――ゆっくりと、私の目に吸い込まれるように落ちてくる爆弾。その向こう側に憎らしく佇む一機の黒い艦載機を認識することで、私が今からどうなってしまうのかを理解した。……理解して、しまった。
「――あ」
ここは魔の海、W島海域。『
なのに、どうして?
理由など分かりきっている。あったのは、たった一瞬の油断だったのだろう。それ故の、この結末。未来は変えられず、
「ごめんね、睦月ちゃん」
口から漏れたのは困惑でも恐怖でも、執着でもなく――優しいあの子への、謝罪だった。覚悟なんて出来てないけど、どうしようもない。諦めだとか、そんな感情を浮かべる暇もない。
それでも二度目の死だけは受け入れてしまった、そんな私に身体を動かして逃げる時間なんて無く、『私』を終わらせるために接近する一発の爆弾が、
「―――ぉぉおおおああっ!!」
――絶望を斬り裂くような凜とした咆哮とともに、私の眼前で両断されて砕け散った。
「きゃあ……っ!?」
咄嗟に目を瞑った私が感じたのは、圧倒的な爆風と熱。自身のごく近くで炸裂した爆弾の威力は至近弾なんてほどではなく、しかし
「っ、何なのよ……!?」
ぐわんと揺れる頭を押さえつつ、しかし薄眼を開けて警戒だけは続ける。退避しようと足に力を込めた瞬間に吹き付ける海風、それに爆炎と煙は掻き乱され散らされる。漸く目を開けて見たその向こう側には、異形の艦載機も爆弾もまるで最初から居なかったかのような綺麗な青空が広がるだけだった。
「これ、は? ――っ!」
暫く呆然としていたけれど、はっと思い直す。あの時聞こえた声も、爆弾を両断した何かも、全て一緒に出撃した仲間のものとは違う。ならば、誰が。弾かれるように背後を振り返った先には、
「……きさ、らぎ」
長く伸びた白い髪、所々焼け焦げた黒い服、端の千切れた白いマフラー、そして赤い目と――全身から沸き立つ
「……作戦中だ、気を抜くな……。戦場での、油断は、死に繋がるぞ……けほっ」
疲労困憊といった様子で、しかし口うるさく此方へ注意をしてくるその少女。彼女の持つあらゆる要素が彼女を『
主張しているのに――私にはどうしても、彼女を敵だと思うことは出来なかった。
「そうね、あなたの言う通りだわ。ごめんなさい、そして――ありがとうございます。あなたのおかげで、私は沈まずに済みました」
「……構わない。私の目的が、それなのだからな……」
そう言って、眼前の彼女はくすりと僅かに――ほんの僅かに微笑んだ。同時に、纏う炎がゆらりと揺らめく。その真紅の炎に不安を掻き立てられ、やはり深海棲艦なのかと彼女の姿に目を凝らせば意外なものを見つけることが出来た。
「あなた、もしかして睦月型なの?」
彼女の腰に巻かれたベルト、そこに燦然と輝く三日月型のバッジ。他でもない私がそれを見間違える筈もない、陽を受けて輝く月の意匠は睦月型だけが持つものだ。
「よく見ればその服も、望月ちゃんが着てるものとそっくりだし。となると、やっぱりあなたも私の妹なのね」
「……どう、だろうな。そもそも私は艦娘なのか……」
僅かに俯く彼女。しかし、それを気にする時間もなく彼女はすぐに顔を上げる。その目に燃える光は変わらずに真っ赤なままで、しかしそこに浮かぶ感情は強い決意へと変わっていた。
「……いや、私が何であるのかなどどうでも良い。……済まないな如月、ここでお別れだ」
「あら、どうして? 一目見て分かるぐらい、あなたは疲れ切っているじゃない。一度鎮守府へ――ああ、あなたは分からないかも知れないけれど――帰投しましょう。でないとあなた、きっと倒れちゃうわ」
無理を我慢して押し通そうとしそうな顔をしているもの、という言葉は辛うじて我慢し、彼女へ近づき手を差し伸べる。しかし、眼前の彼女は少しだけ申し訳無さそうな顔をした後に私の手をやんわりと拒否した。
「ありがとう、如月。……だが、私には余裕が無いのだ。まだあと一つ、しなければならないことが残っている……」
「しなければならないこと?」
言葉をそのまま繰り返せば、数瞬の間困ったような顔をする彼女。二、三度口を開けては閉じ、そうして意を決したようにこちらを向いて、彼女は口を開いた。
「……『私』を、救う。何もしなければ、たった一人で錆び付き朽ち果てる定めにある――『私』を」
言い終わるや否や、彼女はくるりと身を翻した。全身から溶けるように染み出している炎の勢いが、更に強くなっている。そのまま踏み出そうとして、彼女は唐突に立ち止まった。私へ背中を向けたままの彼女から、微かに声が聞こえる。
「……もし、私が『私』を救えたとして。そうなったならば、いずれ出会うこの世界の『私』と仲良くしてあげてくれないか。――『私』は、寂しがりなのでな」
「……ええ、分かったわ」
「……ありがとう、如月」
それっきり、彼女は振り返ることなく走り去ってしまう。見る見る小さくなる背中と相反するように、私の背後からは一緒に出撃した仲間達が近付いてくるのが分かった。
――さようなら、菊月ちゃん。
確証なんて無いけれど、ごくごく自然に心の底から湧きあがった名前を呟く。いつかどこかで私を助けてくれたであろう彼女の背を見送りながら、私は――私もまた、彼女に背を向けたのだった。
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