あれは嘘じゃ。
時刻は真夜中――よりも、それなりに経ったころ。狭く壁の分厚い部屋の備え付けの固いベッドの上で、
「……ん、む。……日の出の、少し前ぐらいか?」
時計を見ると、時刻は深夜三時半を少し回ったぐらい。何もすることが無く昨夜も早く寝たからだろうか、このままもう一度ベッドに横たわったとしても再び寝るには手間が掛かりそうだと感じる。何より、そんな気分ではない。
「……甲板に上がるか。……上着は……無くて良いか?……いや。一応着て行こう……」
ベッドから床に飛び降り、制服に着替えてから少し大きめで分厚いカーディガンを羽織る。薄い灰色だがデザインが綺麗なこれは、ドイツでビスマルクと共に出掛けた際に買ったものだ。そのまま靴を履き、ゆっくりとドアを開ける。照明の付いた明るい夜の廊下が、なんとなく心を弾ませた。
「……そう、だな。上がる前に、水を飲んでからにしよう……」
甲板へと向かう足をくいっと曲げ、談話室へ入る。扉の側に付いている照明の電源を入れると、数度明滅した後明かりが灯る。そのままゆっくり備え付けの冷蔵庫まで歩き、扉を開きお茶のペットボトルを探す。「菊月」と名前を書いたそれを引っ張り出し、一口だけ飲んで椅子に座った。
「……しんと静まり返った、深夜の談話室か。……ふふ、なんだか、わくわくしてくる。……いかん、子供っぽいな……」
『菊月』から流れてくるわくわくに流され、『俺』も同調し椅子から垂れ下がった足をぶらつかせる。蓋の開いたペットボトルを両手で持ち、口をつけて傾けると冷たいほうじ茶が流れ込んでくる。飲み下し、ふぅっと一息。ペットボトルをテーブルに置き、その横に置いてあったトランプの箱を弄ぶ。手を滑らせて机に落ちた箱から、零れ落ちる数枚のカード。慌てて仕舞って箱を元どおりに直した。
「……うむ。楽しいが、目的を忘れてはいかんな……」
ペットボトルに蓋を閉め、それをカーディガンのポケットに突っ込み椅子から降りる。電気を消し、扉を閉め、かつんかつんと足音を立ててタラップを登り、甲板へ通じるドアを開ける。瞬間、吹き付ける潮風に目を瞑り、そして開き――
「…………!」
日の出の前、朝と夜の境目にしか現れないその海。明るみかけた空には無数の星が瞬き、目を向けた瞬間ちょうど一つ流れ星が落ちる。それに従い目を落とせば、一面に広がる海は穏やかに波打っている。島一つ、岩礁一つないその海は文字通り空と一つに融けるよう。
――
空と海、交わることのないその二つが綺麗に融け混じり合い一つになる唯一の時間。
『菊月』が嘆息し、俺が感傷する。
「……私は――」
甲板のへりまで歩き、手摺に凭れかかる。ふぅ、と一息。どくん、どくんと
「……っ」
反転、そのまま船内へ駆け込みタラップを駆け下りる。そこで足を止め、足音を殺しながらゆっくりと歩き今日の夜番をしている武蔵の部屋へ踏み入り、
「……武蔵、敵艦だ。数は一、恐らく軽巡か重巡だろう。……全員を叩き起こす必要はあるか?」
「――何かと思えば菊月か。探知機にも反応が無い距離だが……なるほど、甲板に出ていたのか。敵は進行方向に居るのだな?」
「ああ……。恐らく、奴が移動するよりも先に航路がぶつかるだろう……」
二言三言静かに交わし、武蔵の顔を伺い見る。暫し黙考した武蔵は、目を開くと此方へ向けて、
「私が指揮を執る。頼めるか、菊月」
「勿論だ……」
「深海棲艦が複数体現れたなら、すぐに無線で連絡を入れろ。艤装だけは全員分用意しておくが、そうなれば少し出撃が遅れるものと思ってくれ。いけるな?」
「ああ。任せておけ……」
言葉少なに返事を返し、少しの打ち合わせの後部屋を出る。
「……砲と、機銃。魚雷と……後は、そうだな。どうせなら全て積んで行くか……」
ずしりと全身に伸し掛かる艤装の重みを感じつつ、最後に羽織ったカーディガンを畳んで棚に置けば準備は完了。保管庫から出て甲板へ上がり、そこに立っていた武蔵に鍵を渡す。甲板のへりの手摺に足を掛け、力を込め――
「菊月、出撃する……!」
そうして、
さて、菊月(偽)はどこまで続くのか。というか続けるのか。