時間があまりとれず、更新できなくて申し訳ないです。
時刻は午後六時半、ドイツに向かって出発した頃に比べると、陽が落ちるのも早くなり風は冷たくなった。冷風から逃れるように船室に逃げ込んだ
「……もうすぐだ、もうすぐ……」
船室に置いた時計や音楽プレイヤー、私物の本や枕を纏め大きな鞄の中へ。シーツを整え布団を畳み、ハンガーに掛けてあった替えの制服や寝間着を丸めてしまい込めば、大凡の荷物整理は済んでしまった。我ながら趣味のないことだ、なんて思いながら片付けたベッドの上にぽふんと腰を下ろす。そのまま、ふわぁと大きく一度欠伸をした。少しの眠たさを感じるが、隣の部屋からがんごんと慌ただしく響いてくる片付けを続けるハチのたてる物音がそれを食い止める。
「……それにしても、いざ帰還するとなるとこの船室にも懐かしさを覚えるものだ。短くない期間ここで寝起きをしたが……うむ、この静けさや狭さは逆に落ち着くかも知れぬ……」
うむ、うむと二、三度頷き、改めて部屋を見回し、己のうちに埋没する。小さなカプセルホテルの一室ぐらいしかないこの部屋に、なんとも言い難い懐かしさのようなものを感じているのは『俺』だけでなくて『菊月』も同様のようであり、二人でくすりと笑いあう。眠たさが増し知らず口元がつり上がった瞬間、こんこんこんという軽いノックの音が部屋に響いた。
「……誰だ?」
『私よ。入っても良いかしら』
「……加賀か。ああ、構わん……」
ゆっくりと静かにドアを開けて入ってきたのは、この遠征で随分と親しくなった正規空母『加賀』。その手には何も握られてはいなかったが、纏う服装は部屋着ではなく制服――胸当てのついた胴着と袴だった。
「……どうした。船内では、いつも部屋着を着ていたではないか」
「着替えた理由なんて、言わずもがなでしょう?――鎮守府の光が見えたわ」
「な……本当か、加賀……!?」
「此の期に及んで嘘を言う必要も無いでしょう?そもそも、私はその報告に来たのだから。――武蔵から伝言よ、各自荷物をまとめて談話室に置いておくように、と。菊月は――もう、纏め終わっているようね?」
うむ、と肯定代わりに大きく頷く。それを見て、加賀は少しだけくすりと笑って口を開いた。
「ならいいわ。荷物だけ処理したら甲板に出ても良い、と武蔵も言っていたし、急げば良いんじゃないかしら」
「うむ、私はそうするが……加賀は出ないのか?」
「私は船内のチェックを引き受けているから。それに、まだ片付けが済んでいない者がいれば――」
そうして加賀は、ちらりと
「――片付けが済んでいない者がいれば、その手伝いをしなければならないの。私がもう一度甲板に上がるのはその後ね」
はぁ、と肩を落とす加賀。彼女の動作からも、もう感情を読み取れるようになってきた。
「大変そうだな、加賀。……手伝おうか」
「いらないわ、仕事だもの。それより、早く出た方が良いのではないかしら?あまりぐずぐずしていると、出るより先に鎮守府に着いてしまうわよ」
突き放すような言い方だが、そこからは確かな気遣いを感じる。
「……談話室、と言っていたな……?」
部屋を出て、少しだけ歩き談話室の扉を開ける。その部屋の隅には既に三つの鞄が置かれている。その横に持ち込んだ鞄を置けば、甲板に出る前に備え付けの冷蔵庫を開けた。そこから冷えたお茶を引っ張り出し、コップに注いで一気に飲み干す。冷えた飲み物が喉を通る感触に、眠気が少しだけ覚めた。たん、と軽い音を立ててコップを置き、頭を振りつつ談話室から出る。そのままタラップを駆け上がり甲板に繋がるドアを開けると、冷たい海風が肌を突き抜けていった。
「あら、菊月。あなたも鎮守府の光を見に来ましたの?」
「ああ、その通りだ。だが……熊野、お前だけか?談話室に鞄もあったし、私はてっきり武蔵も居るものかと思っていたが……」
「武蔵は船室で鎮守府と通信をしておりますわ。まだ仕事、と言うわけですわね」
「……む、そうか……」
甲板の端の手摺に身体を持たせかける熊野の横に、ゆっくりと歩み寄る。そこから真っ直ぐに前を向けば、確かに鎮守府の沢山の窓から漏れる光が見えた。同時に、工廠や船渠の屋根に設置された見知らぬ大きな探照灯の明かりがここまで届く。照らされた直後、俺たちを運ぶ船が一度大きな汽笛を鳴らした。ゆっくりと、無数の光が近づいてくる。
「……到着、か」
そして最後に一度だけ大きく揺れて、遥か遠くの地まで
「着いたな、みなご苦労だった。積もる話も、会いたい人も居るだろうが――まずは、あそこで我々を出迎えて下さっている提督へ挨拶を済ませるのが先だ。降りるぞ」
言うや否や、武蔵は甲板の手摺に足を掛けて飛び降りる。それに倣い、
「――ヒトハチゴーマル、戦艦『武蔵』以下ドイツ支援遠征艦隊、支援遠征任務を遂行し一名の欠員なく只今帰還致しました」
「ご苦労だった、武蔵、加賀、熊野、菊月、伊8。作戦の報告は彼の国からも既に受けている。――おかえり、みんな。私は君達の帰還を、最大の喜びを以って歓迎する」
提督の言葉に、知らず知らずのうちに強張っていた身体から力が抜けて行くのが分かる。それは俺だけではないようで、ハチも熊野も、加賀でさえ小さく息を吐いていた。
「さ、色々とあるだろうし堅苦しい話は後で――いや、明日にしようか。まずは早く中に入れ、歓迎の準備が出来ている」
そう言って、身を翻し鎮守府へ向けて歩き出す提督。俺達はその後に続き、懐かしい道を歩き始めるのだった。
次回再開。