次からはどんな話にしようかなあ。
長月が卯月に挑み、そして破れたレーンへと到達する。ゆっくりと水に浸かり、顔と頭を満遍なく濡らす。幾度か水中で手を動かし、水を蹴ってみる。自分の命じた通りに手足は水を掻き、波を起こす。
問題はない。
いつもと違うプールだからといって、何も変わらない。水泳帽を深くかぶり、ゴーグルをきつく締める。息を止め、一旦プールの底まで潜り、そして底を蹴って水面へ浮上する。それと同時に、大きな水柱を立てて卯月が隣のレーンに飛び込んできた。
「ふっふーん、なかなか本格的な装備をしてるぴょんね。でも菊月、そんな程度でうーちゃんに勝てるほど甘くはないぴょんっ!」
「……結果で語るだけだ……」
どうやら、『俺』よりも『菊月』のスイッチが入ってしまったようだ。考えてみれば、『菊月』にとっては姉妹と戯れ合うことも競い合うことも碌に無かったことだ。逸ってしまうのも仕方のないことだろう。
「だが、負ける気は無い……!」
ならば、『俺』は『菊月』の願いを叶えるだけだ。競いたいと願うなら全霊で。勝ちたいと願うなら全力で。菊月の意思と俺の意思が交差し、混じり合い、高まり合う。目を開き、目線を下げる。青い水面には、赤い瞳に映えるような赤い雷光が
「あ、あのー菊月?ちょっと本気を出しすぎぴょん?」
「……当たり前だ……」
振り向いた拍子に、全身から
「では、位置に着いて!よーい――どんっ!」
如月の言葉が終わるや否や、全力でプールの壁を蹴り泳ぎだす。一旦底まで突き進み、ゴーヤ仕込みのドルフィンキックで距離を稼ぐ。どん、どん、どん、とリズムよく水を蹴り、まるで深海から飛び出るかのように水面へ。
「……っ!」
一瞬だけ息を吸い、両手を回す。頭の先から身体の横を通し、下腹部を経由し身体の後方へ。S字を描くように水を掻けば、ひと掻きひと掻きごとにぐんと距離が伸びる。初めて水に落ちた時からは想像もできなかったような感覚が全身を貫いている。
――久しく感じていなかった、純粋な喜び。即ち、『もっと遠くまで行きたい』という、
「……む。もう終わりか……」
気付けばプールの反対側に到着していた。卯月はいまだ四分の三辺りを泳いでおり、
「ぷっぷくぷぅ〜!負けたぴょ〜ん!」
「……二着じゃないか、卯月。おめでとう……」
「うぅ、菊月が嫌味ったらしいぴょん」
小さく恨み言を発する卯月を放り、プールサイドへと身体を引き上げる。自分が登れば卯月へ手を差し出し、伸ばされる柔らかい手を掴みぐいっと引っ張る。プールの外に出終われば、審判をしてくれた如月と監視を引き受けてくれた加賀に礼を言って浅いプールへと歩き出した。
「しっかし、菊月もよくやるぴょん。あれだけマジになられたら勝てるわけないぴょん」
「だが、勝ちは勝ちだろう。卯月、勝負前の約束は違えるなよ……」
「うっ。うぅ〜、うーちゃんのデザートが一ヶ月もぉ〜」
「一年、と大口を叩いていたのは誰だっただろうな?まったく、これに懲りたら調子に乗るのは大概にしておけ……」
丁度良い機会、という訳でもないが卯月に説教をする。そもそもこの性格に反して戦場での油断とは無縁の彼女だ、これも説教の体をしたじゃれ合いですらある。言葉上は怒られていながらも屈託無く笑う卯月を眺めながら、
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しんと静まり返った、鎮守府の中。その中でも特に今夜静かであるのが俺達睦月型の部屋だ。如月も卯月も長月も三日月も、遊び疲れて泥のように眠っている。先程トイレへ立った際の感想は、他の駆逐部屋も似たようなものだということだ。
「…………むぅ」
寝返りを打った際に、髪が広がる。如月に頼んで念入りに手入れした髪は、数日前と比べると少し柔らかさを取り戻している。傷んだまま放置するのは、『菊月』はともかく『俺』にとって許しがたい。また気をつけて洗わねばと思う。
「……くぁ……」
小さく漏れる欠伸に、どうやら
「……そう、だな。海へ行きたい……。きれいで、おだやかな海へ。みんなと、遊びに。遠くに……」
意識に霧がかかってくる。『俺』と『菊月』の双方の、意思がぼやけて沈んでゆく。最後の最後まで残り続けたあの感情、それが眠りに落ちる寸前に弾けて青く美しく、そしてどこか寂しげな海と海岸のビジョンへと変化した。それをどこか懐かしく思いながら――
「…………っ、おや、すみ……」
菊月わっしょい。