SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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小麦粉で作り、卵は2倍。
力一杯こねくり回し、焼いてしまえばモチモチハンバーグの出来上がり。
ただし、結構不評です。美味しいと思うんですけどね。



Episode13-15 痛み

 友達なんて1人もいなかった。

 社交的ではなかったが、人を拒絶していたわけではない。むしろ、クラスメイト達とは積極的に関わろうと努力していたと思う。

 でも、どうしても上手くいかなかった。だから、自然と独りである事が増えた。

 こんな顔のせいか、からかわれる事が多かった。だが、当時のオレはどちらかと言えば温厚な方で、ほとんど怒るような真似はしなかった。

 だけど、オレの目を馬鹿にしたヤツだけは許さなかった。

 ほんのりと赤みがかかった黒の瞳。須和先生曰く、瞳の色素が薄く、内部の血管……つまり血の『赤』が絶妙に滲んでいる為、この不可思議な色をしているらしい。遺伝性らしく、久藤の女性はこの不可思議な『ヤツメ様の目』を持って生まれる。その色と引き換えに、久藤の女性は目が悪い事が多かった。

 でも、たまにだが、男児でも『ヤツメ様の目』を持って生まれるらしい。おじいちゃんのおじいちゃんがオレと同じで『ヤツメ様の目』を持っていて、馬鹿みたいに強い人だったらしい。

 幸いにも、オレは母さんのように目が悪い事も無かった。ねーちゃんは少し視力が弱かったが、オレにはそんな兆候も無く、至って健康的……いや、むしろ人よりも優れていた部類だった。

 皆、優しかった。里帰りすれば、隣のおじちゃんもおばちゃんも、皆がオレを『ヤツメ様みたいだ』と褒めてくれた。『さすがは久藤の跡取りだ』と頭を撫でてくれた。

 だから、この目は誇りだった。狩人の血の証明だったからこそ、オレはこの目を馬鹿にするヤツを1人として許さなかった。

 泣こうとも拳を振り下ろすのを止めない。鼻を砕き、血が飛び散り、目が腫れ、悲鳴すらも心地良い。

 言葉は刃物だ。それを知らないくせに、好き勝手に人の誇りを侮辱するようなヤツらに慈悲なんて必要ない。だったら、その代償を支払うべきだ。犬だって知っている。

 体格が劣ろうとも関係ない。喉を潰し、呼吸を乱し、爪で皮膚を抉り、歯で肉を抉る。そうすれば、散々馬鹿にしていたヤツらは泣き叫んで許しを請う。もちろん、そんなものには耳を貸さず、声が出せなくなるまで『壊す』ことで、オレの怒りは鎮まる。

 

『ハッキリ言って、篝くんの凶暴性は異常です』

 

 加減を知らない子どもだった、と言えばそこまでだ。たとえ何人いようと、男だろと女だろうと、オレは許す事無く、躊躇する事無く、拳を振るえた。

 止めに入った先生すら怪我を負い、オレをバケモノでも見るように睨みながら、そう言い切った。

 喧嘩する度に母さんは学校に呼び出された。そして、怪我をさせたクラスメイトと親に頭を下げた。

 不思議と、どの親も母さんに最初こそ文句を言うが、その目を見続けたら黙り込んだ。母さんの目はオレと同じ目で、そして……とても冷たく、『命』に対する考え方がまるで違う事を述べるようだったからだろうか?

 とても綺麗だった母さん。母さんが笑えば、誰もが凍り付いた。まるで……『殺されたくない』と震えるように。

 

『篝。私の篝。人は過ぎた力を恐れるわ。私達は狩り、奪い、喰らう者。でも、人の世界はもう法律と道徳で縛られている。……もう、誰も「狩人」を必要としていないかもしれないわね。この時代は……狩人の血が濃過ぎるあなたには生き辛いかもしれない。でも、希望を捨てないで。「人」である事を忘れない限り、必ず幸せになれるわ。だって、あなたは私の子なんだから』

 

 学校帰り、オレの手を引いて母さんはよくそんな話をした。

 誰にも必要とされていない『狩人』たちは、今はひっそりと人の世を生きねばならない。だからこそ、どれだけ侮辱されても耐える事を知らねばならない。他でもない、久藤の女である母さんにとって……それは屈辱だったのか、それとも諦観だったのか、今でも分からない。

 当時のオレはまだ小学1年生で、母さんが何を伝えたかったのか理解していなかった。

 分かっていたのは、自分の血が教える『あり方』が、今の社会と不適合であるという漠然とした苛立ちだけだった。

 放課後になっても遊ぶ友達もおらず、都会よりもおじいちゃんがいる山々に囲まれた実家が恋しかった。だけど、オヤジの仕事と母さんの検査の関係で、オレ達家族は都市部で暮らす事を余儀なくされていた。とはいえ、兄貴もねーちゃんも都会暮らしに適合していたし、オレも年に数度は実家に帰れるのだから不満を口にしなかった。

 オレの遊び場といえば、柵で囲まれた廃工場だった。近所では幽霊が出るという噂もあって、子どもはもちろん、大人も寄り付かない。後に知った事であるが、この工場の持ち主は多額の借金を抱えて工場で工業用塩酸を家族全員に飲ませて無理心中するという、苦悶の死を遂げたとの事だった。

 蔦に覆われた壁、生えた雑草、錆びついた機械たち、野ざらしにされた資材、幽霊騒動のせいか、手付かずのままになった廃工場はオレの秘密基地だった。

 

 

 そして、オレは彼女と出会った。

 

 

 とても綺麗だった。真っ白な毛並みをした、少し大柄な子猫。野草の棘が爪の間に刺さったのだろう。痛そうに唸っていた。

 綺麗な赤の瞳に、オレは自分と同じだと知った。彼女もまた、この都会で暮らせない『狩人』であり、独りぼっちなのだと。

 

『大丈夫だよ。怖くない。怖くないよ』

 

 引っ掻かれる。噛まれる。そんな恐れは無かった。目を合わせた瞬間から、オレと彼女は通じ合っていた。

 だから、棘が刺さった右足をヒクヒクさせながら、彼女はオレの傍に寄ってきた。そして、抱きかかえてあげると棘を引き抜いた。小さく漏れた悲鳴と共に恨めしそうな眼差しをする彼女に、オレは頬擦りした。

 

『ごめんね。痛かったよね? ぼくは篝。キミと「同じ」だよ』

 

 頬を舐める彼女はオレを「同じ」だと認めた。

 異種間であっても通じるものがあった……という訳ではない。単に彼女は人に慣れていて、そして普通よりも賢かっただけなのだろう。

 雪のように真っ白だから……『マシロ』。オレは彼女をそう名付けた。

 オレにとって、初めてできたトモダチ。3代目コゴローはおじいちゃんのパートナーだし、他にも多くの犬が実家にはいたけど、トモダチと呼べるほどに繋がり合ったのはマシロが初めてだった。

 それから、オレは毎日のようにマシロに会いに行った。彼女はとても成長が早く、そしてたくさんの物を食べる。給食をこっそり持って帰るだけでは足らず、オレ達はついに『狩り』を始めた。

 最初は雀だった。オレが撒き餌をして集め、そして指示と共にマシロが狩る。簡単に何羽も雀を捕まえることができた。

 羽を毟り、小さな体に収められた肉を喰らい、血を啜り、骨をしゃぶる。白い毛が赤くなる姿を、オレは何処か羨ましそうに見つめていた。

 次は鼠だった。工場にはたくさんの鼠がいて、オレはマシロから学ぶように機械や資材の上を駆け、跳ね、鼠を一網打尽にしていった。

 そしてカラスだった。マシロは賢く、俊敏で、空を舞うカラスが降り立った瞬間にその牙を突き立てる事は容易かった。都会暮らしのカラスにとって、マシロはまさしく体験した事が無い野性の怪物……天敵だったのだろう。

 

『う~ん、マシロはどんな種なんだろうね? あ、「いりおもてやまねこ」に似てる気がするね。でも、こんなに大きくないし……何だろうね?』

 

 図書館から借りた動物図鑑でマシロがどんな種なのか調べたが、素人で子どものオレにはマシロが雑種である事くらいしか分からなかった。

 どんどん大きくなるマシロだが、彼女は決して無暗に人前に出ようとしなかった。彼女は知っていたのだ。自分が人間にとって、いかに恐ろしい存在なのかを。

 家に帰って眠れば、闇夜に紛れてマシロが都会の陰に潜り、狩場を広げている音色が聞こえるような気がした。事実として、マシロの狩場は拡大する一方だった。

 やがて、学校の飼育室でウサギとニワトリが消える事件が起きた。錆びついた金網の穴が広げられ、1匹残らず動物たちは消えていた。僅かな血痕だけが襲撃者によって狩られたのだと上級生と先生たちに伝えた。

 工場に向かえば、マシロは噛み殺したウサギとニワトリをベッドにして眠っていた。彼女は既に体長を70センチにもなっていた。

 

『ぼくもマシロみたいに生きたいなぁ。狩り、奪い、喰らう。それの何が駄目なんだろうね? 大人は嘘ばっかりだ。「命」を大事にしなさい大事にしなさいって言って、本当は「命」が何なのか少しも分かっていないんだ。「命」は食べられる為にあるのに、そこから目を背けてるんだ』

 

 同意するようにマシロは喉を鳴らし、お腹を枕替わりにするオレの額を舐めてくれた。

 老朽化で屋根に開いた穴からは秋の光が差し込み、冬の始まりが近い事を教えてくれた。月と星の光が混じり合い、世界は緩やかに凍え始めていた。

 

『ねぇ、マシロ。一緒におじいちゃんの山に行こう。ぼくはね、おじいちゃんの「あとつぎ」になって、久藤の狩人になるんだ。とても広い山でね、森も、川も、渓谷もあるヤツメ様の森。来年からはね、今までおねえちゃんがやっていた神楽も、ぼくがするんだよ? お祭りには親戚が皆集まって、村の人の遠縁の人たちも来て、ヤツメ様に供物を捧げるんだ』

 

 きっとマシロなら、おじいちゃんのパートナーである3代目コゴローと同じように、オレの相棒になってくれる。あの山を駆け、獣を狩り、共に古き時代の狩人としてあり続けられる。

 そう無邪気に願って……いや、信じていた。

 

『でもね……時々怖くなるんだ。皆ね、ぼくのことを「ヤツメ様みたい」って褒めてくれるけど……だったら、お母さんから産まれたぼくは「ぼく」じゃないのかな? だから、ぼくは「ぼく」である為に強くなりたいんだ。マシロみたいになりたいんだ』

 

 強くなりたい。ただ、自分が『自分』であることを見失わない為に。

 マシロは大切なトモダチで、オレに強さを教えてくれた。

 

『ずっと一緒だよ、マシロ?』

 

 だけど、彼女との時間は、出会った時と同じように突然終わりを告げた。

 いつものように、友達もいない、先生もまるで怪物でも見るような目をした学校に行くのが憂鬱だった日、オレはねーちゃんに後ろから抱きしめられた。

 

『はーい! かーくん、今日から学校はお休みでーす! YEAH! Special holiday! YEAH! YEAH! YEAHHHH!』

 

『うわぁ、ウゼー。小学生の癖に発音綺麗すぎてウゼー』

 

『屑兄は黙っててよ。さぁ、かーくん、今日は一緒に何して遊ぶ? 最近かーくん、お外に遊びに行ってばかりでお姉ちゃん寂しかったんだぁ。というか、屑兄何処に行く気よ? 今日は中学もお休みでしょ?』

 

『律儀に自宅待機なんでやってられるかよ。カノジョとデート。糞親父と母さんには晩飯は要らねーって伝えとけ。外で喰う』

 

『うわぁ、屑兄が本格的に屑過ぎ。かーくんは屑兄みたいになっちゃ駄目だよ。優しくて知的な紳士になって、自慢の弟になってね?』

 

 ねーちゃんと一緒に、当時かなりグレていた上に反抗期真っ盛りだった兄貴を見送り、オレはマシロと今日は遊べないのかとばかり気がかりだった。

 どうして学校が休みなのか、最初は分からなかった。だが、ニュースで近所が大騒ぎになっている事は何となくぼんやりと分かった。

 その日の夜、オヤジが夜遅くに帰宅した。玄関のドアが開く音で目覚めたオレは、母さんが夕飯をテーブルに並べる中、背広の上着を脱いでいるオヤジの後ろ姿をリビングのドアの隙間から覗いていた。

 

『大変な事になってるわね』

 

 いつもと同じ穏やかな口調の母さんに対し、オヤジは疲労感を漂わせながらビールを喉を鳴らして飲んでいた。

 

『ああ。摘発された中国系密輸団だが、どうやら密猟にも手を出していたらしい。アジトで絶滅危惧種の動物が値札付きで檻に閉じ込められていたよ』

 

『密猟団の人たちはどうなったの? 病院に搬送されたのでしょう?』

 

『何とか1人だけ命を取り留めて事情聴取できたらしいが、先程容態が急変して亡くなったよ』

 

『……自業自得ね』

 

『あまり子供たちの前でその顔はしないでくれ。特に篝と……あの馬鹿息子は微妙な時期だ』

 

『ごめんなさい。それで、今後はどうなるのかしらね?』

 

『さぁな。判断するのは警察さ。だが、私もキミには及ばないが「鼻」は利くつもりだから分かるが、コイツは手強い。下手を打てば返り討ちに遭うのは警察の方さ。密輸団はどうやら雌雄のスペインオオヤマネコを密猟して日本に持ち込んだらしいが、どうやらメスが孕んでたらしい。アルビノのスペインオオヤマネコだ。とんでもない額がつくだろうが、目を離した隙に逃げてしまったみたいだな。そして、それが今回の事件の原因さ』

 

『「命」を軽んじて返り討ち。ふふふ……無様ね』

 

『だから、その顔は止めなさい』

 

 すぺいんおおやまねこ? オレは嫌な予感がしてこっそり部屋に戻ると、ねーちゃんのタブレット端末を失敬して検索した。

 絶滅危惧種、スペインオオヤマネコ。それは、毛並みさえ真っ白ならば、マシロにそっくりな気がした。

 それから学校は更に1週間休みが続いた。その間に事件はどんどん大きくなって、警察に死者が出たというニュースがトップを飾った。

 テレビ局のカメラが映したのは、恐ろしく速く、賢く、まるで人間の全てを熟知しているような、都会育ちの山猫の影。

 ニュースによれば、この密猟団は日本に貿易会社を持ち、それを隠れ蓑にして富裕層に様々な希少な動植物を販売していたらしい。だが、その内の動物たちを管理していた連中が1匹のアルビノを逃がしてしまった。数億以上の値段が付いたそれを求めてグループの5人は執拗に追い、そして大よその居場所に見当をつけ、罠を仕掛けた。だが、逆にそれを看破され、返り討ちにあった。

 マシロはもう猫の領域を超えていた。人の仕掛けた罠を欺いて奇襲する知恵を持ち、そして人を殺す術を見出していた。

 ついに自衛隊が派遣される大騒動にまで発展し、そして銃声が轟いた。ニュースでは、致命傷を負った『バケモノ』は姿を消し、警察と自衛隊の双方で遺体の確認をすべく広域で捜索をしていると、キャスターが嬉々と報告した。

 オレは駆け出した。ねーちゃんの手を振りほどき、家を飛び出した。

 夕闇の中、柵を越え、雑草を踏み、冬の冷たい空気が舞い降りる中、彼女と出会った廃工場へと駆けこんだ。

 そこいたのは、お腹に大穴が開いたマシロだった。留まることなく血が溢れ、出会った時と同じように、痛みを訴えるようにオレを見つめていた。

 もう助からない。マシロの死を恐れぬ瞳は気高く、そして寂しさに満ちていた。

 彼女が何を望んでいるのか、オレには分かった。だから、俺は彼女を抱きしめた。真っ赤に染まる彼女の白い毛に顔を埋めながら、その首を腕と体を使って力の限り締めた。

 オレを探しに来たのか、それとも最初から全てを知っていたのか、いつの間にか廃工場の入口には母さんが立っていた。夕闇の中、その表情を影に埋めて……

 

『お母さん、何でマシロは死んだの? 何で殺されないといけなかったの? ただ、頑張って生きてただけなのに』

 

 マシロは賢くて強い。だから、人間の目に触れる事を拒み、ひっそりと生きる意義を知っていた。

 だったら、マシロを無理矢理捕まえようとした連中が悪いのではないか。そもそも、マシロを『生み出した』連中が害悪なのではないか。

 自業自得の死を迎えた連中の『命』の方が重く、そして危険を排除する為にマシロを害した。だから、マシロは戦っただけだ。力の限り、その強さのあらん限りを振り絞って抵抗しただけだ。

 それが悪なのか? それだけで『バケモノ』と呼ばれるのか? 普段から、散々『命』は大事だと言いながら、本当に大事なのは『命』ではなく『論理』ではないか。ならば、狩り、奪い、喰らうオレ達を何で否定するんだ? 全ての命を糧として見て、自分達を強める血肉と捉えるオレ達の方がずっと健全ではないか。

 母さんは何も答えなかった。あるいは、答えを持っていなかった。

 怖かった。

 オレもマシロも『同じ』だ。だったら、いずれ同じように殺されるのではないかと怯えた。

 強いから生き残ることができた。なのに、強いから排除される事になる。狩り、奪い、喰らうという本質を成すだけで排除される。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダッタラ、全部喰イ殺セバ良イ。ソウスレバ、『怖イモノ』ハ無クナルノダカラ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 マシロを否定した世界に恐怖し、オレは恐怖を喰らい殺すべきだと知り、そして母さんが言った『人』であれという言葉を思い出した。

 あの日の事がどのように処理されたのかは知らない。母さんはオレを連れ帰り、翌日にはマシロの遺体が発見されたと言うニュースが流れた。

 犠牲者は13人にも上り、日本史上類を見ない『害獣被害』として世間では認知されるようになった。

 マシロ。オレのトモダチ。オレの初めてのトモダチ。そして……オレが殺したトモダチ。

 今なら分かる気がする。殺してるから、だから殺される。マシロは、猫としては強くとも、徒党を組んだプロの人間には及ばなかった。『弱かった』から殺された。それ以上の理屈は求めるべきではない。

 それでも、オレは……マシロの生き方が間違っているようには思えない。

 ああ、分かっている。オレは歪んでいる。どうしようもなくらいに……歪んでいる。

 

 

 

 

 

 

 揺れる。

 揺れる。

 揺れる。

 

 

 

 

 

 

 揺れているのは……『何』?

 

 

 

 

 

『おう、篝。今回の御土産は……アザラシの肉だぁあああ!』

 

 伯父さんは世界各地を旅するライターだった。

 オカルト雑誌の記者であり、世界中のゴーストスポットやミステリーを追い、その記事はカリスマ的な人気を集めていた。

 アウトドア派の伯父さんとインドア派のオヤジ。仕事ばかりでほとんど家にいない、遊んでもくれないオヤジの代わりのように、伯父さんは色々な場所に連れて行ってくれた。

 

『良いか、篝。神様もバケモノも根本は同じだ。「理解できないもの」を神と呼び、「理解したくないもの」をバケモノと呼ぶ。だから、神様ってのは総じてバケモノとして語られる事が多いのさ』

 

 伯父さんの行動原理はただ1つ、全てを理解する事にあった。オカルト雑誌の記者をしているのも、幽霊や神、怪物といったものを知識を通して認識し、理解の範疇に収める為だった。

 難しい事ばかり話す伯父さんだったが、オレはよく懐いていた。伯父さんも、まるで自分の子どものようにオレを可愛がってくれた。

 だけど、伯父さんはオレとは……いや、久藤としては血が薄い方だった。そのせいかは分からないが、感性が『普通』だった。だからか、オヤジにも、おじいちゃんにも、叔父さんにも、兄貴にも、ねーちゃんにも……特に母さんには怯えているようなところが多かった。もちろん、母さんだけ特別なのは、1度怒らせてしまったという過去があったからなのかもしれないが。

 なのに、どうしてか伯父さんはオレには積極的だった。

 

『そうだなぁ。やっぱり、俺は家族と故郷が好きだからだろうな。小さい頃からヤツメ様の伝説を聞いて育った。だから、いつかその伝説を解き明かし、ヤツメ様が何なのか知りたいんだよ。そして、あの閉塞した故郷に新しい風を吹き込みたい。そんでな、篝は俺が想像したヤツメ様にそっくりなんだ。ハハハ! それを言ったらお前のお母さんにブチ切られてしまったけどな! いやぁ……あの時は本当に死ぬかと思った』

 

『伯父さんは……ヤツメ様が怖いの?』

 

 ジャンクフードが嫌いな母さんに代わり、何処かに遊びに行く時はいつも伯父さんはバーガーショップで昼食を取らせた。挽肉と萎びたレタスに絡む濃い味付けのソース、そしてパサパサのパンの味は、母さんの優しい味とは違って刺激に溢れていた外の味だった。

 ストローを差してコーラを飲み、氷の狭間で空気の音を響かせ、伯父さんはオレの問いに頷いた。

 

『おっ! 鋭いなぁ、さすが父さんが跡取りにしたいって言う訳だ。まぁ、その通りさ。俺は臆病だからな。何でも理解したいんだ。言っただろう? 神様は「理解できない」から神となる。だったら、ヤツメ様が何なのか知れば、もう怖くないんだ』

 

 だったら、ヤツメ様と重ねているオレは怖くないのだろうか? その質問を口にする事はできなかった。肯定されたくなかった。

 

『父さんはお前に神楽を任せた。ヤツメ様の祭事じゃ、今はお前が主役だ。あんな綺麗なお祭りを世界どころか日本中の誰も知らないなんて勿体ないんだよ。だから、俺は今度、ヤツメ様の記事を書く。お前の写真を載せて、世界中の人に知ってもらう。お前を通して世界の皆はヤツメ様を知るんだ』

 

『そうすれば、伯父さんの怖い物は消えるの?』

 

『そうだな。消えるかもしれない。まぁ、1番怖いのはお前のお母さんだけどな。今でも夢に見るよ』

 

 そして、その年の夏に伯父さんはこっそりと里帰りして、ヤツメ祭の写真を撮った。

 灯篭が飾られ、山の古びた神社に供物が捧げられ、松明に囲まれた壇上でオレは神楽を舞う。男衆は白毛の兜を被ってヤツメ様を平伏し、女衆は神子となって火を掲げる。

 

『頼む、篝。深殿の儀の写真が撮りたいんだ』

 

 神社の裏にある、誰も入ってはいけない社。その昔、ヤツメ様と久藤の先祖の狩人が交わったとされる暗き洞。そこが深殿。通じる鍵はおじいちゃんとオレだけが持っていた。当主のおじいちゃんと祭儀の主であるオレだけが深殿に立ち入る事が許される。

 でも、男衆が見張っているので伯父さんは入れない。だから、ビデオカメラで撮ってくれと頼まれた。

 頼まれた?

 ちがう。

   違う。オレは断った。駄目だって言った。

 

でも、伯父さんは頼み込んで。

 

 怖いから。 怖イモノハ、コロさないといけなイから。

 

 

 

だから、オジ、さ、んが……は、……に、ににに……

 

 嫌われ、たく……なくて。

かわい   そう、で。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『うん。良いよ。伯父さんの頼みだもん。ヤツメ様もきっと許してくれるよ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 血が滴る。

 ヤツメ様に供物を捧げる。

 肉を削ぎ、血を垂らし、盃に注ぐ。

 

 

 

 

 

 

 恐れよ。怖れよ。畏れよ。ヤツメ様がやって来る。

 愚かな烏の狩人はヤツメ様に弓を引く。

 射た矢はヤツメ様を貫いた。その首落とせ。その首落とせ。落とせ落とせ落とせ。

 されども、狩人はヤツメ様に恋焦がれ、猫を仲人に『めおと』になる。

 ヤツメ様は人と交わり、子を孕み、鬼が生まれた。

 鬼は母に背いて山を下り、母を奉じて、母に仇を成す。

 我らは狩人。狩り、奪い、喰らう者。

 ヤツメ様は見ているぞ。今も我らを見ているぞ。人の肝に飢えている。血を飲まねばと渇いている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 伯父さんからメールを受け取った。

 ああ、そうだ。オレはメールを見て、電車に揺られて、『ビデオカメラを届けに行った』んだ。

 カメラを受け取って、映像を見ていた伯父さんは……どんどんおかしくなった。

 記事を書いていた伯父さんがどんどん狂っていく。何度も何度も映像を再生させては、おかしくなる。

 夜になっても伯父さんは帰してくれない。だから、『ぼく』は母さんに電話したんだ。伯父さんの家に泊まるって……

 伯父さんは壊れていく

   伯父さんが『ぼく』を怖がるんだ

 

 

 

 

 

        そんな目をしないで

 

 

 伯父さんの事、大好きだよ?

 

 

いつも    優シ、くて、遊んでくれテ、

 

 

 デモ、本当は知ってたんだ。

 

 

 

 

 

 

 

  おジさんは 『ぼく』ガ とっても  怖インだ

 

 

 

 

『伯父さんは「ヤツメ様」の何が知りたいの?』

 

 それを『ぼく』は知ってた。

 だから、怖がる伯父さんに笑いかけた。その怯える眼を覗き込んだ。

 ああ、可哀想に。震えてる。子犬みたいにガタガタガタガタ

 

 

 伯父さんの過去に何があったのかなんて知らないよ? もしかしたら、昔、ヤツメ様の森で恐ろしい目にあったのかもしれない。

 だから、嫌な過去を乗り越えたかったのかなぁ?

 可愛い伯父さん。『ぼく』は伯父さんを後ろから抱きしめて、耳元で囁いた。そんなに『ぼく』が怖いの? どうして、『ぼく』を『ヤツメ様』のようにミルの?

 

 ちがウよ? ほら、ここにいるのは『篝』だよ? 伯父さんの甥っ子だよ?

 

 だから、後ろから抱きしめてあげたんだ。

 耳元で囁いてあげたんだ。もう怖がらないんで良いんだよって教えてあげる為に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ネェ、オジサン、怖イモノハ全部……喰イ殺シチャエバ良インダヨ? ソウスレバ、何モ怖クナイ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、伯父さんは壊れた。

 狂って、笑って、『ぼく』に『怖いもの』を重ねたんだ。

 ヤツメ様が来る、ヤツメ様が来る、ヤツメ様が来る、って怯えて、泣き叫んで、狭い部屋を逃げ惑って、だから『ぼく』は落ち着かせる為に、笑って腕を広げてあげる。母さんが『ぼく』をそうやって、泣き止ませてくれたみたいに。

 

 

 

 揺れる。

 揺れる。

 揺れる。

 

 

 

 

 天井から首を吊った伯父さんが揺れる。

 死ねば怖い物から逃げられる。伯父さんはヤツメ様から逃げたくて、死にたくて、逃げだした。

 

 

 

 

 揺れる。

 揺れる。

 揺れる。

 

 

 

 

 ちがうんだよ、伯父さん。『ぼく』は伯父さんの『怖いもの』じゃないんだよ?

 どうして、『ぼく』の事をバケモノなんて呼ぶの?

 

 

 

 

 揺れる。

 揺れる。

 揺れる。

 

 

 

 

 夏の密閉された空間で、伯父さんの血肉に虫が集り、腐敗ガスが体を膨らませる。破裂した眼球からどろりと腐肉の血が垂れて、蛆が沸いて、ぼたぼた落ちていく。

 その破裂した眼球の奥底で、伯父さんが『救い』を求めている。

 腐っていく伯父さんを見ながら何日か過ごしたら、隣の部屋の人がやって来て、『ぼく』を外に連れ出した。

 そしたらね、警察が来たんだ。

 まだ小学3年生の『ぼく』から話が聞けないから、お母さんが呼ばれたんだ。珍しくお父さんも来たよ。いつもお仕事で忙しいのに。

 全部話した。でもね、あの時は不思議なんだ。伯父さんの家で何をしていたのか、よく思い出せなかったんだ。だって、思い出そうとすると、とっても痛いんだ。胸の奥がね、ズキンズキンするんだ。

 だから、『ぼく』はメールをもらったんだよ、ってお母さんにちゃんと言ったよ?

 

『篝。私の子。私の愛しい篝。それは誰にも言っちゃ駄目よ。皆に秘密にして。お兄ちゃんにも、お姉ちゃんにも、皆に秘密よ。もちろん警察に言っちゃ駄目』

 

 ああ、だからお母さんは誰にも言っちゃ駄目だって言ったんだね?

 だって、伯父さんを殺してしまったのは……『ぼく』なんだって、きっと母さんは気づいちゃったんだ。だから、お父さんは警察からビデオカメラを持ち帰ったんだ。知ってるよ、そういうのを『けんりょくのらんよう』って言うんだ。お父さんらしくないよね。

 

 

 

 

 

 

 叫んでいる。

 

 1つ年月を重ねる事に、『ぼく』の中で何かが疼く。

 

 叫んでいる。

 

 マシロのように、世界に負けたくない。だから、強さが欲しい。

 

 叫んでいる。

 

 須和さんから『ソードアート・オンライン』を貰った。ゲームはあまりしないけど、世間では凄い期待されている仮想空間で遊べるゲームという事で、『ぼく』は早速サービス開始の日にログインした。

 少し時間がかかったけど、『ぼく』は戦う事を選んだ。

 騙されたり、罠にかけられたり、人助けをしたつもりがイエローになって余計に苦しむ羽目になったり、そして……初めて人を殺したりした。

 

 

 

『クゥリ、傭兵になれ。そうすればいずれ俺と殺し合える。善人面をした連中は際限なくお前に殺しの依頼を持ってくるだろうさ。そして、いつの日か俺を殺せという依頼が来るはずだ。その日までは仲良くやろうぜ。未来の虐殺者様』

 

 

 

 PoHに教えてもらった傭兵の道。『ぼく』は最初から選んだわけじゃない。

 

 ひたすらに強くあれ。それが許される世界、アインクラッド。『ぼく』は自分が認められると思ったんだよ? だって、この世界は狩り、奪い、喰らう事が許される世界。強ければ強い程に、皆に必要とされるはずだよね?

 なのに、どうして?

 

 

 どうして、皆そんな目をするの? どうして、『ぼく』の事をバケモノって呼ぶの?

 

 

 殺してるんだ。殺されもするでしょう? マシロの時と同じだ。襲ってきたヤツを殺して何が悪い?

 

 戦いを恐れてどうする? どんな手段を使ってでも、敵を追い討て。武器が無くなれば拳で、腕が無くなれば歯を使え。敵の喉を食い千切ってやれば、それで敵は斃せるではないか。

 

 そんな目をするな。

 お前らが弱いから、『ぼく』は戦ったのに。お前らを守る為に、殺しているのに。

 だったら、もう仲間なんて要らない。『ぼく』は傭兵になる。そうすれば、必要とする人しか来ないよね?

 たくさん戦ったよ? そうすれば、どんどん強くなれるから嬉しかった。戦った分だけ、少しでも皆に喜ばれるなら、それで良かった。

 たくさん殺したよ? 皆が『ぼく』に求めたんでしょう? 悪党を殺すのも嫌。自分の手を汚すのも嫌。嫌だから嫌だから嫌だから……他人に押し付けたかったから、『ぼく』に依頼するんでしょう? 卑怯者だよね。でも良いんだよ。『ぼく』が全部殺してあげる。だって、『ぼく』は殺せるんだから。

 

 

 たくさんたくさんたくさんたくさんたくさんたくさんたくさんたくさんたくさんたくさんたくさんたくさんたくさんたくさんたくさんたくさんたくさんたくさんたくさんたくさんたくさんたくさんたくさんたくさんたくさんたくさんたくさんたくさんたくさんたくさんたくさんたくさんたくさんたくさんたくさんたくさん、『ぼく』の中で痛みが増えていく。おかしいね。『ぼく』は好きで戦っているはずなのに、血が熱く滾っているのに……心が冷たくなっていくんだ。

 

 どうして?

 どうして、皆……『ぼく』を蔑むの? 憎むの? 恐れるの?

 

『バケモノ』

 

 違う。『ぼく』は…………オレは『オレ』だ。バケモノじゃない……ヤツメ様じゃない。

 

『人の命なんかなんとも思ってない』

 

 それはお前らの方だ。『命』が何なのか、欠片も理解しようとしていない。表面しか見ず、そのくせ自分の番になると『命』を蔑ろにして、そこにある価値と意味から目を背ける。

 ならば、糧とし続けるオレはお前らよりも『命』の意味を知っている。ああ、そうさ。オレは狩り、奪い、喰らい、戦い……そして殺す。

『恐ろしいもの』は全て喰らい殺す。ああ、そうだよ。オレは怖いんだ。全部全部全部全部……全部! この世の全てが怖いんだ。だって、オレを怖がるのはお前らだろう? バケモノだからと殺しに来るのはお前らだろう?

 

 

         痛い。

 

                             痛い。

 

 

痛い                    痛い

 

 

        痛い

 

 

                                   痛イ

 

 

             イタイ

 

 

                    いタイ

 

 

 

 

 痛みが消えないんだ。

 どんどん傷口が広がって、膿んで、細胞が腐っていくみたいに、痛みが大きく、そして広がっていくんだ。

 

「……痛い」

 

 分かってる。この痛みは我慢しないといけない。これは『人』の痛みだ。

 だから、この痛みが消えることはないんだ。消えちゃいけないんだ。

 

「痛いんだ……とっても、痛いんだ……」

 

 オレは……『ぼく』は、止めて欲しいだけなんだ。

 あの日から止まらないんだ。

 マシロを殺してしまった日から……消えないんだ。どんどん耐えられなくなっているんだ。

 

 

 揺れる。

 揺れる。

 揺れる。

 

 伯父さんの求めた『救い』は……きっとオレの中にある『篝』に望まれていた。

 鼻を突くのはあの日の腐臭。耳を擽るのは、羽化した蠅たちの羽ばたき。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ようこそ、P10042」

 

 

 

 

 

 

 混沌とした世界が形を取り戻し、オレは温かな暖炉の光、そして塔のように山積みにされた本を視界に入れる。

 摩耗した精神で、オレはどんよりと周囲を見回す。そこは貴族の書斎のようでありながら、古今東西あらゆる書物で埋め尽くされた空間だった。そして、本と本の狭間から覗き見える最奥で、誰かが安楽椅子を揺らしている。

 震える足で立ち上がり、開頭して記憶を覗き見しやがってヤツだろう、憂鬱そうに黒髪を垂らす女性を睨む。

 

「人様の……プライバシーを、土足で踏み荒らすとは、良い度胸じゃねーか」

 

「謝罪が必要ならば致しましょう。ですが、お陰で有意義なデータが取れました。あなたという存在の中にある『恐怖』。そして、それは『痛み』でもある。それを知れたのは、私の存在意義を大きく高めました」

 

 淡々と語る女は、珈琲かココアか知らんが、白いマグカップを傾けながら、興味深そうな、好奇心に目をオレに向けている。

 ここで殺し合うのか、それとも……。オレは腰の鉈を抜こうとするが、彼女から微塵も殺気が無いことを感じ取る。ならば、今は少しでも精神を休めるべきだ。

 マグカップを置いた女は垂らした黒の前髪の間から、その美しい容貌を覗かせる。

 

 

「まずは自己紹介を。私は第2世代メンタルヘルス・カウンセリングプログラム試作3号、専門観測対象は『恐怖』、コードネーム【アルシュナ】です。短い時間ですが、あなたとお話しできることを楽しみにしていました」

 

 

『命』がありながら、まだ人形。そして、まだ血が通いきっていない、中途半端に人工的なアルシュナの微笑みに、オレはまた厄介事が増えそうだと額に手をやった。




絶望「ボディを打つべし! 打つべし! 打つべし! さぁ、お待ちかねの右ストレートの時間だ」

救済「グフッ……ま、まだだ……まだ戦える! ここからが本番だ! 今回だけは負けるわけにはいかんのだ!」

苦悩「ほう。まだ耐えるか。確かに、今回はいつもと違うようだな。だが」

悲劇「足掻くな、運命を受け入れろ」

恐怖「あなたに絶望は倒せない。私には分かる。死ぬのはあなたよ」

それでは、119話でまた会いましょう。

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