SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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今更ですが、本作ではアリシゼーション編の設定の幾つか使用しています。
ですが、アリシゼーション編のネタバレをするという意味ではないのでご安心ください。
具体的に言えば、アリシゼーション編のキャラが、がっつり登場したりはしません。


Episode13-14 救われるべき者

 彼女に話しかけた理由なんて大したものではない。単なる暇潰しだ。それ以上の感情など無い。

 そう思いたかった。だが、本当は違う。

 サチは独りだった。いつもプレイヤー達を羨ましそうに見つめ、遠い記憶を思い出すように、『サチ』であろうとする前の仏頂面であるとしても、小さく笑っていた。

 だからだろう。オレは彼女に少しだけ興味を持った。NPCなのか、それとも『命』ある存在なのか、どちらであるのか見極める為……なんて、結局は自分の本心に気づきたくない為の言い訳に過ぎない。

 楽しかった。それだけなんだ。何ら気負うことなく話す事ができる。【渡り鳥】という悪名も、傭兵としての毎日も、独りで戦い続ける日々も……サチと語らう時だけは忘れることができた気がしたんだ。彼女が独りだからこそ、オレもまた独りであっても良いのだと安心できたのだ。

 だが、それはオレの驕りだった。

 サチは独りである事を恐れた。

 サチは自分が何者であるかについて悩み続けていた。

 サチはオレを通して『アイツ』の面影を追い求めていた。

 

「……馬鹿だなぁ、本当にさ」

 

 月光が差し込む『パソコン研究会』の部室。起動していないパソコン達のディスプレイに冷たい夏の光が差し込み、まるで聖夜に降り注ぐ雪のように埃が煌めく。

 膝を折ったオレを浸すのは溢れ続ける黒い液体。その粘つく泥のようなものは、黒猫の鍵に呑まれ、アインクラッドのはじまりの街に転送された時と同じものだ。それを手で掬い取り、だらりと指の間から垂らす。

 泡を立てて黒い液体が盛り上がる。伸びたのは白い腕達。白の亡人たちが次々と黒い液体から浮上し、オレを取り囲んでいく。

 

「オマエらが、オレの『死』か?」

 

 痛みを訴える声を漏らしながら、白の亡人たちが歯を鳴らす。

 ああ、ここがオレの最期の場所か。お似合いかもしれない。サチの心を傷つけるだけ傷つけたオレに相応しい罰なのだろう。

 白の亡人がオレに喰らいつこうと飛びかかる。その歯が喉に食い込もうとする。

 

「何でだよ?」

 

 だが、オレの体は防衛反応を示し、思考に反して白の亡人の顎を殴り砕く。

 囲む3体の白の亡人、それぞれが愚直に腕を振るい、喰らいつこうとし、黒い血を流しながら叫び声を撒き散らす。

 

「何でだよ?」

 

 戦え。戦え戦え戦え! 本能が狂乱し、右手で鉈を抜き放って白の亡人の胴を薙ぐ。そのまま2体目へと左手で構えた黎明の剣による片手突きを口内に押し込んで頭部を串刺しにし、迫る3体目の鼻を肘打ちで迎撃して潰す。

 

「何でなんだよ!? 好きに生き、理不尽に死ぬ! だったら……だったら、ここがオレの『終わり』だろうが!」

 

 だが、体は止まらない。脳髄の奥底で加熱し、心臓の高鳴りと共に牙を剥く本能が戦いを求め続ける。

 口内に突き刺した黎明の剣を強引に横へと振るい、そのまま頭部を半分断つ。更に間髪入れぬ膝蹴りで喉を潰し、背後から迫る白の亡人の顎へと逆手に構えた鉈を突き刺す。そのまま鉈を手放し、肘打で鼻が潰れてもがく白の亡人の喉をつかみ、握り潰す。

 手の中で肉が潰れて黒い体液が纏わりつき、不快な悪臭がアバターの皮膚へと染み込んでいく。

 まずは1人目。本能が歓喜する。そのまま腕が動き、黎明の剣の……軽量両手剣の片手振りという旨みを活かした高速斬撃で頭部が横に半分断たれた白の亡人の両腕を斬り飛ばし、足払いをして転倒させると頸椎を貫く。

 これで2体目。最後の鉈を顎に突き刺したまま、それでも尚、自らの痛みを消し去る為にオレへと飛びかかる最後の1体の心臓を黎明の剣で貫く。

 3体目が動かなくなり、べっとりとした黒い体液が黎明の剣の美しい刀身を汚す。

 不思議な事に、オレの胸には高鳴りがあった。血が滾っていた。求めたはずの『死』など一瞬の気の迷いであったかのように……更なる戦いを欲していた。

 ああ、そうか。そうだよな。諦めるには早過ぎる。

 

「ありがとう」

 

 最近はずっと振り回されてばかりだった。だが、いつだってオレを救ってくれたのは、この先祖代々受け継いできた狩人の血だ。常に戦いを追い求める本能だ。どれだけ煩わしくとも、どれだけ疎ましくとも、決してオレを裏切ることがない、オレが『オレ』である事を証明し続ける力だ。

 

「オレは……まだ、戦える。戦わないといけないんだ」

 

 オレはまだ『祈り』も『答え』も見つけていない。

 それとも、アインクラッドの戦いの中で『祈り』を忘れ、そして『答え』すらも闘争の中で焼き尽くしてしまったのか。

 何であろうとも構わない。オレ自身が先程言ったことではないか。

 

「好きに生き、理不尽に死ぬ。だったら……だったら、オレの好きなようにやらせてもらうぞ、サチ!」

 

 認めない。オレは認めない! たとえ、サチが『サチ』でなかったとしても、オレが知るのは【黒猫の乙女】としてDBOに存在したサチだ! そして、確かに彼女の中には『アイツ』に対する本物の想いが脈動し続けているはずだ!

 問わねばならない。たとえ全てが偽物であるとしても、記憶が真実と嘘で継ぎ接ぎだらけになっているとしても、オマエの中に灯り続けていた想いだけは『サチ』であるか否か以前に、サチ自身が大切にしたい原始の感情だったはずだと!

 その果てに、サチが甘く優しい嘘を選ぶならば、オレは何も言わない。だが、サチは泣いていた。全てを諦めて、サチが『サチ』でないと認めて……それでも、まるで『救い』を求めるように泣いていたのだ。

 オレの頬を撫でた時、サチの手は震えていた。まるで手を取り、引っ張り上げて欲しいと望むかのように。

 思い出したのは、ヤツメ様に怯える言葉だけに憑かれ、死してなおオレに『救い』を求めるように腐った眼球を向けた、天井より吊るされた伯父さんだった。

 思い出したのは、オレの最初のトモダチで、『救い』をオレに求めたマシロだった。

 思い出したのは、オレに首を刎ねられる瞬間、『救い』を知ったクラディールの穏やかな表情だった。

 オレは誰も救えない。救わない。だが、『救い』は常に傍にある。

 

「救いはそれを求める人の心の中にある」

 

 口にするのは、かつてオレに救済の福音を授けてくれた、亡霊となってなお『祈り』を忘れる事が無かった少女の言葉。この世界を確かに生きて死んだ、サチと同じで現実世界の肉体を持たない『命』を持ったAIが授けてくれた道標。

 

「救われるべき者は手を伸ばさねば救われない」

 

 そして、サチはあの瞬間、オレに手を伸ばした。サチが『サチ』ではないと分かった時、オレが彼女が『サチ』など関係ない1人の個人だとして認めてさえあげていれば、その胸に宿る『アイツ』への想いは……たとえ偽りだらけの模造品だとしても、サチが『祈り』を忘れない限り、それは本物のはずだ。

 

「神様、オレは往生際が悪いんだ。だから、地獄の特等席はもうしばらく空けたままにしておきやがれ」

 

 道化師未満の愚者であろうとも、誰も救う事ができないケダモノであろうとも、救われるべき者が自らの心の内に救いを見出せるならば、オレはいつも通り戦うだけだ。

 サチは救われるべき者として手を伸ばした。ならば、オレがどんな手段を使ってでも引っ張り上げる。後は勝手に救われろ。オレにはどうせ救えないのだから。

 深呼吸を1つ。冷静さを思考に取り戻させる。

 現状を把握しろ。限られた情報を精査しろ。必ず先に進むべき道が残されているはずだ。

 

「第1に……第1に、これは『ゲーム』だという事を思い出せ。どれだけ醜悪だろうと、どれだけ『アイツ』を狙い撃ちにする為だろうと、『ゲーム』という枠組みで殺し合いをしている以上、『ゲーム』としての体裁があるはずだ。あの糞野郎は絶対にそれを蔑ろにしない」

 

 だとするならば、今回のサチの消失は確定事項……要は『イベント』だ。お姫様が邪悪な魔王に攫われる王道パターンと同じだ。ならば、オレは『勇者様』として魔王城を目指さねばならない。

 恐らく、茅場の後継者はテツオ、ササマル、ダッカー、そしてこれまで巡ったサチの記憶から、必ず彼女が自身の矛盾に気づき、サチが『サチ』ではないという結論に至るように誘導したのだ。まんまと罠に嵌った事は腹立たしいが、今はヤツの『人の心の動きを分析する力』の方がオレよりも遥かに上であると認めるしかない。

 まず探索すべきなのは、サチが消えたこの部室だろう。どんな事でも良い。サチの元に行く為の情報が必要だ。

 ステンレス製の棚に手をかけ、透明なプラスチックの戸を開けて中に詰められた本を手に取る。いずれもゲーム関連の雑誌や攻略本ばかりだ。他にも棚の下の段を開けてみるが、メモリの1つどころか、パソコン関連の書物すらない。パソコン研究会ってのは学校側を納得させる為の言い分で、実際はサチが言った通り『ゲーム愛好会』みたいな物だったみたいだな。

 

「パソコン研究会とは名ばかり、か。サチもあながち間違ってないじゃねーか」

 

 まぁ、それでもサチの記憶に偽りがあったのは確かだ。だが、お陰で1つの推測を成立させることができる。

 ここがサチの記憶で構成された世界であるならば、サチの認識通りであらねばならない。つまり、この部室は『ゲーム愛好会』であらねばならないのだ。だが、実際には『パソコン研究会』というネームプレートが貼られているし、部として発行しているだろう冊子にも『パソコン研究会』という文字が印刷されている。

 つまり、この世界を構成しているのは『真実』だ。その一方で、宿直室、司書室、印刷室の3室は大穴と化し、アインクラッドに通じていた。

 

「使われていない宿直室、立ち寄らなかった司書室、印刷室は存在すら忘れていた。幾ら1年生とはいえ、知らなさ過ぎるじゃねーか?」

 

 つまり、大穴があるのはサチにとって欠落した、あるいは矛盾した記憶がある場所という事ではないだろうか? そうであるならば、矛盾点であるこの『パソコン研究会』の部室もまた、アインクラッドに通じる大穴があるのかもしれない。

 サチが『夢』を見に行ったのは、月夜の黒猫団が壊滅しなかった『あり得ない未来』だ。つまり、サチはアインクラッドにいるはずだ。ならば、虱潰しであろうともアインクラッドに通じる穴を探すしかない。

 とはいえ、部室と言っても見回せば全てが把握できるような広さだ。たとえ床が黒い液体に覆われていようとも、月明かりしか光源がなくとも、必ず目につくはずである。

 と、そこでオレは本棚の裏に何かが隠されている事に気づく。試しに本棚を横から押してズラすと、そこには両開きの鉄扉があった。

 恐らく、この部室は元々保管庫が何かだったのだろう。そうなると、これは物置の扉かもしれない。そして、扉の下の隙間から黒い液体は溢れ出している。

 どうやら、この先に目的の場所はありそうだが、扉はまるで動かず、また破壊もできない。どうやら、またしても鍵を探さねばならないようだ。

 

「そもそも、何でここだけ黒い液体があるんだ?」

 

 校舎内のアインクラッドに通じる大穴はいずれも闇に覆われてこそいたが、霧に包まれているだけで、黒い液体には満たされていなかった。

 今まで黒い液体を見かけた場所は3つ。

 1つはサチと共に目覚めた宿屋……十中八九、月夜の黒猫団の結成前、はじまりの街に止まっていた時に使っていた部屋だろう。

 次がこの現実世界を模した空間に続いていた、デスゲームのチュートリアルが行われた黒鉄宮前の広場。

 そして、黒い液体が滴り落ちる程度ではあったが、サチの部屋か。

 

「それに白の亡人、コイツらは何なんだ? 何で『命ある人間』がこんな姿になっているんだ?」

 

 通常のモンスターのように消失することなく、黒い体液を垂らしながら屍を転がせる白の亡人の頭をつかむ。触り心地は人間の皮膚と変わらない。

 拷問された結果こうなった、と納得する以外にないかもしれない。仮にこの白の亡人のアバターが彼らの精神状態を表現しているならば、彼らの精神は破壊されて真っ白となり、痛みである黒色だけを体液として内包しているという事だろうか?

 だとするならば、何で『命ある人間』を拷問する必要がある? 何故サチの記憶に配置している? 呪縛者のようにオレを……いや、『アイツ』を殺しに来るには力不足のはずだ。

 

「力不足なのに……『殺し』に来る?」

 

 発想を逆転させろ。『殺し』に来る者は『殺す』しかない。オレにはそれができる。だが、『アイツ』は果たして可能だろうか?

 改めて、オレは転がる3人分の白の亡人、その死体を確認する。いずれも酷い拷問によって造形が破壊されているが、個性を残すように骨格や体格の違いが分かる。

 

「何処だ? 何処にある?」

 

 1枚くらいあっても良いだろう! オレは棚の中にある本や記事のスクラップをひっくり返していく。『仲良し』5人組なのだろう!?

 次々と床を浸す黒い液体へとオレが放り投げた本や小物が沈んでいく中、ようやくお目当ての物……女の子が手作りしたと分かる小さなアルバムを見つける。花の名前には詳しくないので分からんが、恐らくコスモスだろう花柄だ。

 

〈祝☆パソコン研究会 発足!〉

 

 そんなタイトルと共に4人の少年と1人の少女が笑顔で写された最初の1枚を手に取る。写真の中のテツオ、ササマル、ダッカーは、オレが知る醜悪で凶悪な性格をしているとは思えない、気が良さそうな……友人にすれば最上だろう連中に見える。

 だが、今はそんな印象などどうでも良い。オレは写真を片手に、改めて白の亡人の頭髪の1本も残されていない頭部をつかみ、その輪郭を、骨格を、パーツの配置を確認していく。

 足りない。もっと『数』が必要だ。できれば、無傷であるものが望ましい。オレは旧校舎から飛び出して新校舎に戻る。

 目指すのは拷問椅子の部屋だ。相変わらず、オレが斬り落とした首から溢れた黒い体液によって汚れており、幾つもの生首が転がっている。これだけサンプルがあれば、確証を得られるだろう。

 首を1つ1つ手に取り、廊下に並べていく。40人分にもなる生首を並べるオレはどう見ても異常者だが、どうせこの世界に取り残されているのはオレ1人だ。

 

「やっぱりか」

 

 首を並べ、見分を済ませたオレは拳を握る。

 何処まで『命』を愚弄すれば気が済む、茅場の後継者? そして、茅場晶彦、オマエの望みはこんな惨たらしい宿命をアインクラッドで生きた戦士達に課すことなのか? これがオマエの望んだアインクラッドの『先』なのか?

 白の亡人の頭部を分別した結果、彼らは3種類に分けられた。

 

 

 

 すなわち、テツオ、ササマル、ダッカーの3人だ。ここにいる白の未亡人は全て彼ら3人と同一の骨格であり、同じパーツ配置をした容姿なのだ。

 

 

 

 驚きは無い。ダッカーが出現させた赤ローブもまた、彼と全く同一の容姿をしていた。

 ここから推測できる彼が言う所の『機械化された記憶』とは、つまり複製を可能とした個人……AI化された人間とみるべきだろう。

 厄介なのは、彼は『命』を持っているという点だ。ただのデータの塊ではなく、1つの存在として胎動し、そして生を受けた。単純に、母なる胎盤から産まれたか、電脳として構築されたかの違いだ。

 このダンジョンに来たのがオレだからこそ気づかなかった。サチもまた、オレが矢面に立った事で直視する機会が限りなくなかったからこそ分からなかった。だが、クリスマスダンジョンに来たのがオレではなく『アイツ』だったならば、戦う過程で必ず3人の面影を見たはずだ。

 そして、理解する。自分がかつての月夜の黒猫団の仲間を斬殺しているのだと。痛みを訴え、救いを求めるように自分を攻撃する彼らへと、無慈悲に剣を向けていたのだと。そうなれば、『アイツ』の精神はきっと……

 全ては『アイツ』を殺す為の仕掛けだ。サチも、白の亡人も、アインクラッドにおける月夜の黒猫団との思い出も何もかもだ。

 そして、オレ自身が至った予想の1つに、サチの記憶と言っても彼女の主観に基づいているわけではない、という事がある。事実として、アインクラッドの記憶……大穴から落ちた先の記憶は、いずれもサチというよりも『アイツ』視点に近しい。その証拠がタフトにおける≪追跡≫スキルの使用痕跡である足跡の視認だ。

 情報を整理しろ。オレは首を斬り落とされた白の亡人たちが今も拷問椅子に縛り付けられている光景を見ながら、教壇の上に腰かけて思考を巡らせる。

 これで1つ謎は潰せた。だが、こうして月夜の黒猫団絡みを延々と見ていると、1つどうしても気になる点がある。

 それはケイタ……サチの幼馴染であり、月夜の黒猫団のリーダーだった男がどうして登場しない? 写真を改めて確認し、サチの隣を陣取る温厚そうな長身の少年、オレが唯一出会っていない彼こそがケイタのはずだ。

 白の亡人にもケイタらしき骨格は見られない。だとするならば、ケイタは何処にいる?

 

「そうだ。黒猫の鍵には確か、黒猫の長は自ら命を絶ったってあったな。つまり自殺ってわけか」

 

 アインクラッドにおける自殺で最もポピュラーなのは、外縁部からの飛び降り自殺だ。ちなみにSAO犠牲者第1号も飛び降り自殺である。良く知らんが、デスゲームのはずない、死ねば現実世界に戻れる、とかいう現実逃避で死んだらしい。

 黒猫の鍵の文面を信じるならば、そしてサチとダッカーの会話も考慮に入れれば、ケイタはトレジャーボックスのトラップに引っ掛かった時に居合わせていなかった。その理由は明確ではないが、ケイタは仲間の死を恐らく生き抜いた『アイツ』から知らされた事になる。

 それで絶望して自殺を選ぶのは……まぁ、考えられる事だ。だが、『アイツ』がいたならば、同じ苦境の中にある仲間がいれば、自殺を思い止まることもできるのではないだろうか?

 

「もしかして、明かしたのか?」

 

 いや……いやいやいや! 確かに『アイツ』は女絡みでは間が悪い(しかも適度にエロいイベント起こす)事も多々あったが、最悪のタイミングで自分が攻略組でビーターですって明かすわけねーだろ!? そう思いたい一方で、『アイツ』ならやりかねないと諦めている自分もいるのが情けない。

 仮定だ。あくまで仮定として、『アイツ』はケイタに全てを明かした。それならば、まぁ、不安定な精神状態も合わさって自殺……ってのもあり得るな。

 何はともあれ、部室にあった物置の鍵を探さねばならないだろう。職員室に寄り、ボードにかけられた鍵を1つ1つ手に取るが、旧校舎の物置と思われる鍵は見当たらない。わざわざ本棚で隠していたくらいだ。もしかしたら、既に使われておらず、また鍵も紛失しているのかもしれない。

 再び、オレは旧校舎へと戻った。部室をもう1度漁り、何か情報が無い物だろうかと探す為である。

 だが、オレが階段を上っている最中に、目前を白黒の人影が過ぎ去った。

 そう言えば、とオレは思い出す。部室を目指す最中に、屋上でドアが開けられる音がしたはずだ。

 白黒という事はこちらの存在に気づかず、言うなれば再生される映像のように定められた『記録』を再現しているだけなのだろう。だとするならば、あの白黒の人影はこの現実世界を模した世界、閉じられた13分間に旧校舎内で誰かがいた事を示している。

 白黒の人影は予想通り3階の先、屋上へと続く階段を上っていく。追いかけたオレは開放されたドアを潜り抜けた。

 

『また家デしたノか?』

 

 こっそりと覗き込んだオレが見たのは、2つの白黒の人影だ。

 屋上のフェンス、それを背にして座り込んでいるのはサチだろう。彼女に駆け寄っているのは……後ろ姿だから正確な事は言えないが、恐らくケイタだ。

 

『だっテ、オカあさん、再婚するって……』

 

『あのなァ、ソりゃ人間だから新しい恋の1ツや2つするだろ?』

 

 ノイズがかかっているが、聞き取れない事は無いな。もう少し近づいても良いのだが、雰囲気的に『記録』の再現であるとしても、彼らの大事な『記憶』のような気がして、オレは土足で踏み入る事に躊躇した。

 

『サチ、人はカワるんだ。俺もずッとは一緒ニいられナい。もうサチも15歳ダろ? 大人になって受け入れルべき所は受け入レナいと、皆が不幸になっちゃウぞ』

 

『おトウさンは帰って来ルよ! あんまり憶エてナイけど、今でも残ってルの。優しく頭ヲ撫でテくれた! 必ズ帰っテくるって言ったノ!』

 

 白黒のサチは涙を流しながら頭を振り、ケイタの言葉を否定する。その様子に、ケイタはふぅと息を吐き、まるで手がかかる妹を見るかのように腰に手をやった。

 

『サチ、お前の気持チは分かルよ。幼馴染だし、俺も母さんを亡クした時は辛カったから。大切ナ人がいた場所を、別の誰カが埋メテしまうのは……とても怖イ事だと思う。自分ガ自分じゃなくなルって気がするしね』

 

 そう言って、サチへとケイタは手を差し出す。涙を流しながら、サチは彼の手を取った。

 

『さぁ、帰ロう。サチの帰る家ニ』

 

『……うん』

 

『ところで、お前マた勝手に鍵を使ったな? あレは先輩から貰ッた代々受け継イでる秘密のマスターキーなんだカら。絶対ニ無くすなよ?』

 

 それを最後に、2つの白黒の人影は消失する。切り取られた13分間が終わり、再び最初に戻されたのだろう。

 これでサチが何故8月28日に旧校舎に侵入したのか、その理由が分かった。

 苦々しい事ではあるが、サチの記憶は大幅に改竄されている。彼女はVRゲームを取りに忍び込んだのではなく、家出をしたのだ。

 根本的な理由は異なるからこそ、サチはどうやって鍵がかかっていた旧校舎に忍び込んだのか、それを思い出す事ができなかったのだろう。

 

「再婚か。ウチは家庭仲が円満だから、気にする事はねーか」

 

 だが、母さんは体が弱い方だし、ほぼ毎月のように病院に行って検査を受けている。オヤジは母さんを愛しているけど、いつ失われても良いように、その最期を見届ける時に動揺しないように、覚悟を決めているようにも思えた。

 大切な人の居場所を、別の誰かが埋めてしまう。それはどんな気持ちなのだろうか? オレにはまだ分からない。分かりたくも無い。だが、母さんがいる場所を、別の女が埋めているのは……許せないような気もする。

 

「……ん?」

 

 何かがおかしい。オレは先程の会話をゆっくりと咀嚼する。

 サチは母親が再婚するから、それが嫌で家出した。まぁ、ここは酷い言い方になるが、別にどうでも良い。

 問題なのは、再婚するという事は……サチには『父親』がいないという事だ。少なくとも、この8月28日にはいないはずなのだ。

 

「アインクラッドに通じるのは……サチの記憶の欠落や矛盾点」

 

 そして、アインクラッドでは、現実世界を模したこの世界で……この校舎で使える鍵を入手することができる。

 白黒ケイタが言っていたマスターキー。それさえあれば、あの黒い液体が溢れ出す物置の鍵を開けることができるはずだ。

 オレは学校から出ると、かつてサチと共に語らいながら歩んだ通学路を遡っていく。

 全ては優しく甘い嘘、か。あの警告は……こういう意味だったのかもしれない。

 確かに、サチには多くの記憶が欠落していた。齟齬があった。改竄があった。だが、いずれもサチを傷つけるような醜い物ではなかった。

 たとえば、パソコン研究会ではなくゲーム愛好会だったのは、単純にサチにとって部としての在り方が後者だったからに過ぎない。

 たとえば、サチはアインクラッドで月夜の黒猫団のギルドホームで過ごした記憶があるようだったが、あの混乱状態から察するに実際には違うのだろう。だが、それはサチが欲しがった幸せの『未来』だったはずだ。

 たとえば、旧校舎に忍び込んだ記憶の改竄も、記憶の中で薄れた家を出て行った父親、そして再婚する母親が仲睦まじく暮らす『サチの家』という理想郷が欲しかったからなのかもしれない。

 

「……仮想世界だからこそ『夢』は叶うのかもしれないな」

 

 ようやく到着したサチの家、車庫には車とバイクが止められており、その中にはサチの私物だろう、赤色の自転車もある。籠には黒猫のプリントが施されており、もしかしたら月夜の黒猫団という名前は、サチが命名したものなのかもしれないとオレは薄く笑う。

 思えば、最初から茅場の後継者は主張していた。テレビで、わざわざ『アイツ』の視点で背徳者ニコラスとの戦いを映した。

 ニコラスは蘇生アイテムをドロップするという噂が流れていた。そうであるならば、『アイツ』がニコラスへと単身で挑んだ理由はもしかしたら、月夜の黒猫団を……いや、サチを蘇らせたかったからなのかもしれないな。

 オレだったら、誰を蘇らせるだろうか? 蘇生アイテムが手に入るならば、アインクラッドで誰を蘇らせようとするだろうか?

 ……思いつかないな。オレは苦笑する。アインクラッドにおいて、オレは独りだった。『アイツ』と相棒を組むまでは、常に独りで戦い続けていた。だから、もしかしたら本当の意味で『アイツ』を理解する事は……オレには絶対にできないのかもしれない。

 サチの家に入り込み、オレはリビングで待つサチの白黒の母親と『父親』の前に立つ。無論、彼らは何も反応を示さない。

 手に取るのは飾られた家族の集合写真。高校入学時だろう、校門前でサチと彼女の両親が撮影されている。これもまた、茅場の後継者が仕組んだ嘘だ。だとしても、そこにはサチを傷つけるものは何もない。

 だからこそ、その全てが崩された時、人は自らの心を掻き毟る。その事を茅場の後継者は熟知しているのだろう。

 さて、オレの予想ではこの家の何処かにアインクラッドへと続く大穴があるはずだ。オレがリビングを散策しようとした瞬間、砂嵐の状態だったテレビに変化が現れる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『お母さん、何でマシロは死んだの? 何で殺されないといけなかったの? ただ、頑張って生きてただけなのに』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あり得ない。オレは思わず硬直する。

 テレビに映されているのは幼き日のオレだ。その体は赤く染まり、夕闇の中で『トモダチ』を抱いている。

 それは記憶の彼方にある、オレの記憶の中の痛み。

 途端に、オレは1つの異常を察知する。

 このダンジョンに来てから、オレは余りにも過去を思い出し過ぎではないのか? 最初は懐かしきアインクラッドの風景を目にしたからだとばかり思い込んでいたが、そうだとしても、余りにも『想起』し過ぎている。

 

 

 

 そう、まるで、誰かによって『記憶』を覗き込まれているかのような……

 

 

 

 

 気づいた時には既に遅かった。テレビの画面から伸びた無数の黒い液状の触手。それがオレの四肢と首に巻き付き、テレビの方に引っ張っていく!

 

「糞が! 全部……全部、罠か! 何処まで人を弄べば気が済むんだよ、糞野郎がぁあああああ!」

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

 アミュスフィアⅢの全端子、オールグリーン。稼働率71パーセントを維持し、対象を催眠状態への移行開始。

 3Dモデリング及びアバターの作成率97パーセント完了。

 VRワールドの固定化及び全アバターのAI規律組み込み完了まで199秒。

 

「アミュスフィアⅢ、『ソウル・トランスレーター・システム』オールリリース。P10042のフラクトライトに接続開始」

 

 読み終えたリア王を閉ざし、『彼女』は集積した情報を基にして構築された仮想世界に、P10042が取り込まれていく姿をモニターする。

 これから彼が体験するのは自らの過去。彼の中に潜む『恐怖』。

 

「さぁ、見せてください。多くのプレイヤーから憎まれ、蔑まれ、恐れられた、あなたという人間に潜む『恐怖』を」




喜劇「ば、馬鹿な……今まで通りのパターンならば、ここから逆転劇のはず……ゲフッ!」

絶望「この程度、想定の範囲内だ。再起を見越し、罠を敷いてトラウマを抉り出す精神攻撃で追撃。基本中の基本だな」

悲劇「所詮は喜劇。日常担当か。脆いものだな」

苦悩「これで2人目」

恐怖「まだ絶望は変身を2回残している、この意味が分かるな?」



それでは、118話でまた会いましょう。

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