そして気がつけば温泉編が十話も。ここまで伸びる筈じゃ無かったんですがね。
耳を澄ませば聞こえてくるのは、街中を縫うように流れる湯の川のせせらぎ。鼻をすんすんと鳴らせば、仄かな硫黄の香りが旅情を感じさせる。
それらと同時に、吹き抜ける風が川から舞い上がった硫黄の香りを運んでくる。その涼風が刺激するものは、頭の奥に埋もれた記憶。即ち、
「硫黄に晒されても平気というのは、この身体もなかなかね」
「……ああ、確かに。どことなく不思議な感じがするな」
艦娘の、艦としての記憶。もっと言えば、それは『鉄』で出来ていた身体では腐食の原因となった硫黄、それを含んだ風を身に受けて平気でいられることへの小さな困惑と興味深さ――
「なんにせよ、こうしてまた戦えるというのは良いことだわ」
「……ああ、そうだな」
静かに目を閉じる加賀に相槌を返す。そのまま二人静かに、言葉も交わさずに風に当たり続ける。スカートの裾がはためき、髪が靡く。見上げれば、加賀もどことなく心地よさそうにしていた。
「ねえ、菊月。そろそろ認めるべきだと思うわ」
「………………そう、だな」
三度肯定すれば溜息を吐く。吐いて、がくりと垂れた首を持ち上げる。そこに在るものは、色とりどりの民芸品に手芸細工、扇子や簪に手拭、大きいものならそれこそ着物まで――
「……まさか二人揃ったとしても、こうまで選品センスが無いとはな」
「遺憾ではあるけれど、否定しようが無いわね」
二人で温泉街を歩いて見つけた、感じの良さそうな土産物屋に入ってから早二時間弱。ギリギリまで絞ってなおその中から決定打となる贈り物が見つからない現状に、
そのまま、暫く思案する。時間はまだまだあるとはいえ、あまり無駄に過ごすのも意味が無い。別れて店内を散策しようかとも思ったが――一人で決まらないから加賀を誘ったのだ、無駄になる可能性が高い。ならば、
「……加賀。やはり私は、今候補に挙げているものから選ぶべきだと思う。現に、決まったうちの一つであるマックスへの巾着と蝦蟇口は良いものだと納得出来ただろう?」
「ええ、そうね。なら、私たちのセンスもそう捨てたものでは無いということかしら?」
「少なくとも、私と加賀の二人で頭を悩ませたものなら間違いでは無いはずだ。ゆえに、私はまず決まりかけていたレーベのものを選んでしまおうと思う」
「賛成ね。候補に挙がっていたものは――」
そう言って、加賀はちらりと視線を逸らす。その視線の向かう先は、店に許可を取って空けてもらった選品スペース。そのうちレーベの所に並べられているものは櫛、簪、そして何故か招き猫と達磨だった。
「――とりあえず、この招き猫と達磨は除外ね」
「いや、案外達磨などは提督に贈ってやると良いかも知れんぞ? こう、『必勝』とでも書道をしてな」
「良いわね、それも。――まあ、とにかく今は彼女の分よ。私が選んだものは簪だけれど、菊月の選んだ櫛も良いわね」
「髪に関することに着目したのは同じだな。……私は簪はU-511に贈ろうと思っていてな、故に被らぬように櫛にしたのだ。色味も華やかで綺麗だし、な」
「そうね、確かにそうだわ。なら、レーベレヒト・マースへは櫛にしましょう」
うむ、と二人並んで腕を組み、満足げに頷く。……しかし、我がことながらお互いに会話がぶっきらぼうに聞こえるな。
「あら、何がおかしかったのかしら」
「いや、別になんでもないさ。で、あとはビスマルクとプリンツ、U-511。彼女らへはまた熊野やハチ、武蔵を連れてもう一度見に来るとして……加賀、私は知らないがお前が贈りたい誰かだったな?」
「ええ。あの時は第一艦隊にも配属されていなかったけれど、今は実力を伸ばして正式に認められたそうよ。この前も、手紙が来たわ」
「ほう。……その、正規空母か? 彼女の名前を教えて貰えるか」
「ええ。彼女はグラーフ、『グラーフ・ツェッペリン』。艦としては赤城さんの技術を参考にして開発されたのだ、と自身が言っていたわ。そのせいか、確かに筋は良かったわ」
「お前がそこまで饒舌になるのだ、それは良い勇士なのだろう。……で、何を贈りたいのだ? ここには何も持ってきていないようだが」
「――それが、迷うのよ。彼女とは私なりに親しくしたつもりだけれど、今思い返すと趣味や好物に関しては聞いていなかったし」
「ふむ……まあ、お前が悩むのも分かるがな。そのグラーフとは、今もお前に手紙を送ってくるほどに仲が良いのだろう? ならば、お前の選んだ物ならば問題なかろう――と言っても、良いものを選びたくなるのが性か。良し、そのグラーフについて詳しく教えてくれないか」
そう言って、加賀から件の彼女のことについて聞き出す。金髪灰眼、物静かで真面目。話を聞く限りだと加賀のみならず
「ふむ。どうやらそのグラーフという艦娘は、私やお前と近しいものがあるようだ。ならば、それこそ私たちの主観で貰って嬉しいものを選べば良いのではないか?」
「そう、一理あるわね。私が欲しいと思うものは――そうね、機能性に富んで、あと少しお洒落だと良いわね」
「成る程な。ならば和柄のバッグか、それより少し小さな小物入れか。……もしくは」
「もしくは?」
「――風呂敷、とか」
「――風呂敷」
結局、買い物を済ませて旅館に帰った時にはもうすっかり夕食時になっていた。日の暮れかかる温泉街を、良いものを買えたと滅多に見せない笑顔の加賀と二人で歩いたことは、景色も相まってこの休暇の一つの良い思い出となってくれることだろう。
また、ほくほく顔で帰還した加賀の笑顔に食堂の駆逐艦の少なくない数がどよめいた事と、和柄のバッグと小物入れの他にそれぞれに因んだ柄の風呂敷を贈られたグラーフ並びに
何を買うか悩んだらもう全部買えばいいじゃない、とは悟りを開いた加賀さんのお言葉です。