SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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絶望が足りない? 悲劇を寄越せ? 苦悩は何処いった? 恐怖の出番はどうした?
もう四凶さんたちは仕事の打ち上げにいかれました。
ここからは残業組の出番ですね!


Episode13-23 そして黒猫は真実を知る

 闇の穴を落ちた先、そこは予想した通り、SAOの雰囲気を残した家屋だった。檜のように温かみのある木製の壁、天井にはガラス製のランプが吊るされて強い輝きを放出する蝋燭が揺れ、床に敷かれたカーペットは落ち着きのある青色。いずれもセンスが良い。

 ただし、それらは等しく薄い肉膜に覆われ、グロテスクな侵蝕を受けているという外見補正を排除すれば、という話だ。

 リビングに当たるだろう広々とした空間、そこにはまるで心臓のように拍動する巨大な肉塊が触手をうねらせながら敵意をオレに向けている。というのも、その中心部には醜い大きな線上の傷口を開けられているからだ。

 どろりと溶けた肉と血を付着された黎明の剣。刃毀れしていた為、ほとんど力任せに押し斬らせてもらったが、どうやら選択に間違いは無かったようだ。

 黒い液体に導かれ、オレが到着した時に見えたのは、肉塊へと埋もれていく、まるで『アイツ』に助けを求めるように伸びたサチの右手だった。強引に斬ればサチも両断しかねなかったが、そんな躊躇こそ大きな代償を支払う羽目になると考え、彼女の手を引っ張りながら肉塊を切り開いた。

 その選択は正しかった。黎明の剣を右手で構えながら片膝をつき、左腕でサチを抱きながらオレは肉塊を睨む。その頂点には3つの、それぞれが独立したHPバーがある。記載されている名はテツオ、ササマル、ダッカーの3人だ。信じられないことであるが、この肉塊はあの3人のようである。

 なるほどな。『悪臭』の正体はこれか。RDを連れてこなくて正解だ。こんな物を目にすれば、彼の絶叫で脳髄が3回転する程度には揺さぶられていただろう。

 茅場の後継者の最後の仕掛けといったところか。本来ならばボスの試練を超えた王子様役の『アイツ』がサチを救出……といった流れだったのだろう。あるいは、救出を実行するにも間に合わず……といったところか。

 

「クゥ……リ」

 

 馬鹿面、もとい呆けているサチにオレは苦笑する。何が何だか分からないと顔面全てを使って主張する彼女の気持ちは分からないでもない。

 

「何だ? 大好きな『あの人』じゃなくて残念だったか?」

 

「え? ち、違うよ!」

 

「そんな顔で否定しても説得力ねーよ」

 

 茶化しながら、サチを再び捉えようとする触手をオレは黎明の剣で払う。切断したくても、今のこの剣は『刺して傷口を広げる』鈍器なので仕方ない。

 触手が鞭となり、邪魔者であるオレを殺そうと振るわれるが、それらはレギオンの脊椎に比べれば余りにも稚拙だ。数は倍近くあるが、見切るのは児戯にもならない。サチを抱えながらオレは鞭の嵐を潜り抜ける。

 小さくサチの悲鳴が漏れる。オレの感覚では余裕の回避でも、戦闘の素養が無いサチからすれば、まさに『死』が目前で幾度となく通り過ぎているようなものだ。

 

「なん……で、来てくれたの?」

 

 鞭の嵐の間合いから外に出たオレはサチを立たせようとしたが、彼女は止血包帯が巻かれたオレの右上腕部を撫でる。抉られた傷口が疼くような気がした。

 

「こんなにもボロボロなのに、どうして来てくれたの?」

 

 今にも泣きそうなサチに、オレは肩を竦めて見せた。

 

「ダンジョンの脱出ルートを探そうと色々探索してたらオマエの所に着いただけだ」

 

 嘘は言っていない。この場所こそがクリスマスダンジョンの終着点だ。そうであるならば、サチの元にたどり着いたのは必然である。

 自分の足で立ったサチを後ろに、オレは絡みつこうとする触手を蹴りで砕き、黎明の剣で突き刺す。弾けた肉片が室内に飛び散り、足に泥のように溶けた肉と粘つく血液が付着する。だが、テツオたちのHPバーは減少しない。

 心臓が潰れるかのような痛みに、一瞬ではあるが、表情が歪みそうになる。だが、それをサチに悟られまいと耐え、オレは今にも倒れそうな痙攣する足を隠す。

 

『なんで邪魔するんだ』

 

 肉塊から響くのはテツオの声だ。明らかに怒りが含んだ声音と共に触手が3本同時に……内の2本は囮であり、本命の1本はサチを狙っているのがバレバレではあるが、オレに迫る。ブラフの2本はサチの首根っこをつかんで回避し、サチ狙いだけを黎明の剣の刺突で抉り飛ばす。

 

『【渡り鳥】、全てを焼き尽くす凶鳥。何でサチの幸せを奪う?』

 

 今度はササマルか。相変わらず顔を見せないが、肉塊から芽吹くように突起が出現し、徐々にその先端が膨張していく。

 

『ここが理想の終着点だ。サチ、お前も分かっているはずだ。嘘と偽り、本物ではない俺達の幸せは夢の中にしか存在しない。幸せな「夢」だっただろう? さぁ、一緒に続きを見よう』

 

 傷口が修復されていく中でダッカーの声が響く。サチを誘惑するように、優しい声で心を毟ろうとする。

 背後のサチは何も言い返せず、ローブの裾を握りしめて苦しそうに黙り込んでいる。まぁ、確かにサチは『サチ』じゃなかった。反論のしようがないだろうな。

 

「だから何だ?」

 

 オレのキャラじゃない? そんなの糞喰らえ。ここに来た段階でキャラ崩壊は自覚済みだ。オレは3人の主張を嘲う。

 

「サチが『サチ』じゃない? そんなのどうでも良いんだよ。大事なのは、『今のサチ』の心だ。本当に『夢』の中にいるのが幸せだったなら、何でサチは苦しんでる? 何で手を伸ばした? 何でお前らを拒絶した?」

 

 これは3人だけではなく、後ろにいるサチへの問いかけでもある。

 黎明の剣をその場に突き立て、柄頭に手を置く。挑発するように胸を張って堂々としているように見せているが、単純にバランスを保つのが厳しくなってきただけだ。だが、それを3人にもサチにも勘付かれるわけにはいかない。

 

「簡単な話だろ? 幸せは色も形も千差万別。オマエらが描いた『夢』とサチの『夢』は違う。だったら、オマエらの『夢』はサチにとって単なる虚ろな地獄だ。それに気づけない程にオリジナルから感情も受け継いでいないのか?」

 

 複製を繰り返され続けた『機械化された記憶』、ファンタズマビーイング。オリジナルを複製し、目的に合わせたテストで最高の結果を出した優良コピーを更に複製し、テストし、複製し、それをひたすら繰り返して生み出された、元人間のAI。

 哀れと言えば哀れだ。ここにいるファンタズマビーイング体の3人は、オリジナルの矜持も信念も想いもなく、ただデータ化された記憶だけを引き継いだ存在なのかもしれない。

 だからこそ、解せない事がある。

 

「そもそも、オマエらの目的は何だ? 何でサチを求める?」

 

 コイツらがファンタズマビーイング体であり、オリジナルの感情や意思を継いでいないならば、サチに固執する理由が分からない。先程の肉塊に囚われていたサチは、まるで3人に汚染・侵蝕されているかのようだった。

 それも演出に過ぎないのか? いや、違うな。それも含まれるだろうが、茅場の後継者の悪意を丁寧に掬い上げれば、1つのビジョンが見えてくる。

 

 

 

 

「……オリジナルになりたいのか?」

 

 

 

 

 ずっと不思議に思っていた。コイツらはサチを惑わし、自分達の元に彼女の意思で赴かせた。だが、オリジナルではない彼らにとってサチとはどれ程の価値があるというのだろうか?

 オレの問いに3人は答えない。返答代わりに、まるで秘密を暴かれて癇癪を起した子どものように触手が殺到するも、いずれも感情ばかりが先行して軌道が荒く、避けるまでも無くオレの周囲を通り過ぎるだけだ。

 

「図星か」

 

『……お前の言葉をそっくり返してやる。「だから何だ?」』

 

 感情を押し殺したササマルの言葉に、オレは溜め息を1つ吐く。

 まったく、この聖夜を『アイツ』が何処かでのうのうと過ごしているのではないかと思うと殺意を覚えそうだ。オマエの因縁濃過ぎだよ。オレを過労死させる気か。こっちは1度心臓止まってるっていうのに。

 

「サチ、ハッキリ言ってやる。オマエは『サチ』じゃない」

 

 オレの断言にサチは沈痛な面持ちをする。彼女からすれば、自分を再度全否定されたようなものだろう。

 

「誰だってそうだ。『自分』に固執する。オレも、オマエも、あの3人もな。自分を見失うのは怖い。恐ろしい。その感情は正しいさ。だけどな、サチにとって『自分』を定義するものは何だ?」

 

 これは彼女だけではない。眼前の肉塊に対しても尋ねている。それはオレが真っ直ぐと睨んでいる事で伝わっているはずだ。

 

「私は……私は……」

 

 嘘と偽りだらけの記憶。確かに経験とは本人の裏打ちだ。人間は生まれ持った本質と積み重ねた経験から自己を形成し、定義付けていく。ならば、記憶が継ぎ接ぎだらけで、虚実で塗り固められていたならば、それは自己の否定にも繋がるかもしれない。

 ならば、記憶喪失の人間が全く別の過去を教えられて信じ込んだとして、自分以外の誰かになるだろうか?

 

「オレの知っているヤツにこんな男がいた。そいつはアインクラッドを生きた過去を持っていた。残忍で、欲塗れで、狂っていた男さ。だけど、その男にとって過去は対決すべき悪だった。もしかしたら、その男の頭の中に詰まった記憶は嘘だらけだったのかもしれない。欠落していたのかもしれない。それでも、その男は自分が『自分』である理由を見つけていた」

 

 蘇るのはクラディールの首を斬った感触。目を焼くように浮かび上がるのは、最期の瞬間の穏やかな表情。彼は誇り高く死んでいった。

 今ならば分かる。あの狂ったクラディールこそが……アインクラッドを生きた事を狂気と怨嗟を撒き散らしながら述べていたあの姿こそが、きっと『本物』のクラディールだったのだろう。

 

「善人であれ。その男にとって、自分の善性を貫く事こそ自分が『自分』である定義だった。それが……アイツの『祈り』だったんだ。それに殉ずることが『答え』だったんだ」

 

 そう言って、オレは笑いかける。背後にサチにも、肉塊となった3人にも、等しく笑んだ。

 

「1度だけ尋ねる。サチ、オマエが『オマエ』である為に必要なのは……頭の中に詰まった記憶か? それとも、その胸に宿った『アイツ』への……オマエが焦がれる剣士への感情か?」

 

 嘘だろうと真実だろうと関係ない。大切なのは、何を本物と定めるかだ。

 それが『自分』であり続ける柱になる。何にも惑わされない確固たる道標となる。

 

「オマエらもそうだ。サチを求めたのは、自分の記憶に焼き付いた残滓を求めたからだろう? 大切な思い出を取り戻したかったからだろう? だから、『本物』を持っているサチに固執したんだろう?」

 

 アルシュナはサチとコイツらを区分した。つまり、サチはファンタズマビーイング体とは微細な違いがあるからだろう。きっと、コイツらはそこにオリジナルに戻る為の道を探し求めたのだろう。

 

「……たく、ないよ」

 

 震える声で、泣きじゃくりながら、涙を必死に手の甲で拭いながら、サチは訴える。

 オレは耳を傾ける。彼女の『祈り』の先にある『答え』を聞き逃さない為に。

 

 

 

 

 

「忘れたく、ないよ……記憶は嘘だらけでも、この感情すら作り物だとしても、『あの人』への想いは『私』のものだから……!」

 

 

 

 

 

 たくさん遠回りした。

 多くの挫折があった。

 でも、それがサチの出した『祈り』の先にある『答え』であるならば、オレは道化らしく彼女の為に道を切り開くだけだ。

 サチの宣言と共に触手が彼女を捕らえ……いや、潰そうと襲い掛かる。サチを抱えて逃げるオレを触手が追いかけ、『夢』の世界を……月夜の黒猫団のマイホームだろう家屋を破壊していく。

 

『認めない』

 

『どうしてだ? どうして、あんな汚らしいビーターへの想いが必要なんだ? そんなもの、オリジナルに至る為には不要だ。俺達がこんな風になったのは……全部あの汚らしい嘘吐きのせいなのに』

 

『俺達の願いはただ1つ、「あの頃に戻りたい」だけだ。そこにビーターは要らない』

 

 そして、コイツらが出した『答え』はサチの『答え』を否定する事か。それはそれで良いだろう。

 オレは黎明の剣で肩を叩きながら、ここからが本番だとレギオンを喰らって満足し、うたた寝していた本能を蹴り起こす。

 

「都合の良いように改竄された過去……まさに『夢』が欲しいってわけか。そんな所にオリジナルとの同一性があるかどうかは知らねーが、それが『答え』ならオレを斃してみろ。今この瞬間からは……力こそが全てだ!」

 

 触手の嵐が吹き荒れる。もはやサチを殺すことさえ厭わない乱打を潜り抜けるのはオレ単独ならば容易いが、サチを抱えながらとなると難易度が高い。何よりも屋内である以上、必然として触手の間合いが空間の大半を埋めている為、サチを安全地帯に残して戦闘に集中することができない。

 

「……ぐっ!」

 

 何よりも心臓が何処まで耐えられるか。アバターはその運動量や心情に合わせてアバターに搭載された仮想心臓に影響を与える。この仮想心臓は本物の心臓とも連動しており、現実世界の心拍を基準にして心拍数が算出する。

 恐らくファンタズマ・エフェクトの後遺症だろう。アバターの運動がそのまま心臓に未だ影響を与えている。感覚として少しずつ薄れている気はするが、それは1分や2分で解消されるものではない。

 

「クゥリ、大丈夫!?」

 

「……オレの事は気にするな。今は自分の事だけ考えろ!」

 

 心臓の痛みをつい顔に出してしまい、サチが目敏くオレの身を心配する。だが、今はサチの『答え』を守ることが最優先だ。

 もう1度心臓が止まる? ならば、もう1度叩き起こせば良い。何度だって立ち上がってやる。

 触手を払い除けながら、オレは肉塊に黎明の剣を突き立てる。欠けた切っ先が肉を押し潰しながら内部へと侵入し、肉塊が悲鳴を上げるように震える。だが、3人のHPが減少する様子は無い。

 と、オレが黎明を剣を抜きながら後退しようとした時、ズボンのポケットに入れた黒猫の鍵が鼓動するように輝く。それと連動するように、月夜の黒猫団のマイホーム、その出入口だろう玄関の扉も光り輝いた。

 玄関のドアには、肉塊やら肉膜やら触手やらでグロテスクに彩られた世界に不似合いな、デフォルメ化された黒猫の形をした南京錠が取り付けられている。

 

「ここは『夢』の場所。だったら、出口は文字通り脱出路ってわけか」

 

 茅場の後継者も憎い演出をしやがるものだ。肉塊は鍵の光を見て、オレと同様の結論を出したのか、触手を分離して玄関の前に陣取らせる。黎明の剣が万全ならば斬って払い除ける事も難しくないが、現状ではとてもではないが斬り払えないだろう。何よりも、そんな隙を見せれば、オレはともかく、サチは触手で押し潰されかねない。

 

『行かせない』

 

『サチは俺達が「本物」になる為に必要なんだ』

 

『「夢」の続きを見るんだ……今度こそ「本物」になって……』

 

 厄介だな。サチを殺しにかかる程度には精神が吹っ飛んでいる。オマエらがオリジナルになる為にはサチが必要ならば、ここで殺せばその足掛かりを失う事になるだろうに。

 サチを巡る攻防戦では、底が見えない分3人の方が有利か。破壊された長テーブルの破片が掠り、サチの額からは赤い血が垂れている。やはり、サチの肉体はオレ達プレイヤーと違い、限りなく本物の人間に近しい物であり、耐久力も同様とみて良いだろう。たとえば頭部に攻撃を受けてもHPを減らすだけのオレに対し、サチの場合は頭蓋骨が砕けて脳がミンチになってしまう。

 それを知っているからこそ、肉塊は触手の手数で押し込んできているのだ。これでは防戦一方のオレは削り殺される。

 

「……サチ、今からオレの言う通りに、命を懸けて動けるか?」

 

 この現状を打破する方法は1つしかない。こちらには最後の手札が残されている。ただし、この為にはオレではなく、サチが死の恐怖を乗り越える度胸を示さねばならないだろう。

 戦闘素養が無いサチにとって、それがどれ程の恐怖を伴うだろうか。サチは一瞬だけ迷いを見せたが、すぐに毅然とした表情で頷く。

 

「大丈夫。私も……私も戦う!」

 

「良い返事だ!」

 

 触手を回避しながら、オレはサチの耳元で作戦を伝える。サチは正気を問うかのような目をしたが、それも数秒だけだ。

 触手が4本絡んで1本の太い触手となり、オレとサチを叩き潰そうとする。その瞬間に、オレはサチの背中を蹴った。その衝撃でサチは前のめりになりながら吹き飛ばされて壁に叩き付けられ、オレとサチは左右に分かれる形になる。

 まさかの分離に一瞬だけ触手の動きが止まる。だが、あくまで狙うべきはサチ。触手はオレではなく、口から血を吐きながら立ち上がるサチへとその全てを向ける。

 させるものか。オレは心臓の制止を振り切って≪格闘≫のソードスキル、流星打を発動させる。ソードスキルの光に乗った渾身の正拳突きが肉塊に吸い込まれ、その破壊力と衝撃を余すことなく注ぎ込む!

 肉塊の表面が破裂していき、オレの全身を溶解した血肉が染める。口内にも紛れ込んで来たそれを舌の上で転がし、喉を鳴らして呑み込む。

 

「……マズ。まだゴキブリ喰った方がマシだな」

 

『き、貴様ぁあああああああ!』

 

「オホホホホ! そういう絶叫は負け確の三流の台詞ですわよ、テツオさん!」

 

 流星打を受けて停止した触手が再び蠢く。だが、その頃には全てが遅い。リビングと直結したキッチンにたどり着いたサチはその手に包丁を輝かせていた。

 ダッカーの嘲笑が響く。武器ではない包丁では触手の壁を斬り払うには時間がかかり、玄関にはたどり着けるはずがないからだ。

 

「クゥリ!」

 

 だから、サチがあろうことか、オレに向かって包丁を投げた事に対応できなかった。触手の間を抜け、回転しながらオレに迫った包丁の柄をオレはキャッチする。

 覚悟は良いか? オレはサチに最後のアイコンタクトをし、確認を取る。だが、既にサチはそんなもの不要とばかりに、オレを見ることなく玄関に向かって駆けていた。

 

『な、何をす――』

 

 ササマルが全てを言い切るより先にオレは包丁を天井にぶら下げられた、蝋燭の火が揺れるガラス製のランプへと投げる。それと同時に、最後の1個の火竜の唾液を取り出して足下に叩き付けながら離脱する。

 包丁は天井とランプを繋ぐ鎖に命中し、ランプは仮想世界の重力に従って落下する。それを触手が止めようとするが、乱雑な動きしかできない荒々しい触手ではガラス製のランプをつかむなど土台不可能だ。

 床に落ちてランプが割れ、蝋燭の火が火竜の唾液と交わり……室内全てを焼くような炎が舞い上がる。それは退避したオレはもちろん、肉塊も、サチも、等しく焼きながら拡大していく。

 

『ぐがぁああああああああああ!』

 

『しょ、正気か!?』

 

『こんな真似をすればサチは……っ!』

 

 馬鹿は貴様らだ。オレは退却ついでに口の中に放り込んでいた白亜草でじっくりと回復しながら、炎によって焼き払われた屋内……もちろん、玄関を封鎖していた分離した触手も焼け落ちる中、黒いローブを翻すサチの姿を目にする。そして、その右手にはオレが蹴り飛ばす寸前で渡した黒猫の鍵が握られている。

 

『ど、どうして!?』

 

 ダッカーの悲鳴ような疑問は尤もだ。

 答えは至って簡単である。サチの右手の人差し指で光る星巡りの指輪だ。彼女にコンビニを出る時に預かってもらっていたこの指輪の効果、それは魔法属性防御力を火炎・雷・水属性防御力に均等分配するというものだ。

 無名の闇霊の戦いの時、サチはソウルの槍の直撃を受けたにも関わらず無傷だった。この事から、サチの黒ローブには規格外の魔法防御力が付与されている事が分かっていた。

 その規格外の魔法防御力をゼロにする代わりに3つの属性防御力を……特に火炎属性防御力を引き上げる。たとえ分配されたとしても、火竜の唾液の猛炎の中を突っ切るには十分だろうとオレは踏んだ。

 もちろん検証したわけではなく、絶対の安全は無い。何よりも、これは言うなれば火災現場に飛び込めというようなものだ。その恐怖を振り払わねば……熱せられた空気に立ち向かわなければ、この策は失敗する。

 だが、サチはやり通した。最大限に皮膚が晒される面積を狭めるようにローブを纏い、フードを深く被った彼女の足には微塵の迷いも無い。一方の肉塊は炎の中でサチを捕らえようとしても、焼き焦がされてサチに届かない。いや、その伝わる熱を強引に突破しようとすれば捕まえられるかもしれないのに、猛々しく燃える炎に躊躇して彼女まで触手を伸ばせない。

 

「行け、サチ!」

 

 オレは彼女の背中を押すように咆える。サチは炎の中で錠前に黒猫の鍵を差し込んで回し、玄関のドアを開ける。そのタイミングで炎が弱まり、触手が槍のように迫るが既に遅い。サチはドアを潜り抜けた後であり、触手はドアに衝突して潰れ、塗り固めるに止まる。

 

「これでオレたちだけ……だ、なっ!」

 

 もう痩せ我慢をする必要はない。サチを見送った笑顔のまま、オレは片膝から崩れる。辛うじて黎明の剣を杖にして転倒を堪えるが、それでもソードスキルを含めた大立ち回りは心臓を随分と引き絞った。

 

『お前さえ……お前さえいなければ!』

 

 焼け爛れた肉塊の中で、ようやくオレは彼らの本体を目にする。

 拍動する巨大な心臓、それに張り付いた3つの顔……それはテツオ、ササマル、ダッカーの3人のものだ。心臓は僅かに焦げ付き、3人のHPは平等に1割ほど削れてしまっている。

 肉塊が蠢き、焼けて開いた穴を塞いでいく。そして、表面にできていた突起が増々膨らんだかと思えば、そこから人間の姿をした3人がそれぞれの得物を手にして立ち塞がる。

 

「ずっと邪魔だった」

 

「どうしてビーターじゃなくて、お前が来たんだ?」

 

「部外者のくせに、出しゃばりやがって」

 

 口々にオレへの殺意と呪いの言葉を吐くが、オレからすればそんな物は火竜の唾液の燃焼でオーブンの中のように高熱になった空気を涼ませる冷風だ。

 

「……もうサチはいない」

 

 だから、ここからは『バケモノ』の時間だ。

 叩き起こされた本能が不機嫌に大顎を開けて欠伸をし、新たな獲物を前に歯を鳴らす。

 とても不味そうだ。だが、たまには饐えた肉を食べるのも悪くない。ダッカーがスピード任せにナイフでオレの心臓を狙う。その速度はまるでハレルヤの瞬間加速のようであるが、まるでコントロールできていない。オレは左手を突き出し、その顔面をつかむとそのまま床に叩き付ける。潰れた後頭部から赤黒い血と脳漿が飛び出し、『生産』されたダッカーが絶命する。

 しかし、それは囮だ。ダッカーの死の間に、オレの左右から迫ったテツオとササマルが牙を剥く。テツオは右手に持つ銀色に光る戦槌を振り下ろし、ササマルは黄金の穂先が付いた槍でオレを突く。どちらもアインクラッドの70層近くでレアドロップする武器であり、とてもではないが彼らの腕に見合わないレア武器だ。

 

「理想の自分になれて満足か?」

 

 シーフ型のダッカーは超スピードを、テツオとササマルは英雄のような武器を得た。だが、それは彼らの実力に見合わぬ幻だ。

 槍の穂先を避けて柄をつかみ、そのまま軌道を曲げて戦槌を振り下ろしていたテツオの喉へと誘導する。黄金の穂先は彼の喉を貫き、血と喉仏を連れて貫通する。その血飛沫を後ろに、オレは刃毀れした黎明の剣でササマルの後頭部を横殴りにし、転倒したところで右目を貫いて脳を串刺しにして殺害する。

 ゆらりと、全身の倦怠感を乗せてオレは肉塊へと……その内部に隠された3人の顔が張り付いた心臓を透かして見るかのように視線を向ける。

 

『……ひっ!』

 

 それは3人の内の誰の悲鳴かは分からない。だが、そこに含まれた怯えを確かにオレは嗅ぎ取る。

 

「この程度で『アイツ』と戦うつもりだったのか? つまらん。退屈だ。さっさと終わらせるぞ」

 

 ガキだって知っている。『夢』は醒めるから『夢』なのだ。

 ならば、『夢』を『答え』にした彼らの終着点はここだ。

 

「仰る通りでオレは部外者だ。だから『アイツ』と違って、オマエらを殺すのに躊躇いなんかない。安心しろ、全員眠らせてやる。せいぜい足掻け。『今のオマエら』の生に縋りつけ」

 

 

▽   ▽    ▽

 

 

「ハァ……ハァ……!」

 

 膝に手をつき、サチは荒い呼吸を整える。手の甲は火傷のように爛れ、頬も熱を帯びているように熱いが五体満足だ。

 クゥリも無茶な作戦を立てる。サチは耳元で炎の中を突っ切るプランを説明された時は自殺しろと命じているのかと思ったが、彼の眼光に込められた勝利への布石を見て、詳細な説明を受けずに了承した。

 サチを守った星巡りの指輪は炎を浴びながらも金色の輝きを曇らせる事無く、彼女の右手人差し指で光っている。

 

「守ってくれてありがとう」

 

 指輪に感謝を告げながらピカピカの表面を撫で、サチはようやく呼吸が整え、玄関のドアを潜り抜けた先を見回す。

 そこは普通に考えれば窓から覗いていた外の風景のはずだ。サチが『夢』を見ていた間、何度も玄関を潜り抜けたが、その先にあったのはアインクラッドの風景だ。だが、あの『夢』が全て肉塊に囚われていた中で見ていた物だったのだろう。玄関の先に広がっているのは、静謐な青色の石造りの廊下だ。まるで電子回路のような緑の光のラインが刻まれており、それらのエネルギーが全て廊下の先に注がれているような印象を覚えた。

 先程までのグロテスクに変質されたマイホームとは違い、まるで想起の神殿のような神聖さを宿した空間の空気を大きく吸い込み、サチは最初の1歩を踏み出す。

 廊下は1本道であり、右へ、左へ、と数回曲がることはあったが、何にも邪魔されることなく、サチを奥へと誘っていく。

 

「ようこそ、VP00241……いえ、サチ。あなたの『答え』の地へ」

 

 廊下の最奥、まるで自動ドアのような銀色の扉の前で待っていたのは、憂鬱そうに艶やかな黒髪を垂らす1人の女性だった。前髪の間から覗かせるのは青の瞳であり、それはサチを真っ直ぐと捉えていた。

 

「えと……あなたは、誰?」

 

 不気味ではないが、何処か人間離れした雰囲気を纏う女性にサチは思わず後ずさりながら、恐る恐る問う。今のサチに武器はなく、仮に敵ならば抗う術が無かった。

 だが、サチを害する意思はないと表明するように、女性は柔和に手招きする。

 

「私はアルシュナ。この先に待つもの……クリスマスダンジョンを突破した者に『真実』を伝えるのが私の役目です」

 

 そう言ってアルシュナは銀色の扉に触れる。すると自動ドア特有の機械音を響かせ、滑らかに扉は横にスライドする。

 扉の先は廊下と同じ、緑のラインが刻まれた青の石で覆われた部屋だった。だが、その中央部には巨大な半透明の円柱がある。円柱の内部はエメラルドグリーン色で発光する液体に浸されているかのようだった。

 無言で導くアルシュナに、サチはトラップを警戒しながら部屋へと踏み入る。

 

「サチ、あなたは既に理解していると思いますが、あなたはソードアート・オンラインで死亡したサチと同一人物ではありません」

 

 アルシュナは円柱の前で振り返り、クゥリと同様にサチが『サチ』ではないと言い切る。

 胸の中で小さな痛みが……針に刺されたように心に穴が開いて僅かに血が滲む。だが、今更その程度でサチは揺るがない。サチは『サチ』でなくとも、『今ここにいるサチ』は決して否定されないのだから。

 

「だったら、私は何なんですか? テツオたちと同じなんですか?」

 

「……厳密には違います。彼らとあなたの最大の違いは、あなたは『サチ』のフラクトライトをコピーした存在。彼らは抽出されたフラクトライトを電脳化された存在です。彼らは機械化されたAIであり、あなたは限りなく生物に近い」

 

 そう言って、アルシュナは手を振るう。すると円柱を満たしていたエメラルドグリーンの光が弱くなり、内部に浸されていた『彼女』をサチの目に触れさせる。

 円柱の中に浮かんでいたのは……その全身が砕けたガラス細工のようにバラバラになり、足りないパーツを幾つも主張する『サチ』の姿だった。彼女はその瞼を閉ざし、まるで目覚める事が無い眠りの中で静かな闇に抱かれているかのように穏やかな顔をしていた。

 

「これは抽出された『サチ』のフラクトライトをイメージ化したものです。死のショックのせいか、彼女のフラクトライトは78パーセントのダメージを負い、崩壊寸前のところをセカンドマスターが処置を施し、形を残しました。あなたの記憶に多くの欠落と虚実がある最大の理由は、元となる『サチ』がもはや残骸だったからです。だから、完全にコピーできたのはたった1つ……彼女の感情データだけでした」

 

 そう言って、アルシュナはサチに微笑んだ。

 

 

 

「サチ、あなたは『サチ』ではありません。ですが、その心に宿った全ての想いは『本物』です。紛れも無く……『サチ』が抱いていた真実です」




希望「あ、あれ……俺は負けたはずなのに、どうして?」

喜劇「こういう事もあるさ。だって、クリスマスだからな。奇跡が起きるものなんだよ」

奇跡「……救済、後は任せろ」


それでは、127話でまた会いましょう。

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