SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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ボス戦も終了……ということで、ここからはクリスマスの結末に向かって一直線となります。
あと数話といったところでしょうか?


Episode13-22 聖夜に足掻く者

 まるで血の全てが重油に変わってしまったかのように全身は気怠く、鉛の鎧を着込んでいるのかのように重い。

 もはや刃毀れしていない部分を探す方が難しい程に刃が欠け、今にも砕け散りそうな程に亀裂が入った黎明の剣を杖代わりに、オレはサチの家から出発しようとするが、リビングから玄関に向かうだけでも激しい動悸に襲われ、息苦しさと四肢の指先までの痺れに襲われる。

 以前、カークとの初戦後にスタミナ切れ状態で数十秒戦闘を続行しただけで指先に痺れが残る後遺症を患った。幸いにもミルドレットの寝床で目覚めてから数時間後には回復したが、たった数十秒であの様だ。

 今回は長時間に亘るスタミナ切れ状態での戦闘の敢行、更にその上位に当たる致命的な精神負荷の受容をした。以前の比ではない後遺症が残るだろう。下手すれば回復すら絶望的かもしれない。

 今のところは視界が色彩が薄れたかとも思えば異常に濃くなったり、四肢に痺れがあったかと思えば切断されたかのように感覚を失ったり、異常な息苦しさと喉の渇きと空腹感を覚えていたりするが……『その程度』だ。だが、細かく探れば、より致命的なダメージが確認できるかもしれない。

 だが、目下の1番の問題は心臓のダメージだ。医学に知識が無いオレでも、自分がいかに無茶苦茶な真似をしたのかくらいは分かる。

 土葬が主流のヨーロッパでは、埋葬後に死者が息を吹き返して棺の蓋を引っ掻いていた……なんて事例も中世には確認されていたらしい。当時は心停止が死亡確認だったらしいが、人間の生命力とは侮れず、突如として心臓が動き出す事も稀ではあるが、あり得ない事ではないという事だ。まぁ、そんな無茶苦茶を期待するよりも心臓マッサージや電気ショックの方がずっと医学的常識かつ手っ取り早いと思うが。

 それにオレの心臓の回復もファンタズマ・エフェクトによるものではなく、オレの異常を感知した医師が何らかの処置を施してくれたからこそかもしれない。現実世界に残したオレの肉体がどのように管理されているのかは知らないが、SAO事件と同様ならば医療設備が整った病院に収容されて24時間モニターされているはずだ。ならば、むしろこの推測の方が正しいかもしれない。

 何にしても、致命的な精神負荷の受容は大きなリスクを伴う事が分かった。

 1つは正気を保つのは極めて難しい点。正直言って、レギオンがあれ以上粘っていたならば、オレは『理由』を焼き尽くされて本能のままに暴れるケダモノになっていただろう。逆に言えば、本能を極限まで高めて攻撃性と凶暴性を高めなければ、致命的な精神負荷に灼けていく精神は戦闘を持続できないという事だろう。

 2つ目は後遺症。1度受容しただけでこの様だ。これが2回、3回、4回と重なれば、もはやオレは戦い続ける事はおろか、仮想世界でまともに生活することもできなくなるだろう。VR適性を擦り減らしているのだから当然と言えば当然かもしれない。

 3つ目はファンタズマ・エフェクトの危険性。今回は何とか心臓を再起できたが、次は無いかもしれない。それに、心臓ばかりではなく、肝臓や腎臓といった重要な臓器の機能が停止するようなファンタズマ・エフェクトを引き起こす危険性もある。

 使いたくても使えない禁じ手。それが致命的な精神負荷の受容だ。これに頼りに戦うようでは、所詮オレはその程度の存在だったという事だ。綺麗に忘れる必要こそないが、今後はそんなジョーカーは存在しないものとして戦っていくべきだろう。

 と、ようやく玄関のドアノブに手をかけたところで、オレは自分のHPがレッドゾーン……1割未満のまま赤く点滅しているのを思い出す。サチの元に行くのは良いが、最低限の回復は済ませておくべきだろう。

 レギオンからのドロップ品は膨大だ。その大半がレアアイテムであり、売値は想像もできないものばかりである。その中の1つ、HPを完全回復させるエリクサー的回復アイテムである【女神の祝福】を取り出す。

 金色の小瓶に入った、ほんのりと甘い舌触りが良い液体を飲む。オレのHPは全快し、点滅を停止する。

 市場で稀に流通する事がある最上級回復アイテムである女神の祝福は最低価格でも50万コルを超す回復アイテムだ。そんな超高価アイテムがオレのアイテムストレージには残り4つもある。他にもレア回復アイテムである白亜草が20枚以上もある。これで回復アイテム不足に悩まされることはないだろう。

 

「焼け石に水かもしれねーが、修理の光粉も使っておくか」

 

 血風の外装は多少痛んでいても健在であるが、黎明の剣はどう考えても修復不可レベルの破損だ。それでも耐久値を回復させる修理の光粉を使用して少しでも延命を施す。

 玄関の外に出たオレは蒸し暑い夏の空気に頬を撫でられる。サチと共に出発した時は、高校まで徒歩で20分といったところだっただろうか? 剣を杖代わりにしている今のオレでは1時間……いや、2時間は必要になるかもしれない。

 と、オレは夏の夜空が広がる現実世界を模した仮想世界に、以前とは違う変化を見出す。

 それは黒い帳。高校とは反対方向の景色が黒色に塗り潰されていた。

 

「……おいおい、冗談だろ?」

 

 茅場の後継者め。何処まで『アイツ』を殺す気でダンジョンを仕上げやがったんだ? オレは緩やかに拡大……いや、この現実世界を模した仮想世界を『喰らっている』闇に、1つの推測……というよりも確信した予想を立てる。

 望郷の懐中時計を確認すれば、既に現在時刻は午後6時半だ。クリスマスが終わる午前零時まで6時間を切っている。

 このダンジョンはクリスマス専用だ。それを踏まえれば、あの侵蝕する闇は制限時間と言ったところだろう。恐らく、高校を中心に、緩やかにフィールドを縮小させているに違いない。

 午前零時までにサチの記憶から脱出できなければゲームオーバーというわけか。十中八九、サチの元に行けば脱出手段は見つかるだろうが、これ以上の時間消費はできないだろう。

 オレが最初の1歩を踏み出した瞬間、道路のマンホールが蠢く。ゆっくりとマンホールの蓋が開き、そこから白い腕が伸びる。

 本当に冗談じゃないな。オレはマンホールから飛び出した白の亡人の首を狙って黎明の剣を振るう。だが、踏み込みの速度を制御しきれずにオレは派手に転倒する。夏の空気で熱せられたアスファルトに頬を擦り、片膝をついて立ち上がろうとするが、膝が言う事を聞かずに上手く起き上がれない。

 そうしている間にもマンホールから次々と白の亡人が溢れ出てくる。体勢を立て直そうとしている内に、オレを囲むように数十体の白の亡人が黒く塗り潰された目をこちらに向け、痛みを訴える唸り声を上げていた。

 

「最後の最後で食べ放題というわけか。サービス精神旺盛だな、糞ったれが」

 

 修理の光粉を使って正解だったな。オレはノロノロと1歩ずつ迫る白の亡人を次々と黎明の剣で薙ぎ払う。刃毀れしているとはいえ、防具も装備していない裸体の白の亡人の肌を裂くのは難しくない。その皮を破り、肉を抉り、黒い体液を撒き散らす。

 だが、数で押してくる白の亡人の包囲網を破るには、余りにもオレは消耗し過ぎていた。後遺症のせいで指先の感覚が無くなり、危うく黎明の剣がすっぽ抜けそうになる。右足と左足の動きがズレ、自分の足に絡まって転倒しそうになり、その隙に背後の白の亡人の接近を許してしまった。

 顎を開いてオレの首に噛みつこうとする白の亡人に、オレは咄嗟に左腕を掲げて盾にする。コートを失って防御力が減少したとはいえ、完全回復した今ならば十分に耐えられるはずだ。むしろ、首を噛みつかれてクリティカルダメージを受ける方が危険である。

 白の亡人の歯がアバターの皮膚に食い込む。痛覚代わりに広がるダメージフィードバックの不快感が脳を貫く中、そのまま黎明の剣を白の亡人の喉に押し込み、首を斬り落とす。

 群がる白の亡人達は死を恐れず、痛みを消し去る為にオレに喰らいつこうとする。月夜の黒猫団のメンバー達、繰り返される拷問に耐えられなかった精神の残骸とも言うべき彼らが肉を欲するのは、その身から奪われた人間としての血肉を求めたなのか。

 

「悪いが、オレは喰われる側じゃなくて喰う側なんだよ」

 

 オレは黎明の剣で白の亡人の1体の頭部を串刺しにすると、そのまま身を屈めながら回転し、一斉に迫る白の亡人たちの足を払う。転倒した白の亡人たちの頭部を踏みつける。

 1体ずつ確実に始末していく。拳が頭部を陥没させ、蹴りが首を折り、傷口に手刀を押し込んで内臓を引き摺り出して潰す。

 周囲が黒い体液の海と化す頃には、数十体いた白の亡人は全員絶命するも、マンホールの下から新たな白の亡人たちが湧いてくる。それだけではなく、まるでゾンビパニック映画のように次々と周囲の民家から白の亡人たちが這い出し、その顎を鳴らす。

 まだサチの家から1メートルと離れていない。普段のオレならば、こんな鈍間な連中は無視して強行突破もできるのだが、今のオレではまともに走るなど不可能だ。何よりも、今の戦闘で引き上げられた心拍数が現実の心臓を刺激し、胸でじわりじわりと痛みが広がっている。

 

「思っていたより……ヤバい、な」

 

 これ以上の運動は心臓が先に限界を迎えてしまいそうだ。とてもではないが、この先も何十体もの白の亡人を斃しながら高校を目指すなど不可能だ。

 と、そこでオレが目についたのはサチの家、その車庫に止められたバイクだ。サチの私物ではないだろうし、女性が扱い辛い大型だ。だとするならば、サチの父親の私物だろうか? 埃被ったそれは、サチの記憶の『嘘』を証明するかのように、長い間使われた形跡が見られない。

 現実世界ならば10年近く整備されていないバイクが動く保障など無いだろうが、ここは仮想世界だ。だとするならば、可能性は残されている。オレは1度サチの家に戻り、リビングを漁る。意外にもバイクのキーは『嘘』の演出の為か、鍵かけに垂れ下がっていた。

 

「頼む、動いてくれよ」

 

 オレはバイクのキーを差し込み、エンジンをかける。さすがの茅場の後継者もバイクの老朽化とガソリンの劣化までは再現していないのか、バイクは無事にエンジンがかかる。

 だが、ここで2つの問題が生じた。

 

〈≪騎乗≫を所有していません。運転に大幅な下方修正がかかります〉

 

 まず1つ目はシステムメッセージで表示された通り、オレは≪騎乗≫スキルを持っておらず、バイクの運転に下方修正がかかる点だ。どれ程かは分からないが、文面からしてまともに運転はできそうにない。

 そしてもう1つはより切実な問題……つまり、この大型バイクを運転するには、オレの体格が足りないという点だ。せめて中型ならば何とかなりそうなのだが、この黒光りする大型バイクには跨ってもオレの足が地面に届かない。

 こうしている間にも白の亡人は増え続け、オレへと群がり始めている。

 どうする? どうすれば良い!? オレは何かこの状況を打破できるアイテムがレギオンからドロップしていないかと探るが、そんな都合の良いアイテムなどあるわけが無かった。

 そう……ドロップ品の中には無かった。

 最初から、この危機を脱する為のジョーカーはオレの手の内にあった。

 オレは『それ』に記載されたアルファベットと数字の組み合わせのコードをシステムウインドウに打ち込む。

 確率は決して高くない。だが、もはやこれ以外に策は無い。後は天運がオレに傾くか否かの勝負だ。

 黒猫の鍵を握りしめ、召喚リストに表示された『彼』の名前を見てオレは笑う。1つ目の賭けには勝った。後は『彼』がパッチと同じ糞か否かだ。

 オレが白の亡人を斬り払い、バイクに近づかせまいとする。まるで波が押し寄せてくるかのように、際限なく湧く白の亡人に圧殺されそうになるが、抗い続ける。

 白の亡人を肩から斬るべく黎明の剣を振り下ろすが、ついに刃が機能しなくなったのか、その皮膚を抉るに留まる。こうなれば刺突以外はほとんど鈍器であるが、黎明の剣は軽量両手剣故に打撃属性が低い。こうなれば、攻撃力はほとんど失われたようなものだ。

 心臓が押し潰されるような痛みが拡大していく。大動脈が血管が収縮と拡大を繰り返し、大きく脈打っている。

 それだけではない。先程から白の亡人との遠近感が狂うだけだけではなく、焦点が合わない。近接戦闘にとって距離感を失うのは致命的だ。しかも、フォーカスシステムにも適応障害が生じているようだ。

 フォーカスシステムは茅場が開発したシステムの1つであり、文字通り焦点を合わせるシステムだ。これはサーバー負荷を軽減させる為だけではなく、ソードスキルや投擲スキルのロックオン機能も兼ね備えている。このシステムが機能しているからこそ、オートモーションのソードスキルは多少のズレがあろうともターゲットへと命中するし、投擲攻撃も飛来する。

 投擲スキルが無いオレは元からフォーカスシステムのロックオン機能に頼っていないから問題ないが、突進系ソードスキルは特にロックオン機能の恩恵を受ける。ゆっくりとフォーカスシステムが機能を取り戻すのを感じるも、今度は視界が歪み始める。白の亡人のフォルムが捻じれ、色彩がセピア調になったり白黒になったりと色彩異常が泊まらない。

 視覚異常の隙を突かれて白の亡人の単調な振り回し攻撃が頭部に命中し、オレは吹き飛ばされてコンクリートブロックの壁に叩き付けられる。そのまま白の亡人たちが喰らいつこうとするが、1体の口内に拳を突っ込んで喉を内部から突き、もう1体の胸を黎明の剣で串刺しにして止めるも、刃を押し込みながら白の亡人はオレの右肩に歯を食い込ませようとする。

 

「離れ……やが、れ!」

 

 喉を潰された1体を横腹を蹴り、串刺しにされたもう1体の目を突く。指が黒く染まった眼球を潰し、白の亡人が唸り声を搾り出す。

 黎明の剣を振り回して白の亡人たちを追い払うも、オレは道路を浸す黒い体液に足を滑らせて転び、左半身を黒く染める。

 右足が上手く動かない。膝がどんなに命令しても曲がらない。

 

「はは……想像以上だな」

 

 嗤える。戦う事も一苦労どころか、もはや真っ直ぐに歩く事すらも困難ではないか。

 限界とは超えてはならないから限界なのだ。茅場は酔狂で運動アルゴリズムを開発したわけではない。必要不可欠であるから準備したのだ。

 それでも、望んでオレは致命的な精神負荷を受容した。そこに後悔は無い。ならば、この後遺症は全て納得すべき代償だ。

 起き上がれないでいるオレに白の亡人たちがにじり寄る。早く立ち上がらなければならない。右足を叱咤し、震わせて膝の掌握しようと意識する。千切れた鉄線が溶接されて繋がっていくように、ゆっくりと関節の曲げ方を思い出していく。

 少しくらい肉を抉られるのは覚悟しなければならないな。白の亡人と距離を詰められ、オレは苦笑したが、白い光の粒子が収束していくのを見て早計だったかと拳を握る。

 

 

 

 

 

 

 

 

『こ、これはどういうことッスか!?』

 

 

 

 

 

 

 白い光が人の形を成し、召喚されたのは、頼りなさそうな……今にもパニックを引き起こしそうな涙目をした男、RDだ。

 どうやら、クリスマスの運命のサイコロは、まだオレに良い目を出すくらいの余地は残されていたようだ。賭けに勝ち、オレは喉に噛みつこうとする白の亡人の上顎と下顎をつかんで阻みながら笑う。

 オレがアイテムストレージの底で見つけたのは他でもない、サインズ本部でクリスマスイヴにRDより手渡された彼のフレンド登録コードが記載された名刺だ。

 黒猫の鍵で召喚できるのは、同じ黒猫の鍵を所持するフレンドのみ。そこでオレは名刺に記載されたフレンド登録コードを入力したのだ。RDが黒猫の鍵を所持しているかどうかは賭けだったが、召喚リストに彼の名前は表示されていた。

 後は臆病で有名なRDが召喚に応じてくれるか否かのみ。最高に分が悪い賭けだったが、RDはこうして応えてくれた。何処かの糞ハイエナとは大違いだ。

 

「よう、RD。ハッピー・ブラッディ・クリスマスへ……よう、こそ」

 

 倒れながら、今にも白の亡人に喰われそうになりながら、オレはRDを歓迎する。

 

『はいぃいいいいい!? というか、何これぇえええ!? ゾンビ!? ゾンビじゃないッスか!?』

 

 ゾンビの如く迫る白の亡人を目撃して完全に混乱しているRDは、ともかく白の亡人に囲まれているオレを助けるべく、【ルッツエルン】を振るう。≪戦槌≫と≪槍≫のキメラウェポンであるルッツエルンはリーチある打撃と槍特有の刺突を兼ね備えた上級者武器だ。NPC販売品であり、レア度は決して高くないが、その安定性は下手なレア武器を遥かに上回る。

 腐っても傭兵か、RDのルッツエルンの一閃は数体の白の亡人をまとめて破砕する。だが、普通のモンスターと違って限りなく人体に近しい白の亡人たちは黒い液体を傷口から撒き散らし、内臓を見せる。それを目撃してRDが正気が擦り減ったような声にならない絶叫を挙げる。

 もはや狂乱に等しく、RDは我武者羅にルッツエルンを振り回す。さすがは長竿武器だ。ハルバードと同様でリーチと火力の両立で元々耐久力が無い白の亡人たちを殲滅するのに時間はかからなかった。

 

『大丈夫ッスか!? ぼ、ボロボロじゃないッスか!?』

 

 激戦に次ぐ激戦でオレの防具は全て綻び、黎明の剣は破砕寸前だ。アバターも出血状態の部位が幾つかある上、右上腕はハレルヤのレーザーで大きく抉られ、止血包帯で巻かれながらもその傷口の広さを主張している。確かにボロボロ以外の表現が無いな。

 オレの上半身を抱えて起き上がらせようとするRDに感謝しつつ、オレは震える指で車庫で使い手を待つバイクを指差す。

 

「簡潔に、答え……ろ。オマエの≪騎乗≫スキルでそのバイクは動か、せる、か?」

 

 無限湧き同然の白の亡人はすぐに集まって来るだろう。何よりも、このクリスマスダンジョン自体の制限時間が余り残されていない。ボス戦という山場を越えたが、茅場の後継者が後はゴールまで走るだけ等と言う生易しい設計をしているはずがない。必ず、最後に醜悪なトラップが準備されているはずだ。

 

『え? えぇ!? ふいぇ!?』

 

「……YESかNOで、答えろッ……がぁ!」

 

 

 混乱するRDの襟首をつかみ、その首を振ってやろうかとするも、心臓が痛みを主張して跳ね上がり、オレは苦悶の声を思わず漏らす。

 こうしている間にも白の亡人が途絶えることなく出現し続け、道路を埋め始めている。このままではバイクで走り抜けることさえも不可能になってしまう!

 RDはオレの恫喝にビクリと震え、オレを何とか立ち上がらせてコンクリートブロックに寄りかからせると、恐る恐るといった調子で大型バイクに触れる。彼はシステムウインドウで何かしらの操作をした後、小さく頷いた。

 

『だ、大丈夫ッス。俺なら運転できます』

 

「後で……報酬は、好きなだけ、払う。だから……あの先に学校が、ある。そこまで、連れて行って、くれ」

 

 学校の方角を指差しながら、バイクに跨ってエンジンを吹かすRDに近づき、その後部に乗る。だが、バランスを保てずに倒れそうになり、危うく頭から落下というところでRDに掴まれて難を逃れる。

 

『ちゃんと説明してくださいよ! ここは何処で、一体全体何が起こってるんッスか!?』

 

「クリスマスダンジョンさ。茅場の後継者の糞野郎が準備した、最低最悪のテーマパーク……かな?」

 

『クリスマスダンジョン!? そんなものがあったんッスか!?』

 

 これ以上は説明不要だ。オレはガチガチと歯をRDの耳元で鳴らし、さっさと出発しないとその耳たぶを食い千切ってやると無言で脅す。オレの殺意が伝わったのか、RDは小さく息を吸った悲鳴を上げ、アクセルを全開にする。

 そして、クリスマスに相応しくない真夏の夜空の下、黒いバイクが轟音を響かせて発進した。車庫から飛び出した瞬間に新たに集まった白の亡人を数体撥ね、更に1体はタイヤでその頭部を潰す。

 黒い体液が飛び散り、白い霊体として召喚されたRDの顔面にびちゃりと付着する。

 

『うぎゃぁああああああああああああああ!?』

 

 お化け屋敷のCM素材として売れば極上なのではないかと思えるほどの悲鳴をRDは響かせる。うわぁ、コイツ絶対弄られキャラだろ。

 

『もう訳が分からないッスよ! この報酬はしっかり貰うッスからね!?』

 

「傭兵は……報酬だけは、嘘を、つかない。安心しろよ」

 

 RDの涙が光の粒となって風の中に消えていく。だが、その運転テクニックは確かな物であり、時速80キロは超えているのではないかと思う程のハイスピードの中、右へ左へと鮮やかに減速する事無くカーブを曲がり、障害物を華麗に避けていく。

 いや、それだけではない。まるで『最初から出現する場所が分かっている』かのように、マンホールや茂み、民家から出現する白の亡人を事前に回避する運転をしているのだ。

 噂で聞いた事がある。運び屋専門の傭兵であるRDは極めて臆病であるが、まるで未来予知をしているかのように危機を感じ取る事ができる、と。実際に彼と協働したらしい傭兵達はあらゆる奇襲・強襲・トラップを避け、確実に無傷で目的地に運んでもらっている。傭兵ランクこそオレより1つ下の最下位であるが、それは彼の優れた生存本能に裏打ちされた交戦しないが故の、名誉の最下位だ。

 

「どうして、召喚に応じて、くれた……んだ?」

 

 だからこそ、勝率の低い賭けに勝ったからこそ、オレは素直に驚いていた。これ程までに危機察知能力が高い……正直、危機感知だけならばオレの本能を上回るのではないかと思えるほどの精度を誇るからこそ、分からない。彼ならば召喚のメッセージを受け取った瞬間、そこにある危険を嗅ぎ取れたはずだ。

 恐らく召喚されたプレイヤーはHPがゼロになっても死亡しないだろうが、相応のペナルティが与えられるはずだ。ほとんど他人に等しいオレの召喚要請に、何故RDが応えてくれたのだ?

 

『【渡り鳥】さんの噂はよく聞いてるッス。曰く、「命を何とも思わない狂人」とか「実力が無い弱い者虐め好き」とか「こんな可愛い子が男の子のはずがない」とか』

 

「……凹むぞ?」

 

『でも、俺には分かるんッスよ。【渡り鳥】さんとは敵対しちゃいけない。戦えば、絶対に殺される。敵対すれば、ウサギがライオンと戦うみたいなもので、必ず狩られてしまう。それだけ怖い人なら、逆に恩を売っておこうって思っただけッス。俺はこの世界で勝ち残りたい。勝者の席が限られているなら、俺以外の誰かが負ければ良い。そうすれば俺は勝てる。生き残れる』

 

 そこでRDは言葉を区切り、少しだけ長く息を吐いた。

 

『でも、もっと簡単な方法があるって気付いた……違う、姐さんに教えて貰ったんッス。勝ち残るなら……死にたくないなら、「恐ろしいもの」と同じ陣営にいることが1番大事なんだって。だから、召喚されたのも、【渡り鳥】さんに媚び売っておこうっていう自分都合の打算ッス』

 

 ハンドルを握るRDの拳が強く握られた事にオレは気づく。彼が言う『姐さん』が誰なのか知らないが、その声に滲んだ『痛み』から、既に失われた大事な人なのだろう。

 何故RDのような臆病者が傭兵をやっているのか、少しだけ理解できた気がする。オレは頬を押し付けるRDの背中に小さく呟いた。

 

「打算上等じゃねーか。傭兵は打算とエゴの塊みたいなものだろ?」

 

『はは! その通りッスね!』

 

 高校が視認でき、RDが更に速度を跳ね上げる。ようやく戻ってきた。オレはアイテムストレージからレギオン撃破によって得たパソコン研究会の物置の鍵……正確に言えば、旧校舎の全ての鍵を開錠できるマスターキーを取り出す。

 あともう少しだ。あともう少しで、オマエの元にたどり着くぞ、サチ。

 

「あの古い校舎だ。突っ込めるか?」

 

 RDは無言でうなずき、バイクの前輪を持ち上げて旧校舎の扉をぶち破る。凄まじい衝撃がバイクのフレームに悲鳴を上げさせるも、RDの運転テクニックによってバランス崩壊することなくそのまま校舎の中に潜り込む。

 

『凄い嫌な感じがするッスね』

 

 まだ召喚時間が残されているだろうRDはルッツエルンを及び腰で構えながら、パソコン研究会部室から流れ出しているだろう黒い液体を踏みつけて息を飲む。彼に支えられながらバイクから下りたオレは黎明の剣を抜き、階段を見上げる。

 1歩ずつオレは階段を踏み締めていく。RDは肩を貸そうとするが、オレはやんわりと手で押し退けて拒否する。幾ら召喚時間が残されているとはいえ、ラジードの前例を考えれば残り数分程度だ。ならば、ここから先はオレの自身の力で進めねばどうせ生き残れない。

 手すりを頼りにオレは3階までたどり着き、黒い液体の源泉であるパソコン研究会へと続く廊下を歩む。途中で白の亡人が飛び出したが、RDが出現するよりも数秒先にルッツエルンを振り上げて迎撃してくれる。コイツの生存本能を全て攻撃に回せれば、傭兵ランクの1桁も夢じゃねーかもな。

 

「ここだ」

 

『ここって……「ここ」ッスか!? 駄目。ダメダメダメダメ! 絶対に駄目ッスよ!』

 

 パソコン研究会の物置の扉、それを前にしてRDはゴキブリを思わすスピードで後ずさる。

 まぁ、気持ちは分からないでもない。方向性はどうであれ、本能を持つ身同士だ。この物置の先から感じるどうしようもない『悪臭』を嗅ぎ取らずにはいられないだろう。危険とは違う、まるで真夏に放置した生ゴミのような饐えた悪意の塊が待っている。

 

「それでも行くさ」

 

『や、止めた方が良いッスよ! それに、今の【渡り鳥】さんはボロボロじゃないッスか!? 少し休んだ方が良いッスよ!』

 

「今、休んだら……死ぬ」

 

 比喩でも何でもなく、心臓が止まる。オレは物置の扉の鍵穴にマスターキーを差し込んで回す。錆びた金属が擦れて動き、鈍い音を立てて開錠される。

 開く物置の扉の先にあったのは、蜘蛛の巣が張られた四方の壁の隅を持ち、埃に覆われた窓から腐敗したような月明かりが差し込む空間だ。その中心部では、どろりとした黒い液体に浸された穴が開いている。

 

『ま、待って!』

 

 物置に踏み込もうとしたオレに、消える前兆が現れ始めたRDはタリスマンを引っ張り出して祈るような動作を取る。そして、彼の周囲で山吹色の温かな光が生じたかと思えば、白の亡人との戦いで消費したオレのHPが回復する。

 

『奇跡【中回復】ッス。追加料金は……今回は無しで良いッス』

 

「……悪いな。この埋め合わせはする。ありがとう」

 

 傭兵が無償で援助など本来は最悪の愚行だ。だが、これもRDの性分ならば素直に受け止めるべきだ。それに何より、今のオレも傭兵というよりも、1人の『人間』として動いているしな。

 感謝を述べて微笑むオレに、何故かRDは虚を突かれたような表情をする。しかも妙に頬を赤らめている。

 

『なんか、調子狂うッスね。【渡り鳥】さんも、そんな表情ができるなんて……でも、そんな顔でお礼を言われるのも悪くないッス』

 

 白い光の粒子となって拡散していく中、満足そうにRDは頬を掻きながら笑う。

 消え去った彼を見送り、オレは今後も彼とは協働をしていこうと誓う。

 

「さて、行くか」

 

 オレは黒い穴を浸す液体に触れる。すると、システムメッセージで『黒猫の長の心臓を捧げよ』という文章が表示される。

 魂を蹂躙され尽くされたケイタの心臓。それが導くのはサチがいる場所だろう。そこが何処なのか、既に見当はついている。

 アイテムストレージから取り出した、青銅のような……オレの本能を基にしたプログラムに汚染された彼の心臓を黒い穴に収める。すると停滞していた液体が渦巻き、オレを導くようにその色を濃くしていく。

 躊躇いは無い。オレは黒い穴に飛び込んだ。

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

「いやー、今日の狩りもまぁまぁだったな!」

 

「ハハハ! ダッカーは後ろで隠れてただけだろ。なぁ、テツオ?」

 

「別に良いじゃないか。ダッカーはシーフなんだから、隠れるのも仕事の1つさ。なぁ、サチ?」

 

 同意を求められ、サチは調理の手を止める。

 今日の晩御飯はテツオが仕留めたゴールドバイソンの肉をふんだんに使ったカレーライスである。スパイシーな香りを漂わせながら、サチはどろりとしたカレーが煮込まれて泡立っている。

 

「テツオもササマルも前に出過ぎ。もう少しで私が轢かれそうだったんだからね?」

 

 頬を膨らませるサチに、2人は顔を見合わせる。その様子を見て、ほら見た事かとダッカーは大笑いし、椅子を蹴ってサチの元に駆け寄る。

 

「おお、美味そうだな! さすがサチ! 槍はともかく、料理は一流じゃん!」

 

「私以外に≪料理≫スキルが高い人いないからでしょ?」

 

「はは! サチのメシは美味いからな! やっぱり、男よりも女の子の料理の方が、何て言うか……こう、味に込められてる愛情が違うんだよ!」

 

 拳を握って力説するダッカーの頭をササマルが叩き、その首を腕で絞める。

 

「だからって、俺のおにぎりを『男の汗の味がする』って吐き出すことはないんじゃないかなぁ、ダッカーくぅん?」

 

「ぐぇええええ! 苦しい! ギブ! ギブギブ! ギブアップです、ササマル様ぁ!」

 

「ハハハ!」

 

「テツオも笑ってないで助けろ!」

 

 腕をばたつかせて助けを求めるダッカーを横目にテツオはサチが盛ったカレーライスをテーブルに並べていく。

 

「2人とも騒がないで。ほら、もう出来たよ」

 

 サチは暴れる2人をたしなめ、リビングに設けられた長テーブル、その1席に腰かける。

 次にテツオが、競うようにしてササマルとダッカーが同時に自分の席に着く。

 

「「「「いただきます!」」」」」

 

 使用されたゴールドバイソンの肉の効果か、カレーのルーは眩いばかりの輝きを秘めているかのようだった。調理者として自分好みの辛さに調整したサチは、やや硬めで歯応えがあるゴールドバイソンの肉を噛み締めながら、最高の出来上がりだと笑む。

 テツオはスプーンで一口ずつゆっくりと味わっている。甘党のササマルには少し辛過ぎたのか、水を飲みながらカレーライスを口に運んでいる。ダッカーは皿を持ち上げて口内に描き込み、頬をハムスターのように膨らませていた。

 

「ん~、最高だなぁ! これがラグーラビットに次ぐといわれるゴールドバイソンの肉か!」

 

「俺が見つけたんだから感謝しろよ?」

 

「はいはい。ダッカーも良い仕事したよ。でも、焦って飛び乗った挙句、ヘイトを集めて追いかけ回されていたのを助けたのは何処のササマル様かなぁ?」

 

「うぐっ!」

 

 痛いところを突かれてダッカーは押し黙り、ササマルはニヤニヤと笑ながらダッカーの皿から大粒の肉をスプーンで助けた報酬だと言わんばかりに奪い取る。

 

「……トドメを刺したのは俺なんだけどなぁ」

 

 ぼそりとテツオが呟き、1番ゆっくり食べていたはずなのに皿を綺麗に空にし、早速お替りする。

 全てはあり得なかった『未来』。皆で選んだ調度品で飾られたマイホームの中、夜の闇を浸す窓の外を見ながらサチは微笑む。

 今のサチは幸福そのものだ。相変わらず戦うのは恐ろしいが、テツオもササマルも『記憶』にあるよりも格段に強く、まるで攻略組のようだ。ダッカーもおちゃらけていながらもシーフとして決してミスを犯さない理想そのもののムードメーカーだ。

 

「早くケイタも『帰って』来ないかなぁ……」

 

 仮想世界故に冷める事は無いが、それでも味が時間の経過と共に劣化していくような気がする。サチはテーブルの中の1角、月夜の黒猫団のリーダーが座るべき席に置かれたカレーライスを眺めながら呟いた。

 

「もうすぐさ。ケイタは『仕事』を終えたら必ず来る」

 

 サチの呟きを拾ったテツオがサチの肩に触れる。

 既に『未来』に来てから随分と時間が経った気がする。だが、月夜の黒猫団は大事なピースが……ケイタが欠けたままだ。まだ完璧ではない。理想の『未来』が訪れていない。

 ケイタの不足をテツオたちは『仕事』のせいだと言う。その『仕事』の内容が何かは分からないが、3人とも必ず帰って来ることを確信しているようだ。だから、サチも心配ではあるが、こうして幸せを享受しながらも待ち続けることができている。

 ケイタさえ帰ってくれば、この『未来』は完成する。もう何にも苦しめられる事が無い世界が出来上がる。

 そのはずなのに……サチはテーブルを囲む、誰とも知れぬ『6番目』の席に視線を運ぶ。

 

(この席は……『誰』の席だっけ?)

 

 ぼんやりと、サチはそこに座るべき人物を思い出そうとする。だが、霞がかかっていて、手を伸ばそうとしても届かない。

 だが、大切な人だったはずだ。どれだけ『記憶』が偽りと嘘に塗れていても、『この人』の思い出だけは本物だったはずだ。そんな『祈り』があったはずだ。

 

「ねぇ……ケイタが『帰って』来たら、全員揃うんだよね?」

 

 疑問をサチは呟く。するとササマルは肩を竦め、当然とばかりに頷いた。

 

「当たり前だろ! 月夜の黒猫団は『5人』なんだから!」

 

「そうそう!」

 

 同意するダッカーを見て、何故かサチは更に不安と疑念を増幅させる。

 小さな亀裂。胸の中で何かが……いや、『サチ』の感情が悲鳴を上げている。

 忘れないで。忘れないで。忘れないで。そう叫んでいる。

 

(違う……『5人』じゃない。必ずいたはず。もう1人いたはずなのに……どうして思い出せないの?)

 

 イメージは浮かぶ。黒いコートを靡かせ、片手剣を振るう勇ましき姿。なのに、その背中は寂しそうだった。

 だから抱きしめてあげたかった。でも、怖がりで臆病な『サチ』には出来なかった。だから……だから、望んだ。

 何を? 頭痛が広がっていく中で、サチは黒のイメージを必死に拾い上げようとする。だが、それを禁じるように、サチの肩に触れるテツオの手の力が強まる。

 

「サチ、月夜の黒猫団は『5人』だ。『アイツ』は要らない」

 

 冷たい声音に、サチは恐る恐る振り返る。そこには表情こそ変わっていないが、まるで毒が滲みだすように黒い何かを溢れ出させるテツオがいた。

 いや……これは本当に『テツオ』だろうか? それは『サチ』が知っているテツオとは余りにも違い過ぎる。

 

「いた……いたよ。ここに、ここに……『彼』はいたはずなの」

 

「いないよ。『アイツ』は嘘吐きだ。俺たちの仲間じゃない。汚らしいビーターだ」

 

 否定の言葉を重ねるササマルが立ち上がる。その目から黒い涙が溢れ出し、美しい『未来』を黒く染めていく。

 

「だからサチも忘れちゃえよ。『理想の世界』に不要な物は切り捨てるんだ」

 

 ササマルの形が崩れていく。肉の泥となり、世界を圧迫させていく。

 不思議とその光景に恐怖心は無かった。

 何故だろう? いつの間にか黒に塗り潰されたサチは圧迫感を覚える。

 それは肉の根。まるで獲物から養分を吸い取る様に、あるいは自分の1部にするかのようにサチに絡みつき、肉へと食い込み、骨まで根を張っていく。

 

「私は……私は『サチ』じゃない」

 

 それでも、『あの人』への想いは本物だった。だから、『未来』には『あの人』が必要なのだ。

 

「……『あの人』って……だ、れ?」

 

 思い出せない。あれ程鮮明に『記憶』に刻まれていたはずなのに、今はまるで写真が泥で塗りつぶされたかのように、ぼんやりとイメージしか浮かばない。

 忘れたくない。サチは必死になって写真を汚す泥を払い除けようとする。だが、泥は赤黒い肉となり、サチの手を汚していく。彼女が触れば触る程に、『サチ』の……いや、彼女の想いが汚れていく。

 

「違う……違うの! 私が……私が欲しかった『未来』は……皆がいる『未来』! ケイタも、テツオも、ササマルも、ダッカーも……何よりも『あの人』がいる『未来』なの!」

 

 消えないで! サチは朽ちていく写真を抱きしめる。だが、泥に汚染された写真はボロボロと崩れていく。その破片が散る度に、サチの中から大切だった『想い』が消えていく。

 

「助けて……お願い……助け、て……この想いを、消さない、で……」

 

 手を伸ばす。

 求めたのは、いつだって助けに来てくれた『あの人』の手。

 焼き付いた死の『記憶』。その中でも『あの人』は『サチ』が死ぬ瞬間まで救うべく手を伸ばしてくれた。

 あの時、『サチ』は手を伸ばさなかった。諦めてしまっていた。死ぬ事を受け入れてしまっていた。

 だけど、手を伸ばすべきだった。そうすれば、『あの人』が奇跡を起こしてくれたかもしれない。黒き風のように、その剣で絶望を払い除けてくれたかもしれない。

 写真の破片から『あの人』の名前を拾い上げる。その名を呼べば、この手を取ってくれるという奇跡を信じて。

 

「助け、て……キ、リ……」

 

 だが、その名を全て紡ぐことはできない。肉の根が喉に絡みつき、黒がサチを覆い尽くしていく。

 押し潰される。伸ばした手すらも闇の中に消えていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どーも。王子様の代理だ、糞ったれが」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 黒を斬り裂いたのは一閃。

 肉の根を強引に断ちながらサチの伸ばした手を取り、引き摺り出したのは白髪の傭兵だった。




クリスマスは奇跡が起きるものです。

それでは、126話でまた会いましょう!

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