私が菊月(偽)だ。   作:ディム

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今回でわりと温泉旅行でやりたいことをやり尽くした感はあります。


艦娘御一行様三泊四日温泉旅行、その八

帯を解いて浴衣を脱ぐ。はらりと床に落ちた一枚着の下から現れるのは、肌着と下着。それも脱ぎ捨て籠に放り込み、大小一つずつのタオルを準備して引き戸を引く。

途端、全身に吹き付ける潮の匂いと湯の熱気。昼間とはまるで変わって音もなく静まり返る露天風呂を見ながら、後手に脱衣所へと繋がる扉を閉じた。

 

「……ふむ。まだ早い時間だ、誰か居るかも知れぬと思ったが――いや、今宵はどの部屋も酒盛りか。ならばこの静けさにも納得がいく……わぷっ」

 

がらがら、と音を立てながら木製の腰掛を移動させ、シャワーの前に設置しカランを捻る――と同時に噴き出した湯が顔にかかり、情けない声を上げてしまった。やはり菊月は可愛いな、うん。

 

「……む、む」

 

如月に教わった通りに髪を洗いながら、汗を流す。

長月たちとの卓球は、あれから二時間ほど続いた。参戦してきた武蔵は初撃こそピンポン球を粉微塵に粉砕するという失態を犯したものの、以後はその圧倒的なパワーと技力で菊月()達を圧倒した。二人がかりで良い勝負を繰り広げていれば、次に参戦するのは大和。そこからあれよあれよと言う間に人数が増え、結局はわりと大人数ではしゃいでしまった。その彼女らも、今はめいめいの部屋に集まって杯を傾けていることだろう。

 

「――ぷはっ」

 

髪と身体から泡を落とし、ターバンのように髪にタオルを巻く。そのまま石段を登り、桶に汲んだ湯で掛け湯をし、満を持して足先を湯船に浸ける。温泉の淵に腰掛けながら足をばたつかせれば、ぱちゃばちゃと小気味良い音を立てて水面が揺れる。

 

「……うむ。今まで騒がしかった反動か、少し落ち着くな。この湯の温かさも、海風の涼しさも、何方も心地よい……」

 

足を揺らしつつ、桶で掬った湯を肩に掛ける。流れ落ちる水流がなだらかな『菊月』の身体を滑り、石床に落ちて湯気を立てた。そのまま湯船に全身を埋め、しばらく身体を温める。

そうしてふと顔を空に向けると、海の上、柵の向こう側に綺麗な月を見つけた。

満月だった。煌々と輝くその月の光は、いつもよりも赤みが濃く、光も強い気がする。その月に向かって手を伸ばしてみれば、滴り落ちる雫に月光が煌いた。

 

「……月光、か。そういえば、あれにも随分と世話になっている。鎮守府に帰れば、一度明石にじっくり見て貰っても良いかも知れぬな……」

 

独りごちつつ立ち上がる。

 

「しかし――見事な月だ」

 

温泉の中を歩く。湯に足を取られながらもゆっくりと、対岸を目指して歩く。到着すれば湯船から抜け出し、手摺の側まで歩み寄った。

 

「……月は太陽の光を受けて照る。私も――俺も、かくありたいものだ」

 

菊月のちから(ひかり)を受けて輝いているだけの俺。そんな俺でもせめて、仲間を姉妹を守れるように。ふと心に浮かんだそんな想いに、知らずと笑みを浮かべた。

 

「……涼しいな」

 

髪に巻いていたタオルを解き、胸の前に抱く。そのまま手摺に身体を預け、髪を垂らしたままがくんと顎を空に向ける。頭と背中にかかる重力を感じながら、暫し月を眺め……その瞬間、一陣の風が吹いた。

 

「む……。珍しい風向きだが、これは――」

 

その一瞬で、月明かりはまるで別物のように変わっていた。今までのそれがまるで靄に包まれていたかのように、此方まではっきりと届く月光。その光量は周囲の仄明るいライトを押し退け、神秘的ながらもスポットライトのように地表を照らしている。

そして、その静かに沁み行くような月の光は菊月()の身体をも照らし――

 

「――綺麗」

 

声のした方へ視線を向ける。そこに居たのは、明るい狐色の髪を一つのお団子に纏め、胸元にバスタオルを巻いて此方を見上げる――陽炎だった。

 

「……お前も風呂か」

 

「――っ!? あ、あんたも入ってたのね! 気付かなかったわ!」

 

「よく言う。大口を開けて此方へ視線を向けていたのは誰だったか。……まあ、漏らした台詞に関しては聞かなかったことにしておいてやるが」

 

「〜〜〜〜っ! う、あんたはいちいち一言多いわね!」

 

うがーっ、と頭の先から湯気を吹き出しそうな勢いのまま此方へずんずんと迫り来る陽炎。投げ渡した桶で湯を掬い、それを頭から三度被り、彼女は鼻息荒く湯船に腰を落とした。苦笑しつつ、菊月()もその対面に座り込む。暫し、互いに無言で湯に浸かりつつ月を見つめる。

 

「――ねえ」

 

「……何だ」

 

ふと、陽炎が口火を切った。

 

「いやさ。本来は『艦娘』に聞くのもおかしな質問なんだけどさ。一個聞いていい?」

 

「……別に構わんが」

 

「じゃあ、お言葉に甘えて」

 

そう言って、彼女は息を吸う。月明かりに照らされたなだらかな胸が微かに上下し、

 

「――あんた、何のために戦ってるの?」

 

「無論、仲間と姉妹を守るためだが」

 

「それ以外に、何かある?」

 

「……?」

 

間髪入れずに即答し、返される問いに首を傾げる。どういう問題なのかと首を捻れば、陽炎は大きく息を吐いた。やっぱりね、と呟く声が聞こえる。

 

「……何だ。何かおかしな事でも言ったか、私は?」

 

「何だも何も、可笑しすぎて戸惑うレベルよ。はっきり言って異常ね、異常」

 

「む――」

 

反論しようとした矢先、陽炎はその双眸に真剣な色を湛えて此方を見据える。

 

「いい? あたしたち艦娘の存在第一義は『人類を守護すること』よ。私達は深海棲艦の対、人の希望と艦の誇り、そして嘗て艦を駆った英霊の祖国と人を守る気持ちが一つになって出来た存在。それ故に、あたしたちはまず人を守らなくちゃならないし、それを自然と第一義にする――姉妹よりも、仲間よりも、何よりも優先して」

 

陽炎はそこで口を閉ざすと腕を組み、少し考える素振りを見せた。

 

「十の仲間と一人の市民だったら、あたしたちは迷わず市民を取る。何故なら、()()()()()()()()()()()()()。けど――あんたは、違う。だから異常なのよ」

 

「……そう、か。だが、私は――」

 

此方を見据える陽炎の視線は鋭い。その眼光に晒された『俺』は、しかし返す言葉が見つからなかった。……当たり前だ、俺はそもそも艦娘ですらない。だが、それでも戦う理由はあるのだ。そう言い返そうとし、

 

「――でも、ま。あんたの『異常』、あたしは好きよ」

 

「……へ?」

 

「あんたのその変わり種っぷりに、あたしもみんなも影響されてるのよ。あんたが来るまではみんな――あたしも含めて、どっか機械染みてたし。人類を守るためーって、そんな装置みたいに」

 

そう言った彼女は、肩まで浸かっていた湯船を脱しその縁に座る。頬が仄かに赤いのは、茹だったためだろうか。

 

「でも、今はもう違う。何をするのも誰を想うのも、そう作られたからじゃなくそう思うからやってるんだってはっきり言える。――これ、あんたが来たからなのよ? あんたが来た最初の歓迎会、あれって全部の鎮守府合わせても初めてだったんだから。世界初よ、世界初。そこから、みんな変わってったのよ。中身が出来たっていうか――艦娘から、それぞれに」

 

「……何だ、そこまで持ち上げられても何も出んぞ。私はただの駆逐艦の一隻、睦月型駆逐艦の菊月に過ぎない」

 

「期待してないわよ。ああもう、柄にもないことするから何が言いたいのかこんがらがっちゃったじゃない! とにかくあたしは、あんたが変わってるってこととその異常さは良いことだってこと、あとそれでもあんたも一応艦娘なんだから人類を守るためにも戦いなさいって言おうと思ってたの! あんたのその変さをそのままあたしたちに向けられると影響が大きすぎるのよっ!」

 

ぜーはー、ぜーはーと肩で息をする陽炎。連装機銃のようにまくし立てて少しはすっきりしたのか、はたまた言いたいことを全て言い終えたからか、彼女の顔からは既に険が取れていた。

 

「……ああ、理解した。そして、感謝をしておこう――陽炎、ありがとう」

 

「――っ、別にいいわよ。仲間でしょ、あたしたち」

 

「……だが、『異常』と言うのは些か言い過ぎだろう。そこまで強い言葉で詰られるほど、私の精神は捻じくれていないつもりだ」

 

「いーや、そこは譲れないわ。というか菊月が異常だなんて質問しなくても前々から分かってたことだし。滑るでもなく海を駆け回って、刀振り回して突貫して、おまけに深海棲艦みたいな気焰を纏うなんてそりゃ可笑しいに決まってるわよ」

 

つん、とそっぽを向く陽炎に、つい声を上げて笑ってしまう。釣られるように笑みを深める陽炎と、それを見てさらに笑う菊月()。月明かりの下で俺たちは、笑い疲れるまで声を上げるのだった。




三日月「ぐぬぬ」

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