では、どうぞ。
第99層の主街区《終わりの街》へとたどり着いた俺は、真っ直ぐ安い宿へと向かった。終わりの街という名前からして、街の施設は少ない。一つの宿に一つの道具屋くらいしかない。第99層の面積は、恐ろしく小さく、この街だけでも全体の90%を占めてしまうほどだ。もっとも、道具の補充など下の階層の街で済ませればいいのだが。
街の賑わいは一切ない。理由は簡単、プレイヤーがいないからだ。99層は最下層の第1層に比べてあまりにも小さい。NPCも少ない上に、商店街もないので商人プレイヤーも存在しない。この街にいるのは、俺一人だ。何故こんな街に来ているのか? こんな上層のゴーストタウンに好き好んで来るプレイヤーなど、攻略組以外ありえない。だからここに来ているのだ。今の攻略組には俺しかいないから、俺一人しかこの街にいないということになる。だが、だからといって何があるのかというと、何もない。独りはもう慣れている。
NPCの客引きの声が静寂の中で響き渡る。俺は振り向きもせずに目的地へと向かう。別にNPCはたった一人の客である俺がそれに応えなくても悲しみも落胆もしない。同じように客がまた来ると思い込んでいるのだ。だとしたら、なんて哀れなんだろう。
いや、幸せなのかもしれない。自身がその事実に気づかずにいつもと変わらないように生きられるのだ。そうだ。俺だって認識さえしなければ、アスナが生きている日常に戻れたかもしれない。
夢物語だ。そんなことはない。アスナはもういないんだ。そう、この世界の全てが現実なんだ。アスナがいてくれたことと、愛してくれたことと、消えてしまったということは、全て、夢じゃないんだ。何十回も言い聞かせた言葉をリピートし、思考を断ち切った。何も考えず、ただ宿へ向かう。
小さな看板に掲げられた、INNという文字が見える。俺は木のドアを開けて中へ入る。若い女性のNPCが愛想よく笑い、出迎える。きっと俺が最初のお客さんだから、というわけではないことくらい理解している。
一泊泊まりたいという旨を伝えて、案内された部屋へと入る。簡素なベッドに小さな丸テーブルがあるだけだ。流石は一泊100コルの部屋だなと感じた。ただ、独り身の俺には相応の部屋だろう。
俺は武装を解除し、メインメニューのアイテムストレージに落とし込む。そのとき、ふとあるアイテムに目が移った。《ランベントライト》という名の細剣だ。俺はそれをクリックし、オブジェクト化する。その武器は、俺の妻であった、アスナの愛剣だった。
現在のアスナとの関係はシステム上では赤の他人である。婚姻関係はどちらかが死亡すると消えてしまうシステムになっている。架空の関係とはいえ、消してしまうのはどうかと思う。
静かに音を立ててそれは現れた。それを片手で掴みあげ、じっと見つめる。燃える焔のような激しさと、氷のような沈着さを感じさせる武器だ。だが、足りないものがある。この武器を装備するものだ。それは、アスナがふさわしいと俺は思う。彼女の可憐な容姿と鋭い視線、光のごとく素早い剣術があってこその、その武器だ。だからアスナが殺されたとき、俺は全力でその武器を守った。そんな覚えがある。今から思えば、無駄な行為だったのかもしれない。
俺はしばらくその武器を握って、アスナの温もりを先程と同じように感じようとする。だが、何も感じなかった。あるのは、重さだけだった。それも、アスナを失った時に感じた重さが。
俺は、その武器をストレージに放り込んで、ウィンドウを閉じる。メニューウィンドウは出来るだけ見たくはない。何故なら、アスナのことを思い出してしまうからだ。彼女のことを考え出すともう、止まらない。狂うまで、止まらない。
溜め息を吐き、俺は視界に映る時刻を確認する。02:16と書かれている。もうそんな時間だったのかと改めて気づく。てっきり夜の7時くらいかと思っていた。そろそろ体内時計も怪しくなってきたなと苦笑する。昔はかなり正確だったのに。
安っぽそうなベッドのシーツをまくりあげてその中へと入る。スーッと中は冷えており、暖かくなんかない。でも、最近はそれが心地良いとさえ思えてくる。常に昂る自己嫌悪と怒りを冷やしてくれそうだからだ。アスナのことを考えさせてくれないほどの寒さを保っているこのシーツは、最高のものだった。
***
朝が来た。時刻は06:28。実に早い朝だ。だが、それでいい。早起きはもう慣れている。
俺はゆっくりとベッドから起き上がり、伸びをする。倦怠感がとれていき、体が覚醒していく。俺はメインメニューの自身のストレージから武器や防具を装備して、宿を出た。一応、今日の2時にチェックインしたので宿にはまだ泊まれる。ソロプレイヤー時代に身につけたスキルのひとつだ。まさかまた使うことになるだなんて、思いもしなかったが。
俺はストレージに入っている、NPC経営のレストラン特製の白パンを朝食にすることに決めた。宿の外でそれをゆっくりと食べていく。別に味わっている訳じゃない。ただ、ガツガツ食べるような気分じゃないだけだ。クリームもジャムもない白パンの味など、興味がない。いや、今は食事に対して、興味がない。
パンを全て食べ終えた俺は早速歩き始めた。方向はこの層の迷宮区、ボスを倒すために行くつもりだ。ポーションも結晶もまだまだストックがある。道具屋に寄っていく必要もないと判断し、客引きしていたNPCを無視した。
外に出ると、直ぐに迷宮区のタワーの入り口が見える。俺はわずかに警戒心を強めて迷宮区へと足を踏み入れる。視界が暗くなり、俺の暗視スキルのみが頼りになる状況の中、道のりにはゴブリンやオークなどの獣人型のモンスターが群がってうろうろしていた。が、俺はそれを無視して通りすぎる。複数人数の迷宮区攻略の場合は、モンスターを一から処理して進まなくてはならなかったが、ソロの場合はそういったことをしないですむ。モンスターにターゲットを取られても逃げてしまえばいいのだから。それに暗い中戦っても仕方がない。
無駄な戦闘を避けながら奥へと進んでいくと、ボス部屋の前にたどり着く。荘厳な雰囲気を思わせるボス部屋の扉の前に一度立ち止まった。
ここで毎回思うのだ。たった一人でボスに挑むなど、無謀だと。90層からのボスはかなり強敵で、死者も続出してしまっている。一人では、叶うはずのない敵だ。
でも……そんなの関係ない。攻略組は俺しかいない。それに、死んだって構わないんだ。アスナがいない世界に未練などない。ひどく冷静になった俺は、ゆっくりとドアを押す手に力を込めた。
重々しくドアが、鈍い音を立てて開いていく。完全に開いたのを確認し、俺は前へと進む。ボス部屋の中は緊張を加速させるほどに冷たく、暗い。だが、そんなものにいちいち怯えている訳がない。俺は歩みを止めずに奥へ進む。
すると、突然俺の近くに赤の火がついた。それは徐々に奥の方へとドミノ倒しのように点灯していき、奥にそびえているボスの姿を照らした。ボスの名前は……《レディアンス・リバース》。虫関係の名前だ。
武器は前方に生えている角のようなもので、蜘蛛のような外見をしている。一言でいうならば、蜘蛛とクワガタを合わせたようなものだ。
ボスの3本のHPゲージが瞬時に現れる。それに合わせて俺も背中にある二本の剣をゆっくりと抜き払った。レディアンス・リバースの突進を合図に、戦いは始まった。
俺はその突進を避けようとも防ごうともせず、ただ待った。避ける必要も、防ぐ必要もないからである。
両者の距離が5メートル近くになる瞬間、俺は剣を光らせた。そして、レディアンス・リバースの巨体が俺に触れる直前。
光の光芒を引いた剣が、レディアンス・リバースの体を斬り裂いた。その一撃はボスの体力を削り、血に似た赤いエフェクトが飛び散っていく。
だが、それだけでは終わらなかった。光を帯びた二本の剣は、竜巻の如く荒れ狂い、ボスの巨体を襲った。《孤高》による威力補正のお陰か、残り1本にまでHPが減少していく。もとからレベルも高い上に、威力二倍補正は想像を絶する威力を生み出す。
《二刀流》16連撃ソードスキル、《スターバーストストリーム》の16撃目の突き攻撃が決まり、ボスの体を貫通する。体にへばりついた虫の体液の生々しい感触をどうにか振り払い、トドメを刺しにかかる。突き攻撃の勢いで離してしまった距離を、足の踏み込みで一気に詰める。
ボスは怒りの表情を浮かべて、角みたいなものを振り回す。だが、動きがあまりに大振りだったので、掠りもさせなかった。跳んだりしゃがんだりして距離を詰めていき、そのまま俺は、連続技を発動する。二刀流15連撃ソードスキル《シャイン・サーキュラー》。
一切の乱れがなく、淀みなく流れる剣舞を当てていく。威力は低いが硬直時間が少ない、優秀な技だ。それに威力の方は、孤高で補正してある。問題はない。
両手の剣を同時に突き出して、技を終了させる。青の光の残滓が星屑のように舞散る。ボスのHPは急激に減少し、空になった。ボスの体は徐々に薄くなり、不自然な角度で静止して、四散した。
***
この層のボスは合計4体もいた。しかもいずれもかなり凶悪な強さを持っている。回復する余裕のない状況の中、俺はどうにか撃破した。HPは4割を切る程度で済んだのは奇跡だろう。
音高く、最後のボスが散る様を俺は見ていた。キラキラと舞散る花弁のようなポリゴンの欠片に呆気なく変わってしまった。眼前には、《Congratulations!》の文字が映るも、さして感動を覚えることはなかった。入手アイテムなどをざっと確認してさっさと閉じてしまった。
俺は、剣を背中に納めて、ボス戦の最中に溜めていた溜め息を長く吐いた。その後、俺はボス部屋の奥にある螺旋状の階段へと足を向けた。その階段を上ると、第100層へとたどり着く。そう、プレイヤーたちが目指す頂へと、足を踏み込めるのだ。
茅場明彦は今、どういう気分だろうか。俺にこんなスキルを与えて、何をさせたいんだろうか。最上層で俺を待つ茅場明彦は、俺に何を期待しているんだろうか?
直ぐに分かることだ。100層をアクティベートしたら早速挑もう。そしてーー奴を殺そう。第100層の階段を上りながら俺はそれを明確に意識していた。
光が差している。恐らく外が近いのだろう。この螺旋階段に終わりが見えたということだ。この、糞喰らえな世界の終わりが近づいているとも言える。この階段を登り終えれば、戦いは、終わったも同然だからだ。
だがーー。
「キリトっ!」
後ろで俺を呼ぶ声がした。だが、気のせいだとしか思えない。何故なら、こんな迷宮区に来る奴など、いるはずがないのだからだ。俺は振り向かず、前へと進んだ。
だが、そうはいかなかった。肩を捕まれガッチリとホールドされてしまっていた。俺はゆっくりと後ろを振り返った。すると、僅かに俺は驚いた。
「リズ……なのか?」
「噂通りね……。アンタ、変わったね」
ずいぶんなご挨拶だなと感じたが、返すのが馬鹿馬鹿しい。俺は、無言でいた。
目の前の少女の名前はリズベット、愛称はリズ。俺の友人で専属スミスだ。たまに武器の修理とかで訪れたりしていたが、アスナのことがあってから一度も会ってない。
服装は初対面の時と変わっていた。ピンクの派手なエプロンドレスは地味な紺のフードに、髪の毛はピンクから黒に変わっていた。彼女に一体何があったのだろうか。正直、どうでもいいが。
「リズ、俺に何のようだ? 言っておくが、武器はまだ大丈夫だ」
俺はボソボソと低い声でリズベットに問う。何故こんな場所に来たのだろうか?
「武器関係じゃないわ。アンタにお願いがあってきたのよ」
お願いか。もし下らないものだったら俺は、降りる。そう考えて俺は何のお願いだと聞いた。
リズベットは、ごくりと息を飲んで言葉を纏めているようだった。俺は彼女が話すのを待った。言葉を纏めたリズベットは俺の目を見て、話した。
「単刀直入にいうわ。アンタにね、第1層を救ってほしいの」
俺はこのとき、知らなかった。
第1層、いや、アインクラッド全体が、俺だけを残して変わり果ててしまったことを……。
リズベットがなぜこんな危険なボス部屋に来れたのかは次回説明いたします。単純なものですがね。
次回はあまりにひどい惨状を描けるよう努力します。もちろん線引きはきちんとしますが。
許容範囲内で書けるようがんばります。
では、感想などお待ちしております。