私が菊月(偽)だ。   作:ディム

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いつから絶叫マシンが苦手なのが二人だと錯覚していた?


ゆ号作戦、その四

菊月()達が選んだジェットコースター、名を『地獄大王』と言う。安直を通り越して安っぽさすら感じるそのネーミングは、それを軽く見た馬鹿をいつでも呼び寄せてその浅はかさを知らしめる。今日の犠牲者は……俺達だ。

 

鳴り響くベルが安寧の時間の終わりを告げ、革と鉄の拘束具が俺達の身体を強く押し付ける。がこん、不気味な音を立てて車輪が回る。

 

――わずかな悲鳴。

 

傾斜に差し掛かり、自然と身体は重力に惹かれる。動くことは適わず、視線は空へと固定される。昇る、昇る。がたんがたんと揺れながら、どんどん高くへと昇ってゆく。今まで見ていた風景が遠いところへ。見る間に空へと近づいて行き、瞬く間に想像していた高さを超える。

 

――というか高すぎる。

 

身体が小さくなった分、『俺』との認識の齟齬があるのだろうか。いや、それにしても高い。高すぎる。正直に言って……すごく、怖い。先ほどまで威勢良く笑っていた『菊月』も、顔を真っ青にして震えている。じわり、と握った手が濡れる。見れば、隣に座る長月の顔も真っ青だ。じわりじわりと、長月と握り合った手が汗に濡れる。口を開こうとした瞬間、一際大きな音を立てて上昇が止まった。

 

――助けてくれ。

 

声は出なかった。眼前には、ほんのすこしの猶予を菊月()達に与える短いレーン。細いそれの向こう側には、遥か遠くになってしまった地上と……真っ逆さまに、地上へと墜落する捩れた路線。

 

「な、なななあ菊月っ。おま、おまえを信よ、信用しているぞ。だか、ら大丈夫だよ、な?」

 

「――長月」

 

横を振り向き、穏やかな声音でそう声を掛ける。あまりに場違いな響きに、前に座る三日月と如月も菊月()を振り返る。浮かべている笑みを見て何やら安堵しているようだが、菊月()のこの青い顔に気付かないあたり精神がいっぱいいっぱいなのだろう。

 

「菊月っ」

 

「みんな……」

 

地獄への入り口が近づいてくる。先頭で一人はしゃぐ卯月の声も、もう聞こえない。あいつも微妙に此方をちらちらと見ているあたり、漸く自分の過ちに気付いたのだろう。この遊園地どころか周囲一帯で一番怖い『地獄大王』は、菊月()達には早過ぎたのだと。ああ、地獄への門が近づいてくる。あと三秒、二秒、一秒――

 

「……ともに逝こう……」

 

「菊月っおまえそれっ――あああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」

 

「「きゃぁぁぁあぁぁぁぁぁぁあ!!」」

 

「ぴょぉぉおぉぉぉおぉおぉぉおぉん!!!」

 

墜落。『地獄大王』を侮った愚か者共には、こうして罰が与えられる。ツイストしながら地面へと一直線、がくがくと身体が揺れる。下降、更に下降。最高時速180km/hは伊達ではない。直線へ移る際の衝撃は、正に地獄大王の一撃と呼ぶにふさわしいものだった。だが、それだけで終わるはずも無い。何故なら、あれだけの速度で落下してなお、地上とは未だ半分の距離があるのだから。

 

「わぁぁぁぁあ!うわぁぁぁぁぁぁあ!助けてぴょぉぉおぉおん!!」

 

「きゃ、ぁぁぁあ、ひゃぁぁぁぁあ!!」

 

艦載機のような速さを保ったまま、三回連続の宙返り。単純なだけにその威力は大きく、所々に設置されてあるトンネルに入る際の閉塞感が恐怖を煽る。

 

「か、髪が髪が髪がいたいたいた傷んじゃうぅぅう!!!」

 

「あぁぁぁぁぁぁあ!うぅぅう助けてくれ菊月ぃぃぃぃぃぃい!!」

 

縦回転の次は横回転。大きくバネのような軌跡を描きながら、俺達の乗る棺桶は大気を切り裂いてゆく。二周、三周、四周。そこからは真横に倒れたまま、遊園地の上空を高速で滑空する。丁度ここは、俺達が『地獄大王』を地上から眺め、乗ろうと相談した場所だ。あの頃の俺達を叱り付けてやりたい。

 

「……う、うう、うううう……!」

 

横向きに引き摺られていた筈が、いつの間にか収まっている。安堵しようと息を吐こうとした俺が見たものは、空。……そう、あろうことか俺達を縛り付けたこの地獄大王の拷問器具は、一直線に空へと向かっている。ああ、そう言えばそうだった。この『地獄大王』、最初(・・)最後(・・)に大きな急降下があった。

 

がこん、という不気味な音。それはまるで最初の一撃の再現をするように、ゆっくりと俺達を恐怖に陥し入れ――

 

「……うぅぅうあぁぁぁあぁぁぁあぁぁぁあ!!!」

 

我慢の限界だった。恥も外聞もかなぐり捨てて、『菊月』の心のままに叫ぶ。どんな敵相手にも感じたことの無いほどの恐怖を感じていたのは、果たして十秒か十分か。あうあうと言葉にならない声を漏らしつつ、ただ揺さぶられる。

 

「……あ?」

 

気が付けば、コースターはゆっくりと地面近くを進んでいた。まるで全ては嘘だったかのような静けさで、乗り場へと進んで行く。

 

――助かった。

 

この時の俺達の心情は、正しく一つだっただろう。生き残ったという安堵と、自らの浅慮に対する後悔。それを知ってか知らずか、俺達を乗せた『地獄大王』のコースターはそのままゆっくりと進みながら、乗り場を――

 

「……あ?」

 

――通過した。

そうだ。卯月が嬉しそうに、パンフレットを片手に言っていたではないか。『地獄大王はぁ、なんと!一度乗れば同じコースを三周するんだぴょん!一粒で二度どころか、三度美味しいとはこのことぴょん!』と。

 

期せずして全員の視線が先頭の卯月へと集中するが、当の本人は此方を気にする余裕もないようだ。文句を言う間も無く、ガタンという音と共に俺達の身体はゆっくりと持ち上げられてゆく。

 

「……桜の丘で、逢お――ぉぉおぉおぁぁぁあぁぁぁ……!!」

 

最後に一言だけ言おうとした、そのままに菊月()は呆気なく落ちていった。

 

 

 

「「あ゛か゛き゛さ゛ぁぁぁぁん゛……!!」」

 

「ああもうほら、泣かないの。卯月ちゃん、三日月ちゃん」

 

憔悴仕切った三日月と卯月は、赤城の胸に顔を埋めて肩を震わせている。同じように、長月と如月は何故か少し嬉しそうな加賀に介抱されている。菊月()はというと、近くにいた那珂ちゃんの腕の中だ。しかし、何故那珂ちゃんがこんなところに?それも、何故か達観したような表情で。震える声をどうにか抑えて訳を聞こうとした瞬間、頭上を通り越してゆく『地獄大王』から聞こえたとある声のお陰で疑問は氷解した。

 

「あははははははははは!やっっっっっせぇぇぇぇえん!!!」

 

「うふふ、うふふふふふ!もっとです、突撃ですっ!!!」

 

「っぐ、ぐすっ。……お疲れ、那珂ちゃん……」

 

「うん、ありがとー……」

 

何処かで聞いたことのある(川内と神通の)声。『地獄大王』から絶え間なく聞こえてくる心底楽しげなその声が、やけに印象的なお昼時だった。




ジェットコースターだけで一話終わった。菊月可愛いから仕方ないですね。

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