私が菊月(偽)だ。   作:ディム

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戦闘の合間の鎮守府での一幕です。


激戦海域、その三

気が付けば、酷く曖昧な意識で海の上を走っていた。暗い視野の中にぽっかりと空いた穴から、その様子が映像のように見える。

自分の目線だというのに違和感を感じる。感じた覚えのない感情も感じる。

はじめにそこから流れ来たものは喜び、充実感だった。意気揚々と海原を駆ける。幾多の戦いで、とは言わないけれどもそれなりに活躍した筈だし、己に与えられた護衛の任も受け入れられるものだった。

 

流れ来る感情が切り替わる。次に感じたのは感覚は喪失、衝撃。大きく横腹に響いたそれと、明らかに感じる身体に穴が空いた感覚。そこから何かが流れ出て、何かが入ってくる。恐怖、そして嘆き。俺ではない誰かが、『ああ、これで私は終わるのだ』と俺の心で囁く。沈み、眠りに着き掛けたところを引き揚げられる。

 

また、感情が切り替わる。これは知っている感情。これは、絶望、寂寥。『俺』も、いつかどこかで感じた『彼女』の感情だ。海の底で眠らせても貰えず、打ち捨てられた身体は徐々に錆びついてゆく。眠らせてもくれないか、と彼女は呟く。意識を手放す事も叶わないまま、ずっと、ずっと一人で―――

 

 

「………っ!!」

 

のそり、とベッドから起き上がる。左右を見れば穏やかに眠っている長月と三日月。途中から気付いてはいたが、やはり夢だったようだ。それも『菊月』を追体験するような夢。何でもない風に装っていながらも、やはりツラギ島付近での戦闘は『菊月』の身体に深く疲れと負の感情を残してしまうだろう。無意識に横腹をさするが傷はない。

 

「……っ、まだマルフタサンマルか。この調子で、また眠れるとは思えぬ……。水でも、飲みに行くか……」

 

二人を起こさぬよう、こっそりとベッドから抜け出す。建て付けの良いドアは音を立てずに開き、隙間から廊下へ出る。

 

「ふぅ……」

 

後手にドアを閉めれば思わず溜息が出る。夜番に見つかっても、まあ何とかなるだろう。思考が半ば投げやりに成る程の気怠い身体を引き摺り、食堂のドアを開ける。普段人が居ないことのない場所だけに、何か全く別の場所へ迷い込んだのではないかという錯覚さえする。

 

「……暗い、な。誘導灯の明かりだけか……」

 

明かりを点けようか否か迷い、結局点けずに暗い食堂を歩く。誘導灯のお陰で少しは物が見える、いつもの場所からコップを取って冷蔵庫を開ける。

 

「……んくっ、んくっ……ぷはっ」

 

取り出した水をコップに注ぎ、一気に呷る。喉を通る冷たい感覚が心地よい、少しは気分も晴れるというもの。水を入れた容器を片手に、そのまま食堂の奥の窓際の席へ腰を下ろす。

 

 

先日、急な撤退を強いられた後に聞いた話では、新たな姫級の深海棲艦が現れたというのはほぼ確かな情報らしい。遠方、そして大雨の中での接敵だった為に明確な姿は捉えられていないそうだが、明らかに他の深海棲艦とは異なる威圧感と、そんな遠距離からでも変わらない砲撃を繰り出してきたらしい。

 

「……ままならんな、何も……」

 

加えて、その『姫』を取り巻くように新たな深海棲艦が多数出現。鉄底海峡は、今までは比較的安全であったその周辺海域まで含めて文字通りの激戦区となったのだ。そして、その激戦区にはツラギ沖も含まれる。

 

「……恐怖、ではない。不安か……」

 

新たに出現した姫とその戦力、嘗て『菊月』が沈んだ場所へ赴くという事実、そしてこの言い知れぬ不安感。そんなものが全て合わさって、さっきのような夢を見てしまったのだろう。あの孤独は『俺』には及びもつかなかったもの。それでいて、『菊月』の中に根強く残る楔である。再び鎌首を擡げた『菊月』の不安を押し流すように水を流し込む。

 

「……っ、んくっ……ふぅ……」

 

何が嫌かとなど言う必要もない。『言い知れぬ不安感』、理由の分からぬ悪寒ほど面倒なものはない。理由が無いから解消出来ず、なおかつそういう物ほど実現するのだから。実際になってみて分かったことだが、艦娘の戦闘力には気力が直結する。その艦娘の身体に不安は厳禁だと分かっていても、こうして頭を巡って気を削いでしまう。

 

ふと時計を見ると、既に一時間が経過している。特に理由も無く居座っているだけ、これ以上居ても仕方無いだろう。

 

「……止めだ。不安なら、私が備えていれば良いだけだ……」

 

気持ちは晴れぬままにゆっくりと立ち上がる。何時の間にか半分以上飲んでしまった水の容器を冷蔵庫へしまい直し、もう一度無意識に横腹を撫で、菊月()は静かに食堂を後にした。




夜の食堂。
ゲームにするなら、このイベント時に八分の一の確率で誰か仲の良い艦娘が来てくれて話をするイベントに派生します。同時に、菊月に憑いている謎の不安(という名のフラグ)がその艦娘に移動します。


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