SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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聖夜の奇跡は必ず起こります。
本エピソードは「クリスマス」であることをかなり意識した展開となっています。


Episode13-13 愚者の道化

 危機一髪という程ではないが、サチの援護によって無名の闇霊戦を切り抜けたオレだが、状況はさらに最悪へと1歩近づいた。

 原因は左腕に負った、無名の闇霊が放った炎の嵐によって焼かれた左腕だ。可動には問題ないが、熱傷のデバフを負い、HPバーの下には揺れる炎のアイコンが表示されている。

 火炎属性の攻撃を受けた場合に生じる事がある熱傷は、HPのオートヒーリング効果の減少、全HP回復系のアイテムの効果減少、更にアバターの自動修復機能の遅延をもたらす。

 たとえば、プレイヤーが剣などで斬られた時、欠損や出血状態にでもならない限り、時間経過と共に受けた傷は5秒とかからずに修復される。また、先の無名の闇霊戦でオレが肘を砕いたように、アバターの内部にある骨格を破壊しても、時間経過と共に回復する。だが、熱傷状態ではこの自動修復が大幅に遅れ、アバターの可動が制限されてしまう事が多い。

 今回は表面が焼けているだけなので動きが阻害される事は無いが、回復アイテム不足のオレにとって、貴重な回復手段であるオートヒーリングが失われてしまったのは手痛い損失だ。ちなみに負った熱傷はレベル1、回復までの所要時間は180分。3時間分のオートヒーリングが失われたに等しい。

 無名の闇霊戦でのダメージは2割程度で抑え込めたが、今後は更に戦闘に気を配らねばならないだろう。せめて、【熱傷】・【凍結】・【感電】の3つを回復させる【バランドマ侯爵の万能薬】さえあれば良かったのだが、1つ2000コルもする為、購入していても普段から持ち歩く事なく、サインズの保管庫に預けたままだ。

 幸いと言うべきなのは、スリップダメージを及ぼす毒に効く毒紫の苔玉を複数所持している事だ。毒状態の解除の他、蓄積値も減らす効果がある苔玉は積極的に使っていくに越した事は無いだろう。

 

「それにしても、何も出ねーな」

 

 オレも見覚えがあるアインクラッドの迷宮区、だが今は静寂に包まれ、先程の無名の闇霊戦以降はモンスターと遭遇する事も無く、淡々と歩みを進めている。

 背後のサチは先の無名の闇霊戦で槍を失った為、今は攻撃手段が無い。何か武器を渡したいが、茨の投擲短剣も在庫切れが近く、とてもではないが提供できるだけの装備が残されていない。

 こんな状態では自衛すらも無理だ。サチを責める気は先にも自分の口で述べたように欠片としてないが、結果として状況は最悪だ。自衛手段があると無いとでは、今後の戦略に雲泥の差が生まれる。

 人には爪も牙も無い。だからこそ、武器を持つ。だからこそ、技を磨く。だからこそ、知略を練る。そして、サチは今後の困難に抗う為の『武器』を失ってしまった。技は彼女の戦いへの適性の無さを考えれば期待できない。知略で突破するにはオレもサチもずば抜けて頭がキレる方ではないし、何よりも手札が不足で打つ手が限られている。

 緩やかな死の演奏が聞こえる。『次』はきっとオレならば乗り越えられるだろうが、サチは切り抜けられない。

 

「どうして私の記憶なのかな?」

 

 それはずっとサチが抱えていた疑問なのだろう。オレは立ち止まり、背後のサチへと振り返る。

 限界が近い。サチ自身はどんな風な気構えなのか知らないが、その目は最後の油で燃え上がる炎のように強い意思を感じる。逆に言えば、もはやサチを支えているのはそれだけだ。

 

「セカンドマスターは……クゥリが言う茅場の後継者は何がしたいの?」

 

「嫌がらせ。あの野郎が考えているのはそれくらいさ」

 

 単純明快であるだけに反論の余地も与えない回答をオレは述べる。

 ただし、対象はどうやら『アイツ』であり、オレはヤツの目論見が外れて勝手に罠を踏み抜いた馬鹿のようだがな。今頃、茅場の後継者は『アイツ』の為に四苦八苦して作り上げたダンジョンを、ただの間抜けが攻略していっている事に何を感じているのだろうか?

 

「性格悪いね」

 

「だな」

 

 サチの言葉に全面的に同意する。記憶・記録を渡り歩くというDBOの設定的には『サチの記憶』というダンジョンはありかもしれないが、余りにも狙い撃ちし過ぎだ。『アイツ』が来ない場合を少しくらい考えとけよ。

 望郷の懐中時計で時刻を確認する。現在時刻は午前8時か。今頃、普通のプレイヤー達は、イヴのパーティを夜遅くまでやって眠りについて本番である今晩のクリスマスパーティに備えているか、クリスマスイベントを駆け回ってアイテムやコルの収集に精を出しているだろう。

 だからと言って、オレには何にも利益が無いわけではない。現代の嗜好品や食料を持ち帰れるわけであるし、無名の闇霊2体と呪縛者2体は大きな利益をもたらし、オレのレベルを押し上げている。

 更に血風の外装が隠し性能を解放した事は大きな武器だ。その能力は切り札としてクリスマスダンジョンを突破する大きな力となるだろう。

 

「ここだよ」

 

 と、そうしている間に、サチが何もない迷宮区の通路で立ち止まる。

 

「この壁が隠し扉になっているの。この先のトレジャーボックスがトラップで……私は死んだの」

 

 それは見たところ何の変哲もない壁だ。生憎だが、オレには隠し扉などを発見する≪探知≫が無い為、他の壁とは見分けが付かない。だが、他でもないサチ自身が場所を憶えているならば、ここで間違いないのだろう。

 

「それで、どうやって開ける?」

 

 オレの何気ない質問に、サチは『?』マークを頭の上に浮かべるような顔をして首を傾げる。

 

「いや、だからさ、隠し扉なら最低でも≪ピッキング≫スキルが要るんじゃねーの?」

 

「……私も持ってないよ」

 

 まさか……詰んだ? オレとサチが顔を見合わせて硬直する。いやいやいやいや、確かにイベントダンジョンならば≪ピッキング≫が無いと先に進めないダンジョンもありかもしれねーが、半強制的に巻き込まれたんだぞ? 必須スキルがあるとかおかしいだろ!?

 だが、あの茅場の後継者ならばやりかねないのではないだろうか、と頭の端で諦めているオレもいる。

 試しにオレはサチが示す壁に触れてみる。冷たく、人工的で滑らかな表面はSTRの限りに押し込んでも開く気配は無い。だが、代わりに1つのシステムメッセージが表示される。

 

 

〈黒猫たちの最期の地に到着しました。この先には真実が待っているでしょう。あなたは甘く優しい嘘と苦く冷たい真実、どちらを求めますか?〉

 

 

 最後の意思確認か。壁が脈動し、青の光のラインが入って開錠される前段階になる。

 嘘と真実。人は前者を嫌い、後者を望む。どれ程に厳しく、残酷で、自らを傷つけると知りながらも、嘘という皮を剥いで醜い中身を覗き込もうとする。

 だとするならば、この先にある真実とは……それはサチにとっても、そして『アイツ』にとっても、決して望んだものではないのだろう。

 

「こんなの選択肢にも入らねーよ。どうせ、進むしかねーんだからな」

 

 オレは壁に触れる。サチが拳を握り、大きく深呼吸をする。

 壁がスライドし、オレ達を月夜の黒猫団が壊滅した隠し部屋へと通す。その小部屋にはモンスターの影は無く、中央には蓋が閉ざされたトレジャーボックスが安置されている。

 

「待っていたよ、サチ」

 

 そして、トレジャーボックスに腰かけて足を組み、頬杖をついているのは、写真に写っていた、未だ姿を現していなかった月夜の黒猫団の1人だ。

 さて、コイツはケイタか、それともダッカーか。相変わらず学生スタイルの姿をしているが、そのふてぶてしい態度はどう見ても仲間を歓迎するものではない。

 

「ダッカー、あなたも私が憎いの?」

 

 どうやらダッカーのようだ。サチが1歩前に踏み出し、オレの隣に立つ。

 オレとダッカーの間合いは約4メートル。ラビットダッシュから鉈の突きで心臓を……いや、首を刎ね飛ばすのは難しくない。これまでのケース通りならば、ダッカーもまた通常のアバターと違い、限りなく本物の肉体に等しい構造のはずだ。ゲーム用のアバターと違い、斬撃に耐えきれずに血を撒き散らして絶命するだろう。

 

「憎い? ああ、もしかしてササマルの言った事を気にしてるのか? アイツはともかく、俺は憎いって程じゃないかな」

 

 だが、まだ攻撃は堪えるべきだ。サチはダッカーとの会話を望んでいるし、何よりもここは月夜の黒猫団の最期の場所だ。必ずトラップが仕掛けられているに違いない。安易な選択は省くべきだ。

 

「隠し扉を見つけたのも、トレジャーボックスを開けたのも、全部俺だ。だから、きっと俺のせいで月夜の黒猫団は終わった。まぁ、それが俺なりの出した結論かな?」

 

 テツオのように奇襲をかけるでもなく、ササマルのように罵倒と呪いの言葉でサチを追い詰める訳でもなく、ダッカーは何処か諦観にも似た眼差しで淡々と答える。

 

「だから、俺はやり直したいんだ。あの日の選択を間違えずに、月夜の黒猫団の先が見たいんだ。サチもそう思うだろう? 俺たちが住むはずだった『あの家』に一緒に行こう」

 

 腰かけるトレジャーボックスから立ち上がったダッカーが手を伸ばした。それと同時に、トレジャーボックスの後ろの壁がスライドする。そこには大穴と同じ暗闇と白い靄が渦巻いていた。

 あの先に行ってはいけない。オレは直感に従い、サチの腕をつかむ。

 

「サチ、惑わされるな。ヤツは死人だ。テツオやササマルと同じで狂ってる事を忘れるな」

 

「わ、分かってる。分かってるよ。でも……」

 

 理性ではサチもこれが罠であるという考えに至っているのだろう。だが、心の奥にある望みには嘘がつけないのだろう。

 ダッカーが語る誘惑。月夜の黒猫団が壊滅しなかったという夢物語。それはサチ自身が誰よりも望んだ未来だったはずだ。

 

「死人ねぇ……それを言うなら、サチだって死人じゃないか?」

 

 黙れ。オレはサチを力の限り引っ張ってダッカーの元に行かなせないようにしながら、誘惑の言葉を並べる彼を睨む。

 

「俺もサチも死人だ。未来はとっくに失われたんだ。だったら、過去に縋って何が悪いんだ? それとも、このままサチはずっと独りで、仮想世界が終わる日を待ち続けるのか? 残酷だね、【渡り鳥】さんよぉ」

 

 返す言葉が無く、奥歯を噛み締める。それはずっとオレが無視し続けていたサチの結末だ。

 仮に、このままサチを無事に想起の神殿に送り届けたとしても、その先の未来は彼女には無い。何故ならば、彼女には戻るべき現実世界に残した肉体が無いからだ。

 待っている結末はただ1つ、プレイヤーの全滅によってもたらされる孤独、あるいはプレイヤーが完全攻略を成し遂げる事でDBOのサーバーが落とされる事によるサチという『命』の終わりだ。

 そこに……サチという少女の幸福は無い。

 

「ありがとう、ダッカー」

 

 自然と緩まってしまったオレの手、そこから抜け出したサチが更に1歩、ダッカーの前に進み出る。

 

「でも、私は一緒にいけない」

 

「へぇ、何で? このまま独りぼっちで終わりの日を待ちたいのか?」

 

「……独りは怖いよ。だから、『あの人』も嘘を吐いていたんだと思う。怖くて、苦しくて、全てから逃げ出したくて、だから『あの人』は自分を受け入れてくれる場所が欲しかったんだと思う」

 

 それはサチの『アイツ』への想い。そして、その言葉の力強さにはダッカーの誘惑への拒絶の意思が宿っていた。

 

「もしも、私たちが……ううん、私がもっと強かったら、『サチ』が『あの人』を受け止められるくらいに強かったら、テツオも、ササマルも、ダッカーも……ケイタも、誰も死ななかったはずだよ」

 

 月夜の黒猫団が壊滅したのは他の誰でもない、自分たちのせいだと、サチは理解しているのだろう。それは、図書館でオレが追い詰めるよりも以前に、きっと彼女自身が出していた答えの1つなのだろう。

 その証拠にサチはオレと会話した時に『アイツ』を『大樹』だと譬えた。そして、自分も寄り添えたらと、守ってあげられたらと、過去への悔恨を込めて願望を口にした。

 だから、これは必然の結論だ。

 

「だから、私は一緒にいけない。今もきっと、私達を死なせてしまったと思い込んで苦しんでいる『あの人』の為に。たとえ、その先が死であるとしても、私は変わらないといけない。それが私の……『サチ』の望みだから」

 

 たとえ、未来が定められた死であるとしても受け止める。だからこそ、ダッカーの言う『夢』で微睡むわけにはいかなない。

 それはサチが『サチ』であり続ける為の戦いなのだろう。

 

「……強くなったな、サチ」

 

 何処か嬉しそうに、ダッカーは笑う。だが、そこには仲間の成長を讃える喜びではなく、これから盤上の全てをひっくり返す事を楽しみにしているような子どもの顔だった。

 

 

 

 

「でもさ、それってサチが『サチ』だからこそ成立する話だろ?」

 

 

 

 

 これ以上喋らせるわけにはいかない。トラップであるならば踏み抜くのみ。オレはラビットダッシュで駆け、ダッカーへと鉈を振るう。

 だが、突如としてダッカーの影から飛び出した赤いローブを着た何者かがオレの鉈をナイフで受け止める。火花を散らし、オレと赤ローブは鎬を削るも、オレの方がSTRは上なのか、赤ローブは簡単に弾き飛ばされた。

 だが、赤ローブの影から更に2人の赤ローブが出現する。フードを被り、口元しか見えないが、いずれも好戦的な表情を浮かべている。

 いや、それ以上に奇妙なのは、コイツらからは『命』を感じるのに、その波長……気配とも言うべきものが似通い過ぎている。ミュウの部下であるルーシーとスーリのような双子に近しい、いや、それ以上のものを感じる。

 

「サチ、逃げろ!」

 

 まだトレジャーボックスが開かれていない為か、隠し扉は解除されたままだ。今ならば、まだ隠し部屋から逃げ出す事ができる。

 赤ローブ達はオレを牽制するのように囲み、ダッカーとサチから引き離す。いずれも間合いの取り方が上手く、ナイフの扱いを心掛けていやがる!

 オレの指示通り、後退しようとするサチであるが、ダッカーはサチに歩み寄ってそれを許さない。

 

「なぁ、どうしてサチはケイタが死んだって知ってるんだ?」

 

「え?」

 

 それは矛盾の指摘。

 

「この迷宮区に潜ったのは、俺、テツオ、ササマル、サチ、それとビーターの5人だ。ケイタはいない。だって、ケイタははじまりの街に家を買いに行っていたんだからな。なのに、どうしてケイタが死んだと分かる?」

 

「え、だって……え? あ、あれ……?」

 

 瞳孔が拡大と縮小を繰り返し、サチがふら付きながら頭を押さえる。

 まずい! 旧校舎やタフトに着いた時と同じ反応に、オレは焦りを覚える。強引に赤ローブの1人へと斬りかかり、ナイフを左腕に突き刺して封じ、そのまま首を刎ね飛ばす。その隙に残りの2人が斬りかかるが、1人を左袖から射出した蛇蝎の刃で喉を貫き、もう1人のナイフを籠手で刃を滑らせて受け流し、そのままカウンターで腹を打つ。

 

「サチの決意は立派だよ? でもさ、そこにどれだけの嘘が混じっているんだろうなぁ。もしかしたら、サチの記憶は紛い物なのかもしれないのに。ビーターへの憎しみすら忘れる程に……嘘で固められているのかもしれないのに」

 

 ダッカーがサチに何かを渡す。その瞬間にオレは3人目が腹を潰されて体を折り曲げた瞬間に後頭部を踏み潰し、そのまま踏み込みにしてダッカーへと飛ぶ。鉈の一閃をダッカーは阻もうともせず、笑いながら首に刃をめり込ませていった。

 

 

 

 

 

「全ては『機械化された記憶』なのさ。俺達も……それにサチもな!」

 

 

 

 

 

 そう吐き捨て、ダッカーの首が飛ぶ。血を撒き散らしながら小部屋に転がる。

 ダッカーの首の断面から吹き出す血を浴び、サチの顔面が真っ赤に染まる。その中でサチは頭を抱え、ガタガタと歯を鳴らす。

 オレが殺した3人の赤ローブとダッカーの血が混じり合い、小部屋は瞬く間に血の海と化す。今までの月夜の黒猫団と同じで死体が消えない赤ローブに近寄り、オレは顔を隠すフードを剥ぎ取った。

 そこにあったのは……ダッカーの顔だった。1人目も、2人目も、3人目も……いずれも同じ造形をした顔である。

 どれだけ現実の肉体と見紛うアバターであるとしても、仮想世界で構築された以上は容姿など複製可能である。≪変装≫というスキルがあるように、プレイヤーすら他のプレイヤーの容姿を簡単に真似ることができる。

 ならば、この赤ローブのダッカー達は、ダッカー本人ではないとも推測できる。だが、オレは彼らから似通った『命』を感じ取った。

 機械化された記憶。オレは嫌な予感を募らせる。死者の復活、それを電脳的に成功させる方法、それはつまり……

 

「私は……私は何で知ってるの!? ケイタは死んでない! 死んだことを知らないはずなのに! どうして!? 何で!? そ、それに……迷宮区に来たのは家具を買う為だったはずなのに! どうして、私の中で『家で暮らした』記憶があるの!? どうして!? 何で何で何で!? どうしてなの!?」

 

 悲鳴を撒き散らすサチとオレを霧が包み込み、そして今までと同じように、大穴がある印刷室の前に戻される。

 

「私は……私は本当に『サチ』なの? 教えて……教えてよ、クゥリ」

 

 座り込んだサチの手の中で輝くのは鈍い鉄色の鍵。恐らく職員室の鍵だろう。

 すがるようなサチの目に、オレはどう答えるべきなのか迷った。だが、意を決して、オレはサチが握りしめる鍵を手に取りながら呟く。

 

「……サチの言動に幾つか矛盾点があるのは、気づいていた」

 

「どうして、教えてくれなかったの?」

 

「サチを惑わすだけだと思ったからだ。死んだ以上、記憶が混乱している事もあるんじゃないかって、オレも思い込んで……違うな、希望的な推測に縋りたかったのかもしれない」

 

 鍵を開け、職員室に入ったオレは、雑多とデスクが並ぶ風景に異物が無い事を確認してから、壁にかけられたボードへと目を向ける。そこには各教室の鍵がかけられ、その中の右端に旧校舎の鍵を見つける。

 ようやくゴールが見えたか。オレは旧校舎の鍵を手に取る。サチは何とか自力で立ち上がり、オレが手にした旧校舎の鍵を見つめていた。

 

「……私も、本当は気づいていたの。自分の記憶がたくさん欠けていて、間違っていて、それでも私が『サチ』である為に……目を背けていた」

 

 サチの独白はオレの罪だ。

 このダンジョンをクリアする為にはサチの協力が不可欠だった。彼女の記憶を頼りにしなければ、何処を目指せば良いのかも分からなかった。それを免罪符に、サチの記憶の矛盾点や欠如の指摘を怠り、自分が望んだ通りに事が運ぶように誘導した。

 新校舎を無事に脱出したオレ達は旧校舎の扉の前に立つ。ここにある『ゲーム愛好会』の部室こそが目的地であり、この長かった校舎とアインクラッドを往復する旅路の終着点でもあるはずだ。

 そして、もう1つ、このサチの記憶、校舎周辺の現実世界は、以前にも確認した通り、午後11時8分から21分までの13分間を切り取っている。

 この13分間の意味は何なのだろうか? アインクラッドが全てサチにとって大事な記憶であると言うならば、この現実世界もまた彼女にとって何よりも大事な思い出の1つのはずだ。

 鍵を差し込み、回す。金属が擦れる音がして、旧校舎の扉が開錠される。鉄製の扉を開ける。

 旧校舎というネーミング上、どうしても廃墟というイメージが付きまとうが、サチの言う通り部室棟として活用されているお陰か、下駄箱はむしろ新校舎よりも生活臭がするように散らかっている。傘立ての横には生徒が教師の目を盗んで持ち込んだお菓子のゴミがこっそりと捨てられていた。

 天井からは毒のように黒い液体が滴り、廊下はべっとりと汚れている。月光すら腐食させるようなそれを踏む。

 

「3階、だったな」

 

「……うん」

 

 黒い液体は階段からもたれており、その流れは緩やかではあるが、まるでオレ達が3階の『ゲーム愛好会』にたどり着くのを拒んでいるかのようだった。だが、オレはサチの手を引き、何よりもサチ自身が前進し続け、2階へ、そして3階へと到着する。

 ガチャリ、と鍵が開く音がした。それはどうやら4階……いや、屋上へと続く階段の向こうから聞こえた。となると、誰かが屋上の扉を開けたのだろうか? ならば、目指すべきは屋上なのか?

 一瞬の悩みの隙、その間にサチはオレを追い越して黒い液体が流れ出す3階の左奥、そこにあるだろう『ゲーム愛好会』の部室を目指す。

 今はサチが優先か。オレは彼女を追い、黒い液体を跳ねさせながら廊下を駆ける。

 

「あは……あはは……あはハははハ!」

 

 そして、オレがサチの元にたどり着くと同時に彼女は笑いだす。ようやくたどり着いた、『ゲーム愛好会』扉の前で、ケタケタと壊れたように嗤う。

 

「私ね、ケイタと幼馴染で、ずっと後ろを付いて回っていたの。小さい頃から……ずっと、ずっと。だから、ケイタが『ゲーム愛好会』に入って、愛好会から部に昇格する為には部員が足りないんだって言われて、それで……」

 

「サチ」

 

「みんなね、ゲームが大好きなんだ。知ってる? ケイタが立ち上げた愛好会なんだよ。昔からレトロゲームが好きでね、いつも家で独りの私の為に昔のゲームを……ああ、そうか。ここも『違う』んだ。あはハ……何もかも、嘘だったんだね」

 

「サチ!」

 

 彼女の名を呼び、オレは肩に触れる。だが、その手をサチは鋭く払い除けた。

 

「触らないで」

 

 サチの目から零れるのは涙。そして、それが月光を浴び、頬を伝い、滴となって落ちると足下を埋めていく黒い液体と混じり合う。

 

「こんな事なら……最初から信じなければ良かった。私は『サチ』じゃないって分かっていたはずなのに。なのに、どうして『夢』を見させたの? クゥリは……何で、何で私に『夢』を見させたのよ!? こんな事ならずっと、醜くても、独りでも、苦しくても、『祈り』なんて欲しくなかった!」

 

 そう言ってサチは『パソコン研究会』の扉を開く。

 まるでクリスマスパーティに遅れてきた部員を迎えるように、クラッカーが鳴り響く。

 

 

 

 

「お帰り、サチ」

 

「待っていたよ、サチ」

 

「遅いぞ、サチ」

 

 

 

 あり得ない、とはもう言わない。

 旧型ではあるが、パソコンが5台並ぶ小さな部室、組み立て式のテーブルを囲むように椅子が5つ配置され、内の3つには学生服を着た3人の少年たちが腰かけている。

 それはオレが殺したはずのテツオとダッカー、そして自ら首を貫いて自害したササマルだった。

 

「サチ……行くな……行くんじゃない」

 

 もうオレには彼女を止める言葉も無い。暴力で捻じ伏せても、そこにはサチの心の死しか無い。

 部室の中へとサチが踏み込む前に、彼女が足を止めて振り返る。

 

「酷い事言ってごめんね。私ね、嬉しかったの。私が『サチ』なら……きっと、この『あの人』への気持ちも本物なんだろうって、だったら、もしもこの世界の何処かで再会できたなら、この気持ちの全てを伝えたかった」

 

 そっとサチがオレの胸に触れる。その温かな手の熱がオレの仮初めの心臓の鼓動へと伝わる。

 涙を流しながら、サチは笑っていた。嗤っているんじゃない。笑っているんだ。これが……ここが『最良の場所』だと信じて。

 オレは彼女に無意味な『祈り』を与えただけだった。偽りに満ちた『彼女』を苦しめただけだった。ただ、甘く優しい嘘に浸せていれば幸せだったかもしれない『彼女』を真実で傷つけただけだ。

 

「でも、もう良いの。私は『サチ』じゃない。やっと……それを認められる。クゥリのお陰だよ? キミと短い時間だけど旅をして、色々な事を教えてもらった。たとえばね、キミはとても強くて、独りを恐れないで、何処までも何処までも戦い続ける事ができる……私の理想みたいな人だった。ちょっと怖い面もあるけどね」

 

 悪戯っぽく涙で濡らしながら笑み、サチはオレの頬に触れる。慈しみを込めて、1度だけ撫でてくれる。

 

 

 

 

 

 

 

「だから……ありがとう」

 

 

 

 

 

 

 そして、扉が閉ざされた。1人残されたオレが再び『パソコン研究会』の扉を開くが、そこには無人であり、テツオも、ササマルも、ダッカーも……サチも姿を消していた。

 

「なんだよ……なんだよ、それ」

 

 黒い液体が溢れだす部室へと踏み入り、オレはサチの姿を求めて見回すが……彼女の気配は残されていない。

 サチは『夢』を見に行ったのだろう。月夜の黒猫団が滅んでいない……仮想世界だからこそ望める、甘く優しい嘘の世界を選んだのだろう。

 結局、オレがしたことと言えば、サチを無意味に苦しめただけだったのだろう。

 道化師にすらなれなかった愚者。オレは両膝を折る。

 

「違う……違うんだ。オレはオマエを……オマエが救われるだろうと思って、それで……」

 

 そう零れた口に、オレは自嘲する。

 ああ、だから愚かだったのだ。ずっとずっと前……ずっとずっと昔から……何度も自分に言い聞かせたではないか。

 オレは誰も救えない。救わない。オレは『アイツ』とは違う。オレは狩り、奪い、喰らい、戦う事しか出来ず……誰かに何かを与えて救うことなどできないのだ。




絶望「まだだ。まだこんなものはジャブに過ぎんよ」


それでは117話でまた会いましょう。

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