SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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分割分の後半です。
今回はサチ視点ですね。彼女の内面について触れていきたいと思います。

スキル
≪稼ぎ上手≫:アイテム売却時の売却価格が僅かに上昇する。ただし、NPCにしか効果を発揮しない。
≪交渉≫:NPCとの交渉を有利に進めることができるスキル。熟練度の上昇と共に交渉成功率が高まる。

アイテム
【誠実の骨】:清められた炎によって火葬にされた聖職者の骨。虚言を封じ、真実を語らせる力があるとされている。だが、神に仕える者が騙らず、また崇める神が真摯であるという証明にはならない。ならば、この骨に宿る力の源は別の物なのかもしれない。
【エンシェントボーン】:太古の怪物の骨を削り出した武骨な特大剣。剣というよりも鈍器に近く、また時の経過による武器としての脆さが目立つ。だが、秘められた力は衰えることないだろう。


Episode13-12 黒猫の祈り

 サチは『サチ』の記憶を持っていた。

 最初に蘇ったのは死の瞬間。だが、それは酷く濁り、恐怖だけが心の奥底にまで焼き付いていた。

 黒いローブを纏い、想起の神殿に1人。冷たい空気が呼吸の度に流れ込み、最初は自分が死後の世界にいるのではないかとサチは錯覚した。

 だが、やがて1人の剽軽な『天使』が現れた。天使は『サチ』がSAOで死に、そしてセカンドマスターという人物によって再構成されたのがサチなのだと教えた。

 これから訪れる数多のプレイヤー達。彼らにチュートリアルを行い、DBOの目的を告げる事。その為だけにサチは準備された駒であり、それ以後の役割は何1つ与えられる事無く、淡々とDBOがクリアされるか否かを待つだけだった。

 最初こそ幾人かのプレイヤーがサチから情報を引き抜こうと話しかけてきたが、天使との約束通り、決められた文句しか口にしないサチを『ただのチュートリアル用NPC』と判断し、またその情報が広まった事により、誰もサチに話しかける事は無くなった。

 半壊した女神像に腰かけ、空腹に悩まされる事も無く、時々訪れる睡魔に身を傾ける以外に何もする事が無い毎日だった。次々とステージを行き交うプレイヤー達の喜怒哀楽、希望と絶望、そして仲間達との笑い声、それらをサチは羨ましく、また妬ましく想うようになった。

 想起の神殿の外には何があるのだろうか? そこで彼らはどんな冒険をしているのだろうか? いかなる出会いがあり、いかなる別れがあるのだろうか? 1人、同じ世界にいながら切り離された存在として、サチはただ孤独に彼らを観察するしかなかった。

 そんな折、サチは1人の落ち込んでいるプレイヤーを見かけた。

 それはサチが初めて行ったチュートリアル説明の時、真っ先に話しかけてくれたプレイヤーだった。真っ白な髪と赤みがかかった黒の瞳が特徴的なアバターの少年だった。女子とも見間違いそうな程の顔立ちでありながら、粗暴な口調が男らしかったので良く憶えていた。

 

『何かお困りですか、闇の血を持つ者よ』

 

 許された権利の内で、サチは彼に話しかけた。顔を上げた彼を見て、サチは内心で怯えた。

 その目は以前よりも荒々しく荒み、同時に奥底が見えない程に様々な感情で濁っていた。だが、それを跳ね飛ばすような猛々しい力強さが眼差しには込められていた。

 彼はすぐにサチがNPCではなく『人間』であると勘付いた。サチはマニュアルに従い、心の無いNPCのように振る舞った。

 だが、いつの間にかサチは身の上話をしていた。

 サチは『サチ』を基にして作られた存在であり、記憶を引き継いでこそいるが他人である事。少なくともサチは自分自身をそう感じ取っていた。あの忘れられない死の恐怖によって『サチ』が終わったはずなのだから。

 だが、彼はそう捉えなかった。サチの言葉の節々から何かを掬い上げてくれた。

 

『サチ。お前は本来のサチと違うのかもしれない。でも、やっぱりサチはサチなんじゃねーかな』

 

 その言葉は彼女に『祈り』を与えてくれた。

 胸の奥底で疼き続ける1つの感情。死の恐怖を忘れさせてくれた『彼』への想いは、他でもない『サチ』から脈々と続いて今のサチに引き継がれた、彼女が『サチ』である証明なのではないかと思えた。

 守ってくれた。だから、守ってあげた。『彼』への気持ちを想えば想う程、サチは後悔した。

 月夜の黒猫団に入る為に嘘を吐き、自分自身を苦しみ続けた『彼』の中にあった恐怖。それは死ではなく、孤独が源泉だ。ならば、『彼』によって死の恐怖を少しでも忘れさせてもらい、なおかつ寄り添ってもらった自分にできる事は無かったのだろうか、と。

 だからこそ、サチは少しでも孤独を和らげられるように、少しでも良いから何もかも忘れて眠れるように、寄り添ってあげたかった。少しでも『彼』を苦しませる恐怖から守ってあげたかった。

 胸の奥に火が灯る。それはまるで火が継がれるように、白髪の少年から渡された温もりだった。

 祈り。それを教えてくれたからこそ、サチは彼を『火』と譬えた。その荒々しさと優しさの2つは矛盾することなく、彼の本質を譬えているように思えた。

 やがて彼の名前を知った。クゥリ。何処かで聞き覚えがあった。記憶を掘り返せば、以前食事の席でケイタが危険なプレイヤーの1人として注意するようにと教えてくれた人物だった。傭兵業紛いも営んでいるらしく、最近は【渡り鳥】と呼ばれているらしいから警戒しようと、特に『サチ』に忠告した。

 だが、『彼』は少し興味を示していた。『いつも』のように、『彼』の傍に寝かせてもらい、死への恐怖を忘れさせてもらって眠らせてもらう『サチ』は、『彼』がフレンドメールを使って【渡り鳥】の情報を集めようとしている事が気がかりだった。

 そして『サチ』は尋ねた。そんなにそのプレイヤーが気になるのか、と。『彼』の本当のレベルを知る『サチ』には、『彼』程のプレイヤーでも警戒せねばならない相手なのかと怖がった。

 だが、何故か『彼』は遠い目をした。

 

『そのプレイヤーの事はアル……し、親しい情報屋からよく話で聞いてるんだ。レベルは今の月夜の黒猫団よりも少し上くらいだけど、ソードスキルに頼らない恐ろしく強いソロプレイヤーで、対人戦に限れば間違いなく最強の部類だ』

 

 対人戦で最強。その言葉が意味するところを『サチ』はすぐに理解した。【渡り鳥】は人殺しも厭わないのだと。

 そして、他でもない『彼』が太鼓判を押すプレイヤーへの恐怖心を膨らませる一方で、何故か『彼』は羨ましそうだった。

 

『1度だけ遠目で見た事があるけど……強さの質が俺たち「プレイヤー」とは違う。この世界で、本当の意味で「戦い」をしている。きっと分かっているんだ。この世界はゲームという枠組みと美しいベールで覆われた、血生臭い「殺し合い」なんだって』

 

 その時の『彼』が言いたいことを『サチ』は理解できなかった。

 だが、今ここにいるサチには、DBOを行き交うプレイヤー達の顔を見れば分かる。SAOとは比べ物にはならない程に、現実世界を忘れて『殺し合い』に馴染んでいく彼らを見る度に、『彼』が言いたかった事を知る。

 SAOもDBOも変わらない。ゲームというシステムの中で、与えられた手段を駆使して命を奪い合う『殺し合い』なのだと。

 恐ろしい存在。『サチ』を怯えさせた伝聞の中のバケモノ。だが、実際に出会ったサチには信じられなかった。

 クゥリは暇潰しのようにサチへと声をかけた。あの手この手でサチのマニュアル対応を崩そうと躍起になる彼の相手をするのは楽しかった。想起の神殿で孤独にプレイヤー達を見守るだけの『NPC』だったサチに、生きているという実感を与えてくれた。

 

『コイツらは……殺すしかない。殺すしかないんだ』

 

 だが、生と死は表裏一体であり、サチ自身が『火』と譬えたように、クゥリは祈りの他に恐怖をもたらした。

 月光が差し込む教室で、拷問椅子に縛り付けられたまま頭部を斬り落とされ、教室から漏れる程の多量の黒い血が溢れる中で、クゥリは……笑っていた。

 嬉しそうに、まるで砂漠で喉を癒すオアシスを見つけたかのように、笑っていた。クリスマスプレゼントをサンタから貰った無邪気な子供のように思えて、サチは震えた。

 分からなくなった。クゥリはサチへの態度を変えることなく、その後も拷問天使から彼女を守る為に傷つき、そして強さを嫌という程見せ付けた。

 サチが『サチ』であるという答えを見つける為に、厳しい言葉を投げかけてでも立ち上がらせてくれる『優しい人』。

 死を撒き散らして笑みを浮かべる、恐怖が形を成したような『バケモノ』。

 そのどちらも本物なのだろう。『火』は人に温もりを与えるのと同じくらいに、全てを焼き尽くしていく。ならば、それは矛盾する事が無い彼のあり方だろう。

 そして、今まさにサチは焼かれ始めていた。冷静になれば、あの場面でサチがしたのは愚かな暴走だ。だが、それでも刻み込まれた恐怖は喉に残る圧迫感と共に心を抉り、彼女を蝕んでいる。

 チラリと、横目でサチは隣に腰かけるクゥリを見る。現在、彼が言う通り休憩を取ることになった2人は、図書室から離れた場所にある生物準備室に潜んでいる。ホルマリン漬けの解体された生物の標本が棚に並んでいる……といったわけではなく、せいぜい人体模型や分厚い図鑑が埃被って押し込まれているだけだ。それでも夜の闇に包まれた生物準備室はホラーチックである為、心休まるかと言えばそうでもない。

 瞼を閉ざし、まるで夜明け色のような刀身をした両手剣を抱えるようにしてクゥリは休んでいる。だが、眠っている訳ではない。あくまで目を閉ざす事で緊張を解し、緩やかに精神を回復させているのだろう。

 

「寝ないのか?」

 

 目を開く事無く、クゥリはぼそりと呟くように尋ねる。声音は相変わらず冷たいが、そこには確かなサチへの心遣いを感じる。

 

「クゥリは眠らないの?」

 

「2、3日なら寝ないでも大丈夫だ。こうして休めてるだけでも御の字さ」

 

 それは人間として間違っているのではないだろうか? サチの知識が正しければ、不眠が72時間を過ぎると深刻な影響が肉体に及ぼされるらしい。だが、ここは仮想世界である為、3日程眠らなくても大丈夫なのだろうか? そんな訳があるはずないとサチは否定したいが、クゥリは本気で72時間不休で戦えそうな気がした。

 

(私は死人なら、どうして眠くなるんだろう? 脳はナーヴギアに焼かれたはずなのに)

 

 いや、それを言い出せば、サチが今も意識を保ち、生の鼓動を持つ事自体が異常なのだ。

 死者は蘇らない。古き時代より多くの偉人が死の壁に挑戦し、敗れた。ならば、サチはいかなる手段によって再び息を吹き返したのだろうか?

 それとも、やはり今ここにいるサチは別の誰かであり、記憶も意識も何もかも『サチ』の模造品に過ぎないのだろうか?

 

(怖い。私は……私は『誰』? この気持ちは『サチ』の物。だったら、私が『サチ』じゃないなら、私の感情も、記憶も、心も、全て『サチ』の残骸を押し込めたものなのかな?)

 

 ササマルの言葉が蘇る。

 裏切者。その言葉によって刻まれた罪悪感だけがサチが今ここにいる個人だと訴えるように脈動している。

 抱えた膝に顔を伏せ、サチは必死に頭の中で渦巻く罪の意識から逃れようとする。確かにクゥリの言う通り、月夜の黒猫団が壊滅した最大の理由はサチ達が弱かったからだ。その証拠に、あのトレジャーボックスのトラップを開けた時、その死の瞬間まで視界に焼き付いていたのは、HPにまだ十分な余裕がある『彼』の姿だ。

 感じるのは濁りだ。あの瞬間、サチは死への恐怖に満たされていたはずだ。その証拠に、思い出そうとする度にガタガタと身が震える。

 だが、それ以外に別の何かがあった気がする。必死になって手を伸ばしてくれる『彼』。そこに死の中で何かを抱いた気がする。

 思い出せない。だが、頭痛はせず、ただひたすらに死の恐怖という澱みの中に押し潰されて、記憶の深海へと潜ることが出来ない。

 そうしている間に休息の4時間が終わる。クゥリのHPは時間経過によるオートヒーリングで十分に回復し、戦闘継続が可能になったようだ。

 無言でサチを先導し、印刷室に向かうクゥリは沈黙を保っていた。

 このままではいけない。何か話しかけねばならない。サチは喉を震えさせて言葉を搾り出そうとするが、痙攣するばかりで声が出ない。

 そうしている間に印刷室に到着し、クゥリは鍵穴に鍵を差し込んで開錠するとドアをスライドさせて開ける。サチは幾度となく職員室には立ち入ったが、その隣の印刷室には踏み込んだことが無く、いかなる内装をしているのか知らなかった。

 どんな風になっているのだろうか? サチが覗き込もうとクゥリの横を抜けようとするが、彼が制止するように腕を伸ばす。

 印刷室の内部にはコピー機などなく、代わりに宿直室や司書室と同じように大穴があるだけだ。

 またアインクラッドに赴かねばならない。そう思うだけでサチの胸は苦しくなる。

 さすがに彼女も気づいている。これは『サチ』の記憶を古い物から順番に、時系列を辿っているのだ。

 最初はデスゲームが開始された場所、はじまりの街。

 次が『彼』と出会った迷宮区。

 そして先程がサチと『彼』の関係を進めたタフトの夜だ。

 ならば、この大穴の先にあるアインクラッドの思い出は必然的に限られる。

 

「怖いか?」

 

 まるで図書室のやり取りなど最初から無かったように、冷たい視線ではなく、サチのよく知る道化のようにおどけた眼差しでクゥリは尋ねてくる。

 

「怖いよ。クゥリは……怖い訳ないよね」

 

 やっぱりクゥリは強過ぎる。恐ろしい位に。サチは自嘲を込めて微笑む。自分を守ろうとしてくれている人を恐れるなど、まさに愚か者だ。

 

「これはじーちゃんの教えだけどな、『1番恐ろしいのは、恐怖を感じなくなる事』らしいぞ。恐怖には3種類あるんだ。『生命の危機から来る恐怖』と『理解できない未知が由来の恐怖』、そして3番目は何だと思う?」

 

 謎々のように問いかけるクゥリに、サチは首を横に振る。考えてみたが、思いつかなかった。

 

「『失われる恐怖』だ。自我があって、個人がある存在だけが……この3番目の恐怖を知っているんだ。失われるのは自己だったり、他人だったり、大切な物だったり、色々だけどな。それで、サチが今抱えてるのは何番目の恐怖だ?」

 

 それはもちろん3番目だ……と、そこまで至ってサチは苦笑した。

 この先にどんな危険が待ち構えているとしても、目の前にいるクゥリならば払い除けてくれるとサチは無意識に信じ込んでいた。最も大きなはずの『生命の危機から来る恐怖』は、皮肉にも目の前の白髪の傭兵からしか感じない。

 

「そんじゃ、サクッと攻略していくぞ。さっさと帰って、フライドチキンでも喰わねーとな。クリスマスが終わっちまう」

 

 大穴に飛び込むクゥリを追い、サチもまた身を投じる。落下の浮遊感の先、彼女は身が反転するような感覚に続いて冷たい地面に着地する。

 やっぱり、とサチは周囲の冷たい、人工的で平坦な……まるで失われた先進的古代文明の遺跡を思わす世界を見回す。

 

「また迷宮区か」

 

 クゥリは鉈を抜いて、以前のゴブリン・ソルジャーのような襲撃に警戒するが、数十秒の沈黙の後に今は安全と判断して武器を下ろす。

 

「ここに見覚えは?」

 

「あるよ。ここは……私の最期の場所。このダンジョンで、私は死んだの」

 

「……そうか」

 

 何も言ってくれないんだね。慰めや気遣いの言葉1つなく、サチは背を向けて出発するクゥリに、彼女は小さく笑んだ。

 この迷宮区の特徴は、つるはし装備で高い攻撃力を誇る【ドワーフ・ナイトメア】と命が吹き込まれた石の巨人である【ストーン・タイタン】という2種類のモンスターである。ドワーフ・ナイトメアは迷宮区の各地を1体ずつで巡回し、戦闘が開始されると30秒ごとにストーン・タイタンを1体呼び寄せる。最大で10体まで召喚するのだが、このストーン・タイタンはHPと攻撃力の高さを除けば鈍重で攻撃のテンポも遅く、得られるコルは大きいという特徴があった。そこで流行っていたのが、わざとドワーフ・ナイトメアをいつでも倒せるだけのHPを削り、ストーン・タイタンを召喚させてコルを稼ぐという手法だ。迅速な撃破が求められるソロならばともかく、十分な数が揃ったパーティやギルドならば、役割分担すれば短時間で多額のコルを稼げる良質な狩場でもあった。

 この迷宮区に立ち入ったのは家具を買う為だ。そして、ダッカーが隠し扉を発見し、トレジャーボックスを不用意に開けてしまった。

 結晶アイテムの禁止エリアと化し、モンスターハウスと化した隠し部屋には何十体ものドワーフ・ナイトメアが流れ込み、次々とストーン・タイタンを召喚していった。圧倒的な数の暴力で押し潰され、トラップの元凶であるトレジャーボックスを破壊すれば良いという頭も回らず、月夜の黒猫団は混乱の中で壊滅した。

 死への恐怖のせいか、思い出そうとする度に身が焦がされるように熱くなる。その一方で、思考の冷めた部分が矛盾点を指摘し続ける。

 

(どうして迷宮区に行ったの? 家具は全部『揃えた』はずなのに。それに、どうしてケイタだけ『いない』の?)

 

 記憶の中では、この迷宮区に稼ぎに来たのは、サチ、ダッカー、ササマル、テツオ、そして『彼』だ。その中にリーダーであるはずのケイタの姿が無い。

 無意識にサチはあの場で月夜の黒猫団は壊滅したと思い込んでいたが、その中にケイタだけは存在しない。どうして? ケイタ抜きで、いつもとは違う上層の迷宮区へとコル稼ぎに向かうはずないのに。

 手繰り寄せていく。記憶の破片を繋ぎ合わせ、迷宮区に入る為の一瞬を思い出そうとする。

 頭痛はしない。ゆっくりと、混迷とした泥の中へと手を入れて記憶の欠片を拾い上げるだけだ。

 

(転移門で、ケイタと別れた。なんで? ケイタは『何処』に行ったの?)

 

 ノイズが走る。揺れる記憶の中の光景は、幸福と希望に満ちたケイタがタフトの転移門に立ち、向かうべき場所の名を呼ぶ。

 だが、それが鮮明になるより先に、サチ達の眼前に以前の迷宮区と同じように、赤黒い光のオーラが人の形となって立ち塞がる。

 

「無名の闇霊か。サチ、下がってろ」

 

 短く命令され、サチは頷いて1歩下がる。今度の赤い光は魔術師風のローブを着た、腹出しコスチュームをした女性だった。ベールのような物を頭から被り、口元も覆いで隠す姿はアラビアン・ファンタジー風である。

 以前の騎士とは違い、一礼して油断を誘うような小手先もなく、魔術師はバックステップを踏みながら杖を振るう。同時に青い光が斜め上に撃ち出されたかと思えば、クゥリへと光の雨を降り注ぐ。

 SAOには無かった魔法の攻撃は、その美しさの中に膨大な破壊力を秘めている。だが、クゥリはそれを恐れることなく踏み込み、魔術師との距離を詰めようとする。だが、魔術師は即座に杖を持たぬ左手の指を擦ると、強烈な炎を放出して彼の接近を拒む。

 何とか炎から逃れたクゥリであるが、再び距離を離され、今度は強力な……まるで槍のように鋭い、太い青の光が放たれる。やや追尾性があるそれをクゥリはギリギリまで引き付けて姿勢を低くして逃れるも、その間にソードスキルの光を纏った足で加速を得た魔術師が杖で殴り掛かる。額を杖の先端で擦られたクゥリであるが、上体を反らし、まるでブリッチをするかのように両手で床をつかむと、そのまま強引に下半身を引き上げてカウンターの蹴りを魔術師の顎に決める。

 怯んだ一瞬の間に、クゥリは蹴りの威力を利用して起き上がり、そのまま膝蹴りを魔術師の腹に叩き込む。魔術師はそれを見越して左手の指を擦って炎を放出するが、その寸前で手首をつかまれて強引に射線移動させられ、炎は不発に終わる。

 そのまま左腕をひねり上げ、クゥリは容赦なく肘へと拳を叩き込む。嫌な破砕音が響き、魔術師のノイズがかかった悲鳴が閉塞されたダンジョンに響く。砕かれた肘から先の腕を垂らし、魔術師は息荒くクゥリから逃れようとするも、更に鉈によって喉を裂かれ、HPは大幅に削れる。

 やっぱり強い。魔術師は砕かれた肘によって鈍りながらも、闇雲な炎の連発で遠ざけようとするが、掌の動きを見切り、間合いを正確に測ってリーチの長い両手剣による片手斬りに切り替えたクゥリによって魔術師のHPはジリジリと削られていく。

 クゥリの勝ちは揺るがない。そう思えた瞬間、サチはクゥリのすぐ横の壁に突如として大きな目が出現するのを視認して凍り付く。

 トラップモンスター【ウォール・アイ】だ。アインクラッドでも危険なトラップとして認知されていた1つであり、普段は休眠しているが、近くで戦闘が起きると目覚め、その1つ目からレーザー攻撃をしてくるモンスターだ。強さは配置されたダンジョンの難易度によっても異なるが、それでも高い攻撃力を持つのは一貫している。

 即座に反応したクゥリが回避行動に移ろうとするが、トラップモンスターの出現を好機と見た魔術師が残りHPが少ないにも関わらず、防戦から攻勢へと切り替える。

 

「糞が!」

 

 ウォール・アイの目にレーザーの光が集中しているのを見て、クゥリは攻撃範囲から逃れようとするも、魔術師はそのバックステップの瞬間に左手を床に叩き付ける。同時に幾つもの火柱が立ち上がり、彼の退路を断つ。

 咄嗟にクゥリは壁を蹴り、赤熱する床を見て火柱の立ち上がる場所を確認すると安全な隙間へと潜り込もうとするが、その間にウォール・アイがレーザーの充填を完了する。

 

『ウォール・アイのHPは低い。もしも乱戦の時に現れたら、何でも良い。武器を投げてでも攻撃するんだ』

 

 蘇った『彼』のアドバイスに体が半ば従い、サチは槍を力の限り投げつける。それは放出寸前のウォール・アイの1つ目に突き刺さる。更に、槍に貫かれた瞬間にレーザーが解放されたのか、槍を爆砕するほどのエネルギーが放出されて周囲を薙ぎ払う。

 爆発に巻き込まれたかに見えたクゥリと魔術師であるが、火柱の攻撃によって左腕をやや焼かれたクゥリは無事に着地し、魔術師はHPバーを赤く点滅させ、残り少ないHPを見て愕然し、そして邪魔をしたサチへと憎悪の眼差しを向ける。

 ノイズの中で異国の言葉が吐き出される。それは口汚い罵りであり、殺意が自分に向けられた事にサチの足が竦む。

 逃げられずに震えるサチへと魔術師は杖を振るう。それは先程クゥリへと放った青い光の槍だ。防ぐべく駆けたクゥリが背後から魔術師の脳天へと鉈を振り下ろして頭を割るも、魔法の発動を防ぐには1歩及ばず、サチを青い光の槍が貫いた。

 ここで……死ぬ? 全身を駆け巡る、光が浸み込んでくる感覚と衝撃による浮遊感の先で、サチは床に背中から叩き付けられた。

 

「サチ!」

 

 赤黒い光となって霧散する魔術師を越えてクゥリが駆け寄る。倒れるサチを起き上がらせ、クゥリは彼女の体を揺する。

 ああ、やっぱりクゥリの言う通り、余計な事をしないで、遠くから見守っていれば良かった。クゥリは左腕を焼かれたと言っても掠った程度なのか、HPは8割近く残っている。これならばウォール・アイのレーザー攻撃にも耐え、十分に魔術師へと反撃をできただろう。

 結局、サチがしたのは足手纏い以外の何物でもない、単なる要らないお節介だったのかとサチは嗤う。

 

「……あ、れ?」

 

 だが、いつまで立ってもサチの体はポリゴンの光となって砕ける事も、テツオやササマルのように死体のように動かなくなる事も無い。

 クゥリの胸に手をやり、何とか自分の足で立ち上がったサチは光の槍が貫いたはずの腹を摩る。だが、まるで無傷だ。ややローブが痛んだような印象を受けるが、それも恐らく攻撃を受けたという錯覚がもたらすものだろう。

 

「私、大丈夫みたい」

 

「み、みたいだな。まさかソウルの槍を受けて無傷とか、正直驚いたな」

 

 サチと同じくらいに、喜ばしい動揺を見せるクゥリは数秒思案するように顎へ手をやり、やがて推測を述べる。

 

「もしかしたら、そのローブは魔法防御力が高いのかもな。装備に救われたってわけか。つーか、それ以外に思い浮かばねーよ」

 

 安心するクゥリに、サチは申し訳なさそうに頭を下げる。

 

「ごめんなさい。やっぱり、クゥリが言った通りだった。私、勝手に手出しして、死にかけて……心配かけて、ごめんなさい」

 

「……別に良いさ。助けてもらったオレに、サチを責める権利はねーよ」

 

 何も怒っていない。そう告げるようにクゥリは微笑み、サチの肩を軽く叩く。

 

「むしろ、カッコイイじゃねーか。助太刀、感謝する……なんてな!」

 

 鉈を鞘に収め、再出発だと背中を向けたクゥリは腕を伸ばしてグーサインをしてサチを賛美する。

 本当に不思議な人。おどけながらもサチを讃えるクゥリに、彼女は自分のしたことがまるで無駄ではなかった『戦い』だったのだと受け入れる。

 槍を失い、軽くなった手をサチは見下ろす。

 結果的に自らの危険を招いた事になったが、それでもサチはあの瞬間、恐怖を乗り越えて『戦う』事ができた。

 背中を押してくれたのは『彼』の言葉だ。どうやっても戦えない、怯えるばかりのサチの為に、1つでも生き残る為の戦い方を教えてくれた、『彼』の教えのお陰だ。

 今も息づいている『彼』との記憶。それがサチに力を与えてくれた。

 

(やっぱり……やっぱりキミは凄いね。今も私を助けてくれる。支えてくれている)

 

 ありがとう。サチは、やはり自分が『サチ』でありたいのだと再確認する。

 記憶の中にある『彼』への想い。これが『サチ』から移植されただけの、ただの情報の塊に過ぎないと思いたくない。

 間もなく、『サチ』の最期の地に到着する。

 恐怖心はある。あの隠し扉の向こうには、避けられなかった死が待っているだろう。

 それでも、サチの求める答えがあるならば……

 

 

(祈ろう。私の答えが必ずあると信じて)

 




希望「招待状によれば、ここがクリスマスパーティーの会場らしいんだけど」

絶望「クリスマスパーティにようこそ、歓迎しよう。盛大にな!」

苦悩・悲劇・恐怖「仕込みは済んだぜ、ぜつぼぉおおおおおおおおう!」


それでは、116話でまた会いましょう。

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