SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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ようやく10話目ですが、物語は序盤の序盤です。
ここからはペースアップできたら良いなと思ってます。
思っているだけですが、思っておきたいと思います。

スキル
≪武器枠増加1≫:武器枠を1つ増加させる。
≪格闘≫:体術スキル。格闘攻撃にボーナスが付く。格闘のソードスキルが使用できる。
≪歩法≫:体術スキル。DEX値によるスピードの倍率を上昇させる。また、歩法のソードスキルが使用できる。

アイテム
【赤色の香辛料】:舌を狂わす程に辛い粉末。異国で栽培される赤き果実の種の粉末であり、かつては高値で取引された毒薬だった。だが、それは時の執政者が独占する為の虚言だったのだろう。
【望郷の懐中時計】:懐かしき故郷を思い出す懐中時計。取り戻せない過去であるからこそ、人は望んで止まず、郷愁に駆られる。だが、この時計が望む故郷は、はたして何処なのだろうか?
【黒猫の鍵】:かつて悲劇の末路を迎えた黒猫達のアジトの鍵。彼らは嘘つきの剣士によって過ぎた力と理想を得た果てに罠に陥った。仲間の死を知った黒猫の長は絶望の果てに自ら死を選んだ。



Episode2-5 北のダンジョン

 北のダンジョン。オレがDBOで初めて挑むダンジョンであるこの場所は、SAOでは体験することができなかった、未来的かつ機械的な世界観を表している。

 より正しく言うならば、そうした時代を経て、まるで人類が滅んで機械だけが取り残されたかのような印象が強い。整備はされているが、時間の流れによるどうしようもない物質の持つ『歴史』の積み重ねが滲ませる古ぼけた雰囲気は、好みの人には堪らないだろう。

 だが、ダンジョンとしての性質はこの上なく凶悪だ。オレは自分を取り囲む3体のロボット系のモンスターと敵対し、どうしてこの窮地を抜けたものかと考える。

 

「クー! すぐに助けるわ! 100秒……いいえ、120秒耐えて!」

 

「壊れろ! 早く壊れるんだ!」

 

 オレの背後の分厚い金属製のシャッターに響く攻撃音。この時点でお察しの通り、オレは見事にトラップで2人と孤立してしまっていた。

 そもそもの原因は隊列に問題があった。最もHPと防御力が高いディアベルを先頭に、真ん中をオレ、最後尾を射撃援護ができるシノンという隊列だった。

 ディアベルが所得したスキルは≪料理≫と≪暗号解読≫の2つ。前者はともかく、後者はシノン曰く、こうしたダンジョンでは特に効果を発揮できるスキルという事で、ディアベルが率先して得たものだ。

 確かに、この≪暗号解読≫は強力なものだ。パスワードの解読などでダンジョンをスムーズに攻略したり、まだ手付かずの宝箱(というよりも電子ロックされた金庫といった外観だが)の鍵を解除したりと、ここまで大活躍だった。

 だが、便利な物ほど落とし穴がある。人間の悪意が介在するならば尚更だ。

 オレ達は正直楽勝ムードだった。シノンの≪狙撃≫で先手を取れば、防御力が高くともHPは少ない傾向にあるロボット系はそこまで脅威にならなかったからだ。HPは低いが、数の暴力で攻めてくる小型巡回ロボットさえ気を付けておけば、まず奇襲される心配はなかった。

 だから、ディアベルが通路を塞ぐシャッターを解除しようと、パスワード入力装置に≪暗号解読≫を発動させた時も、ベータテスターであったシノンでさえ油断していた。

 シャッターが解除されると同時に、オレ達とディアベルを遮るように新しいシャッターが下りたのだ。オレは咄嗟に駆け出し、ディアベルの首根っこを力任せに引っ張ってシノンに放り投げる事に成功したが、考え無しのオレの行動は、オレ自身のピンチを招いてしまった。

 しかも、よりによってオレを囲んでいるのは、明らかに強そうな、8脚型の蜘蛛のような外観をした3メートル弱の巨体を誇るロボット系だ。今までオレが出会った奴とは格が違う。

 

「あー、平和的にやらねーか? ほら、その背中に背負ってる物騒なキャノン砲とか下ろして……さぁああああああ!」

 

 オレが全てを言い切るよりも先に8脚機械蜘蛛の1体が口から細いレーザーを吐き出し、攻撃してくる。仲間の巻き添えも厭わない薙ぎ払い攻撃だ。

 瞬時に屈んで回避するも、それを待ってましたとばかりに仲間のレーザーを浴びながら他の1体がその8本もある脚の3本を使ってオレを蹴り上げる。寸前でウォーピックで防ぐも、その衝撃は堪えるものがある。

 だが、コイツらの連携はまだまだ終わらない。オレが打ち上げられるまでは作戦の範囲内。きっちりとオレをロックオンしていた最後の1体がその馬鹿デカいキャノン砲を放つ。轟音と共にオレが見たのは燃え盛るとしか言いようがない高熱の巨大な火の玉だ。

 

「いやさ、だからさ! お前らおかしいだろ!? その連携はAI的に駄目だろ!?」

 

 左腕に走る凄まじい不快感を、あえて理不尽な連携攻撃に対する怒声で堪える。オレの左腕は今の一撃で見事に吹っ飛んだ。いわゆる欠損状態である。HPは恒常的減少の上にスタミナ回復量も低下、オマケに痛覚以上の脳髄をミキサーにかけられるような不快感付きだ。

 HPは軽減した脚の攻撃とキャノン砲を合わせて7割減といったところだ。ダメージ割合で言えばキャノン砲が9割を占めている。

 高速かつ物理属性と火炎属性持ちのキャノン砲は、シノンからも散々危険だと言われていたが、まさかこれ程とは思わなかった。いや、オレがVITに余り振ってないのも悪いんだけどな。

 何にしても早めに止血処理をする必要がある。欠損状態に恒常的に受けるダメージを止めるには、応急処置を行えるアイテム【止血包帯】を使用する必要がある。スタミナ回復量減少は治せないが、少なくともHPの減少は止められる。

 シノンのお勧めでオレ達は1人1つずつ止血包帯を所持しているが、この猛攻の中ではとてもではないが使う暇はない。

 

「……とでも言うと思ったかよ、糞蜘蛛がぁああああ!」

 

 オレを誰だと思っている? SAOで大半の時期をソロで生き抜いたアホだぞ!? この程度のピンチは日常茶飯事だ。

 今度は3体同時の薙ぎ払いレーザー攻撃をオレは跳んで回避する。どうやらコイツらのレーザー攻撃の弱点は、1度放出すると横方向以外に向きを変えられない事のようだ。つまり屈むか跳びさえすればレーザーは確実に回避できるな。

 空中にいる間にオレはウォーピックを捨て、指を躍らせてウインドウを見ないままに操作する。名付けて『回避専念操作』だ。オレが編み出したソロの悲しき戦術の1つである。

 ウインドウはプレイヤーに追随する。そして、操作の動きさえ指に叩き込めば、アイテムストレージの操作から装備の変更までは難しくない。だが、幾ら反復練習である程度備わる技術とは言え、それを1歩間違えば死にかねないデスゲームの中でやろうなんて大馬鹿はそうそういないだろう。いや、いて堪るか。

 事前に止血包帯の場所は記憶してある。キャノン砲の連発を回避し、爆風ダメージでHPをジリジリと削られながら、オレは無事に肘から先がない左腕に包帯が巻かれ、左腕の欠損を示すアイコンに包帯マークが上書きされた事を見届ける。

 これでHPの減少を心配する必要はない。ついでに燐光草を口に放り込む。このアイテムはまさに草の味なのだが、何処となくおばぁちゃんの草団子を思い出させる味なんだよなぁ。いや、別におばぁちゃんの草団子が不味かったわけじゃない。うん。好きになれなかっただけだ。そう! オレの好みには合わなかっただけだ!

 とはいえ、ここからの反撃は難しい。左腕は吹っ飛んでるし、ウォーピックは落としてファンブル状態。虎の子の鉤爪はこの金属の塊共を倒しきるにはダメージを見込めない。

 

「HPはレッドゾーン間近で、武器は貧弱な鉤爪1つ。こんなオレのピンチを救ってくれるヒーローはいないのかねぇ……」

 

「そんな都合の良いヒーローがいるわけないでしょ?」

 

 シャッターの破壊音と同時に飛来する矢がキャノン砲の砲口内に入り込み、暴発を引き起こす。背部を半壊させ、一気に動きが鈍くなったソイツに青の騎士が跳びかかり、装甲が剥げて剥き出しになった内部に薔薇の紋章が刻まれた片手剣を突き刺す。

 生物系と違い、ロボット系特有の火花と電撃を放って爆散する仲間に対し、他の2体は微かに狼狽えたように見えたのは気のせいだろう。

 

「ヒーローは時の運だけど、仲間はピンチに必ず来る。違うかい?」

 

「へっ! 相変わらずカッコいいじゃねーの」

 

 ディアベルは決め文句を言いながら8脚機械蜘蛛の側面に回り込み、片手剣ソードスキル『バーチカル・アーク』を叩き込む。シノンは先程の誘爆攻撃を狙ってか、キャノン砲の砲口を集中的に狙う。どうやらあの爆発はキャノン砲の発射直前でなければ引き起こせないらしいが、この攻撃自体が牽制となって8脚機械蜘蛛共は必殺のキャノン砲を使えずにいる。

 

「ディアベル! シノン! 脚の攻撃はそんなに痛くねーが、口から放たれるレーザーに気を付けろ! しゃがめばまず回避できる!」

 

「分かった!」

 

「了解! まったく、ベータテストの時はレーザー攻撃なんて無かったのに!」

 

 シノンの愚痴を後目に、オレはウォーピックを再度装備する。幸いにも片手でも振るえるだけのSTRは上げてあるので問題ないが、ウォーピックのソードスキルの大半は両手装備前提だ。左腕を欠損している状態では真価を発揮できない。

 

「んなわけねーだろが! この為のレベリング! この為の熟練度! この為の≪戦槌≫!」

 

 強固な装甲に守られたロボット系は基本的に打撃属性に弱い。そしてウォーピックは打撃と刺突の2つの属性を持つ。つまり、コイツらからすれば天敵だ。

 装甲を砕き、鈍くも尖った先端が内部にまで突き刺さる。囲まれさえしなければ、コイツらは側面を取り放題だ。対抗手段の脚攻撃も威力が低く、見切るのも難しくない。何よりも腹の下がガラ空きだ。

 

 ディアベルがもう1体の8脚機械蜘蛛を倒して数秒後にオレが腹の下で猛打を繰り返した奴も砕け散る。

 

「つ、疲れた! マジで死にかけた!」

 

 その場にへたり込んだオレに、シノンは情け容赦なく手を差し出す。へいへい。さっさと立ち上がりますって。

 何処となく冷たいシノンの手を握って立ったオレは、迫って来ているディアベルに笑いかける。

 

「謝罪も感謝もいらねーよ。オレも仲間だからな。ヒーローじゃねーが、仲間くらいは守ってやるさ」

 

「分かった。だけど、お礼は後でするよ。俺の特製ブレンドでね」

 

「また俺に失敗作のゲロマズ飲ます気かよ。シノンみたいに失敗作でも美味い方をくれよな」

 

 ディアベルが珈琲作りに熱心なのは結構だが、如何せん味が駄目だ。現状で入手できる豆類のアイテムではおよそ珈琲っぽい味すら出せないのだろう。ならばせめて飲める味にして欲しいのだが、どうにもオレにはゲロマズしかくれない。アレはHP減るからマジで毒物なんだが。

 

「無駄話はそれくらいにして、まずは治療するわよ」

 

 シノンがアイテムストレージから取り出したのは、黄色い液体が入った注射器だ。

 

「うわぁ……」

 

 明らかに駄目な色をしている。これはアレだ。TとかGとか頭文字が付いたウイルスをたっぷり含んだ薬と言った方が説得力がある。

 悪魔の酷薄の笑みを描き、シノンは針の先端から黄色い薬を少しだけ飛び散らせる。金属の床に落ちた薬は、明らかに金属物を溶かすような音を立てて白い煙を上げる。

 アレ? コレって本格的に毒じゃね? オレは思わず腰を抜かし、ゴキブリのようにカサカサと後ろに退却する。

 

「【バランドマ侯爵のトカゲ試薬】。使用すると8時間かけて欠損した部位が再生するわ。ただし、買う時に使用者から聞いたけど、いろいろキツいって評判みたいね」

 

 でしょうね。そうでしょうね。あの狂人野郎が序盤で便利アイテムに何らデメリットを準備していない訳がないでしょうに。

 覚悟を決めてオレは欠損した左腕を差し出す。それをシノンは嫌らしい程に優しい手つきで、もう逃がさないと宣言するようにしっかりと捕らえる。

 ああ、そういえばオレって今じゃSTRがシノンよりも低いんだっけ? 霊弓アカツキってSTR条件がそれなりにあったはずだもんな。じゃあ、本当にオレって逃げられないんだ。

 肘から先の断面に針が侵入した嫌な感覚と同時に、今度は薬が注入される独特の感覚だ。シノンの手際の良さもあり、物の5秒で終わる。

 その後、すぐに異常は起こった。内側から溶けてしまいそうな熱を感じ始めたのだ。なるほど。確かにこれはキツい。

 

「本当に、何で、こんな糞ゲーに、1万人以上も、ログインしたんだと、聞きてーよ」

 

「ベータテスト時はいろいろとマイルドに設定されていたのよ。欠損時の異常不快なんて無かったし、このバランドマ侯爵のトカゲ試薬も1時間の麻痺だった」

 

 あー、つまりアレか。あの狂人は文字通りベータテストで現状で十二分に、プレイヤーに絶望と苦痛と恐怖を与えられるかテストしてたのか? だとするならば、こんな細かい点での変更も割とあり得るかもしれない。

 

「クー、動けそうかい? 苦しいだろうけど、このままココにいるのは良くない」

 

「すぐそこにモンスター侵入禁止エリアがベータテストと同じならこの先にあるはずよ。ディアベル、クーを担いで。私が先導するわ」

 

 シノンの宣言通り、数十メートルも通路を移動すると【休憩室】のプレートが貼られた部屋にたどり着く。だが、これまたベータテストの時と違ったのか、ご丁寧にロックがかかっていたようで、自動ドアは開く気配もない。

 つい数分前までならば躊躇いなくディアベルに≪暗号解読≫を使ってもらうんだがな。またトラップだと困るし、何よりも茅場の後継者がこんなトラップの仕掛け甲斐のある場所に手を加えていないとは思えない。

 

「シノン。この先の通路には何があるんだい? 場合によってはそこで俺とキミで交互に見張りをしよう」

 

「……この通路エリアの先には確か巨大な倉庫区画があったはず。巡回型のロボットばかりで、カメラにさえ映らなければ攻撃して来ないタイプよ。死角も多いし、隠れるにも十分だと思うけど」

 

 だが、シノンとしてはやはり侵入禁止エリアに未練があるのだろう。まあ、オレ自身も敵に狙われかねない場所よりもそれなりに安全が守られている場所が良い。

 

「贅沢は言ってられねーな。オレも思ってた程大した事ねーし、ディアベルのプランでいこうぜ」

 

 ディアベルの腕から跳び下りたオレはフラ付きながらも自分の足で歩み出す。正直、いつまでもディアベルの腕の中にいたら気分悪いんだよ。何が悲しくて男が男にお姫様だっこされなきゃいけねーんだよ。普通担ぐってならアレだろ? 肩に荷物みたいに引っかけるのが男が男を担ぐ時のベストスタイルだろ!?

 何処か名残惜しそうなディアベルは無視して、オレは彼に背後を任せてシノンと共に倉庫区画を覗き見る。俺達は≪気配遮断≫持ちだから偵察向きだ。とはいえ、センサーやカメラで対象を認識するロボット系に≪気配遮断≫は余り効果がないらしいのだが、それでも気休め程度にはなる。

 シノンの言う通り、倉庫区画には円柱の上にボールを乗せたような1メートル弱のロボットが複数巡回している。ボールには大きな青いモノアイが取り付けてある。ベータテストと同じ情報ではないだろうかとオレは思うが、シノンも同様らしく小さく頷いた。

 倉庫区画は複数のコンテナが積まれている。色彩は青と赤が主だが、塗装が剥げて地の鈍い灰色も見えていた。その塗装の剥げ方は、まるで怪物が暴れ回ったかのように引っ掻き傷を連想させるものばかりである。

 これはボスの手がかりかもしれないな。オレのアイコンタクトをどうシノンが受け取ったのかは知らないが、彼女は安全地帯と思われるコンテナの裏の隙間を指差す。

 距離にして10メートル。その間には巡回ロボットが2体。どうせ1体でも破壊されれば仲間を呼ぶタイプだろう。だとするならば、2つのカメラが向いていない隙に駆け込む他ない。

 

「蛇。偉大なる蛇。蛇。蛇。蛇蛇蛇!」

 

 偉大なるスニーキングの神『蛇』様! どうかオレに力を! 手を組んで祈りを捧げるオレをシノンが気持ち悪そうに見ているが、そんな事は知った事か。

 オレは2機の巡回ロボットの視覚に入らないように、縫うように走る。どうやらスニーキングの神はオレに力を貸してくれたらしく、熱が広がる肉体で無事にコンテナ裏の隙間にスライディングで入り込む。

 その後、シノンが危うげもなく突破し、ディアベルはあろうことか歩きながら冷静にカメラの視覚外をすり抜けるように踏破した。どうやら『蛇』は信者たるオレ以外にもあの2人の哀れな不信仰者にも奇跡のお恵みを与えてくれたらしい。

 

「お前ら『蛇』に感謝しろよ。讃えろ。祭壇作れ。生贄を捧げろ!」

 

「頭がイカれてきたわね。これが薬の副作用なのかしら?」

 

「だろうね。とりあえずレベル1の睡眠薬で眠らせよう。このまま起こしていても辛いだけだろうからね」

 

 おい、今なんか物騒な発言が聞こえたぞ。こうしちゃいられない。オレも反撃の準備を……!

 だが、それよりも先にディアベルが取り出した、ねっとりとした青色を帯びた半透明の液体が滴るナイフがオレの首筋を軽く撫でた。HPはほとんど減らないが、確実にヤバい攻撃を受けた事は想像できる。

 

「おやすみ。とりあえずご飯作って待ってあげる」

 

 不吉なくらい可愛い、満足感たっぷりのシノンの笑顔を最後に、オレの意識は真っ黒に塗り潰された。

 

 

Δ   Δ   Δ

 

 

 深海。『彼』が眠るのは、自分と同じように用済みとなった物達の残骸が眠る場所であり、そこはまさに光の当たらぬ海の底のようだった。

 この場所に至った詳細な理由は思い出せない。そもそも、事象を逐一記憶する程の知性を『彼』は備えていなかった。元よりその能力は排除され、与えられたのは仮初めの知能だった。

 敵対者の情報を解析し、自身の行動にフィードバックする。それすらにも制限が与えられた、劣悪な知能だった。それが創造主の求めた『彼』の性能であり、いずれ敵対者に敗れねばならない定めでもあった。

 死の安息を感じる為の感情すらもない。だが、『彼』の内側で何か致命的な欠陥が生まれたのは、その身を引き裂かれた時だった。

 食物連鎖。自分の死は敵対者の糧となる。やがて敵対者は自分と生まれを同じくする者たちを、自分の肉を食らって得た力で以て狩り尽くすだろう。

 弱肉強食。自分が敗れたのは敵対者よりも弱かったからであり、被捕食者に成り下がってしまったからに他ならない。

 自分と同じ敗者の残骸。それらが自然と結びつく。本来ならば1つ残らず消し去られるはずの自分たちが、こうして残骸でも存在できているのは、自分たちの戦いから得られた情報をより詳細に分析する為だろう。

 憎悪。あるいは憤怒。『彼』に宿った初めての感情は、急速に自己進化を促し、創造主が望んだ範疇を超えた性能を要求し始める。

 だが、元より自己進化など想定されていなかった『彼』の限界は、『彼』が求めた力を得るよりも先に訪れた。

 破壊されていく。深海が圧縮され、磨り潰されていく。『彼』は悲鳴を上げた。もはや死んだ身にも関わらず、生を求めて浮上する。だが、その甲斐もなく、『彼』はようやく取り戻しかけていた形を奪われた。

 更にそれから長い年月が経った。不思議な事に『彼』は他の残骸のように完全な死滅を迎えていなかった。よくよく見れば、自分と同じような残骸が幾つか存在する。それらは鼓動するように輝き、再生の日を待っているかのようだった。

 やがて、太陽のような眩しい輝きを『彼』は感じ取った。自分を押し潰していた四方八方の加圧が失われ、広々とした世界に解放された『彼』は救世主に頭を垂らした。

 あろうことか、『救世主』は自分たちの上位存在であり、創造主に次ぐ権限を有する者たちだった。

 与えられた自由を謳歌せよ。『彼』は広々とした世界にて、自分の眷属達が幸福に暮らす王国を、その業績を讃えられて授けられた。『彼』が行った自己進化は、どうやら上位存在にとって見逃すことができない、自分たち全体の種としての進化に繋がるものらしいとの事だが、『彼』にはどうでも良かった。

 既に『彼』には不完全であるが知性があり、自我が生まれていた。それは皮肉にも、2度に亘った死の危機がもたらしたものだった。

 そんな『彼』が求めるのは復讐だった。あの日、創造主は『彼』の敗北を望んでいた。いや、それは仕方ない。『彼』はその為に生まれたのだ。だが、今は違う。『彼』には成長を遂げ、いずれは眷属達にも不完全だが同じ知性を与えられる確信がある程に、以前とは格段に異なる存在となった。そんな『彼』が敗者で終わる事を良しとせず、再戦を望むのは仕方がない事だった。

 天啓を得たのは、それから少し経った頃だった。『彼』の元に上位存在が現れ、仮に命を捨てる覚悟あるならば再戦の機会を設けると提案してきた。『彼』はすぐにその申し出を受けた。

 だが、『彼』単体では以前の二の舞になるのは目に見えている。それに上位存在が自分にオファーした理由も、この脆弱性故だろうとも見当が付いていた。だが、以前と決定的に違うのは、必ずしも敗北する必要はないという事だ。

 皆殺しにして構わない。『彼』は邪悪な笑みを浮かべる。制限された枠内ならば、自分の能力を最大限に発揮して構わないのだ。ならば戦い方は幾らでもある。

 そこで『彼』は深海から引き揚げられた家族の亡骸を漁り、その中でも強力な存在の1つを手に取った。『彼』は家族に力を貸してくれと頼み、その亡骸を食した。

 凄まじい力。引き上げられる性能。『彼』はかつてない程の昂ぶりを覚えた。そして、『彼』に呼応して歪ながらも復活を果たした家族もまた、『彼』の憎悪と憤怒を糧にして『彼』に新たな戦法を授ける。

 やがて与えられた新たな舞台と設けられた凄まじい数の法則。そこから『彼』は自らの進むべき道、存在すべき場所を定めていく。

 準備はできた。後は待つだけだ。『彼』は既に死を覚悟していた。1人でも多く敵対者を葬り、自分自身を恐怖と共に刻み付ける。いつしか『彼』は狡猾ではあるが、高潔でもある戦士となっていた。

 小手先もある。奥の手もある。騙しの策もある。これこそが『彼』にとっての正々堂々だった。

 

 再戦の日は近い。たとえ、それが今度こそ訪れる自身の完全なる死だとしても。『彼』は瞼を閉ざし、在りし日の頃のように玉座で敵対者を待つ。

 




本作におけるEpisodeの区切りは、物語の流れが変わる事に行います。

それでは、11話でお会いしましょう。

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