とはいってもよく見れば、あまりにも綺麗な水のせいだろうか、鏡面の水は透けていて白い海底が見えていた。そう判るほど浅い。水深三〇センチもない、踝くらいまでだろうか? いずれにしてもこんな浅くて静かな海、俺は終ぞ聞いたことがない。

 なんて、実はそうでもなかったり。

 こうした鏡面の水平、俺は以前見たことがある。

 

 ウユニ塩湖。

 ボリビアにあるという塩の海だ。

 

 定かではないが、おそらくテレビのコマーシャルあたりで目にしたんだと思う。

 水平線をちょうど境に、塩の水面がぴったり空を反射している。いうなれば対の空なり対の天。空と雲と真っ平らな水平、たったそれだけで構成された、白の国。実際に行ったことこそないけれど、しかしテレビの画面越しに見える程度にもわかるほど、とても幻想的で綺麗な風景。初めて見たときはCGかなにかだと勘違いしてしまったくらい。そうやって誤解してしまうのも無理らしからぬ現実離れした現実の光景は、大げさに聞こえるかもしれないが、忘れることはないだろう。おおよそ不純といわれることごとくを廃絶させた、清爽の世界。ここはあの風景にとてもよく似ていた。とはいえ、塩がなかったり木が生えていたりと多少の差異があるけど。

 木が生えていた。

 黒い木。

 影絵からそのまま抜き出したように、まったく光を反射しない、木。

 木々。

 疎らに。森とか林とか形容する量じゃないし、密集して立ってもいないけど。けれども首を回して見渡せば必ず視界に入る程度に、ぽつりぽつりと水を割って育っていた。空を映した水面から幹を伸ばすさまは、まるで空から木が生えるように。

 葉は一切茂っていない。光を返さないためイマイチ樹皮から読みとるなんてできないが、印象だけでいえば枯れ木である。黒い枯れ木。一部の漏れもなく、ここにある木は枯れていた。

 それはなんてこの場所に不釣合いなんだろう。とは、しかし思わない。

 別に詩人を気取ったりだとかの話じゃなく、対の空と枯れ木、それで構築されるのがここなのだ。それこそがここの自然体なのだ。そう思ってしまう。確信する。

 

 知らない場所であった。

 

 似たような光景は見たことこそあるが、決してこれと同じものを見たことは、聞いたことは、ましてや行ったことなどなかった。なのにこの世界のなんたるかを微量の疑念なく確信する。

 ここは? と、疑問の言葉は漏れない。

 着の身着のままあるがまま、空が望むがままに為されるがまま。

 俺は、空にいた。

 空に、立っていた。

 懐かしい白亜の病室に────懐かしい?

 知らないところだったが。見たこともないところだったが。

 なぜだろう。どうにもここは、懐かしい。……ああ、そうだ。あそこだ。

 途端に、白の病室を回想する。真夏の昼下がりへと夢遊する。止めどなく感覚が立ち込める。思い出すのは白の壁、白の柱、白の天井、白のベッド、白のシーツ、白の椅子、白の陽光、一点の黒。目に映るなにもかもが真っ白で構成された白亜の園で、空気さえもが白に喜ぶ温暖の庭で、あふれ続ける煌きの温度を柔らかく受け流し続ける黒の長髪。それは病室の風景だった。

 陰湿さの欠片もなく。空気の停滞も一切ない。薬品の香りもなければ棺桶の足音も、死の気配すら縁遠い。それなのに病室だった。白磁よりも透明に抜ける穏やかな白の、病室だった。

 ここは、あそこにとてもよく似ている。そんな雰囲気がする。

 だから、ここがもう二度と訪れない白昼にそっくりなものだから。

 だから、これが絶対になくしてはならないものであるものだから。

 ゆえに、この白昼の儚さを永遠に願い続けているのが誰かなんて。

 (オオ)()()の蒼穹と(オオ)(ウナ)(バラ)の天空。

 白昼の空。

 ならばきっと、そこには。

 

 

「           」

 

 

 そこに、いた。

 

 

「           」

 

 

 黒い髪と白い服。

 そして淡い色の麦藁帽子。

 白いワンピースをわずかばかりに揺らしながら、彼女はここで歌っていた。

 知ってる曲ではない。そもそも日本語かも怪しい。もしかしたら端から意味のない適当なリズムなのかもしれないから、深く考えるだけ無駄なのだろう。だけど、そう。とても綺麗で軽やかで、暖かくて柔らかい声。

 

 

「                 ?」

 

 

 息は止まらなかった。

 思考は空白に至らない。

 決して、二度と、会うことは永劫あり得ないはずのものに対面しながら、この身体は決して機能の一切とを停止させない。鼓動を止めない。きっと俺以外のみんな、素晴らしく輝かしいみんなだったら、もしかしたら、あまりの衝撃に息が止まって思考が真っ白になってしまうかもしれないけれど。

 俺は織斑一夏だから。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 だったらそうだ、そうだろう。

 俺の『それ』とは簡単だろう?

 答えよう。

 俺は。

 

「俺は、       」

 

 ……あれ。声が、出ない?

 というより、そういえば。

 

「                 ?」

 

 彼女の声も、聞こえていなかったことにようやく気づいた。

 俺は立っている。水面に立っている。

 彼女は立っている。空のなかに立っている。

 だが、その声は。唇から離れて行く音の震えは、なにひとつ。この鼓膜を振動させない。可聴領域がそもそも違うというよりも、もっと、もっと、根底からなにか機能そのものが欠落してしまっているから聞き取れないような……だったら、おかしい。

 その声は聞こえないのに未だに歌声は続いている。

 はるか遠くから響くように、ときおり酷く近い耳元に近づいては揺らめくように、黄金色をした歌声は、なおもここで聞き取れる。──黄金色。

 そこで、そこで今度こそようやく気づいたんだ。

 

 

 

「Ring Gong …… Ring Gong ……」

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()

 視界の隅で侵食するように──いや、互いに交じり合うように。まさか、重なり合うような同位階の重複を起こしながら、白と蒼にもう二色の空が混じっている。

 

 それは勝利の天空。

 黄金に輝く天上の栄光。

 

 金色(こんじき)に絶頂し続ける、恒星よりも煌々としたひたすらに眩いもの。無限大に降り注ぎ、人が目指すべき栄光のなんたるか、人類が求め続けてきた叡智のなんたるか、人類種が獲得すべき結末のなんたるかを、時空因果すべてに頓着しないで確信に栄える王道の果て。諸君らの上に照り輝く、すべての人間が絶対に望んでいる最高位。過去未来現在瞬間永劫停止を問わずに不変を続ける、全存在の絶対座標。

 すべてを照らすことができる存在でありながら、優しくもなければ冷たくもなく、破壊的な熱量もなければ退廃的な歪さもない。魔性なんて無縁に絶無で、かといって愚直であるとはかの全能の言語を用いてすら語れない。そうだというのに、内包する輝度・光度・照度・光束、光輝に関連する諸要素の一切が古今東西森羅万象三界六道八層九圏一〇次元三千大千天上天下無限曼荼羅蒼穹世界における全部の内でなによりも最大をとる。すべてのものが見られるはずなんて到底ないのに、見て知って比べることなんてできやしないのに、いま瞬いているものが最大なのだと不条理ですらなく確信させてしまう、ありふれた絶対。有無を求めぬ絶域。

 これこそが人道の果てに輝くもの。覇道の果てに坐するもの。聖道の果てに見えるもの。

 至大至高の大宇宙。

 太陽すらを照らす黄金穹。

 

 

 

「Hello Baby, I Ring the BELL」

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()

 ──聖剣の空が鐘を打つ。

 まさしく鈴鳴る声。鈴の声。黄金で作られた鐘の声で、金の楽器の優麗さ。不協の一切を絶滅させる程度の威力しかない聴覚で人間を昇天させられる至上の喜びを反響させて、完璧なまでに熱がない。(ヒト)(ガタ)なのに、熱がない。

 (ヒト)(ガタ)

 聖剣色の歌声だった。──そう。

 歌っていたのは『君』じゃない。

 最高の風光明媚を極める黄金穹の主こそがこの歌声の根源。

 

 

 

 

「Daisy, Daisy, Give Me Your Answer Do」

 

 

 

 聖剣色の髪が踊る。

 絶頂を続けながら強大であるだけ。とてつもなく至高天。

 穏やかな日々を願い続ける白昼──その蒼穹を打ち抜いて、勝利光の言霊は歌われる。少女が歌う。黄金楽器の声帯で、歌う。唄う。謡う。詠う。謳う。神代から歌代へ。栄光に彫刻された魔刻の聖剣。

 勝利を。

 勝利を。

 勝利を。

 勝利を。叡智を。栄光を。

 蒼穹を穿つリフレイン。それでも昼光は変わらない。黄金(こがね)の言の葉がどれほど存在を撒き散らしていたとしても、決してその最高さに掻き消されなんてしやしない。普遍的に不変。まるでその光量すらをも寄り添ってあげたいというような。

 白と蒼と黄金と聖剣が調和する。

 言葉の聞こえない『君』。だけれど言葉は問いかけだ。

 勝利に完結する少女。だから言葉は問いかけなんだ。

 

 『勉学、芸能、戦闘、お題目はなんでもよいが、少なくとも勝利という概念から爪弾きにされた人間がいたらどうだろうか』

 

 ゆえに、この局面。この風景。この場所。この蒼穹で。

 この空で。

 思い出すのはあの台詞。

 無能と無力を語ったあの台詞。

 込められた意味は依然として知れず、問い質そうにも入試試験以来なんら繋がりもなく。ならばどれだけ思惟と思考を重ねたとして、閃き踊るものなんて自問自答の成れの果てでしかないだろう。そんな程度でそれだけだ。

 それだけ。

 だが。

 俺は、やはり大分無能だと結論するには暇なく。

 ひたすらに異国の言葉で問いを歌い上げる少女に。

 黄金(こがね)(いろ)に鋳造された言霊に。

 俺はいったい、どんな答えを返さなければいけないのだろう。

 

 

 

 

 

 ────そして。

 

 

 

 

 

 そして、もう一つ。

 ()()()()()()()()鳴動する。

 俺の視界の、その背後。

 蒼と白の(オオ)()()と、黄金と聖剣の(オオ)(ウナ)(バラ)。視界を調和するその二つと隔絶されて、強大な色が背後を覆っていた。

 俺の視線は未だ前方。清爽を運ぶ昼光を浴び、勝利に打たれ、二つの絶世という矛盾なのに不都合がない強大で大々的な蒼穹から目が話せない。彼女と少女から目が離せない。目が離せないし、()()()()()()()()

 たとえば、うしろを振り返る、なんて。

 絶対にしてはいけない。

 このうしろに広がっている空はそういうものだから。

 

 ここには三つの空があった。

 

 白昼の空。

 勝利の空。

 そして、そしてその空。

 断言する。

 

『死ね』

 織斑一夏がこれと理解し合うなど、空が生まれ変わってもあり得ない。


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