私が菊月(偽)だ。   作:ディム

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決着。


決着

いつの間にか凪いだ海の上、波もない穏やかな海に菊月()達は立ち尽くしている。空を見上げれば、ゆるやかに流れる雲に消えてゆくように、全身から立ち昇った黄金の気焔が揺らめいていた。空の色は紅色、もうすぐ日が沈もうという色だ。

 

「任務は終了した。が――本来やるべきだったことが、まだ終わってはおらぬ」

 

言いつつ振り向く。ばちばちと雷光の迸る目線を向けるのは、島の端、岩肌に覆われた岸壁……そこに倒れ伏していた(・・)飛行場姫。それはいつの間にか身体を起こし、窪んだ岩に座り込んで此方を見つめていた。

 

「……貴様がおとなしくしているとはな」

 

「弱っているから――という訳では無さそうです。油断はしません、菊月、全員で仕留めますよ」

 

ああ――と頷こうと神通へ視線を向ける。その時、座り込んでいた彼奴がおもむろに立ち上がった。その真紅の瞳は、やはり俺へと向けられている。

 

「――キクヅキ」

 

開かれた彼奴の口から飛び出した言葉は菊月()の名前。困惑しつつ、意識もはっきりとしていないような飛行場姫の言葉の続きを待った。

 

「私ハ初メ、貴様ヲ憎ンダ。コノ海ノ外レ、ツラギデ貴様ニ我ガ腕ヲ落トサレタ時カラ。ソレカラ私ハ、貴様ヲ追イ続ケタ。一度目ハ憎シミカラ、二度目ハ――恐ラク憎シミト、ソレ以外ノ何カモヤモヤトシタ感情ノママニ。三度目ハ、貴様ノ仲間……姉ニヤラレタ。ソコカラ四度目、異国ノ海デ貴様ニ斃サレ、五度目ハアノ戦艦ニ斬ラレ――」

 

そう言って、飛行場姫はその目を閉じた。何かを噛み締めるように言葉を紡ぐその姿は、深海棲艦とは思えないほどに落ち着いている。静かに目を瞑った穏やかな表情を保ちつつ、彼奴は目を開き、

 

「――ソシテ、今。モハヤ我ガ嘗テノ憎シミハ消エテイル。イヤ、消エテクレタト言ウベキカ。深海棲艦トシテ生マレタ、ナニカヲ憎マナケレバナラナイトイウ呪イニ冒サレタ我ガ身ニトッテ、奇跡的ナコトニナ」

 

「……」

 

此方へ視線を向ける飛行場姫、その目を見返す。確かに自身で語った通り、その瞳の中に憎しみの色は微塵も見られなかった。見えるのは、ただ強く澄んだ意思のみ。

 

「残ッテイルモノハ唯一ツ……闘志。貴様ニ負ケタクナイ、一個ノ存在トシテ勝チタイトイウ唯ソレダケダ。――キクヅキ、貴様ニ戦イヲ申シ込ム」

 

「……勝ちたいと言っている割に、そんな手負いで戦う気か」

 

「ソモソモ私ハ討伐サレル立場ダト言ウノハ把握シテイル。ココデ戦ウシカ無イダロウ。ソレニ――」

 

直後、飛行場姫はその両眼に閃光を宿した。真紅の瞳から漏れる黄金の雷光は、彼奴の全身から立ち昇る黄金の気焔と一体となって虚空に溶けてゆく。

 

「――今ナラバ、今マデノドンナ一撃ヨリモ良イ一振リガ出来ソウナ気ガスルノダ」

 

そう言って飛行場姫は海面に屈み込み、凪いだ海に異形の片手を突き入れる。数秒後、重々しく立ち上がった彼奴のその手には、継接ぎだらけの大剣が握られていた。その切っ先を真っ直ぐに此方に突きつけ、邪気のない敵意をぶつけてくる。

 

「……神通、青葉、みんな」

 

「普通に考えて、乗るメリットはありませんよ。手負いと言えど敵は姫級、むしろ手負いだからこそ手強い抵抗をする可能性も無くはありませんからね」

 

「加えて、深海棲艦とは『悪意』を思考に絡められる存在。なの、ですが――」

 

青葉の言葉を引き継いだ神通が、目線を飛行場姫に向ける。その視線には、試すような色が浮かんでいる。ニ秒、三秒と彼奴の姿を眺め、その瞳に目をやり、神通は溜息を吐いて此方へ向き直る。その顔は、やれやれとでも言いたげな、なんとも言えない表情をしていた。

 

「――しかし、あんな馬鹿相手にそんなことをする気は無いのでしょう、菊月?」

 

「……お前たちが、許してくれるのならば」

 

「まず人に聞くようになったのは進歩でしょうか。――みなさん、止めますか?」

 

神通が振り返り、残る四人に問いを投げかけ――る間も無く、彼女らの表情はみな神通と似たり寄ったりのもの。即ち、止めても無駄だと呆れている顔だった。

 

「……止めないわ。けれど、やるんならちゃんと勝って来なさいよね」

 

陽炎の言葉に無言で片手を上げ、返事に代えて背を向ける。そのまま飛行場姫の正面まで歩み出れば、菊月()は全身に気焔を……燐光の様に眩く燦めく、黄金の気焔を纏わせた。

 

「……受けて立とう、飛行場姫」

 

「感謝スル、駆逐艦キクヅキ……!」

 

言えば、彼奴は大きく後方へ飛び退いた。飛び退き、いつもは脇に構えている大剣を大上段に構えて此方へ視線をくれた。その背に背負うものは日輪――日が没そうとしている中、水底を思わせる宵闇に必死の抵抗をする真っ赤な夕日。それを背後に背負い、まるで燃えているかのように全身を染めるその姿に、『俺』はぽつりと無意識に漏らした。

 

「――確か、リコリス・ヘンダーソンだっけか」

 

「……? ナンダ、ソレハ」

 

「貴様の率いていたリコリス航空基地と、貴様の原型(モデル)となったヘンダーソン飛行場。……それを繋げたものだ」

 

「ダカラ、ソレガナンダト……」

 

「貴様の名前、だ」

 

「ナ……ッ!」

 

飛行場姫が硬直する。流石に気恥ずかしくなり、右手で軽く額を掻いた。弁明するように、そっぽを向きながら口を開く。

 

「……そうやって、深海棲艦だというのに真っ直ぐに立つ貴様を見てな。深海棲艦、飛行場姫と呼ぶのも味気ないと思ったのだ。もう、どこで聞いたかも分からぬような名前だが、貴様には、その方が似合うと思ったのだ。……ふ、ふん。笑うなら笑え」

 

言い捨てるように吐き出し、気まずくなって背後を向く。そこにいたのはにやにやと生暖かい笑みを浮かべた仲間たちであり、もう一度そっぽを向いて飛行場姫に向き直る。

 

「……ク、クク、フフフ……フフフハハハハ……!」

 

「……柄にも無いことをした。さあ、構えろ――」

 

「フフ、フフフ。イヤ、違ウトモキクヅキ。可笑シクテ笑ッタノデハ無イ、清々シクテ笑ッタノダ。私ニ絡ミツイテイタ何カガ剥ガレタヨウデ笑ッタノダ。……アア、感謝スル、キクヅキ。私ハ、私ノ名ハ、今ヨリ『リコリス・ヘンダーソン』ダ……!」

 

にまっ、と口角を吊り上げ、表情豊かに笑う彼女。彼女は笑ったまま大剣を頭上に構え直し、そのままの顔で此方を促した。何故だか、その背に背負う夕日が輝きを増したように思える。

 

「時間を取らせたな。さあ、行くぞ……!」

 

その彼女へ向けて、『月光』を抜き放つ。柄を握る手に力を込めれば、今まで揺らめいていた気焔の二倍、三倍の炎が巻き上がり、刀に絡み付き全身から沸き立つ。

 

「……我ガ名ハ、リコリス・ヘンダーソン」

 

「私は、菊月だ……」

 

引き延ばされる時間の感覚と、研ぎ澄まされてゆく集中力。没頭するにつれて、周囲の音が遠ざかってゆく。その中で、彼奴の咆哮だけが明確に聞こえる。

 

「喰ラエ、キクヅキ……! ガ、ァァァアアアァァァァァッ!!!!」

 

「来い、飛行場姫……っ!!」

 

咆哮と共に駆け出した彼奴の速度は、今までの何倍も疾い。単純な脚力だけで海面を駆け、たった二足で大剣の間合いまで踏み込まれた。

振り下ろされる一撃。風を断ち、大気を裂き、そのまま海面を両断するであろう一刀。無傷で避ける術はない。左右に飛び退くほどの時間は無く、背後に下がれば更に踏み込まれて真っ二つ。ならば、道は一つだけ。

 

「せぇぇぇぇぇぇえっ!!」

 

僅かに左前に踏み込みながら身体を逸らし、八双に構えた刀を斜めに倒し、袈裟掛けに斬り下ろす。一瞬の交錯。刃と刃が触れ合い、火花を散らし刃音を奏でる。手に、身体に、全身に伝わる衝撃。ぐっと堪え、押し飛ばされそうになる刀に力を込め、両足の推力を振り絞り、刀を振り抜く。瞬間、行き場を得た飛行場姫の大剣が菊月()を擦り、菊月()の艤装を掠め、砕き、『護月』の柄が零れ落ち、しかし大剣は止まらずに海面へ叩きつけられ――

 

「っ、ぐぁあああっ!!」

 

爆発。海面に叩きつけられた衝撃が海を揺らし、水飛沫を巻き上げ、舞い上がったそれらが雨のように艤装に叩きつけられる。交錯の後、その中心地に立っていたのは、

 

「……っ、中々やるではないか……!」

 

片腕の表皮と肩の皮、そして背部艤装のおよそ半分を叩き斬られた菊月()と、

 

「……シカシ、及バナカッタカ……」

 

いつかのように、右手の上腕半ばからを斬り飛ばされた飛行場姫――リコリス・ヘンダーソンだった。

 

「当たり前だ。私がどれだけ近接戦闘を経験してきたと思っている……年季が違うのだ」

 

「駆逐艦ガ、良ク言ウ……ッ」

 

そこまで言って、飛行場姫は膝から崩折れた。軽い水音が耳に残る。元々瀕死だったところを無理やり立ち上がり戦ったのだ、そもそもが体力の限界だったのだろう。

 

「……グ、フッ……、限界ダ、サラバダキクヅキ、ソシテ艦娘達……」

 

倒れ伏しながらそう言い残し、海面下に沈んでゆく飛行場姫。彼女の水没と同時に、輝いていた夕日も水平線に消えた。紫色に染まる空と海の狭間、横目でちらりとその沈む姿を見届けて、ふうっと息を吐き出し気焔を収める。その瞬間。

 

「……な、」

 

がくん、ぐわん、ゆらん。

 

痛みは無く、苦しさも気持ち悪さも無く。ただ『揺れた』と認識した瞬間に、菊月()の意識はブラックアウトし――

 

「あ……医務室?」

 

次に菊月()が気付いたのは、鎮守府の見慣れた医務室のベッドの中だった。




次回は、何にしようかな。ふっふーん。

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