SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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唐突ですが、猪鍋って美味しいですよね。
筆者は今でも小さい頃に猟師の人に食べさせてもらった猪鍋が忘れられません。あれ以来、今でも猪肉は買っていますが、あの時の味に出会えていません。


Episode15-4 猫と剣士

 ユニークスキル。正直なところ、シノンにはあまり興味が無い代物だ。

 破格の性能を宿した、共有される事が無い、個人を極限まで高める力。確かに、MMOというジャンルにおいて、これ程までに自尊心を高める物は無いだろう。

 また、ユニークウェポンもそうであるが、それ以上にユニークスキルというのは自分を『選ばれた存在』と思い込ませるだけの魅力がある。他人の嫉妬混じりの羨望の眼差しが自己を肥大化させる。それはデスゲームにおいて結果的に死に繋がりかねない。

 だが、依頼は依頼だ。ミュウから呼び出され、直々に依頼内容の詳細を通達されたシノンは受託した。元よりパートナー契約を結んだ身として、太陽の狩猟団の重要度の高い依頼を拒む事などできない身だ。

 今回の依頼は3大ギルドが傭兵戦力をここぞとばかりに投入してくる。即ち、傭兵同士の戦い、殺し合いに発展するだろう。

 殺す覚悟はあるつもりだ。だが、それでも、いざという時にトリガーを引けるだろうか? シノンは愛銃をマイホームで磨きながら、依頼内容を何度も確認し、入念に持ち込む武装とアイテムを選別しながら、自分の指先に苛立ちが込められている事に気づいた。

 全てはUNKNOWNのせいだ。チェーングレイヴとの戦いの時、彼が見せた圧倒的な力。そして、その後に語った『強さ』の在り方。それが今もしこりとなってシノンの心の傷に入り込んで疼き、彼女に絶え間ない苦悩を与えている。

 スコープを覗き込み、シノンは夢想する。照準の先にいるのは、サインズで度々顔を合わせる傭兵達の顔だ。大半の傭兵とは交流が無く、同じ太陽の狩猟団の契約者以外でも談話する事も滅多にない。

 もちろん、シノン自身が群れる事を好まないのも理由にあるが、何よりも怖かったのは、いつ敵対するかも分からない者達に情を抱く事だった。

 挨拶する程度でも、相手の顔を憶えてしまえば、そこには『個人』という概念が生まれる。相手が仮想世界のデータで作られた肉の塊ではなく、向き合って話をすれば、存外分かり合える人間だと認識してしまう。

 GGOの頃は何度もへカートでアバターの頭部を、胴体を、恐怖に歪んだその表情を鑑賞しながら嬉々として引き金に手をかけた。だが、あれはゲームだからこそ発散できた自分に秘められた攻撃性であり、デスゲーム……本当の殺し合いの時ともなれば、シノンは自身の指が震えて動かないのではないかと、安心と不安を行ったり来たりさせるのだ。

 撃たなくては殺される。ならば、撃てるのに越した事は無い。だが、その瞬間にシノンは何か大切な物を捨ててしまう気がした。

 撃たないならば殺さないで済む。だが、相手は容赦と言う言葉を知らない者ならば、彼女はその命を奪い取られる。

 考えてもしょうがない事だ。実際に、その瞬間になってみなければ答えは出ない。

 スコープを覗き込み続けるシノンが幻視したのは、白い髪を揺らす傭兵だった。

 クゥリ。シノンが知る限りで、最も危険で、最も恐ろしく、最も『強い』傭兵だ。

 シャルルの森に彼も派遣されると聞いた。ミュウの話によれば、聖剣騎士団寄りのギルドに雇用されたらしいが、真偽は不明だ。どうやらミュウは彼の本当の雇用主は別にいると考えているらしいが、情報が不足しているらしい。

 だが、雇用の裏に何があるとしても、クゥリは太陽の狩猟団からの依頼ではなく、別の勢力から依頼を受託した。それが全てだ。つまり、シャルルの森で遭遇すれば、シノンとクゥリは敵対する事になる。

 彼は殺す。一切の容赦もなく、微塵の躊躇もなく、シノンを殺しにくる。彼はそれが出来る。不思議な話であるが、それは信用よりも信頼に近しいものだった。最悪かもしれないが、シノンは彼の凶暴性を何よりも信頼している。

 味方にいるならば頼もしく、敵に回れば災厄そのもの。いや、あるいは味方にとってすら不測の事態を撒き散らす嵐かもしれない。それは端的に彼のランク41という、実質最下位の数字からも見て取れた。

 1番の雇用主である大ギルドにすら信頼されない。彼はどんな気持ちで刃を振るい続けるのだろうか?

 次に思い浮かべたのはスミスだ。彼もまた、クゥリと同じでシノンにいつもと同じように煙草を咥えながら銃口を向けるだろう。ある意味でクゥリよりもタチが悪い人物である。

 スミスもまた『強い』人間だ。クゥリと同じで、精神的にも実力的にも規格外の存在。ランクこそシノンよりも低いが、彼の本気の本気をシノンは1度も見たことが無いような気もした。常に余裕を持った立ち回りをする彼にとって、真の死闘を演じるに値する相手は限りなく少ないのだろう。

 イレギュラー。そんな単語がシノンの頭を過ぎる。例外、規格外、異分子……彼らはまさにその言葉が似合う。狼の群れの中に肉食恐竜が混ざっているようなものだ。捕食者であったはずの狼が、単なる餌に成り下がる。羊ならば尚更の事だ。

 憧れているのだろうか? シノンは、彼らのようになりたいのだろうか、と我が身に尋ねるも、今は心の奥底で熱を帯びた不鮮明な意思が小さく脈動して返すのみだ。

 呑み込まれる。シノンはスコープから顔を離し、今回持ち込むアイテムの数々を再確認する。

 食料は最低限ではあるが、なるべく保存が利く物を選んだ。特にクラウドアースの新商品であるカロ○ーメイトを模した新保存食は味も良くて長持ちする。他にもナイフやロープといった普段からダンジョンに潜るのに持ち込むアイテムを選ぶ。

 1番の問題は弾薬だ。銃器の最大のデメリットは、弾薬を消費するという点にある。特に狙撃武器は持ち込める弾薬が少ない。

 ならば弓矢は、と言えば、確かに銃器に比べれば長期戦に向く。矢の持ち込み量も大幅に高まる。だが、それはシノンの狙撃能力を著しく下げるものだ。もちろん、弓矢による狙撃も可能であるが、やはり本分であるスナイパーライフルの方が射程も命中率も格段に上だ。

 この点で言えば、スミスのように1回の戦闘で多量の弾薬をばら撒くタイプは、このサバイバル戦に不利と言えるだろう。どのようにして問題を解決するのか訊きたいが、彼もまた同種の依頼を受けたはずである。

 やはり協働を雇うべきだろう。前衛がいるのといないでは、弾薬の消費はもちろん、接近されるリスクが大幅に減る。≪狙撃≫を用いても一撃必殺はまず無理だろうし、ジャングルとなれば遮蔽物が多過ぎて著しい遠距離狙撃は難しい。

 だからと言って、何処のギルドも有力な傭兵は既に囲い込んだはずだ。同じ太陽の狩猟団の傭兵に頼んでも良いのだが、今回のユニークスキル争奪戦の依頼報酬は『獲得者がボーナスで5割、残りの5割を戦果に応じて分配』というスタイルだ。協働のメリットは相手の依頼報酬から分け前を貰える事であり、今回のようなパイの分け前を奪い合う依頼では、素直に協働を果たしてくれるか分からない。

 と、そこでシノンは1つ良い案を思いつく。試しに自分の担当である三大受付嬢の1人である【ラビズリン】にメールを送り、お目当ての傭兵は空いているかを問う。幸いにも間に合ったのか、シノンは即座にその傭兵に協働依頼を出したいと要求する。

 協働依頼内容文は、今回のユニークスキル争奪戦で自分と協働をお願いしたいと不自然なまでに懇切丁寧な文面で記載する。

 返事は送信から15分で来たらしく、即決でOKとの事だった。

 そうして、シノンは依頼当日、協働相手とシャルルの森に進行していた。他の太陽の狩猟団の傭兵達は、傭兵というソロで動ける機動力を損ないたくないのだろう、群れる事も無く、それぞれが先んじて森の中に消えた。

 

「それにしても暑いわね。まさか汗まで掻くとは思わなかったわ。そう思わない、UNKNOWNさん?」

 

 汗でべっとりと肌に纏わりつく防具に、手を団扇にして風を送りながら、シノンは群がる銀毛の猿をナイフで切り裂く。ジャングルという事もあり、彼女が今回持ち込んだのは【ヒートナイフ】だ。赤熱するナイフは火炎属性が含まれ、銀毛の猿にもダメージが良く通る。とはいえ、所詮は≪短剣≫であり、ソードスキル無しでのダメージ量は決して高くない。ならば、周囲を8体以上の銀毛の猿に包囲されれば、いかにシノンと言えども苦戦……いや、死の危険がある。

 だが、彼女は微塵も恐れずに、むしろ肩の力を抜いて、自分を襲う銀毛の猿だけを丁寧に迎撃する。そうすれば、傭兵最強と言えばユージーンと並ぶ強者、ジャングルでも相変わらずの黒衣を装備したUNKNOWNが両手に装備した片手剣で銀毛の猿を薙ぎ払ってくれる。

 彼が今回装備しているのは新武器なのか、右手には黒塗りで分厚い重量型片手剣、左手には中量型でややリーチが長めの深緑の片手剣だ。その剣捌きはまさに見事の一言であり、銀毛の猿はほぼ何も出来ないままに斬殺されていく。

 リザルト画面が表示され、戦闘が終了するも、モンスターの死骸は普段のように赤黒い光となって飛び散ることもなく、周囲にばら撒かれている。今回のステージの特徴であり、撃破後も死体が残るのだ。幸いにも断面は赤黒いデータ的なものであり、本物の肉と骨が露出し、血が溢れ出る事は無い。だが、それでも気分を害するには十分過ぎる効果だ。

 

『連中はニオイに釣られて来たみたいだ。早く消臭しよう』

 

 2本の片手剣を背中に差したUNKNOWNの声。彼の顔は相変わらず仮面に覆われており、沈黙状態によって喋ることはできないはずだ。だが、彼の声がシノンにだけは届いている。

 シノンの左耳には銀で縁取られた紫の宝石のイヤリングであり、UNKNOWNの右耳には銀が金になった以外は同型のイヤリングが装着されている。これは【アマナの耳飾り】というらしく、ミュウが年末に売却を持ち掛けた品だ。金縁を付けた者は強制的な沈黙状態になる代わりに、銀縁を付けた者に遠方まで声を届かせることができる装飾品である。

 狙撃主であるシノンにとって、遠声の人工妖精とは違って戦闘中の協働相手からの状況報告をリアルタイムで受け取れるこのイヤリングは絶品なのであるが、これ程に破格のユニークアイテムをミュウが確保していたのは驚いた。彼女曰く『サンタさんから「お礼」で頂いたのですよ』という事らしいが、シノンがミニスカサンタで自棄になってクリスマスで散財している間に、ユニークアイテムを入手できるイベントがあったとは驚きである。

 お陰でインスタントメールで煩わしいラグがある会話に悩まされる必要も無く、またUNKNOWNは元から沈黙状態なので彼にとっても不利なデメリットもなく、こうして会話が成立している。傍から見ればシノンがUNKNOWNに一方的に話しかけているようにしか見えないのであるが、それも人目が無いジャングルならば特に気にする必要も無く、『頭がおかしい女』という外聞が広まる事も無い。

 

「ニオイ、ね。なるほど、さすがは動物系。嗅覚に鋭敏って事ね。でも、私は消臭系のアイテムを持ち込んでないわ。UNKNOWNさんは?」

 

『俺もだよ。こんな仕様なんて知らなかった。ステージ毎の環境ステータス、その差異の域を超えている』

 

「今更よね。DBOでは、あり得ないと切り捨てたはずの事が平然と立ちはだかる。私も、あなたも、このゲームに翻弄され続けるしかないプレイヤーその1とその2ってところかしら?」

 

『だったら抗おう。俺達はこんなところで死なない。死ぬわけにはいかない』

 

 当然だ。シノンはヒートナイフを腰に仕舞い、サブウェポンのハンドガンの使用した弾数分をオートリロードで回復させる。今回の戦闘で消耗したのは、たったの3発だ。ハンドガンは【ナズヴル社製ハンドガンRT21】だ。装弾数・射撃精度・射程距離・火力の4拍子が高水準で纏まっているが、射撃反動が強く、シノンのSTRでは制御が難しい。だが、対人・対モンスターの両方で有用なハンドガンだ。何よりもハンドガンは銃器でも例外で武器枠を1つしか消費せず、ヒートナイフと併用できる旨みがある。

 レグライドとの一戦以降、シノンは自らの近接戦闘を見直した。シノンの武器枠は2つであり、マシンガンやアサルトライフルといった近接銃器を装備するにしても、常日頃から互いの間合い内で戦うプレイヤーを相手にするには、1つだけの武器というのはどうしても不安が残る。

 そこで参考にしたのは、皮肉にも太陽の狩猟団のライバルである聖剣騎士団、円卓の騎士の1人である女傑、マリアだ。彼女は短剣とハンドガンという火力の乏しい武器で多大な戦果を挙げている。もちろん、そこには≪格闘≫スキルによる火力の底上げもあるが、彼女の立ち回り方は三次元戦闘を得意とするシノンにとって見習うべきものがあった。

 そこで太陽の狩猟団に保存されていたマリアの戦闘データを全てチェックし、彼女の戦闘スタイルを自分流にアレンジしながらコピーする事に努めたのだ。オリジナルには及ばないが、完成度はそれなりの水準に至っている。

 逆に言えば、上位ランカークラスを相手にするには、やはり厳しいものがある。レグライド級のプレイヤーは傭兵でも少ないが、仮にユージーンとぶつかり合えば、まずシノンは一方的に追い詰められるだろう。

 

「間もなく日も暮れるわ。何処かで休まないと。それにニオイも消さないとね」

 

 ジャングル全体は斜陽によって暗がりを増し、夜行性のモンスターが蠢き始めている。転がる銀毛の猿の死骸に小動物や虫が群がって貪る光景に、シノンは口を押える。悪趣味な世界ではあったが、このシャルルの森は生命サイクルをそのまま反映しているような、人工の楽園……自然の摂理を忘れさせる都市での生活が長過ぎたシノンの心に受け入れられない気持ち悪さがある。

 茂る木々の隙間を歩み、シノンは≪気配遮断≫と≪気配察知≫を併用しながら、慎重に進んでいく。途中でぬかるみに足が捕らわれそうになるが、UNKNOWNが彼女の腕をつかんで転倒を防いだ。

 

「……ありがとう」

 

 情けなさで頬をやや赤らめながら、シノンはぼそりと礼を述べる。

 

『構わないさ。仲間だろう? 助け合わないと、このジャングルを生き抜く事はできない』

 

「仲間じゃないわ。協働相手よ」

 

 傭兵同士に仲間意識など介在する余地が無い。そこにあるのは、冷徹なビジネス関係だ。だからこそ、協働相手を裏切る事は決してあってはならない。

 

『同じさ。チームで動く以上、どちらかが欠けるわけにはいかない。俺はシノンを守るから、シノンも俺の背中を守ってくれ。期待しているよ、【魔弾の山猫】さん』

 

 だが、それをUNKNOWNは真っ向から否定する。これが最強の傭兵と謳われる【聖域の英雄】の発言なのだから、甘いと言うべきか、おめでたいと言うべきか。どちらにしても、シノンとUNKNOWNの傭兵観には大きなズレがある。

 だから、シノンは悔しさを覚える。彼の言う仲間意識に、心臓が僅かにだが、忘れていた熱を取り戻せたような気がしたのだ。そう、まだこの残酷な世界に染まる事も無く、ひたすらに明日を追い求めていたディアベルやクゥリと生きていた日々の、共に囲んだ篝火の温もりを思い出せそうになる。

 

「あなたの背中を誤射しないように努力するわ、『キリマンジャロ』さん」

 

 もう、あの頃には戻れない。シノンは余計なストレスを加えたUNKNOWNを制裁するように、彼の急所を突く。今回、彼が協働依頼を受けてくれたのも、懇切丁寧な依頼内容文にシノンが心から込めた副音声を受け取ってくれたからだろう。即ち、『これを受けないならば、「キリマンジャロ」の件をぶちまける』という脅しである。

 

『その件は忘れてもらえないか? むしろ忘れてくれ。本当にお願いだ』

 

「嫌よ。それよりも、野営するならこの辺で良いんじゃない?」

 

 シノンが示したのは苔生した石が転がる綺麗な水場だ。色彩鮮やかな魚も泳いでおり、透明度も高く、モンスターがいる雰囲気も無い。一応はモンスター避けのアイテムも揃えているが、何処まで通じるか分からない。

 

(うわぁ、ビショビショだわ。普通なら死んでる量の汗じゃない?)

 

 僅かではあるが持ち込める銃弾数が増加する【バトルジャケット】のボタンを外し、装備しているインナーが汗を吸って肌に不快感と共に張り付いている。幸いにも綺麗な水もある事から、ここで体を洗ってニオイを少しでも消すべきだろう。

 バトルジャケットを脱ごうとしたシノンは、妙な視線を感じ、最大限の殺気を込めて仮面で素顔を隠す卑怯者を睨む。

 

「見たら殺すから」

 

『み、見ないよ。絶対に見ない! 神に誓って見ない!』

 

「でも、凝視してたわよね? 今、絶対に視線を向けてたわよね?」

 

 バトルジャケットのボタンを外して露わになった白のインナーは戦闘用なのでそれなりの厚さがあるが、それでもカラーリングは白だ。たっぷり汗を啜れば、当然だが透け易くなる。ましてや体のラインが分かる程に張り付いているともなれば、自然とその下に付けている下着や肌も滲むように目視できるというものだ。

 

「本当かしら? 聞いたわよ、『キリマンジャロ』さん。黒服黒帽子のプレイヤーが、黒鉄宮跡地広場で『巨乳大好き』って大声で発言してたらしいわ。そんなド変態の言葉の何処に信頼を置けば良いのかお聞かせ願える?」

 

 自分のプロポーションに自信があるわけでもなく、また巨乳でもないシノンであるが、彼女もまた乙女である。戦闘能力の1点では信用できるし、今までの会話からも彼が人間的に善性である事もぼんやりと感じ取れる。だが、それと変態度は別だ。

 だが、シノンは何かまずい事を言ったのか、ガタガタとUNKNOWNは震えだす。

 

『キョニュウ? ハハ、何を言ってるンだ? 俺は地平線のような、水平線のような、慎ましい……そう、虚乳トハ空デアル。大キイダケノ肉ノ塊ニ価値ハ無イ』

 

「……聞かなかった事にするわ」

 

 どうやらUNKNOWNの深い闇の部分に触れてしまったらしい。シノンはUNKNOWNへの評価をド変態から変態王に格上げしつつ、この話題はなるべく避けるようにしようと小さな善意と哀れみを込めて誓う。

 どうせバトルジャケットも汗を啜っているのだ。シノンは脱ぐのも面倒だと、全身を水の中に浸す。思いの外に冷たい水が心地良く、シノンは生き返る心地で息を漏らす。UNKNOWNも黒いコートごと飛び込み、頭から潜って体のニオイを消そうとする。

 

「水も重要よね。保存水は持ってきてるけど、貯蔵できる瓶が欲しいわ」

 

 保存水というアイテムはそれその物で完結している為か、飲み終わっても空き瓶は残らない。つまり、どれだけ水があっても貯蔵する術がシノンには無いのだ。

 ジャングルというだけあって川なども多いが、さすがに泥まみれの水を飲めるとは思えない。いや、飲めるかもしれないが、どんなデメリットが生じるのか、考えるだけでも嫌になる。

 

『貯水用じゃないけど、防水性の高い革袋がある。それでも2人で共有するなら、1日分の水を確保できるかどうかだろうな』

 

 完全に日も暮れ、汗を流したシノンとUNKNOWNは簡素な野営を準備する。火を焚けば生物系モンスターは近寄ってこないかもしれないが、他のプレイヤーに発見されるリスクが高まる。そこでシノンが準備したのは【夜盗の火打石】だ。これで起こした火は視認距離が大幅に狭まる。レアアイテムで壊れやすい事が難点であるが、消費アイテムとは使わずに貯蔵するものではない。

 

「太陽の狩猟団も拠点作りを少しずつ進行させているはずだし、タイムロスを厭わなければ補給もできる。今はある分をやり繰りして何とかしましょう」

 

 シノンの打ち出した方針にUNKNOWNは無言で了承する。水はともかく、食料は最低でも1週間はあるのだ。シャルルの森1日で随分と奥まで来たことだし、今のペースを維持すれば3日以内には中心部の迷宮を確認できるだろう。問題は他のプレイヤーとの交戦であるが、シノンの≪気配察知≫は最高水準であるし、UNKNOWNはシノンが持ち合わせていない≪罠感知≫と≪暗視≫がある。

 まさか初っ端からワイヤートラップや落とし穴が目白押しとは思わなかったが、どうやらハイペースで罠をばら撒きながらシャルルの森の突き進んでいるプレイヤーもいるらしい。シノンは索敵を、UNKNOWNは罠の警戒をしながら進行するのがベストだ。

 まずは1日目を無事に終える事ができた。シノンは一息を吐いて、UNKNOWNと3時間交代で見張りに着く事を決める。最初から飛ばし過ぎていては、精神の方が限界を迎えてしまうのだから。

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

 シャルルの森近郊の村、住民数もそれなりに多く、アイテムを販売する商人もいるこの場所に、3大ギルドを始めとしたシャルルの森に戦力を派遣した勢力の本営がある。

 その中の1つ、太陽の狩猟団のエンブレムが描かれた旗が靡く赤色の大型テントの中で、深夜となりながらもミュウを始めとした太陽の狩猟団の頭脳を担う面々が、シャルルの森の地図をテーブルに広げて作戦を練り合わせていた。

 地図と言っても、これはNPCから得られた落書きのようなものだ。およそ精度はなく、信頼性も無い。だが、代わりに中心部の迷宮の絵やその他の目印になるような建造物が描かれている。これは太陽の狩猟団がいち早く入手して独占したアドバンテージだ。他のギルドは認知していない情報である。

 傭兵とはソロ、ないしせいぜい2人か3人組で動く。単独・少数での作戦遂行できる高水準戦力こそが彼らの魅力であり、価値そのものだ。そこで、ミュウは作戦の成功率を高める為に傭兵達にはそれぞれバラバラのルートから中心部を目指すように指示してある。

 そして、自軍には安全性を第一として、なるべく開けたルートから侵入させてある。つまり、先行する傭兵を補給を担う大戦力がじわじわと追いかけるという展開だ。

 

「ミュウ様、サンライス団長の件はよろしかったので?」

 

 補給品リストをチェックするミュウに、彼女の側近の1人である右サイドテールのルーシーは問う。

 作戦の進行は順調。そうであるにも関わらず、ミュウが頭を悩ませているのは、本来ならば大本営で陣取っているべきサンライスが部下を置き去りにしてソロでシャルルの森へと突入したからである。

 

 

『座して待つのは長の務め! だが、先陣を切り、自軍を鼓舞するも総大将の定めである! 無駄な犠牲を出すのも好かんからな! 俺がユニークスキルを手に入れ、この戦いを終わらせよう!』

 

 戦場ならばともかく、何処の世界に部下も率いないでジャングルに飛び込む総大将がいるというのか? 泣きたくなるミュウであるが、一方で雇った傭兵以上の活躍をサンライスならば単独で成すだろうという確信もある。

 一方で不安材料があるとするならば、やはり聖剣騎士団とクラウドアースだ。さすがも何も当然であるが、ディアベルは自陣に留まって総指揮を行って自軍を操作し続けている。彼もまた拠点作りと傭兵を支援する補給準備を進めているはずだ。だが、一方で円卓の騎士の何人かがソロ、ないし少数の部下を連れてシャルルの森に突入したと情報が入っている。

 その全員がトッププレイヤーである円卓の騎士。彼らは反目し合っている者も多いが、結託して数で襲い掛かればサンライスも苦戦を強いられるだろう。

 そして不気味なのがクラウドアースだ。彼らは自軍の戦力派遣を最小限度に抑え、隠密性の高い少数精鋭の補給部隊を先行させるという、博打のような大胆な戦略を取っている。何よりも危険なのは、総指揮を執っているのがセサルという点だ。

 それぞれが互いの手の内を隠しながら、傭兵と自軍というタイプが違う駒を操っている。まさしく陰謀渦巻く知略の遊び場だ。

 そんな中にサンライスが突撃。頭を抱えたくなるミュウは、相変わらずの大声を撒き散らしながら止める暇も無く森に消えた団長の背中を思い出す。

 

「団長は戦いの申し子、自陣に留まるのではなく、自ら打って出る事によって我らに火を灯していらっしゃいます」

 

「……心労、お察しします」

 

 周囲に部下が多数いる手前、団長の突撃を諌められなかった自分にこそ非があると暗に認め、なおかつ団長の正当性を副団長自ら宣言する。これで建前は何とか成り立つ。それを労うルーシーは冷たいミルクを彼女に差し出した。

 だが、それを口に運ぶよりも先に、双子で名を通すルーシーの妹であるスーリがテントに飛び込んでくる。

 

「ご報告します。シャルルの森に進行した第1、第3、第4部隊に大きな損害。特に第1部隊と第3部隊は全滅したとの報告が第2部隊生存者より連絡がありました」

 

 普段は感情らしい感情を発露しない双子であるが、この時ばかりはスーリも困惑した様子である。それも当然だ。今回編成した部隊は1番から4番まで。太陽の狩猟団の正規メンバーをそれぞれに1名ずつ加え、索敵と隠密をバランスよく整えた部隊なのである。

 その内の3つの部隊が壊滅したのだ。これでは、太陽の狩猟団の補給体勢の準備が遅れを……いや、ほぼ不可能に等しいダメージを負った事になる。なにせ、第1部隊と第3部隊は全滅……つまり総勢12名のプレイヤーが死亡した事になる。これはステージのメインダンジョン攻略でも滅多にない大損害だ。幸いにも主戦力の損害は少ないので今後の攻略には差し障りがないかもしれないが、これ以上の追加戦力派遣は太陽の狩猟団にも相応以上のダメージを与える事になる。

 

「落ち着いてください、皆さん。スーリ、壊滅の原因はなんですか?」

 

「第2部隊の生存者は精神的ダメージが大きく、記憶も曖昧なようで、ハッキリとした事は。ですが……」

 

 言い辛そうに、スーリは生存者から聞き出しただろう情報を並べる。

 

「第2部隊は大量の発汗に伴った疲労と連続戦闘で疲弊していた所、水場で休もうとしたときに水中から強襲を受けたそうです。暗闇からの攻撃でほとんど対応できなかったと」

 

「つまりモンスターか。水棲とは厄介な!」

 

 忌々しそうに部下の男が舌打ちするが、ミュウはまだスーリの話には続きがあると踏み、早合点せずに沈黙を保つ。

 

「襲撃したのは、『人型』による攻撃だったとの事です。カーソルによる判別は出来なかったそうです」

 

 まだだ。まだ分からないが、何かが引っ掛かる。もちろん、魚人型モンスターもあり得るが、いかにモンスターのレベルが高くとも、部隊が3つも1晩と持たずに壊滅するだろうか? 仮にもトップギルドとして派遣した部隊が、だ。

 まだ手は打てる。仮にミュウの予想が正しければ、同じく部隊派遣方式を取っている聖剣騎士団にも大損害が出ているはずだ。その時こそ、彼女の腕の見せ所である。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 オレは『奪い取った』骨付き肉を貪りながら、木々の太い枝に腰かけて幹に背中を預けながら、僅かに木の葉の隙間から覗く月を鑑賞しながら夕飯を取る。

 場所はまだシャルルの森の外縁部からそれ程奥に入っていない。恐らく、傭兵達の中では今のところ、オレは間違いなくブービーの進行度だろう。そういう意味では後れを取ったと言えるが、欠片として焦りは無い。

 まだ初日であるし、クラウドアースからの情報が正しければ、単純に迷宮部を目指すだけではユニークスキルを得られない。もちろん、迷宮部は最初の到達目標であるが、オレは他の傭兵達とは違って補給も無い完全サバイバーなのだ。まぁ、それでも生き残れる自信はあるが、それよりも先に補充せねばならないものがあった。

 まずは【ロロアの香草】だ。これはいわゆる消臭系アイテムであり、効果時間は短いが、体臭を打ち消す事ができる。まぁ、味は最悪であるが、緊急時に使えるアイテムだ。それを奪うだけ奪い取って補充できた。≪薬品調合≫で消臭アイテムを現地調達するにしても、まずはそれができるまでの繋ぎがいるからな。安全第一だ。

 さて、オレが誰から奪ったかと言えば、木の根元で眠る……5人分の首無し死骸だ。わざわざラクの実を練り込み、血臭で釣られたモンスターに荒らされていない程度に『綺麗な状態』を保った聖剣騎士団の部隊である。

 他にも太陽の狩猟団からも幾つか目ぼしいアイテムは補充できたが、やはりアイテムストレージの関係上持ち歩けず、武器の耐久度を回復させるアイテムを使うだけ使って完璧な状態にして、残りは綺麗に処分である。

 

「まずは補給ルートを断つ。これが戦いの基本だ」

 

 肉を食い千切り、オレは先行した馬鹿共を嘲う。彼らは今頃進むだけ進み、もう来る事が無い補給を当てにして、『とりあえず4,5日』は耐えられると見当違いな予定を立てている事だろう。

 その間にオレはシャルルの森全ての目ぼしい食料や水場、安全地帯を割り出す。あるいは、『安全だと演出し易い』場所を見つけ出す。

 

「夜襲はオレの本領。オマエらに勝ち目はねーよ」

 

 まずは発汗状態を確認すれば、必ず部隊はニオイに釣られたモンスター対策の為の消臭アイテムを補給品として準備するはずだ。それを略奪し、また傭兵達に届かないようにする。もちろん、その他の消耗アイテムもだ。

 森の奥地に入り込めば入り込むほど、脱出は難しくなる。このジャングルでの自給自足が求められる。そして、そうしたポイントを先に割り出しておけば、奇襲はより容易になる。

 木の下が騒がしくなる。わざわざ準備してやった5人分の首無し死体。整列するように並べられたそれを、別の聖剣騎士団のメンバーが見つけたのだ。『わざと1人』だけ逃がした甲斐があったな。

 木の枝に足をかけてぶら下がり、オレは逆さになった状態でカタナを抜く。獲物は逃がした1人も含めて全部で7人だが、聖剣騎士団への脅しも込めて1人は生かして返す。

 

「さぁ、狩りの時間だ」

 

 森を甘く見たな、馬鹿共が。ママに習わなかったか? ケダモノの領域と人の領域を分かつのは、人がそこで生きられないからだ。

 そして、オレは投下と共に最初の1人の頭上へとカタナの鋭い先端を突き刺し、『晩餐』を始めた。




これで傭兵達は状況がイーヴン(クラウドアースを除く)になりました。全員が補給無しのサバイバーです。

それでは、147話でまた会いましょう。

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