ES〈エンドレス・ストラトス〉   作:KiLa

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第七話【セピア色の日だまりから】

 ES_008_セピア色の日だまりから

 

 

 

 篠ノ之箒の朝は鍛錬に始まる。

 

「──フッ」

 

 学園校舎の裏側。

 森というにはおよばないが、それでも十分に茂っている林のなか。彼女は一人、剣を握る。

 四月二〇日火曜日。早朝六時前。

 矢のような一息。弛緩していた筋繊維が突如と締まり、静と動の反動、開いた距離が力になる。

 木刀を振り下ろす、薙ぐ、切り上げて袈裟切る。流れる連撃。一寸とて狂いのない線の軌道。呼吸と体重移動、練気とを最大限に利用し、『剣道』ではあり得ない剣撃を実践する。切っ先が弧を描いて、その残像が消える前に、新たな線が直交する。神速も神速。絶するほどの高速が、ゾッとするほどの超速で、刃の軌跡を投影する。

 速い、速い、速い。朝日を返す木目の麗しさ。その美麗を保ったまま、曙の残光は加速する。けれどその音は無音。鋭利で麗姿な剣戟乱舞、静謐のままに駆け巡る。そこに一切の邪念はなく、凄まじい剣気と研鑽された絶の技巧。卓越した刀剣技能は、流麗な斬撃を実現する。

 見るものが見れば……もしも剣に精通するも者がこの場にいてこのさまを見れば、間違いなく感嘆と息を吐き出していただろう。驚愕し驚嘆し、恐ろしいと感動しただろう。(よわい)一五の小娘にすぎないその身で、これほどまでの境地に至っていると、ともすれば畏敬の念を禁じ得なかったか。それほどの技能技巧。ここまでくれば、その一太刀すら芸術品だ──とはいえ、それは表に過ぎず。

 しかして肝要なのはその『想念』。その一念において確信することが、技術を差し置いてまでも枢要なのだと、箒の芯はその思考。その考え方は剣を学ぶ者にとって、かえっていささかにあべこべだろう。が、そんなのを改めて問う必要はなく。この身はすでに完結している。

 その一心で木刀を振り、その一念に身を任せ、その一点に集約する。その頂きを置き去ろうと、確信して確定させる。

 

 剣道ではなかった。剣の道を歩み続けるのでなく、それを(よすが)としてあるのではなく、その至高に挑むのでもなく。

 剣術。剣を(すべ)として実践し、己が深淵に落ちていくという、求道の剣技であった。

 

 ……などと細分化して押し嵌めて、それらしく表現してみるが、結局そんなの意味はない。道だろうと(すべ)だろうと、剣に依って立つに差違はなく、なれば『その一念』を心神に通しているのだから、目指すべきは変わらない。もとより両方、求道なのに違いがない。……しかし、ああ、だからなのだ。

 それまで一心不乱と剣舞に耽っていた箒だったが、ぴたりと、なんの前触れもなく舞踏を()めた。そして真剣無表情だった面持ちがゆるりとほどけ、友人に接するときのようなわずかの笑み。それはある種、自嘲気味であったか。

 彼女は木刀を手放して、木陰に立てかけてあった竹刀と持ち替えた。

 ──ああ。やはりこれがいい。私は、これでいい。

 

 

「────ナマクラ俗刀流」

 

 

 木漏れ日の中、苦笑するようにお遊びの剣を繰り出した。

 

 

 ◇

 

 

「よう、お帰り。あとおはよう」

「うむ。おはよう」

「ほら、タオルと飲み物」

 

 そうして日課となっている鍛錬を終えて箒が部屋に戻ると、出迎えたのは同居人の声である。

 同居人、織斑一夏。

 彼はタオルとペットボトルに入ったスポーツドリンクとを手渡して、『おつかれ様』と微笑んだ。なんとも手際がいい。ちょうど喉が渇いているときに、こうして図ったように気をきかせる。そういえば昔から気配りの出来る男だったなぁ、と。同室になって(はや)二週間、染み入るように感じていた。

 

「あと、シャワーはいつでも使えるぜ?」

 

 本当に気がきく奴だ。ともすればなにか(やま)しいことでもあったのか、と疑いたくなるほどに献身的。……いや、献身的なんていうより、もっと単純なことだろう。

 友達を慮るのに理由はいらない。そういったところか。

 女性優位になりつつある社会。そうした世情ならば、無論女性に対して(した)()に出る輩はごまんといる。それこそ媚びへつらって、にへらと笑い、ごまをすって擦り寄って……一見すると、一夏もそういう類いと捉える人もいるだろう。報酬を求める優しさ……下衆らしい、利己的で浅はかな信条。透けて見えそうな下心、それを、条件反射的に想起するかもしれない。だけれど、篠ノ之箒はちゃんとわかっている。

 一夏は曲がらない。己の抱く信条を、なにを差し置いてでも貫き通す。

 芯があった。深にあって、真だった。ともすればこんな日常の一風景も、それの表れなのだろう。友がいて仲間がいて──そんな日々を大切にしたいと思うことを、それこそ譲れるはずがない。優しくしたいと思うのを改めるはずがない。ほんに、根っこから優しい男である。

 ──そういうところが、昔から好ましいのである。

 だからこうやって世話を焼かれるのも悪くはない。その厚意を素直に受け取って、お言葉通りにシャワーを浴びよう。しかしいってはなんだが、なんともお母さんくさい。お前は私の母親かと、なんとも家庭的な印象を抱くのは……まぁしかたないだろう。ただ、その前に。

 その前に、わずかばかりの疑問点。

 

「ところで一夏。お前は先ほどから何をしているのだ?」

 

 さっきから部屋に漂う油の焼ける香ばしさ。件の一夏は制服の上からエプロンで、そも箒を出迎えたとなれば当然に入口付近。そして寮の部屋にはキッチンがあり、設置されているのはそれこそ玄関の隣。だから、まぁ、語るまでも訊くまでもないのだろうけど。 

 

「うん? 見ての通りさ、料理だよ。弁当作ってんだ」

 

 ありていに見たまんま、一夏は料理の最中であった。

 

「いや、見ればわかるが……しかしまた、どうしてだ? 昨日まで学食だったじゃないか」

「あー、それはな。先週はセシリアとのことがあったろ? だから作る暇がなくてさ」

 

 「本当は初日から作りたかったんだけどさー」と、言いながらフライパンを返す。

 IS学園は寮食が出る。しかしそれは朝と夕方のみで、昼食は各々用意することになっていた。しかし無論学食はあるし、購買だってある。なので学園の生徒は、キッチンが付属しているとはいえ、自炊するものは少ないのだ。しかし。

 

「さすがに食費が馬鹿になんなくてよ。今日から自炊組ってわけだ」

 

 実に家庭的な結論である。まったくもって家計と戦うお母さんのようだ……ああきっと、おかずも栄養バランス考えているんだろうな。なんて、思わず感心してしまう。

 香ばしく弾ける油の飛沫。匂いから察するにオリーブオイルか? ()()()()()人並み以上には料理をする時分である。オリーブオイルとサラダ油ぐらいの区別ならつく。さすがにごまなんてことはないだろうけど、いずれにしても、腹に響く。いくら女性だとはいってもこの箒、今は早朝鍛錬のあと、運動直後だ。内心はしたなさを感じるが、どうにも腹の虫は自制できない。

 女の子だろうと一五歳は成長期。食べ盛りに油の炭化は毒である。……などと空腹に言いわけをすれば、なおのこと腹が減る。ああ、さっさとシャワーを浴びて食堂に行こう──、

 

「ほいよ箒、口開けろ」

「ん? なんだ──むぐ」

 

 途端、口の中に放り込まれるなにか──は、同時に口内で香りと肉汁とを弾けさせ、旨みに渇いていた舌の根にしつこいくらいに絡みついた。

 

「むぐ。これは、(とり)か」

「おう。まぁ鶏肉炒めてレモンを少々、って感じだな」

 

 「数が奇数であまったからさ」、と加える一夏。ともかくこれの正体は弁当の余剰らしい。

 鶏肉と自覚した上で噛み締めれば、より一層と風味が溢れてきた。これまたご丁寧に一口大に切り揃えられた(ひと)(しな)は、奥歯で潰す度に旨みを広げ、同時に下味にまぶしたろう胡椒もわずかに巻き込んで、ピリッとしたキレをきかせる。そのキレ味がなくなる頃にレモンの雫が顔をみせ、唾液をを促して止まらない。簡潔に、とても美味しい。

 

「んぐ……ふむ、ご馳走様。美味しかったぞ」

「お粗末さま。口にあってよかったよ」

 

 そういって微笑む一夏であるが、一方の箒はやや複雑である。

 ……もしかしてこいつ、私よりも料理上手いんじゃないか?

 一夏が家事全般に明るいのは知っている。小学生の頃、彼女が転校する前から一夏が炊事洗濯などを始めていたのは覚えているし、それをずっと続けているともIS学園(ここ)に来てからも聞きおよんでいる……が、まさかこれほどの腕前とは。

 弁当のあまりといえ、さすがにこれは衝撃だ──ちょっと待て。あまり? どうして? なんで奇数であまりになる? 自分の弁当だ、好きなだけ食べたらいいだろうに。

 そんな小学生ばりの算数に違和感を感じていると、それを見越したかのような軽やかさ。

 

「そりゃあ()()()用意したからな。お前の分もあるぜ?」

 

 ……それはどうりで、端数が出るはずだ。

 

「全く。お前は本当に家庭的な男だな」

「なんだ、弁当いらなかったか?」

「ふふ、貰うさ。ありがたくな」

 

 これは女としての沽券に関わるなぁ、と。複雑なものを抱えながら、箒はシャワー室に入っていった。

 ──本当、今日の昼食が楽しみだよ。

 

 

 ◆

 

 

「ねぇねぇ、二組のクラス代表が変更になったって聞いた?」

「え? 対抗戦来週なのに?」

「うん、なんか転校生が来たとかどうとかで」

「おはよう、みんな」

「あ。おはよう、織斑君に篠ノ之さん」

 

 四月二〇日の朝、一年一組の教室。

 俺が箒とともに登校すれば、なにやらクラスの女の子達がわいのわいのと盛り上がっていた。

 ほんと、女子高生っておしゃべりが好きだよな。いや学生にかぎらず女性全般がそうか。思えば中学時代のバイト先(近所の子供のお守りとか)のお母さん方、ことあるごとに話題をふられ話しかけられ、ときにはお子さんそっちのけでお話しするなんてことが多々あった。別に迷惑だとかは欠片も感じてないけど、でもしゃべり続けるってのは、それはそれで疲れる。なんであんなに話題が豊富なんだろう? まぁ外国だとお話しするためだけに集まる、ってこともあるみたいだし、なんにしても、人と話すのはいいことだと思う。

 

「うむ、おはよう。ところで、一体何の話をしているのだ?」

「それがねー。なんか二組に転校生が来るらしいんだって!」

「ほぅ、転校生か。それはまた、急だな」

「でしょ? しかもその転校生がクラス代表になったんだってさ」

 

 そしてなんら苦もなく会話に混ざるのはなんと箒さん。いやだって、なんだかんだ篠ノ之さんも女の子ですし? やっぱりお話しおしゃべりご歓談、そういうのが好きなんだよ。……とはいえ普段の凛呼としたところを見てると、なんとも不思議な感じがする。昔はもっと無愛想なやつだったんだけどな。まぁ六年も前の話だ、きっと心境の変化でもあったんだろう。

 しかしでも、やはり一線は画しているようで。

 

「ほう──し、篠ノ之さんはなにか聞いてる?」

「いや、寡聞にして知らないな。今日が初耳だよ」

「そ、そっか」

 

 ──『篠ノ之』。

 箒はクラスメイトに苗字で呼ばれている──呼ばせている。いや、強制してるわけじゃないんだが、なんというか、箒のまとう雰囲気がそう物語っているのだ。どうにも己が認めた相手にしか呼ばせないようで。そしてそれは、昔のまんまだった。俺は色々あって下の名前で呼んでいるけど……現状、この学校で『箒』と気軽に話しかけられるのは俺と千冬姉くらいかもしれない。

 理由は聞いたことないが、なんとなく、わかる。名前というのは特別だ。苗字、性というのは家族や血縁というものの『重さ』を持っているから重要であろう。しかし、『名』というのはそれとはまた別種の『重さ』がある。己を己たらしめる記号、自分を自分と認識できる部品……他人に観測してもらう際に便利な呼称、なんて考え方もあるだろう。それも正解だ。

 

 でも、名前がその程度なだけであってほしくない。

 

 同姓同名、確かにいるだろう。でも、それでも自分の名前だ。己が存在の一部だ。それを名乗り、それに立つ。たとえすべてがなくなってしまっても、それだけは残るから。だから名前は特別だ。それに対する考えが、多様であるのは必然だ。

 で、あれば。そうまでして貫きたいことなのだろう。そうやって己に準じているのだろう。だったら俺から言うべきはなにもないし、そも口にすること自体がお門違いだ。

 だけど箒、さすがにクラスメイトに『寡聞』とか使ってやるなよ。話しかけた鏡さんが「か、かぶん……?」とか困ってるじゃん。さすがサムライガール、日本語が丁寧だぜ。

 

「あら。みなさん、なにをそんなに盛り上がっているのですの?」

「あ、セシリア。おはよー」

「おはようございます、相川さん」

 

 そうこうしてる内に颯爽と現れたのはセシリア。カールがかった金髪が朝から眩しい。

 

「おはよう、セシリア」

「ええ、おはようございます、一夏さん」

「だから『さん』はいらないって言ってるだろ?」

「いいえ、これは最低限の礼儀です」

「わかったよ、一組代表」

「はぁ。嫌味ですか、まったく」

 

 そんな彼女となんでもない会話。そこにはなんら違和はなく、棘の一ミリさえありはしない。今までこびりつくようだった険というものが、ごっそりと落ちていた。

 ──あの夜。セシリアと戦った日の夜。あの夜のあとから、セシリアの態度はどことなく柔らかくなった。

 深夜にひょっこりとやってきて、『ごめんなさい』と。ともすれば脈絡もなにもない突拍子さで、彼女は頭を下げたのだ。そのさまに、体面を取り繕っているような色はなかった。誇りをねじ曲げ無理矢理に、なんて微塵もなく、むしろ清々した、といった具合の清々しさ。

 そうしたわけはわからない。その結末に至った理屈は知らない。その答えにたどり着いた理由だって──でも、それが彼女の答えだったのだ、決断だったのだ。

 そうするだけのなにかがあって、そうする『セシリア・オルコット』を選択したんだ。だったら、それがすべてで、完結だ。だから彼女が一組の代表になるのを認めたのだし、『それでも』と抗うのを理解できるのだ。

 

 ゆえ、俺達はもう一度剣を交えることになる。

 

 他人を納得させられる完全無欠の論理なんていらない。必要なのは、己に凖ぜる絶対の確信。自身の内側で輝くそれに(たが)わない、確固たる意志。──それを奉じるがゆえ、この決着には納得がいかない。織斑一夏(あなた)はそれで完結だろうが、セシリア・オルコット(わたくし)はそれに得心できない、と。

 だから、もう一度決闘を。決するために闘いを。それを、あの夜に誓ったのだ。

 だからまぁ、きっと翌日にはもう一回試合するんだろうな、なんて意気込んでいたんだけど……その決闘は、まだ行われていない。

 

 『しかるべき場で、ときで、決着を』。

 つまり、そういうことだろう。

 

 これ以上にない最高の舞台で、至高のタイミングで、俺達は決するべきだと。ああ、それなら文句の言いようのないくらいに『納得』できるだろう。なんにしても、負けるつもりはさらさらない。

 

(多分、再来月の個人トーナメントだろうな)

 

 六月に行われる『学年別個人トーナメント』。

 一学年全員で優勝を競う、トーナメント戦。学園行事のなかでも大掛かりなそれは、こと決するということに関しては打ってつけだろう。外部から企業関係者やら国のお偉いさんやらもくるイベントだ……なるほど、これを利用しない手はないな。無論のこと、俺には一切いやはない。なんのかんの、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 第一、俺は負けないのだから、飛ぶ。

 

「おお、セシリア。おはよう」

「あら、箒さん。おはようございます」

 

 そうやってセシリアと雑談していれば、彼女に気がついたのか、()()()箒が女の子の輪から外れてやってきた。

 そう、本当に嬉しそうな笑みを浮かべて。

 

「相変わらず、お前は朝に弱いな」

「あら、遅刻はしてませんことよ? それに朝に弱いわけではありませんわ……髪が多いと、大変ですのよ」

「ははぁ。貴族様も大変だな。私の髪も長い方だが、『量』という点に至ってはお前に遠く及ばんよ」

「ええ、本当。一応、若輩ながらも党首ですから、身だしなみをおろそかにするわけにもいきませんし……これから日本は梅雨、でしたかしら? 湿気の多い時期になるそうで……憂鬱ですわ。時折箒さんのような黒髪が羨ましくなります」

「くせ毛に湿気は大敵だからな……。いっそ髪を()ってはどうだ? 私でいいなら手伝うぞ?」

「あら、でしたらお願いしようかしら」

「え、なになに? セシリアの髪の毛結ぶの?」

「へぇ、面白そう。前からセシリアの髪の毛いじってみたかったのよねー」

「盛るか!」

「……谷本さん、マリー・アントワネットはよしてくださいますか?」

 

 そうしてあれよあれよと伝播する話題。転校生に盛り上がっていた()達もわらりと集まって、みんなでセシリアを取り囲む。……俺は完全に取り残された。いや、別に不満はない。女の子同士の会話。男の俺が加わるのは、なぁ? しかしそんなことより、だ。

 そんなことより、箒だ。

 

「それにしても、やはりお前の髪は綺麗だな。さらさらして、砂金みたいだよ」

「ふふ。それは時間をかけていますもの。女性として、当然ですわ。ですけど、箒さんの髪も綺麗ですよね。なにかトリートメントでもお使いですか?」

「ああいや、私はどうにも市販のトリートメントが合わなくてな。代わりに椿油を使ってるよ。どうだ、日本人らしいだろう?」

「ふふ、黒髪にはぴったりですわね。もしよければ、わたくしの使っているトリートメントを差し上げましょうか? イタリアのメーカーのものなんですけどね、ノンシリコンで界面活性剤不使用ですし、それならあなたにも合うんじゃないかしら?」

「ほう? だったらお言葉に甘えようかな」

 

 柔らかな表情でセシリアの髪を梳いていく箒……すごく仲睦まじい。

 そう、すごくセシリアと仲がいいのだ。いや、それが悪いっていってるわけじゃないんだ。けどなんというか、ギャップがすごい。普段の凛とした刀のような姿からは想像できないくらい、それはもうセシリアと仲が良いのだ。仲良しこよし、それこそなにも知らないクラスメイト達がすげぇ驚いている。当然に俺もその内の一人だ。

 ……これも昔から変わらないのだが、箒は他人と常に一線引いている。ある一定のラインを引いて、画して、隔てて、遠ざける。それはある種の拒絶。先の苗字で呼ばせることもその一つか、必要以上に他人と関わろうとしないのだ。パーソナル・スペースが広いとでもいうのか、あからさまに邪険にすることもないのだが、しかし。

 しかし、距離を置くのだ。物理的な距離だけじゃなく、精神共々。強固な城壁のごとく、ぶ厚い壁がはだかっている。築き上げている。

 もちろんのこと、それはなんらおかしなことじゃない。他人と関わりたくないという感情は、人間誰しも持っているものだから。多少なりとも俺だって、そういう感覚感情は持ってるし、そうしたいことがままあるし。箒は、それが少しばかり広くて大きいのだろう。ゆえ。

 

「いや~、せっしーとしののんは相変わらず仲良しさんだね~」

「……布仏、だから『しののん』は止めろと言ってるだろ?」

「えー、いいじゃん。せっしーもなんか言ってあげてよ~」

「箒さんに一票、ですわ」

「も~」

 

 一度その内側に入ると、途端に甘くなる。甘も甘々、微糖なんて控えめな表現じゃなくて激甘だ。いやまぁ普段の凛然クールな箒と対比するからこそ甘く見えるだけで、その実言いすぎな気がしないでもないけど……ともあれ、甘いのだ。

 自分が認めた相手には、友達には、優しいのだ。

 ……なんというか、本当、お前らなにがあったんだ? 最近色々ありすぎて戸惑いっぱなしだよ。

 とにも前言撤回。現状、『箒』と名前で呼べるのは俺と千冬姉とセシリアの三人だろう。

 

「ところで、セシリア。お前、二組のクラス代表が変わったのは知っているか?」

「いえ、存じ上げませんが……なにかありましたの?」

「ああ、どうにも二組に転校生が来たらしくてな、しかもそいつが代表になるそうだ」

「それはなんだか、急な話ですわね」

「そーそー。しかもね、その()中国から来たらしいの」

「中国? 本当ですか、岸原さん?」

「どうかなぁ。尾びれが付いてる気もするんだけど」

「転入生、ってことは専用機持ちかな?」

「この時期にわざわざ来るんだもんね」

「おー。強敵あらわるって感じだね~」

「……あんたが言うと緊張感がなくなるわね、本音」

 

 セシリアを(くしけず)りながら、話題は再び転入生の話へ。どうにもそいつは中国からやってくるらしい。

 実のところ、IS学園は転入生が多い。しかしそれは一般生徒ではなく、企業の人間や候補生など、ISに関係する人達だ。なにせインフィニット・ストラトスに関する専門の教育機関はIS学園しかない。ともなれば、テストパイロットなどが転入してくるのは当たり前でもある。ISを七〇機も保有し、訓練設備も充実。単純に考えて、ここ以上にISに乗れる場所はほとんどないはずだ。確かにISを所有している企業もあるだろうが……それでもよくて二機程度。だったら量産機とはいえ、ここで訓練したほうがよっぽど長時間ISに触れられるだろう。

 加え、指導員が最高峰だ。なにせ織斑千冬が直々に指導にあたるのだ、それだけでも編入する価値はあろう。だから候補生やテストパイロットなど、やってくる人間は多い。まぁでも、あくまで普通の高校よりは多いってだけで、そんな毎日くるわけじゃない。当たり前だけど。

 しかし、そんな理由を踏まえてもこの転入は若干のおかしさがある。時期だ。

 時期がおかしいのだ。

 入学からわずか一週間……ともすれば転入などでなく、初めから入学してくればいいのではないか? 無論、IS学園の倍率を考えるに、単純にあぶれたということもあるだろうが、しかしそも候補生やテストパイロットというのは優遇され、入学を望むならまずすべらない。そういう人は一般生徒のいい刺激になるし、IS学園側としても、データは一つでも多いに越したことはない。

 だから疑問。いったいどんな意図があるのか……なんてそれっぽくいうけど、実はなんとなく検討がついている。

 

 簡潔に、俺という男性操縦者の存在だ。

 

 自意識過剰とかじゃなく単純に、俺は世界唯一の男性操縦者だ。だとすれば、それに関する情報が欲しい輩が沸くのは当然でもある。

 俺を調べれば。それこそ男性がISに乗れない原因がわかるのかもしれないし、あわよくばほかの人もISが動かせるようになるかもしれない。

 そんな各国・企業の思惑を思えば、この転入も納得か。……とか言っといて、やってくる人が全然関係ないやつだったら恥ずかしいけどな。

 しかしとはいえ。

 

(中国、か)

 

 そんなもろもろ、その一言の前には些細にすぎず。その一文字が、瞬く()に俺の記憶を想起させる。

 中国。

 中学二年生の最後、中国へと帰っていった馴染みの顔を思い出す。

 中学三年になる直前、俺の友人は諸事情によって中国に行ってしまった。

 元気で勝気、快活に笑い、まるで飛び跳ねるような活発さ。お世辞にもおしとやかといえない精彩な女の子。うるさいぐらいに元気いっぱいで、低い身長を気にしてて、滅茶苦茶ラーメンが好きで、男にも平気で食ってかかるやんちゃ者で、負けず嫌いで、彼女の周りはそれこそ日向のようで──胸を張って誇れる、俺の友達。風に尾を引くツインテールが、秒の思考をかけずに思い出せる。

 

『いい!? よーく覚えてなさい! あたしは! あたしは絶対! 絶対あんた達に──』

 

 その別れ際の台詞を思い返す。はっきりとくっきりと。淀みなく、霞なく。一言一句、(たが)わず確かに覚えている。

 未だに、あの言葉の意味はわからない。言葉の通り、といわれればなおのことだし、なにかしらの婉曲表現だったのならお手上げだ。あいにくと、俺はそんなつもりまったくないし、どうしてお前がそう思うのかがわからない。というか、どうして俺と『アイツ』が一括りにされるんだよ。意味がわからん。それのほうが心外だ。認められるか、許せるか。

 ふざけるんじゃない。だって、だって。

 

 

 

 俺は、絶対に、『アイツ』とは────、

 

 

 

「──どうした、一夏?」

「、……あーいや、中国人って語尾に『アル』とかつけるのかなー、と」

「……いつの漫画だ、それは」

 

 ある種唐突にすら感じる幼馴染の声に、俺の意識が集束する。セピアに埋没した感覚が鮮やかになる。快活な笑い顔が消えて、目の前にはやれやれとした箒の顔。ダメだ。どうにも過去のこと考えると周りが見えなくなってしまう。切り替えよう。

 そうして見れば、どうにもセシリアの髪の毛をいじり(?)終えたらしい。彼女を囲むようだったクラスメイト達が、うんうんと頷きながら満足気な表情をしている。

 完成したセシリア──その髪型は、なんとポニーテールだった。

 ……仲よすぎだろ、箒さん。

 

「いやー、いい仕事したわ」

「いいなぁ。わたしも伸ばそうかな」

「ふふ、みなさんありがとうございますわ」

 

 あれだ。やっぱ美人ってなんでも似合うよ。箒みたいな純和風とはまた違った感じがする。俺がいうとなにやら安っぽい気がしないでもないが、あえていうなら、気品がある。お上品というか、新鮮だ。

 

「じゃあ頑張った私たちに恩返ししてもらわないとねー」

「お菓子とかねー」

「スイーツとかねー」

「フリーパスなんかねー」

「……そのためだけ、とは言いませんが、負けるつもりはありませんわ」

「そうそう、がんばってセシリア!」

「今のところ、専用機持ちはセシリアと四組の更識さんだけだからイケるって!」

「転校生も専用機持ちかもだけどね~」

「「「あんたは黙ってろ」」」

 

 成果には代償がつきものというか、どうにも下心アリアリらしい。みんな口々にフリーパスフリーパスと、優勝賞品に思いを馳せている。

 このクラス代表戦、どうやらやる気を煽るために賞品が用意されているそうだ。景品はなんと『学食デザート半年フリーパス』。そりゃあ、甘いものが好きな女子として、躍起にもなりましょうて。それだけとはいわないだろうが、しかしそれが一因なのも事実。がんばれとセシリアを応援するみんなの裏側には、スイーツに対する欲望がちらついていた。いやさ俺も甘いものは好きなほうだけどさ。

 そんなみんなをやれやれとした、ともすればお姉さん的な眼差しで見やりながら、しかし彼女は宣言する。決めるときにきっちり締めるあたり、やっぱ貴族というものはしゃんとしている。

 

「みなさん、まかせて下さいな。不肖、セシリア・オルコット。必ずや勝利の頂きに()してみせますわ」

 

 

「────へぇ、いいじゃない。そんな座、あたしが崩してあげるわよ」

 

 

 ──そのとき颯爽と響いた鈴の音は、セピアの記憶を塗り替えて。

 横槍入れられたような感覚のクラスメイト達は、みな一様にその音源へと視線を向けた。

 そうしてそこに立つは、教壇に立つは、にやりとした口角と栗色のツインテール。いつの間に現れたのか。いかにもと活発そうな小柄な体躯に、攻撃的な瞳は相変わらず。ああ、一つも変わっちゃいない。

 お前は、いつもそう在ってくれる。

 

「──、どちら様、かしら?」

 

 怪訝そうな口調だが、しかし不快感をお首にも出さないような、いうなれば尊大ともいえる切り返しで、我らが英国淑女は彼女に問う。

 しかしそんな態度に真っ向からむかうよう、堂と立って宣言する。清洒にして洒落。小粋で凜とするその顔は。

 

 

「あたしは鈴音、凰鈴音(ファン・リンイン)。中国の代表候補生よ──初めまして、英国の蒼雫さん」

 

 

 颯爽と現れた鈴の音は、太陽を思わせる快活さで、鳴いた。




モブ娘が名前だけですが登場です。
夜竹さんとか鷹月さんとかほんとかわいい。
でもイチオシは四十院さん。実はISの中で一番好きだったりします。
ひと目みた瞬間凄く一撃必殺でした。冗談です。

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