どやどやがやがやと更衣室に突入する姉妹達に遅れること五分。決めていたはずの覚悟が崩れ、それをどうにか立て直して引き戸を引いた。
「……っ」
瞬間、湿気を孕んだ温風がむわっと顔を撫でる。その熱気は何故か甘い匂いがして、脳髄ががくんと揺さぶられた気がした。大きく深呼吸。吸い込んだのも熱い空気、あまり頭を冷ますことは出来ない。
「ええい、ままよ……っ」
靴を脱いで、靴箱の低いところにしまう。裸足で簾の敷物に踏み上がれば、足裏の感触が少し気持ちよかった。そのまま足を進め、棚にいくつも載せられた脱衣カゴへ。軽く二十を越えるそのカゴたちは、そのほとんどに衣服が詰め込まれている。詰められ方から各人の性格を読み取れるのは面白いところだが、今更そんなことをする意味があるのか――などと呟く。
そうしてようやく見つけた空のカゴに、脱いだパーカーを畳んで入れた。
「……しかし、多いな。肝心の湯船が狭くなっていなければ良いのだが……」
ホットパンツ、Tシャツ、そして下着。身に付けていたお洒落を全て脱ぎ放てば、ハンドタオルを身体に抱く。どうにか
「菊月、出――っ!?」
そこは、桃源郷だった。
石造りの床に、飛び石のように設置された装飾。壁に備え付けられた弱いシャワーでは、何人かの戦艦が汗を流しているようだ。歩を進めれば、何段かの緩やかな階段が眼前に広がる。そこを登れば――
「もうっ、お姉ちゃん遅いですよ!」
広大な海を一望できる高台に、吹き付ける海風。
広がった大きな露天風呂は、ほんの少し濁った湯が沸き注がれている。
熱く立ち上る湯気を海風が吹き飛ばす。
そこでは、見目麗しい艦娘たちが思い思いに寛ぎ羽を伸ばしていた。
「Hey! テートクはさっすがネー!」
「ちょっとお姉様! あまりお湯を跳ね上げないでください!」
はしゃぎ周り、その身体に凝り固まった疲れを解す者。
「これは――流石に、気分が高揚します」
「だからって、格好には少し気を使ってくださいね」
崖際の手すりにもたれ掛かり海を眺め、風に肢体を晒す者。
「あっついぃぃぃ」
「ほら、この程度で根をあげていれば深海棲艦には勝てないぞ!」
無理やりに我慢比べをさせられている者。
「……いやはや、壮観だな……」
「どうしたんですか、お姉ちゃん?」
「……いや、普段はこんなにみんなで風呂に入ることは無いだろう――大浴場があるとは言ってもな。だからか、こうして皆が寛いでいるのを見ると不思議な感じなのだ」
首を傾げて問いかけてくる三日月に、当たり障りの無いことを返す。嘘は言っていない。ただ、『俺』の感情――即ち、男のメンタル的な役得感とか興奮とかを口にしていないだけだ。
そんな言い訳を内心で呟きつつ、掛け湯をして足先から湯に浸かる。硫黄の匂いのするそれが白く艶めく肌を撫でる。
「そう、ですね。このところ厳しい作戦ばっかりでしたから、みんなが揃うことは少しでしたし」
「だが、こうして皆無事に休暇を迎えられた。ここで一度疲れを落として、来る戦いに備えねばな」
「もうっ。こんな時くらい、ゆっくりしましょうよ」
三日月の言葉を聞き、それもそうかと肩まで浸かる。
暫し黙って目を瞑っていれば、岩盤で温められた湯が風に吹かれて冷えた身体を芯から熱した。ぽかぽかと暖かい湯に自然とリラックスし、頭を上に倒す。硬い岩肌を枕にする――と思ったが、後頭部に返ってきた感触はむにっと柔らかいものだった。
「――ふむ、流石のお前もそこまで緩むか。だがまあ、確かにこの湯は心地良い」
左のほうから伸ばされていた柔らかいそれは誰かの腕。その褐色の肌に頬を預けつつ腕の主のほうを向けば、
「私はおよそ一番乗りで湯に浸かっていてな。そろそろ下の洗い場に降りようかと思うのだが、付き合わないか?」
「……別に構わんが」
「良し、そうと決まれば早速行くか」
「……構わんとは言ったがな。前ぐらい隠せ――武蔵」
普段の結い髪を解いて一つに垂らした、褐色肌とプロポーションの美しい美女――武蔵が、湯船から立ち上がり腕を組んだ。
「なに、女同士だろう。気をつけることも無いと思うが」
「恥じらいを持て、ということだ」
「人並みには持っているぜ。ただ、戦友に恥じるものなど無いということさ」
連れ立って石段を降りる。濡れた肌から滴る湯が、ぽたぽたと地面に染みを作っていった。飛び石の上を滑らないように歩き、シャワーの前に腰掛けを置く。促されるままにそれに座れば、背中にタオルの当たる感触がした。
「……天下の大和型に背中を流させるとはな。私には恐縮だ」
「何を言う。我々の間に上下など無い」
少しばかり不器用な手に擦られるまま、何とは無しに顔を上げる。そこには、石壁にネジで止められた小さな鏡があった。写っているのは、もちろん『菊月』。白い髪に白い肌、赤い目が向こう側から此方を覗き込んでいる。身じろぎし、それに身体を映してみた。
相変わらず綺麗なその肢体は、幼いながらも存分に魅力を放っている。風呂でこうして身体をじっくりと眺めたのは、いつ以来だっただろうか。脳裏に浮かぶ、いつかの映像。それと、今見ている鏡像には
「どうした、可笑しなところでもあったか?」
「いや。……ただ、傷が増えたと思ってな」
「そうだな。傷が増えて、艦船らしい良い身体になったと思うぞ」
「……ふっ、そう言われると悪い気はしないさ。ありがとう、次は私がお前の背を流そう」
内心に響いていたのは『菊月』に対する『俺』の無力さ。何時ものように沸き出そうとしたそれは、しかし武蔵の一言に吹き飛ばされた。情け無さに嘆息し、それを一瞬で吹き飛ばす。
脳裏に浮かんだ『菊月』の、分かっていただろうに、という苦笑。気にするな、ありがとうというその言葉に、曇った気持ちは消えていった。
「おう、頼んだ。少し強めに洗ってくれよ?」
此方へ広い背中を向ける武蔵、その背に向けて小さく感謝をすれば、
ちなみにこの後艦娘総出の洗いっこがあったとか無かったとか。