SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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続・VS深淵の魔物です。
さすがに大物相手というだけあって、黒い人サイドに寄り道する隙間はありませんので、主人公(白)サイド一貫となっています。



Episode16-14 導き

 逃げるしかない。戦えない者にできる最大の援護とは、戦える者の邪魔をしない事だ。

 頭では分かっていても、グリムロックは自分の選択を恥じる以外に無かった。

 グリセルダを探し出す。グリムロックの断罪の旅を終わらせる。クゥリにとって、それはいかほどの価値があるのかは分からないが、彼はそれを律儀に守り続け、そして砂漠から1粒のダイヤモンドを探し出す為に、クラウドアースと取引をした。

 シャルルの森の激戦。ユウキは多くを語らなかったが、チェーングレイヴに協力した時点でグリムロックは大よその事態を教えられていた。だが、10日間も眠り続けたクゥリがどれ程の死闘を繰り広げたのかを想像するのは難しく、そして想像すらも上回る戦いだっただろう事は間違いないだろう。

 目覚めたクゥリは、何ら躊躇なくグリムロックに手を差し出した。あの時、彼の手を取った事は後悔していない。だが、こうした事態に陥ったのは、自分の見通しの甘さが招いた事のようにしか、グリムロックには思えなかった。

 最前線の、それもメインダンジョンではなく、軒並みにステージよりも高難易度である傾向が強いだろうイベントダンジョンと睨まれている地に至るならば、万全を期すのは当然だ。だが、グリムロックは自身の貧弱さを、クゥリが守ってくれるという言葉に甘えていた。彼ならば、あらゆる難敵を打倒できるだろうと、心の隅で楽観視してしまっていた。

 見ただけで分かる。あの深淵の魔物というネームドは『異常』だ。桁違うとか、そういう表現ではなく、存在そのものが異質なのだ。それが多くのボスやネームドと対面した事が無いグリムロックでも肌で分かってしまった。

 それを相手取るだけの精神力を持つのは、上位プレイヤーでも更に限られた者達……本物の戦士だけなのだろう。それがノイジエルであり、ベヒモスであり、クゥリだ。他の物達がどれだけ威勢よく挑もうとも囮にすらならないだろう。

 

「心配ですか?」

 

 スタミナの限り走る中で、先頭に立つエドガーは問いかける。ここに来ても、エドガーの声音は緊迫感こそあれども、それを表面に出す程に逼迫していない。それは十分に魔物と距離を取っているからではなく、別の理由……自分ならば生き延びられるという確固たる自信があるからだろう。彼もまた、本来ならば魔物と対峙するだけの実力と精神を持った戦士である証拠だった。

 当然だ。ある意味で、不気味なまでに落ち着いているエドガーに、グリムロックは半ば八つ当たりのように睨む。分かっている。この場にいるのは、恐慌状態にある晴天の花のメンバー、そして仲間達の死にショックを隠せない聖剣騎士団と太陽の狩猟団の生き残り数名であり、平常心を保っているのはエドガーのみだ。この場面で、あのネームド級とは言わずとも、強化巨人兵が出現でもすれば、クゥリ達が決死の時間稼ぎをしてくれたというのに新たな犠牲者が出てしまう。

 

「クゥリ君は強い。私は信じている……信じる以外にない」

 

 それが、彼と共にこの死地に跳び込んだグリムロックの責任だ。

 

「盲目の羊ですな」

 

 だが、それに対してエドガーはぼそりと呟く。

 

「グリムロック殿、狼はどうして強いかご存知ですか?」

 

「……それは、狼は生まれた時から強いからでしょう?」

 

 虎は生まれた時から強い。そんな曖昧な決まり文句が脳裏を過ぎったグリムロックの返答に、エドガーは『にっこり』と笑う。

 

「ええ。確かに狼は生まれた時から強い。捕食者であり、生態系の頂点だから当然です。ですが、それは100点の答えではありませんね。狼が強いのは『獲物を狩らねば死んでしまう』からです。獲物を狩れない、縄張りを守れない、種を残すに値しない、そんな個体は淘汰され、死滅し、より優れた個体だけが生き残る」

 

 何が言いたのか分からない。グリムロックは訝しむも、エドガーはにっこりと笑うばかりだ。

 

「狼は強い。ですが、それは『強くなければ生き残れない』からですよ」

 

 エドガーが何を言いたいのか、グリムロックは理解しようとするのを一瞬だけ拒み、だが咀嚼し、消化し、背筋を冷たくする。

 確かにクゥリは強い。だが、その強さを証明し続けているのは、彼自身が死線を生き抜いた結果だ。

 ならば、彼の許容を超えた脅威ならば、強さなど関係なく敗れる。それはクゥリに限った事ではなく、この世の真理なのだ。

 

「それでも、私は信じます」

 

 しっかりと前を向き、スタミナが許す限りの逃走を続けるグリムロックの宣言はする。

 グリムロックは知っている。専属鍛冶屋として、彼の傭兵業を、その過酷な戦いの日々を、たとえ同じ戦場に立つことはできずとも、武器や防具を提供し続けたからこそ、彼の強さとは何たるかを知っている。

 たとえ全ての武器が砕かれようとも、身を守る防具を失おうとも、決して彼は戦いにおいて心が折れる事は無い。そうでもなければ、左目を失った時点で彼は第一線を退いているだろう。

 

「彼は私とグリセルダを引き合わせると言ってくれました。私の目的を成す事を支えると『傭兵』として誓ってくれました。彼は決して契約を破りません。ならば、必ず生きて戻ります」

 

 グリムロックに回答に対し、エドガーは静かに微笑む。そこには確かな満足感があるようにも思えたのはグリムロックの勘違いではないだろう。

 

「グリムロック殿にとって、【渡り鳥】殿こそが導きだったのですね」

 

 導き。そうとも言えるのかもしれない。クゥリと出会った暗闇の底で、彼は罪を告白し、目的地も見えぬ贖罪の旅を導く指針を……古き時代に多くの旅人に道筋を示した夜空に輝く北極星のような、導きを得たのだ。

 それは星の光ではなく、まるで旅人を癒し、温め、寒さを忘れさせてくれるような、揺れる篝火の温もりと輝きだった。それを導きと呼ぶのは、決して不釣り合いでも、不相応でもない。

 

「ならば、このエドガーは我が神の導きの下、グリムロック殿を守護致しましょう!」

 

 そう言って無造作にグリムロックの頭上へとショットガンを向けるとトリガーを引き、今まさにグリムロックに落下していた影を撃ち砕く。

 同時に周囲に悲鳴上がる。何事かと数秒遅れで周囲を見回したグリムロックが見たのは、体長50センチにも到達しそうな、蚤を思わす外観をした赤肉色のモンスターたちである。多足で鈍足のようだが、その代わりと言わんばかりに高いジャンプ力を持ち、頭部の半分以上にもなる瞳の無い黒の目玉動かしながら、縦割りの顎を披露する。口内には舌の代用のような針があり、それは唾液でヌメヌメと湿っていた。

 

「いやぁあああああ!」

 

「離れろ! この怪物がぁあああ!」

 

 数十体の落下から逃げきれなかったアニマは肩を怪物の針で貫かれ、動けないように倒れている。それを咄嗟にギンジが片手剣で払い除け、続く飛びかかった蚤たちをマックスレイが分厚い両手剣を闇雲ながらも力強く振るって吹き飛ばす。

 麻痺状態になるのだろう。肩を貫く蚤を撃破されてもアニマは動く気配が無い。強化警棒で数任せにジャンプで飛びかかって来る蚤を弾くグリムロックだが、そのジャンプ攻撃の勢いは思いの外に強く、危うく手から警棒が零れ落ちそうになる。

 HP自体は低いのか、エドガーの銀の剣の数連撃にも耐えられずに蚤達は次々と撃破される。深淵の魔物から逃げて来たとはいえ、蚤相手ならば聖剣騎士団や太陽の狩猟団の上位プレイヤー達もお手の物だ。だが、それでも浮足立っているのはリーダー不在であるが故の不安からか。

 

「針は麻痺攻撃ですな。グリムロック殿、注意してください。【バルシャール】殿、アニマさんを背負いさなさい。あなたはSTR重視だったはず。彼女ならば背負っても十分に走れるでしょう」

 

「エドガーさん、俺の名前を憶えているんですか?」

 

 戦槌と盾の装備で、しっかりと蚤を盾でガードして戦槌で仕留める聖剣騎士団の上位プレイヤーは、自分の名前を知っているエドガーに驚いている様子だ。それをエドガーはにっこりと笑う。

 

「よく頑張りましたね。あなたは補欠の頃から人一倍に努力家でした。必ず主力になれると思っていましたよ」

 

「……はい!」

 

 感激したのか、バルシャールは武器を収め、アニマに背中を貸して蚤達から逃れるべく駆ける。殿を務めるのはエドガーや他の上位プレイヤー達であり、次々と天井に張り付いていた、暗闇のせいで見落としていたのだろう、卵より落下してくる蚤達を迎撃する。それを的確に援護するのはギンジの矢であり、マックスレイも火炎壺を投げるなどしてせめてもの牽制をしている。

 

「畜生が! コイツらの攻撃は感染付きだ! もう感染率がヤ――!」

 

 蚤のタックルを腹に受けた太陽の狩猟団の上位プレイヤーだろう、軽装寄りの革防具を取り付けた曲剣使いが叫ぶ。彼は左手のボルトを使い切ったクロスボウを捨て、曲剣で蚤をなんとか叩き落としていくが、明らかな焦りのせいで精度が悪い。その隙を突かれて蚤の1体に右太腿を喰らいつかれ、針を刺される。強力な麻痺攻撃なのだろう。アニマと同様に一撃で麻痺状態になった彼は転倒し、蚤達が群がっていく。

 助けなければ! グリムロックはブレーキをかけ、焼夷手榴弾を握るも、それをエドガーは腕を伸ばして制する。

 

「なりません! 彼はもう手遅れです!」

 

 瞬く間に5体や10体では利かない、それこそ数十体以上の蚤に押し潰され、悲鳴すらも漏らす隙間もなく、ただ隙間から伸びる左手だけが救いを求めるように震えている。だが、それも5秒ほどの事だ。赤黒い光となってアバターは飛び散る。

 これで聖剣騎士団の上位プレイヤーは残り2人、太陽の狩猟団も2人、エドガーも込みならば戦力は5人だ。内の1人はアニマを運ぶ為に戦えず、エドガーもついにショットガンの弾が切れたのか、銃器をホルスターに戻して両刃剣モードにして蚤達を追い払う。

 

「こんな所で死んでたまるかぁあああ! 帰るんだ! 俺達は帰るんだ! 必ずやり直すんだ!」

 

 叫びながらもこの土壇場で集中力が高まっているのか、矢の精度は良くなり、彼の攻撃はエドガーの両刃剣の嵐を強引に突破しようとする蚤達を撃ち落とす。

 

「……こんなに強かったのか」

 

 それに驚いているのは他でもない、晴天の花のリーダーであるマックスレイのようだ。

 抑圧されていた闘志が、この不条理の中で爆発した怒りが、ギンジに力を与えているかのように、矢は次々と蚤の頭部を貫いていく。その援護は効果大らしく、迎撃によって速度が落ちていたエドガーも逃走へと割けるだけの間が生まれている。

 

「ここは連中の巣だ! 早く外に出ないと全滅する! エドガーさん!」

 

 あの採掘場から不自然に開いた横穴、それはこの巨大蚤たちの巣穴に開いたものだったのだ。それでも深淵の魔物に比べればマシな危機ではあるが、このままでは数の暴力で磨り潰されてしまう。

 エドガーの援護で焼夷手榴弾のピンを抜いて蹴飛ばす。それは蚤の雪崩に呑み込まれ、内部から炎を立ち上げて数十体を丸焼きにする。エドガーは回復した魔力で灰の刃を地面に撃ち込んでバリケードを作ると、他の上位プレイヤーを伴って加速する。

 

「あれが出口でしょう! グリムロック殿!」

 

「ええ!」

 

 ありったけの焼夷手榴弾を、灰の刃のバリケードを突破した蚤達の進路に投げる。それは炎の壁となって蚤達の動きを止め、微かな光が漏れる巣穴の出口へと逃げ込むだけの時間をグリムロックに与える。

 犠牲者は1人だ。それはあの危機を突破したにしては少ない犠牲かもしれないが、深淵の魔物を相手に決死の時間稼ぎを挑んでいる3人から託された、大切な命でもあった。

 無力だ。スタミナは残されていながらも、精神が追い付かずに、息絶え絶えに汗を滴らせながらグリムロックは膝に手をつく。

 

「完全に弾切れです。グリムロック殿、【渡り鳥】殿のアサルトライフルをお持ちだったはず。失礼ながら、私に預けていただけないでしょうか?」

 

「この状況です。彼も認めるでしょう」

 

 クゥリのアサルトライフルをエドガーに譲渡するも、肝心要の弾薬はグリムロックが所有する予備しかない。ましてや、衝撃もスタン蓄積もショットガンに及ばないアサルトライフルでは、エドガーの戦闘スタイルの穴を埋めることはできない。

 それでも無いよりはマシだ。左手にアサルトライフルを装備したエドガーは、虎の子だろうバランドマ侯爵の万能薬をアニマに飲ませる。それは即座に麻痺を回復させ、動けずにいたアニマに自由を取り戻させた。

 だが、身動きができるようになったアニマにあるのは安堵ではなく怯えである。ガタガタと震え、瞳を迷わせている。

 

「どうしよう……感染率が……感染率が90パーセントを超えたわ」

 

「あの蚤の攻撃か。ダメージよりも感染率を大きく引き上げるみたいだな。エドガーさん、何か感染率を回復させる手段に心当たりはありませんか!?」

 

 縋る様にマックスレイが問うも、エドガーは苦々しそうに沈黙を貫きながら首を横に振る。それに対して、マックスレイは無念そうに拳を地面に叩き付けた。

 

「残念ながら、≪薬品調合≫は持っていませんし、そもそも素材もありません。お力になれず、申し訳ありません」

 

「月光草なら持っているわ。でも、黒色マンドレイクが無いし、≪薬品調合≫も……」

 

 生き残った、ヒーラー系だろう、明るい栗色の髪をボブカットにした太陽の狩猟団のメンバーは、言い難そうに着ているローブのフードを被り直す。

 

「嫌……嫌ぁあああ! 死にたくない! 死にたくないよぉ!」

 

 頭を抱えて、パニック状態となって叫び散らすアニマに、グリムロックは拳を握って顔を俯ける。

 解決手段が無い。今はひたすらに、感染の恐怖に怯えて前進する以外に無いのだ。

 

「……まだだ。まだ、アニマは救える。【渡り鳥】は≪薬品調合≫を持っているんだ」

 

 だが、そんなグリムロックの後ろ暗い決心を揺るがすように、静かにギンジは呟いた。

 

「今から【渡り鳥】の援護に行きます。それしかない」

 

「犬死ですな。ギンジ殿、感情で動いても勝ち目はありません。もう1度あの蚤の巣穴を突破するなど、単身では自殺行為ですぞ」

 

「だったら……だったら、どうすれば良いって言うんだ!? このままアニマを見殺しにするしかないのか!?」

 

 エドガーの襟首をつかんで、ギンジは感情のままに殴りつけようととして、それが自分勝手な行為だと戒めるように、振り上げた拳を壁に向ける。

 彼も本当は分かっているのだ。自分の弱さと無力を。それでも叫ばずにはいられない。無謀と言われようとも行動に移すしかない。

 

「……先に進みましょう。アニマさん、感染率の正確な数字を教えてください」

 

 タイムリミットを知る為に、動揺するアニマへとグリムロックはやんわりと尋ねる。だが、彼女の唇は動かない。下手に感染率を伝えれば周囲に見捨てられてしまうと思っているのだろう。

 だが、どちらにしても90パーセントを超えたならば残り数時間がリミットだ。それまでに≪薬品調合≫を所有するプレイヤーと合流し、なおかつ黒色マンドレイクを発見しなければならない。

 

「ここは地下鉄のホームに似ていますね。もしかしたら……」

 

「ええ。古いナグナにたどり着いたのかもしれません」

 

 グリムロックは不安に駆られながらも、自分達が逃げ出してきた蚤の巣穴の横穴から通じていた、レールが敷かれた広々とした通路を眺める。天井では蛍光色の非常灯が静かに暗闇を照らし、死体が転がる駅のホームのような空間へと誘うように点滅している。

 赤黒い液体に濡れた梯子がホームに上がる為にかけてある。グリムロックは強化警棒を握りしめて、周囲を警戒しながら近寄るが、それを許さないとするかのように、レールが敷かれた暗闇より何かが……それも多量の何かが迫る音が聞こえてくる。

 それは20体を超す6本腕の群れだった。更に、その背後からは彼らに先導されるかのように、クゥリを苦しめた強化巨人兵が、もはや丸太とも言うべき警棒を装備して地響きを鳴らしながら迫っている。

 強化巨人兵が巨大警棒を振るう。それと同時にエンチャントされたかのように強化警棒が雷撃を纏う。対してエドガー達は6本腕と強化巨人兵に対抗すべく横並びに立つも、彼らだけではその数を完全に防ぎきることは不可能だ。

 

「逃げましょう! 早くホームへ!」

 

 そう叫んでグリムロックは晴天の花の前を走り、梯子に向かう。今ここで出来る援護と言えば、彼らの邪魔をしないように逃げること以外に無い。

 逃げて逃げて逃げて……それで何処に行くと言うのだろうか? ここで彼らと逸れれば、それこそ自分たちには死しか訪れないというのに。

 

(それでも……それでも希望に縋るしかないんだ!)

 

 ここまで来たのだ! ようやく、グリセルダの手がかりを見つけたのだ! 死ねない。死ぬわけにはいかない! グリムロックはただその意思を胸に、恥も、情けなさも、己の弱さも拭い捨てて、逃亡の火を掲げる!

 だが、最後の逃走路を潰すように、複数の足音が駅のホームを響かせる。鉄格子に手をかけていたグリムロックは、やはりこの世界に……仮想世界に神などいないと、目を見開く。

 駅のホームに躍り出たのは、全身を暗色の迷彩装備で固めた、ガスマスクを装備した兵士たちだった。その手にはライフルが握られ、その銃口をグリムロック達に向ける。

 全ては無情なのか。グリムロックが見たのは、自分達に向けて吐き出された無数の弾丸に伴う銃口より放出された花火のような光だけだった。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 深淵の魔物、その刃が蠢く。エンチャントが施された右腕の剣は黒く蝕まれた紫のオーラが纏わりついていた。

 ベヒモスを餌にして逃げろ。今の状態では勝てない。苦々しそうに、ヤツメ様はそう判断する。体のコンディション、武装の相性の悪さ、敵の情報、その全てに勝利へと繋がる要素が無い。故に、必要なのは戦略的撤退だ。

 

「オレは……逃げない!」

 

 死神の槍を握りしめる。それにヤツメ様は呆れたように目を見開くも、仕方ないというように笑う。ならば、今この瞬間に全てを出し尽くし、あの怪物を喰らい尽してやろうではないかと牙を剥く。

 いつだって戦いは不利だった。あらゆる死線において、完全なる勝利など無かった。常に生と死の境目を歩んだ。

 そして、この戦いにおいては最大の武器である本能すらも互角、あるいは上回られているかもしれない。アドバンテージは何1つとして存在しない。

 回避に全てを。戦いの為に必要な牙をベヒモスに預ける。攻撃の全てを捨て、回避だけに本能を……ヤツメ様の導きを集中させる!

 先に動いたのはどちらだっただろうか。深淵の魔物が突進攻撃を仕掛ける! だが、それと同時に右腕の剣が地面を抉り、火花を噴き上げる!

 ベヒモスではなく、オレへと真正面から突撃した深淵の魔物の攻撃。それを本能でサイドステップ回避から即座に跳び込む事で、左腕の連撃が繰り出されるよりも先にその懐へと入り込む。地団駄を踏んで潰されそうになるが、それをヤツメ様が張り巡らせた感覚の糸を頼りに先読みして躱してそのまま背後まで潜り抜ける!

 旋回と同時の右腕の横薙ぎ。闇のエンチャントが施されたそれを屈んで回避しようとするが、ヤツメ様の糸がオレに絡みついて大きな退避をさせる。

 斬撃の途中で放出されたのは、空間を歪める黒い波動。それは確かな攻撃力を孕んでいるのは確かであり、あのまま屈んで回避していれば、範囲攻撃となった波動によってオレはダメージを免れなかっただろう。

 初見殺しの一撃を避けられていながらも、深淵の魔物に動揺はなく、即座に連撃を仕掛けてくる。だが、それらの攻撃は先程とは回避難度が劇的に異なる!

 任意のタイミングで大剣より放出されるだろう波動による範囲攻撃! それは紙一重の回避を許さず、必ず大きな回避をオレに強要する! 波動の範囲は狭く、せいぜい1メートル半径であるが、どのようなタイミングで使用されるか分からない波動は厄介だ!

 だが、連続使用できないのは確かだ。その証拠に、連続叩きつけ斬りを繰り出す深淵の魔物は、オレの回避速度へと攻撃速度が追い付き始めているのに、恰好のタイミングで波動攻撃を仕掛けてこない。恐らく、相応のインターバルが必要になるのだ。

 そうかと思えば、大きくバックステップを踏んで後退した深淵の魔物は右腕を振り上げ、地面に剣を突き刺す。すると血の海に浸された地面の所々がこれから噴火するかのように闇に覆われ、そこから闇の波動が次々と放出される。何とか回避できたオレに対し、深淵の魔物の側面に回り込もうとしていたベヒモスは鈍足故に逃れきれず、そのHPを2割ほど奪われている。どうやらダメージ自体は大したものではないだろうが、闇術と同質ならばスタミナを削り取る効果があるはずである。CONには相応にポイントを振っているはずだが、スタミナ消費が大きいソードスキルの使用回数が事実上減らされた事になる。

 地面からの闇の波動に紛れ込み、飛びかかりながら左腕の連撃、そして同時に黒いレーザーを深淵の魔物は放つ。連撃を回避したルートにレーザーが飛び、咄嗟に体を捩じって躱すも、更にそこからの直角カーブでオレを追尾する。血の海に右手を突っ込み、指で地面をつかんで体を持ち上げて追尾したレーザーを避け、その間に迫る回転斬りを死神の槍で防ぎ、槍を地面に突き刺してブレーキをかけると、喰らい付き攻撃をしかける深淵の魔物の腹を通り抜けて股抜きする。

 

「おぉおおおおおおおおおお!」

 

 オレを追いかけようとする深淵の魔物であるが、重心を支える2対の後ろ足、その右足の1本にベヒモスのソードスキルが命中し、1テンポだが攻撃が遅れる。

 

「どれだけ硬かろうとも!」

 

 振り向きながら深淵の魔物が大顎を開けるも、ベヒモスは恐れずに硬直復帰と同時に戦槌を振るいあげて下顎をぶち抜く。

 

「攻撃が通じるならば、勝機はある!」

 

 その通りだ。ベヒモスに波動付きの右腕の剣による突き攻撃を放つも、それを彼は左手の大盾でガードする。HPは盾越しでも3割ほど奪い取られ、大盾の表面に亀裂が入るも、彼は耐え抜き、連撃を仕掛けられるより先にオレが深淵の魔物の間合いに入り込む。

 避けろ避けろ避けろ避けろ、避けろ! 左腕の連撃を、右腕の斬撃を、黒いレーザーを、ひたすらに躱し続ける。ヤツメ様が張り巡らせた糸は深淵の魔物に絡みついていく。

 ベヒモスは盾を砕かれれば、また別のタンクの遺品から大盾を回収し、彼らの遺志を武器にするように、張り付くオレを捉えようとする深淵の魔物に捨て身のソードスキルを命中させていく。だが、どうしても硬直時間が短い低威力型のソードスキルに限られ、また攻撃の度に大盾は破損し、せいぜい3度の跳び込みで大盾は使い物にならないまでに壊されてしまう。

 恐らく、あのエンチャントの本領は耐久度減少だ。あの剣の攻撃を受ければ、大盾ですらあの様である。波動攻撃はオマケだ。

 セオリー殺し。そうとしか思えない深淵の魔物は、レイドを組み、役割分担をして強力な個体であるボスを撃破するという攻略法を正面から潰しにかかっているかのようだ。

 死にたくなければ攻撃を躱せ。勝ちたければ、一撃死の攻撃を潜り抜けて反撃しろ。この深淵の魔物の攻略の正答はそうとしか思えない。

 魔物の右腕の大剣の連続叩きつけをオレが躱した瞬間にベヒモスが跳び込む。だが、それを予期していたように、深淵の魔物は血の海を割りながら叩き付けた大剣による回転斬りでベヒモスを迎え撃つ。ソードスキルと激突し、ノイジエルがそうであったように競り負けたベヒモスが弾き飛ばされて背中から倒れる。

 さすがに、これだけオレが回避に撤すれば、こちらの作戦を潰しにかかるのは道理か。

 

「【磔刑】!」

 

 ベヒモスに飛びかかれるより先に、オレは地面に死神の槍を突き刺し、槍衾の森を生み出す。それを高く跳んで躱した深淵の魔物はベヒモスへの攻撃タイミングを失し、彼は起き上がる時間を得る。

 魔力の回復スピードがあまりつかめていないので分かりかねるが、シャルルの時と同様に【磔刑】は連続使用で4回、使えて残り1回とみるべきだろう。

 

「すまん」

 

「お互い様だ。それよりも、もう今まで通りにはいかない。踏み込むにしても慎重になれ」

 

 オレが回避に撤するならば、深淵の魔物は攻撃役であるベヒモスを潰しにかかる。それは時間の問題だった。深淵の魔物のHPは2本目が残り3割である。恐らく、最後の1本に突入すれば、これまでにない能力を解放するだろう。

 と、そこで深淵の魔物が咆える。更なる強化を施すつもりなのだろう。その全身に闇が纏わりつき……今までになく、濃く怪物と同化していく。

 そうして出現したのは、その全身全てをどす黒い硬質な……まるで鎧のようなもので覆った深淵の魔物だった。3本の左腕も隙間なくどす黒い金属が貼りつき、爪からは泥が滴っている。露出している部分は下顎と左目だけであり、それ以外は全てどす黒い鎧に覆われてしまった。

 防御力強化でスピードを落とした? そう一瞬だけ早合点しそうになるが、鎧より溢れた闇が推進剤になっているかのように、先程よりも更に速く、激しく、深淵の魔物がオレに飛びかかる!

 左腕の連撃には感染攻撃が追加されたようだが、そんなものは知った事か! より重要なのは、滴る泥は振るわれる度に発火し、黒い火を纏っている点だ。つまり、連撃の1テンポ遅れで黒い炎が攻撃軌道を追尾するように追加攻撃として機能する! 結果的に回避の自由は連撃数が増えれば増える程に奪われるだけではなく、残り火のせいでベヒモスが跳び込めなくなる!

 口内から吐き出される泥にも発火が伴い、泥の爆発と闇の爆炎によって攻撃範囲が倍化している。今まではサイドステップで何とか回避できたが、思わずラビットダッシュを発動してしまい、余計にスタミナを消費した大きな回避を強いられてオレは舌打ちするも、回避ルートに既に跳び込んでいた深淵の魔物の薙ぎ払いを屈んで躱すも、続くその巨体全身を使った回し蹴りに反応しきれずに死神の槍でガードさせられる!

 糞が……ここにきて……『上回られた』か……! ヤツメ様の糸を……回避に全てを捧げたヤツメ様の導きを……本能の読みを……同じ本能による先読みの『上書き』で完全にこちらを上回りやがったか!

 まずい。先程から左手の感覚が無い。意識が朦朧とする。視界が歪む。呼吸が……熱い。

 深淵の魔物の目がオレから逸れる。もはや、オレはいつでも殺せると判断したかのように、大盾を構えるベヒモスへと向き直る。

 

「糞がぁああああああああ! 舐めるなよ!」

 

 オレはまだ生きている……生きているぞ! もはや握っている感覚が無い左手の死神の槍を振るい、右手の打剣を鞭状にして伸ばす。だが、闇の鎧を纏った深淵の魔物には、伸ばした打剣は火花を散らし弾かれるばかりで、ダメージと思えるようなものが与えられているとは思えない。

 打剣を元に戻し、バランス感覚が失い始めた足でベヒモスを援護すべく駆ける。だが、それよりも速く、深淵の魔物はまず泥を吐きつけてベヒモスのガードを崩し、そこに必殺の刺突を繰り出した。

 

「おぉおおおおおおおおおお!」

 

 それをベヒモスは半ば恐慌状態でありながらも連撃ソードスキルで応じるも、突きの威力を減衰させることはできなかった。だが、ソードスキルによるシステムアシストを受けた動きが奇跡的にも突きの軌道からベヒモスを逸らす。だが、続く剣から放出された波動がベヒモスの体を吹き飛ばした。

 顔から血の海に叩き付けられ、飛沫をあげたベヒモスは起き上がろうとするが、まるで膝が絡まったかのように転倒する。

 

「ぐぉおおお……スタミナが……!」

 

 間に合え! オレはベヒモスに迫る深淵の魔物の懐に再度跳び込むも、もはやオレなど鬱陶しい蠅だと言うように、こちらの回避ルートを完全に予測した左腕の連撃でオレを抉り取ろうとする。

 黒い炎に炙られ、オレのHPが削れる。さすがに炎では一撃死が無いとはいえ、VITが低いオレではHPの減りも早く、1回の黒炎でHPが3割も奪われてしまう。スタミナも削られるとなれば、回復できるHPよりもそちらの方が深刻かもしれない。

 だけど、今は何も考えない。オレは死神の槍を深淵の魔物の腹の下で地面に突き刺し、【磔刑】を発動させる。

 

 

 だが、血の海を破って現れた無数の槍は深淵の魔物の鎧を貫けず、逆にその槍の森は砕かれた。

 

 

 最後の1回。オレにとって唯一とも言うべき、深淵の魔物に大ダメージを与えられる攻撃。なのに、それすらも深淵の魔物にはもはや通じないというのか。

 それでも、ベヒモスからオレに注意を戻すには【磔刑】が十分な仕事をした。彼に襲い掛かるより先に羽虫退治のように、深淵の魔物は右腕の連撃を仕掛ける。

 最初の一閃を跳び越えて躱すも、そこには回避を見切られた横殴りの左腕が既に軌道を描いていた。それを何とか死神の槍を突き出して爪と衝突させることでオレが弾き飛ばされることで防ぐも、着地時点で既に深淵の魔物の必殺突きが迫っていた。

 ヤツメ様の糸は敗れ、導きは追いつかない。そんなオレに出来たのは、もはや死神の槍をその場に突き立てて、そのユニークウェポンの頑丈さに全てをかける事だけだった。

 耐えてくれ! Nの遺志を宿した黒き槍は闇のエンチャントが施された大剣の連撃を浴び、続く左腕の連撃を浴びる!

 亀裂が生まれ、破片が飛び散り、死神の槍が悲鳴を上げる。それでも……それでも……それでも!

 

 

 

 

 

 

 そして、深淵の魔物が放った跳び退き回転斬りが死神の槍を斬り裂いた。

 

 

 

 

 

 柄の真ん中から両断された死神の槍の破片……ポリゴンの欠片が顔に触れる。衝撃がオレを吹き飛ばし、数度血の海を転がす。

 すまない、N。オマエから受け継いだ力だったはずなのに。オマエの誇りを喰らい、祈りを喰らい、命を喰らい、得たはずの力だったのに……オレが不甲斐ないばかりに、その全てに泥を塗ってしまった。

 それでもオレのHPはまだ残っている。死神の槍は折れる最後までオレを守ってくれた。

 

「……分かってるよ、ヤツメ様」

 

 だから、今のオレにできるのは1つだけだ。

 

「ベヒモス、逃げろ。這ってでも……逃げろ。命の限りに逃げろ。あとは……オレ1人で、戦う」

 

「で、きる……ものか! 私は、戦士……だ!」

 

 強情な奴だ。オレは折れた死神の槍をその場で手放す。そして、この場で散ったプレイヤーの遺品の1つを拾う。それは聖剣騎士団の1人が使用していただろう、壮麗なる白銀の剣だ。両手剣だろう、中量級のそれを右手に、オレは瞼を閉ざす。深淵の魔物の息吹が、これでトドメを刺すと言わんばかりの叫びを聞きながら、自らの導きを打ち砕かれて怒り狂うヤツメ様の手を握りしめる。

 

「頼む……逃げてくれ。オマエには……帰りを待ってくれている、人が、いるはずだ」

 

「貴様にも、いる……はずだ! 必ず、いる、はずだ、【渡り鳥】!」

 

「いないさ。オレは好きなように生き、好きなように死ぬ。戦いの中で死ねれば本望だ」

 

 そうさ。オレは『それ』で良い。オマエが生き残ったならば、きっと帰りを泣いて嬉しがってくれる人がいるはずだ。ならば、たとえ今は戦士の誇りを汚されようとも、逃げろ。逃げて逃げて逃げて、無様に生き延びて、情報を持ち帰り、コイツを倒す術を見つけてこい。必要ならばレベルをあげて、戦術を考えて、トッププレイヤーを……『アイツ』を連れてこい。

 

「いるはずだ……貴様にも、いるはずだ! 誰かが! オマエの帰りを待ってくれている人が!」

 

 震える足で、スタミナ切れで満足に立ち上がれないはずの体で、ベヒモスは起き上がる。そんな暇があるならば、さっさと逃げれば良いのに。深淵の魔物の注意が再びベヒモスに動く。ヤツは最後のトドメを確実に刺すべく、大剣に凄まじい量の闇を溜めている。恐らくは斬撃に伴う最大級の範囲攻撃のはずだ。もはや回避させることなく、オレを圧殺するつもりだろう。

 

「誰も……誰もいないさ。オレは悪名高い【渡り鳥】だ。誰も……誰も……誰も……」

 

 ああ、そのはずなのに。

 

 思い浮かべてしまった。

 

 いつも、オレが武器や防具を壊して持ち帰ると悲鳴を上げながらも、嬉しそうに次の装備を考案するグリムロック。

 

 可愛らしい笑顔で、依頼の紹介と一緒にサインズグッズを売りつけるヘカテちゃん。

 

 ワンモアタイムを忙しそうに切り盛りしながらも、顔を出すと必ず笑いかけてくれるアイラさんとイワンナさん。

 

 賭け事で負ける度に泣きついて来るくせに、何かと裏切りが絶えないパッチ。

 

 自らの弱さに向き合い、愛する人の為に強さを手にしてなおも、自身の信じる正しき道を歩んでいるラジード。

 

 どれだけ道を違えようとも、ディアベルの歩む先を見てみたい。シノンとは傭兵同士だから敵対する以上は殺し合わねばならないかもしれないが、そうでないならば愚痴を聞く程度には関係を保ちたい。スミスの煙草は煩わしいが、アイツの皮肉を耳にしながら酒を飲むのも悪くないものだった。

 

 夢の中で出会う、黄金の蝶が誘う先にいる『彼女』にも、もう1度会いたい。今度はどんな本について語らえるのか、少しだけ楽しみだ。

 

 バケモノなのに、オレを『人』として受け入れてくれた、信じてくれた、畏れもせずに抱きしめてくれたユウキに会いたい。

 

 不思議だな。

 

 独りだと思っていたのに。

 

 この世界でも、独りで戦って、戦って、戦って、死んでも何も残らないはずだったのに。

 

 なのに、いつの間にか、この狂える世界で、繋がりが出来てしまっていた。

 

 何故、オレは剣を手に取った?

 

 分かっている。前を見れば、深淵の魔物を睨めば、ヤツメ様が微笑んでくれている。

 

 

「オレはオマエみたいにはなれない」

 

 

 暗闇の中で、黒い光となって未来を切り開く『アイツ』は、シャルルの時は確かに横顔が見えていたはずなのに、今は遠く、その背中をオレに見せ付けている。早く来ないと置いていくと言わんばかりに、自信に溢れたいつもの笑みを浮かべている。

 オレの袖をヤツメ様が引く。『あちら』に行く事はできないのだ、と。どれだけ望んでも、オレは『アイツ』のようにはなれないのだ、と。

 

「揺れる、揺れる、揺れる……揺れるのは、誰?」

 

 吊るされた伯父さんの眼に映るのは、伯父さんの心を貪り、喰らい殺して笑うオレの姿だ。

 ああ、そうか。オレは『楽しかった』んだ。

 伯父さんの心が壊れていく姿が、自ら死に歩んでいく狂った姿が、愛おしくて仕方なかったんだ。

 マシロ。オレは……オマエを殺した時も笑ってたんだな? 目玉を失ったマシロを、ゴロゴロと喉を鳴らす彼女を抱きしめる。それはいつの間にかヤツメ様となっていた。

 不思議だね。あなたを受け入れて、一緒に生きる事を選んで、向き合い続ける事で変われると思っていたのに、余計に自分がケダモノだと気付かされる。

 それでも、不相応でも、望んで良いんだよね?

 いつも奪ってばかりだった、殺してばかりだったオレでも、誰かが待っていてくれると望んで良いんだよね?

 

「救いはそれを求める人の心の中にいつもある」

 

 祈れ。それは導きだ。闇夜で道を踏み外さぬ為の光だ。

 

「救われるべき者は手を伸ばさないと救われない」

 

 ヤツメ様の糸が広がる。もはや巣は張り直された。

 

 深淵の魔物が突撃する。闇が凝縮された大剣を振り上げている。それは振り下ろされると同時に前方全てを呑み込む闇の波動を生み出すも、オレは敢えて多連撃が襲うはずの左腕側に跳び込む事でそれをあっさりと躱す。

 深淵の魔物の左目がオレを追う。重瞳の眼がオレを睨む。

 

「今度はこちらの番だ」

 

 さぁ、ここからは喰らい返す時間だ。オレとヤツメ様は重なり合い、共に笑う。

 駆ける。繰り出される左腕の連撃、それに追随する黒い炎。確かにそれらは脅威だ。こちらの回避ルートを連撃の回数が増えれば増える程に減らしていく。

 ならば最初から避けない。軽やかにバックステップを踏み続け、多連撃で魔物はオレを追うも、炎は後追いなので、後退するだけのオレには効果を成さない。

 そこからリーチのある右腕の大剣。その連続斬りを、オレは最初の一閃が来た時点で、前に踏み込みながら右に揺れて躱し、続く2発目が来る頃には左手の銀の剣で下顎を斬り払う。そのまま腹まで移動するも、地団駄を踏む押し潰しと見せかけた縦回転斬りが来るのは『分かっている』。

 横に1歩。それだけで縦回転斬りを躱す。着地と同時に、これまでのお返しとばかりに、その下顎に打剣を突き刺す。

 ギミック発動。突き刺した状態で、肉が硬く、打剣が抜けないならばギミック発動によって鞭形態に『突き刺さった』状態で変形させ、STR出力を最大限にして退避しながら引っ張る。

 荒々しく引き抜かれながら、内部で分裂した刀身は肉を引っ掛け、抉り取りながら抜けていく。それは醜く傷口を広げ、盛大に赤黒い光を飛び散らせる。

 暴れる魔物は遠退いて距離を取り、黒いレーザーを放とうとする。だが、それは後ろに跳んだ瞬間に、いや、それよりも前に駆け、着地地点に先回りするように立つ。魔物と目が合い、微笑む。

 

「穿鬼」

 

 その鼻っ面に穿鬼を放ち、強烈な打撃が深淵の魔物を押し飛ばす。それは確かなダメージを与え、深淵の魔物に今までの積み重ねが効果を発揮したかのように、ついにダウン状態にさせる。それと同時に魔物が纏っていた闇が全て霧散し、鎧が剥げ落ちた。

 

「ダウンすれば鎧は剥げる。良い情報だ。『次』は今回のようにはいかない」

 

 今回のところは負けを認めよう。オレ達が入って来た採掘地の入口から流れ込む人影を見ながら、オレは再戦を誓う。

 それはガスマスクをつけた、暗色迷彩の兵士たち。彼らは『プレイヤーカーソル』を頭上に光らせ、次々とダウン状態にある深淵の魔物へと黄色いガスを噴出する筒をバズーカのようなもので射出する。

 高濃度のそれを吸った深淵の魔物は、僅かにだが動きを止める。麻痺状態か。だが、長くとも10秒……いや、5秒と効果は無いだろう。しかし、その数秒はオレとベヒモスを連れ出す時間を、加えて色濃いガスは深淵の魔物の目を欺くには十分過ぎる効果があった。

 されるがままに大男の肩に担がれ、オレは剥げ落ちていくヤツメ様に頬を撫でられる。

 1度は上回られた本能。だが、最後の最後では上回り返した。これで状況は振り出しに戻った。いや、死神の槍という損失を考えれば、やはり今回はオレの負けだろう。

 だが、オマエはオレを狩り殺せなかった。ヤツメ様はもう笑っている。オマエを喰らう為に、笑っているのだから。

 

「本当に、あなたは無茶ばかりするわね。あのバケモノ相手にあそこまで立ち回れるなんて」

 

 深淵の魔物が叫びながらオレ達を追うも、彼らはこの地を知り尽くしているかのように細道に入り込み、追跡を振り切る。そして、迷彩柄達の先頭を行く、リーダー格だろう黒髪女は手を挙げて制止をかけると、オレとベヒモスを地面に下ろした。

 

「……助けるつもりが、助けられるとはな」

 

 本当に人生とは分からないものだ。

 都合の良いヒーローなど現れない。それがこの世の常であり、オレの場合は特にそうだ。

 

 

「元気そうだな、グリセルダさん」

 

「感動の再会とはいかないものね、クゥリくん」

 

 

 だが、世の女とは、世の常をいつもひっくり返すものである。

 ガスマスクを外したグリセルダさんは、オレが知る頃のまま、優しそうに笑いかけた。




絶望「なるほど。今回はそのような搦め手を使ってきたわけか」

救済「こちらとて学習しているのさ。羊は群れで戦うものだからな」



それでは、200話でまた会いましょう。

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