SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

101 / 356
いよいよ『1日』も決着です。
どうぞ、その最後をお楽しみください。

スキル
≪長距離走≫:戦闘中を除き、ダッシュ時のスタミナ消費量が減少する。
≪剛体≫:スタン耐性が上昇する。

アイテム
【火竜の唾液】:可燃性の高いどろりとした液体。本物の火吹き竜の唾液ではなく、朱肉虫という寄生虫の体液を加工したものである。朱肉虫は腐乱死体を貪って成長する。その為か、戦乱の時代、王の中には朱肉虫の養育として奴隷を殺したという記録もある。
【暗月の短剣】:罪と罰を司る暗月の神に仕える巫女が手にする短剣。その刃は鋭く、鉄すらも斬り裂くと言われているが、その用途は自害である。彼女らは罰を与える暗月の騎士たちに次なる罪人の居場所をお告げで伝える。故に罪人の手に落ちた時、彼女らは暗月の巫女として最後の使命を全うするのである。


Episode12-19 One day~ある傭兵の場合9~

「……復讐か」

 

 愚かとは口が裂けても言えないし、そんな戯言をほざく屑がいるならばオレの手で八つ裂きにするだろう。

 兄弟姉妹がいる。両親がいる。友人がいる。仲間がいる。恋人がいる。伴侶がいる。子どもがいる。

 誰もが自分自身だけで、孤独に心を作っているのではない。多くの人との出会いが、関係が、繋がりが、人の心の色と形を決める。

 だからこそ、大事な人を理不尽に奪われれば、心は抉り取られる。そこから溢れた血は毒となり、道徳心や社会概念を侵蝕する。そして、毒に耐えきれなくなった時、人は心を癒す為に復讐を望む。

 

「アンタ、名前は?」

 

 黎明の剣は夜明け色の刀身に月光を浴びながら、緩やかに殺意を目覚めさせるようにその移ろい続ける色合いを濃くしていく。オレは剣先で屋根に積もった雪を削りながら、ムーココナッツの弟に1歩近づいた。

 

「【ヘリオス】だ」

 

 装備しているのは大弓か。大矢と呼ばれる破壊力と貫通力が通常サイズの矢を遥かに上回る性能を持つが、その一方で取り回し辛く、連射性能に欠ける。一般的に出回っているのは【鉄の大弓】や【獣骨の大弓】、最近では【アーロンの大弓】が最高クラスとして人気を集めている。だが、ヘリオスの大弓はオレも記憶が無い。

 それに、あの連射性能は大弓にしては格別すぎる。恐らくユニーク、あるいは準ユニーク級か。銀色のフレームと埋め込まれた青と赤の水晶に目が惹かれる。

 吐き気がする。エレインが殺害されたというのに、オレの頭は冷静にヘリオスを分析し、そして戦術を組み立てていく。まるで、速くヤツの喉を引き裂けと涎を垂らして顎を開いているかのように。

 

「前置きするが、アンタの復讐を咎める気はない」

 

 結局のところ、オレは何も見えていなかった。

 今回の事件の裏側、真意、策略ばかりを見抜こうとして、もっと原初の部分……ムーココナッツが殺害された事による周囲の人々への影響をまるで考えていなかった。

 エレインがアイラさんを人質に取られてムーココナッツを殺害した。それはクラウドアースの諜報部の腐敗が招いた悲劇だ。だが、被害者からすれば、そんな裏事情など関係ない。

 アイラさんを取り戻そうとエレインが奮闘したように、大切な人を奪われたヘリオスが復讐を志すのはごく自然の話だ。

 

「殺しているんだ。殺されもするさ。エレインはその命で代償を支払った。アンタの復讐は終わりだ」

 

 だから、どうか踏み止まってくれ。オレの理性はそう叫ぶ。

 さぁ、新しい獲物が間抜けにも食後のデザートにやって来たぞ。オレの本能はそう咆える。

 

「アイラさんは関係ないはずだ。武器を下ろせ」

 

「断る!」

 

 ただの狂犬か。ヘリオスの濁った眼には、もはや暴走するやり場のない怒りと憎しみしか映っていなかった。

 

「そうか。だったら死ね」

 

 雪を剣先で舞い上げながら、オレは黎明の剣を振り上げる。その斬撃をヘリオスはバックステップで踏んで回避し、宙で大弓を横に構えながら大矢を放つ。

 本来、大弓はアンカーで足下に固定して使用する武器なのだが、ヘリオスはどうやら高いSTRで強引に反動を打ち消しているようだ。あるいは、大弓の反動自体が低い連射特化の性能を持っているのかもしれない。

 大矢が足下に着弾し、その衝撃が雪を粉状に吹き上げるだけではなく、瞬く間に溶解させて水へと変える。よくよく見れば鏃が赤熱している。【炎の大矢】か。厄介な物を使用している。

 緩やかな傾斜を持つ屋根の上では水が足を滑らせて転倒させるリスクを発生させる。たとえ復讐心に身を焼かれていようとも、あくまで戦いはクレバーを貫くのはヘリオスの高い戦闘能力の一端を表しているのだろう。

 このまま距離を取られたら厄介であるが、オレは茨の投擲短剣を4本抜いて左手の指の間に挟み、ヘリオスが宙に跳んで再度オレに炎の大矢を射ろうとした瞬間を狙って放つ。空中では方向転換が容易ではない。1本程度ならば『点』である為に身を捩じって回避できるが、4本同時に『面』で放つ。

 弓矢は性質上、射撃タイミングでは両手が塞がる。ましてや、大弓はその巨大さ故により顕著に動きが抑制される。

 右肩、横腹、太腿、それに右目を茨の投擲短剣が貫く。ダメージフィードバックでヘリオスが顔を歪ませるが、それでも彼はこの程度で止まる意思はないと訴えるようにオレに向かって炎の大矢を射る。

 

「動きが読めるんだよ、糞が」

 

 だが、それをオレは左手で喉に命中する直前でつかみ、炎の大矢が伝わる熱を手甲越しで味わいながら放り捨てる。

 そのままヘリオスが着地の予想地点へと、ご丁寧にもヘリオスが溶かしてくれた雪解け水を利用して滑りながら加速し、右片手で持った黎明の剣の袈裟斬りをヘリオスに大弓でガードさせる。

 そこに間髪入れずの膝蹴りで横腹に突き刺さる茨の投擲短剣の柄頭を打つ。レザーアーマーに阻まれ、辛うじて切っ先だけが刺さっていただけの刃は深く押し込まれ、ヘリオスの喉から潰された短い悲鳴が漏れる。射撃型の悪い癖だ。接近戦型よりもダメージを受ける機会が無い為、痛覚代わりのダメージフィードバックである不快感に慣れていない。欠損時の脳をミキサーにかけられるような感覚に比べれば児戯のような物だというのに。

 ヘリオスの襟首をつかみ、そのまま背負い投げで脳天から屋根に落とす。短く漏れた呼吸音と共に再度持ち上げて顔面をつかみ、10メートル以上ある地上までダイブする。

 いかに雪上とはいえ、後頭部から地面に叩き付けられたダメージはヘリオスのHPを著しく削り、残り半分を切る。やはり大弓をあれだけ自在に操るステータスの為に、VITを犠牲にしているか。射撃型程に特化したステータスでなければ戦いにおいてダメージを叩き出せない為にVITの成長を見送る傾向がある。

 

「復讐した瞬間からお前も殺す側の人間だ。常に殺されるリスクを背負うのは当然だろう? それとも、自分の復讐は正当なものだから、凶刃が自分に向かうはずが無いと甘い幻想に浸っていたか?」

 

 唸るヘリオスの喉をつかみ、持ち上げたオレは彼の右目を貫く茨の投擲短剣を強引に引き抜く。複数の返しが付いた刀身を持つこの短剣を荒々しく抜かれれば、周囲の肉を抉り取るのは道理だ。アバターの赤黒い破片が飛び散り、ヘリオスはもがくが、オレは彼の喉を放さない。

 だが、月光で煌めく一閃がヘリオスの解放を選択させる。拘束されながらもサブウェポンの曲剣を抜いたヘリオスが逆手で振るったのだ。

 

「どうしてだ……どうしてなんだ!? 兄さんは何も悪いことをしていない! ただ、こんな、どうしようもないくらい救いが無い世界で……必死に生きていただけなんだ! なのに、何で!? どうして!? こんな理不尽に殺されないといけないんだ!」

 

 残された左目は今も衰えることなく復讐の意思を宿し、ヘリオスは曲剣で果敢にオレに斬りかかる。その連続斬撃は彼が多くの死線を潜り抜けた戦士である事を証明するように鋭い。そして、人を斬るという迷いは耐えきれない怒りで押し潰されている。

 

「なのに、どうして……兄さんを殺したヤツがあんな幸せそうにしているんだ!? こんなの間違っている! 間違っているんだ! だから俺は殺す! あの男も……あの男が大事そうにしているあの女も……奴にとって大切な全てをぶち殺してやる! 俺から兄さんを奪った理不尽を味合わせる!」

 

「同意して欲しいなら止めておけ。オレはアンタみたいな復讐者を返り討ちにしてきた方だぞ?」

 

 思い出したのはレイフォックスとツバメちゃん、それにスカイピアだ。他にもSAO時代に復讐を志したプレイヤーを逆に殺した経験は両手の指の数でも足りない。

 復讐したければ好きにしろ。だが、自分がその瞬間から喰うか喰われるかの世界に堕ちている事を自覚しろ。

 正義など役に立たない。同意? 肯定? そんな物を求めるくらいならば復讐など考えるな。部屋の隅でガタガタ震えて怒りと憎しみを消化して明日の為に生きる活力に変えろ。

 

「お前の復讐が正しいならば、オレを殺してみろ。今この瞬間は力こそが全てだ!」

 

 バックステップで間合いを取ってから、ヘリオスの胸部中心を狙った刺突。両手剣の長いリーチを、≪剛力≫で片手持ちを可能にして右腕を最大限に伸ばして活かす。全てがスローモーションと思える程に月光を反射した雪が踊り、その中でソードスキルの緑の光が螺旋を描いた。

 それは≪曲剣≫の特殊型ソードスキル【パリング・ウインド】。≪盾≫の代名詞であるパリィを曲剣で実現するソードスキルだ。曲剣の反りに判定があり、相手の攻撃を巻き込みながら回転させて強制的に無防備状態にさせられる。この状態ではスタン状態と同じく、クリティカル率が極めて高い。

 そして、ヘリオスの左手が抜いたのは短剣だ。なるほど。ここで狙うのはクリティカル部位に命中させる事で大ダメージを生む≪短剣≫のソードスキル……暗殺ソードスキルと名高いキラービーか。

 

「……悪いな、届かせねーよ」

 

 アンタの復讐心は本物だ。それだけは讃えるよ。オレは微笑み、パリング・ウインドで黎明の剣が巻き込まれる瞬間に柄を手放す。武器は放り投げられたが強制無防備状態を切り抜けるには際どかったが成功した。だが、既に鉈を抜ける間合いではない近距離に踏み込んだヘリオスの短剣のソードスキルの輝きを目にする。

 

 

 

 そして、刹那の交差でヘリオスの顎は粉砕され、高々と吹き飛ばされた。

 

 

 

 宙を数メートル浮き、雪上に倒れたヘリオスは何が起きたのか分からないと言った顔で震える上半身を起き上がらせながら、オレが左腕を曲げた状態のまま、まるでアッパーを途中で止めたかのような姿勢で硬直し、残心の吐息を漏らしている様を見ている。

 久しぶりに使ったが、やはりこのソードスキルはオレの性に合っている。≪格闘≫の単発系ソードスキル【穿鬼】。

 このソードスキルの特徴は、2つの最短を持つという事。

 1つ目は射程。1ミリ未満しかなく、発動させたとしても、ソードスキルの特徴である自動モーションは無いに等しい。

 2つ目は発動時間。その時間は僅か0.02秒だ。ほとんどのプレイヤーは発動させたとしてもソードスキルの輝きをハッキリと目にする事は無い。

 発動モーションは手首を捩じる動きだ。ただし、発動モーションと同時に必ず『踏み込み』の動作を行わねばならない第1の制約。そして、相手と拳が密着した状態では発動できないという第2の制約。この2つの制約をクリアせねば発動しない。

 この使わせる気が無いふざけたソードスキルはSAO時代に≪体術≫として分類されていた頃から存在したが、ほとんどのプレイヤーがその真価を発揮できなかった。そもそも命中させられないのだから当然だ。威力を確かめる事すらもできない。

 だが、1人のプレイヤーが【穿鬼】の必殺性を知り得た。その名は誰もが知る最凶のプレイヤー、PoHだ。

 オレがヤツからマンツーマンで手解きを受けた、唯一にして最強のソードスキルがこれだ。ヤツの切り札であり、オレの鬼札でもあった、早期に≪体術≫を獲得していた『アイツ』すらその神髄に至れなかった。

 最短距離故に極めて分かり辛いが、その間のソードスキルによるアシスト加速と火力ブーストが尋常ではない。その発動時間に確実に命中させられれば、STR特化の御株を奪う致命的なダメージを与えられる。

 DBOでは消費スタミナが低めであるとはいえ、再発動までのクールタイムがやや長めである事、発動後はしっかり硬直時間が発生する事も含めて、使い辛さは相変わらずの最高レベルだ。

 だが、命中すれば、派手なサウンドエフェクトと残滓のようなソードスキルの光が凶悪な神秘性を生み、その必殺の威力をアバターにも精神にも発揮する。お陰でSAO時代にこのソードスキルを人前で使う度に、オレはユニークスキル使いだと誤認させる事ができた。もちろん、オレは『アイツ』と違って選ばれた人間じゃないからユニークスキルなんて保有した事も無い。

 

「言っただろ?『動きが読める』ってな」

 

 そして、このソードスキルをオレに教示したPoHこそが、オレの本能に由来した読みと見切りの速さを何よりも評価した。逆に言えば、このソードスキルは相手の動きを予測し、最適タイミングにソードスキルの発動モーションを起こしてヒットさせなければ必殺と成り得ない。

 

「い、いったい……な、にが……」

 

 アバターの顎が砕けたヘリオスに、オレは緩慢に1歩ずつ近づく。既にヤツのHPはレッドゾーンだ。曲剣も穿鬼の命中の際に手放し、残されているのは短剣のみ。

 

「復讐者ってのはさ、自分が返り討ちに遭うっていうイメージがどういう訳か曖昧だよな。そう思わねーか。思わねーよな。思わないからアンタはここで死ぬ」

 

 誤解しないでくれ。オレはエレインを殺した事について怨んでいるんじゃない。憎んでもいない。怒ってもいない。理不尽だとも思っていない。

 だけどさ、不思議なくらいに虚しいんだ。

 あの2人が幸せになってくれれば、もしかしたら、オレは……何か、大切な物を思い出せる気がしたんだ。

 もうあの2人の声は……クラディールとキャッティの声は聞こえない。耳に残るのは、今までオレが殺してきた人たちの怨嗟の叫びだけだ。

 

「アンタの、お陰……なのに。どう、して……」

 

 もはや抵抗する心も穿鬼で砕かれたのか、オレが振り下ろした鉈をヘリオスは避けようともしなかった。

 

 

 

 

「そこまでです。ここから先は、我々【ヴェニデ親衛隊】が引き継ぎます」

 

 

 

 

 だが、命中するギリギリで、交差した刃がオレの鉈を受け止める。

 黒光りする長めの分厚い片手剣を装備した2人のアーロン騎士装備が、オレの凶刃を防いでいた。

 次に飛来したのは分銅が付いた鎖だ。それは先程までセサルの屋敷にいたメイドさんたちである。彼女らが装備するのは鎖鎌であり、柄頭の先端から伸びる分銅鎖が次々とヘリオスに巻き付き、彼を拘束する。

 項垂れるヘリオスの口に強引に燐光草を押し込んで、メイドさんたちはオレの記憶にある可愛らしい笑顔を潜ませ、冷徹な無表情でヘリオスを立ち上がらせる。

 

「ご苦労様でした。さすがは【渡り鳥】殿ですね」

 

 妙にへりくだった喋り方をするアーロン騎士装備に、オレは苛立ちを込めて睨みつける。

 

「疲れてねーよ。それよりも、アンタらはどうしてここに?」

 

「失礼ながら、監視させていただいておりました。エレインは本来投獄されて然るべき人物です。逃亡されないように見張るのは当然かと」

 

 片手剣を腰の鞘に戻し、アーロン騎士装備の1人が頷く。もう1人のアーロン騎士装備は鎖鎌で捕縛されたヘリオスが逃げないように彼の傍らに立つ。

 

「ヘリオスは兄のムーココナッツの死後、行方を暗ました。彼も内部調査員の1人でしたから、兄が諜報部によって謀殺されたと悟った。そして、調査の過程で実行犯が脅迫されていたとはいえ、エレインである事を突き止めたのでしょう」

 

 頭を振って話を打ち切るアーロン騎士装備からは無念と言った雰囲気が滲んでいる。兜で隠れているが、彼の眼差しはメイドさん達によって治療を受ける……今も啜り泣くアイラさんへと向けられていた。

 

「……囮にしたのか?」

 

 余りにも手際が良過ぎる。事前に段取りが出来ていなければ、このようにスムーズな介入は不可能だろう。もちろん、コイツらがそれ相応の修羅場を潜り抜けているという事を加えてもだ。

 

「否定はしません。ですが、見殺しにするつもりはありませんでした。ヘリオスはエレインよりレベルは上ですが、射撃特化のステータスですので、貴方が傍にいる事も加味すれば我々の到着まで十分に持ち堪えるだろうという算段でした。しかし、クラウドアースが厳重に管理しているはずのユニークウェポン【破魔の大弓】を持ち出しているとは。どうやらヘリオスには管理部に協力者がいたようですね。それに、【渡り鳥】殿に勘付かれないように我々が必要以上に距離を取って監視していたのも仇になりました」

 

 連射性能が高いあの大弓の事だろう。強引にヘリオスから装備解除させ、件の大弓を確保したメイドさんがアイテムストレージに収納する様をオレは横目で見る。

 HPは回復したが、オレに潰された顎はそのままだ。まぁ、自動回復でいずれ元に戻るだろう。

 

「まだだ……必ず、必ず、必ず……殺す。あの女も殺してやる。そうする事で、ようやく兄さんは眠れるんだ」

 

 焦点が合っていない、ぼんやりと曇った瞳は虚ろを眺め、ヘリオスは壊れたように殺意を呟く。

 彼にとってDBOという正気を奪い続ける世界で、現実世界への帰還を諦める事無く生き続ける目標だったのが、他でもない血のつながった兄だったのだろう。

 自然と、オレはヘリオスへと足を運ぶ。もう戦いは終わった。だが、こんな不完全燃焼などオレ達の死闘の意味が無い。

 だから……オレは微笑んだ。そうする事に正しいとか、間違っているとか、ヘリオスの復讐心と同じくらいに基準が無いからこそ、笑む事を選んだ。

 

「今を生きてるヤツが祈ろうと呪おうと死者は眠るさ。明日が無いからこそ、眠り続ける。だから……」

 

 そっとオレはヘリオスの頬に触れ、今にも氷に成りそうな程に冷たい涙を指で拭い、癒すように撫でた。

 彼は間違えてもいないし、正しくもない。復讐を志した時に、彼は選ぶべきだったのだ。何を犠牲にし、何を仇とし、何を求めるのか。彼は復讐心だけに支配され過ぎたのだ。

 

「だから……アンタも今日はもう眠れ。明日の為に。次があるならまた相手をしてやるさ。そして……今度こそ殺してやるよ」

 

 ヘリオスのうな垂れた頭を抱きしめ、オレは彼の耳元で囁く。お前の復讐はまだ終わっていない。だから、もう1度剣を交える時が来たならば、誰にも邪魔させる事無く殺してやる。お前の復讐を終わらせてやる。

 

「死者は……眠る、か……兄さんも……」

 

 死んだ魚よりも濁った眼をしていたヘリオスは天上の月を……現実世界よりも遥かに美しい仮想世界の月を見上げる。それはまるで洗礼でも受けるように月光を全身に浴びる。

 顔を下ろしたヘリオスは……微かにだが笑っていた。そこには復讐心を彩る怒りと憎しみ以外の……どうしようもない理性ある疲れが滲んでいた。

 

「……噂とは違うんだな。それに変な奴だよ。復讐を肯定するなんてさ」

 

「肯定も否定もしてねーよ。誰かに罰を与えられる程に偉くもないし、清廉でもないだけだ。だから、安心して殺されに来い。全力でぶち殺してやるよ」

 

「そうか……そうか……そうだよな。……ありがとう」

 

 感謝されるような事してねーよ。連行されるヘリオスを見送ったオレは、何やら妙な視線を感じて隣のアーロン騎士装備に顔を向ける。

 なんだよ? 人様の顔をじろじろ見るなってママに習わなかったか? 相変わらず兜に隠れているお陰でどんな表情をしているのか分からんが、妙に父性のようなものをアーロン騎士装備から感じて、オレは思わずたじろぐ。

 

「……これが聖女か」

 

 ぼそりとアーロン騎士装備は何やら変な事を漏らして、仲間の後を追って雪を踏み鳴らしていく。

 取り残されたオレは頭を掻きながら、メイドさんを傍らに、膝を抱えて顔を埋めているアイラさんに近づく。

 

「エレインは……私の為に、人を殺していたんですか?」

 

 泣き腫れた声で、アイラさんは我が身を呪うようにオレに問う。

 無言こそが肯定だ。沈黙を通すオレを前に、アイラさんの自責の念が膨らんでいく事を感じる。

 今の彼女を1人にしておくわけにはいかない。セサルの屋敷で保護すると提案するメイドさんの申し出を断り、オレはアイラさんに肩を貸しながら、サインズ本部を目指す。今の彼女は下手に独りにすると危険だ。

 

「私は……いつも足手纏いでした。泣き虫で、すぐ弱気になって、誰かの背中に隠れるしか出来ない。だから、震えるだけの私に手を伸ばしてくれたエレインは……私にとって、本当に、ヒーローでした」

 

「……そうか」

 

「不器用で、他人を疑うのが苦手で、とても臆病な人。私と似ているけど……私よりもずっと強い人。彼はいつだって、誰かを助ける為に動いてくれる」

 

「……そうか」

 

「どうしてこんな事になったんでしょうね? 私達は……ただ、ずっと一緒にいたかっただけなのに」

 

「…………」

 

 彼女の口はいつしか再び空を覆った分厚い雪雲から降り注ぐ銀色の雪と共に閉ざされる。

 全ては因果応報。エレインがムーココナッツを殺害しなければ、こんな結末は訪れなかったのだろう。

 ふと真横から妙に温かい光が漏れていることに気づいてオレは足を止める。それは壁が半壊し、店内も滅茶苦茶な、何処か見覚えのある建物だった。

 

「アイラ!?」

 

 そして、半壊の建物から姿を現したのは、やや褪せた金髪をした女性だ。

 

「……イワンナ」

 

 力なく、アイラさんはオレの肩を離れ、彼女の首に抱き付く。小さく嗚咽を漏らすアイラを、イワンナは全てを悟ったといった様子で肩を叩きながら抱きしめる。

 なるほど。この建物はレグライドの映像に登場した、UNKNOWNとチェーングレイヴが争った場所か。建物の内部では修復に取り掛かっているらしい、建築専門のギルドである松永組のメンバーが使い物にならなくなった家具を回収し、何とか素材として1部でも抽出できないものだろうかと物色していた。

 

「独りにしてごめんね、アイラ。私もさ、自分だけになって……ようやく実感したよ。エレインは……私たちの居場所を作ってくれていたんだって。だから……アンタのせいじゃないのに責めて……本当にごめん」

 

 情報ではイワンナの親友はアイラさんのトラップ解除ミスで死んだらしく、その件でアイラさんを厳しく責めたんだったな。まぁ、イワンナも当時は感情的になっていたが、仲間と離れ離れになって、冷静になってみれば自分が理不尽に責めた事を悔やんだのだろう。

 

「ねぇ、その白髪で女の子みたいな顔……噂の【渡り鳥】でしょう? アイラに何があったの? エレインが死んだ事は知っているけど、それと関係があるの?」

 

「ん? ああ、少し長い話になるが……ちょっと待て」

 

 イワンナの何気ない問いに、オレは奇妙な違和感を覚える。

 アイラさんの状態を見れば、彼女に尋常ではない事態が起こった事を予想する事は容易い。だからこそ、彼女の肩を抱えていたオレに質問する事自体は不思議ではない。

 

「なんでエレインが死んだことを知っているんだ?」

 

 そうだ。これだ。エレインが死んだのは十数分前だ。仮に優れた情報網をイワンナが保持しているとしても、つい先程のエレインの死を耳にすることができるなどあり得るはずが無い。

 だとするならば、何故イワンナはエレインの死を知っている?

 オレの質問に、イワンナはやや戸惑いながらも『それ』を口にした。

 

 

 

 

 

「ゆ、夕方にチェーン・グレイヴの連中に店を荒らされた時に、エレインは誰かに殺されたって……そう言ってたから」

 

 

 

 

 

 その言葉を聞いた時、オレの中で今日という1日の全てが巡った。

 クラウドアースとチェーングレイヴの密約。

 エレインによるムーココナッツの殺害とヘリオスによる復讐。

 セサルが最後に見せた奇妙な反応、そして忠告。

 そして……事前に告知された『エレインの死』という情報。

 そうか。そういう事か。オレは顔を覆い、思わず漏れそうになった笑い声を堪える。

 こんな事が……こんな、小さなミスが、人を殺すのか? ああ、そうか。オレはアイラさんの気持ちをまるで理解していなかった。それは『仕方ない』で終わらせられるようなものではない。

 

「【渡り鳥】……さ、ん?」

 

 エレインの失ったばかりのはずのアイラさんがオレの顔を心配そうに覗き込む。

 止めろ。止めてくれ。そんな風にオレを見ないでくれ。オレに……特にアイラさんに、気遣われて良いような人間じゃない。

 

「……アイラさん、ごめんなさい」

 

 辛うじて、オレはそう搾り出す。せめて、この結末がエレインの自業自得だけではない……どうしようもない愚劣で、恥知らずで、間抜けな道化師が脚本を書き換えてしまったばかりに起きた悲劇であると伝える為に。

 

 

 

 

 

 

 

 

「エレインを殺したのは……オレです」

 

 

 

 

 

 

 何故エレインが死亡したなどという誤情報をわざわざチェーングレイヴは告げたのか。時系列で言えば、それは既に諜報部からアイラさんを取り戻し、オレ達がセサルの屋敷に到着していた頃に行われた対UNKNOWN戦に、わざわざ死亡情報が流された。

 それは簡単な話だ。周囲に……いや、エレインを殺害する為に潜伏中のヘリオスに、復讐の対象は既に死亡したと錯覚させる為だ。

 何処にでもある、使い古された保護対象を守る為の『嘘』だ。恐らく、ヘリオスはずっとクラウドアースの動きを監視し、エレインの居場所を探っていたのだろう。だが、セサルは敢えて自分の屋敷にエレインを連行した。屋敷のあの警備ではさすがのヘリオスも情報を抜く事は出来ない。

 そして、そのタイミングを狙ってセサルはチェーングレイヴに、わざわざUNKNOWN戦で野次馬が集中し、騒乱となっているところでエレインが何者かによって殺害されたという嘘を告知させる。

 そうすれば、ヘリオスはエレインがセサルによって処刑されたと思い込むはずだ。仮に死者の碑石でエレインの生存を確認したとしても、セサルの屋敷の牢に囚われ続ける限りエレインは安全だった。

 だが、オレが……エレインの解放を願った。鳥籠は小鳥から自由を奪う為にあるのではなく、野良猫の牙から守る為にあるのだと知らないばかりに。

 セサルはオレの願いを叶えただけだ。たとえ、その裏では『エレインを餌にしてヘリオスを誘き寄せよう』と算段を立てたとしても、それはオレの甘さを利用しただけだ。

 所詮は仮説だ。何ら根拠は無い。だが、筋は通っている。

 全てを聞いてくれたアイラさんは……ただ笑った。あの時のエレインと同じように、嬉しそうに笑った。

 

 

「あなたは……本当に優しい人ですね」

 

 

 その言葉の意味は分からない。オレはディアベルを想起の神殿で待ちながら、何故最後にアイラさんがオレを優しいなどと評したのか分からなかった。

 唯一分かっていることがあるとするならば、オレの中でこの仮説は限りなく真実だという事だ。

 エレインは自業自得で死んだのではない。オレの愚かな願いのせいで、傲慢な救いの手のせいで、死んだのだ。

 足音が聞こえる。ディアベルが到着したのだろう。

 オレは深呼吸を1つ挟み、揺らぐ心に針金を通す。ディアベルに無様な姿を見せたくない。アイツはギルドのリーダーとしてただでさえ重責を負っているのだ。余計な心配事を増やすわけにはいかない。

 

 大丈夫だ。オレはまだ独りでやれる。まだ……独りでやれるはずだ。




以上で『1日』は終了です。
最後の結末はあくまで『仮説』です。真実は明らかになりませんし、もしかしたら主人公の仮説は欠片として当たっていないのかもしれません。

それでは、102話でまた会いましょう。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。