艦隊これくしょん~鶴の慟哭~   作:エーデリカ

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序章 来世で会いましょう

 ――――きっとこれは、夢に違いない。こんなにも鮮やかな現実があるものか。そう、私は思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さすがに寒いわね……頼んだわよ。虎徹」

 

 時期が悪かったのか、身を刺すような寒さが続く。赤道上の最前線であるが、多少はマシなのだろう。それでも黒で塗りつぶされた海上というものは、皮膚を凍てつかせるには十分であった。それが実際には、殺気に身の毛がよだつとも言えるのだろうが。

 

 焼き破られた羽織を叩きつつ、遠方を見やる。筒型の格納庫から取り出した艦載機を一矢。頼みの綱の零戦部隊が変化し、飛び出していく。

 

「無電にノイズなし、現状報告。大破艦が複数。また、燃料弾薬の消費が激しい状態です。少佐、艦隊旗艦として撤退を具申しますが」

『――――分かった。現状の戦果で十分と判断する、直ちに帰投せよ』

「了解、これより本艦隊は……」

『――――司令部施設より入電。主力艦隊に向けて、敵機動部隊。ならびに鬼級・姫級の侵攻を確認。哨戒網の途絶時間より逆算。推定速力30ktと思われます!』

 

 報告に割って入った情報に、歯噛みする。高速の艦娘で統一された艦隊とはいえ、損傷を負ったこの状態では追いつかれるのには時間の問題。まして足回りの悪い損傷艦を抱えては、味方の基地航空隊の行動半径に辿り着く前に会敵するだろう。

 

 逃げ切れない。そして戦う資源もない。被弾すれば轟沈する被害状況。爪を齧りながらも答えを出す。裾を翻したのと、待機していた艦載機を展開したのはほぼ同時だった。インカムに叩きつけるように、声を張り上げる。

 

「旗艦瑞鶴より、艦隊各員へ。これ以上の継戦は不可能である。泊地まで全速で後退せよ。予定通り、択捉(511Sq)戦艦部隊が支援砲撃を行う。殿は本艦が務める。繰り返す、各艦は泊地まで全速で後退せよ」

 

 言うが早いか、踵を返すと同時に機銃の一斉射。鏃を模した敵艦載機を、蜂の巣にする。爆炎が煌めくよりも早く増速。操りきれる物量の全力をもって、敵艦隊の侵攻を食い止める。

 

「瑞鶴さん、退かないんですか!? 交代の長門さん達が来ます! 瑞鶴さんだって、その損傷じゃ、航行に支障が……」

「だからよ。長門の部隊は大艦巨砲主義みたいなもの。敵航空隊の足止めできる子がいないの。貴方達が逃げ切れるまでに必要な稼ぎは、二時間弱。それくらいの鬼ごっこくらいできるわよ。全力で護ってあげるから」

 

 只の虚勢だ。スクリューが悲鳴を上げる程度には被弾しているし、航空隊の損耗も激しい。袖口を鮮血で染めるくらいに、先陣をきって戦い続けているのは他ならぬ私自身だというのに。

 

 水面を揺られつつ、力を喪った艤装。血は止めどなく流れ出し。そもそも既に感覚はなく、五体満足すらも自分では分からない。

 

 艤装転換に要する時間の都合で、甲種第二改装を済ませていないのも問題だ。航空母艦瑞鶴としての真価を、発揮しきれていないと言っても良い。試製のカタパルトはまだ不完全であるが、才覚で補ってきたのにも限界がきている。自身の調整よりも、大規模作戦への参加を優先したのが、ここにきて落度になるとは私ですら考えなかった。

 

 そのツケを払わされる形で、私が殿を務めると言うのだから嗤うことしかできない。

 

 結果的に間に合った長門には、全力の鉄拳制裁を喰らう訳だがこちらのバイタルをもうちょっと労わって欲しい。

 

 もちろん入渠を後回しにされるレベルで、呼び出しを食らうことになるのだが。

 

「遅れて申し訳ありません。523航空戦隊、瑞鶴。出頭致しました」

 

 時間よりやや遅れて、司令部の入口に立つ。血みどろの姿に驚愕し、慌ただしかった会議室の空気が凍る。最低限の止血はしているから、厳かな赤色の絨毯に染みができるくらいだろう。まるで、圧迫面接だ。長方形に組まれた机を前に、私は直立して返事を待つ。

 

「瑞鶴。お前の考えは、もう少しマシにならんのか。いくら借り物の司令部とはいえ、掃除する側には面倒だぞ」

「……入渠の時間くらいは頂ければ、万全にして伺いますが? 長門さん」

「そう言うと思ったよ。お前は」

 

 窓際に腰掛け、いわゆるお誕生日席(・・・・・)に座る艦娘。北方艦隊を束ねる長門が、離れた私にでも分かる位の溜息をつく。彼女の傘下にある部隊の武蔵は、その態度を茶化すように投げかける。

 

「長門よ。気を張るのも良いが、今の艦載機部隊が攻勢に耐え切れんのは事実だ。練度の問題もある。だからこそ司令部は、露払いに機動部隊をと言ったのだ」

 

 何から切り出そうと瞑目した長門は、重々しく口を開く。

 

「瑞鶴。もともと佐世保(543Sq)にいたお前たちを、横須賀(523Sq)に異動させた理由は分かるか?」

「……一航戦の後釜って話は聞いてますが?」

 

 現状、空母機動部隊で双璧を成すのは一航戦である赤城と加賀。悔しい事に、彼女らには到底実力は叶わない。最初は横須賀への栄転かと思えば、待っていたのは大先輩からの猛特訓。とんだ外れくじを引いたものだ。

 

「赤城、加賀。彼女たちを即応的に動かしたい司令部は、後継として搭載数の多い五航戦を指名してきた。数ヶ月前と聞いているが……赤城、進捗はどうなんだ」

「そうですね……うまくはやれていると思います。加賀さんがしごいていますから」

「……自衛ができるまでで精一杯。エアカバーや粗が立つ面は矯正できてないわ」

 

 加賀さんが言うことに否定はできない。むしろ失態をオブラートに包んで言われている分、気を使われている自分が情けない。

 

「それで。長門さんは、成果の出せない五航戦にいちゃもんでもつけたい訳?」

「そういうことを言いたいのではない。雲龍型の配備も順調に進んでいる。五航戦の抜けた佐世保(543Sq)。手薄だった日本海側にも、舞鶴に機動部隊の設置が可能になった」

「あとは五航戦――特に、お前の方だ。はねっかえり(・・・・・・)をどうにかしなければと、少将は頭を抱えていたらしいじゃないか」

 

 長門の言葉を継ぐように、控える武蔵がくつくつと嗤う。今の上司は可もなく不可もなくという私的な評価だが、腫物扱いをされている自覚はない。偉い人というのは、現場には分からない力比べをしているとも聞くが。今回の呼び出しも、その結果なのだろうか。

 

「それで、司令部はなんて言い出したの。次の作戦から外れろって言いたい訳?」

横須賀(523Sq)の五航戦。いや。翔鶴が落伍した今、正確に言えばお前には敵部隊の誘引を任せることになる」

「……体のいい厄介払いってことね。進言したのは長門さん?」

択捉(511Sq)は。いや、うちの少佐は横須賀の決定には口を挟まないと言っているんだ。北方艦隊の旗艦と言えど、逆らう訳にはいかないからな」

 

 苛立った長門の瞳から、鋭い光が差す。その顔から心身共に疲弊し、ただ悪戯に沈めてしまうのだろうかという疑念が読み取れた。私からしてみれば、余計な世話であるのだが。

 

「今回の作戦。我々主力部隊のラバウル上陸まで、機動部隊の全てを犠牲にするわけには行かない。これは、私も同意した。赤城、異論はないか?」

「523航空戦隊旗艦としては、司令部の決定に従うだけです。もちろん、翔鶴と瑞鶴へのフォローはさせて頂きます。航空隊の早期育成と機動部隊の増備なくして、この戦争には勝てません」

「それも重々承知している。下がっていいぞ、瑞鶴。無理をさせて悪かった、修繕に努めてくれ」

「……了解しました。失礼いたします」

 

 壁を背にへたりこんだ私。口角が不自然にも上がるのが分かる。胴着を赤く染める鮮血は、私自身の熱のようだ。対して他人事のように、頭の中は澄み渡る。そんな脳裏には、厳かさを体現したかのような長門の声が響く。

 

「いつまで、かつてのお前(ずいかく)を追い続ける? 無理を通して得られたのは、やせ我慢だけか? 瑞鶴」

「言いたい事はそれだけかしら? 長門。先輩方が機動部隊の誇りを旨とするように、私には囮としての矜持しか残ってないのよ」

 

 私の目は、馬鹿にするなと怒りに燃えているだろう。痙攣を始める両足を、奮って立ち上がる。

 

「まだ説教を続けるつもり? 囮になって、死んでこいって話だったっけ? 長門」

「お前と言う奴は相変わらず……」

 

 私自身がこんな風に変わってしまったのも。というよりも、快活な瑞鶴(・・)という艦娘としてのデフォルトから逸れ始めたのは、ひとえに迷彩柄を着込むに値するかの自責に囚われるかどうかか。

 

 これが別の瑞鶴(・・・・)であれば、子どもらしかったあの純粋さが輝くのだろう。残念ながら、私にはとうに失われているのだろうが。

 

「死んでこいとは言わん。出来る勤めだけを果たせば良い。互いにそれだけだろう、瑞鶴」

「分かったわ。時間稼ぎ位はできるわよ。でも私以外に損失を出す訳にはいかない。それで構わない?」

「お前がいなくなったら、誰が翔鶴を止められると思う。生きて帰って来い」

「肝に銘じておくわ……って、ちょっと武蔵!? 離しなさいってば!」

「五航戦の無茶振りは、艦隊でも屈指だからな。それに馬力でお前と張り合えるのが、私と大和ぐらいだ。大人しくしていろ。私もからかう相手がいなくなるのは惜しいからな」

 

 軽々と上背のある武蔵の肩に担ぎ込まれる。貧血か緊張の糸が切れたのか、体はまったく言うことを聞かなくなる。

 

「割り切るしかないのだ、瑞鶴。この戦。我々は……」

 

 長門の呟きは、最後まで聞こえなかった。後ろ手に扉を閉めた武蔵が、ニヤリと嗤う。

 

「……ねぇ武蔵。後は任せて良いかしら?」

「縁起でもない……啖呵を切った通りに沈む気か? 瑞鶴」

「ようは囮の任務を果たしたって所で、撤退命令が出るまで生きているとは思っていないのよ。翔鶴姉ぇはドックにいるから、巻き込まなくて済むのがありがたいけど……って冷たッ!」

 

 武蔵は埠頭に腰掛けた瑞鶴に、ドックから拝借してきた修復材をぶちまける。こんな雑でも、傷が回復するのは便利なのか。それとも不幸であるのか。説教の最中でも燻っていた修繕措置がみるみる進んでいく。

 

 同時に催す、吐き気のような感覚。不快を飛び越えた、身の毛のよだつような錯覚。

 

 突如として、明晰夢のように視界がぼやけ始める。目の前にいたはずの武蔵の顔すら分からなくなる。寝落ちするような感覚に近いだろうか。微睡みの沼に滑り込む前に、私が(・・)呟いた。

 

「悲しいことでもない。寂しいことでもない。だから……来世で会いましょう」

 

 その宛先は誰に向けてか。この泡沫の記憶にすら、確かめる術がないのだ。

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