SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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現状を簡単に纏めると、

・クゥリ、ヤツメ様化絶賛進行中
・UNKNOWNとシノン、ホロウちゃんと絶望戦
・シャルルのイベントも順調にヤバいフラグを立て中
・陰謀で真っ黒なジャングル
・グローリーが馬鹿過ぎてスミスさんの胃が死亡
・ユウキちゃんマジヒロイン
・セサル様が楽しそうで何よりです
・死神部隊がスタンバイ
・倍プッシュだ。呪縛者も投入されます。
・後継者くんは何か企んでいるようです


これは酷いですね。



Episode15-17 悪霊の母

 赤黒い8本の、脊椎を想像させる触手。その厚さを自在に変化させて長さを伸ばし、空間を埋め尽くすように暴れ回る。

 8本の変幻自在の触手を相手に、UNKNOWNは2本の片手剣を振るって時に防ぎ、時に弾き、それすらも無理ならば大きな回避で全力で命中しないように動き回る。

 鈍足状態のシノンなど眼中になく、漆黒の肌に浮かび上がる赤い幾何学模様と白の髪から放たれる淡い光がその存在感を異常と知らしめ、なおかつそこにいるだけで生命の全てを貪り尽くす捕食者としての絶対的な危険性を訴える少女は、壊れたように、狂った笑い声を上げ続ける。

 

『アヒャハはハはハハ! 避けてばかりじゃ戦いには勝てないわよ? 勝利とは、死線を潜り抜けた者だけに与えられる聖杯に注がれた美酒! 剣を握っただけの臆病者に甘い果実は口にできない!』

 

 少女はその場から1歩も動かず、背中から伸ばす8本の触手をひたすらに振るい続けるのみ。UNKNOWNが距離を詰めようとすれば、8本の触手のいずれかが妨害にかかり、回避と防御を強いられて押し戻されてしまう。

 こんなもの、どうしようもないではないか! シノンは援護の為にハンドガンを乱射するも、それは触手に阻まれて少女に1発と着弾しない。だが、それでも8本の内の1本を何とか防御に使わせた事によって、UNKNOWNが触手攻撃を潜り抜ける余地を生み出す。

 

(……余地? そんなもの、できるはずがないじゃない!)

 

 7本でも十分過ぎるほどに攻撃過多であり、密集しているのだ。あの触手攻撃を潜り抜けて少女に接近する為には、触手攻撃の全てを回避しながら前進していく以外に道は無い。だが、常にバラバラのタイミングで襲い掛かる触手攻撃を回避し続けるには、それこそ全ての軌道を読み切り、なおかつ最短距離を目指す為に紙一重で躱し続けねばならないだろう。

 

『シノン、離れるんだ! コイツは普通じゃない! 距離を取って、逃げるタイミングを探すんだ!』

 

「無理に決まってるでしょう!? アイツが何処に陣取ってると思ってるの!?」

 

 UNKNOWNの指示は現実的な逃走であり、そして無理難題だ。何故ならば、少女が立つのはフレイディアの巣と結晶採掘の洞窟を繋げる出入口、そこから僅か5メートルの距離なのだ。少女は言うなれば、出入口に背中を向けて門番のようにUNKNOWNとシノンを視野に入れている。どう足掻いても彼女の視覚外から逃れる事などできないし、必ずいずれかの触手攻撃を浴びる事になる。

 チャンスがあるとするならば、左右から同時にUNKNOWNとシノンが少女の突破を試みる事。そうすれば、互いに相手にすべき触手の数は均等に分けて4本。8本全部を相手にするよりも幾分か突破の見込みがある。

 だが、ここで問題になるのはシノンの鈍足呪いだ。レベル1の鈍足が呪いとなり、回復しない状態にあるシノンは、大幅なDEXの下方修正を受けている。それでもDEXが高めの彼女ならば、≪歩法≫のソードスキルを併用すれば、分の悪い賭けにはなるが、少女の脇を通り抜けるまでは何とかなるだろう。

 問題なのはその後だ。仮に2人とも、あるいは片方でも突破できたとしよう。その後、この少女に背を向けて逃げ切ることができるだろうか? まずシノンには無理だ。たとえ≪歩法≫のソードスキルを連発したとしても、少女の触手攻撃が背中へと迫る中で逃げ切れるとは思えない。

 そして、大前提である均等に分けた4本の触手の突破。それ自体も可能かどうか怪しい。ほとんどシノンを狙わないお陰で彼女には少女の攻撃の全体が見えているが、常に半分の触手は遊ばせているのだ。

 つまり、UNKNOWNが実質的に回避と防御を強いられているのは全体数の半分だけである。残りはチラチラと動かして意識を向けさせてるブラフとして使っているのだ。それは、決して残りの触手を動かせないからではなく、単純に全部を使うのは『退屈』だからだろう。

 言うなれば、まだ少女は様子見なのだ。UNKNOWNがどのように攻めてくるのか、それを待ち焦がれている。だが、仮に攻撃へと全力が注がれれば、ただでさえ4本相手でも苦戦しているUNKNOWNは、押し戻されるどころか押し潰されてしまう。

 ハンドガンすらもオートリロード分が尽き、無意味だった援護すらも途切れてしまう。シノンは残されたナイフを握りしめ、いつ自分に向かうかも分からない触手を見守る他ない。2本までならば鈍足状態でも避けられるかもしれないが、3本となれば回避は絶望的だ。

 ならば、せめてスナイパーライフルの弾詰めをするしかないが、そんな反抗的な行為をすれば、今は無視しているシノンに殺意が向きかねない。少女はUNKNOWNに4本の触手を向けながら、残りの4本をシノンへと襲わせれば良いだけなのだ。弾詰めの最中のシノンは≪歩法≫による緊急回避すら不可能だろう。

 見守るしかないというのか。シノンは歯を食いしばりながら、せめて最後の賭けで少女を突破する為の準備だけはしておく。ラビットダッシュの連発による前進。それ以外に方法は無いだろう。

 

『おぉおおおおおおおおおおおおお!』

 

 そして、UNKNOWNがついに反撃へと移ろい出す。様子見に比重を傾けていたのは彼とて同様なのだろう。少しずつ、確実に触手攻撃に斬撃のテンポを合わせ、≪二刀流≫で強化された通常攻撃で槍の如き突き攻撃の触手を弾き、鞭の如くしなる触手を屈んで躱し、1歩ずつ前進していく。

 すごい。距離を詰め始めるUNKNOWNに迫る触手攻撃には、一定のパターンが無いように見えるが、そこには呼吸とも言うべきリズムが確かに存在する。それは幾多の戦場を生き抜いたシノンも感じてはいたが、解析できるほどではなかった。だが、あの苛烈な攻撃の中でUNKNOWNは触手攻撃のリズムをつかみ取ったのだろう。徐々に触手攻撃を際どく、だが決して直撃させないように対応できるようになっている。

 これには少女も驚いたのか、4本だった触手を5本に、6本に、そして7本へと追加させる。より苛烈さを増していく触手攻撃だが、リズムをつかみ取ったUNKNOWNは数の増加を乗り切り、距離を縮める1歩をより大きく、そして駆けるようになっていく。

 少女は余裕を持って笑っていたが、その口元の曲線を正し、真っ直ぐとUNKNOWNを射抜いて全身全霊を以って相手をするように触手の全てをUNKNOWNへと集める。

 あと5メートル! 背中から伸びるが故に、少女の前面に行けば行くほどに触手攻撃は密度を増しているように見えて、柔軟な対応力を失っていく。それを見越して、UNKNOWNは正面突破を目論んだのだ。

 

『ぐっ!? さすがは剣士様ね! それでこそ……それでこそよ!』

 

 少女は焦りを滲ませながら、8本すべての触手一気にUNKNOWNの頭上から襲い掛からせる。逃げ場を殺したように見えた必殺の一撃。それは地面を抉り飛ばし、爆発させるように土煙を舞い上げる。

 だが、シノンには見えていた。UNKNOWNに頭上攻撃が来る瞬間、あえて立ち止まって触手攻撃を見上げ、その身を傾かせて針の穴に通すように触手の全てを、1つとして掠らせずに躱しきったのを。

 そして、土煙は視界を潰す煙幕となり、その中で全ての触手を上空からの突き刺し攻撃に費やした少女の背後を取るべく、姿勢を低くして最速で回り込むUNKNOWNの姿を見つめる。

 届かないと思っていたはずの一撃。余りにも無謀にも思えた存在への反逆。少女が土煙の中からUNKNOWNが飛び出すのを待って正面を睨んでいた僅かな隙を狙い、見事にUNKNOWNは少女の背後を取り、その身と触手を繋げる背中へと右手の分厚い片手剣の一閃を振るう。

 

 

 

 

 

 

 

 そして、赤黒い光が散った。

 

 

 

 

 

『クヒャ……ヒャハ……アハハハハハハ!』

 

 剣をまさに少女の背中に振るったタイミング。そこで地面から突き出したのは……触手の槍。1本目が剣を弾き、2本目がUNKNOWNの脇腹を抉り、3本目が右太腿を削る。4本目を何とか体勢を立て直したUNKNOWNは躱すも、追尾するように伸びた5本目は即座にうねって6本目・7本目と絡まって太い1本になると鞭のようにしなって、剣を交差してガードしたUNKNOWNを吹き飛ばし、そこを狙った8本目が腹を貫いた。

 

『がぁあああああああああああああ!?』

 

 UNKNOWNの声からダメージフィードバックが脳を貫いて耐えきれなかった叫び声が搾り出される。

 

『アヒャハハハハ! 良い! 凄く良い声よ、剣士さん! さぁ、もっと聞かせて!』

 

 刺し貫いたままの触手が、あろうことか無数に分かれて内部からUNKNOWNを突き刺していく。急速にHPが奪われる中で、ソードスキルの輝きが煌めいて、何とか触手を切断して逃れるも、そこに駄目押しの触手が迫る。

 寸前でリカバリーブロッキングと思われる、瞬間的な緑のライトエフェクトが触手と衝突する。どうやら、あのソードスキルにはスタミナ回復効果だけではなく、ガード性能を高める効果もあるのだろう。触手を一振りで何とか押し返すも、宙で衝撃を受けたUNKNOWNは地面を毬のように跳ねながら転がる。

 

 完全に一撃が入るはずだった。なのに、結果を見れば、致命的なダメージを受けたのはUNKNOWNの方であり、少女は無傷だった。

 

「そん……な……」

 

 愕然とするのはシノンだけではない。他でもないUNKNOWNもまた、今の攻撃を防がれるだけではく、手痛い反撃まで浴びるとは思っていなかったのだろう。地面に剣を突き刺して制動をかけたUNKNOWNは片膝をつき、即座に攻め込めずにいれた。当然だ。いかに痛みは無いとはいえ、腹をあの太い触手に貫かれたとなれば、ダメージフィードバックの不快感は相当なものだ。

 

『今のは良かったよ! さすがね、剣士さん! でも! まるで! 全然! 私を殺すには! 足りないわ! さぁ、本気を出しなさい! 私ともっと遊びましょう!』

 

 演技だったのだ。焦っていたのも、8本の攻撃全てを上空から迫らせたのも、土煙を舞い上げたのも、何もかもが自分の背後に回り込ませる為の作戦だ。

 UNKNOWNのHP残量は1割半程度だ。それはバトルヒーリングで少しずつだが回復している。幸いにも欠損状態にもなっておらず、交戦は続行可能だが、恐るべき威力である。むしろ、まともに腹に一撃を浴びて生き残ったUNKNOWNを賞賛すべきだろう。あのまま触手に貫かれたままの状態が1秒も続けば、彼は赤黒い光となって死を迎えていたに違いない。VITの高さとバトルヒーリングに救われたと言うべきか、それともクリティカル判定が無かったお陰と言うべきか。

 

『それにしても、調子が悪いの?「オリジナル」は今のを全て回避しきってみせたわ。あなたも同じ事ができないと駄目じゃない。そうよそうよそうよ!「オリジナル」にできる事はあなたにもできるはず!「私たち」にできないことが、あなたには可能なんだから!』

 

 それは羨望。願望。過剰なまでの期待。少女がUNKNOWNに望んでいるのは、今の奇襲で、触手攻撃による反撃を潜り抜けて自分を斬りつけてくれる事だったとでもいうのか?

 

『だって、あなたは「私たち」の英雄なんだから! 英雄はバケモノを殺す存在なんだから! アヒャハヒャハヒャハ!』

 

 両腕を広げ、少女は楽しそうに、嬉しそうに、幸せそうに、まるで自分を殺しにくる英雄を待ち望んでいるかのように、笑顔を向ける。それは雪溶け切らぬ3月の庭でひっそりと咲く赤椿のようだった。

 

 

 

 

 

 

『……俺は英雄じゃない』

 

 

 

 

 

 

 

 だが、立ち上がって剣を振るって仕切り直そうとするUNKNOWNは、ぼそりと呟く。

 

『薄汚いビーターのエゴで守りたかった人を死なせた。俺を救ってくれたはずの愛する人を殺されたのに、泣き叫ぶ事しかできなかった。復讐を誓って独りで鉄の城を上ろうとしても、それすらも叶わなくて、たくさんの人たちの力を貸してもらった』

 

 蠢いていた触手が動きを止める。少女の笑みが凍り付く。

 

『今ここにいるのだって、デスゲームからプレイヤーの全員を解放する為じゃない。俺は……俺は縋っているだけだ。アスナを取り戻せるかもしれない……そんな夢を見続けているだけだ。こんな醜い人間が、英雄なんておこがましいにも程がある。俺はきっと……このDBOで戦い続けるプレイヤー達の中で1番「弱い」人間だよ』

 

 喚き散らすのを堪えるように、重々しくUNKNOWNは吐き捨てていく。剣を握る指に力を籠めて、仮面に悲壮の全てを隠し、少女へと言葉によって練られた『刃』を突き付ける。

 

『でも……こんな弱くて情けない俺を支えてくれる人がいるんだ。彼女は今も俺を待っていてくれている。ちょっと怖いところもあるけど、いつだって俺の事を1番に心配してくれていて、眠れない夜は傍にいてくれた。だから、俺は今日まで戦ってこれた』

 

 剣を振るう。まるで感情が剣圧に変換されていくかのように、UNKNOWNが持つ片手剣の存在感が増幅されていき、風を巻き起こす。

 

『俺を必要としてくれている人がいる。たくさんの戦えない人を守るために、今度こそ「悲劇」を起こさせないために、プライドも何もかも捨てて頭を下げた男がいる。彼の為にも、俺は死ぬわけにいかない』

 

 剣先を少女に向けて、UNKNOWNは更に言葉を重ねる。それを黙って聞き続ける少女の目は見開かれ、唇は震えていた。

 

『俺は……俺は英雄じゃない。誰かが勝手に付けた肩書きを利用しているだけのピエロだ』

 

『違うわ。違う違う違う! あなたは「英雄」なの! そして「私たち」はバケモノ! だから、殺し合わないといけないのよ! 魔王はここにいるのよ!? だったら、勇者として戦いなさい!』

 

『キミは勘違いしている。俺は知っている。本当の英雄は……きっと「彼」みたいな事を言うんだ。どんな絶望的な状況でも、決して心が折れずに戦い続けられる。敵意も、悪意も、善意も、優しさも、悲しさも、苦しみも、何もかもを受け入れて……それでもなお、戦える。俺が絶望して膝をついた時も、「相棒だから」って言って……手を伸ばして立ち上がらせてくれた』

 

 そこにあるのは、感謝。そして、嫉妬にも似た羨望。

 シノンはUNKNOWNが『誰』に想いを馳せているのか、その声音から拾い上げる。

 似ている。どうして、白い蜘蛛を斃した時にUNKNOWNの背中に白の傭兵が重なったのか、少しだけ分かった気がする。

 彼が欲しているのは、クゥリのような絶望も希望も無い……戦い続けられる『強さ』なのだ。シノンが欲した人殺しを成す『強さ』とは似て非なる……きっと、クゥリが本質的に持っている、多くの人が血塗れの余りに知ろうとしない『強さ』だ。

 シノンもかつては、同じものを見つめていたはずなのに……今は白の傭兵には『恐怖』ばかりを感じるようになっていた。

 

『俺は薄汚い【ビーター】だ。それ以上の称号なんて要らない』

 

 それは少女の言葉の『否定』だった。そして、他でもないUNKNOWN自身の宣言だった。

 

『止めて止めて止めてぇええええええええええええ! どうして、そんな酷い事を言うの!?』

 

 耳を押さえて頭を振り、髪を舞わせ、触手が荒れ狂う。それは攻撃というよりも子どもが受容しきれない怒りと物にぶつけるような、制御からかけ離れた破壊行為だ。

 

『あなたは英雄なのに! あなたになら、殺されても良いと思ったのに! 戦いの中にある死闘こそ、私の幸福だったのに! どうしてどうしてどうして!?』

 

 触手が絡み合っていく。4本の触手がそれぞれ1つになり、形状を変化させていく。

 それは翼。余りにも異形で分かり辛いが、天使と悪魔の狭間にあるのような、赤黒い翼だ。そこから羽のように数字やアルファベットが零れ落ち、地面に触れる度に出血表現のような赤黒い光を散らす。

 まるで涙のようだ。先程まで恐怖の対象だったはずの少女に、いつの間にかシノンは哀れみを覚える。

 

 

 

「あなたは……彼に殺されたいのね」

 

 

 

 これまで沈黙を守っていたシノンの呟きが、泣きわめく少女を石化させたかのように止める。

 

「『バケモノは英雄に殺される』から、あなたは戦いたいのね」

 

 それはシノンという少女が最初から持っていたものではないだろう。

 戦いの日々で得たものでもないだろう。

 きっと、それは少女から『女性』への羽化。

 母性とも言うべき、慈悲の眼差し。それに耐えきれないように、少女がフラフラと後ずさる。

 

『止めて。そんな風に私を見ないで。「私たち」が「バケモノ」になる事を望んだのは、あなた達なのに』

 

 少女にノイズが走る。周囲に次々とシステムメッセージが表示されていく。それは赤く点滅し、数字を表示する。それは加速度的に桁を増やしていき、点滅速度がより速まっていく。

 

「……私には、あなたが言っている意味が分からないわ。でも、1つだけ言わせて欲しいの」

 

 鈍足状態のシノンは、危険も鑑みずに1歩前に踏み出す。簡単に殺せるはずのシノンの接近を怯えたように、少女が後退する。

 

「正直に言うわ。あなたの事が怖い。恐ろしい。きっと、これは私の本心だと思うし、本音でもあるわ」

 

『そうよそうよそうよ! アヒャハハハハ! だから殺し合いましょう!』

 

「でもね、今なら、少しだけ分かるわ」

 

 アバターに搭載された心臓の拍動は、本物の振動と連動した、彼女の生命のリズムだ。胸に手をやったシノンは、自分が馬鹿な真似をしている事を自覚する。

 ふざけている。これは殺し合いだ。彼女の言う通りだ。どちらが勝つか負けるかまで、命を喰い合うべき闘争だ。

 

 

 

 

「あなたは……泣き叫びたいだけ。自分の気持ちを理解してほしいだけなのね」

 

 

 

 

 翼が荒れ狂い、無数の出血表現である赤黒い光が風となり、線となり、シノンへと殺到する。

 同時に動いたUNKNOWNがシノンを庇うように彼女の前に立ち、剣を振るって赤黒い光の風を防ぐ。刃と衝突し、火花を散らして剣を削りながら、赤黒い光は軌道変更を余儀なくされてシノンたちを切断することなく過ぎ去る。

 

「ごめんなさい。どうやら『本気』にさせちゃったみたいだわ」

 

『構わないよ。俺も言葉にはできなかったけど、似たような事は思っていたから』

 

 バトルヒーリングのお陰で、何とかHPを4割ほどまで回復させていたUNKNOWNは、まるで深呼吸して取り込んだ空気を全身に循環させるような動作を行う。すると、UNKNOWNを温かな山吹色の光が集まる。それは緩やかにだが、HPの回復を促進させる。

 自己回復まで備わっているとは、≪集気法≫は本当に壊れ性能のようだが、今はそれすらも心許ない。

 瞳孔の縮小と拡大を繰り返し、耳を塞いで左右に揺れながら、まるで毒に苦しんでのた打ち回るような少女は、口からもはや言語ではなく、ただのノイズとしか言いようがない叫びを撒き散らしている。

 やがて、少女が硬直したかと思うと、脱力して腕をぶらんと垂らす。そして、まるで亡霊のように指を動かす。それはシステムウインドウを開く動作に似ていた。

 散っていた赤黒い光の風が収束する。それは少女の手元に、肌と同じ赤く点滅する幾何学模様を描いた剣を生み出す。それは少女に不似合いな武骨で肉厚な片手剣だった。

 

『私はレギオン。マザーレギオン。悪霊たちの母。「単体」で全ての命を喰らい尽くす「天敵」を、「群体」として再現する事を最終目的としたAI。レギオン・プログラムとは、群体構成殺戮兵器構想……【インターネサイン】に基づいたものである。そして、私は「オリジナル」と同じように独立した高い殺戮性能を保有する事によって群体崩壊を狙うイレギュラーの排除を行わねばならない』

 

 刹那、少女の姿が消失する。いつの間にかUNKNOWNの眼前に迫っていた少女の刃に対し、UNKNOWNは神がかり的な反応速度で右手の片手剣を振るってリカバリーブロッキングを決める。疾風の如き一閃を何とか凌いだUNKNOWNは、そのまま左手の薄刃の片手剣で少女の腹を狙う。速度も正確さも十分だったが、少女の翼が盾となって刃を防ぎ、届かせない。

 

『カーディナルに申請。戦闘データの集積実験は終了。これよりレギオンプログラムver2の実戦テストに移る。スタートまで60秒をセット』

 

 翼が分かたれ、再び8つの触手へと変化する。それを至近距離で操りながら、少女自身は剣を振るう。横薙ぎ、縦振り、そして突きまで至る高速の3連撃はソードスキルとも見まごう程だ。

 対するUNKNOWNは≪二刀流≫と≪集気法≫の組み合わせで、リカバリーブロッキングによるスタミナ回復をしながら、触手と剣戟を弾き続ける。そして、少女の首を狙った斬撃が僅かにその喉元に触れる。

 だが、届かない。完全に見切られて……いや、直前で自分に届く刃を感じ取られたかのように身を退かれた。

 少女が黒の剣を伸ばす。両手剣、特大剣、更にそれ以上の長さとなり、UNKNOWNを斬り払おうとする。それ剣を交差させてガードし、受け流し、UNKNOWNは少女への接近に成功する。

 輝くソードスキルの光。その構えは、シノンの記憶が正しければ、白の蜘蛛に放ったスターバーストストリーム……これぞ≪二刀流≫と体現するソードスキルだ。脅威的な連撃を少女は剣を盾にして防ぐも、瞬く間に亀裂は拡大して砕け散る。

 その先にあったのは、少女が8本の触手を束ねて収束された槍。ソードスキル中で回避ができないUNKNOWNは、強引に体をソードスキルの動きから逸らすようにしてモーションを強制停止させようとするも、ユニークスキルであるが故の強力なシステムアシストの為か、僅かに体勢が揺らぐ程度で収まる。そもそもソードスキル中にモーションに干渉する事自体が荒技なのだから、むしろ体幹を乱せただけでも上々というべきだろう。

 致命的な触手の槍を防ぐ。だが、少女はそれを見越していたかのようにUNKNOWNの顔面をつかむと地面に叩き付け、引き摺り、投げ飛ばす。壁に叩き付けられたUNKNOWNの口から息が漏れた瞬間、少女の触手の1本がUNKNOWNの左腕に絡みついた。

 捻じれる。腕が強引に回転させられ、アバターの骨格が、肉が、全てが捩じられる。千切れこそしなかったが、UNKNOWNの口から絶叫が漏れるのは当然だった。

 少女が残りの触手をUNKNOWNに向けるのを見て、シノンは我が身も厭わずにナイフを手にして踏み込む。鈍足状態の彼女は≪歩法≫に頼るしか無かった。

 それでも気を逸らせれば十分だった。一瞬でもUNKNOWNの体勢を立て直せる時間さえあれば良かった。だが、シノンの抵抗に少女は目どころか、顔すらも向けなかった。代わりに、反射的に動いた少女の右手がシノンのナイフを突き出した右腕の手首をつかむ。

 

『お揃いにしてあげるわ』

 

 そう言って、少女の蜘蛛を思わす無機質な眼差しがシノンを射抜く。それと同時に、シノンの視界の『左側』が消えた。

 何かが侵入してくる感触。それは今までシノンが味わった事が無い、まるで脳に太い針を押し込まれていくような、かつてないダメージフィードバックだった。

 自分の口から獣のように悲鳴が上がる事を、何処かシノンは他人事のように捉えていた。そうしなければ、耐えられなかった。自分の左目に少女の指が侵入し、アバターの脳とも言うべき頭部の中心まで蹂躙した挙句に目玉を抉り出されるなど、たとえ仮想世界でも精神の方が受容しきれるものではなかった。

 右手首を捩じられて投げ飛ばされたシノンが背中から激突したのは、硬い地面ではなく、人間の肉だ。それは左腕を捩じられて破壊されたUNKNOWNである。彼もまた触手によって、フレイディアの巣の出入口前まで先に投げられていたのだ。

 

「あぁ……うぁああ……目が……」

 

 左目を押さえ、シノンは呂律が回らない程のダメージフィードバックによってうずくまる。何とか片腕だけでシノンをUNKNOWNが立ち上がらせるも、左腕を潰された彼はもはやシノンに片腕を貸した状態では武器も構えられない。

 ここで殺される。シノンは、漠然と目の前の死を許容する。

 

「ここで、死ぬのも、悪くないわね」

 

『死なせない。絶対に死なせるものか!』

 

「無理よ。私も……あなたも……ここで、終わり」

 

 こんな状況でも諦めない、か。シノンは羨ましく思いながらも、自分を捨てずに引きずりながら後退するUNKNOWNを嬉しく思う。

 だが、いつまで経っても少女は追撃を仕掛けてこなかった。

 

『行きなさい、剣士さん。それに猫さん。そんなにも、私との殺し合いを拒絶するならば、それもまた良いわ。でも、必ず後悔する事になる。折角、あなた達にはチャンスをあげたのに。せいぜい、今ある生と未来を噛み締めなさい』

 

 少女の触手が再び翼となり、彼女を包み込む。それは黒い水へと再び彼女の姿を変え、地面の中に溶かしていく。

 去っていった。自分達を殺すあと1歩まで追い詰めていながら、見逃した。シノンとUNKNOWNは互いに顔を見合わせるも、まだ何も終わっていない事だけは断言できると、互いの治療も後回しにして少しでもフレイディアの巣から離れていく。

 だが、シノン達の進路を塞ぐように、3本ほどの結晶の槍が上空より飛来し、地面に突き刺さる。

 

『はは……ははは……これは、ちょっとハードかな?』

 

 さすがのUNKNOWNも、『それ』を見てまで闘志を維持し、突き通せる事は無かった。

 シノン達を見下ろすのは、結晶採掘洞窟の岩場に立つ3体の、見たことが無いモンスターだった。

 その身は青と白。青い胴体を薄っすらと青みがかかった白の結晶のような甲殻に覆われた、直立二足歩行のリザードマンのようなスマートな姿だ。足は逞しい3本指であり、踵にはアンカーのような爪を備えている。頭部に口や目と呼べる物もなく、何処か爬虫類の頭部を思わす兜のようにツルツルとした結晶体があり、そこに赤い光が内包されていた。右腕は結晶体のランスと同化し、胴体ほどもあるそれを悠然とこちらに向けている。そして、靭帯によって繋がれた結晶の触手を1本、まるで尻尾のように伸ばしている。

 右腕と同化したランスから次々と結晶槍が弾丸のように放出される。UNKNOWNはシノンを引きずって物陰に隠れて攻撃から逃れ、何とか2人して直撃を逃れる。

 

『【レギオン・シュヴァリエ】。それがその子たちの名前。あえて性能をダウン・グレードして、欠けていた汎用性と量産性の確保に成功したレギオンプログラムver2搭載のモンスターよ。あなた達を殺すまで追跡するように命令してあるわ。頑張りなさい』

 

 響く少女の声は狂気も無ければ、悦びを示す笑い声も無い。あるのは、事務的な殺意だけだった。

 レギオン・シュヴァリエと少女に呼ばれた3体のモンスターは、抗う手段無き2人へと襲い掛かる。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 右手の触覚が『死んだ』か。オレはゆっくりと自分の意識から『ヤツメ様』が抜けていくのを感じ取りながら、淡々と右手を見つめる。

 スタミナ切れの状態でアバターを動かし続けるのは、脳に負荷をかける。運動アルゴリズムの負荷を引き受けるのだから当然だ。致命的な精神負荷の受容ほどではないが、そのダメージは確実に蓄積される。

 やはり八ツ目神楽はリスクが伴う。乱発できる技ではないし、そもそも『ヤツメ様』を本能から引き出す必要がある。だが、ボス級ネームドでも一方的に撃破できるだけの性能は証明された。

 スタミナ切れから回復したオレは、3体の虚ろの衛兵が守っていた悪魔を模した祭壇へと目を向ける。そこには封じられたソウルが浮かび上がり、入手されるのを待っていた。アレを取れば、きっと牢屋も解放され、ユージーン達も自由になるだろう。

 

「……おいおい、冗談だろ?」

 

 だが、まだ終わらない。本能が『怒り』と『憎しみ』を撒き散らすこの感覚を……オレは聖夜に味わっている。

 同時に祭壇の前に出現したのは『光』だ。それはガラス天井を突き破って着地し、眩い白の光を開放する。

 オレの前に立ちふさがるのは、白の胴体を赤色の甲殻で覆った怪物だ。リザードマンを彷彿させるが、ずっしりとした太めの体格をしている。その両手の指は鋭い甲殻の爪となっており、頭部に目と呼べるものはない。鋭い牙が並ぶ口内からは赤い舌が伸びており、涎がボタボタと零れ落ちていた。頭部は兜のようなもので覆われ、サイを思わす角を頂いている。

 そして、何よりも特徴的なのは、靭帯によって伸縮可能になった赤い甲殻で覆われた柔軟性の高い触手だ。脊椎を思わす太めのそれが2本伸び、まるで独立しているかのように宙でうねり、蠢いている。

 

「レギオンか」

 

 正解だと言うように、獰猛に怪物は咆哮を上げる。同時にその全身を白い光が鎧のように纏う。何か効果があるのだろうか、そんなものはどうでも良い。特殊効果で何を持っていようとも、ぶち殺せば関係ない。

 許すな。

 絶対に許すな。

 これほどの愚弄を再び成すとは、ヤツメ様の血に対する侮辱が本当に好きなようだ。

 

「ゴミをリサイクルか。環境にお優しい事で」

 

 何度でも殺してやるさ。これでも掃除は嫌いじゃねーからな。




今回のトリビア
「ヤンデレをマジギレさせたら、クゥリにとばっちりがいく法則がある」

そして、ダウングレード量産(雑魚とは言ってない)レギオン追加。

結論.後継者くんがやり過ぎで何処茅さんが説教するまでがテンプレ。

それでは、161話でまた会いましょう。

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