模倣できない物語 作:帝都造営
――――平成33年12月24日。東京――――
首都東京。東京を貫くような中央線。その真っすぐに伸びる幹線鉄道の重要ハブを務める立川駅は、その首都圏交通の重要性に反して静寂を保っていた。それは決して物々しいような緊張ではなく、また人のいなくなったような哀愁でもない。まるで静止画のように切り取られたかのように、音が聞こえないのであった。
立川飛行場に道を譲るために割れた高層ビルの群れ。それらも今日はちらほらと灯りを見せる程度で、むしろ航空障害灯のほんのりとした
そんな中に、整然とした
「まるで六年前と同じだ」
そう口にしたのは男の方。女は空を睨むように見上げたまま。
「そうね」
そう小さく返した。
空からはらはらと舞い降りる純白。それは二人を、ヒトの流れを、立川を、そして東京を包み込む。音も光も吸い込まれ、どこかぼんやりとした景色に刺すような冷たさが色を付ける。
2021年12月24日。実に6年ぶりとなるホワイトクリスマス。気象庁の発表によれば、積雪は5㎝を想定しているらしい。
――――平成27年12月24日。東京――――
クリスマス商戦という言葉を作ったのはアメリカ人のはずだが、この資本主義が西側各国にはびこる時代となっては日本においても商戦は存在する。
店という店はツリーだのイルミネーションだので埋め尽くされ、トナカイや赤い装束に身を包んで髭を生やした、いかにも不審者といった身なりのコスプレがコンビニエンスストアにすら蔓延する。ちなみにその元ネタとなった御仁は今日も今日とて
しかしそんな光景ももはや風物詩。少なくとも先述のような冗談が通用するくらいには世間一般に「クリスマス」と「トナカイ」そして「サンタクロース」が浸透している。明治維新のころに入って来たのだ。これだけ時間が経てば浸透するのも納得である。
「しかしだ。こんな幸せなクリスマスイブだというのに悲しいことがあるのだから仕方がない」
新宿駅から30分、横田と羽田の両空港を若干40分で繋ぐ交通の中心地、立川。そんな駅で曇りに曇ったそらを見上げる男がいた。隣に控える彼の友人と思しき男が、半ばあきれ顔で聞き返す。
「また彼女がいないとかそういう話か」
その言葉に、男は核分裂の実験の如く反応してみせた。たちまち詰め寄り、その右手人差し指を友人の顔の前に突き立てる。
「そうだよ当たり前だろそれ以外に何がある!」
男の名は、石川といった。
「そうは言うがな石川クンよ、クリスマスが近づいたからといって毎年発狂してたんじゃあしょうがないじゃないか」
ちなみに友人の名は小岩という。彼らは高校の同期で、また同じ部活に所属していた。俗に言う「ずっ友」、そう所謂「大親友」という奴である。
「考えてみてほしい。控えめに言って俺はエリートだそうだろう?」
「そりゃあ二流企業にいったこっちと比べりゃあな」
「そうだ。なんて言ったっていずれ事務次官になる男だからな」
なのに何故だ。何故俺には彼女が出来ない。公衆の面前であることを忘れたかのように続ける石川。自称エリートという輩は掃いて捨てるほどいるのがこの時代だが、それでも石川はまともな方な自称エリートである。
なんと言っても、彼は現実に内務や
「その自信過剰さと謙遜のけの字もない性格が治れば、彼女もすぐできるだろうさ」
「自信は持てるだけ持っておくべきだ。それと、謙遜のし過ぎは身体に悪い」
これでも考えた方の皮肉が素早く切り返され、やれやれと肩を竦める友人氏。この会話だけを切り取れば石川は相当に面倒な人間のようにも見えるが、これは長い付き合いが醸造した会話。多少の棘はむしろ投げキッスのよう。
しかしまあ、こんなことを口先だけでも考えているのなら、彼の春はなかなか遠いように見えた。
「というか石川、お前いい加減身を固める気はないのか」
「だから彼女を探しているんだろう」
いや探す気ないだろ。とは今更ツッコマない。いや突っ込んでもいいのだが、それは学生時代なら良かった話。
友人氏はもう二年も前に結婚した。春には第一児も控えている。それに対して石川はというと年齢=彼女いない歴の既に三十路。
そろそろ本気になった方がいいんじゃないかと、そう友人氏は考えていたのだ。ので、彼は真面目な口調を取る。そう、彼が抱える血気盛んな部下をなだめる時のように。
「いやお前が探すのは冬期限定だろ。俺が言いたいのはクリスマスの
そしてその指摘はその通りである。石川という男はハワイに行けば女を口説き、シンガポールにいけば女を口説き、サンディエゴに行けば女を口説くのである。もちろん勤務地である立川でも女を口説く。
「いやしかし、良いものは良いのだからいいじゃないか」
「まあそれはよく分かるんだがなぁ」
分かって良いのか友人氏。しかし残念ながら、石川を説得出来るかというと出来るわけがないのである。それはそうだ。親が口を酸っぱくしても部屋を片付けない石川である。親しい人間が行ったところで、それはもうバックミュージック以外の何者でもないのである。
「ん……? おい、あれを見ろ」
そして、今日も石川はお相手を見つけたようだった。
「はぁ。天下の運輸省が聞いて呆れるよ」
「今日はオフだ。大人というのは只でさえ休日が少ないというのに、いざ休日となると急にオトナぶって折角の休日をフイにしてしまう。それを避けるのこそ、オトナだと思わんかね?」
「その理屈は大いに結構。だが人様の迷惑も考えてくれよ」
友人氏の言葉は果たして届いたのだろうか。石川はえんやこっさと歩き出す。いったい今日は誰に目を付けたのかと訝しむ友人氏だが、ところが今回はすぐに見当がついた。なるほどあれは美人だ。
「……むむ」
美人さんはどこかへ向かって歩いていた。高級ブランドかもしれないコートに小さなショルダーバッグ。身なりから判断する限りは買い物といった様子ではない。これから買い物に向かう可能性は無きにしも非ずだが、しかしそろそろ陽が落ちようという状況を鑑みれば、買い物というよりは友人と連れ添って街遊びをしている。そう考えるのが妥当だろう。
そう、友人と連れ添って街遊び。
問題がここで一つ。なんとその美人さんは、誰かと連れ添って歩いているのである。
すわ、石川の野望は地に落ちたかに見えた。しかしそうはサンタクロースが許さないはずだ。そして実際そうなった。
美人と歩いていたのは、またしても美人であったのである。しかしそれは世間一般で言う美人。少なくとも石川のハートには突き刺さらなかった。
となれば、ただ単に邪魔だ。
「なぁ。二人でナンパすれば引きはがせると思うか?」
「お前は妻子持ちにナンパをしろというのか」
「だよなぁ……」
そして、そんな目論見が成功するわけはもちろんないのである。ナンパというのには流儀があるがされる側にも流儀がある。言うならばナンパというのは若者社会における舞踏会のようなもの。守るべき品とマナーと言うモノがあるのだ。
だからこそ、石川は待つ。クリスマスの喧騒、楽しげな子供達。鬱陶しそうにしながらも笑顔は本物な親たち。今か今かとキスする瞬間を見計らっているのであろうカップルたち。そんなカップルたちに最高級の呪いをプレゼンとしながら、石川は美人二人を追う。
「しかしだ。どこへ向かうと思う?」
「そりゃあどこかのテナントだろう」
果たしてこれを尾行と称さずしてなんと称すればいいのだろうか。人混みの中を悟られぬよう、しかし距離は離れずつかずで進んでいく石川。友人氏もそれに追随する。クリスマスともなればそれにかこつけて数多の人々は街に繰り出すわけで、まあどこもかしこもヒトだらけ。
しかし、果たして石川が美人を見失うなどあろうか。
そして、彼女らが足を止めたのは――――
「スイーツか。しかし並んでるな」
「……石川。お前まさか本物のストーカーになる気か?」
「まさか、しかしここで逃すのは惜しいのだよ」
「はぁ。そうは言うがなぁ。最近はちと腹回りが……」
そう贅肉を気にするようなゼスチャーをしてみせる。なるほど甘味は今の彼には御法度らしい。
「ふーむ。となると諦めるしかないか」
「あの――――すいません」
「はい、はんでせうか!」
その文面だけで結構。すわ、かの美人がこちらに気付いたか! 石川は満面の笑みで声の方へと顔を向ける。
しかし、もちろん美人が知りもせぬ男に声を掛けるわけがない。
「……立川署の者ですが。少しばかり、お時間頂けますか」
嗚呼なんたることか。それは美人どころか女ですらない。警邏の巡査であったのだ。
「しっかし、まったく納得いかぬな我が友人よ。なぜここまでの人混みの中、それも連れだって歩いている俺に声をかけるのは巡査なんだ?」
「……うん。まあ、こんなこともあるさ。うん」
「普通に考えればなにか考えていそうな風で歩き回りさえすればいいものを、どうしてこのエリート官僚たる俺に職質? まったく、わきまえてほしいものだよ警視庁とやらには」
「今回ばかりは、
「ふふん、そんなことがあるものか……しかし困ったな。見事に見失ってしまった」
見失ってしまった。というのも理屈は簡単だ。ともあれば人混み、それも流れのまっただ中と言うことで巡査は開けた場所まで石川たちを
なぜ巡査がそんな手間をかけたのかは、まあ友人にはもちろん石川にだって見当はついている。それは彼が未だに先ほどの二人組を探していることからも明らかであった。
「テイクアウトだったのだのかなぁ。店内に残っていれば探しようもあるのだが」
「『諦めよ』という天佑なのでは」
「いや、そんなことはないね。天佑というならば彼女が視界に入ったことこそ天佑よ」
しかし石川、本当に諦めるつもりはないらしい。これが北極やら南極やらを旅する大探検家であれば賞賛もされよう探究心、不屈の心意気であるが、目的というのが目的なのだからどうしようもない。
しかし世の中、そんな人間にこそ微笑んでしまうモノである。ああ神は無情か。いやそもそも、先帝陛下すらも人間宣言をなされたこの浮世で、果たして信ずべき神などいたものだろうか。神などがいないからかような石川などという男がのさばってしまうのか。
そう、彼女はそこに在った。
顔ほどはあろうか、大きな甘味――そう、世間では「パフェ」――が目前で一輪の花のように咲き誇り、それを笑顔で――いや、笑顔で頬張っているのはその道連れ、石川が見初めた当の本人は無表情といった言葉が適当なほどにぴくりとも表情筋を動かさず食べている。
しかし無表情というのは顔に限った話、細かく動かされる腕、コート越しでも分かる美しい腰回り。そう彼女はいまや上半身の全ての筋肉という筋肉を動員しその甘味を味わっているのである。
まさに石川、地上の極楽をここに見いだしたり。
「素晴らしい」
「……さいですか」
もはや友人氏の呆れ声など聞こえはせぬ。石川は全身全霊を持ってそれを見据える。そう、まさにこの一瞬をメに焼き付けんと見据える。隣でハムスターほどに頬を膨らませる道連れなどもはや眼にはいらぬ。そのちびちびとゆっくり味わう姿を眺める。
もちろん巡査再来への備えも万全。石川はまるで奇妙な冒険にでも出てきそうな姿勢を取り、もはや周囲の人間を引きつけぬ完全領域を構築せしめたのだ。よもや巡査も、引きに引いて彼に声をかけることはないであろう。
おお、ハムスターな道連れははやくもかの巨大な甘味を完食せしめた。実はこの甘味、立川一の巨大スイーツと巷では話題のそれで、完食には二人がかりでと言われるほどのとんでもない存在なのである。ハムスターが見守る中、一所懸命にとついばむ彼女。
そっと熱い視線を送る石川は、もはや人混みの雑音などは気にもかけない。こちりこちりと腕時計だけが音を立てる。
そしてついには――――天晴れ天晴れ、全てを平らげて見せたのである。群衆は歯牙にもかけぬこの一瞬を、石川は忘れはしないことだろう。
そして二人は連れだって歩きだす。目指す先は、立川駅の方向である。
「よし、俺たちもいくぞ」
と友人に声をかけるが、おかしい友人氏はそこにはいない。はて、ついには呆れかえって帰ってしまったか。それともあれか、仕事の電話でも入ったか。まったくどうして、忙しい男である。
無二の親友の行く末も気にならぬ訳ではないが、とはいえ石川の大命は目の前にある。残念だがここは捨て置くべし。
ふと、石川の眼に――――あるものが写った。
立川駅というのは面白いもので、天下の帝急電鉄やら無双の武蔵野系列鉄道、旧国鉄NRやらと様々な交通機関が集う場所。来るものもあれば去る者もあり、そんな場所である。
美人二人が連れ添って歩くのはいいが、しかしもしも二人が列車に乗ってしまった日には全てが終わりである。前述のとおりナンパとは若人の舞踏会、マナーというのもがある。列車に乗ってまで追いかける阿呆はいないのである。
だからこそ、石川は天に祈った。まさに一生のお願いという奴だ。この了見だと彼がこれまで、それからこれからいくつの『一生』があるのか知れたものではないが、とにかくこの瞬間を全て捧げて祈った。
そして、信じるものは救われる。そう偉いヒトはいうそうだ。
まさに石川がそれであった。
「――――では、また。良いお年を」
「さようなら。良いお年を、赤城さん」
そう、帝都急行電鉄立川南口の改札に消えるのは、件のハムスターな道連れ。そうハムスターのみである。石川の美人は改札の向こう側、即ちこの現世に残り奉られたのである!
ええいままよと青年石川。背中にそっと隠し持った殿下の宝刀を持ちだして、清水の舞台から飛び降りる気持ちで踏み出した!
「もし、お嬢さん」
「?」
「ハンケチ、落とされましたよ?」
そう、ハンケチ。手拭いである。先ほどの場所に、彼女はハンケチを忘れてしまっていたのである。まったくお茶目なものではなかろうか。いかに天が創り給うた天使であれど、このようなケアレスをするのだから可愛さというものが生まれるのである。
彼女は頬を染めて謝辞を述べるだろうか。それとも此方の思惑を見事に見抜きつっけんどんに受け取るだろうか。
「……」
「おや、私はお嬢さんこそが落とされたものかと思ったのですが……違いましたかな?」
「いえ。それは私のです。ありがとう」
果たして、それは前者よりの後者であった。彼女はあくまで業務用の笑みを創るに留め、すっとハンケチを受け取ってみせる。しかしその動作のなんと洗練されたものか。
もちろん、このままでは石川はただの「いいヒト」で終わってしまう。それではいけない。なんのためにこの好機を天がお与えくださったか。まさにこれは天佑、天佑である。
「しかしアレですな。なかなかいいセンスをしていらっしゃる。貴女が持つにふさわしい」
「……」
むむ。大抵の女性というやつはこれでコロリなのだが、どうやら押しが足りないらしい。
しかしナンパとは難しいもので、せっかちな若人にとっては間の取り方というものが難しい。素早く済ませてしまうのが最もだが、あまりに手順を踏まないのも気が進まないが、しかし冗長こそ忌み嫌うべきもの。
ここはひとつ、いきなり突っ込んでしまおうか。
「ここで会ったのも折角のご縁。いかがでしょう? もしよければ、ワタクシめと共にディナーでも」
「……」
押し黙ったままの天使。はて、天界の人間にはこの洗練されし言語である日本語ですら届かないというのか。
「良い店を知っているんです。私が行きつけの店でね。きっと貴女も気に入る」
「……」
さしもの石川にも動揺が走る。果たしてナンパと言ったものだが、その実この男、実際にナンパをしてみたことなど一度もないのである。全ては彼の
「お、おごりますよ? もちろんのことですが」
「……そうね。丁度連れも帰ってしまったし、すこしばかりなら」
万歳三唱。いままさに、至高のクリスマスプレゼントが石川の元に届けられた。
――――平成33年12月24日。東京――――
その店は、六年という歳月の後にも残っている。
会計を手早く済ませ、東京の寒空に出た石川。連れだって歩く伴侶が出てきたのは少しばかり遅れて。
不思議なもので、六年も経ったというのにここの景色は変わらない。いや変わりはしているのだ。それは目に見えて分かる。
しかしこの立川という場所の意味、石川にとっての人生の軌跡は、もはや動きはしないのである。不思議なものだが、そういった場所は、彼にとってはいつまでも不動の地位を保つのである。
「……本当に久しぶりだったわね」
「あぁ。二人で来るのはいつぶりだろうか。子守を押しつけてしまったようで、キミの友人には申し訳ないが」
「いいのよ。あの人、私にちょっかいを出すのが趣味のようなものだし」
満面の笑みで手を振っていたその女性を思い出す。かつてはハムスターな道連れに過ぎなかった彼女も、いまや石川にとっては五本の指に入る友人だ。もちろん、女性との対人関係という奴は、身を固めてしまうとなかなか配分が難しくなるのだが。
角を曲がる。道が開けた。目の前に広がるのは立川の摩天楼。
ふと足を止める。石川の後ろをついて歩いていた彼女は、なにかを思い出したように足下を見ていた。
「あら。この段差、まだ残っていたのね」
「段差? なんだいそれは」
石川がそういえば、彼女は口角を吊り上げた。それはあの日には彼女が決して見せなかった表情。小さな変化だが、今の石川であれば彼女の表情など全て見抜いてみせる。
その表情は――――まさに愉悦のそれであった。
「あのとき、貴方が変なことをのたまいながら転けた段差」
「……ぁあ、あれか」
「随分とご熱心だったけれど、私は貴方にとってはここの微妙な夜景にちょっと勝てるぐらいだったんでしょ? そんな伝えてどうしようもないことを言おうとして段差を見逃すんだから、本当にどうしようもなかったわ」
「そういうキミだって、コミュニケーションアプリの『フリフリ』だって知らなかったじゃないか」
「あの頃はまだガラケーが主流でしたから、知らないのも無理はないわ」
「いやぁ当時からスマホが主流だったろうに」
首をふるふると振ったときは、さしもの石川も正気を疑ったものだ。その動作がまた、あまりに愛らしいものだったのが問題ではあるのだが。
ともあれ今夜は聖夜である。西暦を刻み始めてから2021年回目の聖夜。石川姓を持つ二人にとっては6回目の聖夜。
来年は、果たしてどんな一年になるのだろう。
新年平成34年……2022年は、目前まで差し迫っていた。