もうすぐ日付を跨ごうとする時刻に、私『長月』は遠征から帰投した。
『第一第二連合艦隊、水鬼を含む敵主力を撃滅せしめる』
『第三艦隊、強力な姫級深海棲艦を撃退せしめる』
私達遠征隊が仕事をしている最中に、無線から伝わってきた報告。てっきり作戦は大成功、どこもかしこもお祭騒ぎだと思って帰ってきたのだが、船渠はもぬけの空だ。騒いでいる音も聞こえない、肩透かしも良いところだ。
「仕方がない、さっさと司令官に報告に行くか」
しんと静かな廊下を歩き、執務室へ辿り着く。珍しいことに、誰ともすれ違うことは無かった。ノックをして中に入り、手短に報告を済ませる。
「――以上が、本遠征での成果だ。作戦完了だな」
「ご苦労、長月。あー、それと。長月、君に一つ悪い知らせがある」
珍しい。この厳めしい男は、こんな物言いをすることは無かった筈だ。自然と背筋が伸びる。
「なんだ、改まって。言っておくが、生半可な知らせで私を――」
「――菊月が、沈んだ」
「ぁ、え?済まない司令官、今、何と」
「睦月型九番艦駆逐艦『菊月』、ツラギ島沖にて姫級深海棲艦と接敵。殿を引き受け、神通と共に奮戦し、撃退し――その後、瓦礫と共に渦潮に呑まれ沈んだそうだ」
ぐわん、と頭を殴られたような衝撃にふらつく。視界が一気に狭まり、足元が覚束なくなる。
「ふざけるな、なら私が捜しに」
「捜索隊は派遣した。それでも、彼女の艤装の欠片ひとつ見つからなかったそうだ」
もう一度衝撃。あまりのことに二、三歩後ずさる。頭の中がこんがらがって、ものを考えることが出来ない。必死に顔を上げれば、眉間に深く皺を刻んだ彼の顔が目に入った。
「私を、担ごうとしているだけなんだろう?ほら、騙されたよ。今なら怒らない、だから嘘だと言ってくれ司令官」
それでも、司令官は何も答えない。目を瞑り、苦痛に顔を歪めたままだ。さあっと、血の気が引いていくのが分かる。
「す、すまないっ。失礼するっ!」
居ても立っても居られず、執務室を後にする。嘘だ、そんな筈は無い。ドックへ駆け込み、医務室を覗き、食堂を訪ねる。あいつがいつも使っていた、鎮守府の片隅の稽古場にすら行ってみる。しかし、そのどこでもあの白い髪を見る事が無い。
菊月が、どこにもいない。
何時の間に帰っていたのか、気が付けば我々睦月型『五人』の部屋の前に居た。震える手で扉を押し開ける。ぎいっと軋む音と共に、中に居た者がこちらを見る。そこに居たのは如月、卯月、そして三日月。――菊月は、いなかった。
「ぁ、う」
声が出ない。此方を向いた三人が三人とも、青白い顔をしている。恐らくは、私もそうなのだろう。浮かべている表情は各々異なるものの、例外なく悲痛なものだ。
如月は、唇をぎゅっと引き結び目を細めている。この中でもっとも年上だからか、そうやって悲しみに耐えている。その姉としての在り方には、正直救われる。
対照的に、卯月は涙を流し続けている。いつもの明るい顔を悲痛に歪め、それこそ兎のように目を真っ赤にしている。卯月を見ていると、私も釣られて泣き出してしまった。目の端からぽろりと涙が落ちたのが分かる。
そして、三日月。視線をあらぬ方向へ彷徨わせ、手を、身体を小刻みに震わせている。涙を流す余裕もない三日月の表情。―――それを、『絶望』以外の言葉で表すことは出来ない。
「ぁ、長月お姉ちゃんっ――。私、わたしっ。菊月お姉ちゃんのことは分かってたのにっ!それなのにひどいこといって、話しかけられても無視しててっ!ぁ、ごめんなさいっ、ごめんなさいっ!!ぅうぅぅう、うぁぁああぁあんっ!!!」
「ぅ、ぐすっ。三日月、ちゃんっ!」
私の姿を捉えた三日月が、堰を切ったように泣き出す。その三日月の頭を胸に抱え込む如月。それを見て、じわりと、私の目にも涙が溜まって行く。堪えきれず、入り口に崩れ落ちた。
「ぅうう、ぐぅうっ……!!」
「な、長月っ――わたしが、私がついてるぴょんっ。長月だって、泣いて良いっ。ぅぐ、ひっく、ぐすっ。ぅあ、ぁぁぁぁぁぁあっ」
自らも泣きながらだと言うのに、卯月が私を抱き締めてくれる。その胸の中で嗚咽を漏らせば、卯月は一層激しく泣き声を上げる。
こんな時、みんなの心が挫けそうなとき。誰よりも速く立ち上がり、みんなを支えてくれる自慢の妹。『実は辛かった』と、照れながら言っていた、『また強くなってしまった』と嬉しそうに言っていた妹。
私達の菊月は、もう、いない。
そのことが、私達の心を無残に引き裂いた。
絶望回の筈が随分とマイルドになってしまった。
何回か鎮守府サイドは書くかもですが、とりあえずこれだけ。