艦隊これくしょん~鶴の慟哭~   作:エーデリカ

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序章 Verba Volant, scripta manent.

 人気のない林を、少女は走り抜ける。おあつらえ向きな新月の夜。その闇に乗じるように、一陣の風のように歩を進める。

 

 表向きには児童福祉施設となっている、古びれた教会。昨今の空襲の被害から、こうした建造物が外観すら変えずに別の用途へ使われるのは、よくある話である。

 

 学校の屋上には空を睨む砲口が配される。片側三車線の道路は、中央分離帯が排され航空機の窓口となる。そんなご時世で人の営みを判断するお店の看板(・・)とは難しいもので、気配がある集落を探して回り。そしてその住民に尋ねる方が、目的の相手を探すのが手っ取り早いというものだ。

 

 電話なんてものは、一般人にとってはもう見かけない代物だろう。電信柱は薙ぎ倒され、衛生通信は軍部が全て掌握している。ともすれば一般市民の生活は、日本でいう明治時代黎明期まで後退したのではないだろうか。

 

「……とはいえ。私だって明治維新なんて、教科書でしか知りませんけどねぇ」

 

 自嘲するような呟きは、暗闇に溶けていく。

 

 お仲間が待機しているとはいえ、接触対象は軍から隔離された人物。もちろん公安からマークされていることもあり、連れ出すのすら骨が折れるというものだ。

 

「室長も旧知とはいえ、なんで彼に拘るんでしょう?」

 

 確かに、私の上司がこれからやることに軍は噛ませられない。むしろ敵に回すと言った方が正しいだろうか。だからこそ、法典よりも正義を。大勢よりも誠情を芯とする彼を手に加えてたいというところだろうか。私が個人的にどう思っているかと問えば、彼ほど矢面に立たされる人間はいないという程に、不幸な場面へばかり駆り出されていると言える。

 

 事前に教えられたルートを、寸分の狂いもなく辿り着く。重々しい観音開きのドアが、軋みながら少女を迎え入れる。呼吸を整えると同時に、暗視ゴーグルで覗いた外の景色を見れば不自然に動くオブジェクトが複数。部下には命令があるまで待機を命じているはずで、つまりは追ってきた刺客とでもいうところだろうか。

 

 この敷地にはトラップはないものの、侵入者の探知にだけは敏感に作られていると上司からは聞かされている。もともとこの教会は、対人間のゲリラ戦を想定して作り直されたセーフハウスだ。彼がそのシステムぐらいは分かっていて、自衛くらいはやっているだろうという判断か。

 

 ふと目線を上げると、肖像画の煌びやかな部分が僅かな光を灯している。玄関前の監視カメラだろうか。とりあえずは殺される心配はないと高を括っていると、背後からズドンということもありえるかもしれない。いくら穏健な彼とは言え、この格好の私を見て敵対する意思はないと思わないだろうし。

 

 目指すは書庫。埃が積もらないように整備された棚の中に目を向ける。生物学の教本だという教えられた通りのタイトル、その背表紙を押し込むと金属音が鳴る。不自然に退かされた観葉植物の鉢植え裏には、飲み込まれるような重々しさを感じられる通路がある。後ろ手に隠し扉を閉め、地下シェルターの中に広がる回廊を覗き込む。階段の上から見下ろすだけでも尋常ではない量の書物が蓄えられた空間に、紫髪をポニーテールに結んだ少女が踏み入れる。

 

「中佐も趣味が悪い……ここ、まるで情報の墓場ですねぇ。ま、彼にとってはおあつらえ向きですか。こんな所に、日本の命運をかけた元士官が燻ってる――だなんて」

 

 電子書籍が当たり前になった世の中でも、活字は紙で読む――という人は少なからずいる。しかし戦火に焼かれるとあっては、やはり需要とは噛みあわないものだ。ここに住んでいる彼は変わり者だったし、古今東西の文献を集めるのが趣味と言っていた。

 

 そんな彼を皆は時代錯誤というだろう。そして彼自身だって、過去の遺物に過ぎないことを分かっていたのだろう。退役後に引き籠もりになったと聞いていたが、これ程とは思わなかったが。日本というよりは、その政変。もともと牛耳っていた暗部を抉り出す為の生贄になった、という方が彼の名誉のためには正しいのだろうが。

 

 艦娘を率いる指令官など、幾人ものが現れ。そして消えていった。ましてやこの偽りの平和を戦後というのであれば、生き残っただけでも儲けものだ。深海棲艦との戦争によって通常兵器で対応していた頃の人的損耗を考えれば、人口は開戦前の4割程度にまで減少したと言われている。

 

 熟練した人間は戦火で命を落とした。若き女性は、奴らに対抗できる兵器――艦娘として沈んでいった。戦争が膠着状態に陥る頃には、物心ついた成人男性は艦娘を率いる指揮官として。あるいは艦娘の装備を支える、工廠の整備兵として身を投じる事になる。

 

 深海棲艦との戦いが終わったとしても、その後に残ったのは抉られた大地と血塗られた海。人類とは共通の敵を持ったとしても、やがてはその後の世界を誰が牛耳るかで人間同士で殺し合う。これから会う相手はそんな世界に嫌気が差して隠遁しているというのだから、なおさら自分が巻き込むのは気が引ける。

 

 思考から反射的に意識を引き戻したのは、長年の勘という奴だ。ホルスターから拳銃を抜き、セーフティを外して闇へと向ける。おどけたような声を聴くのと同時に、懐かしい響きであるとも認知する。実に10年ぶりだろうか。あの時よりも更にやつれた声色で紡ぐ。

 

「こんな夜更けに何か用事か? 昔のお前ならアポはしっかりとっていたような気もするが」

「不躾な訪問、失礼いたしました! 恐縮です。突貫! 隣のお夕飯! ……って、冗談は続かなそうですねぇ。お元気そうでなによりです」

 

 少女――――青葉型重巡洋艦1番艦青葉。彼女が構えた銃口の先にいたのは、この場にわざわざ会いに来た目的の人物。かつて共に戦場を翔けた部隊の指揮官であり、自分の上司が認めていた男だった。

 

「……お久しぶりです、東郷駈中佐」

「フルネームで呼ばれると堅苦しいが……久しぶり、元気そうで何よりだ。だが積もる話は後にしよう、青葉」

 

 そういう男の表情は懐かしいというものより、私が訪れるのを分かっていたような口ぶりだった。目的があるから、あえて私は”東郷中佐”と呼ばせて貰う。

 

「相変わらず、辺鄙なところに住んでいるようで」

「……書籍の宝庫を辺鄙(・・)扱いされるとへこむがなぁ」

 

 あのときと変わらない笑みをする男に、私は一通の封筒を差し出す。逡巡したのちに、受け取った彼は苦虫を噛み潰した顔をした。

 

「紅紙の召集令状を寄越すのは、君の飼い主らしい――――今さら、俺に軍に戻れと?」

 

 先程とうって変わって、語気を強める東郷中佐。昂ぶると穏やかな表情を崩すのが、やはり彼の変わらないクセなよう。だからこそ私は、一人の軍人として彼の前に立つ

 

「……われわれ海軍情報局は、貴官の戦前の功績を鑑み。貴官の原隊復帰を要請する――と言ったら、どうします?」

「原隊復帰? 冗談はよせ。分裂した軍部。その派閥争いに巻き込まれろと? 拒否権なんてないだろうに。そうまでして、なぜ俺を組み入れたい?」

 

 そういって彼は、悲しく微笑んだ。現状で深海棲艦というルーツに関わっていて、自分の飼い主に親しく自由に動ける人間は限られているのだ。だからこそ私は、どんな手段を用いても彼をここから連れ出す必要がある。だからこそ、私は彼に問う必要があった。

 

「最早慣例として行われているに過ぎない、出版物の保存と言う索然とした仕事を、これからも続けていくつもりですか?」

「それだけじゃない。第四次世界大戦によって、戦場に駆り出された両親を持った子どもたち。そんな孤児を受け入れ続けるのだって、立派な元軍人の務めだと思うけどな」

 

 直接戦火に晒されなかった日本であっても、軍人は死んでいく。退役後に行き場を喪った子どもらを抱え込んだのは、彼らしいとも思っていた。彼が第一線を退いたのは彼女(・・)が原因なのだろうが、元をたどれば彼なりの優しさが軍人には向いていなかっただけのことだ。ここで孤児院の院長をやっている方が、性にあっている。

 

「……結局は逃げだ。自分が加害者側にまわるのが怖かっただけだ。その尻拭いをして、誤魔化しているだけだ」

「もともと貴方は、人に嫌われたくないような人格の塊でしたからねぇ。けれど、ひとこと言わせて貰います。染みついた血の匂いはとれないんですよ、東郷中佐?」

 

 私の皮肉を含んだ表情に、東郷中佐もまた返してくる。だが、彼もまた司令官だった男だ。その視線を真っ直ぐに。かつての輝きを湛えて、彼の目が問うてくる。俺は、何をすればいいと。

 

「お前の飼い主が見せてくれる世界は、少しはマシなんだろうなぁ? 青葉」

「保証しますよ。少なくとも、中佐には全盛期の活躍を期待すると」

「容赦がねぇ。あの野郎」

 

 くつくつと嗤う中佐をよそに、端末を操作する。既に館内には侵入者。標的は中佐に接触した私自身であろうから、孤児院に迷惑の掛からないようお暇を頂くに限る。

 

「車は寄せてあります。私もここにいるのを知られていますから、公安が黙っていないでしょう。長居は出来ませんので、15分後で支度はできます?」

「了解した。青葉特務官」

 

 あぁ、かつての彼だ。10年経ったとしても、彼の律儀な面が変わらなかったことに私は安堵した。

 

 荷支度をしている彼の周りで警備をしていると、複数の足音。どうやら、孤児院の子らが興味本位に顔を覗かせてきたのだろう。引き締めた表情の中佐に、一人の少女が声をかける。

 

「先生。やっぱり、どこかへ行くの?」

「苦労をかけるね、декабристов。年長の君が皆を助けてやってくれ」

「了解、先生」

 

 そう言い返す彼女の面影を、私は知っている。確かに似ているのだ。肩を並べて戦った事もある。そんな心情を知って知らずか……いや正確に言えば、覚えていないはずの彼女は中佐の帰りを待つ幼子のように見えるのだ。

 

「……必ず帰ってくる?」

「あぁ、必ず」

 

 その声は、きっと別れを惜しむ色を含んでいた。小脇に抱えられた一冊の本を中佐は少女に手渡す。

 

「悪戯してまで、必死に手に入れよとした本だ。俺が帰ってくるまで、預かっててくれ。いつか君の助けになる」

 

 タイトルはLament for the pass of her。女性らしい筆記体で綴られた、その本の出だしはこう書かれていた。

 

 

 

――――Verba Volant, scripta manent.

言葉は飛び去るが、書かれた文字は留まる。

例え、記憶と言うものが水底に沈んでも。

ここに至るまでの航跡は、きっと誰かが見ていてくれた。

その航跡をここに記そう、私たちの慟哭を――――

 

 

 

 覗き込んだ私にとっての既視感。この本の正体はと尋ねようとすると、彼は恥ずかしそうに目を泳がせた。

 

「さて、行こうか青葉」

「キーアイテムを残して去るNPCにでもなったつもりですか?」

「さぁな。ただの感傷だよ。それは」

 

 隠れ家の出口から二人は身を躍らせる。マズルフラッシュはなかったが、対象が逃げたと追手には分かるだろう。

 

 土手を駆け下り、部下の用意した車に身を躍らせる。久しぶりの運動なのか、息も絶え絶えの中佐に声を投げる。彼は嗤って返した。

 

「娑婆の空気はいかがですか? 中佐」

「最悪だろうね。こんな逃避行は横須賀以来だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 決して思い出せないはずの記憶。その残滓が束ねられた本から、光が溢れるように見えた。残された少女は知らないはずの記録を捲る。もう手の届かない過去を求めて。

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