私が菊月(偽)だ。   作:ディム

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混じり合う海の中で、後編

甲板から飛び出ると、真っ先に感じたのは浮遊感。ふわりと宙に浮く感覚とともに、ひらりとスカートが翻る。その端を抑えつつ、浮遊感が引力へと変わる瞬間を実感し着水する。菊月()の体重に比して、ぱしゃりと上がった飛沫は少なく小さかった。

 

「…………っ」

 

大きく息を吸い込む。冷たく沈む潮風が肺を満たし、少しだけぼうっとしていた頭を覚醒させた。両足に均等に体重をかけて、前傾姿勢を取る。白波を立て滑り出す菊月()の全身からは、いつの間にか深紅の気焔(オーラ)が溢れ出していた。

 

「……捕捉した……」

 

きゅうっと意識が敵艦に集中し、その姿が鮮明に見え始める。敵は矢張り軽巡級、艦種はシルエットから判断するにヘ級だろう。異形の下半身から伸びた上半身と不気味な白い仮面の怪物が、ゆっくりと海を進んでいる。そこへ、

 

「……っ、沈め……」

 

発砲。

引き鉄を引くと同時に響き渡る砲音に此方の存在を察知されるが、構うことはないと感じる。ヘ級が此方を向くのと同時に、発射した砲弾が彼奴の下半身に命中した。

 

「オオオォォォォオアアア!!」

 

甲高い絶叫と野太い咆哮、弾痕を抑えながら異形と人形の異なる口からそれぞれ叫び声を発するヘ級の近くへと身体を滑らせる。二射目を放とうと単装砲を構えたところで、黄金色の炎を燃え立たせるヘ級のがらんどうの目と視線が交錯した。

 

「……砲撃か。なら……」

 

ヘ級の下半身、異形の口からぼこりと生えた砲塔から放たれようとする一撃。いつもなら斬り払うか、跳躍するかといったそれを前にして、嫌に落ち着いている自分自身に気付く。しかし、それを疑問に思う間もなく砲弾が放たれた。

 

「…………?」

 

腰の『月光』に手を伸ばそうとして――彼奴の砲弾、それが描くであろう軌跡を幻視した。爆音と共に放たれ、極僅かな放物線を描きつつも真っ直ぐと菊月()に向けて飛来し着弾する軌跡。それは、『菊月』と『俺』の――艦としての『菊月』の記憶を、『俺』が今までに積んだ経験が利用しているものなのだと理解した。

 

「……ならば」

 

大きく跳ねるのでも、『月光』を抜くのでもない。単装砲を構えつつ、その軌跡を避けるように僅かに身体を逸らしつつ直進する。果たして、砲弾は俺が幻視した通りの軌跡を辿り、菊月()を捉えることなく海へと沈んだ。それと交錯するように、再度一発。砲撃後の隙を晒すヘ級の下半身に、再度弾痕を撃ち刻んだ。

 

「グゴォォオォオァァア!?!?」

 

「……これは、なんだ……」

 

怒りのままに、憎悪の炎を滾らせるヘ級。その右腕に備えられた砲門も開き、下半身の砲塔と斉射を仕掛けてくる。今度もやはり、ごく自然にその軌跡が読めた。腕から撒き散らされる爆雷は、菊月()の退路を断つ様に上空へ散布されてから周囲へと散らばる。そこを速射砲で狙い撃ちにする。その、深海棲艦の意図の全てが視える。

 

「……そこだっ……!」

 

ならば、律儀に付き合う必要もない。ヘ級の動きに合わせ、狙いをつけた単装砲を一発。爆雷が放たれる寸前の右腕に砲弾は着弾し、黒光りする破片を撒き散らしながら爆散する。手応えはある。もうもうと上がる爆煙に遮られてはいるが、彼奴の右腕は吹き飛んだに違いない。

 

「グオ、ゴゴォォォオ!!」

 

右腕への一撃で態勢を崩していたヘ級が、強引に此方へ砲塔を向けながら発砲する。避ける必要もない、乱雑な一撃。どうにか此方の方だけは向いていたもののお粗末な照準で放たれた砲弾は、菊月()の遥か手前に着弾し大きな水飛沫と波を上げた。

 

――まだだ。

 

口の奥でだけそう呟き、壁の様に立った波の向こうのヘ級に照準を合わせる。動きを一瞬だけ止め、砲弾を放つ。波の壁をたやすく撃ち抜いて飛翔した弾丸は、またも彼奴の下半身に孔を穿った。

 

「……」

 

続けてもう一発撃ち込み、身体一つ分だけ左に滑る。直後菊月()の真横を通り過ぎて行った速射砲の一撃に、髪を揺らめかせる。揺らめかせながら単装砲と魚雷、機銃、そしてロケットランチャー、積んだ艤装の全ての撃鉄を起こし、目標へ向けて放つ。

 

「……運が、悪かったな……」

 

直撃。命中したロケットランチャーの弾頭が紫色の海を俄かに赤く染め、そこに襲い掛かる酸素魚雷と単装砲が敵をこなごなに撃ち砕く。最後に手を伸ばしていたヘ級の上半身、人型の部分にしこたま機銃を叩き込めば、孔だらけになったヘ級だったものは完全にその動きを停止させた。

 

「……しかし、これは。『菊月』の記憶なのか……?」

 

単装砲と機銃をそれぞれマウントし、両手を上に向けて二三度閉じたり開いたりする。柔らかそうで小さく可愛らしい手がぴこぴこと動くのは見ていて飽きないが、それとは別のところへと意識を潜らせる。

 

確かに、『俺』は艦娘として……菊月として、経験を積んだ。ある程度の敵弾予測も出来るし、行動を先読みすることも不可能ではない。しかし、それはあくまで『俺』が積んだ経験だ。素人が、訓練を受け、『菊月』の身体頼りに築き上げたもの。

決して、先ほどまで感じていた様な全能感をもたらすような、言うなれば歴戦の強者の経験に裏打ちされた技術などでは無い筈だ。『俺』は俺なりに強くなった。だが、それとは何か根本的に違う気がする。

船としての『菊月』の記憶を『俺』の経験が使っている、とは理解したものの、むしろ逆のような気さえしてくる。ならば、あの感覚はやはり菊月の――

 

『――い!おい、菊月!聞こえているか、菊月!』

 

ノイズ混じりの通信が、俺の思索を断ち切る。はっとして省みれば、武蔵からの無線を完全に無視してしまっていたことに気づいた。

 

「……すまない、景色に見惚れていた。敵艦は沈めたぞ」

 

『知っているさ。沈めたというのにその場から動かないものだから、何かあったのかと心配になってな』

 

「……すまない、すぐに帰投する……」

 

武蔵と会話を交わし、無線を切り反転し輸送船へと滑り始める。一度だけちらりと振り返り見た水平線には、未だ太陽は昇っていなかった。




ねむいです。

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