SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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今回はスローペース回です。バトルはお休みです。
複数の思惑が交錯していますが、主人公は巻き込まれてばかりです。


Episode15-8 北の洋館

 黄金の穂が揺れる。

 茜色の朝焼けを超え、黄昏を経て、夜の闇を浸した青が巡る。

 

『ぼくね……大きくなったら――になるよ!』

 

 その子どもは無邪気に母へと将来の夢を告げる。母は嬉しそうに小さく微笑み、子どもの手を引いて帰路を歩む。

 彼らは何処に行くのだろう? オレは錆びたベンチに腰かけ、あと何時間来る予定の無いバスを待ち続ければ良いのだろう。

 

「あの子は何処に行くと思いますか?」

 

 いつの間にか、オレの隣には誰かが腰かけていた。ベンチを囲うような屋根には穴が開いており、雨水が滴り落ちる。星が巡る度に太陽と月が入れ替わり、流星のように線を描いていく。

 

「家に帰るんだろ」

 

「そうかもしれませんし、もしかしたら別の何処かにいくかもしれません」

 

 何処かとは何処だ? オレはくたびれた中華料理店でラーメンを注文し、やや焦げた餃子を箸で挟み、天津飯を貪る。

 無色透明のガラスの仮面を被った店主が包丁を振るう度に、鍋で煮込まれる豚が『HELP ME!』と泣き叫ぶ。湯気は蝶となって舞い、オレと彼女の間で白い雪を鱗粉のように降らす。

 彼女? 彼女とは誰だ? ベンチで足を組み、オレは指先の痺れを感じる。右手の人差し指には気付けば小さな傷痕があった。縫い針を誤って刺したような、とても小さな傷だ。そこから溢れる血が指を伝い、手の甲から地面へと落ちる。

 

「人は忘れる生き物です。ですが、それは思い出せないだけでもあります。人間の脳は等しく情報を蓄積させ続け、そのニューロンとフラクトライトに記憶を刻み続ける。人が真に忘れる時とは、この記憶媒体が破壊されてしまう時です。それは怪我であり、病であり、老化……つまり寿命ですね」

 

「難しい話は嫌いだ」

 

「ですが、あなたは誰かが話をする時は黙って聞いてあげる。そんな人です」

 

「……オマエは誰なんだ?」

 

 オレの何を知っているんだ? ぬるくなったラーメンの麺を奥歯で潰しながら、オレは彼女を睨む。

 その憂鬱そうなまでに黒髪には見覚えがあるような気がした。心に染み込んでいくような、オレの脳に直接訴えかけるような声に懐かしさを覚えた。

 

「あまり干渉できる時間はありません。私はあなたを見守り続けます。限られた手段と力で、語りかけ続けましょう。たとえ、あなたの進む先にどれだけの屍が積まれるとしても」

 

 彼女は立ち上がり、オレへと微笑んで去っていく。

 

「バスはまだ来ませんが、退屈しのぎに読書でもいかがですか? 無粋な考察で手垢塗れの古書でも、ふと読み返してみれば、新しい発見があるものです」

 

 ベンチには彼女の読みかけだろう、1冊の小説が置いてあった。

 バスが来るまでの暇潰しにはなるだろうか。鼻を鳴らし、オレは小説のタイトルを読む。

 

「変身、か」

 

 懐かしい。小学校の読書感想文で確か読んだはずだ。古典には興味は無く、流し読みしただけであるが、確か1人の男が毒虫になるというストーリーだっただろうか? フランツ・カフカの傑作は、たとえ文学好きでなくとも知名度が高く、その内容は世に広く知れ渡っている。

 どちらかと言えば、オレは太宰治が好きなんだがな。海外小説というのはあまり読まない。せいぜいシェイクスピアやジュール・ヴェルヌといった有名どころくらいだ。いや、日本文学もせいぜい図書室に置いてるレベルしか読んでないんだけどな。

 

「ねーちゃんは色々な本を持ってたっけ」

 

 その中の1冊が変身だったはずだ。図書館で本を探すのも面倒で、ねーちゃんの部屋にあった古ぼけた本を拝借したのだ。確か、母さんの愛読書でもあったはずだ。

 主人公のグレーゴルは毒虫となり、何を想い、いかように死んでいったのか。そこに想像の余地など既になく、淡々とオレは文字を目で追っていく。

 オレは、この物語が嫌いだ。

 どうしてグレーゴルは毒虫にならないといけなかったのだろうか? そのような理不尽が許される理屈とは何なのだろうか?

 四肢不自由になった。病に侵されて寝たきりになった。心が病んでしまい、ただ周囲に毒を吐き散らす者になってしまった。考察は幾らでもあるが、オレは純粋にグレーゴルが毒虫へと変貌したという、解釈も何もない文字通りの意味こそが相応しいように思えた。

 

「蝶でも良いじゃねーか」

 

 仮に愛されるべき生物に変身したならば、グレーゴルの苦しみも幾分かはマシだったのではないだろうか? 特に最悪なのは、グレーゴルの死後の家族たちだ。オレには、彼らが希望に向かって歩み出したのではなく、自分たちの弱さと愚かさから目を背けているようにしか見えない。

 まぁ、捉え方など人それぞれであるし、高名な先生に詳しい分析は任せるとしよう。

 そういえば、彼女は誰だったのだろうか? オレは廃墟となったラーメン屋を見回し、金色の蝶を追う。その先にあったのは、汗を流させる陽光であり、ジャングルの鬱蒼とした植物のニオイだ。

 

「……頻度が増えてきたな」

 

 熟睡できる時間が日に日に減り始めている。アミュスフィアⅢによってオレ達の脳は仮想世界を認識し、睡眠時間すらその牢獄から抜け出す事ができない。それは、夢という形で何らかの悪影響を及ぼし続けている。

 これはDBOプレイヤー全体に言える事である。不確定情報であるが、高ストレス下にあったプレイヤーほど、奇怪な夢を見る事が多いそうだ。これも後継者が仕掛けている攻撃なのか、それともオレ達の脳の悲鳴なのか、その区別はつかない。

 だが、ぼんやりとしか思い出す事ができない、先程まで見ていた夢は少しだけ心地良かった気がする。いつも見ている悪夢とは違う、まるで水面に広がる波紋を見続けたような、淡白な穏やかさがあった。

 稲穂が黄金の実りをつけ、空を星が彩る世界。あれは幻想などではなく、オレが現実に見た風景だ。ヤツメ様の森へと続く、故郷の光景だ。

 郷愁か、それとも執着か。オレは頭を切り替える。

 現在時刻は午後6時半、1時間ほどの休憩をオレ達は取っていた。見張り役はウルガンであり、休んでいるのは苔とキノコが生えた倒木の陰だ。

 

「変わった事は?」

 

 見張りについていたウルガンは首を横に振って否定する。まぁ、変わった事があれば、どんな状態だろうとオレならば目覚める事ができるだろう。

 汗で濡れた額を手の甲で拭い、オレは眠るナナコの傍で火打石を鳴らす。火花と共になった高音で目覚めた彼女は大きな欠伸をして、その寝惚け眼で周囲を見回す。

 

「1日ってあっという間だね。ふぅ、汗でべっとり。早く帰ってシャワー浴びたいな♪」

 

「そんな暑苦しいローブを着てるからだろ?」

 

「そういうクゥクゥこそ、そんな汗だくならコートを脱げばいいのに」

 

 どうでも良い言葉の応酬で互いに頭がしっかりと覚醒している確認しあう。こういう小さなチェックが存外大切なのだ。

 まさか、こんな形で足止めを食うとは思いもよらなかった。オレは倒木の上に立ち、この場で休憩時間を取らざるを得なかった理由を睨む。

 サバイバル7日目、日が昇るより前に行動を開始したオレ達は、ようやく夕暮れ前に目当ての屋敷を発見した。ジャングルの侵蝕を受け、蔦に覆われた洋館であり、2階建てだろう、それなりに立派な建造物だ。

 だが、洋館の周囲はキノコ人の支配エリアだ。青色をした1メートル程度のキノコ人は、ダメージ量こそ少ないが、周囲に胞子攻撃を放ってくる。これを喰らうとレベル1の睡眠が蓄積するのである。

 1体1体は強くないが、とにかく数が多過ぎた。撃破するにしても範囲攻撃が重複すれば、睡眠状態になってしまう。また、キノコ系モンスターは撃破時に胞子をばら撒くタイプが多い。

 だが、オレは既にキノコ人たちと以前に遭遇していた。50体を超す密集キノコ人を目撃したのは初めてであるが、連中はキノコのくせに日照地を求めて移動する。しかも昼行性であり、夜が来るまでに地面に下半身を潜り込ませて巨大キノコに擬態して……いるかどうかは別として、とにかく無害化する。攻撃すれば一斉に起きて反撃してくるが、それを除けば可愛い観賞物だ。

 オレとウルガンは遠距離攻撃を持っていないし、ナナコの闇術で薙ぎ払おうにも50体は多過ぎる。魔力の回復スピードはスタミナよりも遅いのだ。連発すればガス欠が来る。そこで、大人しく日の入りまで休憩を取ることになったのだ。

 

「あと30分か。あの洋館にソウルがあるとして、すんなりと入手できると思うか?」

 

 オレはジャングルで入手した木の枝をサバイバル用で持ち込んだナイフで加工する。≪短剣≫ではなく、あくまで工具の扱いであり、武器としての性能は低い。

 オブジェクトの作成には≪工作≫が必要になるが、それはあくまで成功率と作成可能項目が増えるだけであり、素材からの単純な加工自体は道具さえ揃えればスキルが無いプレイヤーでも可能だ。ただ、成功率が低く、大抵は≪工作≫持ちが作成したよりもダウングレードした物ができるか、あるいは失敗して素材消滅してしまう。

 だが、木の枝を先端だけ鋭く加工する程度ならば、成功率は70パーセント前後で落ち着く。それでも完成するのは≪先端が歪んだ木の杭≫だ。これで≪鍛冶≫があれば、≪槍≫として使える【木の槍】とかも作れるのだろうがな。こういう部分の融通が利かないのは、スキルとして細かく分類されているが故の問題だろう。

 

「そんな物作ってどうするの?」

 

 素朴な疑問を口にするナナコに、オレは何も答えず、また彼女の方を向かずに淡々とナイフを木の枝に使用し続ける。削る作業が無いというのは退屈なものだ。単純作業は嫌いではないが、コマンドを実行するだけというのは頭が虫食い状態になるみたいで嫌になる。

 作成した木の杭は1メートル程度であり、太さは3センチほどだ。手に馴染ませるように指先で躍らせる。

 少々心許ないが、柔らかい肉を……たとえば、人間の無防備な横腹を貫くくらいは簡単にできるだろう。先端にたっぷりと毒でも塗れば、立派な凶器の完成だ。

 今のライアーナイフにセットしてあるのはレベル3の麻痺薬だ。急所を貫いて蓄積させれば、耐性を整えていないプレイヤーならば1発で麻痺状態にさせることができる。

 麻痺の効果時間はモンスターによって異なるが、基準は30秒だ。これはレベル1だろうとレベル3だろうと変化しない。ただし、弱点のモンスターにはより長時間の効果を発揮する事もあるが、プレイヤーにはあくまで一律で30秒だ。要は、レベルが高い麻痺薬程に蓄積させやすくなるだけである。 

 だが、30秒もあればソードスキルを何発叩き込めるかなど言うまでもない事だ。つまり、毒は挽回の余地があるが、麻痺=死だ。その分だけ毒に比べれば全体的に蓄積し辛いランナップだ。

 そこで暗器の出番だ。暗器はソードスキルが発動できない代わりに薬物をセットさせ、デバフ攻撃ができるようになる。ライアーナイフはレベル2までの毒と睡眠、そしてレベル3の麻痺の薬物をセットできる。

 ジャングルの素材で作成できるのはレベル2までが限界であるが、調達自体はほぼ無限にできる。デバフ攻撃を駆使し、獲物を狩るのが今のオレの方針だ。

 

「……獲物、か」

 

 オレは手元の杭をアイテムストレージに収めながら、自分の言葉に疼きを覚える。

 今回の依頼内容は、あくまでクラウドアースの傭兵をサポートし、ユニークスキルを入手させる事だ。その為に必要なのが他の傭兵の排除であり、オレ自身がユニークスキルを目指すのは依頼達成を成す為の保険に過ぎない。

 だから、見つけ次第に傭兵を殺すのは間違っていない。何ら手段として誤っていない。

 だが、いつの間にか、オレは依頼ではなく『狩り』を楽しんでいないだろうか? 外の世界を知らない家猫を狩る嗜虐的な愉悦を覚えていないだろうか?

 

「殺してるんだ、殺されもするさ」

 

 考えるな。決めたはずだ。迷いは全て捨てる。今は、成すべき事を全力で成す。殺して、殺して、殺して、それで依頼が達成できるならば、そこに余計な思考は不要だ。

 そうして日が暮れ、キノコ人たちが地中に潜る。洋館の周囲を巨大キノコが囲むという異様な風景であるが、ジャングルの中でハッキリと形を残している人工物の方が異物だ。オレが先行して洋館の扉を開き、内部へと入り込む。

 

「意外と綺麗だね」

 

 ぼそりとナナコが感想を漏らすが、オレも同意見だ。もう少し荒れ放題かと思えば、埃や塵が蓄積している位であり、外観程にジャングルの影響を受けた様子は無い。

 屋敷の広さは大したことが無い。手分けすれば1階と2階を30分もあれば十分に探索可能だろう。オレは単独で、ナナコとウルガンは2人で、それぞれ30分後にエントランスで集合する事を約束する。

 オレが調査するのは2階だ。ランプに火を点け、エントランスから階段を上ると、この洋館の主か、やや神経質そうな男の肖像画が飾られている。

 まずは寝室らしき部屋に入る。調度品からして若い女性の部屋だろう。クローゼットを開けるとすっかりと朽ちたドレスがかけてあった。

 

「目ぼしい物は無いな」

 

 まぁ、そんなにホイホイとヒントがあるとは思っていなかったが、どうやら単純に戦闘すればソウルを得られるわけではないようである。寝室を出たオレが続いて開けたのは書斎と思われる部屋だ。

 窓1つない書斎は、寝室以上に荒れていた。まるで強盗が荒らし回ったかのように本が散らばり、割れた壺などの破片が散らばっている。

 そして、暖炉の傍には1体の白骨死体があった。服装は風化しているが、恰好からして冒険家だろう。この屋敷の住人では無さそうだ。死体は動くのが定番なので注意しながら近づくが、白骨死体は微動もしなかった。

 白骨死体が抱えているのは装飾がボロボロになった分厚い本だ。こういうのは重要アイテムなのが通例だが、果たしてどうだろうか。

 

「日記か?」

 

 紙がボロボロになってほとんど文字は読めないが、どうやら彼はシャルルの森にやって来た冒険者のようだ。最後のページだけはギリギリ読めそうだが、内容的には遺書のようだな。

 

 

●   ●   ●

 

 

 世界が滅びに向かい、人々は希望と明日を失い、怠惰に最期の時を待っている。

 私はそんな世界が嫌いだった。誰もがその日の糧だけに飢えた、文明と文化が失われ続ける人類史の終焉に憎しみすら抱いた。

 だから、私は想起の神殿に至り、記憶と記録の世界を渡り歩く道を選んだ。黒猫の乙女に言われるがままに、『大いなる穢れ』を討てば世界が救われると信じて。

 友とも袂を分かち、力だけを追い求めた。それが闇の血を持つ者の務めだ。我々は呪われ人が存在する理由だ。

 シャルルの森にある、かつて神を殺した程の力さえあれば、必ず『大いなる穢れ』を倒す一助となる。今にして思えば、不相応な力を求めた代償だったのだろう。既に左腕は動かず、意識も朦朧としている。

 友よ、キミは道を誤った。『混沌』の力を得た先に、どれ程の幸福な未来が約束されているというのだ? あるのは、生命を歪める狂える炎のみ。それを人間に御する事など土台不可能なのだ。

 混沌の火。それは人間性によって燃え上がる力。それは人間が元来備えていた闇の力とも、太陽と光の神が支配した時代より続く神聖とも違う、異質な力だ。それに目をつけたのは間違いではない。だが、キミは……いや、もはや人類の大半は人間性を失い、神の枷のよって与えられた形に安らぎを見出してしまった。私ならば、あるいは混沌の火を操ることはできたかもしれない。

 出会った呪術師は【黒炎】という呪術を披露してくれた。闇の力が宿った呪術だ。闇術特有の物理的な質量が伴った炎は、混沌の火に近しいものを感じる。

 ここで仮説を立てた。混沌の火とは、人間性と最初の火がアンバランスに混ざり合った暴走した混沌の火なのではないだろうか? だとするならば、闇の血を持つ者ならば混沌の火を御することはできずとも、新たな形を与えてあげる事もできるかもしれない。

 その可能性の1つが黒霧の塔に至った騎士だろう。私は彼を倒すことができなかった。だが、あの騎士の人間性が混じった炎は限りなく物質的で、混沌の火に似ていた。

 混沌の火を封じ込めるならば、それは我々のような闇の血を持つ者が人柱になる他ない。友よ、キミが混沌の火を蘇らせない事を願う。想起の神殿の地下深く、そこに残された禁忌に触れてはならない。

 ああ、もう余り時間は残されていないようだ。

 アシュリー、私は失敗してしまった。世界を救う事も出来ず、こんな人知れない場所で死ぬとは情けない。世界再生の夢……その先にある、キミの笑顔が見たかったんだ。だが、たとえ滅び行く世界であるとしても、夢も希望も無い明日さえ見えぬ世界だとしても、キミと一緒だったならば、細やかでも幸せがあったかもしれない。今になって、小さな事と思っていた愛慕に固執してしまう。

 バランドマ侯爵、申し訳ありません。あなたのご期待に応えることができませんでした。ですが、あなたの研究は間違いではなかった。魔道の祖、大いなる白きモノ、それこそが世界再生の手がかりだ。トカゲ、蛇、そして竜。探し出すべきは、狂う前の白竜の記憶だ。だが、想起の神殿からは至れない。ならば、いったい何処から……

 この遺書を読む者が私と同じ志であることを願う。世界再生を望むならば狂気に支配される前の白竜に会うんだ。

 最後になったが、今すぐにこの屋敷を出ろ。決して館の主を起こすな。彼もまた白竜の狂気に呑まれた者。偉大なソウルに魅入られてしまった。

 この森に希望など無い。あるのは殺戮だけだ。

 12のソウル、その全てを解放してはならない。

 

 

●   ●   ●

 

 

 そうか。アンタはこんな所にいたのか。オレは白骨死体に哀れみの眼差しを向ける。

 想起の神殿の地下、ユイと出会った迷宮にて、オレは1冊の本を入手した。混沌の三つ子を生むきっかけとなった人体実験を繰り返した男の記録だ。

 そこに登場した、自分と道を違えた誰か。それがコイツなのだろう。

 オレは白骨死体が何か持っていないか漁り、1本の鍵を入手する。それは装飾が剥げた銀の鍵だ。アイテム名は【地下室の鍵】だ。恐らく、屋敷の地下へと続く道を開く鍵だろう。

 白竜か。そう言えば、あの記録書にも同じ単語が登場したな。バランドマ侯爵に接触すれば、何か情報が得られるかもしれない。終わりつつある街の支配者でもあるバランドマ侯爵は、多くのイベントの起点になるが、未だに面会したプレイヤーはいない。

 

「それよりも、屋敷を出ろってのは穏やかじゃねーな」

 

 白骨死体の腹は何か大きなものでぶち抜かれている。それに左腕は複雑骨折だ。何かに襲われ、この書斎に逃げ込んだといったところだろうか?

 とにかく、今は2人と合流する方が先か。ソウルを見つけるにしても、1度撤退するにしても、忠告だけはしておいた方が良いだろう。

 1階に戻ったオレは2人の気配を探るが、物音1つしない。2人とも≪気配遮断≫を使っているとしても、≪消音≫まで所持していたのだろうか? オレは一気に全身の警戒心を高め、指先から毛先まで意識を張り巡らせる。

 

「ここは食堂か?」

 

 長テーブルには、もはや虫すらも集っていないゴミと化した料理をのせた皿が並べられ、金縁の椅子には何人かの白骨死体が並べられている。いずれも女性物の衣服を纏っており、頭蓋骨が綺麗に切断されている。よくよくみれば、椅子の肘掛けに両腕を拘束された痕跡がある。

 開頭され、脳を引き摺り出されたか? いや、頭蓋骨の1つにはスプーンが残されている。料理は彼女たちの方だったようだ。

 この屋敷で何が起こったのかは分からないが、少なくともまともな事件では無さそうだな。館の主の席だろう、最も大きくで豪奢な席は無人だ。

 

「12のソウルか。ヘラクレスのオマージュかと思ったんだが」

 

 どうにも違うようだな。まぁ、あの糞野郎の事だからミスリードだとは思っていたが、どちらにしても白骨死体の遺書を信じるならば、12のソウルの封印とは、単なる神殿に至る為のギミックというわけではなさそうだ。

 それにしても、ナナコもウルガンも何処に行ったのだろうか? 食堂から出て、続いてオレが向かったのは談話室だ。書庫も兼ねているのか、本棚で壁は埋め尽くされ、青い絨毯には小さな鉱物のような物が散らばっている。そして、暖炉の傍では安楽椅子が小さく揺れていた。

 オレはチェーンブレードを抜き、足音を立てないように注意しながら安楽椅子へと赴く。そこには誰もいないが、まるで先程まで何者かが腰かけていたかのように膝掛けが放置されていた。

 

「これは、クリスタルか?」

 

 足下に散らばるのは、何かの結晶のようだ。アイテムとしても回収できないオブジェクトのようだが。

 2人の心配をするわけではないが、どうにも嫌な予感がするな。オレは本棚から1冊の本を手に取り、試しに中身を調べる。そこにはジャングルの生態について記載されていた。

 いや、違うな。描写された風景から察するに、どうやらシャルルの森は、以前はこのような鬱蒼と茂る植物の地獄ではなかったようだ。多種多様な生物が住んでいたが、神殿を中心にして豊かな生態系を築いた調和ある都市だったようである。

 

「こっちは研究日誌か?」

 

 内容は、神殿付近より発掘された結晶物について、か。

 どうやらオレが堀と思っていたものは、巨大な採掘地だったらしい。いや、正確に言えば、無作為に掘り進めた結果できた大穴を堀として整備した、というべきか。その主導を担っていたのが、どうやらこの屋敷の主のようだ。

 彼は結晶がソウルを強化する媒体だと考えていたらしい。それを様々な武具・防具に取り入れ、シャルルの森を囲む王国は強大な力を得たと記されている。

 最初は武器や防具の強化についてばかりの研究内容だが、やがてそれは生物と結晶の融合……生体実験へとシフトしていく。そして、結晶が与える生物の異常進化の観察記録まで残されており、その中にはオレが交戦したヨロイグモ……正式名称は【黒鎧の大蜘蛛】もまた、結晶の影響を受けて変質したモンスターらしい。

 

「『かつて、この地はロードランと呼ばれていた場所。その辺境のまた辺境。神々が住まわれた地の末路。結晶と深淵の欠片、そして発掘に苦労したが、「あの騎士」の鎧の欠片を得た。蘇らせたかつて四騎士の長と呼ばれた神格が私に跪く。ああ、何たる甘美な征服感か』……かなりのマッドサイエンティスト野郎だな」

 

 研究日誌の一文にオレは吐き捨てる。だが、続きも気になるのでオレは読み進める事にした。

 相変わらず狂気に満ちた内容文であるが、それらは理性を捨てたように見えて、飽くなき探究心を感じさせる。

 一通り目を通したオレは研究日誌を棚に戻し、地下室へと続く扉を探す。だが、それよりも先にぬるい夜風が自分を撫で、何事かとエントランスに向かう。いつの間にか、玄関の両扉が開かれ、そこから淡く月光が差し込んでいた。

 確かに閉めたはずだが、もしかしてナナコとウルガンが外に出たのだろうか? オレは何が起こっているのか分からず、顎に手を当てて悩む。

 何はともあれ、地下室の扉を探す方が優先だ。あの2人が逃げたならばそれで良いし、死んだとしても困る事は何1つ無い。オレは厨房の脇にある地下へと続く階段を見つけて下り、先を封じる黒い扉を白骨死体から得た鍵で開ける。

 そこは食料保管庫なのだろう。瓶詰にされた食材が山ほど詰められているのであるが、いずれも尋常ではない。というのも、黄色い液体の中に浮かぶのは臓物ばかりだからだ。心臓、肝臓、腎臓、腸、胆嚢……他にも舌、目玉、脳などもある。麻袋に詰められた白い粉は、どうにも何かの骨の粉末らしい。およそ、料理もまとな物を食べていたわけではなさそうだ。いや、あの食堂の時点で分かってはいた事だ。

 食料保管庫の奥にある、重圧な鉄扉。その先から何かが溢れだしている。それは青黒い泥だろうか? 微妙に結晶が混じったそれを見て、オレはここが目指すべきソウルのありかなのか、と勘ぐる。

 ナナコ達をやはり探すか? いや、いない連中の事を考えても仕方ない。オレは鉄扉を開けて入ると、そこには広々とした石造りの祭礼室が広がっていた。風化を免れたそこには、巨大な赤の垂れ幕があり、そこには白い竜……かどうかは分からないが、それっぽい物が描かれている。

 そして、祭壇の前には灰色の甲冑姿の誰かがいた。オレ……というよりも、人間よりも一回り大きいそれは、オレの気配を察知したかのように振り返る。

 それは獅子を模した甲冑を身に着けた騎士だ。その右手には結晶が蝕むように張り付いた十字槍を持っている。

 途端に背後の扉が音を立てて閉じる。同時に、騎士の頭上にHPバーが表示される。その数は1本であり、ネームドを証明するように名前を頂いている。

 

 

〈蝕まれた竜狩り〉

 

 

 獅子の騎士が濁った咆哮を挙げる。同時に、闇を纏った結晶が次々と祭礼室を覆い尽くし、オレに呪いが蓄積し始めた。

 蝕まれた竜狩りはくるくると頭上で十字槍を回し、オレに穂先を向ける。

 レベル1の呪いが蓄積するまでは、この蓄積スピードならばざっと3分ってところか。解呪アイテムは持ってきていない以上、蝕まれた竜狩りを早急に斃さねば、オレは致命的なデバフを負う事になる。

 なかなかにハードな試練だ。オレは突進する蝕まれた竜狩りへとチェーンブレードを構え、迎え撃つ。




ここからは、少しずつ『DBO』というゲームの根幹にも触れていこうと思います。

それでは、152話でまた会いましょう。

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