めざせ水無月。
――私がこの不毛な島に流れ着いてから五日が経過した。
冷徹で温かみがないと思っていた白髪の彼女は予想外に甲斐甲斐しく私の世話をしてくれ、身体の痛みも今ではすっかり無くなった。
無くしたと思っていた艤装も彼女が纏めて管理していてくれたらしく、動けるようになったあたりで私に返却してくれた――最も、損傷が酷く、海を進むことは兎も角、戦闘には耐えられなさそうだったが。
これだけでも驚きなのだが、それより驚くべきことは、やはり彼女の戦闘能力だろう。今日の食料を獲ってくる、と言い残しふらっと海へ出て、魚と一緒に深海棲艦の死骸を回収してくること数知れず。それも、彼女のような小柄で非力そうな存在が、素手で事を成すのだから。
そんな彼女の言い分は、『怪我が全快するまではずっとゆっくりして行くといい、どうせ不完全な状態で海へ出ても沈むだけだ』というもので。それもその通りだ、なんて考えた私は彼女に世話になり続け――気づけば、流されてから五日目の昼過ぎ。そろそろこの島を出立できると朝から準備を始め、用意を全て済ませたところにちょうど彼女が食料調達より帰還し、出立を言い出せないままに、済し崩しに食事を摂ることになっていた。
「……どうした、食べないのか」
「あ、えっと、食べます。今日も、ありがとうございます」
「……構わん」
掛けられる声は、この数日で慣れてしまった冷たい響きをしている。だからと言って彼女が冷たい心を持っていると言うわけではないのだろうけれど――正直、彼女の存在は謎に包まれ過ぎている。
「――うーん」
彼女へ視線を向ける。
その髪は銀と呼ぶには遠すぎる、何者にも染まらない白色。
その瞳は冷たく澄み切った鮮烈な紅色。
体躯は私と同じぐらいで高くはなく、その身体を纏うマントは明らかに深海棲艦を想起させる色をしている。その下の服は――確か、一度見ただけだったけれど黒かったような。
考えれば考えるほど不思議な存在。けれど、不思議な存在、かつ白い『何か』という点からなら、一つ――ドイツの艦娘ならば思いつくであろう軍艦が、一隻存在する。
未だ確認されていないそれ、もしかすると彼女は――なんて思っていると、唐突に声を掛けられた。
「……考え事か。どこかに敵影でも見えたか?」
「流石に見えない、です。そうではなくて――あなたのことを考えていました。もう五日も一緒にいるのに、あなたは、自分のことは決して話さないですから」
「あまり話すことも無いからな」
「それでも聞きたい、です。今までどうやって戦ってきたのか、とか」
「……今までどうやって、か。簡単に言えば、ほぼ全て奇襲だ。霧が出るのを待ち、それに紛れて接敵し、素っ首を落とす。それを一人で延々と……長い間、繰り返してきた」
「一人で、って――あなたは、どの基地にも所属していないのですか?」
「そうだ。目覚めた時からずっと、私は一人だ。基地と呼べる物があるとするならば、拠点としていた島と利用していた霧だろう」
霧。そのワードもまた、私の思い浮かべていた一隻の船の特徴と符合する。霧の中から現れ、馬鹿げた戦果を残す軍艦など、私達の知る限り一隻しか存在しない。
――
「しかし……なぜ、急にそんな事を?」
「いえ、その。そろそろ帰ろうか、と思ったので。あなたのお陰で身体も動くようになりましたし、みんな心配してくれているでしょうし、深海棲艦も変わらずに海域に存在するようですし。それで、気になったことを聞いておきたいなと」
「……ふむ、なるほどな」
「それで、なんですけど。一つ、提案があるんです」
「……提案?」
その紅い双眸をじろりと動かし、此方を睨め付ける白い彼女。その眼光の鋭さに、思わずたじろぎそうになる。それを押し留めて、逸ってしまっていた己の言葉を補うために口を開いた。
「――その。私と、私達と一緒に来ませんか」
勧誘。これだけの戦力を持つ艦娘――おそらく艦娘だろう――を放っておくのは勿体無い、というのは建前で、実は彼女が気になって仕方が無かっただけだったりする。だって――彼女は、どことなく寂しそうに、辛そうに見えたのだから。けれど、
「……断る」
「ッ、何故、ですか」
「メリットを見出せない。端的に言って実力不足、足手纏いだ」
その言葉に、ぐっと奥歯を噛み締めて下を向く。確かに、彼女と比べればどんな船だろうと劣るだろう。私達ドイツ艦隊だって、音に聞く日本の艦隊などと比べれば一歩遅れているのは確かだ。けれど――けれど、面と向かって言われてしまえば、悔しい。
「信頼し合うことも頼り合うことも出来ない、そんな者と組めば、私の目的が達成出来なくなるだろう。故に、断る」
「目的、ですか? あなたは、何か目的を持って戦っているんですか?」
「当たり前だ。目的を持たずに戦う艦娘など居るものか」
「だったら、あなたの戦う理由とは何なのですか」
衝動のままに問い掛ける。問い掛けて、自らのことを語らない彼女が答える筈もないと予感する。しかし、私の抱いたそれは覆された。
「……無論、『沈まない』ため、『傷付かない』ためだ」
「沈まず、傷付かないため?」
「正確に言えば、沈まず傷付かずに戦い続けるためだ」
戦い続けるため。その言葉をそのまま受け取るならば、ただ単に戦うことこそが彼女の目的だと言うことになる。ただ只管に戦うことだけを目的とし、戦う為には余人を邪魔とし、故に一人でいることを望む――そう考えたところで、私は、はたとあることに気がついた。
『戦うことを望む』のなら、補給だって入渠だって万全に受けられる方が良いに決まっている。味方が足手纏いになると言うのならば、どこかの基地に所属した上で一人で出撃するか、艦隊を組んでも単独行動すれば良いだけだろう。
なのに、彼女はそうしない。意図的に――ではなく、様子を見るに、多分無意識的に。『沈まない、傷付かないため』という目的の為には、一人でいるしかないと無意識的に確信しているように。
つまり――裏を返せば、彼女は無意識的レベルで、誰かと共に戦えば、その誰かの為に傷付くことを確信している――誰かの為に身を呈することが出来る存在なのだ。それを裏付けるために、私は再度口を開く。
「分かりました。なら、あなたは何故そう考えるのか、教えてください」
「その問いは必要なのか?」
「必要、です。少なくとも、私には」
紅の双眸をじっと見返す。その冷たい瞳の奥底に眠る、彼女のことを見透かそうと。そうして見つめあっていると、彼女は徐ろに嘆息し、語り出した。
「……そう、だな。と言っても、あまり深い理由ではない。ただ、
「後悔と、願い?」
「そうだ。かつて、私になる以前の船が抱いた感情。……情けない、不甲斐ない、私はもっと戦いたい。こんな海岸で、一人のうのうと朽ち果てるなど……認められない。もう二度と沈まず、傷付かず、戦わなければ。いや、戦いたい。私は、私は――」
そこで、彼女は言葉を切った。そのまま動きを止め、茫然とする。それはあたかも、口を突いて出る筈の言葉が見つからないとでも言うように。
多分、彼女の口から溢れようとしている言葉は、今現在彼女が抱いている戦う理由――沈まず傷付かず、というもの――と相反しているのだろう。
彼女は、嘗ての自分である船の遺志を汲んで、戦うことを決めた。沈んだ無念ともう一度戦いたいという願いを最大限に叶えるために、たった一人で。
しかし、その願いを抱くことになった動機は――
「――『私はみんなを守りたい』、じゃないですか、出て来ない言葉は」
「…………っ!!」
どこまでも、他人の為、仲間の為だったのだろう。
「ごめんなさい、勝手に先んじるような真似をして。けれど、私はそう思ったんです。本当は放っておけばいい瀕死の私を拾って、基地に帰れるぐらいにまで守ってくれて。言葉は冷たいし、愛想も無いですし、自分だけで戦うって言ったけれど、それでもあなたは、人の為に戦う艦娘なんじゃないかって」
食べ終えた魚を皿代わりの布に綺麗に包み、剥き出しの岩肌にそっと置く。立ち上がり、艤装を身に付ける。潜水し、戦闘を避けて行けばどうにか基地には帰投できるだろうそれらに火を入れて、座ったままの彼女を見遣る。
「それと、ごめんなさい。さっきあなたを勧誘したの、あれはあんまり深く考えないで下さい。船であった頃の遺志を継いで戦う、という志は、我々艦娘にとって妨げてはならないものですから。――でも、願わくば、本当は優しいあなたが、これ以上孤独になりませんように」
「……お前は……」
「私は行きます。ありがとうございました、またどこかで会えたら、嬉しいです」
言って、踵を返す。岸壁の端まで駆け、眼下の海へ向けて飛び込もうと足に力を込め、ふと忘れていたことを思い出した。
「そうです、忘れていました。私はU-511と申します。次会った時は、ゆー、とお呼びください――シャルンホルスト」
そう言って、懐かしい海へダイブする。
五日ぶりの海は、変わらずに心地良かった。
わりと話が噛み合ってないし盛大に勘違いをぶち上げながらも肝心要な部分だけきちんと決めてくるU-511ちゃん。
そら(ドイツ海域で霧から現れて真っ白だったら)
そう(ドイツ艦娘なら勘違いする)よ。
なお菊月は頭に?が浮かんでいる模様。