ランスIF 二人の英雄   作:散々

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第55話 魔王ジル

 

-リーザス城 最上階 奥の間-

 

「ジル! まだ生きて……」

「何っ!?」

「くくく……」

 

 ルークの言葉を受け、側にいたランスも慌ててジルを見る。瞬間、地を這っていたジルがルークとランスの足をガシッ、と掴む。それと同時に、三人の周りを暗黒の煙が包み込んだ。

 

「なっ!?」

「ランス様!」

 

 周りで見ていた者も絶句する。あれだけの攻撃を受け、全身から大量の血を流し、それでもジルは生きていたのだ。ルークたちを包み込んだ煙から、何やら不穏な気配が流れてくる。

 

「貴様! ええぃ、離さんか!」

 

 ランスがジルをガシガシと蹴る。だが、無敵結界のあるジルにはダメージが通らない。結界を無効化出来るルークが剣で斬ろうとするが、剣を振り下ろすよりも早く煙がルークの腕を包み込む。瞬間、ルークは腕を動かせなくなる。何か強力な力で拘束されているような感覚だ。

 

「何をする気だ!?」

「くくく……道連れだと言っただろう? 貴様らも、私と共に時空の狭間に落ちて貰う。一度落ちたら二度と抜け出す事の出来ない、異空間だ……」

「なに……」

 

 ルークが絶句する。まさか、そんな技まで持っているというのか。そのルークの表情を見上げながら、ジルが愉快そうに笑う。

 

「カオスに再び封印されるくらいなら……自ら時空の狭間に落ちさせて貰うさ……だが、一人では行かぬ……私はこう見えても寂しがり屋でな……くくく……」

「ふざけるな! 行くなら一人で行け! 俺様はそんな所にいかんぞ! 離せ!」

 

 隣で話を聞いていたランスが喚くが、ルーク同様全身を煙で覆われていて身動きの取れない状態になっている。唯一動く足でジルを蹴りつけるが、ダメージの無いジルはものともしない。

 

「ジル!」

「ふふふ……残念、もう遅い」

 

 瞬間、三人を包んでいた煙から大量の魔力が放出され、空間が歪んでいく。それは、異空間へと繋がる魔力体。三人を異空間に引きずり込むべく、魔力を帯びた煙がその体を飲み込んでいく。

 

「異空間に到着したら何をしようか……貴様らの四肢を切断して、置物にするのも一興か……楽には殺さぬぞ……こうして捕まえていれば、同じ場所に飛ばされるはずだからな……くく……」

「離せ! 離しやがれ、ちくしょう!」

「ランス様……う……うあぁぁぁ……いやぁっ! ランスさまぁっ!!」

「止めろ、もう間に合わん! 貴様も抜け出せなくなるぞ!」

「駄目、シィルちゃん!」

 

 痛む体を引きずってランスに近づいていたシィルが、その痛みも忘れて号泣しながらランス目がけて駆け出す。アイゼルとレイラが叫んで引き留めるが、シィルはそれに応じない。制止を振り切り、闇に飲み込まれていくランスに手を伸ばす。

 

「ランス様! 手を……」

「シィル!」

 

 ランスの手をしっかりと握り、闇から引っ張り出そうとするシィルだったが、ジルがニヤリと笑ったのが目に飛び込んでくる。その直後、シィルの体も闇の煙が包み込んだ。

 

「そんなに一緒にいたいなら、貴様も来い……」

「てめぇ!」

「……ランス様っ!」

 

 ランスがジルを睨み付ける。自身の体も闇に飲まれていき、もう抜け出せないと悟ったシィルは意外な行動に出た。煙に抵抗することなく、自ら闇の中に入ってランスに思い切り抱きついたのだ。

 

「ぬっ……」

「!? ランス、文句は後で聞く! はっ!」

 

 シィルがランスの胸に飛び込んだ衝撃で、ランスの足を握っていたジルの手が一瞬緩む。ジルにとってもシィルの行動は予想外だったのだ。それを見たルークはランスを思い切り蹴飛ばす。

 

「ぎゃっ! ルーク、貴様!」

「ルークさん!?」

 

 ルークの蹴りの衝撃でランスが少し吹き飛び、ジルの手から完全に離れる。飲み込まれていく闇から抜け出す事は叶わなかったが、これでジルとは別の箇所に飛ばされるだろう。ルークとジルを見ていたランスとシィルの姿が、完全に闇に覆われた。

 

「ちっ……余計な事を……」

「ルークさん!!」

「ルーク!!」

 

 ジルの不満そうな呟きをかき消すように、シィル同様こちらに駆け寄ってくる二人の女性の姿が見える。その二人に向かって、ルークが声を荒げる。

 

「来るな!!」

「「!?」」

 

 その声に、その表情に、二人が驚いたような表情でピタリと足を止める。それを確認したルークは表情を和らげ、二人の目を見ながらハッキリと告げる。

 

「大丈夫だ! 必ず帰るさ」

 

 その言葉だけ残し、ランスとシィルに続いてルークとジルの姿も闇に飲み込まれた。呆然とそれを見送る一行。暫くして煙が晴れたときには、四人の姿は忽然と消えていた。

 

「う……そ……」

「ルーク殿……ランス殿……シィル殿……」

 

 カラン、と金属音がする。それは、ルークに駆け寄っていた女性の一人が手に持っていたくないを落とした音。膝をつき、号泣するその姿を見ながら、駆け寄っていたもう一人の女性が自身の大きな帽子を深く被り直し、顔を覆うように隠す。その頬には、涙が流れていた。

 

「何が……必ず帰るよ……馬鹿っ……」

 

 

 

-時空の狭間 とある場所-

 

 そこは、一面暗闇の世界。ほんの数メートル先の風景しか判らず、小石一つ落ちていない無の空間。そこにランスは座り込み、目を閉じていた。その背中には、不安そうに抱きつくシィルの姿。

 

「ランス様……私たち、これからどうなるんでしょう……?」

「さあな……まあ、心配するな。英雄の俺様がこんなところで死ぬ訳ない。きっと助かる」

 

 一切の雑音すらない空間に二人の声が反響する。先程まで少し歩いてみたが、すぐに自分たちがどちらから歩いてきたのかも判らなくなった。ここに飛ばされて一体どれだけの時間が経ったのか。まだ数分のようにも思えるし、もう数日はここにいるような気さえしてくる。この無の空間は、人の精神を蝕む。そんな気の狂いそうな状況の中で、ランスが背中に感じる唯一の温もり。絶対に口には出さないが、シィルの存在が何より心強かった。ボリボリと頭を掻くランス。

 

「おい、シィル!」

「どうかされましたか、ランス様? あっ……」

 

 突如、シィルはランスに抱きしめられキスをされる。いつもとほんの少しだけ違う、強引ではあるがどこか愛おしげな口づけであった。数秒の後ランスは唇を離し、ハッキリと宣言する。

 

「やるぞ!」

「こ……ここでですか!?」

「当然だ! 他にする事もないしな! がはは、異空間での体験など、滅多に味わえるものじゃないぞ!」

「やん、ランス様!」

「おい……」

「脱げ脱げ! そして即挿入だ! がはは!」

「あんっ!」

「おい、お前たち……」

 

 それは、ランスなりの照れ隠しだったのかもしれない。すぐにシィルを押し倒し、一発始めてしまうランス。シィルは照れながらもそれに応じ、辺りに二人の情事の声が響く。

 

「ええぃ、話を聞け!」

「へ?」

「ん? うっ……」

 

 そのとき、ランスたちの耳に大声が聞こえてくる。その声に反応し、ランスとシィルは繋がったまま振り返る。そこには、暗黒を押しのけて光り輝く人物が立っていた。眩しすぎて顔はよく見えないが、神々しさを纏っている人物だ。ようやく二人が自分の存在に気が付いた事を確認し、その人物が口を開く。

 

「私は……」

「貴様、俺様とシィルのHを覗いていやがったな! この変態め!」

「きゃん!」

「…………」

 

 その人物の声を遮るようにランスが文句を言い、シィルも恥ずかしそうに自分の体を隠す。その二人の様子を見ながら、降臨した人物の額に青筋が浮き上がる。コホン、と一度咳払いをし、再度口を開く。

 

「私は神だ。お前に天罰を与えるため、こうしてわざわざ降臨したのだ」

「神?」

「うむ。光の神」

「天罰? 俺様は別に何もしていないぞ」

「ランス様……もしかして、悪魔の通路でプレートを踏んだ件では……?」

 

 光の神と聞いて、シィルが悪魔の通路での出来事を思い出す。ランスがぐりぐりと光の神が描かれたプレートを踏みつけ、挙げ句の果てにはジャンプして壊してしまった出来事。シィルの言葉を聞き、うむうむ、と頷く光の神だったが、ランスが鼻をほじりながら口を開く。

 

「知らん。そんな事覚えとらんわ」

「なっ……覚えてもおらんだと……」

「神のクセに細かい奴だ。威厳が足りんぞ、威厳が!」

「……もう許さん! お前は少し苦労をしらねばならぬな。天誅!!」

 

 ランスの横柄な態度に遂に光の神の堪忍袋の緒が切れる。纏う光を強めながらそう叫ぶと、ランスとシィルの体を謎の光が包み込んだ。

 

「なっ……」

「きゃっ……」

「ほほほほほほほ!」

 

 強大な魔力が周囲に四散し、ランスとシィルの姿が光の中に消えた。神の勝ち誇った高笑いが無の空間に響く。

 

「さて、それともう一人……」

 

 ひとしきり笑った後、神はもう一人会わねばならぬ人物がいると独りごち、そのまま姿を消した。

 

 

 

-時空の狭間 とある場所-

 

 ランスたち同様、ルークも時空の狭間に飛ばされていた。辺りが闇で覆われていく中、ルークの足を掴んでいたジルがゆっくりと立ち上がった。肩口から胸にかけて斬られていた体が、ジュクジュクという音と共に既に再生し始めている。

 

「貴様、もうそこまで……」

「くくく……なに、全ての魔力を自己再生に回せば、この程度は容易い事だ」

 

 二人を先程まで覆っていた闇がジルの傷口から体内に取り込まれていく。その魔力を吸収し、自らの傷を塞いでいるのだ。それと同時に、体内にある魔力も全て自己再生に回す。こんな芸当が出来るのであれば、足の傷を治すことも出来たはず。

 

「あの状況下にあっても、舐められていたという事か……?」

「少し違うな。戦闘中に傷を癒す、倒れた者を治療するというのは私の美学に反してな……くくく……」

 

 このジルの考えは、彼女の信奉者でもあるノスにも伝染している。だからこそ、治療を受けて立ち上がってきたミリを怒りの下に打ちのめしたのだ。そう宣うジルに、ルークは苦笑しながら口を開く。

 

「今は治療しているじゃないか」

「今は第二ラウンドへのインターバル中であろう?」

「詭弁だな……」

「ルールは私が決める」

 

 気が付けば、ジルの傷は既に半分以上塞がってしまっている。尚もジュクジュクと傷口から音が響く中、ジルは不敵に笑う。

 

「耐久力はないが、生命力はこの通りだ……さて、とりあえず……」

 

 そう言って、ジルは爪の折れた右手に魔力を込める。その魔力が段々と伸びていき、先端が鋭くなる。それはまるで、剣のような形状。ジルの右手から発せられる、魔法の剣。

 

「両足を斬らせて貰うとするか……その後でゆっくりと楽しむとしよう……」

「とりあえずでやる事ではないな……」

 

 ルークが剣を握り直し、ジルと対峙する。二人の発する音以外は、何の雑音もない世界。ジルがニヤリと笑い、右腕を高々と挙げて振り下ろす。ルークがそれを剣で受け止めた瞬間、遠くから大声が響いてきた。

 

「天誅!!」

「「!?」」

 

 それは、ランスたちに天罰を下した光の神の声。同時に、四散した強力な魔力が二人に降りかかる。その魔力がジルの右腕の魔力と合わさり、禍々しい光が二人を包む。神と魔王、決して併せてはいけない魔力同士が融合してしまった事により、暴走を始めたのだ。

 

「これは……」

「ちっ……どこの馬鹿の魔力だ……マズイ、暴走する……くっ……」

 

 ジルの呟きが聞こえると同時に、二人の視界を光が覆った。

 

 

 

-精神世界-

 

 ルークの視界から光が消えていき、段々と周りに色が戻っていく。そこは、のどかな町であった。だが、ルークはすぐに事態のおかしさに気が付く。何故、目の前に町がある。先程までジルと共に時空の狭間にいたはず。こんな所に町があるはずがない。ルークがそう思考していたそのとき、町の中から声が聞こえてきた。

 

「あんまり遠くまで行っちゃ駄目よ」

「はーい、お母様!」

 

 それは、親子の声。娘を心配する母親と、笑顔で返事をする幼い娘。だが、どこかその顔に見覚えがある。ルークが娘の顔をよく見ていると、母親の言葉が耳に届く。

 

「夕方までには帰ってくるのよ、ジル」

「ジ……ル……?」

 

 ルークが目を見開く。それは、ジルが人間であった頃の記憶。一方その頃、ジルはルークとは別の風景を見ていた。のどかな町というのは変わらない。だが、目の前にいるのは両親の前で仲のいい様子で駆け回る双子。

 

「ほら、こっちだ、リムリア」

「待ってよ、ルークお兄ちゃん!」

「これは……奴の記憶か……?」

 

 眉をひそめるジルだったが、すぐに事態を飲み込む。魔力の暴走により、ルークとジルは互いの記憶を見てしまっていたのだ。そしてこの事態は、ルークとジルの運命を大きく変える事となる。

 

 

 

-精神世界 ルーク-

 

 ルークの目の前で、大事なところだけ抜き取るように次々とジルの記憶が映し出されていく。幼かったジルは、美しく成長を遂げていた。清廉潔白、聡明な賢者で、人々を差別することなく施しを与える女性。聖人という言葉が相応しいと思えるほどに、完璧な存在であった。だが、ルークは今目の前で繰り広げられている事態を苦々しい気持ちで見ている。そこで繰り広げられているのは、目を覆いたくなるような拷問。

 

「っ……」

「おっ? いい加減喋らなくなってきたな。そろそろ限界か?」

「さっき左足を斬ったら少しだけ反応したぜ。今度は右足を斬るか?」

「そりゃあいい。死なないよう、ヒーリングを使える奴を呼んでこないとな」

 

 ジルはあまりにも完璧すぎた。その事が一部の者に激しい憎悪と嫉妬を生み、今はこうして捕らえられ、暴力と陵辱の限りを尽くされている。数えるのも馬鹿らしくなるほどに犯されぬき、思いつく殺さない程度の拷問は全て受けた。その体には既に右腕と左足が無く、程なくして残っていた左腕と右足も切断される。今すぐこいつらを斬り捨てたい。そう思うルークだったが、精神体のような自分は過去に干渉する事が出来ず、ただただ目の前で繰り広げられる拷問を見ている事しかできなかった。脳に直接送り込まれる映像であるため、目を瞑っても意味がない。ルークが数十日にも渡って行われた拷問を全て見た後、十分楽しんだとばかりにその者たちは監禁していた屋敷の二階から外に向かってジルを放り捨てる。

 

「…………」

 

 虚ろな目で地に横たわり、空を見上げるジル。四肢を斬り落とされているため、立ち上がる事は出来ない。頬に雨が当たる。後はこうして、ゆっくりと死を待つだけ。だが、目の前に突如男が現れる。白い肌に赤い眼、金髪に漆黒のマント。禍々しさを纏ったその男が、ジルを見下ろしながら尋ねてくる。

 

「このまま朽ちるか……?」

「…………」

「もしここで生きながらえたら、貴様は何を望む……?」

「……破壊を」

「ほう……」

「人類の……滅亡を……」

 

 それは、ルークがこれまで聞いた事のないような激しい憎悪を含んだ声。そこにはかつての聡明な賢者の姿はなく、人間を激しく憎悪する女性の姿があった。その答えとジルの顔を見て、目の前の男がニヤリと笑う。

 

「良い目だ。気に入った、貴様に力をやる」

 

 その男は、ジルの先代魔王であるナイチサという男であった。こうしてナイチサから魔王を継承したジルは、たった一年で人類の国家を破壊し尽くす。人類の数が減ると力を発揮するという勇者の存在をナイチサから聞いていた彼女は、人類を滅ぼすのではなく、奴隷化して永久に虐殺し続ける道を選んだ。各地に設置された人間牧場により人口が減りすぎないように統制された、人類にとって最大の暗黒の時代。その光景を見ながら、ルークの胸の内には複雑な感情が抱かれていた。決して許される行為ではない。だが、ジルの憎悪の根源をこの目で見てしまっている。そんな中、ジルのおかしな行動がルークには引っかかっていた。

 

「ジル様、最近エターナルヒーローという人間共が力をつけてきているようです。今の内に摘み取ってしまうべきではないかと」

「放っておけ」

「へ?」

「二度は言わぬぞ……」

「は、はい!」

 

 まただ。激しく人間を憎悪しているはずのジル。それなのに、力を持った人間をあえて放置する傾向にある。それだけではない。ジルは、各地の人間牧場の様子やどのような人間がいるかの情報を逐一集めていたのだ。そして時に、この人間は殺すなという風な指示を出していた。以前そのように指示を出していた人間が成長し、ジルに挑んできた。レイという名の男だ。意図も容易くレイを倒したジルだったが、何を思ったのかその男を魔人にし、自分の配下に置いた。そしてそれと似たような事態が、今また目の前で行われている。

 

「愚かな……これ程の魔剣を持ちながら、自分の精神すらまともに支配できぬとは……」

「ぐっ……」

「だが、気に入ったぞ。ガイと言ったか……?」

 

 ジルの前に膝をついている男は、魔剣カオスを持ってジルに戦いを挑んできた人間の戦士だ。だが、二重人格であった彼は別人格に精神を奪われた隙をつかれ、ジルに敗れる。しかし、ジルはこの男もレイと同じように魔人にする。

 

「ガイよ、貴様に魔人筆頭の立場を与えよう。精々私の期待を裏切るなよ」

「…………」

 

 それだけには飽きたらず、ジルはガイに魔人筆頭の立場を与え、更には自分の愛人にまでする。それは、激しく人間を憎悪するジルからすれば完全に矛盾した行動であった。この事がどうしてもルークの胸に引っかかっていたのだ。そして、この記憶の旅も間もなく終演を迎える。ガイが魔人になってから数百年後、魔王ジルに反旗を翻したのだ。本来絶対命令権を持つはずのジルに魔人は逆らえないはずなのだが、何故かジルはこれを許し戦争が始まる。数年の後、この戦争は終結する。今、魔王の城にはジルとガイ二人の姿。ジルの心臓にはカオスが深々と突き刺さっている。口から血を流しながら、ジルの手がガイの顔に触れる。

 

「お前は……そんなに私が憎いのか……?」

「…………」

「もう私がいらないのか……?」

「…………」

「以前のように愛してはくれないのか……?」

「…………」

「馬鹿な男だ……ガイ……」

 

 くくく、と無邪気に笑うジル。こうしてジルはカオスに封印され、魔王はジルの血を浴びてしまったガイに継承される。これが、ルークの見たジルの記憶。だが、ルークは知らない。その記憶の中で、ある部分だけがぽっかりと抜け落ちている事を。ジルが神と対峙し、魔王の力を永遠のものとした出来事を。

 

 

 

-精神世界 ジル-

 

「父さん! 母さん! うっ……うわぁぁぁぁ!」

「殺せ! 殺せ! 全てあいつのせいだ! ルークが、全ての原因だ!」

 

 ジルの目の前に映し出されているのは、モンスターの襲撃によって燃えさかる町。そして、目の前で両親を虐殺される幼いルークの姿。だが、殺しているのはモンスターではない。それは、人間。同じ町に住む者たちが、激しい憎悪の目でルークを睨み付けている。その町は、元々周囲にモンスターが多い町であった。その為、町の周囲には結界を発生させる魔法装置が置かれており、モンスターの侵入を防いでいた。だが、ある日その装置が老朽化により壊れる。凶悪なモンスターが町を襲い、家が焼け落ち、人々は逃げ惑う。そんな中、誰かが不意に呟いた。

 

「……結界はルークが破ったんじゃないか?」

「……そうだ、ルークが結界を壊したんだ!」

「殺せ! グラント一家を皆殺しにしろ!!」

 

 町の住人は結界を無効化するルークの能力を知っていた。幼いルークはその異能を隠すことなく、自慢げに町の人に見せて回っていたからだ。その声に別の者が賛同し、また別の者が責任を取らせろと声を上げる。一度噴出した憎悪を止める術など無く、人々の憎悪はルーク一人に向けられた。町をモンスターに襲われている中、逃げようとしていたグラント一家を町の人たちが取り囲む。それは完全に誤解であった。ルークは何度もそう言った。

 

「いやぁぁぁ! あっ……あぁぁぁぁぁ!」

「リムリアぁぁぁぁ!!」

 

 だが、その声が町の人に届く事はなかった。目の前で行われる凶行。父の死体が斬り刻まれる。母の死体が犯される。そして今、双子の妹であるリムリアの右目が目の前で抉られた。やったのはルークの家の隣に住んでいた、心優しい中年の男。それが今では、ルークとリムリアを激しい憎悪を纏った目で睨み付けている。震えていたルークであったが、妹を助けるべく勇気を振り絞り、その男の足に短剣を突き立てる。

 

「ぐっ……」

「立てるか? 逃げるんだ、リムリア!」

「うっ……うん……」

 

 右目を押さえているリムリアの手を引き、ルークが駆け出す。その後を、町の人たちが物凄い形相で追ってくる。逃がすな、捕まえろ、必ず殺せ。今なおモンスターに町が焼かれているにも関わらず、避難する事よりもルークたちを捕まえるのに躍起になる住人たち。彼らはもう狂っていた。必死に逃げるルークとリムリアだったが、まだ幼い子供。すぐに追いつかれそうになる。だが、そのルークを庇うように、住人とルークの間に一人の戦士が立ちふさがった。

 

「そこをどけぇぇぇぇ!」

「……ふっ!」

 

 突っ込んできた住人を、戦士は峰打ちで気絶させる。突然の戦士の登場に、追いかけてきていた住人がたじろぐ。ルークはその戦士の背中を見る。顔はフルフェイスの兜で覆われていたため判らないが、その男には左腕が無かった。隻腕の戦士。だが、実力は本物。チラリとルークの方を振り返った戦士が口を開く

 

「ルークくん……だね……」

「どうして名前を……?」

「……登録」

「えっ? ……わぷっ!」

 

 戦士は手に持った石のようなものに何やらぶつぶつ言っていたと思うと、突如ルークとリムリアにスプレーを吹きかけてくる。

 

「防敵スプレーだ。これでモンスターと出会いにくいはずだ。真っ直ぐ行けば町がある。早く逃げるんだ……」

「えっ……」

「ふざけるな! 殺せ! 殺せ!」

「早く行け!」

 

 隻腕の戦士の強い語気に押され、ルークはリムリアの手を引いて駆けだした。迫ってくる村人たちの前に一人立ちふさがるその戦士の背中を見ながら、必死に走った。丸一日走り、ルークは町へと辿り着く。そこについた頃には、ルークの目は濁りきっていた。まるで、この世全てを恨んでいるかのように。

 

「どうしたんだ? 何かあったのか?」

 

 それが、魔想夫妻との出会い。その後ルークは、魔想夫妻の世話になった後に冒険者になる。風の噂で、ルークの故郷の町は滅んだと聞いた。住民たちも全滅、生き残りはいないという。ルークはあの時に自分を助けてくれた戦士の情報を必死に集めたが、その消息は分からなかった。あの背中が今でもルークの脳裏に残っている。その男に憧れ、ルークは冒険者として名を上げていった。

 

「…………」

 

 ジルは目の前に映し出されるルークの記憶を黙って見ている。その後のホーネットとの出会い、生活、別れ。リーザス誘拐事件。カスタム四魔女事件。砂漠のガーディアン事件。そして、リーザス解放戦。その最中語られた、ルークの夢。その全てを見終わった後、ジルの視界を再び光が包んでいった。

 

 

 

-時空の狭間 とある場所-

 

「はっ!」

「……んっ? 戻ったか……」

 

 ルークとジルが同時に精神世界から戻る。膨大な記憶を見せられた二人であったが、時間にしたらほんの数秒の出来事であったようだ。互いに目の前の相手に視線を向ける。ルークの先程までとは違う複雑な表情に、ジルが眉をひそめる。

 

「貴様……私の記憶を!?」

「…………」

 

 一瞬ルークを強く睨み付けて身構えようとしたジルだったが、すぐに頭を掻いてその場に座り込む。

 

「いや、もういい……貴様とやり合う気が失せた……」

「ジル……お前は……」

「哀れみの言葉はいらんぞ。それは私を不快にさせる言葉だ。侮蔑の言葉ならもっと願い下げだな。それに、私も貴様の記憶を見た……」

「そうか……」

 

 ルークも静かにその場に座り込む。場を静寂が包み、互いに話し出せないでいる。しばしの沈黙の後、突然ジルが吹き出す。

 

「くっ……くくっ……」

「何だ?」

「はっはっは! まさかメガラスがあのようなギャグを言うとは……くくっ……駄目だ……腹が……」

「一番の感想が、そんなどうでもいいところか……」

 

 目に涙を浮かべ、腹を抱えながらジルが爆笑する。どうやらホーネットにメガラスの事を聞かされた記憶も見ていたようだ。キャラが随分違うだろ、とルークがその様子を呆れた表情で見る。ひとしきりジルが笑った後、コホン、と咳払いを一つし、真面目な表情で正面からルークを見据える。

 

「何故貴様はまだ人間を信じている?」

「…………」

「あれ程の事をされ、何故人々の為に戦える?」

「それは……」

「あの魔法使い夫婦と会ったときは、いい感じに瞳が濁っていたではないか。憎悪はないのか?」

「恨みもした。殺したいとも思った」

「では、何故……」

「だが……それ以上に……救ってくれた人もいた……」

 

 隻腕の戦士、魔想夫妻、そしてギルドマスターのキース。幼い頃、ルークが世界を恨んでいたときに出会った人々の顔が頭を過ぎる。そのルークの返答を聞いたジルは真剣な表情のまま言葉を続ける。

 

「詭弁だな。人間の本性は町の者の方が正しい。その世話になったという人間たちも、一つ皮を剥いてやれば醜い姿が現れるぞ……」

「だが……それでも……俺は人間を見捨てない」

「理解できんな……私には……お前の考えが理解できん……」

 

 ジルがそう呟き、場にまた静寂が戻る。その静寂を破ったのは、今度はルークだった。

 

「お前は……人間を恨んでいたんだな……?」

「記憶を見たのなら、理由は判っているであろう? くくく、あの者たちは真っ先に殺してやったぞ……」

「俺にも……お前の気持ちは判らない……いや、理解出来ない……」

「くくく、聖人気取りか?」

「違う……」

 

 ジルが笑いながらそう問いかけてくるが、ルークはゆっくりと首を横に振る。そして、ジルの目を見据えたまま言葉を続ける。

 

「お前のやった事は決して許される事ではないが……あのような理不尽な仕打ちを受け、世界を恨んだお前の心は……悲しみは……誰にも理解出来る者ではない……理解したなどと……軽々しく言ってはいけない……」

「……ふん」

 

 ジルがぷい、と横を向く。少しだけルークが黙り、場に一瞬静寂が戻ったが、すぐにルークが言葉を続けた。

 

「お前は、何故人間をあのように扱った?」

「そこは見ていなかったのか? この世界には勇者という存在が……」

「いや、それは見た。そこではなく、お前の人間に対する行動だ」

「……どういう事だ?」

 

 ルークの真意が判らず、横を向いたままの体勢でジルがルークに問う。そのジルに対し、ルークは抱いていた疑問をぶつけた。

 

「人類を恨んでいたはずのお前が、レイとガイ、二人の人間を魔人にしている」

「……ただの気まぐれだ」

「人間牧場の情報を常に集め、一部の人間を殺さないよう命令を出していた」

「……魔王というのは存外退屈でな。ただの暇潰しだ。殺さないようにしていた人間も、ただの気まぐれにすぎん」

「では、ガイが反旗を翻したとき、絶対命令権を発動させなかった訳は?」

「……奴がどこまでやれるのかを試してみたくなっただけだ。これも、ただの気まぐれだ」

「本当にそうか?」

「……何が言いたい」

 

 横を見ていたジルがルークに視線を戻す。その表情は、どこか不快そうであった。その目をしっかりと見ながら、ルークは自分の辿り着いた結論を言う。

 

「それが何かは判らないが……お前は……人間に何かを期待し、待っていたんじゃないのか?」

 

 その言葉を聞いた瞬間、ジルがキッとルークを睨み付けてくる。

 

「あまり調子に乗るなよ、ルーク……貴様が今生き長らえているのも、私のきまぐれでしかないのだぞ……」

 

 二人の間に緊張が走る。激しく睨み付けてくるジルにルークは何かを言おうとするが、その瞬間辺りを神々しい光が包む。その中心には、顔はよく見えないが人の影が見える。

 

「ぬっ……」

「何だ?」

「ようやく見つけたぞ。私は光の神」

「光の神……悪魔の通路のか?」

「おお、お主は覚えておったか」

 

 光の神と聞き、ルークもすぐに悪魔の通路の事を思い出す。ランスに忘れられていた事もあり、若干嬉しそうな声を上げる光の神。

 

「今日はあの時の礼に降臨した訳でな。私の欠けたプレートを拾い集めてくれた礼だ」

「礼?」

「永遠の八神か……ちっ……」

 

 現れた光の神にジルが舌打ちする。光の神とあっては、全快の状態であっても勝てるかは微妙な相手だ。今の状態では相手にならない。だが、ジルは一つ勘違いをしていた。今目の前に現れている光の神は、ジルの思い浮かべた永遠の八神ではない。同一名称の別人だ。神の間ではGODと呼ばれ、混同しないようにされている。GODの存在は知らなかったジルは、永遠の八神と勘違いをしてしまったのだ。しかし、この神もジルより格上の第一級神。今の状態では太刀打ち出来ない相手ではあるのは同じであり、この勘違いはある意味ジルを救ったとも言える。光の神はルークの隣に座るジルを無視するように話を続ける。

 

「うむ。一つだけ願いを叶えてやろう。だが、死者の蘇りとかは不可能だ。魂は既に輪廻しているからな。それと、お主への礼だから、他人への干渉みたいにお主が直接関わらない願いも駄目だ。その上で可能な範囲での願いで頼む」

「ならば、ここからの脱出を!」

「そんな事でいいのか? それならお安いご用だ。飛ばす場所はさっきの男と同じ場所でいいな……いくぞ……はーっ!」

 

 光の神が叫ぶと、ルークの体を神々しい光の渦が包む。それは光の神が放った転移魔法。押し寄せてくる魔力の奔流がルークをどこか別の場所へ飛ばそうとする。瞬間、ルークは手を伸ばした。

 

「……どういうつもりだ」

「ジル……お前がもう人間を蹂躙しないと約束できるのならば、一緒に来い!」

 

 その手は、ジルの前に差し出される。頭では判っている。人類を最も虐殺した魔王、そんな存在を解き放ってはいけないという事は。だが、ルークは見てしまった。その根源にある、あの出来事を。四肢を切断されて雨空を見上げている、あの悲しい瞳を。だからこそ、咄嗟に手を差し出してしまった。

 

「ふっ……」

 

 差し出された手を見て、ジルが静かに笑う。そして、ゆっくりとその手に自分の右手を伸ばし、一度ルークの顔をしっかりと見た後、パシンと振り払った。

 

「ジル……」

「私は魔王だ。施しは受けん。哀れみも受けん。くくく……はっはっは!」

 

 ジルが笑い出すのと同時に、ルークの体が光に包まれ消えた。後に残されたのは、何も無い暗闇の世界に響くジルの笑い声だけ。これにより、ルークは次元の狭間から脱出し、ジルは一人取り残される事になった。最後に差し出されたルークの手を見るジルの胸中に何があったのか、それは本人にしか判らない。だが、もし運命を司る者がいるのだとしたら、その者は判断したのかもしれない。今はまだ、ジルがこの世界から放たれるのは早いと。そう、『今はまだ』だ。

 

 

 こうして、長きに渡るリーザス解放戦は幕を閉じる。ヘルマン軍は敗走し、リーザスの奪還は成功に終わった。解放軍が、リーザスの民が、各地のゲリラ軍が、悲願達成の歓喜に打ち震える。だが、その中心で戦っていた者たちの顔は晴れない。ルーク、ランス、シィル、以上三名の行方は、依然として掴めていない。

 

 




[人物]
片腕の戦士
 ルークの恩人である一流の男戦士。必死にその消息を追ったが、見つける事は叶わなかった。その全てが謎に包まれている。


[アイテム]
防敵スプレー
 モンスターの嫌がる臭いを発生させ、遭遇率を下げるアイテム。町を移動する事の多い商人たちの間では必須アイテムである。


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