ブギーマン&エネエナ視点ばかりではなく、別の事件を追うキャサリン&ダンベルラバー視点も並行して楽しんでいただければ幸いです。
隔週サインズ編集部のメンバーは全員がVR関連記者であるが、その中でもキャサリンだけは毛色が違う。
ブギーマンとエネエナは大手VRゲーム雑誌『VRライトニング』の、ダンベルラバーは硬派なVR技術専門誌『MIRAI』の記者だ。編集長に至ってはそのネジが外れてアクセル全開の言動とは違い、日本最大手のVRシティ雑誌『Japan Rising』の編集長を務めている人物である。
対して、キャサリンだけはファッション誌のVR関連記事担当である。ファッション業界は仮想空間の拡大に伴い、VR関連の部門を続々と立ち上げている。そうした動きに応じてキャサリンは少しばかりVR業界に詳しいというだけで配属されたのだ。
それが何をどう間違ってか、最新のフルダイブ機器であるアミュスフィアⅢの性能をフルに体感できるDBOへのログインを上司に命じられ、この有様である。
「うう、寒~い! 仮想世界のくせに!」
水属性防御力が高い、もこもことした白い毛皮のコートと帽子を装備したキャサリンは、白い雪に覆われた終わりつつある街の南区にある路地裏を、冬の景色に不似合いなタンクトップ姿をした2メートル超の筋肉巨人のダンベルラバーと並んで歩む。
「そう言うな。どうせ、すぐに暑い夏が来る」
「その前に春でしょ? はぁ、早く3月になれば良いのに」
「旧暦で言えば、2月は立派な春だぞ?」
「平安生まれのお姫様なら働かないで済んだのに。リアルに戻ってもどうせ仕事復帰できるわけないだろうし、会社と国から保証金たくさんもらって、婚活パーティに出て、イケメンの弁護士とか医者とかゲットしてやるんだ」
「キャサリンなら出来そうだな」
「ダンベルちゃんのそういう話に乗ってこないドライなところ、嫌いじゃないよ」
そんな無駄話をしている間に、キャサリンは連続通り魔事件、確認されている上で最古の事件現場に到着する。
場所は南区にある路地裏であり、浮浪者NPCが何人か凍死しているのではないかと思うような姿でボロ布を纏って丸まっている。半ばから折れた街灯、底に穴が開いて猫が住みついているゴミ箱、今にも倒壊しそうなほどに亀裂が入った壁の建物ばかりが並んでいる。地面はやや傾斜しており、ここが緩やかな坂になっている事も分かり、側溝は雪で埋もれて凍り付いている。
「ここが第1事件現場ね。えと、第1被害者は【クロワッサンボーイ】。クラウドアースの下部組織ギルド【エビチリ愛好団】所属。普段は西区にあるクラウドアース系列の中華料理店のコックとして働いていたみたい」
ファイルを開き、被害者の情報をキャサリンは口にする。もちろん、これらの情報はダンベルラバーも記憶済みであるが、何事も言葉にして再確認する事に意味があるのである。
「去年の11月、エビチリ愛好団の飲み会があったみたいで、その帰り道に襲われたらしいんだけど、具体的な被害は本人も口にしたがらないみたい」
「よっぽどトラウマになってるんだろうな」
「みたいね。当時、近くでゴミを漁ってた貧民プレイヤーが悲鳴を聞いてなかったら、被害者として確認されていなかったかも」
2人が追っている連続通り魔事件、その最大の難点は被害者だろう人物が、そもそも被害者である事を否定している点だ。客観的な視点から言えば、明らかに何らかの事件に巻き込まれた事は確実であるのだが、それを認めたがらないのだ。
「ダンベルちゃん、被害者が『被害者』になりたがらない理由って何だと思う?」
「そうだな……襲われるだけの後ろめたい理由がある、だろうな」
今にも破裂しそうな程に盛り上がった筋肉を備えた腕を組み、ダンベルラバーは答える。
「だよね。つまり、この通り魔事件ってもしかしたら誰かの復讐なのかもしれない。確認されている被害者は全部で4名。彼らの共通点を探してみようか」
あくまで確認されているのは被害者候補が4人というだけで、実際の被害者数はもっと多いのかもしれない。また実際の被害が確認できないだけに、大ギルドも犯人逮捕に乗り出せていないという情報もある。
被害に遭った瞬間の目撃情報を探すのが1番かもしれない。被害者本人の口から事情を聞ければ1番なのであるが、話したがらない被害者の口を割るには、ある程度の真実をつかむ必要がある。
「だが、4人とも面識はないみたいだぞ? 以前の取材で彼らの知人友人を当たってみたが、DBOにログインした以前の別タイトルで関係があった様子もないらしいからな」
「そこなんだよねー」
そもそも最初から共通点が分かっている、明らかに計画された犯行ならば、連続『通り魔』事件などと命名されていない。
唸るキャサリンは、システムウインドウで周辺のマップを表示する。終わりつつある街のマッピングは地下区画以外の全てが終了している。特にサインズが販売しているマップ情報は毎週のように更新され、新しく開店した店舗からイベント情報まで記載されており、なかなかの好評だ。
だが、逆に言えば、こうしたマップ情報は売り手側によってある程度の操作も可能という事だ。当然ながら、マップ情報として記載されていない店も幾つかある。
「この辺はNPCの酒場が多いけど、プレイヤー経営のお店もあるよね? 被害者の内の2名はこの西区で夜間に、それもアルコールを取った後に被害に遭ったみたいだし、やるだけ聞き込みしてみようか?」
「プレイヤー経営って、犯罪ギルドだろう? さすがにまずいんじゃ……」
ダンベルラバーの言う通り、事件現場から1番近いプレイヤー経営の酒場は犯罪ギルドが経営している。当然ながら、大ギルド系列の店にはない裏の顔があり、興味本位で近寄るべきではないだろう。
だが、キャサリンは腐っても記者だ。虎穴に入らずんば虎子を得ず、である。
「大丈夫大丈夫。それにダンベルちゃんは魅せ筋だけど、威圧感はたっぷりだからね。いざとなったら頼りにしてるんだから」
「ぜ、善処しよう」
キャサリンはレベル20、ダンベルラバーはレベル21と、貧民プレイヤー程度ならば数人から襲われても切り抜けられるだけのレベルはあるが、中級プレイヤー1人として相手にできない程に貧弱で戦闘経験が不足している。
そこでダンベルラバーの出番だ。STRに極振りしたステータス+プロテインアイテムによる筋肉表現ブーストにより、外観だけは脅威的に映る。実際に戦えばメッキが剥がれるが、交渉事のハッタリ程度には使えるはずだ。事実として、今まで何度となくダンベルラバーの魅せ筋で危機を乗り越えた実績が隔週サインズ編集部にはある。
時刻は午後3時。時間を問わずに開いてる事が多いNPC経営ではない以上、今は準備中だろう。
店の名前は【ディア・スリーパー】。赤い煉瓦造りの建物であり、内情を知らなければ犯罪ギルドが経営しているとは思えないだろう。だが、入口にはやや厳つい防具に身を包んだ2人の男が欠伸を噛み殺しながら壁にもたれている事からも、この店が単なる酒場ではない事は明らかだろう。
「どうする? あのエロ馬鹿ならこういう店に詳しいと思うが、応援に呼ぶか?」
ディア・スリーパーが目視できる物陰から顔を出し、ダンベルラバーが不安げに問う。確かに、あの2人の武装が良く、また付けている腕章には十字架に鎖が絡まったエンブレムが描かれている。だとするならば、あの店の警備しているのは犯罪ギルドでも武闘派で通っているチェーン・グレイヴのメンバーという事になる。レベルはもちろんだが、実戦経験も含めて2人では相手にもならないだろう。
「ブギーマンを? だめだめ。あっちはあっちでネタを追ってるんだし。それに、毎回あの2人に特集ページ持っていかれてるじゃん。たまには私たちで特ダネつかまないと、編集長にまた怒鳴られちゃうよ」
隔週サインズ編集部は基本的に2人1組のチームで様々なネタを追う。そして、両チームの取材内容や企画を最終会議で編集長が評価し、特集ページへの採用を決定するのである。エネエナはそのバイタリティー溢れる取材魂とカメラマンとしては優秀なブギーマンを使い、次々と特集ページを勝ち取っている。この辺りで名誉挽回の為にも、キャサリンは何としても特集ページを物にしたかった。
「だけど、どうする? チェーン・グレイヴに俺の魅せ筋は通じないと思うぞ。むしろ、血の気が多い連中が多いから、下手に戦いにでもなったら……」
「間違いなく輪切りにされちゃうね」
とりあえず、今のところは開店時間まで待ってみるべきだろう。そうキャサリンが判断した時、ディア・スリーパーのドアが開き、誰かが出てくる。
それは黒紫の髪をなびかせた、年頃はまだ10代だろう小柄な少女だ。目元には鈍い銀色のアイマスク型の仮面を装着していおり、青紫のロングスカートをふわりと浮かせて雪上へと跳ぶ。
「はい、本日のお仕事終了!」
明るい声と共に背筋を伸ばして太陽の光を浴びる少女に、入口の前に陣取っていた2人の男たちは動き出す。
「お嬢、話はついたんですか?」
壁にもたれていた内の1人、曲剣を装備していた男が背筋を伸ばして店から出てきた少女に尋ねる。口振りからして、どうやら男よりも少女の方が立場は上のようだ。
「うん。とりあえず匿ってる人の住所は分かったから、明日にでも『回収』に行くよ。借りたら返す。世の基本だからね」
「まったくですよ。ウチは金利も良心的なのに、なんで踏み倒して逃げるなんて馬鹿な真似するんだか」
もう1人の曲剣装備に比べれば知的そうな眼鏡をかけた両手剣装備が溜め息を吐く。あの話しぶりからして、借金の取り立てだろう。ごくりとキャサリンは生唾を飲む。
「借りているって意識が足りないからじゃないかな? とりあえず『回収』できないようだったら、マクスウェルさんに引き渡す事になってるんだよね。今回は男性だから、農場か鉱山に売り飛ばすのかな?」
無邪気に恐ろしいワードを並べる少女に対し、眼鏡をかけた男は手帳を取り出して首を横に振る。
「どうでしょうね。比較的安全な耕夫ならば、借金は50万コルですから軽く見積もっても1年ほど休まず18時間働けば金利も含めて返せるんですが、我々としてはなるべく早く『回収』したいですからね。鉱山か開拓、漁業がメインになるでしょう。それでも半年は最低でもかかりますね」
「いっそ『ヤツら』に売り払っちまったらどうだ? アイツらの『玩具』にさせれば、飽きられなければ1ヶ月で50万コルくらい回収できるだろ」
曲剣装備の言葉に、眼鏡をかけた男は鋭く睨む。すると、曲剣装備は失言だったと言わんばかりに顔を引き攣らせた。
「『ヤツら』って?」
一方の少女は曲剣装備の言葉の意味が分かっていないのか、雪を舞わせながらくるりと振り返って尋ねる。
2人の男は顔を見合わせ、気まずそうに視線を逸らす。そして、意を決した雰囲気で眼鏡の男は口を開いた。
「お嬢は知らなくて良い事です。いえ、むしろ知らないでください。マクスウェル様には絶対に訊かないでください。あの人の胃がマジでヤバい事になりますから」
「『秘密とは、何を隠しているかよりも、隠されている理由の方が大事である』ってボスの言葉だっけ?」
「そういう事です」
「じゃあ訊かないでおくね。マクスウェルさんにまたゲンコツされるのは嫌だし」
特に興味も無いのか、少女はそのまま男2人を連れてキャサリンたちが潜む物陰とは逆方向へと消えていく。
恐ろしい場面に遭遇してしまった。これまで隔週サインズの記者として、それなりに危険な取材は体験した事があるキャサリンだったが、これ程までに近くで犯罪ギルドの『仕事』を目にしたのは初めてだ。
破裂しそうな程に鼓動を速める心臓をキャサリンは手で押さえる。その隣では、彼女の倍にも近そうな図体をしているはずのダンベルラバーがへなへなと膝を折っていた。
「あ、あれがチェイン・グレイヴ。とんでもない連中だ。人を物みたいに。それも、あんな女の子が……」
ダンベルラバーの言う通りである。キャサリンもカメラのシャッターを切るのも忘れて息を潜めてしまっていた。
「とりあえず今日のところは帰ろう。『地雷原があったら遠回りしろ』が私たちのモットーだし」
こんな風だから特集ページを獲得できないのだ、とキャサリンは自覚しているものの、やはり臆病である事こそが生き残る最良の手段だ。
だが、同時にキャサリンの胸に引っ掛かるのは、少女の部下だった2人の男が言っていた『ヤツら』とは何者なのか、という点だった。
上の立場であるはずの少女に教えたくない。『玩具』というキーワード。そして短期間で多額の支払い。どうにもきな臭い。
もしかしたら、大スクープの種を得たのかもしれない、とキャサリンは言い知れない不安と共に興奮を覚える。
「『秘密とは、何を隠しているかよりも、隠されている理由の方が大事である』……か」
少女の言葉を繰り返し、キャサリンはダンベルラバーと共に早足でその場を離れた。
▽ ▽ ▽
「それじゃあ、キリマンジャロさんはソロなんですか? 憧れちゃうなぁ! やっぱり、ソロの人って他とは違う魅力がありますよねー!」
「いろいろ訳ありで、ギルドに入れない中途半端者過ぎないよ」
「そんな事ありませんよ! その剣知ってます! 確か【赤鉄丘の剣】ですよね? 何体も強力なモンスターが出現するイベントをソロでクリアしないと入手できないって聞いてます!」
「凄いな。カラーリングも装飾も変更しているのに、分かるのか?」
「これでも隔週サインズの記者ですから!」
面白くない。実に面白くない。同行者として加わった真っ黒野郎ことキリマンジャロにべったりなエネエナを視界に入れ、彼らの数歩後ろを行くブギーマンはストレスを順調に蓄積させていた。
エネエナのイケメン好きは今に始まった事ではない。現実世界でも後輩だった彼は何度となく彼女のその欠点に振り回された事があるし、仮想世界に囚われてからも同様である。
「先輩、ちょっと!」
エネエナの腕をつかみ、キリマンジャロから数メートル離れた路地裏にブギーマンは連れ込んだ。
「どういうつもりですか?」
「どうって?」
完全に腑抜けた面をしたエネエナに、1発右ストレートを打ち込んだ方が良いのではないかと一瞬だけ思案したブギーマンであるが、ここは耐えるべきだと胸の奥で怒りを堪える。
「取材同行は俺も了承しましたけど、限度ってものを考えてください! 部外者は部外者らしく扱ってもらわないと困りますよ!」
「えー、別に良いじゃん。それに、これから1週間一緒に取材するわけなんだし、アンタも少しくらいキリマンジャロさんと親睦を深めた方が良いわよ。つーか、アンタも少しは気を利かせて協力しなさいよ」
「協力って何を?」
「分かりきってるでしょうが」
熱の籠った視線で路地裏からキリマンジャロを見つめるエネエナの瞳は、まさしく恋する雌猫のような、情熱的なハンターの炎で焼かれている。
「先輩、確か年上好きじゃありませんでしたっけ?」
「彼と出会った瞬間に年下好きにクラスチェンジしたわ」
「そうですか。いや、もう何も言いませんけど。もう何も言いませんけど。もう何も言いませんけど!」
路地裏から出たブギーマンは、エネエナの恋の応援はともかくとして、確かに1週間も時間を共有するならば、最低限のコミュニケーションくらい取った方が良いだろうと考えを改める。
頭を掻きながら、キリマンジャロの右隣を陣取るエネエナに呆れつつ、彼の左隣に立つ。
「それで、キリマンジャロさんは何で【クリスマスの聖女】に拘るんですか?」
「少し気になる事……確かめたい事があるんだ」
黒の唾付き帽子を深く被り、表情を上手く隠すキリマンジャロであるが、その声音には暗い感情が宿っているように思えた。完全に骨が抜けた状態のエネエナはともかく、ブギーマンは記者として培った考察力で、この男にとって【クリスマスの聖女】には並々ならぬ因縁があるのだろうと推測する。
もしかして、元カノが歌い主なのだろうか? あり得る。十分にあり得る。だとするならば、【クリスマスの聖女】を探し出す事こそが、エネエナを元に戻す最良の手段なのではないだろうかと思う一方で、この真っ黒野郎があの美しい歌声の美女(確定事項)の元カレだと思うと、表現できない怒りを覚えそうになるのも確かである。
「言っておきますが、俺達は何も【クリスマスの聖女】だけを追っている訳じゃありません。もう1つ別のネタも調査してますから、そちらの方でも肉か……じゃなくて、ボディガードとしてしっかり働いてもらいますからね」
「もう1つのネタ?」
「アンタも知ってるでしょうが、【渡り鳥】です」
途端にキリマンジャロの足が止まる。その頬は引き攣り、眼鏡のレンズに隠されている目が明らかに泳いでいた。
「【渡り鳥】って……傭兵の?」
「それ以外に誰かいるなら聞かせてもらいたいですね」
「そ、そうだよなぁ。【渡り鳥】って言ったら……そうに決まってるよな」
お、これはもしかして? ブギーマンは内心でキリマンジャロに取材同行を辞退させる良いチャンスなのではないかと思案する。
「怖いのも当然だと思います。何せ、あなたは『ボディガード』なわけでして? 相手はジェノサイドモンスターなんて言われている狂犬ですからねぇ。狙われたら最後、その首が飛ぶまで追い回されるでしょうよ」
「ブギーマン、言い過ぎだって!」
「本当の事は言っておくべきですよ、先輩。あの【渡り鳥】の取材をするんですから、リスクは彼にも知ってもらっておくべきです」
さぁ、これでどうだ!? ブギーマンは挑戦的な視線をキリマンジャロに送る。
どれだけ腕に覚えがあろうとも、相手が【渡り鳥】となれば話は別のはずだ。キリマンジャロが回れ右する10秒後を想像し、ブギーマンは拳を握る。
だが、意外な事にキリマンジャロが見せたのは、何処か懐かしむような微笑だった。
「大丈夫だよ。【渡り鳥】はアンタ達が思っている程、凶暴ってわけじゃない。『取り扱い注意』のラベルは必要だろうけどさ」
「それってどういう……」
だが、全てを聞くよりも先にサインズ本部へと到着する。キリマンジャロは外で待っていると言い、ブギーマンとエネエナは目当ての人物を探すべく門を潜る。
とりあえず【クリスマスの聖女】は置いておくとして、並行して【渡り鳥】の取材を進めるべくエネエナが最初に狙いを付けたのは、【渡り鳥】の担当受付であるヘカテである。ブギーマンとしてはDBOで被写体にしたい女性プレイヤーの5本指に入っている。
その特徴は、その小柄な体系に不釣り合いな胸部装甲の厚さである。サインズの冬制服で押さえつけていながら、これでもかと自己主張する胸部は、多くの男性プレイヤーの間でも『あれこそがロリ巨乳のあるべき姿だな』と高評価である。
「ヘカテ、元気してるー?」
「仕事中ですよ、エネエナ」
受付カウンターで事務処理をしていたヘカテに、カウンター越しでエネエナは抱き付く。片やサインズの3大受付嬢、片や隔週サインズの記者、同じサインズ本部にいるというだけあって2人には面識があり、交流もある。具体的には、エネエナが一方的に飲みへと連れ回す間柄だ。
抱き付くエネエナを冷ややかな態度でヘカテは引き剥がす。その目には明らかな怒りが宿っている。
「何よ何よ。もしかして、まだクリスマス特集の事を怒ってるの?」
「当然です! あんな恥ずかしい写真を勝手に撮られて、しかも雑誌に載せられて全プレイヤーに見られたんですよ!? 恥ずかしくて有給休暇全部使って家に引き籠もってましたよ!」
クリスマス特集……別名でミニスカサンタコス女性プレイヤー特集。茅場の後継者からの最大のクリスマスプレゼントにして女性プレイヤー達の聖夜を恥辱へと変えた伝説的クリスマスイベント。丁度サインズ本部で行われていた傭兵ランクの公開に伴い、取材でカメラを構えていたエネエナとブギーマンは、見事に羞恥で顔を赤く染めるヘカテ他多数のプレイヤーのミニスカサンタ姿を激写したのである。
なお、このクリスマス特集は写真集発売が決定しており、粛々と編集作業が進められている。残念ながら特集ページが足りず、載せられなかった写真の数々も載せる予定である。特にブギーマンのお気に入りは、慰霊祭の取材の際に発見した【雷光】の名高きミスティアのミニスカサンタ姿である。普段は清廉な戦乙女のような姿をした彼女のミニスカサンタ姿は写真集限定掲載予定だ。
「えー、ヘカテの写真、結構上手く撮れたと思うんだけどなぁ。あ、補足しておくけど、私は別にこのエロ馬鹿と違って『特ダネだ!』と思って撮っただけだから。別にアンタのパンチラを撮りたいとか、そういう下心は一切なかったから」
「余計に始末に負えませんね」
「確かに」
「そして同意するブギーマンさんは最低を通り越して最悪の部類だと自覚してください」
絶対零度の視線を浴びて思わず身悶えしそうになるブギーマンを他所に、一応は内なるストレスを吐き出したのだろう、ヘカテは怒りの矛を下げる。
「それで、今日はどんな依頼ですか? 依頼料は1コルとしてお安くできませんが、私怨を抜きにして適正価格でお受けしますのでご安心ください」
「あー、別に依頼をしに来たわけじゃないのよね。ちょっとアンタに取材って言うか、訊きたい事があって」
「訊きたい事?」
ウインクするエネエナに嫌な予感を覚えたのだろう、ヘカテは冷や汗を垂らしながらも受付嬢として受付カウンターから離れられないという宿命により、その場で訊き返す以外の選択肢は無かった。
「そうなのよ。【渡り鳥】について特集組もうと思ってるんだけど、インタビューを打診する前にある程度情報集めておこうと思ってね。そこで、担当者のアンタから見た【渡り鳥】について色々訊きたいわけ」
「お断りします。私は誇りあるサインズ受付嬢として、傭兵のプライバシーを守る義務があります。クゥリさんについて知りたい事があるならば、あちらにある傭兵名簿でご確認をどうぞ。本人が認可した範囲内でのプロフィールが纏められています」
鉄仮面対応のヘカテであるが、その程度でエネエナが諦めるはずがない。まるで水浴びするカピバラにアナコンダがひっそりと近寄るかのように、彼女の肩へと手を這わせていく。
「あんな名簿で傭兵の素顔が分かるわけないじゃん。もちろん、タダとは言わないわ」
「なんですか? 買収する気ですか? この私がお金程度で動くと?」
「まさか。アンタは誇り高きサインズ受付嬢。100万コル積まれたって傭兵の情報は売らないでしょうね。まぁ……【渡り鳥】うんぬん口実として、クリスマスの件は私なりに悪いと思ってるわけ。だから、名目上は【渡り鳥】の取材として経費でアンタを飲みに連れて行きたいのよ。要は、私の全奢りってわけ」
で、でたぁああああああ! エネエナ先輩のキラートークⅡ『名目上は』だぁああああ! ブギーマンは自然な流れでヘカテを飲みに誘ったエネエナに感激する。
「エネエナ……そ、そうですね。私も少し言い過ぎました。あなたの気持ちを何も考えてませんでした。何事も建前というのもあるというのに」
「別に良いのよ。私も、ちょっと遠回しで分かり辛かったかなーって思ってたし」
そして、あっさりと陥落するヘカテをブギーマンは哀れむ。幾ら百戦錬磨のサインズ受付嬢だろうと、2×歳で数多の無理難題と言われた取材を成し遂げたエネエナに比べれば赤子同前なのだ。
だが、これはどう転ぼうとも、酔って火照ったヘカテを激写するチャンスだ。ブギーマンは仮想世界の過剰表現で鼻血が出ていないか心配になり、鼻を擦る。
「でも、私は絶対にクゥリさんの事は喋りませんからね!? サインズ受付嬢の誇りに懸けて!」
胸部装甲を揺らしながらそう宣言するヘカテに、エネエナはもちろんと頷く。その背中では、ブギーマンへと『ミッションコンプリート』とグーサインを送っていた。
「ですからぁあああああ! クゥリさんの依頼はどれもこれも難易度と秘匿レベルがおかしいんですよぉおおおおおおお!」
べろんべろんに酔っ払っているというは、まさにこういう事を言うのだろう。ブギーマンは真顔でシャッターを連射しながら、カウンターにぐったりと頬をつけて、グラスの中の琥珀色の液体を揺らす赤面のヘカテを激写する。
「彼女、大丈夫か? もう飲ませない方が良いんじゃ……」
すっかり酔っぱらったヘカテを心配してか、同行していたキリマンジャロがブギーマンに耳打ちする。
「大丈夫ですよ。ヘカテちゃんは酔いが回りやすいですけど、許容量は多いですから。ほら、キリマンジャロさんも飲んで飲んで!」
「いや、俺は良いよ」
「何言ってるんですか! 全部経費で落ちるんですよ、経費で!? どれだけ飲んでも懐は痛まない! 飲むだけ飲んでシャッターチャンス、イエーイ!」
「アンタは真顔で酔うタイプなんだな」
呆れるキリマンジャロのグラスへと【飴色蜂の蜜酒】を注ぎ、ブギーマンは彼と肩を組んで自撮りする。咄嗟にキリマンジャロは手で自分の顔が映る事を防ごうとするが、そんな事させまいとその体を揺すり、1枚2枚3枚と撮っていく。
「何なんですか? 何なんですか? 何なんですかぁあああああああ!? 最近のクゥリさんの依頼で私が閲覧できるのは、依頼主と報酬だけなんですけど!? ほとんど秘匿されてて、私が受付嬢やってる意味とかほとんどないんですけど!? どうなんですか、エネエナぁあああああああ!」
「はいはい。アンタも大変よねぇ。ほら、もう1杯いっちゃいな!」
「はーい♪ ヘカテ、もう1杯イッキいきまーす♪ イッキイッキイッキ…………ぷひゃー☆ イワンナさん、次ビールお願いしまーす!」
もちろん、飲んでる場所はサインズからも近いワンモアタイムである。時刻は午後9時を回り、昼間の食事を楽しめるカフェからバーへと早変わりしている。
「キリマンジャロくん、大ジョッキを両手で抱えて飲むロリ巨乳の姿は、まさしく天啓の一瞬だと思うのが、キミはどう考える?」
「いや、俺は正直……」
「純情のフリしてんじゃねぇよ! 俺には分かるぞぉ、このブラックイケメン野郎が! どうせ3歩進む度にフラグを乱立してるだろうが! 管理しきれないくらいにフラグ立ててるんだろうが!」
すっかり酔いが回ったブギーマンは、キリマンジャロの首をつかんで振り回し、たぷたぷに注がれた飴色蜂の蜜酒を口に押し付ける。嫌々といった感じながらも、キリマンジャロはなかなかの飲みっぷりで喉を鳴らした。
袖で口元を拭ったキリマンジャロは、もう1杯と言うようにグラスをブギーマンに突き付ける。一瞬虚を突かれたブギーマンであるが、それの意味するところを知り、ニヤリと口元を歪めた。
「俺に飲み比べか。良い度胸だな、ガキが! 神より変態写真道を進むべく啓示を受けたこの俺に勝負を挑むとは笑止! 受けて立ってやろう!」
半分ほど残っていたグラスの中身を煽り、ブギーマンはキリマンジャロと自分のグラスへと酒を追加する。
「ヘカテ、歌いまーす! 私の傭兵は謎だらけ~♪ 依頼はいつも~大ギルド~♪ 私は依頼が来てると伝えるだけよ♪ お話は奥の部屋でどうぞって……それって、本当に意味ないじゃないですかぁああああ、うわぁあああああああん!」
「辛かったわねー。そうよねー。ほら、もっともっと飲んじゃおう。ね?」
歌ったり泣きだしたりするヘカテを尻目に、男同士で互いのグラスを飲み合わせ、1歩として退かぬ飲み比べをする中で、キリマンジャロは徐々に正気の色を失っていくが、そんな事を元より仮想世界のアルコールデータで脳が酔った状態にされているブギーマンに判断できるはずがない。
「それで、キリマンジャロくん。もう1度訊こう。キミはロリ巨乳についてどう思う?」
「ロリ巨乳、それは…………偉大なる神が作り出した奇跡だ」
「ほほう。なかなかに分かってるじゃないか、キリマンジャロくん。では、そんなキミに俺の取って置きのコレクションを見せてやろう。ほらよ」
「こ、これは……!」
ブギーマンがキリマンジャロの首に腕を回しながら、彼だけにこっそりと見せたのは、クリスマスイヴの日、ミニスカサンタコスになった女性プレイヤー達の、編集長もNGを出した過激ローアングル写真の数々である。もちろん、これらは写真集にも載る事が無いブギーマンのスペシャルコレクションだ。
食い入るように見るキリマンジャロは、まるで神より選ばれた賢者を見えるかのような純粋な尊敬の眼差しをブギーマンに向ける。
「神はここにいたのか」
「違うな。俺はあくまで神に選ばれた使徒に過ぎん。だが、いずれは神も超える男になって見せる。その写真は焼き回し分だ。友好の証としてプレゼントしてやる」
「う……うぅ……ありがとう!」
「おいおい泣くなよ」
「だって……だって、実は俺には傍付きで、いつもいてくれる秘書みたいな女の子がいるんですけど……その子……その子、胸が残念で! 俺が別の女の子の胸を見たら、凄い怖い顔するんです! だから、女の子の胸をみないようにばかりしていたら、いつの間にかボインに魅力を感じなくなってしまって。もしかして俺は……俺は、貧乳派になってしまっていたんじゃないかってずっと怖かったんだ! でも、この写真の数々で分かったんだ! 俺は……俺は美乳派だったんだ! そして、どちらかといえば巨乳派だ!」
「なるほど。つまり、キミはおっぱい星人なのに、傍にいる女の子のせいで、美乳にも巨乳にも想いを馳せることが許されなかったのだな? 可哀想に!」
がっしりとキリマンジャロを抱きしめ、彼の苦悩の涙をブギーマンは受け止める。男泣きするキリマンジャロを尻目に、ヘカテは苦しいからと言ってサインズ制服の上ボタンを外していくのを見逃さず、しっかりと片手でシャッターを切る。
泣くだけ泣いて離れたキリマンジャロは、とてもスッキリした顔でブギーマンと握手を交わした。
「絶対に買います! どれだけ妨害されようとも! 必ず写真集を買ってみせる! 男の尊厳にかけて!」
「フッ! 応援しているぞ、若人よ! だが、忘れる事無かれ! 胸に富めるも貧しくもない。等しく愛せ。良いな?」
「やはり神はここにいた」
ああ、俺は馬鹿だった。ブギーマンは、エネエナとの取材に割り込んできたこの青年を邪魔者扱いしていた自分を恥ずかしく思う。先輩との取材の時間を邪魔されたからと言って、何を怒っていたのだろうか? 彼もまた、真実(女の子)を探求する、何処にでもいる1人の若者だったのではないか!
「それでそれで、ヘカテちゃぁあああん。【渡り鳥】ってどんな奴なのかなぁ? エネエナお姉さんに教えてくれないかなぁ?」
「クゥリさんはですねぇええええ、一言で言えば『チョロい』って感じですよぉおおおおおおお? こう、色仕掛けに弱いんですよね♪ あ、でも、そんな純情なところ意外と可愛いんですけどね♪ でも、仕事帰りは怖いですね。こう、食べちゃうぞー、ガオーって感じですねぇええええええ! だから、ついつい私も1歩退いちゃって、それって……それって……受付嬢として失格ですよねぇえええええええええええええええ!?」
「まぁまぁ、キリマンジャロくん。こちらの写真を見たまえ。かの有名な【雷光】の写真なんだがね……ほら、胸元が破けているだろ? これね、遠征帰りのところを丁度激写したものなんだ。この破れっぷりがエロいと思わないかね? 全てが露出しているのではなく、あくまで不可抗力で胸元が開いてしまっている感じが!」
「全面的に同意だ。だが、注目すべきなのは別の点……破れたロングスカートから露わになった太腿だと思うが、いかに?」
「ほほう。そこに気づくとは、キリマンジャロくんもなかなかのものだな。よもや、俺と同じ『神の目』を持つ者がいようとはな」
そんな風にカウンター席で4人の男女が酔って醜態を晒す。
翌日、寮の自室にて目覚めたブギーマンは、二日酔いの頭を押さえながらカメラの中身を確認し、4人揃って笑顔でピースした写真を見つけてはにかんだのだった。
飲んでも飲まれるな。
お酒の取り扱いにはご注意を。アルコールは20歳から。
それでは、134話でまた会いましょう。