私が菊月(偽)だ。   作:ディム

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新章開幕。


第七章前編
あさやけの海で


「……ん、くぅ……」

 

微睡みからゆっくりと浮上し、差し込む仄かに明るい光が目を刺激する。うっすらと目を開け、辺りを見渡す。そこは、どこかの島の草むらでも、ミッドウェー基地の小さな部屋でもなく――見慣れた、鎮守府の医務室だった。

 

「……ああ、そうだったな……」

 

小さく白く柔らかい菊月(自分)の手で、同じく白く柔らかい髪をわしゃわしゃと掻く。

無事に帰り着いたからといって、それでお終いと言うわけではない。身体の不調や怪我の後遺症、自分では気付かない異常、その他コンディションの確認。恐らくは骨休めも兼ねたものだろうそれらを課された菊月()は、ここ数日医務室へ泊り込みとなっている。

 

「……せっかくだ、少しくらい休ませてもらう……」

 

泊り込みとは言っても、医務室へ拘束されている訳ではない。長時間のデータを取る必要のある検査には、就寝時を利用する為にこうした措置が取られている。おそらく、元いた鎮守府へ帰った熊野や祥鳳、そして姉妹達も同じような検査を受けさせられていることだろう。

 

「……あいつら……また、会いたいものだ……」

 

ミッドウェーに居た彼女達は、悩みに悩んだ結果元の鎮守府へ戻る事を承諾した。いくら提督からほぼお咎めなしを言い渡されていようと、やはり元の仲間達へ逃げ出した罪悪感があったようだ。

『今度こそ、みんなを守ってみせる』。出立直前、祥鳳が俺に伝えてくれたことだ。それが彼女達全員の意思なのだろう。距離としては離れてしまうが、『AL・MI作戦(今回の一件)』で彼女達の所属鎮守府とは関係が深くなったようだ、また顔を合わせる機会もあるだろう。何時の間にか此処に出向していることもあるかも知れないな、と考えれば、自然と笑みが漏れた。

 

ちなみに後で聞いたところによると、提督に言い渡された便所掃除は向こうの鎮守府で行ったらしい。

 

「……しかし、このままもう一度寝るというのも味気ないな……。少し、歩くか……」

 

時計を見れば四時半前後。大規模作戦慰労のために、提督が起床時間を七時まで遅らせた上に最低限の仕事に抑えている。この分だと誰にも会わないだろうな、と思いつつベッドから降りてサンダルを履く。明石が置いてくれていたのだろう、カーディガンを羽織れば静かにドアを開けた。

 

「……ふむ、これは中々良いな……」

 

足音を立てないようにしながら、ひたひたと廊下を歩く。窓から差し込む不思議な色合いの朝日が壁を淡く染め、真っ白なだけの壁を幻想的に彩る。長く空けたせいか幾度か道を間違えたことも合わせ、まるでどこか知らないところへ迷い込んでしまったかのように感じる。予想していた以上に時間をかけて、船渠側へ出る扉まで辿り着いた。

 

「……っ、風が……」

 

扉を開けた途端、吹き込む海風が髪を強く揺らす。後手に扉を閉め、一歩ずつ、海のそばまで歩を進める。もう既に寒い季節では無いとはいえ、朝方のこの風は身体を冷やす。カーディガンを強く身体に巻きつけた瞬間、突風に着ている入院着の裾がはためいた。

 

「……ん、あれは……」

 

ふと見ると、少し離れた港の先に見覚えのある姿があった。睦月型の制服に風にたなびく黒髪。

 

「……どうした、三日月。こんな時間に……?」

 

「――ひゃぁっ!?って、菊月お姉ちゃんっ!いえ、私はちょっと目が覚めてしまって。お姉ちゃんこそ、どうしたんです?」

 

「……私も同じだ……」

 

そこまで言って、ぴたりと会話が止まる。菊月()や弥生みたいなタイプならば会話が無くとも平気なのだが、三日月は違うはず。話題を探しながら小声で唸っていると、此方を見ていた三日月がくすくすと笑っていることに気が付いた。

 

「もう、菊月お姉ちゃんったら。気を遣わなくて良いんですよ?」

 

「……そうか……。済まないな……」

 

「良いんです。ねぇ、お姉ちゃん。ほら、海を見てください。キラキラ不思議に輝いていて、綺麗だと思いませんか?」

 

言われて、海へと目を向ける。深い色に染まりつつも鮮やかな朝日の色を映した海は、何度見ても見飽きることはない。

 

「……ああ、そうだな」

 

「そうですよね。私は、菊月お姉ちゃんと一緒に、またこうして海を眺めることが出来るだけで幸せなんです」

 

そこまで言った三日月は、海を背にする形で此方へ降り向いた。鮮烈でも眩くもない、しかし穏やかで柔らかな朝日を背負った三日月の髪は、海と同じ光沢を放っている。

 

「お姉ちゃん。今度は、またみんなで買い物に行きましょう」

 

「……ああ、行こう」

 

「司令官さんに頼んで映画を観に行っても良いですし、新しく出来た遊園地にも行きたいです。お姉ちゃんに似合いそうな服、みんなと探したんです。いっぱい、いっぱい一緒に遊びましょう」

 

「……そうだな。私は変わらず、服には疎い筈だ。宜しく頼む……」

 

「――はいっ。期待していてください、お姉ちゃんっ!!」

 

駆け出した三日月に勢いよく手を引かれ、海から離れる。振り返れば、鎮守府の壁には如月に長月、卯月がもたれ掛かって此方を見ている。二人で大きく手を振って其方へと歩き出す。

 

吹いてきた海風からは、鉄の匂いはしなかった。

 




活動報告にアンケート(?)的な何かを書こうと思うので良ければ。

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