SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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筆者はバイオハザードの映画を全て見ましたが、何処をどう間違って3はあんな感じになってしまったのかが未だに分かりません。
3でいきなり世界壊滅していなければ、もう少し裾野が広くストーリーも作れたのではないかなぁ、と色々残念です。
だから、筆者は今回のエピソードを書くモチベーションを保つために、ひっそりとバイオハザード2034をレンタルするのでした。


Episode16-6 感染拡大

 当たり前だったものが失われた時、人は絶望するよりもまず放心するものだ。

 肩から失われた左腕の断面を撫でながら、解呪方法が判明していないレベル3の呪いによって再生できない事が判明した夜に、シノンは進むべき道を見失った。

 リアリティが増したアバターからは汗が垂れ、ダメージフィードバックの不快感も、痛みも無い、まるで最初から腕など無かったような左肩の軽さのせいで何度も転倒しながら、シノンはスナイパーライフルを手に、ひっそりと終わりつつある街の周辺フィールドに赴いた。

 片腕ではスコープを覗き込むのも一苦労であり、寝そべって狙撃体勢を整えたシノンは、狙撃の衝撃を片腕では殺しきれずに、以前は簡単に狙い撃てた野犬の眉間に掠りもしない弾丸に歯ぎしりした。

 竜の神との戦いの中では、中距離戦にも対応できるスナイパーライフルを持ちこんでいたので腰溜めして狙い撃つ事ができたが、完全に彼女がこれまで培ってきた長距離狙撃戦スタイルを貫くには、より補助的な装置が必要となった。

 スナイパーキャノンのように、銃身を固定するアンカーを準備した。だが、やはり勝手が違うのか、命中率はあまり上昇しなかった。反動の小さいスナイパーライフルを準備した。だが、今度は思い描いた弾道を貫けず、求めていた射程距離には届かなかった。

 傭兵として戦う事はおろか、上位プレイヤーから転落する事を余儀なくされる危機だ。どれだけ撃っても当たらず、その日の夜は顔を隠す目深のフード付きマントを羽織り、隠れるようにワンモアタイムでアルコールに溺れた。そのまま泥酔して寝落ちしてしまい、もしもアイラ達に保護されていなければ、邪なプレイヤーに酷い目に遭わされていたかもしれず、イワンナに『女の子としての自覚を持ちなさい!』と3時間にも及ぶ説教を受けた。

 傭兵の仕事を全てキャンセルし、マイホームに引き籠もったシノンはメールボックスに溜まる依頼を淡々と見つめながら、布団を頭から被って呆然としながら数日間を過ごした。

 貯蓄は十分にある。武器や防具を売り払い、何処かの、誰も寄り付かない辺境の家を買って、静かに、誰かがDBOを完全攻略するまで隠れて暮らそうか、と本気でシノンは検討した。事実として、情報屋にそれとなく、良い物件が無いか調査もさせた。

 彼女を踏み止まらせたのは、1人の傭兵の噂だった。補給部隊壊滅に端を発した反大ギルドの動き、そしてシャルルの森の陰謀によってついに本格的な不和が表面化しつつある3大ギルドによる戦争の機運、そうしたDBOをより劣悪な事態に転がせているのは、ある1人の傭兵の凶行が原因だ、というものだ。

 クゥリ。シノンが知る中で、最も恐ろしい傭兵にして戦士、そしてバケモノ。ヘカトンケイルを惨殺した光景は今も瞼に焼き付き、思い出すだけで身も心も凍えそうになる程に恐怖と狂気に侵蝕される。

 だが、そのクゥリはカークとの戦いで左目を潰され、傭兵継続を絶望視されていながらも、平然と依頼を受け続け、成果を示して周囲を納得させた。左目を潰された程度では【渡り鳥】に敗北は無いと証明した。

 左目と左腕では重みが違うかもしれない。だが、シノンはここで逃げ隠れするのは白の傭兵に対する敗走に思えてならなかった。

 やってやろうではないか。たとえ、片腕だけになろうとも、【魔弾の山猫】は健在であると、実力で以って示そうではないか。生来の負けん気の強さがシノンを立ち上がらせた。

 まずは左腕を使わずに何処まで戦えるか試してみたが、最前線はおろか、適正レベルが20は低いだろうステージですら苦戦を強いられた。竜の神戦の時はとにかく的が大きく、またUNKNOWNの援護に撤していたから辛うじて撹乱と強襲程度はできたが、とてもではないがソロでは片腕で戦うのは無謀だった。ましてや、溢れかえる雑魚を片腕だけで捌くには、彼女の持つ唯一の近接武器系スキルである≪短剣≫では限度があった。

 残されたのは≪弓矢≫と≪銃器≫だけなのだが、弓矢は当然ながら両手が無ければ攻撃できない。かと言って≪銃器≫はスナイパーライフルとハンドガンくらいしか扱った事が無く、マシンガンも保有こそしているが、彼女のSTRで片腕では低反動改造を施した、低威力・低射程のものが限界だった。

 諦めたくない。シノンは比較的気候も安定し、またモンスターも亜人系が多い<黄金王ミロスの記録>を拠点とし、再起を誓った日から片腕での戦術を作り出すべく朝から夕暮れまでモンスターを相手に、1対1、1対多の戦いを繰り返していた。

 だが、その成果は決して芳しくない。片腕だけというだけで、回復アイテムを使う事すら苦労させられるのだ。素早い武器の収納と正確なクイックアイテムの具現化、その他の装備した各種アイテムの使用など、これまで両腕で行っていた作業を片腕でするにはどう頑張っても無理があるのだ。

 

(本当に、クーはどうやってあんなに武器とアイテムを使いこなしているのよ? 頭がゴチャゴチャになってパンク以前にショートするわ)

 

 4種の武器と攻撃系アイテムを使いこなすクゥリの異常さを思い知らされ、シノンは自分にこの手の才能は無いのだろうと再認識する。アレは例外なのだ。どうやったら戦いながら、投げナイフから爆弾系アイテムまで取捨選択し、最適に使用できるのだろうか? しかも戦闘中に武器を取り換えて間合いも戦法も変幻自在である。噂によれば、≪投擲≫は所持していないはずだから、自分自身の技量だけで、システムアシストに頼らずに投擲攻撃が驚異的な精度を誇っているはずである。プレイヤースキル……というよりも個体としての戦闘能力がシステムを抜きにして桁違いだ。

 春のポカポカとした陽光が木漏れ日となって森に差し込む。ここはミロスの記憶でもゴブリン系が多く登場し、対人戦に不慣れな駆け出しプレイヤーもよく訪れるエリアだ。ダンジョン扱いでもないのでフレンドメールも機能し、森と言っても奇襲はほとんど無いので比較的安全にプレイヤースキルを磨ける。もちろん、極めて危険な巨人系もたまに出没するので注意は必要だ。

 汗を拭いながら、丸々と太った木の根を椅子代わりに、シノンは短剣を腰に差すとアイテムストレージから取り出した水を飲む。

 竜の神撃破から次の朝より、プレイヤー達に大きな異変が起きた。発汗機能とニオイの蓄積だ。運動量や気温などで発汗し、そして体臭が漂う。プレイヤー達は『体臭度』と呼んでシステム化しようとしているが、要は現実の肉体と同じように、体を適度に清潔に保たなければ体が臭くなるというだけだ。

 マイホームに風呂が完備のシノンはともかく、終わりつつある街で暮らす貧民プレイヤーは更なる劣悪な環境に陥れられた。終わりつつある街には宿も含めて浴場はおろか、シャワー設備すら無いのである。自発的に整備しない限り得られないのだ。しかも、シャワーや風呂もただ準備すれば良いだけではなく、必ず何処かから水を引っ張り、炉を作ってお湯を生む機構を準備せねばならない。そして、その為の燃料も必要不可欠だ。

 文明は素晴らしい。いかに現実世界が先人たちの偉大なる知恵の結晶によって利便化されているかをDBOという、人類技術の最先端とも言うべき仮想世界においてプレイヤーは思い知らされている事に、シノンは呆れて物も言えなかった。

 

「……ちょっと臭いわね」

 

 右脇を嗅ぎ、シノンは汗が含む鼻を刺激するニオイに眉を顰める。シノンとて女子だ。DBOに体臭が生まれた以上は身嗜みには気を配らねばならない。

 クラウドアースは以前から香水なども販売していたのだが、今では備蓄切れになる程の売れ行きであり、生産を急ピッチでかけ、各種資源基地では臨時の従業員を雇い入れている程である。

 シノンもお遊び程度で買った香水を幾つか持っているが、常用するには香りが強過ぎるものばかりだ。そうなると、自分好みの香水を発見せねばならないだろう。

 いや、いっそスプレーでも良いか、とシノンは即座に妥協し、休憩も終わりだと根から腰を起こす。

 だが、シノンはゴブリン探しを始めるより先に、背後で草を踏み鳴らす足音がして、短剣を構えて振り返る。

 

「……やぁ」

 

 そこにいたのは、シノンも見知った2人組である。

 1人は全身黒ずくめの、コートを羽織り、顔を幅広く隠す大型のサングラスをつけ、背中に2本の片手剣を背負った『キリマンジャロ』である。

 もう1人は赤と白のコントラストが特徴的な、腰に普段は顔と身を隠すのに使用しているだろう厚めのマントを巻いたツインテールの少女、シリカだ。

 

「仕事できた、わけじゃなさそうね。だったら嗤いに来たの?」

 

「そんなわけないだろう。最近ずっと傭兵業を休んでいるみたいだし、メールを送っても無視されるから、心配になったんだ。だけど……やっぱりそうか」

 

 やっぱり、とはキリマンジャロことUNKNOWNには、シノンが傭兵業を休んでいた事に見当がついていたのだろう。あるいは、情報収集をしてシノンが隻腕のままである事を知り得て推測したのか。どちらにしても、完全に目元を隠す大型サングラスの向こうで、彼の目が罪悪感で揺れているのを見て、シノンは忌々しそうに唾棄する。

 

「この腕は私の不始末よ。同情するなら殴り飛ばすし、自分の力不足のせいだなんて言うなら首をへし折ってやるわ」

 

「……ごめん」

 

「はいはい、喧嘩腰のご挨拶はこれくらいにしましょう。とりあえず、お昼にしませんか? そのご様子だとろくに食事も取られていないようですし」

 

 短剣を鞘に仕舞ったシノンに、シリカは両手で可愛らしく持つバスケットを掲げる。ふわりと鼻孔を擽ったベーコンの香りで途端に、DBOがどれだけリアリティを増そうとも仮想世界だと主張するように、あり得ない程に大きく腹の虫が鳴り、シノンは赤面する。

 自分よりも明らかに年下、それこそ10代前半か多く見積もっても半ばにしか見えないシリカは、まるで可愛らしい野良猫でも愛でるように、クスクスと笑い、アイテムストレージからチェック柄の4メートル四方のシートを取り出す。

 

「【魔避けの香】を焚いておきますね。私たちのレベルなら、これを焚くだけでモンスターは近寄ってこないでしょうから」

 

 バスケットの中には、分厚いベーコンと新鮮なレタスを挟んだお手製ハンバーガーが詰め込まれていた。シノン専用である事を示すように幾つかのハンバーガーには猫の旗が、UNKNOWN用である事を示すように交差した剣の旗がアクセントとして彩っている。

 

「さぁ、召し上がれ! シリカちゃん特製ベーコンバーガーですよ。シノンさんもきっと気に入ります」

 

「……いただくわ」

 

 バーガーとは、偶然か、あるいは気遣ってか、片手でも食べやすい料理だ。恐らく後者だろうと、無言のシリカの気遣いに感謝しながら、シノンはハンバーガーに齧りつき、その絶妙なベーコンの味付け、絡みつくソース、レタスに絡みつく甘酸っぱい隠し味だろう果肉、そしてバーガーパンもふっくらモチモチさに、全てが市販品ではない、彼女の手作りの1品だろうと理解する。

 手間暇もそうであるが、どれだけのコストがこの一見すればただのベーコンをパンではさんだだけのバーガーに注ぎ込まれているのか、考えただけでシノンはありがたみで食欲が促進される。

 

「う~ん、このピリ辛ソースが堪らないなぁ」

 

「最近はキリ……マンジャロさんはそれがお気に入りですよね。ふふふ、たくさん作ってますから、遠慮しないで食べてくださいね」

 

「その本名呼ばない縛りは何か意味があるのかしら? 私は正体気づいているわけだし……」

 

 咄嗟に方向修正を加えてUNKNOWNを『キリマンジャロ』と呼ぶシリカに、シノンは呆れながら彼が食べるピリ辛バーガーに興味がそそられ、どうにかして1つ奪い取るチャンスは無いものかと狙いを澄ます。

 

「フフフ! 分かってないな、シノンは! 仮面の傭兵にして【聖域の英雄】UNKNOWNが忍ぶ姿、それがキリマンジャロなんだ!」

 

 顎に手をやり、ポーズを取るキリマンジャロに、コイツはコイツで方向性が違う馬鹿の部類か、とシノンは既にミステリアスの欠片など木っ端微塵になっている仮面の傭兵を分類していく。

 

「即席ネームのくせに、すっかり気に入っちゃったみたいなんですよ。シノンさんも何とか言ってください。せめて、もう少しマトモと言いますか、ほとんど名乗っているようなこの名前を変更すべきだと進言してください」

 

「……まぁ、私もその名前のお陰で正体に確信持てたわけだしね。でも、大丈夫じゃないかしら? UNKNOWNの肉声を聞いた人はほとんどいないでしょうし、彼の正体をラストサンクチュアリ……最低でもトップのキバオウは把握しているんでしょう? だったらバレた時はバレた時よ」

 

 それに、正体が隔週サインズにデカデカと電撃スクープされて、慌てふためくキリマンジャロも見てみたい、とシノンは密やかに嗜虐的に唇を舐めた。

 隔週サインズと言えば、いよいよと言うべきか、自らカミングアウトしたと言うべきか、竜の神戦の記事を書く上でのインタビューで、UNKNOWNは自分がユニークスキル持ち……それも2つも所持している事を明かした。これにはDBOにも震撼が走り、サインズは傭兵再編に追加で大荒れ状態だったらしい。

 有言実行と言うべきか、肝が据わったと言うべきか、ようやく覚悟を決めたと言うべきか、どれにしてもUNKNOWNは隠し続けるのを止め、誰かにバラされるよりも先に自分自身でDBO最大のステータス要素でもあるユニークスキルを2つも所有していることを公開したのだ。

 タイミングとしては最高だっただろう。竜の神という終わりつつある街をあと1歩で壊滅に追い込んだDBO史上最強は間違いないだろう巨大ボスを倒した英雄が、その器に相応しいように2つのユニークスキルを所持し、それで以ってボスを撃破した。ストーリー性もあり、受けも良い英雄譚である。

 

「それはそうと、今日はシノンの様子見だけじゃなくて、払うべきものを払おうと思ってきたんだ」

 

 胡坐を掻いて豪快に3分の1ほどのバーガーを頬張り、喉を詰まらせたキリマンジャロはシリカが手渡した果実ジュースを飲んで難を逃れて息を荒くすると、シノンに小切手を渡す。

 額面は80万コルだ。とんでもない金額に目を丸くするシノンに、キリマンジャロは食事中でオミットしていた、竜の神にトドメを差した重量型の黒の片手剣、ドラゴンクランを右手に持つ。

 魔剣。そんな印象を受けざるを得ない程の威圧感を浸した黒の刀身に、シノンは自分が無償で譲渡したその剣がとんでもない代物だと改めて認知する。

 

「正直これでも足りないくらいだ。間違いなく300万コル……いや、400万コルはするだろうし。だから、これは分割払いの手付だ」

 

「要らないわ。それはあなたの物よ。もう私の所有物じゃないし、ましてや売却したわけでもない」

 

 シノンにもプライドがある。確かに、こうして改めて見せられればレアアイテムに固執する欲の芽が顔をだし、天を貫く勢いで成長しているが、ドラゴンクラウンはキリマンジャロの手の中にある事こそが相応しい。あの竜の神を……まさしく神を討ち滅ぼした彼が所有すべき、神殺しの武器だ。

 

「ああ。もちろん、シノンのプライドも分かる。だけど、同じくらいに俺もこのままコイツを使い続けるには、シノンに何も支払わずに愛剣にするにはどうしても胸に……こう、引っ掛かるものがあると言うか」

 

「……タダなんだから貰っておけば良いのに。分かったわ。だけど、追加は要らない。これでおしまいよ」

 

 妥協点としてシノンも納得し、小切手を受け取る。80万コルと言えば、終わりつつある街で家を買える額だが、上位プレイヤーは……特に傭兵は金食い虫であり、80万コルなど正しく運用しなければあっという間に溶けてしまう。特に≪銃器≫を運用するシノンならば尚更だ。

 いや、そうでもないか。シノンは温かな昼食で忘れていた左腕の存在を思い出し、以前の戦闘スタイルを維持して傭兵を続けるのは無理があると判断する。鍛錬を続けてきたが、やはり狙撃戦スタイルで行くにしても、以前ほどの遠距離狙撃は無理である以上は方向転換が必要だ。

 

「左腕についてですが、重要なお話があります」

 

 と、そこでお茶セットで温かなハーブティを淹れていたシリカが、姿勢を正し、無意識で左腕の断面を撫でていたシノンに向き直る。

 

「私はUNKNOWNのオペレーターとして、秘書として、シノンさんを信頼する事にしました。話は彼から聞きましたが……エギルさんを殺したと思い込んだこの人を立ち直らせてくれた、あなたは私の大切な人の命の恩人です。本当にありがとうございます」

 

 深々と頭を下げられ、シノンは慌てる。初対面の時に竜の神も震えあがるような殺意全開の眼差しをした少女とは思えぬ殊勝で真摯な態度に、シノンはやはりあの時の、こちらを『駆除』するか否かを悩むような冷徹な眼光は気のせいだろうと、何故か安堵した。

 

「俺も感謝している。俺は……きっと、あの時シノンがいなかったら、もう戦えなかったと思う。あのまま心が折れて、竜の神に叩き潰されるまで自分を見失っていたはずだ。だから、俺も礼を言っても言い尽せない。だから、俺たちも左腕を何とかできないか情報を集めたんだ。同情なんかじゃない。返しきれない恩を返す為に」

 

「無理よ。レベル3の呪いの解除方法はまだ判明してないわ。あるなら、とっくにクーが左目を治癒しているはずよ」

 

 あのクーが効率性を無視して左目を潰したままにしているはずがない。各種義眼で様々な能力が使えるのは隻眼の利点であるが、有効視界距離の減少と視界の半減は近接戦闘を土俵とするクゥリにとって重い枷のはずだ。そもそもレベル2の呪いの解除すらも、現状ではほぼ不可能とも言える程に高難度のイベントをクリアする必要があるのだ。恐らく解除する方法が見つかるにしても、DBOの終盤だろうとシノンは踏んでいる。

 

 

 

 

 

 

 

「……義眼があるなら、義手もある。そう思いませんか」

 

 

 

 

 

 

 だから、シリカの言葉は暗闇の底に差し込む一筋の光だった。

 全く考えなかったわけではない。だが、どれだけ情報を集めても、義手の『ぎ』の字すらもシノンは知り得なかったのだ。だが、シリカがわざわざこの場で口にするという事は、相応の目星があるのだろう。

 

「3大ギルドでも義眼や義手といった開発はほとんど着手していません。そもそも必要性がありませんからね。義眼もドロップ品を管理している程度です。だから、鍛冶屋組合やギルドの工房の方々も義手の開発なんて発想もしていません。ですが……」

 

「シノンも聞いた事があるだろう? 伝説のソロ鍛冶屋『GR』の噂を」

 

 聞いた事があるも何も、シノンは1度GRだろう人物による匿名の依頼……謎の巨大ボール型ゴーレムとの試験戦闘に参加した身である。宙を高速で飛び回るボール型のゴーレムに翻弄されるも、何とか4機中の2機を時間制限内に撃墜する事ができた。同時参加したらしいユージーンとグローリーはそれぞれ全機撃墜という鬼のような成果を挙げている。この辺りは1発の火力の差が制限時間という枠組みで大きく左右したと見るべきだろう。

 話は元に戻るが、伝説のソロ鍛冶屋GRは、自分の気に入った客以外は店の場所を教えない代わりに、凄まじく強力かつ独創的な武具・防具を提供するとされる人物だ。3大ギルドや鍛冶屋組合はその正体を認知しているようだが、情報を漏らす気配はない。噂によれば、3大ギルドから素材アイテムをもらう代わりに幾つかのアイディアやレシピを提供する事もあるらしい。先日、聖剣騎士団が正式発表した、キリマンジャロが使用していた人工炎精もGRが深く関わっている、という話だ。

 

「そのGRと唯一交友がある、もう1人のソロ鍛冶屋……その人はあのGRに義眼技術を提供した事があるらしい。そして、義手の開発もできる。そのアイディアと基礎レシピはできている」

 

「本当なの!? 嘘じゃないでしょうね!?」

 

 思わず身を乗り出してキリマンジャロの胸を掴みかかるシノンは鼻息が荒く当たる程に彼の顔に近づく。

 

「嘘じゃない! 本人からも義手開発の目途は立っているって聞いてある!」

 

 左腕を……取り戻せる? 思わず泣きだしそうになるシノンは、まだ尚早だと堪える。キリマンジャロを解放し、深呼吸して精神の乱れを正す。

 

「でも、その様子だと……本人は乗り気というわけじゃなさそうね?」

 

 優秀な鍛冶屋というのは大なり小なり職人気質であり、方向性は各々で異なるにしてもHENTAIだ。GRが『あんなもの』を浮かべるHENTAIであるように、件の鍛冶屋も何か問題点があるに違いない。

 図星なのだろう。シリカは大袈裟と思える程に溜め息を吐く。

 

「ええ。どうやら、幾ら積まれても自分の顧客以外には武器どころかアイテム1つ売る気が無いようなんです。それとなくシノンさんの状態を伝えても、失礼ながら同情を買う作戦も試みましたが、完璧に無視されました。あの類は拷問されても協力しませんから、どうしたものかと。……拷問で何とかなるなら、スペシャリストを知ってるので準備できるんですが」

 

 何故か最後の部分を忌々しそうにシリカは、ここにはいない誰かを恨めしそうに睨む。どうやら、あまり好感情を抱いている人物ではないようだが、拷問に長けた人物ともなれば、さぞかしサディスティックで頭のネジが何本も外れたイカレた人物なのだろう。

 何やら危険な方向性を臭わせるシリカを隠すように、キリマンジャロは大きく咳を入れる。シノンも、これが突っ込んで良い話題ではないと直感で判断する。

 

「ご、拷問云々は『冗談』として、多分シノン本人が乗り込んでも効果が無いと思うんだ。だから、最大のお得意様に頼んでもらおうかな、と。俺も『彼』には……色々と頼みたい事もあるし、シノンの知り合いでもあるから、その伝手を使えば何とかなるかもしれない」

 

 つまり、自分の用事もちゃっかり消化する事も狙いで、シノンの知人が最大顧客となっている例の鍛冶屋に義手を仕立ててもらう、というプランらしい。

 確かに、このまま闇雲に隻腕戦法の開発に勤しむよりも、たとえ同じ隻腕でも義手で左腕を取り戻せるならば、そちらの方が今後の希望も大きく持てるというものだ。

 

「どうやら感謝すべきなのは私の方みたいね。それで、私の知り合いなんでしょう? 誰なの?」

 

「急いでも事は変わりません。まずはしっかりお腹を満たしましょう。はい、シリカちゃんのスペシャルハーブティです。心も体もホカホカになりますよ」

 

 シノンの分は飲みやすいように、わざわざボトルに入れてくれたシリカが言うのも尤もだ。まずはしっかり腹拵えをすべきである。

 油断大敵。シノンは目を鋭く光らせ、キリマンジャロは手を伸ばしていた最後の彼用のバーガーを奪い取る。

 

「いただき!」

 

 最後の1個を掠め取られ、金魚のようにパクパクとキリマンジャロは口を開閉する。

 

「俺のピリ辛バーガーがぁあああ!」

 

「あんなにたくさん食べたんだから1個くらい良いじゃない。ほら、私の分が残っているからあげるわよ」

 

 確かにこれは癖になる味だ。赤みがかかったソースは香辛料が利いているらしく、舌を程よくピリピリさせて食欲を増幅させる。

 だが、シノンは咀嚼するバーガーの中で『違和感』とも言うべき、不気味なまでに舌にべっとりと濡らす味を探り当てる。

 

(何これ……『鉄』っぽいわ)

 

 ピリ辛のせいで上手く隠されているようだが、よくよく味わえば隠し味とは思えない程度に濃い『違和感』だ。確かにソースは美味なのだが、この背筋をどうにも冷たくする『違和感』のせいで味に集中できない。

 だが、キリマンジャロの反応を思い出すに、彼はこの『違和感』を捉えていないようだ。そこまで味覚に関して鈍感なのか、それとも『違和感』を覚えない程にこの味に『慣れて』しまっているのか。

 

「フフフ、仕方ありませんねぇ。ソースはまだまだ『たっぷり』と残ってますから、今日は余りを使った夕食の献立を考えます」

 

 そう言って、上品そうに笑うシリカの右手の手首には止血包帯が巻かれていた。それを目視した途端に、シノンの鼓動は急激に、理由不在で加速する。

 直感が優れているシノンは、靄状で具体化・言語化されていない予測を即座に封印する。想像する余地すらも持つべきではない。これは関与すべきではない事柄だ。それこそが安全の為だ!

 

「や、やっぱり善は急げと言うし、さっさと食事を済ませましょう。私の知人って誰なの?」

 

「ああ、それは――」

 

 シリカからハーブティを受け取ったキリマンジャロを直視できないまま、シノンは尋ねる。そして、その返答に大いなる難題だと額に皴を寄せるしかなかった。

 

 

△    △    △

 

 

「……ふむ、すこぶる嫌な予感がするな」

 

 シャルルの森の1件のせいでドタバタしているサインズには独立傭兵向けの依頼が舞い込んでいないらしく、久方ぶりの余暇と割り切って巣立ちの家でのんびりと過ごしていたスミスは、寝転がるソファから身を起こし、咥えた煙草を揺らしながら、キリキリと痛み始めた胃を摩る。

 理性を尊ぶスミスは直感や本能といった要素をナンセンスとするタイプである。だが、そんな彼も1つだけ学習した事がある。

 胃が痛くなったら厄介事の前触れだ。これは間違いなく本能に分類される能力だろうが、それでもスミスは全幅の信頼を置く事を既に決定していた。全てはシャルルの森で散々な程に振り回されたお陰である。

 

「今日は家に引き籠もるか」

 

 夕暮れになったらパッチと歓楽街にでも繰り出そうかと思っていたが、今日は1日家で過ごすべきだろう。外に出なければ、厄介事と遭遇する事も無い。

 せめて、イレギュラーな余暇くらい、何事もなく、退屈な程にのんびりと過ごさせてもらいたいものだ。スミスはまだまだ日が高く、窓から差し込む太陽の春の温もりにうとうとしながら、吸い終えた煙草を灰皿に吐き捨てた。

 

 

△    △    △

 

 

 血の沼に浸された通路を通り、地下へと直通しているだろう、崩落したエレベーターの縦穴を発見したオレ達は今後の方針を決めるべく話し合っていた。

 とはいえ、実際に決定権を持っているのはオレとエドガーだ。3人は戦力外であるので、必然的にオレ達で対応しきれる危険があるか無いかが判断基準となり、その中心部に3人を守護するという必須項目が据えられている。

 

「やはり危険が過ぎるのではないでしょうか? 確かに、このエレベーターの穴を下りれば大幅なショートカットが可能かもしれません。ですが、だからこそ罠があるのも必然。たとえ遠回りでも安全ルートを探すべきでは?」

 

「だが、そうなると物量戦だ。オレもオマエも無傷だが、このまま感染から逃れ続けるなんて土台無理だ。必ず遅かれ早かれ感染する。だったら、少しでも危険を抱え込んででも物資に余裕がある内に奥地に進むべきだ」

 

 エドガーの意見はあくまで安全重視であり、トラップやモンスターとの遭遇を避けながら、このまま地下へと続くルートを探索する、というものだ。確かに、これが正規の攻略部隊ならば筋が通っている案かも知れないが、ギンジとアニマの感染率はこうしている間にも上昇を続けている。

 ナグナの月光草を入手できていない現状とナグナの良薬の作成難度に伴った失敗率を考慮に入れれば、少しでも素材、ないしナグナの良薬が入手できるかもしれない、地下下水道の最奥にある研究施設を目指すべきというのがオレの意見だ。

 

「何なら、オレが先に降りて偵察してきても良い。犠牲になるのもオレ1人だ」

 

「そこまで仰られるならば、このエドガーも腹を括りましょう。ご指摘の通り、感染が避けられないのは必定ですし、幾ら多めに弾を持ってきているとはいえ、消耗を強いられていては今後に差し控えます」

 

 決まりだ。オレは成り行きを見守っていたグリムロックからロープを受け取り、ワイヤーが千切れて最下まで落ちただろうエレベーターの大穴を覗き込む。黒く焦げ付き、爛れた壁の表面は高熱が通り過ぎた跡のようだ。エレベーターが落下した原因だろうか?

 

「まずはオレが先に降りる。グリムロック、何処か適当な所にロープを括り付けてろ」

 

「どういう意味だい? ロープを使って下りるんじゃ……」

 

「時間が無い。案を出したのはオレだ。宣言通り、先に降りて偵察してくる」

 

 スキル≪登攀≫は無いが、この程度の直角の穴ならばやりようは幾らでもある。オレはグリムロックが勘付いて制止をかけるより先に、左手にロープを括りつけ、エレベーターの縦穴へと跳び込む。

 急行落下し、このままでは落下死確定であるが、オレはかつてツバメちゃんに狙撃されて崖から落とされた時と同様に、灰被りの大剣を壁に突き刺し、破損させながらブレーキをかけて落下速度を緩めて一気に最下にまで至る。チマチマとロープを伝うよりも、こうして最速で真下に至って罠を拝見していた方が効率的だ。どうせ刃毀れが拡大している灰被りの大剣はこれ以上武器として使い続けるのは厳しい。元々破損著しいのをろくに修復もせずに持ち込んだ応急品だからな。この辺りで最後の仕事をさせて、死神の槍に切り替えるとしよう。

 火花を散らし、灰被りの大剣に亀裂が広がりながら、オレの予想を裏切って折れることなく、しっかりと減速をかけて潰れたエレベーター本体の上に着地する。ぺしゃんこになったエレベーターには人が乗っていたかどうかは判断が付かないし、気にすべき事柄でもない。

 ロープで伝って下りる時に襲撃するような罠くらいは予想していたのだが、無しか。壊れて半開きになったエレベーターのドアを見ながら、待ち伏せ系かもしれないと考えつつも、無事に最下までたどり着いた合図として、【七色石の光液筒】をその場に置く。道標としても役立つ七色石の発光効果を高めた液体が封じ込められた小さな細長の筒だ。これならば十分に目視も可能だろう。

 力任せに歪んだ半開きのエレベーターのドアを開け、このエレベーターで到達できる最下だろうフロアに立ち入る。そこは地下下水道といった雰囲気は完全に失せ、元々は白色だっただろう床や壁、天井が広がる病院……というよりも研究施設らしき空間、エントランスだ。だが、ここも封鎖されているのか、割れたガラスや朽ちた観葉植物が転がっており、自動販売機からは中身が漏れた缶が幾つも転がっている。

 荒れてからかなりの時間が経っている、といった感じだ。てっきり下水道地下にある研究施設かと思ったが、どうやら外れだな。同じ研究施設でも、これはなんていうか、緊急事態で廃棄されたって感じだな。半ばまで何かに噛み砕かれたといった様子の白衣姿の人骨の頭蓋骨を手に取る。

 この砕かれ方、脳髄を喰われたな。破損の形状からして犬か? まぁ、バイオハザード系ではワンワンが登場するのはお決まりだな。つーか、『アイツ』が小言で愚痴を零してたが、ゲームで犬って無駄に強いよな。話では聞いているが、ユージーンが『犬のデーモン』なるイベントを見事にクリアしたらしいが、山羊頭の悪魔のようなヤツが明らかに強敵っぽく登場しているのに、お供の犬が強過ぎて影が薄かったらしい。というか、山羊頭の方は攻撃単調で避けやすいからむしろ犬が本体だ。まさにイベント名の通りである。

 火災、異常生命体、廃棄された研究施設、溶接による封印。なんとなく見えてきたな。ここは正規ルートというよりも裏ルートなのはほぼ確定だろう。全く、オレらしいと言うか何と言うか、だな。普通こういうルートは初見で来るべきじゃないだろうに。

 

「来たか」

 

 ガラス片を砕きながら、何かが高速で接近している。微かにだが、咆えている。やはりワンちゃんがお迎えだな。

 アサルトライフルからマシンガンに切り替えていて正解だったな。犬系ならばら撒けるマシンガンの方が牽制としてもダメージ源としても有効だ。

 

「7、8……もう少し多いか? 14、15………それくらいか」

 

 もはや群れだな。足音から判断したオレは、左手にマシンガンを、右手に焼夷手榴弾を所持して待機する。犬系はスピード・攻撃力共にあるが、耐久度は紙のはずだ。まずは先制攻撃で幾らか削る。

 予想通り、エントランスへと突っ込んでくるのは、全身の皮が禿げ、痛々しい筋肉を表面化させた犬の御一行だ。目玉は白く濁り、牙には排水の様な灰銀色のどろりとした液体がこびり付いている。噛まれたら感染確実だな。

 まずはこちらに到着前に焼夷手榴弾を投げる。それは炎を撒き散らし、先頭にいた4頭を火達磨にして撃破し、炎の壁が続く犬たちに火炎ダメージを浴びせる。先制攻撃で3分の1削れたのは大きいな。

 最初の1頭の噛みつき攻撃をサイドステップで躱しながら顎に蹴りを打ち込んで天井に叩き付け、腕を無造作に振るってマシンガンの弾をばら撒いて回り込もうとしていた2頭に近距離で弾丸を喰い込ませる。そのまま右手で折れかけの灰被りの大剣を振るい、回転斬りで周囲を薙ぎ払う。

 回転斬りを跳び越えて、涎を撒き散らしながらオレの頭部を丸齧りにする勢いの1頭へ、敢えてオレは接近して鼻先に頭突きを喰らわせて撃墜し、落ちたところに両手剣で頭部を貫き、これも殺しきる。

 残り8頭。囲い込み、唸り声を漏らしながら咆える犬たちであるが、その背中から黒い紐……今までの例から考えるに、恐らく知覚能力を備えただろう触手を伸ばし、束ねると鞭のように振るう。それが8体同時ともなれば逃げ場はないように見えるが、オレは冷静に接近する順番を認知し、両手剣を振るって弾き返し、互いをぶつけ合って逸らさせ、自分の立ち位置を攻撃の空白地帯にする。

 ぬるい。ぬる過ぎる。シャルルとは比べる事すら烏滸がましい。Nの足下にも及ばない。ハレルヤに比べれば児戯だ。

 このまま一気に決める。そう思った時、犬の1頭の額に矢が突き刺さる。

 予定と違う。思っていたよりも早過ぎる。オレが言うべきではないかもしれないが、慎重さを欠ける程にロープを伝って降りて来ただろうギンジが、震えながらも弓矢を構えていた。

 

「……戦える。俺だって……俺だって戦えるんだぁああああ!」

 

 闇雲ではない。あくまで正確に、さすがは元々最前線にいた過去があるプレイヤーとだけあって、勇ましく咆えながらも放たれる矢は素早く動き回る犬に突き刺さり続ける。だが、如何せん火力が足りない。最初のヘッドショットは奇襲だからこそ狙えたものだ。何体もいる犬にギンジは翻弄され、正確性を重視するあまりに牽制として矢をばら撒くことを疎かにしている。

 より弱い獲物を先に狩る。それは群れにおける狩りの基本だ。だから、犬たちのターゲット、そのオペレーションの牙を向ける優先度がオレからギンジに移ろったのを敏感に感じ取る。

 ヤツメ様が嗤う。愚かで馬鹿な蛮勇が獣たちに食い千切られる。それを観賞するのも趣があって悪くない、と。

 狩人が鼻を鳴らす。弱き者は狩り場で屍を晒し、血肉を糧として振る舞うのは当然の末路だ、と。

 ああ、その通りだ。微塵も間違ってはいない。オレはギンジが食い千切られる瞬間を堪能したい。その弱さこそが死の原因だとも迷いなく断言もできる。

 

 それでも、ギンジは襲い来る犬たちに囲まれながらも、オレに眼差しを向けた。助けてくれと訴えるように、縋っていた。

 

 ああ、愚かだ。どうせ、自分の弱さを知って、少しでも奮い立たせる為に、オレの言葉を真に受けて戦いに赴いたのだろうが、そんな中途半端な気構えで実力不足の戦場で生き残れるはずがないだろうに。

 

「糞が」

 

 ラビットダッシュで強引に犬の群れを突っ切り、ギンジを蹴飛ばす。その代償として、ギンジへと飛びかかる犬たちへの迎撃が遅れ、彼と立ち位置が変わったオレにその牙が喰い込んでいく。

 肉が貫かれていく感触が、生温かな牙の感触が、そこから広がる高熱を孕んだ血を穢すようなドロドロした何かが、痛覚と共に全身を駆け巡り、喉まで絶叫がせり上がるも、強引に呑み込む。

 

「駄犬共が」

 

 右肩、左太腿、右腹、それに左首筋を噛まれ、肉が抉り取られていくより先に、オレはマシンガンを近距離から放って犬たちを撃ち抜き、そのまま両手剣が折れるのも厭わずに連続振り下ろしで喰らい付きから振り払った犬を潰す。そのまま刀身が折れた両手剣を捨て、残りを打剣で首を砕き、胴体を刺し、最後の1体は口にマシンガンの銃口を押し込んでたっぷり弾丸を喰わせて内部から破裂させる。

 

「……らしくない真似をするもんじゃねーな」

 

 呆然として尻餅をつくギンジを横目に、簡潔に感染した事を明示するシステムウインドウを消し、HPバーの下に出現した感染率を確認する。現在、オレの感染率は19.44パーセント。犬の攻撃を多量に受けたせいでスタートから随分と高めである。HPも3割に至ってイエローゾーンだ。深緑霊水で手早く回復を済ませておく。白亜草は勿体ないので、時間をおいてもう1度深緑霊水で回復だな。

 

「わ、【渡り鳥】……お、俺を庇って……」

 

「だったら何だ? 言ったはずだ。オマエらを守る。だから一々そんな驚く面すんな。ぶち殺すぞ」

 

 これはオレの選択だ。『らしくない』で選択肢から除外していたら、いつまで経ってもオレは変われない。何事もチャレンジ精神で挑戦あるのみだ。

 遅れて到着したグリムロックは、出血状態になっているオレを見て唖然とし、続いてギンジに視線が向かう。だが、何か言葉を発するより先に、オレは先手を打つ事にした。

 

「少し油断した。それだけだ。まぁ、ギンジの援護もあって上手く切り抜けたが、めでたく感染だ」

 

 男のプライドもあるだろう。同時に到着したアニマの前で、ギンジが下手を打ったなんて言えるか。どうせ惚れた女絡みで蛮勇に走ったんだろうからな。

 呆れたようにヤツメ様がギンジを足蹴りにしている。さっさとコイツを殺した方が良いと据わった目でオレに訴えている。はいはい、そうですね、ヤツメ様。オレも全力で同意します。コイツはさっさと殺処分した方がオレの生命の安全の為だ。

 だけどさ、惚れた女の為に無茶をする男なんて、放っておけないものだろう? 少しくらい大目に見るさ。どうせ感染するのは時間の問題だったんだ。早めにギンジが馬鹿をやる芽を摘むことができた。そう考えればプラスさ。

 

「……後で少しくらいなら戦い方を教えてやるよ。だから、とりあえず今は顔を隠せ」

 

 それは情けなさか、それとも悔しさか。涙目になったギンジを隠すように、オレは出血状態になった傷口を確認する素振りをしながらコートの裾でへたり込んでいる彼の顔をアニマの視線から遮った。

 どうか頼むから、これ以上は厄介事は増えてくれるなよ。ここからが本番だと言うように、凍える沈黙を保つ廃棄された研究所……その奥へと続く通路をオレは睨んだ。




ソロよりもパーティの方が弱体化するという徹底したオンリーロンリー型の主人公(白)とヤンデレに順調に侵蝕されていく主人公(黒)。
さて、ようやくエピソードも序盤の序盤が終わりました。
……少し巻いていきましょう。このままではまた話数がとんでもない事になりますので。

それでは、192話でまた会いましょう。

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