ランスIF 二人の英雄   作:散々

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第182話 夜が近づく

 

-ムシ使いの村-

 

「それじゃあランスの事は知っているけど、どこにいるかは判ってないんだな?」

「……ええ」

 

 ボロっという擬音を纏いながら、エミが不満そうに言葉を返す。エミとドルハンは二人仲良く縄で縛られており、それをダークランスが見下ろす形となっていた。その横には、心配そうに三人を見つめる少女の姿。先程襲われそうになったというのに、その当事者であるエミとドルハンを心配している辺り、少女の人の良さが窺えるというものだ。

 

「ドルハンの無能……このわたくしがこんな屈辱を受けるだなんて……」

 

 エミを守るべくダークランスと対峙したドルハン。決して少年を侮っていた訳ではない。ただの子供でない事は一目見て見抜いていた。だが、まさかこの齢にしてこれ程まで鍛えているというのはドルハンの想像を遥かに上回っていた。終始劣勢に立たされ、最終的には援護に入ろうとしたエミが盛大にこけたのに意識を取られてしまい、ダークランスに敗北する事となってしまった。

 

「おっちゃんは強かったぜ。あんたが足を引っ張ったんだろ。戦場にそんなヒラヒラのドレスで来るから転ぶんだよ」

「お黙りなさい! アルフォーヌ家の者として、粗末な格好で出歩く事など出来ませんわ!」

「もうちょい動きやすい格好をすりゃいーのに」

「何をめくっているんですの!?」

 

 ヒラヒラのスカートの裾をペラリとめくるダークランス。その行動に対し、縄で縛られながら顔を真っ赤にして抗議するエミ。そんな彼女の脳裏に最悪の想像が過ぎった。

 

「(ま、まさかこのマセガキ、わたくしを縄で縛ったうえであんな事やこんな事を……きっとそうよ……このわたくしは美しいから、ここで犯されてしまうのだわ……)」

「そういう事しちゃ駄目」

「いたっ」

 

 ぽこん、と少女がダークランスの頭を軽く小突く。

 

「えっちなのはめっ、なんだよ」

「別に興味ないし……」

「そうよ、女の子の肌はみだりに見ちゃ駄目よ」

「わっ」

 

 にょこ、っという感じで少女の額から突如緑色の芋虫が飛び出し、ダークランスに注意をしてきた。突然の事に思わず声を漏らす。これがムシ使いの特性。この少女やドルハンのようなムシ使いはこのように体内にいくつもムシを飼っているのだ。因みに、ムシへの扱いはムシ使いによって異なる。少女のようにムシそれぞれが意志を持ち共存しているものもいれば、宿主が押さえつけるようにして統制しムシ個々が勝手に動く事を禁じているムシ使いもいる。

 

「ごめんちゃい、驚かせ……」

「なんだそれ!? すっげー、かっけー!」

「……格好良い?」

 

 きょとん、とした表情の少女を他所に、ダークランスは目をキラキラとさせている。

 

「滅茶苦茶かっけーよ! だって今のって、『俺の中のあいつが勝手に……』とかそんな感じだろ!? やべー、すげー!」

「あ、この子そういう子なのね。これは将来が心配だわ」

「え、えへへ……」

 

 芋虫は何かを察したように呆れた声を漏らすが、純粋なまなざしと素直な賞賛の言葉を向けられた少女は嬉しそうに笑みを浮かべた。

 

「この子はね、あげはって言うの」

「はーい、よろしくね」

「他には!? 他にはいないのか?」

「えっとね、右ふとももにいるのがじいさまで、右腕にいるのが毒やん……」

「右腕!? 俺の右腕が勝手に!? 超かっけー!!」

「見る目あるなお前」

「こりゃ! ワシはどうでもいいんか!?」

 

 少女の右ふとももから盾のような形のムシ『じいさま』が飛び出し、右腕からは羽のような形をした『毒やん』が飛び出す。ダークランスの興味は完全に毒やんに集中しており、その事が少し不満だったのかじいさまが小言を言っている。だが、ダークランスはどこ吹く風。そんなみんなの様子が可笑しかったのか、少女はクスクスと良い笑顔で笑っていた。

 

「三匹か……という事は、まだ半人前なのだな?」

「えっ?」

 

 そう問いかけてきたのは、エミの横で縛られたままのドルハンであった。エミと違い、こちらは相応の手傷を負っている。

 

「どういう意味だ?」

「ムシ使いは最低でも四匹以上その身にムシを宿さねば一人前とは呼べん」

「そうなのか?」

「うん。かろの中には三匹しかムシがいないから、まだ半人前なの」

「……無理もないな。あの虐殺があった時、まだ幼かったのだろう」

「…………」

「虐殺……?」

「そうか、お主の年では知らぬのも無理はないか……」

 

 少女が悲しげに俯いたのを見て、ダークランスがドルハンに問いかける。その口から語られたのは、GI1011年に行われた異文化撲滅政策の悲劇。魔法使い至上主義の者たちにとって邪魔な存在であったムシ使いやリカーマンなどの種族が一方的に虐殺された出来事であった。それを聞き終え、ダークランスは怒りを露わにする。

 

「なんだよそれ……偉い奴らが勝手にいらないって決めて、勝手に切り捨てんのかよ!」

「…………」

「好きでそう生まれた訳じゃないのに……」

「(訳ありか……)」

 

 噛み締めるようなその物言いに何か訳がある事を察するドルハン。ムシ使いとして生まれたが故に一族は虐殺された。そしてダークランスもまた、自分が人間と悪魔のハーフとして生まれたがために母共々悪魔界を追われ逃亡生活の身となった。無意識に自分と重ねてしまったのだろう。そんなダークランスの頭を優しく撫でる少女。それを見ながら、ドルハンはゆっくりと口を開いた。

 

「お前ら、名前は?」

「カロリア」

「ん……えっと、ダークランスだ」

「(まさか……いや、そういう事か……)」

 

 ダークランス。その名前で全てを察する。この子供はあの男の子だ。顔立ちが似ているのにもこれで合点がいった。あの男は強かったが、確かに人の親としてはまだまだ若過ぎる。恐らくこの子も、多くの苦労をしたのだろう。

 

「同胞カロリアよ。まずは感謝させてくれ。よくぞ生きていてくれた。最早この世に同胞はおらぬと思っていた」

「おじちゃん……」

「出来ればこれ以上ムシは入れるな。半人前で構わぬ。それを笑う同胞はもういないのだから」

「ムシって入れるとやばいのか?」

「ムシを入れる儀式はかなりの苦痛を伴うわ。拒絶反応が起これば、死ぬことだってあるの」

「入れ過ぎても駄目。過剰に入れ過ぎると体が持たない」

「小僧、そういう事はワシに聞かんか」

 

 ひそひそとあげはと毒やんの二匹と会話するダークランス。ムシ使いがムシを入れる儀式は文字通り命がけである。数日間の苦痛を伴い、場合によっては死ぬ事すらある。そんな中、物知りのご意見番的立場であるじいさまは不満そうにしていた。

 

「出来ればこのままひっそりと暮らして欲しい」

「…………」

「おっちゃん、勝手な事言うなよ。このまま死ぬまでひっそりと暮らしていたい訳ないだろ!」

「小僧……」

「おいらたちは生きていていいんだって……大手を振って表を歩きたいに決まってんだろ……」

 

 ドルハンの言葉を受け、カロリアではなくダークランスが怒りを露わにする。気持ちは判る。自分とてムシ使い。数多くの差別は受けてきたし、今なお受けてもいる。だが、この少年の口にする未来がどれだけ無謀な事かも重々承知している。だからこそ、ひっそりと暮らして欲しいと言ったのだ。今ここで少年を理屈で説き伏せる事は出来る。だが、ドルハンの選んだ返答は違った。

 

「すまんな。悪かった」

「ん……」

 

 謝罪の言葉。それがドルハンの発した返答であった。カロリアはここで確信に至る。目の前の同胞は優しいのだ。見た目は確かに強面かもしれない。だが、本来彼は戦場に立つような性格ではないのだ。あの虐殺さえなければ、ムシ使いの村で平穏に暮らしていたのだろう。自分がもう叶えられぬ平穏を、多少の不便さはあるが自分に代わりに成して欲しかったのだろう。だからこそ、ひっそりと暮らして欲しいという願いが出たのだ。

 

「お前、大丈夫なのか……?」

「えっ?」

 

 唐突にカロリアにそう問いかけるダークランス。だが、カロリアは何を聞かれたのか判らず呆けた声を出す。一度ため息をつき、ダークランスは自身の体を指差しながら再度問いを投げた。

 

「ムシだよ。入れ過ぎると危ないんだろ?」

「カロリアちゃんは大丈夫よ。三匹だもの。平均的には五、六匹くらいまでは大丈夫ね。でも、十匹以上入れられるムシ使いはそうそういないわ。それこそ、十年に一人の天才とかそういう世界よ」

「そうじゃな。むしろ危ないのは……」

 

 カロリアに代わってあげはが答える。どうやら三匹のムシの中ではこのあげはが一番のお喋りらしい。どうやらカロリアは特に問題ないようだ。だが、じいさまは意味深な口調でドルハンを見る。

 

「何匹入れておりますかの?」

「……九匹」

「なんだよそれ、ギリギリじゃねーか!」

 

 じいさまの問いに素直に答えるドルハン。先程十匹以上入れられるのは一握りの天才だけで、それ以外は死んでしまうと言っていた。思わず目を見開くダークランスと、悲しそうな表情を浮かべるカロリア。

 

「おじちゃん、ここに新しいムシを入れに来たんだよね? 駄目だよ。おじちゃんの体が持たないよ」

「…………」

「今だって、かなり無理をしてるのに……」

 

 そう、ドルハンは元々ここに十匹目のムシを入れに来たのだ。今のままではランスに勝てないため、リベンジを果たすべくエミの命令でここにやってきた。だが、それはカロリアからしてみれば自殺行為。目の前の同胞は決して天才などではない。今の九匹という状態ですら、相当の無理をしているのだ。本来の彼の適性は平均値である五、六匹程度だろう。

 

「おじちゃん、ムシ、少し離そうよ……このままじゃおじちゃんが危ないよ……」

「これはエミ様が望まれた事。ムシを離す事は出来ん」

「じゃあ、おいらがおっちゃんを逃がしてやる。もうこんな女の命令なんか聞かなくていいんだ」

 

 キッパリと言い放つドルハンに対し、ダークランスが一つの案を提示した。名案だろうと言わんばかりに自信満々の顔をしていたダークランスだが、ドルハンは首を横に振った。

 

「いらぬ。例え自由の身になろうとも、わしは自らの意志でエミ様の下に戻り、その御身をお守りする」

「なんでこんな女にそこまで……」

「例えエミ様がわしを家畜程度にしか思っておらんでも、わしはこの命をエミ様に救われた。物珍しさからの気まぐれでしかなかったのは知っておる。だが、結果としてわしは生き延びた。同胞の殆どが死に追いやられたあの虐殺から、エミ様が救ってくれたのだ。ならば、わしの生涯はエミ様に捧げる。命を捧げよと言うのであれば、いくらでもこの命差し出そう」

「おっちゃん、すげーな……」

「凄くなどない。今もこうしてお主に負け、エミ様を守れぬ恥辱を晒しておる」

 

 自嘲気味にそう語るドルハンだが、ダークランスは素直に感心していた。正しく忠義の戦士。それに引き換え、この主はそれに応えるような器ではない。そういえば長い時間無視してしまっていた事を思い出し、チラリとエミに視線を向けるダークランス。そこには目をとろんとさせ、頬を紅潮させた縛られたままのエミの姿があった。

 

「(……そうね、きっとその後は街に連れて行かれ、大勢の二級市民にかわるがわる……ああっ、なんておぞましい……考えただけで頭の芯が痺れるっ……)」

「何やってんだ、このねーちゃん……おーい!」

「はっ!」

 

 ダークランスが耳元で叫ぶと、トリップしていたエミが我に返る。随分と静かにしていると思っていたが、どうやらここまでの話を全く聞いていなかったようだ。

 

「なっ、なんですのっ!? わたくしに何をするつもりなの!?」

「別に何もしねーよ。あいつの居場所も知らないみたいだし。こいつ……カロリアに手を出さないなら別に何もしない」

「……あ、あら?」

 

 想定していた回答と違っていたからか、エミが呆気に取られる中、ダークランスは一人ため息をついた。

 

「(ちくしょー、折角あいつにもう一度会えるチャンスだと思ったのに……)」

 

 ランスと会うチャンスを失い、ダークランスは落ち込んでいた。失意の中、ふと思い出すのはもう一人の父の言葉。

 

『いいか、ダークランス。戦いには駆け引きも重要だ』

『駆け引き?』

『そうだ。プライドの高そうな相手にはわざと挑発をしてこちらの望む行動を引き出したりな』

 

 プライドの高そうな相手。チラリとエミの顔を見るダークランス。どこからどう見てもプライドの塊だ。今まで試した事はないが、やってみるかとグッと拳を握る。

 

「あーあ、アルカネーゼ家ってのも大したことねーな」

「アルフォーヌ家よ! 初めの二文字しか合ってないじゃない!」

「ランスの居場所も判らないなんてなー」

 

 ダークランスの挑発を受け、エミはぐぬぬと唇を噛み締める。見事に術中。

 

「い、一応相手はレジスタンスですのよ。居場所を掴むのがどれだけ大変か……」

「出来ないのか? アルフォーヌ家なのに?」

「出来るわよ!」

「(ちょろい)」

「(ちょろいわー)」

「(エミ様……)」

 

 カロリアの体内で毒やんとあげはには共通の単語が浮かんでいた。ちょろいにも程がある。ドルハンもまた、心の中で涙を流していた。

 

「じゃあ、お前はランスの居場所を調べておいらに教える事を約束しろ。そうしたら縄を解いてやる」

「えっ? 解くんですの?」

「えっ?」

 

 不思議そうに相手の顔を見合う二人。どちらが原因かは一目瞭然だが、会話が成り立っていない。

 

「でも、その約束を守る保証がないと思うの」

「あっ、それもそうか……」

 

 カロリアの言うように、エミがこの約束を守る保証など一切ない。縄を解けばそれで終わり。わざわざムシ使いの村に戻って来る事はないだろう。これは困ったとダークランスは眉をひそめ、ドルハンに視線を移す。

 

「一応言っておくが、わしを人質に取っても無駄だぞ。さっきも言ったように、エミ様はわしを家畜程度にしか思っておらん」

「そんな事しねーよ」

「……甘いのだな」

「おっちゃんに言われたくねー」

「ふん……」

 

 ドルハンはこのような状況にありながら、カロリアの事を心配してひっそりと暮らすようわざわざ助言してきた。思い返せばカロリアを襲おうとしていた際、ドルハンは反対する素振りを見せていたかもしれない。それなのにボコボコにしてしまって悪い事をしたなと心の中で反省するダークランス。

 

「エミ様」

「ん、なにかしら?」

「お恥ずかしい話ですが、この小僧は腕が立ちます。そして、わしの見る限りこの小僧もランスの事は憎く思っておるようです。奴を打倒する為に、ひとまず利用しても良いのではないかと」

「おっちゃん……」

 

 そうエミに進言するドルハンであったが、エミはギロリとドルハンを睨み付ける。

 

「お黙りなさい、ドルハン。貴方、誰に口を聞いているの? 立場を弁えなさい! 今後の方針は私が決めるわ。貴方の口出しする事ではないの!」

「はっ、申し訳ありません……」

 

 この物言いにダークランスが我慢の限界に達する。ドルハンが認めていようとも、自分はドルハンのこの扱いには納得出来ない。

 

「お前、いい加減にしろよ! いいか、約束を破ったらお前を酷い目に遭わせるからな!」

「ひっ!」

 

 エミに剣の切っ先を向けてそう凄むダークランス。思わず声を漏らすエミであったが、その目はどこか恍惚の模様を示していた。そんな中、蚊帳の外であったカロリアが、正確には彼女のムシのあげはがダークランスに忠告する。

 

「こらこら、それじゃあ駄目よ」

「えっ?」

「いいから耳を貸しなさい……ごにょごにょ……」

「えっ? なんで? それじゃあ……」

「いいからやってみなさい」

 

 腑に落ちない表情のダークランスであったが、一応忠告を受けた事を試してみる事にする。

 

「もし約束を守ったら、もっと酷い目に遭わせるからな!」

「な、なんですってぇっ!?」

「あげは、かろも意味が判らないよ」

「いいから見ていなさい」

 

 未だ縄に縛られたままオーバーリアクションで反応をするエミ。だが、あまりにも支離滅裂。カロリアも頭にハテナマークを浮かべていた。しばし俯きながらぷるぷると震えたかと思うと、突如勢いよく顔を上げてエミはこう言い放った。

 

「望むところよ! アルフォーヌ家の家名に賭けて、必ずランスの居場所を見つけて差し上げるわ!」

 

 エミ・アルフォーヌ。その瞳は綺麗であった。自他ともに認めるドS女であった彼女だが、実はその身に宿すはドMの宿命。そんなもの存在はしないが、恐らく技能レベルにすれば2は固い傑物。

 

「えっ、なんで!?」

「望んじゃったよ」

「そんな家名、燃やしてしまえ」

 

 だが、エミの行動はまだ幼いダークランスの理解の範疇を越えており、ただただ困惑する事しか出来なかった。毒やんは達観した口調で、じいさまはげんなりとした口調でそう口にする。

 

「とーちゃん、世界は広いよ……」

 

 また一つ、少年は大人の階段を上った。間違えた方向に。

 

 

 

-アイスフレーム拠点 ルークの部屋-

 

「やはりそうか……」

「はい。ウルザさんの屋敷には夜毎ランスが出入りしていました。一応中の様子も窺いましたが、行われていた事は想像の通りです」

「…………」

 

 ルークが自室でかなみの報告を聞き、予想通りであったかと小さく頷く。その報告を沈痛な面持ちで聞くのは、セスナ。今この部屋にいるのはルークとかなみだけではない。二人以外にも志津香、ロゼ、セスナ、トマト、真知子の五人が詰めかけていた。以前にウルザやアベルトを監視して欲しいとかなみに頼んだ際に集まっていた面子に、副隊長のセスナを加えて報告会を開いていたのだ。アベルトを疑っていたのはセスナであるため、報告会に呼ぶのは適切であると言えよう。

 

「ルークさんは気が付いていたんですかねー?」

「前に一度ランスが不用意な発言をした事があってな。今のアイスフレームの実権はランスが握っているんじゃないかと疑っていたんだ」

 

 トマトの問いにそう答えるルーク。女の子刑務所に潜入した際、ランスはエミを襲うのが真の目的であるかのような発言をしていた。その発言を聞き逃していなかったルークは、あの時からウルザを疑っていた。いや、疑っていたという意味ではもっと以前から。元々かなみにはこの件よりも前にウルザを監視するように頼んでいたのだから。

 

「それと、ウルザさんが郵便物を検閲しているという事はありませんでした。郵便配達員と繋がっている痕跡も無しです」

「そちらの面ではシロだったという訳ですか」

「でも、ついでにもっととんでもないクロ部分を掘り当てちゃったと」

「そのようですね」

「…………」

 

 そう、元々の切掛けは真知子がルークから届いた郵便物に開けた痕跡があったという事象。どうやらそちらの犯人はウルザではなかったようだが、真知子とロゼの言うようにもっと重大な真実が判明してしまったとも言える。いつも口数の少ないセスナが、今はいつも以上に黙っている。

 

「ぐう……ぐう……」

「って、寝てるですかねー?」

「おおっ!」

 

 トマトの声に反応し、パチンと鼻提灯を破裂させるセスナ。いつも通りかと皆が苦笑する中、セスナが静かに口を開く。

 

「でも……ショックじゃないと言えば嘘になる……」

「ま、そういう事もあるわよ。見た目清純派でも中身はびちびちビッチとかよくある事だしね。私みたいに」

「は? なんて?」

「清純派って一体……」

 

 志津香とかなみの突っ込みにもどこ吹く風のロゼであったが、セスナはふるふると首を横に振る。

 

「別に男女関係は気にしてない……ショックだったのは、ウルザ様が方針を決めていなかった事……」

「…………」

 

 そう、セスナを始め今もなおアイスフレームに残っている者の中には、ウルザが率いているからこそ残っているという者も少なくない。

 

「最近の活動は今までと比べて大きな事をしていた……内容が過激になっていたから少し迷う事もあったけど、前に動いているっていう実感はあった……」

 

 止まっていた時計が動き出すような感覚を、ここ最近のセスナは感じていた。少しずつではあるが、またウルザが歩み出したのだと考えていた。だが、そうでなかった事が何よりもショックだったのだ。

 

「昔みたいで嬉しかった……」

「昔……」

 

 セスナの言う昔とは、ウルザがまだ歩けていた時の事。噂に聞くウルザの全盛期、救出作戦の失敗以前の事だろう。

 

「馬鹿と煙は高い所が好きっていうけど、本当ね。また裏番気取っているだなんて」

「リーザス解放戦の時もそうでしたものね」

「そうね。まあ、ランスも上に立った経験は多いし、周りにフォローしてくれる人も多いから、そうそう無茶な事は起こさないでしょ」

「ルークさんもいますですかねー!」

「確かに、ブレーキ役ですよね」

 

 志津香がため息をつき、真知子が静かに微笑む。だが、ロゼの言うようにランスとてトップに立つのは初めての経験ではない。シィルやルークを始め、ブレーキ役も多くいる。そうそう滅多な事は起こらないはずだ。皆がそんな事を話す中、セスナに配慮してルークは小声でかなみに問う。

 

「因みに、ウルザは抵抗していたか?」

「いえ、それが抵抗していなかったんです」

「……そうか」

 

 諦めているのか、受け入れているのかは判らない。だが、ウルザはランスを拒絶していない。

 

「あ、それともう一つ。アベルトさんも数日監視しましたけれど、特におかしな事はありませんでした」

「まあ、そうよね。特に怪しいとは感じないもの」

「そうですね。どちらかというと皆さんに好かれているようですし、敵を作らないタイプだと思います」

「セスナさんの勘違いですかねー」

 

 かなみの報告に頷く一同。アベルトをどこか怖いと恐れていたセスナの為に数日監視を行ったが、特に変わった点は見受けられなかった。志津香や真知子、トマトも同意見のようだ。特に志津香や真知子といった比較的簡単に人を信じない面々から見ても、アベルトについては特に怪しい点はないという。静かに頷くセスナ。

 

「うん……多分、私が個人的に苦手っていうだけだから、もう気にしないで……」

「まあ、実はこの人苦手、みたいなのってありますよね」

 

 かなみがフォローし、話題が流れていく中、ロゼだけは怪訝な表情を崩していなかった。

 

「(……苦手。確かにそうなのかしら。でも、あの男に感じるのはそれとも少し違うわね……この感情は……)」

 

 何と言い表せばいいか判らぬ感情。だが、決して好意的なものではない。恐らく、セスナも自分と同じようなものを感じ取っているのだろう。だが、同調する者は他にいないため、わざわざ空気を壊す事もないなとロゼは口を噤む。すると、ロゼではなくルークが口を開いた。その内容は、一つ前の話題について。

 

「昔か……セスナ、もしよければその頃のウルザの話……いや、違うな。ウルザがこうなってしまった原因の事件の話を聞かせて貰えないか?」

 

 ウルザがかつてどれ程凄かったかは、これまで十分に聞き及んでいる。だから、今聞きたいのは彼女がこうなってしまった原因。

 

「話してもいいけど、私よりももっと適任の人がいる……」

「適任?」

 

 セスナがコクリと頷き、その者の名を告げた。

 

 

 

-アイスフレーム拠点 孤児院-

 

「ウルザの話?」

「ああ。長い付き合いのキムチから話を聞きたくてな」

 

 この日、ルーク他数名のブラック隊隊員は夕飯を孤児院で済ませていた。アルフラやあおいが喜ぶのでキムチもルークたちの訪問は歓迎していたが、子供たちの就寝までもう少しという時刻になり、それまで子供と戯れていたルークが子供たちの相手を他の隊員に任せ、キムチにこのような問いを投げてきたのだ。

 

「何か気になる事でもあるの?」

 

 キムチの問いを受け、ルークは正直に言葉を続ける。

 

「ウルザが今の状態になってしまった原因である救助活動の失敗。それと、それ以前のウルザについても少し聞かせて貰いたい」

「あれ? それって、ネイから聞いたんじゃないのか?」

 

 そう言って話に入ってきたのは、先程まで子供と遊んでいたシャイラ。そう、救助活動の失敗については、アイスフレームについたばかりの時にネイとセスナから聞いている。何せシャイラが行方不明になったのもこの事件なのだから。

 

「キムチからの視点でもう一度聞きたくてな」

「あー……なんとなく判った」

「お前も昔に比べて物わかりが良くなったな」

「お生憎様。ネイには効いてもあたしにはそのいじりはそんなに効かねーよ」

「ちょっとは効くのね。正直な事で」

 

 へっぽこであった昔を引き合いに出すルークであったが、ベッと舌を出してそう答えるシャイラ。だが、少しは効く事を言ってしまう辺り正直である。ロゼが苦笑しながらこちらにやってくる。これでキムチを入れて四人。立話もなんだからと机の方を指差すキムチ。

 

「……そうよね。ビルフェルムから、ウルザは凄いって聞いていたんだものね」

「ああ」

「あっちで座りながら話しましょう。あおい、カーマ、そろそろ皆を寝かせるよう準備して。悪いけど任せた」

「はい」

「はーい!」

 

 子供たちの就寝の準備を二人に任せ、台所の方へと向かう四人。他の隊員には目配せをし、こちらには来なくていいと合図を送る。あまり人が増えすぎてはキムチも話しにくいだろう。これから話すのはアイスフレームのリーダーの失敗談なのだから。

 

「ちょっと待ってて、今お茶を……」

「あ、私が淹れます」

 

 椅子に座るルークたちを前にキムチがお茶を淹れてこようとする中、奥の部屋から出てきた女性がそう言ってキムチを止める。それは、見覚えのある女性。

 

「アニーさん」

「おっ、もう大丈夫なのか?」

「お陰様で……」

 

 ルークとシャイラ、二人の恩人に頭を下げるアニー。キムチと二、三会話を交わした後、そのままお茶を淹れるべく台所を動き始める。だが、彼女は足を少し引きずっていた。アニーには聞こえぬよう、シャイラは小声でキムチに問う。

 

「足の怪我、まだ治らないのか?」

「ええ、ダニエルの診察ではまだ少し時間が掛かりそうだって」

 

 女の子刑務所で虐待にも近い扱いを受けていたアニー。その体には生々しい傷跡が残っており、今も足は完治していない。

 

「今はリハビリ中。私もちょっとした事はあえてアニーに任せるようにしてるの」

「そうだな。その方が良いと思う」

「結局、リハビリっていうのは本人がやる気を出さないと駄目だからね」

「ん……そうよね……」

 

 ロゼの言葉に何か思うところがあるのか、アニーの後姿を複雑な表情で見守るキムチ。誰と彼女を重ねているのかなんて、言わなくても判る。未だ動き出す事の出来ない、あの女性だ。アニーがお茶を皆の前に置き、話の邪魔になるからと一礼をして下がる。

 

「さて、何から話したものかしらね……ウルザが凄かったって話は耳にタコが出来るくらい聞いているんでしょ?」

「そうだな。アイスフレーム内では聞く相手、聞く相手、皆ウルザを褒めている」

「ウルザはすげーぞ。私が保証する」

「……と、この通りだ」

「成程」

 

 胸を張るシャイラを引き合いに出すルークを見て、キムチが静かに微笑む。そう、アイスフレーム内にはウルザの信奉者も多い。だけど、ルークたちから見た今のウルザがそうでない事くらい、キムチにも判っている。

 

「気を悪くしないでね。正直に言わせて貰うと、今のウルザはそうは見えない」

「うん……」

 

 ロゼのハッキリした物言いに頷くキムチ。ルークが彼女を止めない辺り、同意見なのだろう。だが、二人は間違っていない。今のウルザは、『止まって』いる。

 

「文武両道、見ているだけで元気づけられるようなエネルギーの塊。そうね、太陽みたいな女の子」

「…………」

「それが、私から見たウルザ」

 

 どこか懐かしむような目でそう語るキムチ。ウルザを語るその言葉に、他の者とは違う重みをルークは感じ取っていた。やはりセスナの言うように、キムチに聞いたのは正解だった。

 

「ペンタゴンを抜けて、私財を投じてアイスフレームを設立したのはご両親。この辺の話も知ってるわよね?」

「ああ」

「ご両親もお兄さんのビルフェルムもみーんな人望あったけど、ウルザのは別格だったわ。カリスマってこういう人の事なんだろうなーって思ったもの」

「そうだな」

 

 シャイラも相槌を打つ。彼女も一応ペンタゴン時代からの付き合いだ。当時は新参者でも、今となってはそれなりの古株。

 

「当時は今よりもずっと組織の規模が大きくてね、軍と争った事もあるし、必要なら過激な事だってしたのよ」

「意外だな。昔から穏健派なのかと思っていたが」

「ウルザだってね、何の被害も出さずに国を変えられるなんて思っていないわ。ウルザはこう唱えていたの。国を変えるには、最終的にはクーデターを起こすしかないって」

 

 それは意外な言葉であった。クーデターを起こそうとするペンタゴンと袂を分かったウルザも、目指すところはクーデターだったのだから。

 

「武力行使? まあ、そうなるわよね。でも、ゼスの抱えている問題はそこじゃないと思うけど」

「そうだな。ゼスの根底にある最大の問題は、思想だ」

「ふふっ」

 

 ロゼとルークの言葉を聞いて嬉しそうに微笑むキムチ。何事かと眉をひそめる二人に対し、シャイラが代わりに言葉を続ける。

 

「ウルザの目指していたクーデターってのがそれだよ」

「どういう事だ?」

「ウルザはね、今ペンタゴンが唱えるような軍事クーデターを起こしても、なんの解決にもならないって言っていたの。大混乱が起こるだけで、例え成功しても立場が入れ替わるだけ。今度は魔法使いが二級市民と同じ差別を受ける国になるだけだって」

「……まあ、判るわ。でも、それを目指しているのがペンタゴンでしょう?」

「うん、だからネルソンたちとは別れた。ウルザはね、ゼスという国を変えたいの。全ての国民が笑って過ごせるような国にしたいの。魔法使い、非魔法使いなんて関係ない。そんな差別のない国にするって」

 

 ネルソンたちの目指す理想の国に魔法使いは入っていない。だが、ウルザはそうではない。魔法使いも非魔法使いも存在する。その上で差別意識の無い国を作る。それが、ウルザの目指すもの。そう、それはまるで……

 

『……俺の目指す物は、世界を一つにまとめる事だ』

『私と同じとはな……』

『似て非なる物の可能性もあるがな……』

 

 世界を一つに纏めるという目標の中に魔人を含むか否かという違いのあった、ルークとガンジーのような差異。

 

「思想……価値観へのクーデターか……」

「……うん。それが、ウルザのやろうとしていたクーデター。魔法使いと非魔法使い、お互いへの嫌悪感を無くす事が一番の近道だって」

「(ん……?)」

 

 何か引っ掛かるものを感じたロゼであったが、その正体が判らなかったため話を先に進める。

 

「でも、そんな事判っているとは思うけどあえて言わせて貰うわ。簡単な事じゃないわよ。敵はゼス政府じゃない。それこそ何百年、何千年も掛けてべっとりこびりついた思想を相手にしているんだから」

 

 何千年の部分を少しばかり強調したロゼ。それを受け、ルークは思う。ロゼはもう気が付いている、と。自分とウルザ、その目指すものの方向性が同じである事に。

 

「うん、判ってる」

「それに魔法使いを擁護する訳じゃないけど、ゼスにおいて魔法使いが優遇されているのはある程度仕方のない事だと思うの。だって、魔法大国だもの。生活も、国の運営も、その全てに魔法や魔法道具が関わっていると言っても過言じゃないわ」

「……確かに、街にいきゃどこにでも魔法道具があるよな」

「魔法使いは非常時に魔力供給を義務付けられているし、それ以外にも魔力を国に提供する機会は沢山あるの。言わば税金みたいなものね。もし本当に平等にしたら、今度は魔法使い側から不満が出る。何故こんなにも国に貢献している自分たちと、非魔法使いが同じ扱いなのかって。かといって、魔法使いを優遇したら今と同じ」

「…………」

「今はやり過ぎているから、魔法使いの優遇比率を下げれば不満は無くなるか。ううん、そうじゃない。例え僅かでも、平等でなければ不満の声は必ず上がる。でも、魔法使いによって成り立っているこの国において、真の平等は不可能」

「ん……」

「それが、ゼスの抱えている問題よ」

 

 ロゼの言葉にキムチもシャイラも黙り込む。そう、決して簡単な事ではない。いや、『簡単ではない』という言葉で括るのもおこがましい、深く暗く重い問題。それがゼスの闇。

 

「それでも……」

「ん……?」

「それでも、ウルザを信じているのか? この国を変えてくれるって」

「勿論」

 

 ルークの問いに、キムチは表情一つ変えずに即答した。それでもウルザならば、この国を変えてくれる。理屈も根拠も関係ない。理由など一つ。彼女を信じているから。

 

「(まあ、そう言われたら私は何も言えないわよね……)」

 

 それまでまるで追い詰めるように語っていたロゼだが、キムチの回答を聞いて自嘲気味に微笑む。自分も同じだ。信じている。ゼス国の闇よりもなお深い、人類と魔人の因縁。それを全て取っ払い、共存する未来が作られる事を。あの男が、作ってくれる事を。

 

「…………」

 

 ロゼが椅子に深く腰掛け、背もたれに背中を預けて黙ってしまったのを見て、少しだけ不思議そうにするキムチ。その理由は、人類と魔人の共存の一件を知らないキムチには考えも及ばない事であった。暫しの静寂の後、ルークが口を開く。

 

「……ウルザは、その為の活動を続けていたんだな?」

「うん。ウルザは結構弁も立つからね。その言葉を武器に、思想啓蒙に励んだわ。お互いに協力し合う事の大切さ、憎しみ合う事の愚かさ、それを少しずつ説いていったの」

「ペンタゴン時代は、弁についてはネルソンとウルザの二強ってイメージだったな。派閥もネルソン派とウルザ一家派に分かれていた感じだし。ちょっと下がってエリザベス、って感じか」

「へー、エリザベスよりもウルザの方が上なのね」

「少し判る気がするな。エリザベスは少しネルソンに信奉し過ぎている。確かに今でも十分弁が立つが、彼女がネルソンの意見ではなく自分自身の意見を持てればもう一皮剥ける気がする」

「そうね。エリザベスはそういうところがあるわね」

 

 シャイラの言葉にロゼが驚く。治安隊本部で二級市民を説得し、仲間に引き入れたエリザベスの手腕は相当なものだ。それよりも当時のウルザは上回っていたというのか。それにフォローを入れるのはルークとキムチ。例え才能で上回っていても、正しく扱わなければ負ける事もある。

 

「協力者には魔法使いの貴族もいたわ。ウルザの目指す国には彼らの場所も必要だから。熱心に説得して、思想を判ってもらい、影から支援してくれる者たちを集めたの」

「それだけでも十分凄い事をやっているわね」

「それと勿論、非魔法使いである一般の人も。彼らには学問を受けられる環境をまず整えて、その上で何がお互いに足りないのかを説いていったの。そういった協力者はドンドン増えていったわ」

「その彼らが今も支援してくれているという……」

「ええ、『氷溶の者』って呼ばれている協力者たちよ」

「氷が溶けるね……洒落た名前だこと」

「悪くないセンスだな」

「そう?」

 

 キラリと目を光らせるルークに首を傾げるロゼ。とはいえ、この時点でも当時のウルザの手腕が窺える。そういった者たちに支えられているからこそ、ウルザが立ち上がれなくなってしまってもなおアイスフレームが存続できているのだ。

 

「クーデターは、双方に理解者が増えてから実行すれば必ず成功する。そして、そういった状態でならば、混乱の後に双方が差別を越えて協力し合える社会が出来ると、そう唱えていたわ」

「(双方の協力者か……)」

 

 ルークが心の中でそう呟く。協力者。今、魔人側で協力者と呼べる者は何人いるだろうか。ハウゼルはそうだと呼んでいいだろうか。メガラスやアイゼルをそうだと断定するのはおこがましいだろうか。サテラは微妙だが、イシスはそうだと断じてしまってもいいかもしれない。彼女については考えるまでもない。必ず賛同してくれるはずだから。では、人間側の協力者は。今なお人類と魔人の共存という夢について、ルークは仲間たちにも殆ど打ち明けられていない。だが、いずれ打ち明ける時は来る。その時、仲間たちは自分の夢に賛同してくれるだろうか。不安がないと言えば嘘になる。だが、確かにウルザの唱えるように双方の協力者は必ず必要なのだ。上と下の同時改革。ルークの提唱したゼスの改革もそれに近いものがある。双方変わらなければならない。

 

「みんな期待してた。でも、あれが決定的だったわねー」

「そうだなー……」

 

 キムチとシャイラが頷き合う。人によっては、今なおその事件を語るのを拒む者もいる。あの事件が残した爪跡は大きい。だが、比較的抱え込まずに、されど忘れる事無く受け入れられるキムチとシャイラは、しっかりとあの事件も過去の出来事として消化していた。

 

「それが、救助活動の失敗か」

「うん。琥珀の城の東の大地に、集団で農場を抜け出した二級市民が隠れていたの」

「300人だっけか?」

「うん、合ってるわ。その人たちを救出すべく、ウルザ自ら先頭に立って動いたの。人数が多いし、軍と戦闘になる可能性もあったから、脱出ルートもしっかり確保してね」

「あたしやネイ、セスナなんかは脱出ルートの確保を担当してた。一番危険な最前線、集団への接触はウルザ一家とアベルト、それから当時の幹部連中を含めた100人以上の大部隊が担当した」

「だけどね、こっちの行動が全部軍に筒抜けだったの」

「…………」

 

 誰がどこを担当していたかは初耳だが、軍に情報が筒抜けであった事は聞いている。そして、待ち受けていた運命も。

 

「あっという間にウルザたちは包囲されて、それどころか助けるはずの二級市民もこっちに攻撃を仕掛けてきたの」

「罠だったのね。情報が筒抜けだったって事は、こっちに内通者がいたって事?」

「判らないわ。でも、そうじゃないと思いたい。それこそ、袂を分かったペンタゴンだって国を変えたいって気持ちは同じだもの。それなのに裏切る人がいるとは、ちょっと考えられない」

「…………」

 

 ロゼの問いにそう答えるキムチ。だが、確かにキムチの言う事も判る。有り得るとすれば、最初からそのつもりでアイスフレームに入り込んだ者。だが、そんな人物は本当にいるのか。

 

「脱出ルート側もばれていてさ、あっという間に包囲されちまったんだ。あたしは情けない事に捕まっちまったし、死人も沢山出た。結局逃げ切れたのは数える程だよ」

「何言ってるの、他の者たちを逃がした結果でしょ」

「そこで上手く逃げ切れりゃあ格好良かったんだけどな」

 

 キムチがそうフォローするが、シャイラは自嘲気味に笑う。

 

「それでもあたしらはまだマシだった。最前線にいたウルザの部隊は酷かった」

「うん……ウルザを助けるため、ご両親とお兄さんは亡くなったの」

「ビルフェルムか……」

「ウルザを支えるのに必要な人だったの。それに、尊敬しているご両親も亡くなって……自分も重傷を負って……」

「それで車椅子生活なのね」

「だが、歩けるんだろう?」

「えっ!? そうなのか?」

 

 ルークの言葉にシャイラが目を丸くする。どうやらまだその話は聞いていなかったようだ。

 

「うん。ダニエル曰く、怪我はとっくに治ってるって。ウルザが歩けないのは、心の問題」

 

 そう言って俯くキムチ。だが、立ち上がれないウルザを情けないと断じるのは酷だろう。罠であったとはいえ、彼女は自身が先導した作戦の失敗で兄と両親、そして多くの同胞を目の前で失ったのだ。いくらカリスマ溢れるリーダーであったとはいえ、彼女はまだ若いのだ。

 

「私は、ウルザはもう一度立ち上がってくれるって信じているの。でも、それまで待つ事が出来なかった人たちはみんな出ていっちゃったわ」

「それが今のアイスフレームか」

「うん。人生長いんだから、ちょっとくらい休憩したってどうって事ないわ」

 

 そう言って、すっかり冷めてしまったお茶をすするキムチ。そう、これは休憩。ウルザの傷ついた心を癒す為に必要な時間。悠長な事を言っているのは判っている。それでも、時間でしか解決出来ない事もある。

 

「こんなところで大丈夫?」

「ああ、参考になった」

「もしかして、色んな場所に簡単に潜入できるのって……」

「ふふ、気が付いた? そう、氷溶の者のお陰。彼らは色んなところにいるから、影ながら協力してくれているの」

「へー、知らなかった」

「いや、シャイラにはちゃんと前に説明したわよ」

 

 苦笑するキムチ。確かにこれまでの任務には無謀な潜入も多かったが、そういう裏があったようだ。

 

「それにしても、そんな状況でウルザはよく逃げ切れたな。足に怪我も負っていたんだろう?」

「アベルトが連れ戻ってきてくれたの」

「アベルトが?」

 

 これは初耳であった。ウルザはボロボロで逃げ帰ったと聞いていたが、まさかアベルトが関わっていたとは。そういえば、先程も最前線にウルザ一家と共にいたと言っていた。

 

「そういえば、アベルトが連れ戻ってきたってあんまり知られてないかも。ウルザの命の恩人とばれたら周りから囃し立てられて困るから、あまり言いふらさないでくれってアベルトが言っていたの」

「成程、確かにな。だが、その状況でアベルトはよく無事だったな」

「最前線にいた中の生き残りってウルザとアベルトだけよ。本当にアベルトには感謝している」

「命の恩人か。だから、先日ブルー隊が捕まった時にウルザはいつも以上に困惑していたのか」

 

 あの時の冷静さを欠いたウルザを思い出し、合点がいったと頷くルーク。瞬間、セスナの言葉が脳裏を過ぎる。

 

『なんだろう……いつもニコニコしていて、あの人……怖い……』

 

 一瞬、最悪の想像が頭を過ぎる。だが、その想像をすぐに振り払うルーク。

 

「(……有り得ないな)」

「…………」

 

 そんなルークの所作を無言で見つめるのは、真剣な表情のロゼであった。

 

「なんとかなる」

「ん……?」

「今までだってなんとかなってきたんだもの、今度も大丈夫だって信じてる……」

 

 どこか儚げに、そうであって欲しいと縋るようにキムチがポツリと漏らす。そしてそのまま、真っ直ぐとルークを見据えた。

 

「ルークはさ……ウルザの事、そんなに信用していないでしょ?」

「…………」

「ううん、良いの。気持ちは判るし、非難する気はない。あんたもさ、やるべき事があるんでしょ。フットと同じように……」

 

 何も答えないルークに対し、首を横に振るキムチ。解放戦の英雄。あおいとアルフラの恩人。頼りたい気持ちは勿論ある。だが、それを強要してはいけない。重荷になってはいけない。自分がフットの重荷になる事を望まなかったように、あおいとアルフラもまたそれを望まないはずだから。

 

「もしルークがさ、もう駄目だって思ったら、その時は自分の気持ちを優先して。あおいとアルフラ、それと今はアニーもか……彼女たちの事を気にして行動を狭めるのだけは止めて。それはあの娘たちも望まないから……」

「…………」

「大丈夫よ。あんたなんかいなくても、私があの娘たちはしっかり守るから。これまでもそうしてきたんだから」

 

 グッと力こぶを作るキムチ。そんな彼女に対し、ルークは……

 

「判った。だが、そうならない事を祈っている」

「うん、そうね」

 

 絶対に『そうはならない』と言う事が出来なかった。

 

 

 

-アイスフレーム拠点 路地-

 

「それでは、お休みですかねー」

「お休みなさい」

 

 孤児院を後にしたルークたちは、バラバラと自分たちの部屋に帰っていく。辺りはすっかり暗くなってしまっているし、子供たちの相手をしていた隊員たちは流石に疲れたのか眠そうであった。

 

「ルークさん。今日もアベルトさんを見張りますか?」

「……いや、かなみには別に頼みたい事がある」

「頼みたい事?」

「そんじゃ、私も部屋に戻るわね」

「ああ、付き合せて悪かったな」

「誠意は0の数で決まるわよ」

 

 金寄越せと遠回しに言いながら、ロゼがルークたちと別れ自室に向かう。灯りがあるとはいえ、流石に夜も更けている。薄着であるため、突き刺さる風が冷たい。こんな日はさっさと帰って布団に包まるに限る。

 

「(……ルークも疑っていたわね)」

 

 ふと、先程のキムチとの会話を思い出すロゼ。あの時の生き残りはウルザとアベルトの二人。これが気に掛かった。セスナが野生の勘でアベルトを恐れていた事。いるはずのない内通者の存在。そして、ウルザだけを救出したアベルト。もし、もしもアベルトが内通者だとしたら。

 

「(でも、有り得ないのよねー)」

 

 だが、ロゼもこの考えを一笑に付す。有り得ない。何せ自分も最前線に赴いているのだ。一歩間違えれば死ぬ可能性だってあるのに、何故そんな狂人のような事をするのか。ゼスのスパイとも考えにくい。ダニエルの息子だし、何よりブルー隊はこの間ゼスに捕まり、後一歩で処刑されるところであったのだから。

 

「お疲れ様です、ロゼさん」

 

 そんな事を考えていたロゼの背後から、突如響く男の声。振り返ると、そこに立っていたのはアベルトであった。いつもと変わらぬニコニコとした笑顔をロゼに向けている。だが、ロゼも動揺を見せずいつもと変わらぬ調子で口を開く。

 

「あら? 今帰り?」

「少し前に戻りました。ブラック隊は……?」

「今日は午前中で任務は終わり。後は適当に過ごしてたわ。今は孤児院の帰り」

「ああ、成程。子供たちの相手をしていたんですね。ルークさんらしい」

 

 またも笑みを浮かべるアベルト。これが皆のいう、気持ちの良い笑顔だ。だが、ロゼはそうは思わない。

 

「んじゃ、私は部屋に帰るから」

「送りますよ。こんな遅くに女性の一人歩きは危ないですから」

「いやいや、ここってアイスフレームの中だから。誰が襲うっていうのよ」

「……それもそうですね。あ、でも、ランスさんとか」

「それは絶対にないって断言出来るのよねー」

 

 からからと笑うロゼ。ランスが自分を苦手としているのは古い付き合いの仲間には周知の事実だ。

 

「それとも、あんたに襲われちゃうのかしら?」

「いえいえ、そんな事はしませんよ。でも、そうですね……」

「ん?」

「ロゼさんは、結構好きなタイプですよ」

 

 唐突にそんな事を言い出すアベルト。リップサービスか、あるいは何らかの探りか。そんな事を考えながらロゼは会話を続ける。

 

「あらそう? ありがとう。でも私は高いわよ。お世辞なら止めときなさい」

「いえ、お世辞じゃありませんよ。ロゼさんは芯が強いですからね」

「なに、アベルトってM気質? 女王様好き?」

「そういう訳ではないんですけど、芯の強い女性が好きなんですよね。ちゃんと自分を持っている、強い女性が」

「ふーん」

 

 ハッキリ言って興味なし。とはいえそう付き合いの無いアベルトに向かってそう言うのは流石のロゼでも憚られたため、適当に相槌を打って帰ろうとする。

 

「じゃあ、ウルザの事も好きなの? 何せアイスフレームのリーダーだものね」

「そうですね。昔は良かったんですけど……」

 

 瞬間、ロゼはほんの少しだけアベルトの目の奥に何か黒いものを見たような気がした。それはいわば、汚れのない純粋な黒さ。だが、すぐにいつものアベルトの目に戻る。自分が見たのが見間違いであったかと錯覚する程一瞬の出来事であった。

 

「……じゃあ、帰るわ」

「はい。お休みなさい」

 

 笑顔でロゼを見送るアベルト。その視線を背中に受けているのを感じながら、ロゼは先程から引っ掛かっていたものが何かを理解する。

 

『(……苦手。確かにそうなのかしら。でも、あの男に感じるのはそれとも少し違うわね……この感情は……)』

『……うん。それが、ウルザのやろうとしていたクーデター。魔法使いと非魔法使い、お互いへの嫌悪感を無くす事が一番の近道だって』

 

「(ああ、そうか……この感情、嫌悪感ね……)」

 

 アベルトに対する自身の感情を言い表す言葉をキムチが言っていた。それが引っ掛かりの正体だったのだ。

 

 

 

-アイスフレーム拠点 ウルザの屋敷-

 

「ふーん。これが次の任務か」

「……はい」

 

 ベッドの上に腰かけながらランスが机の上の資料に手を伸ばす。それに答えるのは、ベッドで横になっているウルザ。

 

「魔女モヘカの討伐ねぇ。少年たちがモヘカの屋敷に招かれて帰ってこない……うーむ、少年か。女の子だったらやる気も出たんだが」

 

 依頼書を見て気だるげにそう呟くランス。とはいえ、魔女という単語は気になる。魔女といえば老婆を思い浮かべるのはまだまだ三流。カスタムの四魔女は美女揃いであった。このモヘカという魔女が美女である可能性は十分にある。

 

「(となると、これは俺様が請け負うか。ルークの奴がいると邪魔される可能性があるし、別の任務を適当に……ん?)」

 

 その時、机の上から雑誌が一冊落ちる。それを拾い上げたランスは目を見開いた。

 

「お、この娘美人じゃないか! なになに、ゼス応用学校の卒業試験……主席卒業が最も有望視されているマジック・ザ・ガンジー……」

 

 冊子を読み進めていくランス。どうやら明後日ゼス応用学校の卒業試験があり、そこにこのマジックという美少女がやってくるらしい。

 

「(明後日か……となると、こっち優先だな。本当に美女か判らん魔女よりも、確実に美少女であるマジックちゃんを優先だ。いや、俺様に選ばれなかった時点でモヘカは老婆決定。うむ、そうに決まっている。となれば……)」

「あの、ランスさん、どうしました……?」

「このモヘカの任務はルークに譲ってやろう。がはは!」

「えっ?」

「(マジックちゃんを襲う際の邪魔者もいなくなって一石二鳥だ。あ、でも万が一モヘカが美女だった場合はちゃんと連れて帰るように釘を刺しておくか)」

 

 こうして、グリーン隊とブラック隊の次の任務が決まる。それが波乱を巻き起こす事も知らずに。

 

 

 

-アイスフレーム拠点 パットンの部屋前-

 

「お命頂戴!」

「おらっ!」

 

 パットンが部屋の前で戦いを繰り広げている。これは、パットンの命を狙いに来たヘルマンの刺客。実はパットンはアイスフレームに入ってからも、このように時たま命を狙われている。レジスタンスであるアイスフレームの居場所がそう簡単にばれるものなのかと疑問に思うが、そこは蛇の道は蛇。裏世界に生きる者にとって、この場所を見つける事など容易いのだ。

 

「ふぅ……良い汗かいた」

 

 倒れた刺客を下敷きに腰掛け、額の汗を拭うパットン。自分の命を狙いに来る刺客を相手にするのは、正直良い鍛錬になった。皇子時代に足りていなかった強者との実戦経験を嫌と言う程味あわせてくれるのだから。アイスフレームに迷惑を掛ける行為ではあるが、この件についてはウルザもランスも既に知っている。ウルザはランスに判断を任せると許容し、ランスは他の者に迷惑を掛けない事と、美女の刺客であった場合自分に渡す事を約束に刺客という厄介事を受け入れてくれた。

 

「まあ、大物なのは確かなんだがなぁ……」

 

 そう苦笑するパットン。瞬間、目を細めて夜空を見上げる。その視線の先にあるのは、ウルザの屋敷。その屋根の上のジッと見据えるパットンであったが、すぐに緊張を解く。

 

「……気のせいか」

 

 誰かがいた気がしたが、どうやら気のせいだったようだ。何より、気配を感じない。

 

「じゃあ、こいつをその辺に捨ててくるか。男だしな」

 

 ひょい、と刺客を持ち上げ、拠点の外へと歩いていくパットン。彼が僅かな期間で急成長を遂げた理由の一つがここにあった。

 

 

 

-アイスフレーム拠点 ウルザの屋敷 屋根の上-

 

 パットンの位置から死角になるよう、屋根にへばりつく形でその刺客はいた。だが、それはパットンへの刺客ではない。

 

「このモヘカの任務はルークに譲ってやろう。がはは!」

 

 屋敷の中から聞こえてくる声を聞き、ルークが次に向かう場所を確信する刺客。あの男に関わる事を主から禁じられている。いくらパパイアに脅されようとも、そんな事で主を裏切る自分ではない。この行動にパパイアは関係ない。切っ掛けでしかない。何よりも大切なものを気が付かせてくれるための切っ掛け。

 

「(次こそ殺すぞ、ルーク・グラント。そして、かなみさんを貴様の魔の手から救い出す……)」

 

 パパイアから託された合成魔獣の召喚魔法道具を握りしめ、忍は音もなく姿を消した。そう、裏世界に生きる者にとって、この場所を突き止めるのは容易なのだ。

 

 少しずつ、夜が近づく。ルークたちにとっての夜が。

 

 


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