あ、あとこれで200話でした。
朦朧とする意識の中、引き摺られるような感覚だけを頼りに海を駆ける。踏み出すごとに削れてゆく体力を振り絞り、魂を奮い立たせながら必死に目的の島を目指す。
「……『私』が、いつ、沈んだか……けほっ。それだけでも描写されていたら、また違ったのだがな……っ、ぅ」
あまりの疲労に足がもつれ、顔面から海へ倒れ込みそうになる。そうなって仕舞えばあとは沈むだけだろう、残された力を必死に総動員し耐えればどうにか命の危機をやり過ごすことが出来た。
「……まだ、遠いのか?それとも、もう少しなのか……」
足がもつれた序でに、少しだけ立ち止まって息を整える。徐々に削れて行っている魂では既に目的地との距離を測ることも出来ず、今となってはもうぼんやりと感じる彼の地の『彼女』の存在を頼りに只管
「……如月の為とはいえ、急き過ぎたか……?」
鎮守府からW島までの全力疾走に加え、深海棲艦の一段との戦闘に球磨とのやり取り。加えて此処まで走ってきた身体と心は既に限界で、叶うならばどこかに腰を落ち着けて眠りたいところだ。
そんなことを考えながら顔を上げる。
「……あれは」
仮初とはいえ『菊月』の姿を模している
「はは、どうにか保ったか。なら、あとはこの世界の菊月を待つだけだ――」
――しかし、海もこの世界も、そこまで甘くは無いらしい。
「な……っ!?」
突如として俺の眼前に浮上してきたのは、赤い単眼を光らせ此方へ敵意を向ける駆逐ハ級
「……く、うっ……!?」
数瞬遅れて、その突進から逃れるようにサイドステップ。
「……な、かはっ……!」
一溜まりもなく吹き飛ばされ、くるくると宙を舞いつつ海面に激突くる。全身に走る痛みを噛み殺してなんとか立ち上がれば、俺の視界に映ったものは再度此方へ突っ込んでくる異形の姿だった。
「くうっ……!」
「ゴォアァァァァア!!?」
ぞくりと走る悪寒に従うように、狙いもそこそこに構えた単装砲を連射する。彼奴の肌を削るだけの弾丸に混じり、いくつかの砲撃はハ級の胴体へ突き刺さった。そこから青黒い
「……逃げられん、か。今の私では、彼奴を引き離せん……。しかし、正面切って戦うだけの力もな……」
背を向けることも出来ず、持久戦も不可能。残された手段は短期決戦だけだが、天龍の剣も喪失した今となってはそれも厳しい。
「……だが、やるしかあるまい……!」
再び咆哮を上げて此方へ接近するハ級へ向けて、真っ直ぐに構えた単装砲から砲弾を発射。出し惜しみを出来る状況でもない、同時に雷撃をも放ち敵へ攻撃を掛ける。――が、そんな思う通りに行くわけもない。
「ちいっ、ちょこまかと……!」
疲労困憊の
「――ぐうぅぅうっ!?」
咄嗟に盾にした単装砲に砲弾が直撃し、半ばからぽっきりと折れる。充填された炸薬と砲弾が単装砲の中で弾け、手元で炸裂した。膨大な熱量と砕け散る鉄の破片が、
「……っ、この……!」
「グゴォォオォオァァア!!!」
次いで放たれた二発目の砲撃を、倒れ込むように重心を移動させどうにか回避する。ばしゃりと海面に着いた手は血で真っ赤に染まっており、灼熱の痛みを感じる服の下の腹や両腕も同じ有様だと理解できた。痛みを堪え立ち上がろうとし、ふと見れば真っ赤に染まった左手には単装砲の砲身が握られている。それをどうするか、と考える暇もなく三度目の咆哮が空気を震わせた。
「……これも、足を止めた報いか……!」
痛みと熱と疲労とでがくがくと震える足に力を込め、自分を叱咤し立ち上がる。両足に込めた推力で砲撃を躱せば、そのまま足に装填した魚雷を一発放つ。反動で、がくんと膝から崩折れた。
「――――っ、これでえっ!!」
両足の魚雷発射管に命令を下し、放った魚雷に追随させるように三発の雷撃を敢行する。それが終わると同時に、最後の力を振り絞り思い切り前に跳躍する。狙うは――彼奴の憎らしい単眼。
「沈めぇっ!!」
絶叫、跳躍。放った魚雷を追い越し彼奴の鼻柱に飛び乗ると同時に、両手で握った単装砲の砲身、折れて砕けたその鉄の捻じ曲がり尖った部分を渾身の力でハ級の単眼へ突き立てた。
ずぶり、と柔らかい肉を突き破る感触。しかし、これだけで沈めることは敵わない。故に――
「グゴォォオォ!!?!??」
追い越した魚雷が、視界を奪われた彼奴の全身に直撃する。轟音と共に噴き出すエネルギーが、ハ級の身体を吹き飛ばし真っ二つにする。気付いた時には、彼奴の単眼から真紅の光は消えていた。
「っ、く……無様だな」
ずぶずぶと海面下に沈みゆくハ級の船体に身体を預け、少しだけ息を整える。彼奴の黒い皮の上に、じわりじわりと広がってゆく赤い染みに手を付いて身体を起こした。そのままハ級の亡骸を押して、反動で海を滑って行く。数分か数時間か、判然としないいくつかの時間を朦朧と過ごした後――
「――『菊月』」
赤錆色に染まった船体を見上げる。風化し昔日の面影を殆ど喪ったその船体からは、しかし今もかの船の想いが伝わって来るようで。
「――紛い物で、すまないが。……でも、少しだけ、背を預けさせて欲しい……」
どうにかよじ登った甲板に倒れこむ。頬に感じるのは無機質な錆鉄の板、それに弱音を吐こうとした途端――
「……なっ」
錆鉄の向こう側からじんわりと溢れ出す暖かさに当てられる。抵抗する間もなく、俺はその意識を手放した。
菊月。