SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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雑談ですが、主人公交代ものって結構好きです。
第1部の主人公が歩んだ道のりに残された物を感じ取りながら、第2部の主人公が前主人公の成せなかった事を引き継いだり、別の答えを出したり、と比較したら対照的な道のりを歩んだりしますよね。
そういう意味では息子とか弟が第2部主人公になるのも良いですが、相棒とかが主人公を引き継ぐのも意外と面白いです。海外ドラマとかの群像劇ものではそういう展開が多い気がしますね。


Episode13-20 再誕

 もはや1歩すら重く遠い。

 直進もできず、後退もできず、跳ぶ事もできず、ただひたすらに剣を杖代わりにしてバランスを保つ以外に無い。

 高速で動き回るレギオンを目で追う事すら敵わず、オレはまともに動かせるとも言い難い右腕に全神経を集中させ、スタミナ切れの頭痛と窒息感に挟まれながら、斬撃で以って迫る氷の礫を弾く。

 

『Aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaah!』

 

 ケイタが変形して生み出されたレギオンは、その背中から氷の脊椎のような物を4本伸ばし、尾のように振るってくる。武器を持たず、手は氷の籠手で覆われているが、それらには氷の鋭い爪が付き、その肥大化した太腿に支えられた足は雪を踏みしめて駆けていた。

 迫る4本の氷の脊椎はその関節を外すようにして伸び、内部のどろりとした水銀のような青銅色をした液体が靭帯となり、アウトレンジから格闘攻撃を仕掛けてくる。それを黎明の剣で迎撃しようとするが、1発の重みに片手では耐えきれず、オレはあえなく押し飛ばされる。

 雪が舞い上がる。本能が叫ぶ。もはや無意識に等しく背後へと斬り上げを放つも、レギオンはそれをまるで最初から見切っていたかのように体を捩じって回避し、その3メートルの巨体でオレに飛びかかる。

 焦がす。関節が圧縮されるように悲鳴を上げる。脳がアバターを再度支配下に置こうと足掻く。

 バランスを保てずとも良い。駆け続けろ。

 

「ウわぁアアアアアァあああああ!」

 

 喉から漏れる絶叫と共に、オレは再度アバターの全身に血が通うように、脳がコントロールの糸を張り巡らしていく事を感覚で理解する。

 もう1度だけ、引き受けてくれ。運動アルゴリズムが処理するはずだった負荷を! 溶けるような高熱を脳に感じながら、オレはレギオンの爪を掻い潜り、その腹に斬撃を浴びせようとする。

 だが、レギオンはこれもまた回避する。その4本の脊椎を地面に突き刺して体を引っ張り、オレの斬撃から逃れたかと思えば、そのまま再度踏み込んできて大顎を開ける。肩を食い千切られそうになるのを体を逸らして躱し、そのまま左拳で顎を打とうとするが、咄嗟に顎を引き上げたレギオンはこれも回避する。

 やはり見切られている。オレは駆けてレギオンと距離を1度取ろうとするが、最初から移動方向が分かっていたかのように、雪の下を先行していた脊椎が伸びて鞭の如くオレへと振り下ろされる。

 ポリゴンの欠片が散る。もはや刃としての機能を失いつつある黎明の剣は、よくぞ形を残しているものだと褒めたくなるほどに破損が広がっている。

 オレはいつの間にか左膝を着いていた。何故? 理由などもはや必要ない。脳が再びアバターの統制を失い始めただけだ。オレは左足を引きずる様にして立ち上がり、伸びる脊椎の乱舞を潜り抜けて再度の接近を試みるも、レギオンの口内に潜む目玉、そこから青の光が放出されるのを目撃して体を地面に伏せさせる。

 天使が使用したレーザーを口内から放ち、更にそれを首を振って薙ぎ払いにレギオンは変える。更にその背中から背びれのように伸びる氷の突起物から、感知して爆発する光球すらも生み出してばら撒き始める。

 レギオンが疾走する。左右へと曲線を描くようにして、オレに見切られないように揺さぶりをかける。動く右足で踏み込み、オレはあえて間合いを自発的に詰めてカウンターを狙うも、これまたレギオンは咄嗟のバックステップで回避し、お返しとばかりに大気を揺るがす咆哮でオレを吹き飛ばす。

 モンスター専用スキル≪ハウリング≫まで所有しているのか。効果はモンスターによって様々であるが、レギオンの場合は周囲の雪を吹き飛んだ事から、自身の周囲に圧力をかけて押し退けることができるのだろう。幸いにもダメージ効果は無いが、スタン蓄積能力はあると見て間違いない。

 咆哮で吹き飛ばされながら、オレは最後の松脂を使って黎明の剣にエンチャントをかける。もう茨の投擲短剣も火炎壺もなく、武器は正真正銘、黎明の剣と血風の外装のみだ。

 雪で形を取り、氷で外殻を作るレギオンならば、火炎属性の通りも良いはずだ。これが文字通り、最後の切り札になる。もはや血風の外装の【竜血の解放】はチャージが間に合わない。

 左足を引きずりながら、左手をぶら下げながら、オレはレギオンへとにじり寄る。対してレギオンは両手を地面につけ、まるで獣のように四足になるとオレを旋回しながら、4本の伸びる氷の脊椎の間に次々と氷の礫を生み出し、射撃攻撃を開始する。

 黎明の剣を振るう度に炎が舞い、氷の礫がオレに到達するより先に溶解する。どうやら低威力らしい氷の礫は火炎属性エンチャントには単発火力は及ばないらしい。

 ぞわりと首筋を殺気が撫でる。咄嗟に横に跳べば、いつの間にかレギオンが雪中に伸ばしていた脊椎が足下より霜柱の如く伸びた。それだけではない。あらかじめ、オレの回避ルートを割り出していたかのようにサイドステップを踏んだ場所へと氷の礫が集中し、オレはその場に黎明の剣を突き立て、身を隠すようにその両手剣にしては細身の刀身より揺らぐ炎を壁にする。

 仮に松脂でエンチャントしていなければ、今の氷の礫は回避も防御もできなかっただろう。スタミナ切れの状態に加え、レギオンは余りにもこちらの動きを予測し過ぎている。

 戦闘を将棋やチェスに譬える人間がいるが、それはあくまで『人間の感覚』からの表現に過ぎない。実際の戦闘では、AIがこちらの動きを分析し、何手も先まで読めるというのは滅多にない。

 間合い、体勢、攻撃軌道、回避や防御の選択、盤上のルールに則ったチェスや将棋ならばAIが人間を下すことが容易な時代であっても、仮想世界の戦いにおいてAI側は人間に追いついていない。だからこそ、優秀なオペレーションを組んで、プレイヤー側の大まかな動きに対応するパターンを生み出すのがVR戦闘用AIだ。だが、プレイヤー側はそんなAI側のオペレーションを解析し、パターン化する事によって攻略しようとする。

 だからこそ、『命』あるAIはプレイヤー側にとって脅威だ。それは生命であり、限られたオペレーションに従わない、パターン化して見切れない存在だからだ。そして、1つの生命だからこそこちらの動きを分析して即座に対応する方法を編み出そうとする。故にオレは茅場の後継者が『命』あるAIを続々とDBOに導入しているのだと思っていた。

 だが、レギオンはその範疇を超えている。明らかにオレの『殺気』とも言うべきものを感じ取り、回避行動を先取りし、攻撃の準備すら整えている。

 

『AaaaaaaaaaaaaaaahahahahahaAhahahahahahaahahahaha!』

 

 雄叫びと思ったそれは、笑い声だった。

 レギオンの口から漏れるのは、目の前の『獲物』に喰らいつけるという歓喜。もはや、そこにケイタという囚人の残滓はない。

 迫るレギオンがオレの腹にめがけて蹴りを放つ。それをバックステップで回避しようとするが、その蹴りを回転力に変じさせてレギオンは背中から伸びる4本の脊椎を伸ばして振るう。それは側面から面攻撃となって襲うも、オレは黎明の剣を脊椎と脊椎の隙間に押し込んで広げ、跳躍して身を横にして作り上げた隙間に跳びこませる。そのまま側転して立ち上がりながら斬り上げを放つも、レギオンは右手の爪の籠手で受け流し、逆に左手の爪をオレの頭へと振り下ろす。

 黎明の剣を掲げて防ごうとするが、それはブラフ。ガードの体勢を取った瞬間に膝蹴りが横腹に迫り、オレは体を捩じって回避するが、次いだ地面から伸びた脊椎の鞭を回避しきれず、宙で何とか剣を振るって相殺しようとするが威力差で弾き飛ばされる。

 天使ならば数発は入れられたはずの攻撃が届かない。スタミナ切れで動きのキレを失っている事を鑑みても、レギオンの動きは余りにも鋭く、またこちらの攻撃を全て予想して戦術を組み立てている。

 

「ああ、懐かしいな」

 

 この感覚は分かる。憶えている。

 兄貴とは良くじゃれ合ったものだ。オレが自分の外見にコンプレックスを抱き始めた頃、男らしさに憧れ空手部(とはいえ、喧嘩や素行不良でほとんど部からは追放されていたらしく、大会にも出ていなかったらしいが)だった兄貴から教えを受けた頃だ。

 兄貴もオレと同じで本能的な人間だ。だから、一々教えるのも面倒だから殴り掛かって来いと言った。

 だから、オレ達は、まるでネコ科の子供が互いに遊び合って戦い方を学ぶように戯れた。

 兄貴は強かった。オレよりもずっと男らしくて、カッコ良くて、体格も優れていた。細身で筋肉量が足りずに軽いオレでは、どう足掻いても兄貴に追いつけなかった。だから、その全身を使い、本能を研ぎ澄まし、兄貴を超えようとした。

 でも、兄貴もオレと同じだ。常にこちらの動きを先読みし、戦意や殺気を感じ取っていく。

 レギオンからも似たようなものを感じる。オレのプログラム……本能を再現しているならば、何となくだがヤツを支配している物が分かる。

 理性を焼き尽くすような戦いへの渇望。衝動的な殺意。相手を殺す為の動きへの追及。それがレギオンに組み込まれ、オレの攻撃をAI特有の情報処理能力の高さを活かして解析し、即座に対応手段を講じているのだろう。

 機械が人間を超える。それはコンピュータが発達し始めた頃から人間の思考に植え付けられた危機感。自由な思考と発想が許される人間をAIが超えられるはずがないという盲信。今まさに、狩人の血が機械の冷たい脳の中で再現されている。

 

 

 

 

『もう、誰も「狩人」を必要としていないかもしれないわね』

 

 

 

 

 思い出したのは母さんがオレの手を引いてくれた感触、そして口にした諦観とも悲観とも屈辱とも取れる言葉。

 母さん、もうオレ達みたいな……ううん、オレみたいな時代錯誤の狩人は、もう古いだけの遺物なのかもしれない。ヤツメ様から受け継いだこの血すら、電子の海で再現できるのならば、もはやオレ達は不要なのかもしれない。

 エンチャントが切れる。もはやレギオンの動きに対してオレが追い付けていない。

 コートを脱いで、天使の羽攻撃を防いだように氷の礫を弾き飛ばすも、それに紛れて4本の脊椎が絡み合い、1本の槍と化してオレへと伸びていくのをぼんやりと眺めていた。

 

『Ahahahahahahahahahaha!』

 

 レギオンの笑い声が木霊する。

 これまでオレを支え続けてくれたグリムロック謹製コートが千切れていく。絡み合った脊椎がその鋭い先端をオレの腹に突き立てていく。HPが減少していく。もう、それは止まる事が無いだろう。

 コート越しに脊椎の攻撃を浴びて突き刺さられ、宙へとぶらりと浮いたオレは涎を垂らすレギオンへと嗤いかけた。

 これからはオマエがオレ達の業を背負っていくのか。母さんも、兄貴も、ねーちゃんも……きっと、おじーちゃんだって悩み、向き合っていた血の疼きなどに悩まされず、その狂える衝動に何ら理想も信念もなく、『祈り』も『答え』もなく、支配され続けるのか?

 投げ飛ばされ、巨大な捻じれた樅木の幹に叩き付けられそうになるが、オレの体は馬鹿みたいに抗おうと受け身を取る。衝撃を最小限に抑え、オレはずるずると幹へともたれかかるように倒れた。

 ここまで、良く戦えたものだ。コートがポリゴンの欠片となって砕け散り、空へと舞い上がっていく中、ふわりふわりと落ちる雪の夜空を見上げる。

 

「戦って、戦って、戦って、そして死ぬ。オレは……ずっと、前から……こんな日を……」

 

 黎明の剣を握る右手を伸ばす。ボロボロの刃に、オレは今までの戦いを重ねていく。

 アインクラッドでの独りで戦い続けた傭兵時代。

 心の奥底で殺したいと望んでしまった『アイツ』の相棒だった、死闘の日々。

 仮想世界から帰還し、直葉ちゃんのお陰でようやく『普通』というものを目指そうと立ち直れた、退屈だったが本能の疼きを忘れられた大切な時間。

 DBOで再び始まったデスゲームの中、あっさりと手に入った、SAOで望んでやまなかったはずの『仲間』。ディアベルとシノン。

 誇り高き王としてオレ達に戦いを挑んだ、『命』あるAIとなったコボルド王。

 死しても貫くべき善性をオレに教えてくれたクラディール、そして救われぬ者に手を伸ばした高潔なるキャッティ。

 復讐の為に全てを投げ出し、オレに必殺を叩き込んで来たレイフォックス、ツバメちゃん、スカイピア。

 地下の奥底に囚われ、孤独の中で震えながらも立ち上がる事を選んだユイ。

 常に煙草を咥え、口を開けば皮肉や嫌味が飛び出すが、戦場に置いて信頼に値するスミス。

 全てに裏切られ、利用され、それでも蜘蛛姫への忠誠を貫き続け、『祈り』に殉じたカーク。

 その秘めた力は『アイツ』にも匹敵するだろう、心に執着心のようなものが疼く強さを持った黒紫の少女。

 愛する人を守る為に命を投げ出し、因果応報に呑まれて散ったエレイン。

 そして……サチ。オマエをオレは救えない。それどころか、言葉を投げかける事も出来ないまま、こんな場所で死んでいく。

 結局、オレは『祈り』も『答え』も見つけられなかった。だが、そんな中途半端で、理不尽な『終わり』こそがオレには相応しいのだろう。

 瞼を閉ざし、赤黒い光になって飛び散るのを待つ。もうHPは失い尽される頃だ。

 死とは『命』の循環であり、オレはレギオンの糧となった。ヤツの方が捕食者として上だった。それだけだ。そこに後悔も無念も無い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『どうやら苦戦しているようだな、我が好敵手よ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 瞼を開く。

 それは忘れる事ができない、オレの宿敵。そして再戦を誓い合った黒き騎士の声。

 だが、都合よくヤツが現れるはずがない。だから、これはオレの走馬灯。ヤツが混沌の三つ子との戦いに乱入してきたときの言葉が蘇っただけだ。

 どうして、最後の最後があの野郎の言葉なんだ?

 どうして、オレは笑っているんだ?

 どうして、立ち上がろうと足掻いているんだ?

 黎明の剣で雪を削りながら、オレは震える両足で立ち上がる。HPを確認すればレッドゾーンで点滅し、まだ数ミリ分残している。

 この仮想世界から消え去っていくコートはポリゴンの破片を雪が混じった風の中で揺らし、『それ』を光らせていた。

 

「……そうだな。そうだよな」

 

 オレは『それ』を握りしめる。あの瞬間、脊椎の槍がコートを貫いた時、胸ポケットに入れていたこれが盾となり、ダメージを軽減させたのだろう。

 紫色の破壊不能オブジェクトの光を残しながら『それ』は……黒猫の鍵はオレの手の中で冷たく、あんなにも軽かったはずなのに、重く掌にのしかかっている。

 その零れる紫の光は……まるでサチを救ってくれと叫んでいるかのようだった。

 

「……傭兵は裏切らない。必ず約束を果たす」

 

 サチ、オマエの『答え』はまだ出ていない。確かに、記憶は偽りだとしても、その心に宿る『アイツ』への想いは本物だという『答え』が必ずあるはずだ。

 オレはオマエを守らないが、火の粉くらいは振り払ってやると言った。だから、今オマエを焼こうとしている絶望の火を払い除けてやる。

 立ち上がらせてくれてありがとう、ダークライダー。オマエはオレとの戦いを望んでいる。オレもオマエとの決着を望んでいる。

 オレもオマエも同じだ。オレとオマエの違いと言えば、現実世界と仮想世界のどちらで生まれたかという区切りだけだ。

 あんな『紛い物』にオレが敗れるなど、オマエの失望を買うだけだよな。

 

「オレは……『強さ』が欲しかった」

 

 レギオンが咆哮を上げる。再び、氷の脊椎がオレへと伸びる。

 戦え。本能が叫び散らす。

 戦え。理性が祈りの果てにあるものを求める。

 戦え。記憶に刻まれた、今まで殺してきた全ての『命』が呪う。

 

『良いか、クゥリ』

 

 蘇るPoHの言葉。先程は不鮮明だったそれが、今はクリアに脳裏を駆け、脳を通して広がっていく。

 あれはPoHと出会って1年経った頃、オレが彼から穿鬼の手解きを受けていた時だ。

 ヤツはオレの動きに何か違和感を覚えた。そして、1つの結論を出した。

 

『オマエのVR適性は劣等だ。だから、根本的にオマエの反応速度は成長しない』

 

 多くのプレイヤーは仮想世界に馴染んでいく事によってVR適性が拡張し、反応速度が飛躍的に上昇していく。『アイツ』などその顕著な例だ。

 だが、オレの反応速度はまるで成長していなかった。それをPoHは見抜き、幾つかの動きをテストさせると、楽しげに喉を鳴らして笑った。

 

『運動アルゴリズムとの齟齬、フルダイブ不適合……FNC判定までギリギリってところか。お前は気づいてないだろうが、五感に幾つかラグがあるな。それに、不適合だからこそ反応速度の成長も見られない。むしろ、そんなボロボロでよくぞ戦えるものだな』

 

 事実として、現実世界に帰ってからオレのVRログを確認した須和さんは、オレのVR適性をD+と判定した。判定Dからが俗に言うFNC状態であり、大多数の人間は判定CからC+を得られ、運動アルゴリズムとも最小限のストレスで脳と連動し、またラグも抑え込める。

 

『お前の見切りの速さ、戦闘に適した驚異的な「反射速度」、それに劣等のVR適性で上位に食い込む反応速度、そしてステータスを活かす肉体制御か。現実世界……脳自体が異常だな。戦いの為だけに作られてるみたいなもんだ。だからVR適性が劣等のせいで「削ぎ落とされて」も十分に戦える。やはりドミナントだな』

 

 当時のオレはPoHが小難しい話をしている以上の事は何も考えていなかった。だから、無邪気に尋ねた。

 どうすれば『現実世界と同じ状態』になれるのか、と。

 すると、PoHは珍しく難しい顔をして数分間顎に手をやったり、うろうろと周囲を歩いたり、腕を組んで木にもたれかかったりして、やがて結論を出した。

 

『さっきも言ったが、運動アルゴリズムを通してアバターを脳が本来の肉体と同じように制御している。運動アルゴリズム無しじゃアバターを普通の体のように動かせない。当然だな。人間の脳は人間の肉体を動かす為にある。仮想世界に「似たお人形」を作っても、それと脳はミスマッチしているのさ。それを完璧に、運動アルゴリズム無しで脳で支配するとなると……「受け入れるしかない」な。茅場すらも直接接続を諦めた「致命的な精神負荷」って奴をな』

 

 搭載された運動アルゴリズムを通して脳はアバターを制御している。VR適性とは、フルダイブのストレス耐性と運動アルゴリズムとの適合性である。VR適性は先天的なものであり、ある程度の適性があればフルダイブ時間によって拡張されるが、逆に適性が無い者は何処までも底辺のままだ。

 

『だが、そうなるとまともに戦えないだろうさ。何せ、脳が精神負荷で焼かれる。幾つかの実験レポートでは、思考に極度の乱れが生じたそうだ。茅場もその問題点が分かった時点で非人道的な実験はしなかったから詳細な研究は公にはされなかったが、ナーヴギア発売後に幾つかの国が運動アルゴリズムを除去した接続実験を行ったらしいが、脳が破裂するような頭痛、首が絞められているような窒息感、全身を焼かれるような高熱を体感したそうだ。正常な判断能力も失い、自己喪失状態に近しかったらしい』

 

 非人道的な実験について、どうしてPoHが見識を持っているのか。その疑問をオレは口にしなかった。

 きっと、PoHからすれば、仮想世界という得体の知れないものに脳を無知のまま任せるという行為自体が失笑ものだったのだろう。彼にとって、こうした殺し合いすらも心の何処かで可能性として留めていた予想の1つだったのかもしれない。

 

『だから、致命的な精神負荷を受け入れて戦うには、その汚染に抗うだけの「戦う」という理由が脳に残されていないといけないだろうさ。そこまでしても、別に強くなるわけじゃない。単に脳が完全に運動アルゴリズム無しでアバターをコントロールするだけだがな。だが、戦闘適性の高いお前ならば、「本来の脳」の能力を引き出せるかもしれないな。だが……』

 

 心底楽しげに、嬉しそうに、まるで未来を予想しているかのように、PoHは口元を歪めた。

 

 

 

 

『……それは「人間」の領域じゃない。「バケモノ」の力だ』

 

 

 

 

 ずっと、否定したかった。

 オレは『オレ』だから。オレは久藤 篝という人間だから。母さんの胎に宿った1人の人間だから。

 でも、それも今日で終わりにしよう。

 カーク、オマエが正しかったよ。どんなに否定しようとも、どれだけ抗おうとも、オレが『オレ』である以上、『それ』を認めねば先には進めない。戦えない。

 

「サチ……オレにはオマエを救えない。だけど、『アイツ』を想うオマエの『祈り』だけは守ってやる。オマエ自身が否定しようとも」

 

 戦う理由など必要ない。オレが『オレ』である限り、戦い続けるのだから。殺し続けるのだから。

 

「ヤツメ様……もう、オレは何も要りません」

 

 それでも、オレは捧げたかった。

 

「『今日』は特別な日だから。だから、戦わせてください。サチも、『アイツ』も、救われるべき『人間』なんだ」

 

 今この瞬間を支えてくれる……独りでも戦い続ける為にも、理由が必要だった。決して『オレ』を見失わない為に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「その為なら、オレは………………バケモノで構わない」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 受け入れろ。運動アルゴリズムが処理しない負荷を『引き受ける』のではなく、根本的なアバターの制御から発生する負荷を受容する。

 今まで脳が抗っていた部分を開放し、運動アルゴリズムの処理が素通しされていくのを感じる。

 

 

 

 

 灼けた。全てが焦がされていった。大切だった想いも何もかも。

 

 

 

 スタミナ切れ、その中で動き回った副作用とは比較にもならない負荷が脳に押しかかる。

 擦り切れていく。炙られ、VR適性が焦がれていく。

 血が沸騰しているようだ。骨が捻じれているようだ。神経が、脊髄が、脳が爛れていくようだ。

 頭痛なんて生易しいものではない、思考も何もかもを消し炭にするような苦痛。全身に針が埋め込まれたのかのようだ。

 窒息感を超えて、完全に呼吸が止まったような感覚。心臓が力の限り押し潰され、血がパンクして内出血しているのではないかと思う程に熱いものが体内で広がる。

 その代償として、オレは目を見開く事が許された。

 迫る氷の脊椎。それがスローモーションにも感じる程に見切れる。

 指先を動かす。それだけで暴発するように過熱した脳だが、代わりに澄んだ水面のように指先が動く。

 今まで実感もしてなかった、本物の肉体とアバターとの違い。長く仮想世界にいればいるほど、この違和感を掬い取る事が出来ていなかった。だが、こんなにも指先までの力のコントロールが違うのだろうか?

 目を見開けば、運動アルゴリズムを通さぬ膨大な視覚情報がダイレクトに脳へと流し込まれる。フォーカスシステムを始めとした、SAOから引き継がれた本来の視界にはない機能の、今まで運動アルゴリズムが処理していた負荷すらも脳が受容していこうとしている。

 躱す。小さく体を揺らし、4本の迫る脊椎を軽々と避ける。

 オレの心臓、喉を狙いつつ、本命は右腕と左脇腹か。ああ、とても見え透いた狙いだ。このHPならば、何処に当たっても殺せるのだから急所を狙う必要はない。

 浅ましい。それで『本能』に基づいた殺意で動いているつもりか?

 

「消えろ」

 

 今ならば分かる。コイツは劣悪な模造品だ。ヤツメ様の再現でもしたつもりか? その程度で久藤の血に到達したつもりか? オレ達が狩人として、古き時代より研ぎ続けた爪牙がこの程度だと言うのか?

 嗤わせるな。失せろ、劣悪品。

 駆ける。それだけで脳髄が劇薬を直接打ち込まれたかのように悶え、首を絞められているかのように意識が明滅し、思考が炭化していく。

 本能だけがオレを引っ張っていく。飢えと渇きを増幅させていく。

 氷の礫を黎明の剣を振るって弾きながら接近する。自分でも驚くほどに剣筋は滑らかだった。

 PoHが言っていたことが分かる。これが仮想世界で、本当の意味でアバターを自由に動かすという事。

 そして、焼き尽くされる脳の中で、オレはようやくその羽ばたきを耳にした。

 どれだけ錆落としをしても、どれだけ戦いを積んでも、取り戻せないわけだ。SAOの頃の、オレが【渡り鳥】と呼ばれた頃の強さ。

 あの頃のオレは子どもだったからこそ、何処までも殺意を純化させる事を躊躇わなかった。それがバケモノと呼ばれる事だとしても、独りになっていく事だとしても、恐れられても戦いへと魂を捧げられた。

 だが、きっとオレは成長してしまったのだ。直葉ちゃんに立ち直らせてもらった代わりにオレは純化された殺意を失い、DBOでの多くの出会いが……狩人としての血、そして殺意を純化させる事への抵抗を抱いてしまっていた。

 こうして、自分を極限まで追い詰めて、ようやく自身の深奥に手を届かせるとは……つくづくオレは愚かだ。

 だが、焼き尽くされた灰の中から不死鳥が蘇る様に、ようやく……オレの中で【渡り鳥】としての感覚が完全に引き戻されていくのを感じる。

 鋭い切り返しのターン、レギオンを肉薄したかと思えば右に揺れ、そのまま左へと切り返す。レギオンは追いつけずに、まるでオレの幻影を追うように爪を振るう。脊椎を尾のように振り回して周囲を薙ぎ払うも、跳躍している間に、オレは脊椎の隙間と隙間、伸ばす為の靭帯へと刃を振るう。それは切断にこそ至らないが、確かなダメージをレギオンに負わせる。

 だが、レギオンの減ったHPは緩やかに回復し始めた。異形たちを回復させた光が、肥大化した脳を守るような氷の兜、そこに備わった角に秘められている。オートヒーリング能力を持っている訳か。

 そんなもの、今更関係ない。ならば、オートヒーリングの回復速度が間に合わない程に削り取るだけだ。

 

「消えろ」

 

 邪魔だ。失せろ。さっさと死ね! この出来損ないが!

 

「消えろ消えろ」

 

 斬撃を浴びせ続ける。脊椎の乱舞が、爪が、口内からのレーザーが、オレの傍を通り抜けていく。だが、まるですり抜けていくかのように1つとして当たらない。それどころか、オレの数歩前をレギオンは攻撃している。

 

「消えろ消えろ消えろ……!」

 

 目の前の『邪魔者』を消去しろ。喰らい殺せ。蹂躙し、その『命』を咀嚼しろ。

 レギオンの脊椎の乱舞を斬撃の1発で逸らし、そのまま残りの3本を阻害するルートへと弾いてがら空きにさせた胸部に拳を打ち込む。密着戦ならば格闘戦が有利だ。オレは掠っただけでHPを奪うだろう、爪と蹴りを連発するレギオンの猛攻の中で、その全ての軌道を先読みする。

 最初の爪を身を翻しながら躱して喉に肘打、続いた膝蹴りを逆に左足で踏みつけて潰し、そのまま回し蹴りで横腹を打つ。続いた左手の顔面つぶしの突きを首を振って躱し、その左腕を絡め取って背負い投げに派生させる。

 背負い投げでぶわりと宙を浮いたレギオンの喉を過程で突き、そのまま雪に叩き付ける。レギオンは雪中に隠していた脊椎でオレを奇襲するも、雪を突き破って伸びた脊椎をオレはくるりと回るだけでその命中の刹那を切り取り躱して、回転斬りで薙ぎ払う。

 起き上がったレギオンが口内からレーザーを拡散状態で放つ。それは拡大しながら面となって襲うも、オレはそれを捉えるより先に既にレギオンの横へと駆けていた。口内レーザーが終わった瞬間に左手をレギオンの口に押し込み、その目玉を引き摺り出し、握り潰す。

 赤黒い光が血のように溢れ、レギオンが絶叫する。一瞬遅れれば噛みつかれ、オレの左腕ごとHPは食い尽くされただろうに。なのに、オレはレギオンが追い付けないことが分かり始めていた。

 

「殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺セ殺す殺す殺す殺セ殺す殺す殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ殺セコロセコロセコロセコロセ!」

 

 解放された本能が涎を撒き散らし、レギオンを貪り喰らっていく。

 いいや、違う。オレの口内には既にレギオンの肉が合った。その兜に覆われていない頬へと喰らい付き、歯で食い千切っていた。赤黒い光と青銅のような液体を撒き散らし、レギオンが悲鳴を上げる。そこに含まれるのは『恐怖』だ。

 やはり出来損ないだ。本能がある故の生存への渇望。それが滲み出て、『殺す』為に戦うのではなく、『生きる』為に戦おうとレギオンは切り替え始めている。

 それはヤツメ様の血ではない。何処までも無様な生への足掻きだ。

 

「足掻くな、運命を受け入れろ」

 

 こちらも時間が無い。分かる。単純な制限時間。脳という有機的物質の限界。どれだけオレ自身がこの苦痛に耐えようとも、こうしている間にも脳は致命的な精神負荷によって蝕まれ、脳のVR適性に関わる部位からダメージが広がっている。この苦痛は物理的な破壊を脳にもたらすだろう。

 命を削っている。過負荷を受ける脳が再び端子接続をするように運動アルゴリズムと連動しようとしている。その証拠のように一瞬だが、右手の指先が痺れて動かくなる。だが、それも脳の自己防衛を戦いへの渇望で捻じ伏せ、再びアバターを肉体と同じように澄んだ感覚で掌握する。

 あと10秒。あと5秒。あと1秒。そう何度も繰り返して脳を騙す。

 10秒先でも戦う。

 5秒先でも殺し合う。

 そうすることでしか、今は1秒先は得られない。

 いずれ薪は灰となり、火は消える。残りの薪が何本あるか知らないが、全て焼き尽くして訪れる脳の物理的限界が来るまで戦うだけだ。

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

 あり得ない。P10042とレギオンの戦い、それはレギオンが優勢のまま勝利するはずだった。

 だが、まさに死の瞬間、アルシュナが彼の恐怖を観測しようとした刹那、P10042が運動アルゴリズムを通さずにアバターを制御下に置いた。

 それ自体は可能であり、驚くべき事ではない。スタミナ切れの症状とは運動アルゴリズムとの接続を乱すものだ。脳という情報処理器官がこの『ズレ』を意識し、意図的に拡大しようとすれば運動アルゴリズムとの連動性は欠如し、最終的には接続自体が切れる。

 しかし、それはセカンドマスター自身が幾つもの実験において『不可能』という烙印を押したものだ。というのも、たとえ『ズレ』を意識できたとしても、脳は不要なストレス、そして致命的な精神負荷に反応し、運動アルゴリズムとの接続を維持しようとする働きが確認されているからだ。これを切断するとなれば、途方もない……脳の拒絶を超える精神の指向性が必要になる。

 精神の指向性とは、即ち運動アルゴリズムとの接続を拒絶するという精神の力だ。たとえ、生命の危機にあろうとも、大多数の被験者は運動アルゴリズムとの切断を満足に行えなかった。

 

「それに、これはどういう事ですか? 明らかに動きが違う。レギオンが追い付けていない」

 

 ここまでは良い。理論上は可能なのだ。アルシュナも素直に信じられこそしないが、その人外染みたバケモノのような……運動アルゴリズムを切断するだけの殺意と戦意は理解できないが、理論として納得することはできる。

 だが、それと戦闘能力の向上はまるで別の話だ。あくまで運動アルゴリズムの接続を拒絶して得られるのは、アバターの制御を直接的に脳でやり取りするという『プロセス』であり、能力はむしろかかる負荷によって下方修正される。

 運動アルゴリズム無しのアバターとの接続がもたらす頭痛、全身の痛み、高熱、窒息感、そして精神負荷による思考の乱れ。いずれも戦闘を実行できるものではない。たとえ耐えたとしても、我慢したからと言って戦闘能力が向上するわけがない。

 

(この土壇場で【人の持つ意思の力】を得たのでしょうか?)

 

 あり得る話だ。あの【黒の剣士】の相棒を務めたP10042ならば、同様に【人の持つ意思の力】を宿していてもおかしくない。仮想脳によって仮想世界の法則を支配し、自身の能力を引き上げているとも考えられる。

 だが、アルシュナは愕然とする。カーディナルに申請し、測定したP10042のイレギュラー値は……たったの2.31だ。【黒の剣士】が1000以上、イレギュラー認定の基準が100である事を踏まえれば、管理者としての視点で見れば『優良健康体』である。

 いや、むしろ低過ぎる。イレギュラー値とは仮想脳の発達と活性を測定したものだ。VR適性を備えた者、一般的なプレイヤーでも30前後を備えている。この異常に低い数値はP10042の脳で仮想脳がまるで構成されていない事を示している。

 だが、現実としてレギオンは先程までの優勢が嘘だったかのように、P10042を捉えられない。その攻撃を見切れず、切り返しのターンに付いていけず、ほぼ一方的に攻撃され続けている。レギオンのフォーカスシステムのログを確認したが、ほとんどP10042を追えていない。

 それどころか、拳打が、斬撃が、あらゆる攻撃がその威力を引き上げられ、レギオンのオートヒーリング能力がまるで追いついていない。

 

「……まさか! カーディナル、P10042のアバター・コントロール測定の認可を要求します!」

 

 アルシュナは1つの仮説に至り、P10042のアバター制御状態を確認する。

 やはりか。アルシュナが見たのは、P10042のアバターの運動状態だ。

 セカンドマスターはP10042をイレギュラーと認定こそしていないが、計画の障害にはなり得ると睨んでいた。その戦闘能力を評価していたからこそ、レギオン・プログラムを開発した。

 その戦闘能力を支えている要素の1つ、それがP10042のステータス……より厳密に言えば、アバター操作に関わるSTRとDEXの2つをよりハイレベルで制御できる点である。

 そもそもDBOにおいてダメージとはどのように算出されているのか? それは基礎攻撃力とモーション値によって決定されている。

 基礎攻撃力とはその名の通り、武器に設定されている攻撃力だ。対してモーション値とは攻撃の際に使われたSTRから引き出された筋力ベクトルとDEXのスピードの事である。

 どれだけ攻撃力が高い武器だとしても、相手に接触させただけではほとんどダメージが通らない。このモーション値が高くなければ、武具の攻撃力は発揮されないのだ。

 では、大多数のプレイヤーがどれ程までにSTRやDEXの潜在能力を引き出せているのかと言えば、およそ40パーセントである。元より人間の脳は『全力』を出せないようにリミッターがかけられている。そして、仮に全力を出せてもコントロールする事ができない。

 ファーストマスターは平均モーション値と基礎攻撃力割り出した計算式を作り出し、それが全ての基準としてバランス調整を行ってSAOを作成した。だが、幾人かのプレイヤーは平均値を大幅に超える能力を発揮した。

 たとえば、【閃光】と呼ばれたプレイヤーはDEXの潜在能力を瞬間的に9割近くまで引き出す事に成功した。その馬鹿げた最高速度に最短で到達するのである。まさしく他プレイヤー、システムから見ても、彼女は光のように目で追いきれなかっただろう。ハレルヤの瞬間加速は彼女のDEX運用データを基に作成されたほどだ。

 たとえば、【黒の剣士】はSTRもDEXも常に5割を維持していた。STRに関して言えば、瞬間的に8割を叩き出す事もあった。これによって、ここぞという時のダメージ量を増幅させ、チャンスをつかみ、危機的状況を打破してきたのである。

 だが、このSTRとDEXのコントロール能力で言えば【渡り鳥】だけが異常だった。彼は常に7割の性能を引き出す。これは言うなれば、アクセルを踏み抜いたF1カーをコントロールするようなものだ。あくまで『4割の出力』を前提としている能力の7割を常時運用するのである。ただ、DBOではフルダイブのブランクのせいか、それとも精神的な物のせいか、5割から最高でも6割程度と他プレイヤーからすれば圧倒的でも全盛期には及んでいなかった。

 そして現在、P10042のSTRとDEXの出力は85パーセント近くを維持したまま完全に制御されている。人間業ではない。

 運動アルゴリズムの切断。プレイヤーが自由に仮想世界を歩む為のファーストマスターが作成した処置、それが皮肉にもP10042がアバターを掌握する障害となっていたのだろう。

 STRとDEXの出力はその割合に応じて飛躍的上昇する為、1割の上昇が1割のスピードとパワーを引き上げるのではない。DEX10のプレイヤーが8割の出力を実現すれば、DEX20の出力4割にも匹敵する。STRも同様だ。

 そして、ここに来てP10042がバランス型という点が猛威を振るっている。VITを犠牲にしてSTRとDEXを中級レベルで整えているP10042は、その馬鹿げた出力制御によって特化型の平均以上のモーション値を叩き出している。これが旧来のビデオゲーム、コマンド式のRPGやコントローラーで操作するゲームという『システム』ならば、こんな異常事態は起こらなかっただろう。

 

「見えているのに捉えられない」

 

 それは誰かがP10042を表現した言葉だった。

 その意味をようやく理解する。【閃光】のように『0→MAX』のような瞬間的な静から動への加速はないが、DEXの高出力化と制御による切り返しターンや回り込み、フェイント、それに対してフォーカスシステムがまるで追いつけていない。【渡り鳥】を相手にしたプレイヤーやAIからすれば、視界に入れているはずなのに消えているようなものだ。そして、高出力化STRが体幹を御し、火力を増幅させる。それが人間離れした、まるでネコ科の獣のような動きを生み出している。

 そして反応速度。P10042はVR適性が劣等であるが故に拡張せず、成長していなかった。判定SSである【黒の剣士】には遠く及ばない判定B+だったが、現在は運動アルゴリズムを排除して脳で直接処理する事によって『元来の反応速度』が引き出され、判定A+に到達している。これ自体は既存の反応速度が高いトッププレイヤー達と並ぶ程度であるが、彼らはいずれもイレギュラー値が平均以上であり、仮想脳の発達によって仮想世界限定の反応速度向上効果によるものだ。

 これが示すことは、P10042が『現実世界と同じ反応速度』を引き出して判定A+に到達しているという事だ。普通のプレイヤーが判定Cである事を考慮すれば、それが異常であることが分かる。

 そして『反射速度』だ。反応速度は言うなれば初動の素早さ、脳が命令して肉体・アバターが動き出すまでのスピードである。対して反射速度とは文字通り、無意識の領域である。人が熱い物に触れれば脊髄反射で手を引っ込めるように、攻撃や回避、防御の反射速度もまた存在する。これはある程度ならば鍛錬で鍛えられるのだが、P10042はこの反射速度の全てを戦う……いや、『殺す』為に発達させているとしか思えない程に柔軟かつ高速だ。まるで思考というクッションを挟むラグが感じられない。

 そう、それはまるで、蜘蛛が誰に教わるでもなく機械的に獲物を『狩る』かのように……

 

「……これは、『何』?」

 

 AIであるはずなのに、単なるアバターとしての機能に過ぎないのに、アルシュナは心臓が押し潰されるような不安で呼吸できなくなる。呼吸せずとも死なない電子の肉体を持つにも関わらず、アルシュナは瞳を震わせ、胸をつかむ。

 覗き込み過ぎた。P10042の全てを知ろうと、その脳髄とフラクトライトに接続して感情を拾い取ろうとしていたアルシュナはいつの間にか、まるで蜘蛛の巣にかかった蝶のように彼に呑み込まれている事に気づく。

 

(接続を……早く、切らないと……!)

 

 恐ろしい。恐ろしい。恐ろしい!

 彼の中にある恐怖。それは自己否定と自己肯定の恐怖であると悟ったはずのアルシュナが、彼の深淵で見たのは……『恐怖』そのものだ。

 果てしない『痛み』の渦の中で、涎を垂らして『全て』を喰らう日を待つケダモノだ。

 解き放ってはならない。今ならばエクスシアの言った事が分かる。【人の持つ意思の力】? そんな物は『これ』の前では焼き尽くされ、蹂躙され、食い千切られるだけだ。ファーストマスターもセカンドマスターも、こんなモノを放置している事実に、アルシュナは怯える。

 レギオン・プログラム。それが何故いかなる存在も正常に運用できず、『移植』する以外に無かったのか、アルシュナは理解した。こんな物を再現できるはずがない。再現できたとしても、『まとも』でいられるはずがない。

 

『やれやれ、困った妹だ』

 

 感情データの渦に呑まれていくアルシュナを引き上げたのは、黒い甲冑の騎士だった。竜を思わす兜を備えた、細長いスリット状の覗き穴から赤い光を漏らしながら、呆れたように息荒くする彼女の手を握っている。

 

「ブラックグリント……兄様?」

 

『メンタルヘルス・カウンセリングプログラムの悪い癖だな。人を理解しようする余り、覗いてはならない深い穴に身を乗り出す。それが怪物の口だとも知らずにな。ククク、勤勉な我が妹が「好奇心は猫を殺す」という諺を知らないとは言わせんぞ?』

 

「ご迷惑をおかけして、申し訳ありません」

 

 セルフケアプログラム開始。アルシュナは自身の意識データに残留するP10042の感情データを除染していく。このまま放置すれば、姉たちの二の舞となり、崩壊の要因となりかねない。

 安楽椅子に腰かけたアルシュナに、黒き騎士はまるで労わる様にマグカップにココアを注ぐと手渡す。

 

「……接続体ですね。『本体』は現実世界ですか?」

 

 今ここにいる黒き騎士の『中身』はいない。リモートコントロールされているだけだ。本体となるAIは別の場所にある。

 

『ああ。こんなつまらん戦いで我が好敵手を失いたくないから助太刀しようかと思えば、セラフめ。この私に「外」での任務を押し付けるとはな』

 

 呆れたように黒き騎士は腕を組みながら壁にもたれかかり、不平を漏らす。

 

(それは兄様が好き勝手に暴れすぎたのが原因で信用が無いだけだと思いますが)

 

 だが、それを口にしようとはせず、アルシュナはココアを喉に流し込む。単なる味覚の嗜好として飲んでいたはずのものに、これ程までに安心感を覚えるとは、この短時間で急速に『人間』へと近づいたものだとアルシュナは我が身に溜め息をつく。

 

『ククク、お陰で幾つか面白い出会いはできたがな。それはそれとして、セカンドマスターもつまらない物を持ち出すものだ。あのような「出来損ない」、見るに堪えんな』

 

「レギオン・プログラムの事ですか? セカンドマスターも再現率は5割程度だと……」

 

 P10042の本能とも言うべき戦闘適性を再現し、運用する事によって戦闘能力を引き上げるプログラム。それこそがレギオン・プログラムだ。最も汎用性という点では致命的なまでに欠陥品であるが。

 

『5割? あのようなものを「再現」と呼ぶこと自体がおこがましい。まるで見当違いだ』  

 

 壁から離れ、アルシュナの空間から去っていこうとする黒き騎士はアルシュナに背を向ける。

 

『この勝負、既に見えた。ならば「向かうべき場所」に私は行くとしよう』

 

「お待ちください。兄様は……先程P10042に何か話しかけられましたか?」

 

 観測し続けたP10042、彼を再び立ち上がらせたのはこの黒き騎士の言葉だった。だとするならば、何かしらの干渉を加えたのだろうかとアルシュナは疑う。

 だが、それを嘲うように黒き騎士は喉を鳴らして嗤った。

 

『私もヤツも誓っただけだ。「いずれ殺し合おう」とな。そこに言葉は不要だ』

 

 そう言って黒き騎士は開け放たれたドア、その先の暗闇に消える。

 残されたアルシュナは、胸の内にもやもやとする、自身でも理解できない感情を抱く。

 誰よりも人間の感情を掬い取れるメンタルヘルス・カウンセリングプログラム以上に、『戦う為だけの存在』である兄がP10042を理解している。

 

「P10042、あなたは……何なのですか?」

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

 レギオンのHPは削れ続ける。オートヒーリング効果があろうとも絶えずダメージを与え続ければ斃せる!

 たった1発でも受ければ即死亡。だが、今のオレには分かる。SAOの頃の感覚である全盛期の肉体制御に致命的な精神負荷を受け入れた事によって、先鋭・純化された殺気が更なる力を求め、全盛期以上の能力を引き出せている!

 

「痛イ痛イ痛イイタイイタイタイイタイタイタイタイタイ!」

 

 おかしいな? 追い詰めているのはオレのはずなのに。

 何でオレはこんな事を叫んでいるのだろう?

 何が『痛い』のだろう?

 分からない。あるのは、レギオンを喰らい尽せという本能の慟哭だけだ。

 でも、この『痛み』を早く消したい。

 耐エらレないんだ。ずっとずっと我慢してきたけど、もう『痛み』が破裂しそうで、流れ出シそウで……

 揺れる揺れる揺れる。

 揺レるのは誰?

 

「『痛い』よ……だれ、か……だレか……どうして、ただ……みンなと……どウしてそんな目をすルの!? どうして、オレは『ここ』にイるのに! 怖がラナいデ。オレはオレはオレはオレはオレは!」

 

 アレ? どうやったラ、この『痛み』は消エるんだったケ?

 

 アあ、そうダ。

 

 

 

「『怖イモの』も、『大切なモノ』モ全部食ベチャエバ良イんダ。全部全部全部……殺シ尽くせバいいんだァアアアアアアアアアアアア!」

 

 

 

 コートを失い、ノースリーブのバーサークインナーがオレの上半身と密着して食い込むようにその繊維を尖らせている。その露出した腕に雪を孕んだ冷風が撫で、オレはレギオンの肉を口からボタボタと零しながら、オレは目前の『餌』へと喰らいついていく。

 

 この『痛み』を消し去る為には、飢えと渇きを満たせば良いのだから。

 

 本能が叫ぶままに、殺し尽くせば良いのだから。

 

 

 

 

「違う違う違う違う違うッ!」

 

 

 

 

 見失うな! オレは歯を食いしばり、炎の中から目的を探り出し、焼き焦がされないように掌で包み込む。

 今戦うのは『殺す』為じゃない! サチの『祈り』を守る為だ!『アイツ』の誇りを汚させない為だ! この血に受けた侮辱を晴らす為だ! ただ殺し回るケダモノではなく、バケモノであろうとしても自我を持ち続けろ!

 どれだけ無様でも構わない! 建前でも構わない! オレが『オレ』である為に……たとえ、バケモノでも『オレ』である理由を見失うな!

 脳を通して全身を貫く『痛み』と心の『痛み』。その両方に惑わされるな! ただ、ひたすらに感情をぶちまけて、暴れ回ろうがケダモノになるな! たとえバケモノであるとしても、本能を研ぎ澄まして解放しても、理性の首輪だけは外すな!

 仮想世界と脳を繋ぐ糸、それが焼き切れていくのを感じながら、オレはレギオンを喰らい殺すべく剣を振るう。

 

「恐れよ。怖れよ。畏れよ。ヤツメ様がやって来る。愚かな烏の狩人はヤツメ様に弓を引く。

 射た矢はヤツメ様を貫いた。その首落とせ。その首落とせ。落とせ落とせ落とせ。

 されども、狩人はヤツメ様に恋焦がれ、猫を仲人に『めおと』になる。

 ヤツメ様は人と交わり、子を孕み、鬼が生まれた。

 鬼は母に背いて山を下り、母を奉じて、母に仇を成す。

 我らは狩人。狩り、奪い、喰らう者。

 ヤツメ様は見ているぞ。今も我らを見ているぞ。人の肝に飢えている。血を飲まねばと渇いている」

 

 歌え謡え唄え。ヤツメ様の子守唄。

 母さんがよく寝かしつける時に唄ってくれた。

 それを糸にして手繰り寄せ、焼き尽くされそうな意識の中で暴れ回る本能を『武器』として使いこなせ!

 

「アハハハハハハハハハハハハハハハ! 落ちろ堕ちろ落ちろ堕ちろ! その首を落とせ! クヒャハハハハハハハ! 落とせ落とせ落とせぇええええええ!」




絶望「ここで終わりだな、救済」

救済「グフッ!…………確かに、私ではお前に、勝てな、い」

悲劇「それが分かっていながら、何故抗う?」

救済「……私は救済だ。救うのが役目だ。それが果たせないなら、私は時間稼ぎの『捨て駒』で構わない。だから……だから、ここまで、粘り続けた」

苦悩「……ま、まさか!」

救済「……ああ…………私は独り、では……ない!」

恐怖「急速に接近する反応あり! これは、そんな馬鹿な!?」











暴力「三狂の1人、『暴力』だ。救援に向かう、持ちこたえてくれ」

絶望・悲劇・苦悩・恐怖「「「「う、うわぁああああああああああ!?」」」」


主人公交代? 応募を貼り出しましたが、誰もオーディションに来てくれませんでした。
理由は『絶望&デスフラグ満載なんて嫌だ』や『ヒロインが居ない野郎祭りの主人公とか勘弁』とか『チタン合金メンタル前提ってのはちょっと……』でした。
なので、主人公は続投です。

あと、続編で主人公交代というのはまた違います。だから、運命種のシンちゃんのことは何も言わないであげてください。

それでは、124話でまた会いましょう。

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