SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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今回はストレートに骨休み回です。
嘘じゃありません。本当に、大して何も起こらない休憩回です。

スキル
《装備重量増加》:装備重量を増加させる。
《ガードブレイク》:ガード崩し性能が上昇する。熟練度の上昇により、より強化される。

アイテム
【楽園の果実】:今は朽ち果てた妖精の国、古き森の最奥にひっそりと立つ原罪の古木に生る果実。千年に1度だけ実をつけ、食らえば世の理を捻じ曲げるほどの大いなる力を得られると言われている。だが、その力は人のみならず、神にすら御せるものてはないだろう。ひと時の絶頂の後に待つのは過ぎた力を欲した罰である。


Episode13-7 小休止

 オレの目の前で本日13体目のゴブリン・ソルジャーが撃破される。

 残量HPは7割半、4体同時にしてはそれなり以上に残せた方か。だが、問題は武器の耐久値だな。鉈はともかく、黎明の剣は軽量型である為、両手剣では耐久値が低めの部類だ。注意せねばならないだろう。

 

「さて、後はお前だけか」

 

 旨みの無い経験値とコルのお陰で戦うメリットなど欠片も無い。それでも立ち塞がるコイツらとの遭遇率は異常だ。オレはゴブリン・ソルジャーの隊長格である【ゴブリン・コマンドー】へと目を向ける。とはいえ、右肘から先が無く、左手にも茨の投擲短剣が3本も突き刺さってまともに動かせなくなったゴブリン・コマンドーに抵抗の術はなく、せいぜい玉砕覚悟の突進くらいだろう。

 まぁ、それを許す気も無いが。オレは踏み込みと同時に黎明の剣の片手突きでゴブリン・コマンドーの口内に刃を押し込んで撃破する。

 連戦続きのせいでスタミナをまともに回復させられていない状態が続いているのは不安であるし、回復アイテムにも限りが見え始めた。燐光草は無くなり、今からHPを回復させる為に燐光紅草を2つも使わねばならない。燐光紅草は前も合わせてこれで3つ目。

 今のオレの手持ちの回復アイテムと言えば、深緑霊水が残り1つ、燐光紅草が1つ、白亜草が3つだ。HPを4割も回復もできる白亜草は、現状ではレアアイテムの部類であるので余り使いたくないのであるが、温存して死ぬのもご免なので勿体ないと思わずにどんどん使っていこう。

 

「もう出てきていいぞ」

 

 オレは背後の物陰に隠れていたサチに呼びかける。彼女は槍を構えて周囲を見回しながらオレと合流し、ホッと息を吐いた。

 

「クゥリ、大丈夫?」

 

「問題ねーよ。連中のパターンも見えてきた。2桁で襲い掛かられない限りに負けは無いさ」

 

 懐かしきアインクラッドのダンジョンの探索を初めて1時間、限りなく交戦を避け、止むを得ない場合に限って戦い続けたオレの疲労を気にするサチに、この程度は疲れの内に入らないと肩を竦める。

 伊達に傭兵をやっていない。この程度の連戦で音を上げるものか……と言いたいが、このアイテム不足は深刻だ。既に茨の投擲短剣は9本、火炎壺は2つ、といった具合に攻撃用アイテムも在庫切れが間近だ。

 オレの戦闘スタイルは多種の武器を使い、軽装化で不足するDEXを補って高速化を実現し、多様に攻撃アイテムを駆使するというものだ。血風の外装と≪格闘≫スキルのお陰で近接戦におけるダメージソースは増えたものも、根本的な瞬間火力は不足気味だ。特に武器の性能を引き上げる武器の熟練度が不十分だ。纏めて武装を新調したのが仇になったな。

 とはいえ、今回の連戦のお陰で血風の外装は随分と熟練度が上昇している。グリムロック曰く、コイツには隠し性能があるらしいので、上手くいけばこのダンジョンの攻略中に解放されるかもしれない。というか、して貰わなければ手札不足が深刻過ぎる。

 そんな追い詰められつつある状況を表情には出さず、なるべくサチを安心させるように何でもないように振る舞う。事実としてゴブリン・ソルジャーにもゴブリン・コマンドーにも遅れは取っていないので、あながち嘘を吐いているわけでもない。

 

「少し休もう。ほら、ここに座って」

 

 そう言ってサチは周囲を見張れる、鈍い黄土色をした遺跡のような造りをしたダンジョンに相応しい台座を叩いて促す。台座の脚は蛇の胴体を持つ獅子であり、その口からは炎のようなものを吹いていた。ああ、そういえばこの迷宮区のボスが確かこんな概観していたという情報をアルゴから買ったことがあったような無かったような……

 そんなどうでも良いことを思い出しつつ、オレはサチに誘われるままに台座に腰かけて一息を吐く。アイテムストレージからコンビニから持ち出したサイダーを2本取り出すと1本をサチに渡す。

 DBOではまず味わえない甘みが強い炭酸の液体が喉を焼き、オレは思わず唸り声を上げそうになる。やはり、この喉を焦がすような炭酸の刺激が堪らない。

 

「このダンジョンはね……『あの人』と出会った場所なんだ」

 

 オレがサイダーを夢中でがぶ飲みしている横で、サチはキャップを外しながらぼそりと呟く。

 

「私たち月夜の黒猫団はね、お世辞でも強いギルドじゃなかったの。幼馴染のケイタが部の皆を纏め上げて、少しでも早くアインクラッドの攻略を目指すという理想を掲げ上げていたけど、レベルも情報も足りなかった。あんな調子じゃ、攻略組予備軍にも何年かけても入れなかったと思う」

 

 懐かしむようにサチは仲間達との思い出を語る。その目に潜む悲壮は、月夜の黒猫団に訪れた末路故か、それとも道半ばで途切れた理想への無念か。あるいは、例の剣士に対する想いの片鱗なのかもしれない。

 SAOも中期までは中堅ギルドやプレイヤーが攻略組に加わろうと切磋琢磨していた。その中でも、最も攻略組に近しいと言われていたのが攻略組予備軍だ。彼らは最前線に近しい場所でレベリングに励み、アイテム収集を行い、武器を強化していく。この攻略組予備軍には単純なプレイヤースキルだけならば最前線でも通じるだけの者も幾人かいた。

 攻略組を目指すならば、まずは攻略組予備軍に入る事。そして、攻略組の連中が独占している情報の分け前を貰い、最後の1歩を得る機会を必ずつかむこと。思えば、SAOもDBOとは違った意味で歪んでいたな。

 あんな殺し合いの生活で、どうしてゲーマーの意地など攻略組は張り続けたのだろうか? DBOはある意味でギルド間抗争が激化したお陰か、あるいはこのどうしようもない位に救いが足りない世界観のせいか、『ゲーマー』としての意識を残しているヤツらは少数派だ。

 いいや、違うな。ゲーマーであろうとした連中から死んでいったのだ。真の意味でこの世界を生き抜けるのは『戦士』になる事だ。確かにゲームとしての観点は必要かもしれないが、そこに依存してしまえば待つのは避けられない死だ。

 オレは元からゲームには興味が無かった部類だった為に、そうしたゲーマーのプライドやら自意識やらとは無縁だが、SAOでは末期の1歩手前までゲーマーとして最前線に立っていたヤツが多かった気がする。

 ふと思い出したのは、オレと『アイツ』が何気なく交わした会話だ。あれは88層のボスを撃破した後、89層の街へと到着した夜の事だっただろうか?

 

『攻略組とか言われているけど、俺たちを支えていたのは何千人もいるプレイヤーの頂点であり続けたいという執着心さ。薄汚いゲーマーの意地。それが攻略組の原動力であり、弱さだったんだ』

 

 夜景が見える大樹の枝に腰かけ、『アイツ』はメシを喰らいながら、オレにそう零した。

 

『今の戦力不足もヒースクリフが抜けて、血盟騎士団が瓦解したからじゃない。攻略初期から続いた攻略組による情報や狩場の独占、攻略組に加わりたいという意思を持ったプレイヤーを育ててこなかった事へのツケだ』

 

 苦々しそうに『アイツ』はそう吐き捨てた。まるで自分自身を責めるように。傷に残された膿を抉り出すように。

 あの時、オレは何と答えただろうか? よく思い出せない。だが、オレの返答を聞いた『アイツ』は……まるで許しを得た子どものように笑った。

 

「サチは……それで良かったのか?」

 

 オレの問いの意味をサチは理解しているはずだ。だからこそ、彼女は安易に答えを述べずに沈黙を通す。

 仲間と共に歩む。それは立派な事だが、根本的にサチは戦いに向いていない。どうやらサチを月夜の黒猫団に誘ったのはケイタというヤツらしいが、幼馴染ならばサチの性質を把握していたはずだ。

 

「……悪かった。こんな質問、意地悪だよな」

 

 過ぎた言葉だった。オレは謝罪を述べる。

 オレ自身が誰よりも実感していたことではないか。孤独が嫌ならば仲間と身を寄せ合うしか無い。そして仲間とは集団の意思によって動き、個人の意思を軽々と呑み込む。

 サチは戦うのが怖かった。そして、同じくらい孤独も恐ろしかった。だからこそ、戦場に身を置いてでも仲間と共にいることを選んだ。はじまりの街で震え続けている方が安全であると知りながら。

 

「……ううん、悪いの私だよ。鍛冶屋に転向して後方支援に回りたいって言えば、ケイタも許してくれたと思う。でも……言い出せなかった。月夜の黒猫団は小さなギルドで、とてもじゃないけど戦力が足りなかった。私が抜けただけで瓦解してしまう程に」

 

 膝を抱えて顔を埋めるサチの後悔をオレは受け止める。そして、慰めの言葉をかける気はない。彼女もそれを望んでいないはずだ。

 だから、オレがするのは1人の男の話だ。オレを殴って叱ってくれた……ある意味で恩人とも言うべき男の物語だ。

 

「オレの知り合いにクラインっていう、野武士っていうか野盗っていうか……とにかくそういう面をしたヤツがいるんだ。サチも知ってるかもしれないが、風林火山っていうギルドを率いていたリーダーだ」

 

「知ってる。攻略組予備軍の1つ……ううん、ほとんど攻略組と同じ扱いをされていた小さなギルドだよね?」

 

 サチもさすがに知っていたか。ならば話は早い。オレは酒盛りして、いつも馬鹿みたいに騒いでいた彼らを思い出して自然と口元を綻ばせる。

 

「クラインはさ、仲間を死なせない為に毎日苦心してたんだ。寝る間も惜しんで策を練って、情報集める為にいろんなヤツらに土下座して、ギルドを……違うな。風林火山の皆をどうやったら強くしていけるのか、それをずっと考えていたんだ。だからこそ、クラインを他のヤツらも支えてくれた」

 

 クラインはグリセルダさんと同様に、オレを色眼鏡をかけて見ることなく依頼を出してくれた。他の風林火山の連中は少しオレに怯えていた様子もあったが、それをなるべく態度に出そうとはしなかった。

 護衛依頼を請け負った事もあるし、クエストのクリア支援もした事もある。黄金林檎と同じくらいに、オレにとっては忘れられないギルドだ。そして、クラインにはアスナとの鬼ごっこの末に追い詰められたオレの為に、ヒースクリフにオレの捕縛命令の取り下げを直訴してもらった大恩もある。

 

「クラインは仲間に無理をさせなかった。同じくらいに、仲間もクラインに無茶をさせようとしなかった。アイツらは最初から攻略組を目指したわけじゃない。ただ仲間同士が思いやり合って成長し続けていたら、いつの間にか攻略組になってたんだ」

 

 後に知ったことであるが、風林火山の成長の裏にはエギルを始めとした、風林火山に好意を抱く多くの商人・鍛冶屋プレイヤーの助力もあった。少しずつ繋がりを増やしていき、クラインは自分達よりも圧倒的に情報量が上回る攻略組に追いついたのだ。その協力の輪の中にオレという傭兵がいたのも少しだけだが嬉しく思う。

 

「だから、サチが自己主張できなかったも悪いかもしれねーが、お前を『1人の女の子』じゃなくて『プレイヤー』として見て、『戦えるはずだ』って決めつけていた月夜の黒猫団自体に問題があったんじゃねーかな?」

 

 理想に燃えるのは良いことだと思うが、要は少し焦り過ぎていたって所だろう。もしかしたら、そこにも少なからず『ゲーマー』としての矜持が関わっていたのかもしれねーな。

 オレは最初からSAOを『殺し合い』として見ていた。ゲームであるとは微塵も感じていなかった。根本的にSAOでは他のプレイヤーと意識に違いがあったのだろう。だからこそ、『アイツ』はオレを相棒にしたのかもしれない。誰よりもあの世界で『殺し合い』に染まっていたオレを……傍に置きたかったのかもしれない。

 

「……クゥリって優しいね。やっぱり『火』みたいで温かいよ」

 

 顔を上げたサチは涙で目を潤ませながら嬉しそうに微笑む。だからそんな表情するんじゃねーよ! 惚れちまうじゃねーか!? オレのチョロい心臓が爆発しそうなんだよ!

 

「そ、そろそろ行くぞ!」

 

 台座から跳び下りたオレは頬を掻きながらサチに背を向け、紅潮した頬を隠す。

 やはりアインクラッドの風景のせいか、色々と記憶が刺激されて過去が掘り返されていくな。嫌な思い出ばかりではなく、アインクラッドにはオレにとっても大事な出会いが幾つもあったのだろう。

 クラインには何度も助けられたし、アルゴには多くの情報を売ってもらい、エギルには多くのレアアイテムを融通してもらった。3人とも無事にアインクラッドを生き抜いた連中だ。皆、DBOに囚われることなく、現実世界で幸せに暮らしてくれていると良いのだが。

 

 

 

『なぁ、クゥリ。俺が……俺が今まで守ろうとしていたものは、なんだったんだろうな?』

 

『クー坊、オマエらは強過ぎるヨ。オイラには無理ダ。これ以上戦い続けるのは……無理ダ』

 

『満足か……満足か、【渡り鳥】!? 殺して……殺して殺して……殺しまくって! それで満足なのか!?』

 

 

 

 馬鹿か、オレは。前髪をぐしゃりとつかみ、我が身を恥じる。

 誰1人として幸せであるはずがない。たとえ現実世界に戻ろうとも、全てを忘れて笑顔で生きられるはずがない。

 思い出したのは、涙を頬から伝わせて力なく両膝を地面につけたクラインの絶望。

 思い出したのは、雪降る夜に疲れ切った表情をして我が身を嗤うアルゴの諦観。

 思い出したのは、オレの胸倉をつかんで鬼神のように咆えるエギルの憤怒。

 

「オレは……優しくなんかない」

 

 サチの言葉を否定するように、オレは自分自身を嘲笑う。

 本当に優しかったならば、あの日のクラインにオレは救いの言葉をかけられたはずだ。

 本当に優しかったならば、あの日のアルゴに再び立ち上がる力を与えられたはずだ。

 本当に優しかったならば、あの日のエギルを怒り狂わすことなど無かったはずだ。

 全ては思い出の中の甘い記憶。彼らの笑顔は全部過去のものだ。そして、それで良いのだろう。彼らがどんな道を歩んでいようと、それは彼らが選択した道であり、オレが関与すべき余地など無い。

 ……いいや、違うか。オレも逃げているだけか。アイツらの痛みから目を逸らしているだけか。

 再びダンジョンを進むオレ達の前には何度かゴブリンが立ちはだかったが、徐々にダンジョンの構造を思い出してきたオレは上手く迂回路を利用して交戦を避けていく。このままボス部屋まで行けば良いのか、それとも別の目的地があるのかは定かではないが、前進以外に選択肢は無い。

 

「止まれ」

 

 オレは小声でサチにそう指示し、立ち止まらせる。というのも、一瞬であるが、白黒の人影が先の角を曲がるのを見かけたからだ。

 ここがサチの記憶であるならば、彼女の関係者の誰かだろうか? オレはハンドサインでこのまま人影を追跡するとサチに伝えると無言でその後を追う。

 白黒ならば、恐らくをオレ達を見ても何ら反応を示さないだろう。ならば、追いついてその容姿を確認すれば良いのであるが、あの茅場の後継者がどんなトラップを仕掛けているか分からない以上、慎重に慎重を重ねるのは当然だ。

 距離を10メートルほど保ち、オレとサチは白黒の人影を追跡し続けた。やがて人影は開けた場所で立ち止まる。というのも、その場所では5人の新たな白黒の人影が複数体のゴブリンを相手に苦戦していたからだ。

 複数人の白黒が戦うゴブリンはオレが交戦したゴブリン・ソルジャーのようだが、動きはSAO時代と同じものだ。オレが相手にしたような強化オペレーション型ではないらしい。だが、どうにも白黒の人影たちの動きが悪く、ゴブリンたちに徐々に押し込まれているようにも見えた。

 やがて、オレ達が追跡していた人影が彼らに歩み寄ると何やら会話したかと思えば、前線に立ってゴブリンたちを相手にし始める。

 いったい何が起こっているんだ? 戸惑うオレが踏み出せずにいる内に、サチがふらりとオレの前へと出る。

 

「やっぱり、アレは……」

 

 まるで呆けるように声を上げてサチはやや危うい足取りでゴブリンと戦う白黒の人影へと近寄っていく。本来ならば止めるべきかもしれないが、このまま傍観しても何も発展しないのは目に見えている為、オレも覚悟を決めてサチに続く。

 やはりと言うべきか。ゴブリンと交戦していた5人には見覚えがある。サチの部屋の写真に写っていた男4人、そしてサチ自身だ。

 

「……この日、私達はレベリングで迷宮区に入ってゴブリン武装団と戦ってたの。でも思っていたより上手くいかなくて、苦戦して、そんな時に……『あの人』が現れた」

 

 やはりサチの記憶の1シーンか。薄々感じてはいたが、恐らくこれはサチが体験した出来事なのだろう。オレは月夜の黒猫団と共にゴブリンを撃破していく追跡していたプレイヤーの後ろ姿を見つめる。片手剣を装備した男性プレイヤーのようであり、コートを着た軽装姿だ。高速戦闘に適した武装と防具だな。

 あの背中、何処かで見覚えがある。オレは嫌な予感を募らせる。戦いで激しく動いている上に白黒のカラーリングになっているせいか、確証は持てないが……とても近しい物を感じる。

 あり得ない。仮に、あの片手剣のプレイヤーが黒猫の鍵に説明文に記載された剣士であり、オレの想像通りの人物ならば、どうして月夜の黒猫団に加わったのだ? どうして、嘘を吐いたりしてまで彼らと共にあろうとしたのだ?

 1歩、たった1歩だがオレは片手剣のプレイヤーへと近寄る。だが、蜃気楼には決して触れられないというかのように白黒の人影は霧散し、オレとサチだけがダンジョンに取り残された。

 代わりに人影たちがいた場所には小さく光る金属物が落ちていた。それは鍵のようであり、アイテム名は【3階渡り廊下の鍵】だ。恐らく、学校の渡り廊下を閉ざす扉を開けることができるアイテムだろう。

 鍵を入手した途端、オレとサチを白い靄が包み込む。一瞬の浮遊感の後、オレとサチは再び学校に戻されていた。振り返れば、大穴が待ち構えている宿直室のドアが閉ざされている。

 

「戻って来た……みたいだな」

 

 茅場の後継者がどんな意図であの光景を見せたのか知らんが、少なくとも善意とは真逆の感情に基づくものである事だけは間違いないだろう。まだ放心状態のサチの肩を叩いて我に返らせ、オレは彼女を連れて3階に赴き、鍵を差し込んで渡り廊下を開放する。

 雨を遮る屋根も無い、渡り廊下とは名ばかりの屋上のような風景だ。恐らく2階のトンネル状の渡り廊下が本命であり、この渡り廊下は構造的に持て余した結果、適当に落下防止のフェンスを付けて利用することにした2階渡り廊下の屋根の部分なのだろう。

 

「職員室は東棟の2階だったな」

 

「う、うん。この渡り廊下を進んで、階段を下りればすぐだよ」

 

 まだ動揺を残したままのサチの確認を取り、オレは渡り廊下を通り抜けようとする。だが、それを拒むように渡り廊下の中央部で赤黒い光が集まり始める。

 オレは黎明の剣を抜いて構えると、赤黒い光が1つの人型を成すのを見届ける。

 それは人間よりも一回り大きい体格をした、2メートル半はあるだろう騎士だ。ずんぐりとした甲冑を身に着け、頭部には丸みを帯びたフルフェイスの兜を身に着けている。兜の覗き穴からは、かつてダークライダーがそうであったように、赤い光が漏れていた。左手には左右が半円状に削られた円形の大盾、右手には肉厚かつ長大な特大剣。

 だが、1番の特徴はそれ程の重装備でありながら、10センチほど浮遊しているところだ。ふわふわと浮かび、まるで観察するようにオレとサチをジッと睨んでいるかのように、覗き穴の赤い光を輝かせている。

 

 その名は【呪縛者】。HPバーの上に名前が記載されていることから、ネームドだろう。

 

 言われるまでも無くサチが下がり、オレは呪縛者と対峙する。それが合図となったのか、呪縛者は重装備である鈍重さを感じさせぬ、高速の滑空でオレに接近する。

 片手で振るわれた特大剣が床を削り、オレへと斬り上げられる。直線的な先制攻撃を寸前で回避し、オレは胴へと黎明の剣を振るうが、それは大盾で防がれて届かない。逆に呪縛者の蹴りがオレへと飛ぶが、咄嗟に頭を屈めてそれを回避し、懐に入り込んで肘を打ち込む。

 さすがは分厚い鎧を着こんでいるだけはあるか。オレの肘打はまるで呪縛者のHPを削った様子が無い。シールドバッシュが襲ってくるよりも先にバックステップで距離を取るも、両手剣以上のリーチがある特大剣で軽々と片手突きを行う呪縛者が、更に浮遊しているメリットを活かして体勢など関係なく前進しながら刃を押し込んでくる。

 胸を貫く寸前で黎明の剣を突きの軌道に入れて受け流す。どういうSTRをしているのか知らんが、特大剣をまるで片手剣のように扱う呪縛者の攻撃は1発でも命中すればオレのHPが6割は簡単に消し飛ぶだろう。

 幸いにも動きは良いが、見切れない事は無い。地道に削っていくとしよう。オレがそう判断した途端に、呪縛者の動きに異常が現れる。

 先程までのまるでこちらを探るような動きから、今度は苛烈な連続斬りだ。右、左、そして叩き付けるような上段斬り。まるでオペレーションに従い、定められた動きを実行したような高速斬撃に虚を突かれ、強引にガードした黎明の剣の刃が僅かに欠ける。

 どういう事だ? 今のは『命』が無い動きだ。だが、最初の様子見のような攻撃には『命』を感じた。

 矛盾する。コイツは『命』がある敵なのか? それともただのオペレーションに従う人形なのか? 

 オレが戸惑っていると、呪縛者は黒い霧を纏い、その姿を消失させる。まるで今回はお披露目に過ぎないと言うかのように。

 呪縛者が撃破されたというシステムメッセージは無い。だとするならば、まだ去っていないのだろう。

 また厄介事が増えそうだ。オレは刃が欠けた黎明の剣を見下ろし、小さく嘆息した。

 

「こういう奇襲もいい加減に慣れてきたな」

 

「私は慣れないよ」

 

 安堵して胸を撫で下ろすサチを見て、オレはつくづく彼女は戦いに向いていないと実感する。

 

「斃したわけじゃねーし、油断しないでいくぞ。まぁ、特大剣が得物なら十分に振り回せない屋内戦なら分があるから安心しろ」

 

 とはいえ、何か隠し玉がありそうな気配がプンプンするのは否めないがな。

 無事に渡り廊下を通り抜けて東棟の3階に到着したオレは周囲を見回して安全であると確認してからサチを呼び寄せる。このまま何事も無く旧校舎の鍵を入手できれば楽なのであるが、そう上手くいかないだろう。

 現在時刻は午前2時。頭が戦闘状態に切り替わっているお陰で眠気は無いが、サチは目元をどんよりとして疲労が表面化している。そろそろ数時間でも良いから睡眠をとるべきかもしれないが、今は先を急ぐに越した事は無い。

 

「やっぱり鍵がかかっているか」

 

 無事に職員室に到着したオレ達であるが、当然のように鍵がかかっていてドアは開く気配も無い。蹴破れないものかと苛立ちも込めて何度か蹴りを入れるも、破壊不能オブジェクトである事を示す紫の輝きによって弾き返される。

 十中八九、またアインクラッドへと続く穴を探す必要があるのだろう。そうなると虱潰しに1部屋ずつ確認していく以外に方法は無い。とはいえ、せめて見当くらいはつけて行動を開始したいものだ。

 まず宿直室に大穴があった理由は『宿直室にならば鍵があるかもしれない』とサチが推測するだろう事を茅場の後継者が読んでいたからだ。逆に言えば、サチの推測する場所にアインクラッドへと続く穴はあると考えても良いだろう。

 

「心当たりって言われても……それこそ宿直室以外に思い浮かばないかな」

 

「まぁ、そりゃそうか」

 

 だが、オレの質問に対してのサチの返答もまた予想通りだ。そんな何処でもかしこでも鍵が置いてあるような防犯意識が低過ぎる学校など、このご時世で存在するはずがない。

 

「なら西棟に行ってみるか? 鍵は『3階』渡り廊下の鍵だ。反対側も開くだろうしな」

 

「西棟は生徒の教室ばかりだから鍵があると思えないけど」

 

 サチ曰く、西棟には1年生から3年生までの教室が、中央棟には特進科の教室や化学室といった部屋が、東棟には職員室や図書室があるらしい。少子化の時代らしく、使われていない教室も幾らかあるようだ。

 時間はかかるが、やはり1部屋ずつ調べていくか? 腕を組んで悩むオレは、下手に教室を開いて再び白の亡人の拷問風景が広がっていれば、それこそサチが恐慌状態に陥るのではないかと危惧する。だからと言って、何処かに1人残してオレだけが探索するわけにもいかない。

 まだサチは白の亡人が『命ある人間』であると気付いていない。仮に知れば、その真実がサチにいかなる重圧となって、ただでさえ不安定になっている心をどのように軋ませるか分からない。

 

 

 

 

 

「うわぁああああああああああああああああああ!」

 

 

 

 

 

 だが、オレの思考を裂く叫び声が夜の校舎に木霊する。

 いったい何事だと鉈を抜いて左右を確認するが、廊下に人影は無い。

 

「この声……【テツオ】!?」

 

 どうやらサチには叫び声の主の正体が分かるようだ。駆け出そうとしたサチであるが、それを思い止まってオレの方を申し訳なさそうに見つめる。

 テツオが誰か知らないが、月夜の黒猫団の誰かだろう事は言わずとも分かる。つまりは『死人』だ。サチも、この叫び声が罠であると理性では分かっているのだろう。だが、仲間の悲鳴を聞いて何ら感情が動かないはずがない。

 

「……どうせ手掛かりもねーんだ。行くぞ!」

 

「ありがとうございます!」

 

 礼は要らない。虎穴に張らずんば虎児を得ずという言葉もある。罠であるとしても踏み込まねばならない時があるだけだ。何よりもこのまま悲鳴を放置し続けても煩いだけだしな。……別に、サチの意思を尊重するわけではない。

 さて、鬼が出るか蛇が出るか。オレは悲鳴が聞こえる東棟4階を目指して階段を駆け上がった。




骨休み回ではあるが、心はしっかり抉っていく。回想は基本的に精神ダメージフラグです。

それでは111話でまた会いましょう。

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