SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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そろそろ本エピソードも終盤です。
あと数話といったところでしょうか?
このエピソードが終わったら、またいつもの本作の流れに戻ります。

つまり、絶望さんが修行を終えて帰って来るという事です。


Episode14-7 山猫と新しい玩具

 人間は騙される生物だ。ミュウは普段から装着している知的な眼鏡……【星読みの眼鏡】を外し、冬景色となった終わりつつある街に相応しい、長めのスカートと毛皮のブーツを装備し、髪を三つ編みにする。

 たったそれだけで、人々は大通りを太陽の狩猟団の副リーダーが堂々と買い食いしながら闊歩している事に気づかない。

 

「すみません、ユイさん。今日は朝から私の我儘に付き合ってもらいまして」

 

「い、いいえ。私こそ、誘っていただけて、その……う、嬉しかったです」

 

 ミュウは隣を共に歩く目元から深くローブのフードを被った少女……ユイに微笑みかけた。彼女は戸惑いながらもミュウの言葉に応じる。

 千里の道も何とやら。ミュウはユイと密やかにメールで交流を続け、今回は試しに自分の買い物に付き合ってもらえないだろうか、と打診した。普段から聖剣騎士団本部に引きこもっている彼女を外に連れ出し、2人っきりになるのは容易ではないと踏んでいたが、意外な程にスムーズに行った。

 最初こそ彼女の護衛らしき聖剣騎士団のメンバーが尾行していたが、まさか彼らもユイの『友達』が自分たちの宿敵である太陽の狩猟団の副リーダーとは思ってもいなかったのだろう。何件かの店を回っている間に危険性が無いと判断したのか、尾行も随分とおざなりになった。

 もちろん、見張られている事には変わりない。ボロを出せば、すぐに彼らはユイと共に行動するのがミュウだと察知するだろう。だが、逆に言えば、彼らは今以て堂々とユイに接触する女性がミュウだと判別出来ていない事になる。

 繰り返すが、人間は騙される生物だ。人物を特定するポイントを変更すれば、容易に他人だと思い込む。普段からミュウはアイテムドロップ率を上昇させる星読みの眼鏡を装備しているが、これは同時に他人に自分の特徴として眼鏡を刷り込ませる意味もある。特に女性は髪型1つで印象が大きく変わるのだ。生まれながらに≪変装≫スキルが備わっているようなものである。

 

「ですが、さすがはグリーンオーシャンの直営店でしたね。デザインも俊逸で質も確か。少々値段は張りますが、我々太陽の狩猟団も見習わなければなりません」

 

「私、服を買うの初めてなので、緊張しました」

 

「リアルでも買い物はあまりなされないのですか?」

 

「え!? えと……あ、その……は、はい! いつもママが買ってくれたので」

 

 ユイは戸惑いながらも同意する。嘘が下手で助かる、とミュウは好意を抱きながら虚言を看破する。

 何度となくユイとメールのやり取りをしてミュウが感じた彼女への違和感の1つに、異常なまでに乏しい現実世界の知識があった。正確に言えば、知識はぼんやりと有しているようなのであるが、まるで実体験が伴っていないのだ。

 それは単純に箱入り娘だとか社会経験が無い子どもだとか、そういう次元ではない。元からDBOにいたNPCなのではないかと疑いたくなるレベルなのだ。

 もちろん、それをユイに指摘した事は無い。何よりも彼女自身がそれを隠そうとしている。ならば、ミュウの中で確信として処理しておけば良い。今必要なのは、ユイの好感を得ることなのだから。

 

(護衛は2人。距離は12メートル。相変わらず≪聞き耳≫スキルは使われていませんね。女性の話を盗み聞きしない紳士と取るべきか、それとも護衛としての怠慢か。どちらにしても好都合ですが)

 

 髪に隠された目立たない銀色のイヤリングは【獅子と兎の銀印】だ。≪聞き耳≫が使用された場合、プレイヤーに警告するレアアイテムである。余程≪聞き耳≫の熟練度が高ければ無効化されてしまうが、護衛はどうやら実力重視で補助スキルは充実していないようである。

 今までは慎重に交流を図った分、今日は少し踏み込む予定だ。石橋は叩いて渡るべきだが、吊り橋は度胸を以って渡らねばならない。

 

「そう言えば、もう11時半ですね。お腹も減ってきましたし、何処かでランチでもいかがですか?」

 

「そうです、ね。でも、わ、私……あまりお店とか詳しくなくて」

 

 それも予想済みだ。彼女が聖剣騎士団本部から出るのはレベリングと必要な物資の買い込み程度であり、ほとんど街に遊びに出る事は無い。ならば、治安が決してよろしい方ではない終わりつつある街の店について知識が無いはずである。

 

「ワンモアタイムという、サインズ近くに雰囲気が良い店があります。人気なので席がすぐ埋まってしまうのですが、11時半から営業なので大丈夫でしょう」

 

「あ、聞いた事があります! 確かテツヤンさんが幾つかの料理をプロデュースしているんですよね?」

 

「ご存知でしたか」

 

 ならば好都合である。あの店は≪聞き耳≫対策も施されている。ガラス張りの壁なので護衛の目から逃れる事ができないが、それこそ好都合だ。彼らに万が一でも盗聴される心配もなく、また彼らもガラス張りであるが故に店外からも監視が可能だ。視覚以外は完全に隔絶する事ができる。

 ミュウの予想通り、まだ客入りは少ない。1番目立たない奥の席……ではなく、あえて窓際の日当たりが良い、護衛からも監視が容易な場所を選ぶ。

 

(しかし、ディアベルさんも過保護な方ですね。聖剣騎士団の正規メンバーを護衛につけるとは。やはり、彼女には何か秘密があるとみるべきですね)

 

 メニューを開いたミュウは、珈琲とサンドイッチを注文する。ユイはしばらく悩む素振りを見せたが、ミュウと同じ物を選んだ。

 目深くフードを被って隠したユイの素顔、そこには右目を覆う白い眼帯がある。金糸が縫い込まれたオーダーメイドだろう品は、ディアベルがクリスマスプレゼントで彼女に贈った物だという事はその日の内のメールで把握済みだ。

 熱そうに両手で珈琲カップを手にするユイの姿は、余りにも無防備で無邪気だ。デスゲームに巻き込まれている者が宿すストレスをまるで感じない。それだけ彼女が逞しいのかとも最初は思っていたが、些細な人間関係に悩むなど、むしろ他人以上に繊細だ。

 アンバランスでアンマッチ。ミュウは珈琲に角砂糖を1つ落として溶かしながら、ミュウは幾つか想定した切り口から、慎重に1つを選ぶ。

 

「ところで、ユイさんはディアベルさんの事が好きなのですか?」

 

「ふぇ!?」

 

 危うく珈琲カップを落としそうになるユイは素っ頓狂な声を上げる。

 

「私も太陽の狩猟団の副リーダーとして、聖剣騎士団とは今後も友好を深め、戦争を回避せねばならないと考えています。そこで先日、太陽の狩猟団の女性プレイヤーとのお見合いを打診させていただいたのですが、断られてしまいまして。やはり、例の噂……ディアベルさんとユイさんの交際疑惑は本物なのかと思いまして」

 

「私とディアベルさんがお付き合いを!? あ、あり得ません! 私とディアベルさんは……その、お友達、じゃなくて……家族みたいなものです。私にとってお兄ちゃんみたいな人です」

 

 顔を赤くして手を振って否定するユイの姿は、一見すれば逆に肯定しているようにも見える。

 もう1つ踏み込んでみよう。ミュウは盤上でチェスの駒を弄ぶように、次の一手を探る。

 

「私も噂は噂と思っています。ですが、ディアベルさんのように人気の高い人物が独り者というのも訝しむ者もいます。中には、彼が男色家だと揶揄する者も。ディアベルさんの名誉の為にも、ユイさんもディアベルさんに好意があるならば、及ばずながら交際への助力できるかと思いまして」

 

「だ、男色家……!」

 

 言葉の意味は分かるようだ。羞恥で頬を赤くして俯くユイを見て、ミュウは素で可愛らしいと微笑んだ。

 

「確かにディアベルさんの事は好きです。でも、それは、異性としてじゃないです。私が気になるのは……」

 

「気になるのは?」

 

 眼帯に隠されていない左目に苦悩の色が滲んだのをミュウは見逃さない。ユイに言葉の続きを繋げさせるように、優しい声音で促す。

 

「……その人は、私にとって恩人なんです。でも、その人は私と会いたがらなくて、でもちゃんと私の事を想ってくれていて」

 

 それはリサーチ済みだ。彼女が聖剣騎士団に身を寄せた経緯は隠蔽されているが、そこに【渡り鳥】が関与している事は把握している。特に、他でもない本人の口からほぼ確証に近いものも得ているのだから。

 

「会いたい。会って、ちゃんと話をして、私のこの想いを確かめたい。なのに、私は……会いたくないんです」

 

「会いたくない?」

 

 それは矛盾している。ユイの様子はどう見ても恋い焦がれる乙女だ。ミュウも人並みに経験があるが、恋とはそういう物のはずだ。

 

「会ったら……あの人を殺してしまう。そんな気がするんです」

 

 珈琲カップの口を指で撫でながら、ユイは今にも泣きそうな声を漏らす。

 殺したい程に愛している、という意味だろうか? 物騒ではあるが、ミュウの知人にもカノジョ持ちの男に恋慕した挙句、ストーカーになって最後には包丁を手に突撃した人物がいる。人は見た目によらないというが、ユイもそのタイプなのだろうか?

 いいや、違うだろう。ユイの口振りには彼女自身の戸惑いも感じられる。他でもない、彼女が自分の抱く殺意に困惑しているはずだ。

 

「ユイさんにとって、その人はどういう人物なのですか?」

 

「良い人……ではないと思います。とても怖いところもあるけど、優しくて、強くて、律儀で、私に立ち上がる力を与えてくれた、大切な人です」

 

「そこかもしれませんね。ユイさんが『殺したい』と思っている理由は」

 

 ミュウの指摘にユイは首を傾げた。できれば、ここで傷口を抉る様に鋭く食い込んでいきたいが、彼女の視界の端に邪魔者が現れる。人気の店なのでしょうがないが、太陽の狩猟団の幹部であるミスティアが来店してきたのだ。どうやら友人も同伴らしいが、勘の良い彼女ならば自分の存在に気づきかねない。あまり時間をかける訳にはいかなくなった。

 

「この話はまた後日、ゆっくりとしましょう。私も午後からは仕事がありますので、次の機会に色々と人生の先輩として助力致します」

 

 恋もそうであるが、大物を釣り上げるならば、丹念に、そして相手を焦らす事が大切だ。深追いは禁物である。今回は有益な情報を1つ得られ、またユイも自分の恋心という大切な部分を吐露する程度には信頼もあると確認できた。それだけで成果としては十分である。

 席を立ったミュウは、新しい手札をどう組み合わせるべきか悩む。

 目指すべきは【渡り鳥】を籠の中で飼う道か、それとも猟師に撃たせる道か。どちらの選択であるとしても、ユイは切り札になるだろう。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 そこは深き森、古き蛇の亡骸が横たわり、かつて王がいた証として、遺跡の数々が繁栄の過去を物語る。

 場所は≪森の賢者タンゲルの記憶≫。王すらも失われた人の世であり、終末の時代程に技術は進んでいないが、神々への信仰が失われ始めた時代である。

 このタンゲルの記憶の特徴は、とにかくNPCが数多くフィールドを出歩いている点だ。開拓集団が古き神が住まうとされた森を開拓する、というコンセプトになっており、今も古き神を信奉する先住の亜人がNPCとして出現する。

 無名のNPCと共闘しながら開拓を進めるも良し、亜人NPCに与して開拓者と戦うも良し。プレイヤーの判断次第で状勢が変化し、イベントも様変わりする。もちろん、どちらか片方に協力すれば、もう片方とは敵対関係になるので注意が必要であるが、タンゲルという老人のNPCのイベントをクリアすれば、このステージのNPCとのコミュが全てゼロになるので、いつでもやり直しが利くので、時間とコルをかければ両方のイベントをクリアし、アイテムも収集可能だ。

 今回、太陽の狩猟団がオープンさせた一般開放の射撃用トレーニングプログラム施設は、開拓集団側の本拠地にある。ステージに合わせた木製造りとなっており、3階建ての大きな建物はさすが大ギルドと圧倒されるものがある。

 

「なかなか入ってるわね。さすがはオープン初日ってところかしら」

 

 1回のエントランスには多くのプレイヤーが集まり、売店の前には長蛇の列が出来ている。この施設の為だけに制服も拵えたのか、受付ではレンジャーの恰好をしたプレイヤー達が続々と訪れる客に愛想を振りまいていた。

 

「トレーニングプログラムなんて、大ギルドの専用みたいなものですからね。馬鹿高い上にギルドポイントもかなり消費するらしいですし。個人で買えるのは馬鹿高い上に、ほとんど固定目標を壊すだけの味気が無いものらしいですから」

 

 受付の女の子を撮りながらブギーマンはエネエナに同意する。

 トレーニングプログラムは経験値もコルも入手できず、スキルの熟練度も高まらない。例外として武器の熟練度は微上昇するが、それも普通の戦闘の方が圧倒的に効率が良いので無視して構わないレベルだ。

 では、何故わざわざコルを支払ってまでトレーニングプログラムを利用したいと客が集まるのかと言えば、命の危険が無いからだ。

 どんな戦闘にも必ず危険が伴う。HPがゼロになる確率が潜む。自分のレベルに見合わない低級ステージであろうとも、どんな未確認のイベントが発生するか分からない。最初のステージである終わりつつある街の周辺草原でさえ、突如としてレベル30相当のネームドが出現する事があるのだ。

 対してトレーニングプログラムはどれだけ攻撃を受けてもHPはゼロにならない。また、武器が破損する事も無く、安全にプレイヤースキルを磨く事ができる。危険性が無い『娯楽』としても有効なのだ。

 だが、これまで大ギルドはいずれもトレーニングプログラムを一般開放する真似はしなかった。今回、太陽の狩猟団は最初から一般開放を目的としてトレーニングプログラムを購入し、施設まで拵えたのである。

 その最大の理由は、大ギルドに属さない中小ギルドの人気取りだ。

 現在、DBOは大きく分けて4つの勢力が存在する。聖剣騎士団、太陽の狩猟団、クラウドアース、そしてラスト・サンクチュアリだ。それぞれのギルドは理念と信条を掲げて対立し合っているのであるが、これら4つの勢力に明確に属した下部組織ではないギルドも多数存在する。

 こうしたギルドは中立ギルドと呼ばれているが、もちろん完全中立である訳ではなく、必ず何処かの勢力寄りである。こうした中立ギルドは決して馬鹿に出来ない、言うなれば第5の勢力とも言うべき存在だ。彼らは大ギルドの生産した武器やアイテムを使い、コルを支払って保有する狩場を利用し、有益なイベントを発見したりレアアイテムを入手すれば売却を持ちかけてくる。

 すなわち、ギルド間抗争とは何も大ギルド同士のパワーゲームだけではなく、中立ギルドをいかに掻き集めるかという側面もあるのだ。特に中立ギルドの大半が攻略に貢献しない中堅・弱小プレイヤーとはいえ、中には大ギルドがスカウトしたい程の実力者もいる。いざという時に中立ギルドをどれだけ自分の勢力として活用できるか、もまた静かなる戦争なのだ。

 その点で言えば、クラウドアースとラスト・サンクチュアリは1歩前を行っている。攻略のみならず、プレイヤーの生活に新風を送り込み続けるクラウドアース、貧民プレイヤーを保護する事で人道的な立場を明確にするラスト・サンクチュアリ、これら後進の大ギルドは潜在的支持率が高いのだ。

 今回の太陽の狩猟団の一般用施設の開設も、中立ギルドの人気を集める事を目的とした戦略の1つなのである。

 

「……というわけさ」

 

「「勉強になりました」」

 

 その事をキリマンジャロに懇切丁寧に教えてもらったエネエナとブギーマンは、まるで初めて因数分解を習った学生のような顔をして、そんな裏事情があったのか、と驚いた。

 

「クラウドアースがラスト・サンクチュアリを武力で無理矢理押し潰せないのもこの辺りが理由だよ。大ギルド同士ならば不和による戦争で片づけられるかもしれないけど、ラスト・サンクチュアリは人数ばかりの弱者の集まりだ。そんな真似をすれば横暴が過ぎて、中立ギルドの支持を失ってしまう。必要なのはいつの時代だって大義名分ってわけさ」

 

「さすがキリマンジャロさん! 物知りですね!」

 

「そんな事無いよ。俺もソロとはいえ、ギルド間抗争は決して他人事じゃない。いつ戦争が起きるか分からない以上、知識は備えておくに越したことはないさ」

 

 戦争か。売店で販売していたスルメを咥えながら、ブギーマンは日に日に激化していくギルド間抗争を想えば、いずれ大ギルド同士の武力衝突も夢物語ではないのだろうとは感じる。現に、先のミロスの記憶の大農場襲撃は、クラウドアースによるラスト・サンクチュアリの崩壊を狙った画策だ。

 だが、心の何処かでブギーマンは、幾ら不仲が極まろうとも大ギルド同士が殺し合いを始めるなどあり得ないと思っている。いくらデスゲームとはいえ、ブギーマンも、エネエナも、キリマンジャロも、大ギルドの幹部と呼ばれる者達も、日本で暮らしていた普通の人間だったはずだからだ。

 だから、大義をかけて殺し合うなどあり得るはずがない。そう思う一方で、最近はどれだけ現実の事を思い出す時間があるだろうか、ともブギーマンは悩む。

 この施設に集まっているプレイヤーもそうだ。もはや、自分たちが元いた生活など忘れているかのように、この世界の住人として産まれたかのように振る舞っている。

 

「殺し合いが日常かぁ。俺は嫌だなぁ」

 

「元から世界なんて殺し合いじゃない。中東とかアフリカとか年中内紛よ」

 

「先輩は相変わらず身も蓋もないですね」

 

「事実を覆い隠すのが嫌なだけ。それよりも写真は撮った? いよいよ大物を取材に行くわよ」

 

 女の子以外撮っている訳ないじゃないですかー、とはブギーマンは言わなかった。そんな事はエネエナも承知のはずだからである。

 

「大物? これで終わりじゃないのか? 今日はテツヤンの取材も入ってるんだろ?」

 

「ん? ああ、そうか。キリマンジャロくんには今日の予定を全部言ってなかったか。このオープンイベントなんだけど、ある傭兵との射的対決ができるんだ。今回の取材のメインはむしろそっちだね」

 

 キリマンジャロとしては【クリスマスの聖女】を早く追いたいという気持ちがあるだろうが、これも仕事だ。申し訳ないが付き合ってもらうしかない。

 受付の承諾を貰って3階に赴いたブギーマンたちは、茂る森と丘が一望できる射的場に案内される。そこには、狙撃体勢を取った1人の傭兵が対戦相手の男と標的の撃ち合いをしていた。

 使用しているのは、事前資料によれば命中精度と連射性能に特化したスナイパークロスだ。威力はほぼ無いに等しいが、反動を抑えて短いサイクルで射撃できるように改造が施されている。スナイパークロスには『GR』と仕事を請け負ったらしい鍛冶屋の名前が刻まれている。

 

(良い尻だ)

 

 ブギーマンは真顔で寝そべった狙撃体勢で、鳥や風船といった標的を撃ち抜いていく傭兵のショートパンツに魅入られ、無言でシャッターを連射する。今回の目的の99パーセントはこの光景を撮る事だった。ブギーマン的にはミッションコンプリートである。

 

「はい、私の勝ち」

 

「ちくしょぉおおおお!」

 

 プログラムが終了し、表示されたシステムウインドウで両者の点数が表示される。男も見ていた限りでは悪くない腕ではあったが、配点が高い大物を奪われ続けて焦ったのだろう、後半はミスが目立ち、命中精度は62パーセント、点数は211ポイントである。対する傭兵は終始精密な狙撃を続け、命中精度は100パーセント、点数は637ポイントと圧倒である。

 

「はい、負け犬さんにはスタンプね。次も頑張って」

 

 そう言って傭兵は掌の大きさもあるスタンプを手にすると、笑顔で男の右頬に押し付ける。すると、男の右頬には『私は負け犬です』という赤文字がスタンプされた。

 何と羨まし……じゃなくて、恐ろしいバツゲームなんだ! ごくりとブギーマンは泣きながら退場する男の背中を見送った。

 

「さてと、次はあなた達ね……って、記者さんか。そういえば取材があるって聞いてたけど、あなた達がそうなのよね?」

 

 DBO最高の狙撃主と謳われる傭兵、シノンの露骨に嫌そうな表情に、ブギーマンはその顔も写真に撮りたいとカメラを構えるも、彼女の鋭い睨みで封殺される。ぞくぞくと背中を駆ける悪寒は癖になりそうだった。

 

「以前は同僚のキャサリンがインタビューしたと思いますが、何か粗相でもありましたでしょうか?」

 

「いいえ、あの人は感じが良い人だったから嫌いじゃないわ。むしろ、私が怒ってるのはこの前のクリスマスの写真よ」

 

 その言葉に、わざとらしく納得したと言うようにエネエナは頷く。本当は彼女も最初から分かっていたことであるが、シノンはクリスマスのミニスカサンタコス特集に、販売初日第1号のクレームを実弾と共に送り付けているのである。もちろん、そんな物で怯む隔週サインズ編集部ではなく、抗議文は編集長が笑顔で読んで、笑顔で紙飛行機にして終わりつつある街の空へと旅立った。

 

「それについては申し訳ありません。ですが、我々も仕事でして、ああいう不本意な人気取りをしなければ廃刊に追い詰められてしまいますから」

 

「……別に良いわ。もう終わった事だし。それで、今日は2人って聞いてたんだけど、そちらの暑苦しい黒服は誰?」

 

 今度ミニスカサンタ写真集を販売すると聞けば、今度は実弾が撃ち込まれるかもなぁ、とブギーマンはぼんやりと考えながら、シノンの質問に応じる。

 

「ああ、こっちは取材同伴の……えーと、ボディガードみたいなものだと思ってください。そうだよね、キリマンジャロくん?」

 

「…………」

 

 挨拶をするタイミングをブギーマンは渡すも、キリマンジャロは帽子を深く被り直しながら軽く会釈するだけだ。

 もしかして緊張しているのだろうか? よくよく見れば、キリマンジャロの頬に冷や汗のようなものが垂れていた。

 終わりつつある街と違い、記憶や記録といったステージは気候が固定だ。このタンゲルの記憶はまさしく真夏であり、キリマンジャロの恰好は冬景色の終わりつつある街に合わせた厚手のコート姿である。確かに外観は暑苦しく、なおかつ目立つ。

 

「キリマンジャロって何処かの山の名前よね?」

 

「タンザニアですね。それよりも1枚よろしいですか? できれば、クロスボウを構えて笑顔で」

 

「お断りするわ。好きに撮って良いけど、変な注文は付けないで」

 

 エネエナにさり気なくポーズを要求され、シノンは1秒未満で拒絶する。どうやら警戒レベルは大のようだ。これは先程の狙撃体勢以上のシャッターチャンスに巡り合うのは難しそうである。

 

「もう写真は撮ったのでしょう? お帰り願いたいんだけど」

 

「ああ、その件ですが、実はもう1つ取材したい事がありまして……【渡り鳥】についてお話をお聞かせいただきたいのですが」

 

 途端に、シノンは先程とはまるで意味が異なる、明確な殺気を含んで睨みつける。いかに修羅場を潜り抜いてきたとはいえ、相手は本当の殺し合いを最前線で日夜続けているトップクラスの傭兵だ。思わず腰が抜けそうになったブギーマンであるが、やはり心臓を握り潰すような悪寒に病みつきになりそうになる。何というべきか、あの脚線美を披露する右足で思いっきり後頭部を踏みつけてもらいたい衝動に駆られる。

 

(しっかりしろ! 俺は神より変態写真道を極める神託を受けた者! そして、神を超える者! あくまで被写体は写真に収めるべき存在であり、お触りは厳禁!)

 

 頬を両手で叩いて喝を入れたブギーマンに、シノンは困惑して肩をびくりと跳ねさせる。その一瞬の隙に、濃厚な殺気で魂が抜けていたエネエナは復帰を果たし、強気に腰に手をやった。

 

「もちろん、アポが無い以上はこちらも無理にお話を聞こうとは思いません。そこで、1つゲームで決着を付けませんか?」

 

「ゲーム? もしかして、私と射的対決でもするつもり?」

 

「ええ、その通りです。ですが、シノンさんは狙撃の本業。勝つのは当たり前。ですので、ハンデとして30秒と100ポイントをいただきたいのですが」

 

「一方的に勝負を挑んで、挙句にハンデとは虫が良過ぎるんじゃない? 当然、私が勝ったら相応の報酬は貰えるんでしょうね?」

 

 シノンの言い分は尤もだ。承知しているとエネエナは頷き、ブギーマンの肩に腕を回す。

 

「彼なんですけど、他でもないシノンさんのミニスカサンタ姿を撮ったカメラマンなんです。彼を好きなだけ殴って良いですよ♪」

 

「ちょ、先輩!?」

 

「OK、始めましょう」

 

 そして、あっさりと、むしろノリノリでシノンは承諾する。指の骨を鳴らしてシノンは探して求めていた獲物を見つけたかのように目を光らせた。

 助けて、キリマンジャロくん! ブギーマンは救いを求めて背後で無言を貫く彼を見るが、キリマンジャロはまるで石像のように硬直して動く気配が無い。

 

「時間は120秒で難易度はハード。私は最初30秒手出ししないわ。それじゃスタート」

 

 システムウインドウを操作してトレーニングプログラムを起動させたシノンは狙撃体勢に入らず、お手並み拝見と腕を組む。エネエナはスナイパークロスを手に取り、寝そべらずに立ったままスコープを覗き込んだ。

 資料で確認しているが、この狙撃用トレーニングプログラムの配点は、より命中難易度が高い物ほど高得点だ。1番高得点なのは高速ランダム移動する小鳥である。そして、連続で命中させればさせる程にポイントにはボーナスが入る。

 本来ならば、狙撃主として傭兵をこなしているシノンに、どれだけのハンデを貰おうとも安全地帯で暮らすエネエナに勝ち目はない。だが、それはエネエナの正体を知らなければ、の判断だ。

 トリガーが引かれ、エネエナの顔から表情が抜け落ちる。そして、スナイパークロスから放たれたボルトは、寸分狂わずに大地を蠢く蛇を貫いた。

 

「なっ!?」

 

 小鳥ほどではないが、難易度の高い標的だったのだろう。シノンが驚きの声を漏らす。その間にも得点が高い標的を次々と撃ち抜いていくエネエナに、シノンは焦りを覚えるも、彼女が与えたハンデの30秒は経っていない。

 さすが先輩だ。唖然とするキリマンジャロを横目に、ブギーマンは当然の結果だと、エネエナの罠に見事にかかってしまったシノンを哀れむ。

 エネエナ。その正体はクレー射撃世界大会銀メダリスト、記者になる前は日本大会をジュニア時代から連覇し続けた本物の『天才』である。何をどのように道を間違えたのかは知らないが、昔のスポーツ雑誌を探れば、彼女がハングリー精神溢れるメダリスト時代の姿が見れるだろう。

 

「う~ん、さすがにクロスボウは勝手が違うわね。でも、反動は小さいし、弾道は素直。うん、撃ちやすいわ」

 

 エネエナは最初30秒に集中力を振り絞って高得点目標を積極的に狙っていく作戦だったのだろう。シノンが参加すると、今度はそこそこの点数を稼げる目標を撃ち始める。対してシノンは30秒分と100ポイント分のハンデを覆さねばならず、高得点の高難度目標を狙い続けねばならない。

 勝てる。この勝負、俺たちの勝利だ! ガッツポーズするブギーマンであるが、冷静さを取り戻したシノンが獰猛な微笑を浮かべ始めてから事態が変わる。

 エネエナのボルトが命中しなくなったのだ。正確に言えば、エネエナが撃ったボルトがシノンによって撃ち落とされているのだ。しかも、撃ち落とした後の軌道変化も予測しているのか、シノンのボルトは標的に命中し続けている。

 

「良い腕ね。プロ級なのも認めてあげる。でも『戦い方』を知らないわ」

 

「ぐぅ!?」

 

 幾ら最初に高得点で稼いでいても、その後の点数を稼げねば意味が無い。連続命中ボーナスもシノンによって止められ、逆に彼女のポイントは驚異的な速度で上昇し始める。

 蓋を開けてみれば、エネエナは289ポイント、シノンは402ポイントと大きく差が開いていた。ハンデの100ポイントを加えれば僅差であるが、それでも負けは負けである。

 

「ごめん、ブギーマン。殴られて」

 

 情けなくブギーマンの肩に手をやるエネエナに、シノンは呆れたように、あるいは満足したように息を吐く。

 

「別に良いわ。つまらない仕事だと思ったけど、面白い勝負ができたから、あなた達の勝ちにしてあげる。それで、クーについて訊きたいんだったわね?」

 

 まさかの好転にエネエナとブギーマンは顔を見合わせ合う。シノンはスナイパークロスを籠に戻すと、休憩用の椅子に腰かけて、氷水が入ったグラスを傾ける。

 

「色々言われてるけど、世話焼きで、口が悪くて、ガキっぽい、普通の男の子だと私は思うけどね。怖い部分もあるけど、戦う時以外はむしろ情けないところの方が多い気がするわ」

 

 懐かしむようにシノンは、僅かに口元を綻ばせる。ブギーマンの調べでは、【渡り鳥】とシノンはほとんど協働した事が無いはずである。なのに、まるで彼女の口振りは一緒に冒険をした仲間を振り返るような実感に満ちていた。

 

「でも、コボルド王戦では彼の凶行を止めたのはシノンさんですよね? その件には何か思う事があるのでは?」

 

「……あれは仕方ない事よ。誰もできない解決法をクーはしただけ。感謝できるような事でもないし、褒められる行為でもないけど、私が生き残れたのは彼が……彼がたくさんの人を殺したから。それは否定できない。あの場にいる誰も……絶対に……」

 

 エネエナの質問に一瞬だけ怒りや悲しみのようなものをシノンは目に潜ませた。

 

「彼は強い人。恐ろしいくらいに。でも、彼はいつだって生き残る道を示してくれる。私にとって、1つの憧れかもしれないわ」

 

「そうか……変わってないんだな」

 

 と、そこで今まで沈黙を保っていたキリマンジャロが、まるでシノンに感化されたように呟いた。

 途端に4人の中で沈黙が流れる。何故か分からないが、今まさに、決定的な失敗が成されたと誰もが本能的に察知したかのように、口を閉ざす。

 ダラダラ、と。

 ダラダラ、と。

 ダラダラ、とキリマンジャロの顔から環境ステータスがついにアバターへの発汗機能を実装したのではないかと思う程に汗が流れ出す。

 

「その声……まさか」

 

 そして、シノンは口元を手に覆い、キリマンジャロの顔を覗き込もうとする。だが、それをキリマンジャロは帽子を深く被り、眼鏡のブリッチを押し上げ、顔を俯けて阻止する。だが、逆にその露骨な態度がシノンに何らかのヒントを与えたようだった。

 

「全身黒ずくめ……顔を隠す……クーを知っているっぽい口振り……キリマンジャロ………キリマンジャロ……キリマン……キリマ……キリ……」

 

 それを譬えるならば、新しい獲物(玩具)を見つけた山猫の笑み。凶暴極まりない残忍な微笑。

 シノンはこれ以上と無い程に『愉悦』の2文字が似合うように口元を歪めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうなんだぁ。なるほどねぇ。今後は楽しくなりそうね、『キリマンジャロ』さん?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、太陽の狩猟団の副団長のミュウが現れ、彼女に何やら耳打ちをすると伴って出て行った。恐らく新しい依頼が入ったのだろう。

 残されたブギーマンは、全身真っ黒なのに、何故か真っ白に焼き尽くされたかのようなキリマンジャロを、どういう訳か湧きだす哀れみの感情と共に見つめた。




<システムメッセージ>

シノンはプレイヤースキル【愉悦】を手に入れた!
シノンはプレイヤースキル【嗜虐】を手に入れた!
キリマンジャロ……イッタイナニモノナンダ!?


それでは、138話でまた会いましょう。

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