SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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今回は黒い人のターンです。
いよいよ彼の強化(スパルタ)が開始されます。


Episode16-11 鬼教官

 深緑の迷彩柄のジャケットを羽織り、朝食の串焼きチキンを右手で持って食い千切りながら、左腕の袖はぷらぷらと中身が通っていない事を主張するように揺らしながら、シノンは終わりつつある街のメインストリートを歩む。

 道行くプレイヤー達はシノンの左腕が無いのを目撃する度に噂は本当だったのかと、哀れみ、あるいは嘲りの視線を向けている。先日までのシノンならばそれらの感情に耐えられなかったが、今の彼女には義手という希望の果実があるので、それらを見返す事が出来ると思えば逆にそうした負の感情は心地良かった。

 では、何故にシノンが現時点で義手を装着していないかと言えば、実際に自宅で取り付けて分かった点として、日常生活を送る上では問題にしても、戦闘においては耐久度も含めて多くの点で不十分だからだ。

 また、武器としてカウントされているので武器枠を削るのも難点であり、枠が2つしかないシノンでは義手を装着すると自動的に≪銃器≫の運用がほぼ絶望的になってしまうのだ。

 幸いにも幾ら片腕とはいえ、レベルも低い攻略崩れ、そもそも終わりつつある街から出たことも無いプレイヤーに襲われても、DEXが高い彼女ならば逃走も容易だ。義手という物珍しさで強盗に遭うリスクを下げる為にも、義手が完成するまでは隻腕で過ごすことを方針として決定していた。

 

(さてと、朝食も済ませたし、待ち合わせの場所に行かないと)

 

 串を握り潰してポリゴンの欠片に変えたシノンは、本日から始まるスミスとキリマンジャロの修行、それに合同参加する事に心なしか胸を躍らせていた。

 曰く、煙草と酒をこよなく愛し、賭け事をたしなむ男。

 曰く、最も理想的な傭兵の1人であり、あらゆる依頼を完璧にこなす男。

 曰く、DBOにおいて銃器を用いた近・中距離戦闘のスペシャリストとして名高い男。

 シノンもスミスの実力は高く評価している。シノンが遠距離専門ならば、彼は遠距離戦を除く全てをこなす。本人はその気になれば遠距離戦もできるかもしれないが、≪狙撃≫を所持していない以上はその舞台に上がる気が無いのだろう。

 これまではある意味で住み分けが出来ていたシノンとスミスだが、彼女は義手に変更する事を契機に戦闘スタイルの大幅な変更を余儀なくされた。そして、本来ならば商売敵でもあるスミスより指導を受ける事になった。

 もちろん、スミスにはスミスの意図があるのだろう。だが、シノンは1度定まった以上得られるべき技術は全て吸収するつもりだ。GGO出身なので銃撃戦には心得のあるシノンだが、それでも今まで遠距離戦頼りに戦ってきたツケは重い。まだ腐敗コボルド王戦の頃……弓矢だけで戦っていた頃の方が近接適性は高かったのではないかと思う程に、自分が接敵した状態で戦う事に不慣れになっている事、そして他の近接型プレイヤーとの間に大きな溝が開けられている事を思い知っている。

 

『ええ、構いません。シノンさんの事情は重々承知しています。太陽の狩猟団としても復帰のお約束ができるならば、今しばらくの休業は受託致します』

 

 太陽の狩猟団の副団長であるミュウは笑顔でシノンからの正式な休業申請を受理した。契約傭兵であるシノンに回せる仕事が現時点では少ない事もあり、また太陽の狩猟団としても新たな局面に向けた再編に追われている事もあってか、特に追及もされなかった。だが、それが逆にシノンに恐怖心を植え付ける。

 これは逆に言えば、来るべき時までに最低でも両腕が揃っていた頃と同等の働きができるまでに実力を回復させていなければ、契約違反と見なして相応の処置を取らせてもらうという脅しである。

 

(今のマイホームは太陽の狩猟団に紹介されたものだし、そろそろ拠点を移すべきかもね)

 

 さすがに口封じされるような危険な仕事を受託した憶えは無いが、知らず知らずの間に暗部に触れてしまっていた場合もある。それに備えて、今のマイホームを売却し、個人資産で新しいマイホームを購入すべきかもしれない。そう判断したシノンは、物件探しも並行せねばならないのかと嘆息する。

 傭兵は金がかかる。身1つで大金を稼いでいるようなイメージが先行する傭兵は、とんでもない金食い虫なのだ。特に≪銃器≫はどう足掻いても弾薬費が嵩む。常に算盤を弾かねばならない。

 契約によって弾薬費はギルド持ちのシノンは破格の待遇であるが、スミスなど大きな仕事を積極的に受託しなければあっという間に資産が溶けてしまうだろう。それを考えれば、独立傭兵とは自由ではあるが、天下の回り物には絶えず悩まされて縛られる存在なのかもしれない。

 終わりつつある街から転送して想起の神殿に至ったシノンは、待ち合わせ場所である<哲学者スコーネの記憶>を目指す。深い森と霧、そして山岳地帯が広がる高難度のステージであり、マップ機能が大幅に制限される。その為か、中堅プレイヤーの迷子が多発し、よく傭兵にも捜索依頼が出されている。

 このステージは人の時代であり、ある意味で4つの時代で最も癖のある。神話とも言うべき神々が跋扈する神の時代、玉座を巡る王の時代、過ぎた文明が立ちはだかる終末の時代。これらに比べて人の時代とは、神が忘れられ、王位が失われ、人による統治と繁栄の時代なのだ。NPC……というよりも人型モンスターがかなり多く、拡大する人間支配に抵抗すべく亜人たちが徒党を組んで襲い掛かって来る事も多い。相手が言葉を発するので、それに躊躇して攻撃を躊躇った隙に……なんて事例も多発している。他にも魔性が蔓延っているせいか、イベント関連も後味の悪いものが多い。全体として人の時代はステージ数が少ないのはせめてもの救いかもしれない。

 いや、そもそも後味の良いイベントを探す方がDBOでは難しいか、とシノンは認識を改める。そうしてスコーネの記憶に転送しようとしたシノンは、いつもとは異なる喧噪を耳にし、柱の陰に身を顰めながら、怒鳴り合っている2つのグループを観察する。

 一方は聖剣騎士団だろう。甲冑とサーマントが特徴的な、いかにも正統派の騎士装備のパーティだ。もう一方はクラウドアースだろうか。全体的に軽装かつ近代的な装備で整えられ、まさしく聖剣騎士団の対極をいくかのような印象を受ける。

 そういえば最近になって想起の神殿の地下ダンジョンの入口が発見されたからか、とシノンは見当をつける。恐らくダンジョンに向かう最中に鉢合わせして、いつものように因縁をつけ合っている内に……といったところだろう。

 今回の地下ダンジョンは、偶然にも発見したのは中立を表明している中小ギルド……確かフェアリーダンスとかいうALO出身者で固められたギルドだったはずだ。難易度としてはそれなりらしく、今の上位プレイヤーならば歯応え的にはやや不満があるらしいが、それでも未発見ダンジョンという事もあってそれぞれが攻略に乗り出そうとしていた。

 だが、フェアリーダンスは権益を何処の大ギルドにも譲渡せず、オープン……つまり自由解放した。これによって未発見ダンジョンは熾烈な探索競争が始まっている。中小ギルドはお宝を大ギルドに高く売りつける為に、大ギルドは他の勢力に差をつける為に、それぞれが縦横無尽に広がる地下ダンジョンへと潜り込んでいるのだ。

 

(えげつないわね。わざわざサインズでオープン公表……これで大ギルドはおいそれと権益主張はできなくなった。中小ギルドなりの今の支配体制と疎かになっている攻略事情に対して『物申す』ってところかしら)

 

 大ギルドと契約しているとはいえ、傭兵であるシノンにも気分が良い右ストレート……とは言い難いジャブ程度だが、それでも犬のように尻尾を振るギルドとは名ばかりの大ギルドの使い走りに比べれば気骨を感じて好意を抱く。ただ、今回のオープン公表が件のギルドにどのような回り回った災難を及ぼすかはまた別の話であり、彼らに『威嚇』をするのはもしかしたら傭兵であるシノンの仕事になるかもしれない。

 

(アームズフォートも本格稼働したし、サインズはルーキーの参入を推進。傭兵ランクはシャルルの森を機に変動があるらしいし、私も他人事じゃない……か)

 

 傭兵を多数失い、サインズは新規傭兵登録キャンペーンを大々的に行っているが、そもそも個人で部隊級の戦闘能力が前提となる傭兵など雑草のように幾らでも生えてくるわけでもない。新参はどれだけ入るか不鮮明だが、あまり期待できないだろう。

 全体攻略率は各々のギルドによって発表は違うが、全体の5割は確実に突破しているというのが共通見解だ。この調子で、更に難度が増すDBOの終着駅にたどり着けるのか甚だ不安である。

 スコーネの記憶に到着したシノンはステージ内転送を繰り返し、スミスに指定された、山間にある村に到着する。目ぼしいイベントもなく、ほとんどのプレイヤーに無視されている山村であり、乳白色の生地に青の波模様を思わす柄を描いた民族衣装を着こんだ人々が細々と暮らしている。

 悪くない、静かで気持ちが安らぐ村だ。アジアや南米にある文明から疎外された村とはこんな雰囲気なんだろうか、とシノンは感傷に浸るも、茶屋の前で呑気に鉄製マグカップで珈琲を啜る、顔の半分ほどを覆うほどのサングラスをかけた全身黒ずくめを発見して気分を台無しにされる。

 

「お早いのね、キリマンジャロさん?」

 

「シノンこそ、待ち合わせの15分前着なんて真面目なんだな」

 

「傭兵は時間には律儀なのよ。私も珈琲貰って良い?」

 

「あ、これは珈琲じゃなくて【ジャ・ライ】っていうこの村の特産だよ。珈琲よりも渋みがあってドロドロしてるけど、DEXにバフが――」

 

 そういう情報には敏いのね、とシノンは熱く語り出しそうなキリマンジャロの言葉を塞ぐように、店員NPCが注ぐ珈琲もどきを口にして、確かに珈琲とはとてもではないが呼べないな、と好みではない味に眉を顰めながらも一気に飲む。

 今日からこの場所で毎朝7時から11時までの4時間の『修行』が行われる。キリマンジャロの師となるスミスの姿は見えないが、時間ギリギリまで彼は登場しないだろう事はシノンも分かっている。あの男はそういう人間なのだ。傭兵として時間は守るが、過分に早く動くこともない。

 予想通り、待ち合わせ時間ギリギリ、午前7時になる15秒前に、スミスは何処からともなく煙草を咥えて現れる。

 

「挨拶は抜きにしよう。場所を移動するぞ」

 

 起立して頭を垂らそうとするキリマンジャロに先制で釘を刺したスミスは、そのまま厚手のコートを翻して村の奥地にある、戦士の修練場へと向かう。人の時代では既に銃器がそれなりに登場し始めており、弓矢などは時代遅れとなりつつある。現実世界で言えば、産業革命が起きた頃合いといったところだろう。よくよく耳を澄ませば、蒸気機関の汽笛が聞こえてきそうな気すらする。

 そんな中でこの山間の民たちは【ドルマ】と呼ばれる、ダチョウのように2足歩行する羽毛に覆われた3メートル強の鳥類に跨り、大曲剣と弓矢で戦う。この修練場で全ての修練メニューをクリアすると【ドルマの羽飾り】がもらえ、≪騎乗≫用のドルマをレンタルできるようになる。高いスタミナ、加速、そして山岳地帯の適性が高いドルマは機動力として重宝するらしいが、かといって替えが利く調達し易い騎獣も多いので、わざわざイベントクリアをするのはコレクター志向が高いプレイヤーくらいだ。

 修練場の利用料金をスミスが支払い、木製の要塞を思わす建造物の奥へと2人を誘う。そこではNPC達が訓練する光景が見え、中には猛獣と1対1の戦いをしている10歳未満の子どももいた。それらはNPCと分かっていても、シノンは彼らの戦士としての誇りを感じずにはいられない。

 

「さて、ここならば監視されるリスクも無い。存分に互いの手札を明かし、また訓練に集中する事もできる」

 

 わざわざプレイヤーがほとんど訪れないNPC管理の修練場を訪れたのは、訓練設備が元から整った場所でキリマンジャロを鍛える為だろう。吊り下げられた火鉢から熱が送られ、山岳地帯特有の寒さが薄まった空間で、スミスはコートを脱ぎ捨て、内部に着込んでいた薄いタクティカルを外す。その下には動きやすい黒のタンクトップであり、相応の筋肉が露わになる。決してSTR特化ではないとはいえ、男として見栄えがある程度には引き締まっている。

 

「提供されたキミのデータから、私なりに訓練メニューを考えた。キリマンジャロ君のスキル構成はよく考えられている。武器系スキルは≪片手剣≫・≪格闘≫、そして≪二刀流≫だ。≪投擲≫・≪バトルヒーリング≫による戦闘補佐、≪暗視≫・≪気配遮断≫・≪罠感知≫にサポート等々、上手く練られている」

 

 シノンがいるにも関わらず、ベラベラと情報を公開するのは、シノンの番に回っても同様に情報を明かすつもりだからだろう。それが互いにとっての人質となり、連帯感を生む。スミスの狙いを少しだけ把握し、同時にスミス自身は自らの手札を明かさないという絶対的な上位にある事を思い知る。

 

「それで、最初は何をするんだ?」

 

 屈伸をしてやる気を見せるキリマンジャロに、スミスは意味深な笑みを浮かべる。

 

「そうだな。まずはお手並み拝見といこう。モンスターと戦ってもらう。訓練用とはいえ、HPはしっかりと削れるから油断しないでくれ」

 

 そう言ってシノンを手招きしてスミスは彼らに与えられた修練場……というよりも木製の広い檻から出ていく。その後を追い、残されたキリマンジャロの前にポリゴンの光が集中していくのを見届ける。

 出現したのは、巨大な干乾びた怪物だ。2足歩行で体格は4メートルほどであり、胴長で針金のように細く、あばら骨は露出している。2対の腕の先は蟷螂を彷彿させ、頭部は萎んだ人間のようだ。バランスを保つように尾だけは太く肥大化している。

 ステージを加味すれば、想定されているレベルは45前後だろう。ならば油断でもしない限りはキリマンジャロの敵ではない。彼は背負う2本の剣、出し惜しみしないという意思を示すように右手にはドラゴン・クラウンを装備し、怪物に駆ける。

 まず先制攻撃を仕掛けたのは怪物の方だ。口内から酸のようなブレスを吐き、キリマンジャロを迎撃する。だが、彼はそれを軽やかに横に跳び、そこから更に間合いを詰めて左手の重量型片手剣で腹を薙ぐ。そこから間髪入れずに右手のドラゴン・クラウンを突き刺し、一気に斬り上げる。

 悲鳴を撒き散らし、怪物は体を回転させて尾を振るう。それをキリマンジャロはリカバリー・ブロッキングで逆に弾き返し、スタミナ回復と同時に≪片手剣≫の連撃系ソードスキルである【アフターレイン】を繰り出す。右手の片手剣から放たれた素早い3連突きに続く渾身の追撃の突きによる計4連撃に及ぶソードスキルは怪物のHPをレッドゾーンまで追い詰める。

 上手い! 一連の攻防の美しさにシノンは思わず見惚れる。自身の手札の強みを活かした、相手の反撃の糸口すらも与えない瞬きすらも許さない剣技。最後の反撃とばかりに4本の鎌を振り回すも、それらの軌道を見切ってキリマンジャロは独立しているかのように左右の片手剣を動かし、攻撃を相殺し、逆に相手が大振りの一撃を狙った瞬間に×印を描くように二刀流を振り抜いて弾き返して隙を作り、そこに右手のドラゴン・クラウンでV字を描く≪片手剣≫の傑作ソードスキルであるヴァーチカル・アークで怪物のガードに回した腕を斬り飛ばし、そのまま胴体を裂く。

 いかにレベル的にはアンマッチだとしても、相応の強さはあったはずだ。下手したらパーティ前提の訓練モンスターだったのかもしれない。いかに≪二刀流≫による火力ブーストがあるとはいえ、相手の攻撃を縫う一撃、怯ませた隙を狙うダメージの効率の良い稼ぎ方、そしてトドメに至るまで洗礼されている。

 最強の傭兵候補は伊達ではない。シノンは彼が師事すべきものなど見当がつかず、スミスも困っているのだろうと思って横目で表情を確認すると、そこにはまるで出来の悪い部下を持ったようなスミスの冷ややかな目があった。

 修練場に戻ったスミスは、まるで皮肉のように拍手を送る。

 

「素晴らしかったよ。なるほど、確かにキミは強い。私が教えるべき事はないだろう」

 

 賛辞に対してキリマンジャロの顔は渋い。当然だ。シノンに気付けたスミスの表情に、キリマンジャロ自身が何も感じないはずがない。

 吸い終わった煙草を放り捨てたスミスは肩を回し、アバターには不要であるはずのストレッチを始める。

 

 

 

「これが『ソードアート・オンライン』だったならば、という前提がつくがね。特に傭兵としては終わっているよ」

 

 

 

 意味が分からない、といった顔をしたシノンは改めてキリマンジャロの戦いを思い出して、気づく。気づいてしまう。彼の致命的な弱点の存在を知る。

 

「今の戦いで何回『ソードスキル』を使ったの?」

 

「……そういう事か」

 

 シノンの言葉で悟ったように、キリマンジャロは天を仰ぐ。

 

「そういう事だよ。なまじスタミナ回復スキルなんて得た事で、キミはDBOでの戦術の基本を忘れてしまっていたようだね」

 

 スタミナ管理。それはDBOの基本にして奥義だ。

 戦闘では凄まじい勢いでスタミナが消費される。故にあらやるプレイヤーは僅かな呼吸を挟む休憩など、戦闘のリズムの中にスタミナ消費を抑える、あるいは回復させる『間』をいかに作るかに苦心する。スタミナ切れになれば、まず戦闘続行は不可能であり、なおかつ全ての攻撃がクリティカル扱いになる。つまり死を意味するからだ。

 故にソードスキルの運用は最大限に抑える。ソードスキルを連発している内はルーキー扱いされる。確かに火力ブーストを考えればソードスキルは強敵を相手にするのには必要不可欠であるが、それは継戦能力の欠如へと直結する。

 これがパーティならば問題ない。スタミナ不足を補うチームワークでフォローできる。だが、ソロ……ましてや傭兵にとって追加増援・消耗戦は日常茶飯事だ。

 電撃戦ならばスタミナ消費を無視してソードスキルによる解決も適切だ。強襲して増援が来る前に逃げれば良い。だが、依頼はそう単純なものばかりではないはずだ。

 

「ソードスキル無しでも≪二刀流≫の攻撃補正を活かせば、片手剣の域を超えたダメージを与えられる。相手をスピーディに撃破する事に念頭を入れ過ぎて、『もしかしたら増援があるかもしれない』という意識が欠如していたな。まずはソードスキルを連携に組み込むのを止めたまえ。ダメージ量ではなく、継戦能力を意識しろ。ここぞという場面を除いてソードスキルは使わない事だ」

 

「ソードアート・オンラインから脱却できていない、か。そうだな。俺らしい問題だったかもしれない」

 

 サングラス越しでもキリマンジャロが視線を下ろしている事をシノンは感じ取る。それを示すように、剣の柄を握る手に力が籠っている。

 だが、逆に言えばソードスキルを連用する癖を除けば、今のキリマンジャロに欠如しているものは無いはずだ。染み付いた癖を抜き取るのは苦労するだろうが、これから解消すればキリマンジャロは問題が無い。

 そんな甘い予想を崩すように、スミスは準備を終えたとばかりに、先程のシノンに対するのとは異なる、『かかって来い』と言うような手招きをキリマンジャロにする。

 

「さて、『大前提』は済んだ。ここからはレッスン1だ。『剣を捨てて』かかって来たまえ」

 

 剣を捨てて? 困惑しているのはシノンだけではないはずだ。キリマンジャロは意味を問おうとしたが、スミスの無言の圧力によって実践あるのみと悟ったのだろう。2本の剣を解除し、拳を握ってスミスへと襲い掛かる。

 

「え?」

 

「へ?」

 

 だが、決着と呼ぶべきかは分からないが、あっさりと勝負は終わる。キリマンジャロの拳に合わせて踏み込んだスミスが彼の襟首をつかみ、背負い投げを決めたからだ。その時間は1秒未満。何が起こったのかは傍目から見ていたシノンには全て把握できていたが、信じられなかった。

 呆然とするキリマンジャロに、スミスは呆れたように目を細める。

 

「何を寝そべっている? 次だ」

 

「…………っ!」

 

 手を使わず、体を跳ねさせて起き上がったキリマンジャロは、今度は油断しないとばかりに左右の拳を使って陽動をかける。顔を狙ったパンチをスミスが軽やかに回避したところに右足の蹴りを放つもそれは空振りどころか、逆に足首をつかまれて転倒に追い込まれる。

 またしても地面に平伏したキリマンジャロは信じられないというように口をポカンと開けている。その表情をしたいのはシノンの方である。

 

「これがキミの『傭兵』としての致命的な弱点だ。剣を用いた戦い方や『ゲーム』という枠組みでの戦い方ならば一流でも、『喧嘩』や『殺し合い』のやり方を知らない。分かっているのかね? 今の2回の転倒で、キミは2回死んだ。私ならば2回殺せる」

 

「おぉおおおおおおおおおおお!」

 

 ふらふらと起き上がったキリマンジャロは、これまでの戦いの全てを否定するようなスミスへと拳を振りかかるも、今度は殴らせてすら貰えない。裏拳で手首を弾かれ、喉に突き手を決められ、怯んだ隙に肘打で鼻を潰される。

 

「キミは歪んでいるのだよ。『殺し』を知っている。『命のやり取り』も経験している。だが、それらの基礎が歪んでいる。それはモンスターならば通じるだろう。『殺し』を経験した事も無いプレイヤーならば敵にもならないだろう。だが、傭兵は違うぞ。剣だけの戦いでは終わらない。策を使い、相手の良点を潰し、本気でキミの命を刈り取る。たった1つに固執しない。キミを容赦なく≪二刀流≫も、培った剣術も使えない場面に陥れる。独壇場から引きずり降ろされた時、キミはどう戦う? 尻尾を巻いて逃げるかね?」

 

 頭をつかまれ、顔から地面に叩きつけられたキリマンジャロの後頭部をスミスは踏み躙る。STR任せに起き上がったところに、潰れたばかりの鼻へとスミスの爪先がクリーンヒットする。

 赤黒い光が飛び散り、3メートルは飛んだだろうキリマンジャロにスミスは燐光紅草を投げる。修業とはいえ、HPは減り続けるのだ。

 

「武器は自分の強さを勘違いさせる。人はか弱いからこそ、武器を持つとそれが『強さ』だと増長する。舐めるなよ、『小僧』。格闘戦は全ての基本だ。動きを見て分かったが、キミのルーツは剣道のようだな。だが、それを極められなかった。それどころか修め切れてすらいない。『諦めた』な?」

 

 ビクリ、とキリマンジャロの体が硬直する。それを見逃すはずもなく、スミスは大振りの蹴りでキリマンジャロの回避を誘ったところで、即座に可変蹴り……軌道修正した蹴りでその首へと命中させる。

 これが現実の肉体ならば首の骨が粉砕されて死亡、良くても首から下が不随になっていただろう。

 

「レッスン1『格闘戦』だ。何を見ている、シノン君? 隻腕でも戦い方くらいはあるだろう。2人がかりで1発くらいは私に入れてみろ」

 

 普段のスミスからは想像できない、仕事中にすら見せない冷たく厳しい声音に、シノンが思い浮かべたのは『鬼軍曹』という単語だった。

 そして地獄が幕を開けた。

 

「視線を読むな! 今の見切り、私の視線から判断したな? 馬鹿者が! 視線で軌道を読まれるような攻撃をするのは素人だけだ! それ以外は全て『誘い』だと思え!」

 

 スミスの罠に嵌ったキリマンジャロの左腕が捩じられる。

 

「背後からの奇襲にはテンポを外せ! 相手の攻撃を空振りさせろ! 回避される事を前提で攻撃を組み立てろ!」

 

 背後から殴りかかったシノンは逆にミドルキックで迎撃されて腹を潰される。

 

「左右のコンビネーションは悪くない! だがリズムのパターンを多様化させろ! 見切られるぞ! あとパンチは顔を狙うものではない。腹と胸を狙え! 的が大きければ大きいほどに当てやすい!」

 

 首を振ってキリマンジャロの連続パンチを躱し、そのまま顎に蹴り上げを喰らわせ、追撃の踵落としで沈黙させたスミスの怒声が響き渡る。

 

「一撃離脱はテンポが単調になり易い! カウンターを回避することばかりに気を取られて攻め切れてもいない! 何をしたいのかね!?」

 

 DEXを活かしたキリマンジャロを潰した隙の首を狙った手刀を逆につかまれ、シノンは数メートル上空に投げ飛ばされる。

 ひたすら、ひたすらひたすらひたすら、スタミナ切れになって回復してはスミスに挑む。汗が飛び散り、ニオイが充満するのも気にならなくなるくらいに、本当の肉体ではないかと思う程に動悸が激しくなり、体の芯が痺れて動かなくなっていく。

 

「これくらいで良いだろう」

 

 11時ピッタリになると同時にスミスは、煙草を取り出して咥える。彼の前には、ぐったりと、汗でびっしょりになり、荒々しく呼吸を繰り返すシノンとキリマンジャロの姿があった。シノンは両膝をついて頭を垂らして光が消えそうな目で舌を出してスタミナ切れに耐え、キリマンジャロは大の字になって動かない。

 

「落第点だ。2人ともそれでよくこれまで生き残れたものだな。そして無様だ。2人がかりで1発も当てられないとはね。どうやら、根底に人を攻撃する事に恐怖心があるようだな。それでは何年経っても私にはキミ達の拳は届かない。チンピラ以下だ」

 

 心を折りにくるスミスの言葉に、シノンは反論の余地など無いと歯を食いしばる。

 隻腕だったなど理由にもならない。2人がかり……それも傭兵ランク1桁のトップがタッグを組んだのだ。スミスも1桁ランカーとはいえ、戦力的には2人の方が上だったはずである。

 得意分野で戦えば良い勝負ができるのは当たり前だ。武器があれば、必然と間合いの取り合いになり、互いの攻撃手段が多様化する。しかし、格闘戦は必ず互いの間合い内での潰し合いになる。

 キリマンジャロの神の域にある反応速度も意味を成さなかった。シノンのDEXも武器になり得なかった。一撃離脱を狙っても、同時に攻め入っても、何もかも防がれ、躱され、叩き潰され、挙句に同士討ちにされる。

 

「能動的殺意が足りない。それがキミ達の最大の課題だな。この村には温泉もある。汗を流して、マユくんの捜索をしたまえ。ハッキリ言おう。キミ達には失望したよ。次の訓練日は追って伝える。それまでに『最低限』は整えてくれていたまえ」

 

 鬼だ。本当に……鬼だ! スミスは自分たちと比べてほとんど汗らしきものを流していない。それどころか、スタミナ切れにすらこの4時間で陥っていない。つまり、戦闘中にもしっかりとスタミナを回復させる間を重ね続けていたのだ。それだけ無駄な動きを省き、相手の動きを見切り、最小限の行動で済ませていたのだ。

 立ち去るスミスはシノン達を振り向きもしなかった。それはまるで弟子が自分の力で立ち上がる事を期待しているようにも、あるいはこの程度で心折れるならばそれまでと吐き捨てているようにも思えた。

 剣を握れば、銃を持てば、キリマンジャロもシノンもスミスと『良い勝負』が出来るだろう。だが、演目を変えてみればこの様だ。なるほど。これでは確かに傭兵としては2流どころか3流かもしれない。

 苦笑しながらも、たった4時間に過ぎない訓練の中で、何かがつかめたような気がしたシノンは、活力を取り戻し、スタミナ切れから復帰して立ち上がる。

 

「……世の中って広いな」

 

「泣いてるの?」

 

「な、泣いてないさ! それよりもマユさんの捜索をしないと。これも師匠からの試練だからな!」

 

 サングラスを外して目元を擦りながら、説得力ゼロのキリマンジャロと肩を並べてシノンは村にある温泉にたどり着く。DBOには各所に温泉などがあり、それらを発見して巡るプレイヤーもいる。隔週サインズでも温泉コーナーが設けられる程であり、それらには様々なバフもつくので攻略の観点からも有用なのだ。

 番頭らしき老婆はシノンを女風呂に、キリマンジャロを男風呂に案内する。衣服をオミットしたシノンは、鏡の前で死んだ魚の方が愛らしいと思える自分の表情に、自認している以上にプライドを破壊されたようだと嘆息する。

 先客はいないのは当然として、不気味に泡立つエメラルドグリーンの湯を見て、本当に入って大丈夫なのだろうかとシノンは疑うも、熱い湯に浸かれるだけでも上等だとすぐに思考から排除する。何よりも露天風呂なのでロケーションは……残念ながら岩に囲まれて空以外は風景を望めない。

 発汗の機能が備わって以降、プレイヤーにとって風呂事情は死活問題だ。石鹸を擦りつけ、さすがに垢は出ない体を泡立たせ、薬草で出来たらしい香油をシャンプーの代用として髪に擦り込んでいく。泡立つシャンプーに比べて洗っている感覚は薄いが、これはこれで悪くないとシノンは丁寧に香油で髪を洗い、最後にお湯で全てを流す。

 エメラルドグリーンの湯は、ダメージフィードバッグが残滓のように澱んでいた体を労わる。それらは脳内の幻覚に過ぎないものだろうが、それだけにお湯に浸かるという行為によって癒されていく気がした。

 訓練は地獄だっただけに、温泉は心に安息をもたらす。そして、静寂に包まれた山間の温泉だからこそ、丸太を繋ぎ合わせたような壁越しになる男風呂の方から堪えるような嗚咽も嫌でも届く。

 

「……男の子だもんね」

 

 小さくそう呟き、ぶくぶくと口まで湯に浸して気泡を作るシノンは、必死に堪えるキリマンジャロに想いを馳せる。

 プライドもあっただろう。これまでの戦いの礎もあっただろう。同年代でありながらも、彼は自分以上に多くの修羅場を潜り抜けてきたはずだ。なのに、築いてきたはずの力がまるで通じなかった。それがどれだけ屈辱だっただろうか? どれだけ惨めだっただろうか? 何よりも、1人の男として手も足も出なかった。それはきっと、シノンには分からない事だろう。

 

「私たちはきっと強くなれる。必ず強くなれる」

 

 だって、こんなにも悔しいのだから。こんなにも、あの煙草と酒と賭け事に嵌った傭兵に成す術も無かった事が悔しいのだから。

 見返してやる。これは殺し合いではない。訓練なのだ。修行なのだ。ならば、次は幾らでも訪れる。その次に全てをぶつけて乗り越えれば良い。

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

「それで、あの芋虫はなんですか?」

 

 終わりつつある街の南西区画にある、酒場【竜の頭蓋】にて、レグライドはL字型のソファで布団を被って丸まっているユウキを目に、呆れたように呟いた。

 カウンター席で飲んでいた銀髪と切れ長の目が特徴的な女、チェーングレイヴの正規メンバーでありながら、外部での活動を主とするジュリアスは、頬杖をつきながら答える。彼女は数日間にも及ぶユウキのレベリングと称したストレス発散のダンジョン籠りに付き合っていたのだが、帰ってきたらこの様だったのである。

 

「ダンジョンにいた間に、山ほど【渡り鳥】からのメールが溜まっていたのよ」

 

「ああ、それで……」

 

 事情を瞬時に察したレグライドは、青春しているなぁ、と苦笑する。

 ダンジョン内ではフレンドメール機能が制限されるので、メール受信すらできなくなる。恐らく、ユウキはダンジョンから出た瞬間に山ほど受信したフレンドメールを見てあんな風になってしまったのだろう。

 

「ユウキ、気にする必要ありませんよ。DBOの仕様を考えれば、メールの返信が2、3日遅れた程度で……」

 

 だが、ユウキはもぞもぞと布団から泣き腫らした目をジロリと向ける。どうやら、相当に参っているようだ、とレグライドは頭を掻いた。

 ユウキが【渡り鳥】を匿っていたのはチェーングレイヴにとって周知の事であるが、彼女の変調は今後の計画に大きく影響を及ぼす。

 ここは気晴らしと、懸念材料の解決も込みで、1つ仕事をこなしてもらうとするか、とレグライドは算段を立てた。

 

「分かりました。じゃあ、気晴らしで1つ仕事を頼みます。ボスからの仕事ですから、しっかりこなしてください」

 

「ボスから?」

 

 布団を頭から羽織ったまま、ユウキは『本当だろうね?』という疑いの眼を向ける。正確に言えば、ボスから指示をされたのはレグライドであるが、彼女に任せても問題ないだろう案件だ。

 

「ええ、少し厄介な組織が台頭しているのはご存知でしょう? それの調査をお願いします」

 

「……調査? ああ、もしかして」

 

 心当たりがあるだろうユウキは、厄介な仕事だと言うように目を細めた。

 

「それって財団のこと?」

 

 財団。それはシャルルの森の後処理に3大ギルドが追われている最中に突如として登場した武器販売組織である。

 何処に工房を持ち、いかなる目的を持ち、どれだけの規模と人数編成なのか、全てが謎。分かっているのは、彼らは反体制だろうと大ギルドだろうと犯罪ギルドだろうとお構いなしに武器を売り捌いている事だ。

 既にチェーングレイヴでも財団の調査を進めているが、今以って尻尾もつかめていない。確かに調査すべき対象ではある。

 

「いいえ。財団はノータッチでお願いします。ボスが『今はまだその時ではない』と。どうやらボスには心当たりがあるみたいですねぇ」

 

 というよりも、財団は危険すぎる。既に調査に派遣した者が生還していない事実をレグライドは呑み込む。百戦錬磨、諜報にも長けたチェーングレイヴのメンバーが追いかけた瞬間に消されたのだ。まだ正体の形も見えていない相手に、最高戦力の1人でもあるユウキを投入するわけにはいかない。そんな真似をしたらマクスウェルに殺されてしまう。

 

「これがターゲットの情報です。しっかり目を通してください。まぁ、気軽なお散歩程度ですよ」

 

 ファイルを受け取ったユウキは、あまり乗り気ではないといった様子ながらも、中身を確認する。

 

「……ターゲットは神灰教会ね。うん、分かった。やるだけやってみる」

 

▽    ▽    ▽

 

 

「納得いきません! いかないって言ったらいきません!」

 

 ボスボスとクッションを殴りつけるツインテールの少女、シリカを横目に、自分の執務室はストレス発散の場所ではないのだが、とキバオウは手を額にやる。

 

「そこまで言うんなら、UNKNOWNはんに無理言ってでも付いて行けば良かったやないか」

 

「キバオウさんは分かっていませんねぇ。男心を分かって退くべき時は退く。これも立派な戦略なんですよ」

 

 だったらストレス発散で、キバオウが時間をかけて揃えた家具をサンドバッグにしないでもらいたい、と無い胸を張るシリカに内心でキバオウはツッコミを入れる。

 現在、3大ギルドはシャルルの森から始まった激動によって何処も他勢力に構っている暇は無く、傭兵の仕事も滞っているので暇と言えば暇なのだ。なので、UNKNOWNの自由時間が欲しいという要望をキバオウは受託した。

 そもそも、これまでがラストサンクチュアリに縛り付け過ぎていたのだ。戦力もようやく形として整う程度になってきたので、キバオウとしてもUNKNOWNに依存しない戦力調整を進めるべく、UNKNOWNの自由行動を認めるに至った。

 訓練中の部隊、中古のゴーレム、そして拠点防衛設備の導入はいずれも順調だが、万全とは言い難い。仕事も山のように積まれ、キバオウの疲労はピークに達しかけているが、それに屈するわけにもいかない。

 

「そこまでストレス溜まってるのなら、ワイの仕事を1つ片付けてもらいたいものやな。正直、厄介な案件を抱えてるんや。シリカはんの力を借りたい」

 

「結構です……と言いたいですけど、相応の報酬をくれるなら引き受けましょう」

 

「これが調査対象や。ワイらラストサンクチュアリにとっても、連中の台頭は見逃せん。それに、どうにもきな臭い連中なんや。事が起きる前に全貌を知りたい」

 

 これまでの調査資料を受け取ったシリカは、怪訝そうな目でタイトルに刻まれた調査対象の名前を読み上げた。

 

「神灰教会ですか。私、祈る神様に心当たりがないんですけどね」




今回のテーマ……『感染』

言葉は不要ですね。

それでは、197話でまた会いましょう。

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