SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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ようやく今回のエピソードもリターンポイントに到着しました!

あれ? つまり、ここかから倍の話数がかかるわけですよね?


……助けてくれ、ローレンス、ウィーレム先生。もっと話数管理ができるようになりたい。今回は20話以内に纏める予定だったのに。

だから今回は分割予定を無理矢理入れ込んじゃいました。反省はしません。


Episode16-16 分岐路

 情報を制する者が全てを制す。それは不変の真理であり、勝者への近道であり、時として慢心を生む猛毒である。

 聖剣騎士団が他の2大ギルドに比べて戦力的に優れているにも関わらず、優位を保つどころか、劣勢に回ることが多いのも、情報戦において聖剣騎士団は1歩先んじられているからに他ならない。

 情報は黄金だ。時価で高額の値がつく。ただの言葉の塊、文字列が仮想世界だろうと現実世界であろうと巨万の富をもたらすのだ。

 故にDBOにおいて、情報屋とは一獲千金を夢見るには傭兵以上にうってつけであり、そして傭兵以上に道は険しい。理由は単純明快だ。

 傭兵に求められるのは基本的に単身における戦闘能力である。自らの命を対価にしてあらゆる依頼を引き受ける彼らは、その有用性を証明し続ける事によって報酬を獲得する。死肉を貪る『カラス』などと揶揄する者もいるが、それには過分の憧憬と嫉妬が含まれているのは周知の事実だ。

 対して情報屋とは誰でもなれる。元手も必要ない。彼らのスタートは自分の足で各ステージ・ダンジョンを歩き回り、情報収集し、手垢がついていないピカピカのガラス玉のような情報を得る事だ。そして、それを適当な酒場で飲んだくれていたり、暇そうに欠伸ばかりしていたりするプレイヤーに後払いで売りつける。もちろん、大多数のプレイヤーは無名の情報屋から得た情報に信用も信頼もしない。また、仮に有用な情報だとしても、しらばっくれて報酬を支払わない者もいる。この辺りはサインズ設立以前の傭兵と同じである。

 地道に、ひたすらにどんなつまらない情報でも掻き集めて売り続ける。そうして、ようやく信用と信頼、そして『お得意様』ができる。ここが情報屋の目指すべき最初の着陸地点だ。そして、ここからは情報屋同士の熾烈な情報の奪い合いと分野ごとの特化に変化していく。

 そんな情報屋にとって最大の獲物とも言うべきは傭兵だ。大ギルドは支払いも良いが、やはり『表向きの商談』では明確な上下関係になり易く、また大組織であるが故に情報収集もお手の物だ。たまに棚ぼたで得た希少性の高い情報を胡麻擦りしながら持ち込むのである。

 対して傭兵は情報屋を基本的に対等な商談相手おいて扱う。自分自身が武器であり、商品であり、たった1つの命である彼らにとって、刻一刻と変化する情勢、日夜更新されていく様々な武器・防具、ステージやダンジョンの特性、モンスターやネームドの情報など、買うべき情報は山ほどあり、最新を常に追い求めるからだ。

 

『情報屋に金払いの悪いルーキーから消えていく。見栄えの良い武器よりも情報を買え』

 

 そう、傭兵達は嘯く。未知なる存在を相手にする事が多い傭兵だからこそ、誰よりも優れた情報屋を欲する。今現在の上位ランカー達は大ギルドから情報支援を受けながらも、必ず情報屋によってそれらの情報を1度精査させる。情報を制する者が全てを制すと信じて。

 もちろん、世の中には例外もいる。何処かの白い傭兵は、あろうことか情報屋自身が傭兵という、いつ裏切られるかも分からない蝙蝠野郎として有名な、しかも毎度のように借金の無心をするハイエナだったりするからだ。傭兵と組みたがる情報屋とて、相手を選ぶ権利くらいはある、という見本である。

 

「悪いな。鍛冶屋組合が把握している情報以上はさすがに持っていない」

 

 場所はローガンの記憶、学園都市ヴィンハイムの路地裏だ。そこで深緑のフード付きマントの男と密会するシノンは、調査依頼結果を受け取りながら回答を耳にする。

 ボサボサの癖のある茶色の髪で目元まで隠し、更にマントのフードを深く被るこの男の名は【マッシュポテト】。美味しそうな名前をしているが、本人曰く偽名らしく、このような名前をしているのは『情報屋は暗殺者じゃない。そこそこでも名前が売れないと困るんだよ』という、彼独自の美学に基づいた憶えやすい仕事ネームものである。

 

「そう。期待はしていなかったけど、手掛かり無しなんてね」

 

「無茶を言わないでくれ。俺はマルチに情報を集めている方だが、無名の鍛冶屋の足取りを数日そこらでつかめる程じゃない。悪いが、俺は伝説の『鼠』程じゃないんでね。地道にロジック通りに情報精査の繰り返しさ。それに、俺の売りは数じゃなくて精度だからな」

 

「『限りなく真実に近い情報しか売らない』だったかしら?」

 

「そういう事。山猫もそんな俺だから組んでくれてるんだろ?」

 

 その通りだ。マッシュポテトは数多くの情報を商品として扱っているが、そのいずれも精度はほぼ100パーセント、彼が売却する情報全てに誤差など無い。狙撃戦を好んでいたシノンにとって、地形や徘徊するモンスターのロジックパターンなど、狙撃ポイントの位置取りに必要不可欠な要素からは不確定要素を取り除きたい。そんな彼女の期待に応え続けたのがマッシュポテトだ。

 だが、逆に言えば少しでも疑う余地がある情報は決して売らず、また喋らない。シノンが手持ちの情報と想像で真実に至れるかもしれない、重要なピースだとしても、マッシュポテトは喋らない。それが彼の情報屋としての信念だからである。

 

「だが、ボウズというわけでもない。少なくとも、マユって女が鍛冶屋組合に所属して『いた』。それは確固たる真実だ」

 

「……『どいつもこいつもつまらない武器ばかり作って、美学が無い。変形こそ浪漫なのよ!』ね」

 

 それはマユが鍛冶屋組合から抜ける際に言い放ったものだ。大ギルドの工房を除けば、鍛冶屋組合は他の全鍛冶屋が加盟していると言っても過言ではない大組織である。彼らは作り上げた武器や防具、アイテムの情報を大ギルドなどに販売することで組織として認められ、安全を守られている。そして、ここの鍛冶屋たちが請け負うのは主に中小ギルドなどのプレイヤーであり、逆に言えば彼らの武器・防具・アイテムの情報は全て吸い上げられ、大ギルドによって自由に閲覧されている支配体制の1つにもなっている。

 故に、ヘンリクセンやGRといった、鍛冶屋組合に所属していないソロの鍛冶屋でありながら高名なプレイヤーというのは貴重な存在だ。彼らは本物の天才であり、同時にその独自技術を常に大ギルドによって狙われている身でもある。傭兵は希少であるが、その気になれば替えが利く、なおかついなくても根本的には問題の無い枠外戦力であるのに対して、彼らは文字通りのワンオフにしてユニーク的人材だ。いずれの勢力も喉から手が出る程に欲しいはずである。

 たとえば、先日のシャルルの森で戦死した777の専属鍛冶屋は、彼の戦死によってフリーになった事から新しい専属先を探しているらしく、専属枠の密やかな奪い合いが勃発している。あの777を支え続けた、多彩なギミック武器で名を馳せた鍛冶屋だ。噂では、傭兵達に先んじてクラウドアースが工房の主任として破格の待遇で迎え入れる準備があると打診したらしく、これに対抗すべく777の契約主であった聖剣騎士団も好条件を提示しているそうだ。

 だが、ソロ鍛冶屋などヘンリクセンを見れば分かる様に、大なり小なり変人である。彼らは自身の好奇心が満たされる環境で無ければ、どれ程の好条件をだされても首を縦には振らないだろうことはシノンにも容易に想像できた。

 

「これは情報屋としてではなく個人の感想だが、このマユって女……かなりの鍛冶狂いだな。組合に残されていた彼女の武器を見たが、あんな変態武器を使いたいとは思わんし、使いこなせるプレイヤーがゴロゴロいたら今頃DBOは完全攻略されているさ」

 

「その変態鍛冶屋が私の専属候補なんだけどね」

 

「そいつはご愁傷様だな。まぁ、何にしてもアンタが傭兵復帰するようで良かったよ。【魔弾の山猫】改め、【隻腕の山猫】って呼ぶべきか?」

 

「どうでも良いわ。誰になんと呼ばれようと私は『私』。それよりも、もう1つの情報は揃っているようね」

 

 マユに関しては予想通りの結果だ。元よりマッシュポテトに期待していない。今回の本命はもう1つの方だ。

 ヴィンハイムの路地裏は終わりつつある街と違って整備されており、汚らしさとは無縁だ。NPCの巡回する魔法使い警備が通り、こちらと目を合わせると数秒足を止めて無言で通り過ぎていく。魔法至上主義のヴィンハイムの人々……NPC達はよそ者に対して排他的でこそないが、魔法を使えない者に対して差別的だ。彼らと友好的な関係を築くには高いINTと≪魔法感性≫が不可欠である。

 

「……チェーングレイヴの黒紫の少女、ねぇ」

 

 反芻するようにマッシュポテトは呟くと、目深のフードを引き寄せて、より深く顔を隠す。

 シャルルの森で出会った少女。シノンは敢えて指摘しなかったが、彼女の首に下げられたペンダントには何処か見覚えがあった。後に記憶を洗ってみれば、あれはチェーングレイヴのエンブレムに酷似していた。

 だとするならば、黒紫の少女……ユウキはチェーングレイヴのメンバーなのではないだろうか? だとするならば、彼女と繋がりがあるクゥリもまた犯罪ギルドと与しているとも考えられる。それ自体は何ら不思議ではないし、傭兵業命のような白髪傭兵ならば犯罪ギルドからでも依頼を受ければこなすだろう。だからこそ、情報は『何か』が起こる前につかんでおきたいというのがシノンの考えだ。

 

「『お嬢』。そうメンバーに呼ばれている幹部という事までは分かった。戦闘スタイルは魔法剣士。右手の軽量型片手剣を魔法触媒にして、エンチャントや近距離型の魔法を使う高速戦闘タイプだが、チェーングレイヴのメンバーは全員が奥の手を隠し持っている。これはあくまで彼女の基本スタイルに過ぎないと忘れないでくれ。あと、肝心要の【渡り鳥】との関係は不明だが、サインズ付近で【渡り鳥】と接触している目撃情報がクリスマス以降に何度か確認されている」

 

 高速戦闘の魔法剣士タイプとは、シノンとの相性は最悪だ。魔法防御が手薄の彼女にとって、ガンガン距離を縮めて魔法属性で攻め込んでくる魔法剣士は天敵である。だが、その一方で魔法剣士型は器用貧乏になり易い。それを克服する為にはVITを削って耐久力か、CONを抑えて持久力、軽量型片手剣使いならばSTRが低いのいずれか、高速戦に対応する為にDEXにもかなりポイントを振っているとなるならば、いずれも当てはまるとも考えられる。

 

(拡散型の攻撃。範囲攻撃で削り尽くす。ショットガンが欲しいところね)

 

 STRが低いならば怯みやすいはずだ、とシノンは情報を纏めていく。問題はどんな奥の手を隠し持っているかだが、そもそも安易に披露しないからこそ奥の手なのだ。アドリブが必要になるだろう、とシノンは仮想敵の1人の情報を纏め終える。犯罪ギルドとは交戦確率が高いのだ。気になる情報はすぐにでも収集すべきなのである。

 

(クーとの関係は不明だけど、あちらは明らかに好意を持っている。ビジネスの話じゃなくて、感情の話になるとイレギュラー要素が増えるから厄介よね。そもそもクーからユウキちゃんへの感情は?)

 

 この情勢だ。裏を取り仕切るチェーングレイヴとの交戦も考えられる。その際にクゥリが乱入など、最悪のパターンだ。

 クゥリは傭兵業に対して依頼主を裏切らず、傭兵として最高のパフォーマンスをするように心掛ける。それはどれだけ悪名が憚ろうとも事実だ。だからこそ、クゥリと僅かでも一緒にいた時間があり、なおかつ細やかでも交流を保ち続けたシノンだからこそ、危惧する。

 何かをトリガーにして、自らの傭兵ロジックを放棄してでも動き始めた時、彼の行動全てがイレギュラーになる。大ギルドの陰謀も何も関係ない。彼は目的の為に暴れるだろう。それは天から盤上の遊戯に勤しむ神達を嘲う野良猫のように、駒の全てを蹴散らしていく盤外の存在だ。

 

「ありがとう。今後も継続して調査をお願いするわ」

 

 報酬の小切手を渡すと額面を確認したマッシュポテトが口笛を鳴らす。相場より倍近い金額を支払うのは、彼への信頼と今後の調査への期待、そして口止め料だ。

 

「毎度あり。今後もご贔屓に……というわけじゃないが、ここから『友人』として警告する」

 

 反転して別れようとしたシノンの背中に、厳かな声音でマッシュポテトはアイテムストレージに小切手を収納しながら呟く。

 

「アームズフォート【スピリット・オブ・マザーウィル】が本格稼働した。今後は聖剣騎士団への襲撃依頼には注意しろ。遺品も残らんぞ。あれはゴーレムの次元を超えている。まるでボスモンスターだ。あの竜虎コンビが撃退されたらしい。近寄ることもできずに、命からがら逃げるしかなかったそうだ」

 

 レックスと虎丸のコンビが撃退された? コンビを組んでからは負けなしだったはずだ。生還したのは、間違いなく戦略眼に優れる虎丸の判断だろうとシノンも予想がつくが、マッシュポテトの語りから察すると、情報収集以前の完全敗北だったと容易に理解できる。

 

「噂では【UNKNOWN】にSOMへの襲撃依頼が入る予定らしい。裏で聖剣騎士団とラストサンクチュアリが手を組んでいるのは(暗黙の了解? 公然の秘密?)。恐らく、派手なデモンストレーションでUNKNOWNを完全撃敗退してSOMの威光を知らしめようって腹だろう」

 

 そんな真似をすれば、ラストサンクチュアリは唯一の切り札の評判に傷がつき、増々の聖剣騎士団への依存を深める事になる。あるいは、それこそが狙いか、とシノンは右手の指で太腿を叩きながら思案する。

 

「傭兵を政治の道具か何かと思っているのかしらね?」

 

 そう忌々しそうに、かつて共に火を囲み、まずいメシを食べながら明日を生き残る事、強くなる事を誓い合ったディアベルを思い出しながら、シノンは白い雲が薄くかかった空へと呟く。

 もうあの頃の3人には戻れない。クゥリにはおぞましい恐怖を刻まれ、ディアベルの正義は何処を見据えているのかが分からない。そして、シノン自身もきっと変わってしまったのだろう。出会った頃から変わり果てた【魔弾の山猫】になっているのだろう。

 マッシュポテトと別れたシノンは、終わりつつある街に戻ると、同じく情報収集を終えたらしいキリマンジャロと合流する。

 

「どうかしたのか?」

 

「いいえ、特に何も。つまらない未来について考えていただけよ。それよりも情報の擦り合わせをしましょう」

 

 あなたにSOMへの襲撃依頼なんて無茶振りが来る予定なのよ、とはさすがにシノンも言えず、キリマンジャロと共にワンモアタイムに入り、腹ごしらえと同時に情報の統合を行う。

 

「ラストサンクチュアリの情報部にマユさんの情報を検索してもらったが、ヘンリクセンと別れて以降は鍛冶屋組合に身を寄せていたことまでは分かった」

 

「私も同じよ。顛末も知っているわ。こちらで分かった事と言えば、彼女が変形武器大好きの、ヘンリクセンさんの妹らしいHENTAI族だった事くらいね」

 

「じゃあ、その後、彼女は鍛冶屋として店を立ち上げるべく、犯罪ギルドから金を借りていた事は?」

 

 それは初耳だ。アイラに届けられたマロンショコラにフォークを差し込みながら、シノンは目を細める。

 犯罪ギルドから金を借りているプレイヤーは少なくない。このワンモアタイムとて、その元手となっているのは犯罪ギルドからの借金だ。

 個人のプレイヤーが多額の資金を欲するならば、それこそ傭兵や情報業を除けば、クラウドアースか犯罪ギルドより金を借りるしかない。だが、前者はまず個人には認可しない。ならば、必然と後者しか選択肢は無い。

 だが、それは確固たるビジョンが無ければ最悪の中の最悪の悪手だ。ましてや、美学を追い求める鍛冶屋に経営能力があるとは思えず、それを食い物にする悪徳な連中に目をつけられればどうなるか目に見えている。そうでなくとも、女性プレイヤーのソロなど危険を通り越して『襲ってください』と看板を首からかけているようなものだ。なお、シノン自身も立派なソロなのであるが、自分のことを棚に上げるのは人間の特質である。

 

「そうなると、裏から情報を得る必要があるわね」

 

 情報屋の中にも住み分けがある。裏事情……犯罪関連に詳しい情報屋となると、多額の借金とギャンブル狂いで知られるパッチなのだが、あれは情報屋と名乗る事自体がおこがましい、浅はかな欲望と虚言の塊だ。

 

「地下に潜る?」

 

「いや、それは最後の手段にしよう」

 

 シノンの提案に、安全第一と言うようにキリマンジャロは首を横に振る。終わりつつある街の地下に広大な区画があり、そこは犯罪ギルドたちの領域となっている。盗品などが平然と売買され、麻薬系アイテムやドーピングアイテムも取り扱われており、そこにいるだけでやましい考えがあると見なされかねない。一方で、そこ以外に探りを入れようとしても、そう簡単に情報などつかめないだろう。

 そもそも傭兵は灰色の職業であり、そうした裏にも精通している者も多いのだが、シノンは犯罪ギルドの捕縛や壊滅依頼を受けることがあっても、DBOの暗部とも言うべき犯罪ギルドと関わりを持つ機会がほとんど無かった。どうやら、それはキリマンジャロも同様らしく、伝手らしい伝手がパッチくらいしか思い浮かばないとサングラスで隠された顔には書かれている。

 

「……いいえ、1人だけいるわね」

 

 そう、いるではないか。犯罪ギルド関連どころか、借金に関してはほぼ元締めのような存在であり、返済が滞った人物を容赦なく『狩る』実働部隊、犯罪ギルドを取りまとめる武闘派ギルド、そのメンバーどころか幹部と接触しているのではないか。

 問題はどうやって連絡を取るか、そして眼前の真っ黒野郎をターゲットとしているだろう彼女をいかに抑えるか、だろう。それを考えると、結局のところは自ら地雷を踏みに行くような手段だと気付き、シノンは頭を抱え込む。

 分かってはいたが、今回のスミスからの難題は、正しく難問である。恐らく、彼自身はある程度下調べを済ませているのではないだろうか? 自分の専属鍛冶屋の妹なのだ。シノン達に無造作に丸投げしているはずがない。

 

「パッチしかいないわね」

 

「パッチしかいないな」

 

 こんな風に、サインズが誇る上位プレイヤー2人が頼らざるを得ない相手が、他でもないハイエナ野郎である時点で、パッチが副業で情報屋を営んでいる理由が分かる実例である。

 連絡を取ると10分で向かうと返信が届き、たっぷり30分後に姿を現したパッチに、シノンは思わず目を剥いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おお、我らが神よ! 我は敬虔なる子羊にして順々なる僕なり!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 聖職者のような、似合わない純白の法衣を装備したパッチが、どう見ても怪しい新興宗教の1品としか思えない装飾過多のギラギラとした黄金のステッキを振るい、シノン達の前に登場した。

 

「……メール送り先、間違えたかしら」

 

 思わずメールボックスを確認したシノンであるが、狂いなくパッチに送信されている。だとするならば、眼前にいるのはパッチに違いないだろう。だが、この変わり様はどういう事だろうか?

 

「ご注文は何にしますか?」

 

「ビールで」

 

 ああ、良かった。間違いなくパッチだ。昼間からビールを頼むようなツルツルの禿げ頭はパッチに違いない。安堵するシノンを尻目に、ワンモアタイムの客の視線を独り占めにする中で、平然と注文を取りにくるアイラは儚げな見た目と違って意外と精神的にタフなのかもしれない、と考えたが、単に傭兵御用達のこの店は変人が来る割合も相対的に高いので感覚が麻痺しているだけか、と認識を改める。

 

「その姿どうしたんだ?」

 

 思わず声をかけたキリマンジャロに、パッチは訝しむような目を向ける。慌ててシノンはテーブルの下でキリマンジャロの右足の甲を踏み潰した。仮面の傭兵であるUNKNOWNの姿ではなく、今はバレバレの変装をした『キリマンジャロ』なのだ。パッチに勘付かれては大惨事である。

 だが、そこはパッチだ。シノンの危惧を杞憂だと言うように、届いたビールへとすぐに関心が傾く。

 

「こちらはキリマンジャロさん。私の、えと……依頼主よ。ちょっと人探しをしていて」

 

「なるほどなるほど。それで、このパッチ様を頼ったってわけかい、山猫ちゃぁああん?」

 

 ねっとりとした喋りで自尊心を高める事に余念がないパッチに、義手が完成したら必ずコイツの腹をぶち抜けるような依頼を受けようと決心するシノンは、情報を問うよりも先にパッチの恰好について尋ねる事にした。

 ガラス張りで外から店内が見えるワンモアタイムは秘密話に向かないが、逆にそれが盲点になる時もある。傭兵御用達という事もあるので、シノンがいても何ら不思議ではない。故に野外を歩むプレイヤー達の視線は幾度かシノン達を捉えるも、特に関心らしい関心も無さそうに去っていく。

 

「この恰好ですかい? へへへ、もちろん神への祈りに目覚めた訳ですよ」

 

 さっさと話せ。シノンが睨みつけると震えあがったようにパッチは背筋を伸ばし、泡立つビールをがぶがぶと喉に流し込む。

 

「……神灰教会への潜入さ。俺みたいな人気者の傭兵には、皆さんが暇な時でもしっかりと仕事が回って来るのさ」

 

「それで信徒になったフリをしていたのか」

 

「まぁな。ありがたい説法を聞いて改心したフリをしたら、『教会を守る剣にならないか?』って誘われたのさ。あれは狂信者共の集まりだな。目がヤベェ。俺もどっぷり漬かる前に抜けるつもりさ」

 

 それが許される組織ならば良いが、とはシノンも言わなかった。恐らく、パッチを捨て駒にするつもりで依頼主……恐らく大ギルドのいずれか、あるいは合同で依頼を出したのだろう。独立傭兵かつ信頼も信用も無いパッチの有効活用である。

 

「情報はまだ抜けていないが、色々と面白い武器を売って貰えたぜ。連中は専用の工房を持ってるらしいからな。ほら、この杖もこの通り」

 

 成金趣味全開にも見える黄金の杖をパッチが振るう。先端の太陽を思わす、9本の尖った先端が付いたそれは金属音を鳴らして1本に統合し、鈍くも厚い穂先となる。

 キメラウェポンにしてギミック付き。恐らくモーニングスターのような戦槌モードと貫通性能重視の槍モードに使い分けられるのだろう。外観こそ悪趣味な黄金色であるが、その実は見た目を騙すようなギミック武器とは恐ろしい。もしもパッチがひけらかさなければ、間違いなくシノンは騙されて手痛い一撃を浴びていただろう。

 だが、これは増々以ってパッチの足抜けは不可能なのではないだろうか、とシノンは良心で微かに心配する。外部販売向けの武器ならば良いが、そうでないならば、神灰教会は本気でパッチを『教会を守る剣』として見做した事になる。

 ……自業自得だから別に良いか、とシノンはあっさりと割り切る事にした。今までパッチに騙され、痛い目に遭った者は数多い。ここで死に腐れるならば、それもまた多くのプレイヤーの健全なる日々の糧となる尊い事だ。このハイエナ野郎を救うような物好きは、それこそ毎度のように泣きつかれて借金の工面をしてあげている白髪の傭兵くらいのものだろう。

 

「俺もギミック武器欲しいなぁ。でも、片手剣ってギミック武器が少なくて……」

 

「仕方ないでしょう?『万能性と引き換えに特徴も無い』が片手剣の最大の売りなんだから。わざわざ癖を強くする変形機構を組み込むような変態は――」

 

「ありましたぜ。片手剣の変形武器」

 

 だが、キリマンジャロのプレイヤー魂に火が点き、それに呆れるシノンに横やりを入れるように、パッチがビール2杯目をがぶ飲みしながらあっさりと答える。

 途端にキリマンジャロの中の炉に石炭どころか石油がホース直結で投入されたように、熱い炎が噴き出すのをシノンは感じ取る。

 

「本当か!?」

 

「へへへ、そう焦りなさんなって。大マジだ。どうやら、神灰教会にいる鍛冶屋の中でも、特に武器開発に余念がない新入りの女鍛冶屋がいるらしくてね。何でも、借金を抱えてチェーングレイヴに引っ張られる寸前であのエドガー神父が助けたそうだ。へっ、どうせ聖職者気取りにろくなヤツはいねぇんだ。金に困っているところを狙ったに違いねぇさ。一目見たが、イドっていう、なんていうか、他の信者共とは別の意味で目がイッちまってる野郎と一緒に笑いながら設計図を見せ合ってたぜ。チラ見しただけだが、俺はあれを『武器』と認めたくないね」

 

 ……ちょっと待て。シノンは嫌な予感がしながら、右手の人差し指をぐりぐりと額を押さえる。

 

「シノン、ちょっと用事が出来たから俺はここで――」

 

「待ちなさい、ゲーム馬鹿。少し頭を冷やしなさい」

 

 変形機構は男のロマンと言わんばかりに、ワクワクを抑えられない様子のキリマンジャロが席を立とうとするのを阻止し、その首根っこを引っ張って店の隅に連行する。その様子をパッチが手早く注文した3杯目のビールを飲んで彼女達を見送る。

 

「今の話を聞いて何も思わないの!?」

 

「神灰教会にマユさんがいるかもしれない事か? もちろん分かっているさ。だから俺が信徒として潜入を――」

 

 無言の腹パンをキリマンジャロにお見舞いし、強制的にクールダウンさせたシノンはくの字に曲がる彼を冷たく見下ろす。どうやらこの男はしっかりと事柄を把握した上で突入を目論んでいたらしく、それが逆にシノンの静かな怒りに油を注ぐ。

 

「神灰教会に潜入する事に異論はないわ。でも、マユさんは借金を肩代わりしてもらって神灰教会にいる。パッチじゃないけど、おかしいと思わないの?」

 

「今まで聞いた話から、マユさんは組織に属する人じゃない。借金の肩代わりを材料に脅されて武器を作っているかもしれない。だから、俺達が正面から会いに行っても会える確率は低い」

 

 その通りだ。特に彼女を救ったのがエドガーという時点でかなり胡散臭い。元円卓の騎士にして、仲間殺し疑惑がかかっている曰く付きのプレイヤーだ。

 

「だけど、嬉々として武器の設計図を作っている人が脅されて武器を作ると思うか?」

 

「……だからこそ、嫌な予感がするのよ。借金塗れで不自由な想いをして、その後に自由を与えられる。典型的な『嵌め』に思えてならないわ」

 

 チェーングレイヴに依頼して借金の取り立てを厳しくし、最後通告をさせた後に救済の手を差し伸べる。もちろん、善意の救済とも考えられる。事実として神灰教会は福祉活動に余念が無く、ラストサンクチュアリが貧民プレイヤー支持を失うのではないかと危惧しているほどだ。

 だが、だからと言って借金を肩代わりしてまで救うなどという『美談』は今まで聞いた事が無い。借金とて最低でも数十万コル……下手すれば100万コル近くあったはずだ。それをあっさりと肩代わりするだろうか? あるとするならば、救う対象から肩代わりした以上の『利益』が望めるからに他ならないだろう。

 黒い思考だ。シノンも重々分かっている。だが、あっさりと善意を信じられる程に、この世界はぬるま湯ではないのだ。

 

「どちらにしても潜入は必要さ。マユさんの境遇と真実を探る為にもね」

 

「反論しようがないわね。良いわ。確か、今日は神灰教会主催の『女性プレイヤーの今を考える会』があるはずよ。女性なら自由参加だし、そこから情報を探るわ」

 

「俺はパッチを通して『教会を守る剣』とやらに接触してみるよ」

 

 リスクは大きいが、話は決まった。結局はキリマンジャロの目論み通りというのはやや腹立たしく、彼の強気な笑みを見て、もしかしたら最初からこの流れを生み出すのが彼の真意だったのかもしれない、とシノンは気付く。

 

「……もしかして、『嵌め』た?」

 

「さぁ、何のことかな?」

 

 早くも師匠に似てきたのか、それとも元からそうなのか。シノンは深く考えないようにしつつ、変形片手剣を早く握りたいといように右手をわきわきしているキリマンジャロに、微笑ましく息を吐いた。

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 ナグナの丸薬。どうやら効果は時間経過による感染率の上昇を12時間抑え、感染率を5パーセント引き下げる、というものらしい。

 本当にこれを飲むのかと言いたくなるほどの、直径5センチはあるだろう黒い丸薬をオレは口の放り込み、水で流す。喉をピンボールが抜けていくような感触が通り過ぎ、痙攣して嘔吐しそうになるも、何とか堪える。

 

「感染は4つの区切り、20・50・80があるの。1度そのラインを超えたら、それ以下には丸薬では下がらない。だから80パーセントをデットラインにして、それ以上に上昇したプレイヤーは非戦闘員送りになるのよ」

 

 そう言って感染システムの詳細をオレに話すのは、黄金林檎のメンバーだったヨルコだ。彼女もグリセルダさんと同じくナグナで目覚めた1人であり、その時点で死者である事は確定である。

 今はヒーラーとしてのスキル構成でサポートに回っているらしく、医務室で白衣を纏って、先の戦闘で左腕を欠損したらしい、ダメージフィードバッグで唸る男に注射器で何やら薬品を打ち込んでいる。恐らくはバランドマ侯爵のトカゲ試薬と似たアイテムだろうが、あの様子からすると効力は同等ではなく劣化品のようだな。恐らく≪薬品調合≫で作り上げた自作品だろう。

 

「丸薬は12時間の効果中に再使用しても感染率減少は無いわ。しかも時間経過感染予防も効果も低確率だけど発動しない場合もある。この意味が分かるわね?」

 

「感染対策アイテムとしては下の下って事だろう?」

 

「そういう事」

 

 非戦闘員がこの状況で多いわけだ。80以上になれば死亡リスクが高まるのだから戦場に出せないという判断に基づいての事だろうがな。鬼セルダさんになってもグリセルダさんはグリセルダさんというわけか。少し安心した。

 80がデッドラインの理由は、12時間の時間上昇防止効果が発動せずとも、1度だけならば耐えられるという計算からだろう。低確率ならば、連続で防止不発が出ることもそう簡単には無いだろうからな。

 

「ところで、あなたの感染率はどれくらいなの?」

 

 彼女もまたナグナの生活で擦れたのか、以前はオレを見ては怯えてばかりだった眼は、冷たく荒んでいる。一々ビビられながら喋られるのも煩わしいが、これはこれで突き刺さる寂しさがあるな。

 

「安心しろ。『80』以下だ」

 

「そう。だったら良いけど」

 

 特に興味が無いように、ヨルコはオレの『嘘』を受け入れる。

 やはり深淵の魔物との戦いが痛かったな。黒炎には感染効果が無かったとはいえ、ヤツに磔刑を撃ち込む為に背乗りした時の感染攻撃によるカウンターが痛過ぎた。

 

「1つ忠告しておくわ。感染には外観で分かる特徴がさっき言ったラインごとに設定されているの。80を超えると白目が黄ばむわ。そこからは感染率に応じて黄色味が強くなっていく。ダンジョン内は暗いし、それに鏡なんて見る暇が無かっただろうから気づかなかったでしょう?」

 

 嘘がバレるのって本当に早いね。驚いちゃうよ。

 まぁ、考えてみればグリセルダさんがオレが到着した時点で丸薬をすぐに提供しなかったのは、そういう理由なんだろうな。恐らくオレの目を見て感染率の高さと即座の丸薬投与が『無駄』であると気付いたのだろう。

 

「そういえば、ラインは4つあるんだろう? 最後の1つは?」

 

「95よ。一々説明しないでも分かるだろうけど、95を超した時点でほぼ終わり。1度でも丸薬効果が不発だったら……悪夢の5時間の始まりってわけ」

 

 ニヤリ、と白衣から取り出した煙草を咥えながら、ヨルコは砂漠を思わす乾いた笑みを零す。

 

「煙草なんて吸うキャラだったのか?」

 

「……あなたには分からないわよ。何人も……何人も何人も何人も看取らないといけない私の気持ちなんて。私に戦う才能は無かった。だから、せめて後方支援をと思ったけど、そんな甘いものじゃなかった。さっき言った4つの区切りだけど、もう1つ区切りがあるの。100に到達しても即死はしないわ。30分間の猶予が与えられる。その間に『他のプレイヤーを殺害すれば』更に6時間の猶予が与えられる」

 

 感情を映さない干乾びた眼にあるのは、幾人もの死とそれに付随した生への足掻きが見せる人の醜さの記憶か。ヨルコは医務室の、今にも消え入りそうにも見える白色のランプを見上げ、再生薬品を投与されて唸る男を隠すように、ベッドを包み込むカーテンを張る。

 

「生きたい。死にたくない。だから別の誰かを殺す。たった6時間を得る為に。救われるはずの無い6時間に奇跡を求めて、まだ時間があるはずの他の誰かを殺す。最初に目をつけるのは誰だと思う? 私たち後方支援のプレイヤーよ。特に私のような……『救うことが出来なかった』薬を投与する役目を持つ医療プレイヤー」

 

 つまり、そういう事。ここにヨルコしかいないのは、他の医療プレイヤーは全て『餌食』になったという事だ。

 何も言えず、煙草の火を探すヨルコに、オレはアイテムストレージから取り出したマッチで火を点ける。彼女はにへらと笑って咥えた煙草を近づけて火を灯し、全ての不条理を吐き出すように紫煙を天井へと吹き出す。

 

「だから私は『予防』するのよ。95を超えた末期患者で丸薬不発が出たら……殺す。それが私の仕事。睡眠薬で眠らせて殺す。言っておくけど、眠らせるのは慈悲じゃないわ。怖いからよ。私に恨みを吐きつけて、生きたい生きたいって喚く『仲間』を殺すのが不愉快で不快で気持ち悪くて……私自身が死にたくなってしまうからよ」

 

「……そうか」

 

「それだけしか言わないのね」

 

 他に何か言ってほしいか、と言うようにオレは肩を竦める。それがヨルコの選んだ道ならば、オレがとやかく言っても何も意味を成さないだろう。

 するとヨルコは何故か嬉しそうに微笑んだ。それは須和おじさんの病院に行くとたまにいる、疲れ切った医者や看護師たちが見せる『死』の笑みに思えてならなかった。

 

「もしも、あなたが95を超えて丸薬不発が出たら、祈りながら殺してあげるわ。『せめて来世で幸せになってくれますように』ってね」

 

「要らん。オレは100になるまで戦って死ぬ」

 

「それはそれで迷惑だから止めて欲しいわ。さてと、あの子は何日生き残れるかしらね? 95を超えたら、どうにも丸薬の不発率が高まっているような気がするのよ」

 

 毒々しい青の薬品が入った瓶を手に持ち、ヨルコは目を細めて咥えた煙草を揺らす。それを使う対象は、オレも知る人物だろう。

 ヨルコに案内されるまでもなく、医務室の隣にある、『特別医務室』という、他とは違う、明らかに中で患者が『別の何か』になっても外に出てこれないような頑丈な設計が成された扉を開き、オレはお通夜のように暗い医務室の空気を吸う。

 両手両足に枷が取り付けられ、更にベルトで体を固定されたままベッド横になり、まるで眠り姫のように安らかに寝息を立てるのはアニマだ。その両隣には、重苦しい表情をしたマックスレイとギンジが椅子に腰かけている。

 どうやらアニマは95を超えていたらしく、かなり精神的にもまずい状態だったらしい。辛うじて丸薬を飲ませ、睡眠薬でレベル1の睡眠状態にしたそうだが、目覚めればまた暴れ出すかもしれないという事で、こうして拘束処置が成されているとの事だ。

 

「守り切れなかった。俺の役目は……アニマを守る事なのに、守れなかった」

 

 ぼそぼそと我が身を呪う言葉を吐くギンジは、これが現実世界ならば皮が破れて血が流れるほどに固く拳を握っている。

 

「あれは仕方なかった。僕たちにはどうしようもなかったんだ」

 

「それが……それがリーダーの言葉かよ!? 自分に惚れてくれている女への言葉なのかよぉ!?」

 

 椅子を倒しながら立ち上がり、沈痛な面持ちをしているマックスレイの襟をつかんで、ギンジは彼を壁に叩き付ける。だが、デバフによって眠らされているアニマはその程度の衝撃音では目覚めない。

 

「だったら、どうすれば良かったんだよ!? 僕らには守る力が無かった! それが真実じゃないか! そこから目を背ける訳にはいかないじゃないか!」

 

「だからこそだ! だからこそ……だからこそ、俺達自身が盾になってやらないといけなかったんだ。違うのか!? 違うのかよ!?」

 

 マックスレイはギンジの手を荒々しく振りほどき、怒りのままに殴り掛かろうとする拳を振り上げるも、理性でそれを押し止めるように下ろす。

 腰抜け。そう叫ぶように、代わりにギンジが拳を振り上げる。オレは仕方なく、その腕をつかみ取る。

 

「2人とも、勝手に愛しいアニマちゃんを死人扱いしてんじゃねーよ」

 

「……【渡り鳥】。だけど、どうすれば良いんだよ。ヨルコさんの話じゃ、95を超えたら――」

 

「だったら不発が出る前に万能薬を見つければ良い。それだけだ」

 

 簡単に言うな。そう怒鳴りつけたい気持ちを表す視線をマックスレイは向けてくるが、オレは涼しい顔でそれを受け流す。コイツはコイツで現実思考のようだが、それ故に悲観になりがちなタイプだな。どちらかと言えば感情的になり易いギンジとは相性が悪いように見えて、しっかりとした緩衝役がいれば最高のパフォーマンスが発揮できる組み合わせだ。そのクッションがアニマだったというわけか。

 さて、厄介というか、この様子だとマックスレイくんもアニマには満更ではない想いを抱いているようだ。おめでとう、ギンジくん! 彼らは相思相愛のようだね! 失恋はほぼ確定だ! ようこそ、お独り様の世界へ!

 

「あのネームド相手に、聖剣騎士団も太陽の狩猟団も手も足も出なかったんだぞ? アンタも逃げるので精一杯どころか、彼らに助けて貰わなければ死んでたはずだ。なのに、ボスを倒して万能薬を見つける? その前にこちらが全滅だ!」

 

「だな。普通に考えれば、無理と無茶と無謀だ。だけど、『不可能』じゃない。相手にはダメージが通る。1でも与えられるなら、攻撃し続ければ必ず勝てる」

 

 それが真理だ。皮肉にも、この世界にはゲームシステムが物理法則と同じように敷かれている。つまり、たとえ相手が深淵の魔物だろうとラスボスだろうと、攻撃を当てれば決して『0』ダメージになる事は無い。

 ダメージ1でも100万回重ねれば100万ダメージだ。それが古今東西、あらゆるゲーマーを支え続けた真実ではないか。少なくとも『アイツ』はそう言って、心が折れそうになった連中を励ましていた。

 ……まぁ、DBOには割とオートヒーリングを標準装備しているヤツらもいるんだけどな! それはこの場面では言わないでおこう。

 

 

 

「その件だが、朗報だ。どうやら深淵の魔物は徘徊型ネームドであり、撃破は必須ではないらしい」

 

 

 

 そこにドアを開けて入って来たのは、他でもないベヒモスだ。彼は修理したらしいゴーグル越しに力強い眼を湛えている。

 

「万能薬は古いナグナにいるボスを撃破する事で入手できる。ならば、我々は彼らの力を借り、全員が救われる道を手にしようではないか」

 

「ベヒモスさん……本当に、そんな事ができるんですか?」

 

「もちろんだ。私と『クゥリ』はあのバケモノ相手に生き延びたのだぞ? ここにノイジエルが加われば、ボスなど一捻りだ」

 

 不安を露わにするマックスレイの肩に手をやり、ベヒモスは鼓舞する。嗚咽をついに漏らすマックスレイとやる気を溢れさせるギンジを見て、これが人徳の差かと思い知る。伊達に大ギルドの幹部ではないというわけか。オレの言葉を100回重ねるよりもベヒモスの言葉の方が遥かに重みがある。

 オレは彼らに背を向けて退散する。もう彼らは大丈夫だろう。アニマの為に、ここで無念だと繰り返して諦める道を選ぶはずがない。まぁ、彼らのレベルを考えれば、出来る事は限られているかもしれないが、戦い方など幾らでもあるからな。

 だが、問題はノイジエルだ。横穴方向に逃げたグリムロックを始めとした逃亡組は数名の死者を除いて無事にグリセルダさん達に保護された。ヨルコの話によれば、巡回警備中に外部のプレイヤーを発見し、その報告を受けて派遣された部隊とグリムロック達が鉢合わせしたらしい。その後、グリムロック達の要請を受け、グリセルダさんを筆頭とする救出部隊がオレ達に差し向けられたというわけだ。

 つまり、坑道側に逃げたノイジエル達は依然として保護されていない。あちら側に何名逃げ込み、何名生き延びたのかは知らんが、ノイジエルならば簡単にくたばる事はないだろう。ならば、戦力増強の為にも彼らを保護すべきだな。

 とはいえ、これはオレが進言して何とかなることではなく、脱出組……それを率いるリーダーであるグリセルダさんが決める事だ。リスクを取ってでも彼らを救出するか、それとも見捨ててボス撃破への計画を推進するか。

 

「後はオレの武器か」

 

 弾薬に関しては補充できるが、死神の槍が折れてしまった。打剣もサブウェポンに過ぎない上に絶賛で修復必須状態だ。

 

「お困りのようですな」

 

 医務室から離れて、まるで地下繁華街のような、廃れた中にも華やかさが残る小さな時計台広場のベンチに腰掛けるオレに、エドガーが声をかけてくる。

 

「そっちはもう良いのか?」

 

「ええ。彼らは『快く』我々に協力を表明致しました。しかもこの苦境で改心したのでしょう。神灰教会の信徒になるとも」

 

「……そうか」

 

 まぁ、何があったのか知らんし、聞きたくもない。オレは折れた打剣の柄を握り、ギミック箇所に入った亀裂をぼんやりと見つめる。ここならば鍛冶設備もあるだろうし、グリムロックならば修理できるだろうが、どう足掻いてもメインウェポン不在は厳し過ぎる。

 つーか、オレはベヒモスと飯を食おうと思ってたはずなんだがな。我らがギンジくんの熱過ぎるアニマちゃんへの想いのせいで吹っ飛んでしまったではないか。

 

「グリセルダさんは素晴らしい御方ですな。このような絶望しかない地において、確かな希望の光となっている。これは並大抵のことではありません」

 

「ああ、そうだな。オレには絶対に無理だ」

 

「私とてそうです。なればこそ、神への真摯な祈りこそが人を支えるのですよ」

 

 皮肉の1つでも言ってやろうかと思ったが、エドガーが言う事は尤もだ。

 人は苦しき時にこそ神に祈りを捧げる。それは確かな人の支えであり、暗闇に残された者にとって星明かりの如きよすがなのだ。

 オレも『アイツ』に同じ光を見ていたのだろうか。英雄だった『アイツ』に追いついたかと思えば、その背中ばかりをまた追いかけているのは、『アイツ』の英雄性にオレもまた魅入られているからなのだろうか?

 

「……やっぱり凄いな」

 

 オレの呟きの意味を、グリセルダさんと神に向けたものと勘違いしたのだろう。同意するようにエドガーは頷く。

 神だろうと英雄だろうと構わない。今は戦う為の意思と意志を。散っていった者達の無念と遺志の為に。

 それで良い。それが『理由』で構わない。今ここで『オレ』を繋ぎ止める為の星の光は……それで構わない。

 

「エドガー、共に戦おう」

 

「無論です」

 

 このまま無言で去るのも何かと思い、オレはベンチから立ち上がると彼に共闘の意思を表明する。それに『快く』応じる彼の真意など興味は無い。

 分かっているのは、彼は何処までも『善』であるとする事。彼に神にとっての『善』を成し続けようとする、自らの死すらも許容する絶対的な神への忠誠であり狂信。今はそれこそが力となる。

 

「しかし、本当に武器は何とかしないとな」

 

 とりあえず、繋ぎでも良いから脱出組から何か借りるべきか? それとも深淵の魔物と戦った場所に赴き、遺品を漁って何か使えるべきを探すべきだろうか? とはいえ、死亡ドロップは種類にもよるが、武器関連ならば24時間がドロップ限界のはずだ。とてもではないが、数時間後にあの場所に戻るだけのコンディションが回復するとは思えないし、再び深淵の魔物と対峙した時にはヤツを仕留めるだけの準備をしておきたい。

 そうなると、やはり脱出組から武器を融通してもらうしかないか。オレは何処かに工房が無いかと探していると、気持ち良い金槌を鳴らすを音を捉える。

 それは元々どのような店が入っていたのかも分からない程に改造された、武骨な武器と防具を生み出す炉……グリムロック工房よりも無骨さを感じさせる職人の領域だ。

 経営しているのはNPCだろうか? 覗いてみると、そこには無理矢理設置されたらしい鍛冶屋設備が白黒タイルを押し潰し、鎖で吊るされた無数の武具が使い手を求めるように自己主張している。

 そして、金槌を鳴らしているのは……どう見ても『おじいさん』というカテゴリーになるだろう老人である。

 

「アン? 見ない顔だな」

 

 煤を被ったように曇った眼鏡越しで老人はオレを睨む。とりあえず頭上で光っているのはプレイヤーカーソルだ。つまり、SAOでの死者ってわけだが、こんな高齢なプレイヤーがいただろうか? さすがに80過ぎのおじい様とか噂になっていると思うんだがな。

 腕を組んで悩みそうになるオレに対し、老人は詰め寄ると勝手にオレの打剣を覗き込む。

 

「なんじゃい。壊れてるではないか。ほれ、貸してみろ。修理してやる」

 

「良いのか?」

 

「良いから言ってるんじゃろうが!」

 

 そりゃそうだ。オレは打剣をオミットし、老人に渡す。彼は早速と言わんばかりに修理に入ったらしいが、突如として手を止める。

 

「ほほう。これはまた……なかなかに『分かっている』奴の作品じゃな。誰が作ったものだ?」

 

「オレの専属さ。今もこの場所にいるし、鍛冶屋だからきっと顔合わせする事になる」

 

「なるほどなるほど。これは良い。実に良い。だが、『まだまだ』じゃな。コイツは敵を『殺す』武器じゃない。『戦う』武器だ」

 

 ククク、と意味深な笑みを零す老人は、続いてオレをジロジロと観察し始める。できれば女の子にそういう事してもらいたいんだがな。

 ぐるぐるとオレの周囲を20周ほど回った老人は、納得したようにボロボロの折り畳み椅子に腰かける。

 

「お前さん、左腕の感覚が無いな? それに痛覚もあるじゃろう?」

 

 ……エスパー研究所に連行する必要があるな。驚くオレに対し、奇術など使っていないというように老人は鼻を鳴らす。

 

「生きた時間が違うのじゃ。お前さんみたいな痩せ我慢など簡単に見抜けるわい」

 

「できれば、皆には黙っててくれ」

 

「ワシがお喋り大好きに見えるか? 話すわけないじゃろうに。左腕を見せてみろ」

 

 そう言われてオレに近くの木箱に腰かけるように促した老人は、突き出した左腕に無造作に釘を刺す。思わずその喉を掴みかかろうとするが、何とか理性で押し留め、これも何か意味がある事だと頭の中で訴えて、何度も何度も釘を刺していく老人を睨み続ける。

 

「ふむ、これを付けてみろ」

 

 老人が1度席を離れ、戻って来た時に手にしていたのは、片方に鋭く細い針がびっしりと付いた帯だ。

 

「【マイラスの針帯】じゃ。巻いた腕限定でSTRを高める効果があり、高い雷属性防御力がある。だが、フィードバッグが酷くて戦いに集中できんと不評でな」

 

 黒ずんだ灰色の帯。それは間違いなく針を皮膚に突き刺す類のものだろう。これが不評で無ければ本格的に狂っている。

 だが、もしかしたら、とオレは考える。シャルルの森でも痛覚によって触覚の代わりを得た。この老人が同じ事に勘付いたならば、腕全体を巻くこれならば擬似的な感覚を取り戻せるかもしれない。

 針帯を受け取り、左腕に装備する。途端に肩口の近くまで、二の腕から左手の指先まで黒ずんだ灰色の帯が装備の光の後に巻き付き、肉を貫き、骨まで到達するような針の痛みが脳を蝕む。

 耐えろ! 悲鳴を堪え、ゆっくりと、心臓の拍動に合わせて和らぐ痛みを感じながら、それでも確かな異物感と消えぬ痛みを残す左腕を見て、続いて左手の指を動かす。

 

「持ってみろ」

 

 老人が渡したのは、重圧を感じる程に分厚い鉈だ。それを握ると指にも突き刺さっている針のせいで痛みが走るが、握っているという『感触』が分かる。

 

「大したもんじゃ。他の奴らはフィードバッグで悲鳴をあげているというのに、お前さんは本当の痛みがあっても悲鳴1つあげんとはな」

 

「……男の意地だ」

 

 少し……慣れが必要だな。痛みは少しずつ引いているが、この異物感は何とも言い難い。ボタボタと零れる汗がそのままオレの弱さを示している。この程度に耐えられなければ、オレが戦い続ける事は無理だという事か。

 そうだ。まだ『無理』なだけだ。『不可能』ではないのだ。左手で拳を握り、オレは深淵の魔物との再戦の準備が1つ整ったと確信する。この左手ならば……まだ戦える!

 

「その面で男の意地と言うか。良い。実に良い。ならば、この鍛冶屋【ボールドウィン】、若造に力を貸そうではないか。フハハハハ!」

 

 豪快に笑い、老人……ボールドウィンは再び奥に引っ込むと、新たに何か……凄い禍々しい何かを持って戻る。

 さすがのオレもやや引き気味なのだが、ボールドウィンは鍛冶屋特有の性も言うべき目の輝きでオレの離脱を許さない。

 

「ここの連中はどうにも『安全重視』をしたがって≪銃器≫ばかりを欲しがる! グリセルダさんを見てみろ! まずは火力! とにかく必殺! 故にヒートパイルを求めた! あれこそ女傑の才覚というものよ! お前さんもそう思うだろう!?」

 

「えーと……どうだろうなぁ……」

 

「そうに決まっている! ほれ、持ってみろ!」

 

 そう言ってオレに押し付けたのは、懐かしき『アレ』の姿だ。だが、オレが手にしていたよりも遥かに武骨で、より武器として形を成している。

 

「これぞワシが作り上げた対深淵の魔物用武器! ヤツの硬い肉をグチャグチャにして振り切る為の秘密兵器! 名を【深淵殺し】じゃ!」

 

 それは肉厚なチェーンブレード。かつてオレが手にしたチェーンブレードよりも刃が荒く尖っている。鍔とも言うべき場所には黄色い塗装がされた動力がそのまま取り付けられたようであり、晒しが巻かれた柄を握れば、オレのSTR限界ギリギリの代物だとすぐに分かる。

 これ、振り回すのも精一杯ではないだろうか? STR出力を常に全開にしていなければ、中量・軽量両手剣を主軸とするオレでは体ごと振り回す特大剣のような動きが要求されてしまうだろう。

 だが、逆に言えば、これならば不足していた火力を引きだせる。特にチェーンブレードならば、チェーンモードならば大ダメージを狙える上に、ボールドウィンが言う通り、高速回転する刃ならば深淵の魔物の硬い肉に引っ掛かることなく振り抜ける。

 

「うむ、その顔よ! その獰猛な『獣』のような顔こそ、怪物に挑む男の顔よ! フハハハハ! もはや死を待つのみと覚悟していたが、これは運が向いてきたぞ!」

 

「……『獣』?」

 

「そう、『獣』よ! 鏡を持ってきたいくらいじゃ。じゃが、それで良いのだ! 深淵に挑む者は深淵に覗かれるが必定! ヤツを殺すならば同じ『獣』にならねばな!」

 

 豪快に笑うボールドウィンを前に、チェーンブレードを左手で握りしめたまま、オレは震える右手で口元を触れる。

 そこは歪んでいた。

 嬉しそうに、笑っていた。

 鈍い黒色のチェーンブレードの刀身を覗き込めば、そこにはヤツメ様が映っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さぁ、どちらを選ぶ? バケモノを倒す為に『バケモノ』に再び身を墜とす? それともバケモノに殺されても『人』であり続ける? 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 違う。

 オレは変わるんだ。たとえ、あなたを受け入れたとしても、この心までバケモノにしないと誓ったんだ。

 あなたの導きがあれば、オレは戦える。あなたと一緒に戦う。でも、オレはあなたにはならない。ヤツメ様にはならない。

 チェーンブレードを振るってヤツメ様の嘲笑を振り払い、背負う。この武器ならば深淵の魔物を狩れる。その事実だけで十分だ。それ以外は全て無視しろ。

 

「ありがたく使わせてもらう。あと、グリムロックにも良くしてやってくれ。アイツも良い腕の鍛冶屋だ」

 

「うむ。修理が終わる頃にまた来い。グリムロックとかいう奴の腕前、とくと見てやろう」

 

 オレは逃げるようにボールドウィンに別れを告げ、工房から遠ざかる。

 誰も死なせなどしない。この戦いの中で、誰も死なせなどしない。

 オレはたとえひと時の夢だとしても、『この戦い』の間は『独り』ではないと知ったのだから。

 だから、オレは『人』として戦い抜いて、『人』として帰る。

 

「導いてくれ」

 

 縋るべき『理由』を握りしめ、オレは次なる戦いへ向けて準備を始める。

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

 神灰教会の母体は、ギルド間の諍いを越え、貧民プレイヤーを救わんとしたボランティアグループだったとされている。

 だが、『何か』を契機にただのボランティアグループは神の遺灰より不死鳥の如く新たな神を見出す教義を示した。それは最初こそ狂人の戯言とされていたが、以来彼らは前にも増して福祉活動に専念し、また精神が不安定になっていた多くのプレイヤーの拠り所として『宗教』としての立場を獲得した。

 大ギルドは戦力として、秩序として、その拠り所となっていた。だが、度重なる情勢不安と攻略を疎かにするようなギルド間抗争は確実に、大ギルドのメンバーにすら心の疲弊をもたらした。

 これまで大ギルドに問題視されていなかったのは、特に目立った行動を起こさず、地道な福祉活動以外をしてこなかったからだ。だが、シャルルの森……竜の神の終わりつつある街への到来で全てが変わってしまった。

 終わりつつある街は治安こそ悪いが、DBOで最たる安全の地の1つだった。出現するモンスターも弱小であり、また街の中の安全な場所に引き籠もっていれば、たとえ貧民プレイヤーの誹りを受けても、他プレイヤーに襲われる事を除けば生命の安全だけは確かにあったのだ。

 だが、それらは幻想だったと、竜の神は暴いた。実際の話、あの場に『2人』がいなければ、竜の神は終わりつつある街を壊滅に追い込み、千人単位の死者を生み出していただろう。

 

「神様は人間を救わないのにね」

 

 つまらなさそうにそう呟きながら、ユウキは普段とは異なる、まるで修道女のような白のローブを纏い、調理場で≪料理≫に勤しむ。

 レグライドから引き受けた神灰教会への潜入だが、その手段として選んだのは『女性プレイヤーの今を考える会』である。長々しいが、要は女性プレイヤー限定による、神灰教会の福祉活動に参加しながら、神灰教会のお話を聞くという雑談会のようなものだ。

 参加しているプレイヤーは思っていたよりも遥かに多く、ユウキは先程まで金髪ポニーテールをしたプレイヤーと雑談しながら、終わりつつある街の清掃活動と炊き出しを行っていた。これらの活動費は大ギルドからの『お布施』によって成り立っており、それを証明するように大ギルドのエンブレムが箒からお椀に至るまで刻まれている。だが、貧民プレイヤーが実際に眼をするのは、活動するプレイヤー達が纏う白の法衣にある神灰教会の紋章だ。どちらが目に焼き付くかは言うまでもない。

 

「結構気分が良いわね」

 

「本当にね。私、信者になっちゃおうかな? ほら、やっぱり今の情勢だと……ね」

 

「だよねー。私も不安で眠らない夜も多いけど、祈るって本当に心が救われるんだって感じがするね」

 

 隣でカレーを作っている女性プレイヤー2人はすっかり神灰教会に感化されたような口振りをしているが、ユウキは見逃さない。片方の女性プレイヤーの耳には神灰教会のエンブレムのイヤリングがある。横髪で巧妙に隠されているが、彼女は最初から信徒であり、友人を勧誘しようとしているのだ。

 

(……はぁ。失敗だったかなぁ。やっぱり、クーを追いかけるべきかな? メールには行き先も書いてあったし、行っても良いんだよね? でも、それってなんか……ストーカーみたいだし)

 

 作り終わった卵スープを膳に並べ、ユウキは溜め息を吐く。潜入して内部事情を探る仕事とは言ったが、そもそも何をどう調べれば良いのだろうか?

 現在、ユウキがいるのは神灰教会が保有する、終わりつつある街の北区にあった大聖堂だ。元々は廃墟同然だったものを、信徒による地道な修復活動と大ギルドや個々人からの『支援』によって復元されたものだ。今や黒鉄宮跡地に次ぐ程に……あるいはそれ以上の終わりつつある街のシンボルのように目立っている。

 勧誘活動は個人の自由であり、宗教に付き物だ。故にとやかく言う必要はない。並べられた長テーブルの1つ、自分に割り振られた番号の席に腰かけたユウキは、自分と同じ修道女のような恰好……神灰教会から貸し与えられた法衣を纏った女性プレイヤーたちを目を動かして確認する。いずれも武装は規定によりしていないが、身のこなしから上位プレイヤー級が相当数混じっている。

 午後からの途中参加扱いであるが、この『女性プレイヤーの今を考える会』は3日間のスケジュールだ。明後日のミサを最後に活動を終わる。憂鬱そうにユウキは嘆息し、この会を主導する神灰教会の信徒……自分達とは違い、より鮮やかな金糸が縫い込まれた法衣を纏った女性の祈りを聞く。

 

「神は火に焼かれて灰となり、内なる輪廻で火は継がれん。王位は焔火と共にあり。我らは灰より生まれた新たな命の芽吹き。死を知れば真なる生を知り、灰を映す水面より血の導きを得る。老いた世界が孕む新たな実りを分け与えよう。祈れ祈れ祈れ。全ては灰より出でる命の灯。神の再誕に、血より油を育み、大火を迎える皿を満たせ」

 

 神灰教会の女性信者が手を組み、祈りの言葉を唱える。それに合わせて、ユウキはうんざりしながらも、周囲に倣って手を組んで祈るポーズを取る。

 神様は人を救わない。改めて、ユウキは内心でそう吐き捨てる。もしも救う神がいるならば、あの時、姉を、皆を、世界に繋ぎ止めてくれたはずだ。だが、神は彼らの祈りを無下にして、ユウキにただ1つの願いを託して逝ってしまった。

 

(クーには悪いけど、ボクが【黒の剣士】を討ち取る)

 

 その時、彼は【黒の剣士】の仇として自分を見るのだろうか? そう思うと、胸が少し痛むが、彼から特別な殺意をまた1つ向けられるならば、それはそれで愛おしい。その殺意を独り占めできるならば、それは最高の死に場所だ。

 ……ボクは何を考えているのだろうか? さすがに自分が危うい思考に漬かりかけていた事に気づき、ユウキはフードの下で頭を振って考えを振り飛ばす。自分は【黒の剣士】を討つ事を望んでいる時点で狂人に分類されるはずだと客観的に判断しているが、決してアブノーマルな嗜好の持ち主ではないと、ユウキは自認している。

 

「大丈夫大丈夫。ヤンデレなんてこの世にいない。いるわけがない」

 

 そう唱えて、祈りが終わり、楽しげなお喋りの声が響き渡る中でユウキはカレーに手を付ける。この場にいるのはさすがに本物の修道女ではないので、祈りが終わればお喋りも許可されているのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そもそもヤンデレの定義とはなんでしょうか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だが、ユウキの発言を拾い上げたように、隣に腰かけていた、自分と同じ白ローブの女性プレイヤーが声を発する。

 しまった。思っていたよりも声が大きかったか。失敗だとユウキは焦る。

 

「あ、あははは。少し考え事していただけだよ。気にしないで」

 

「いえいえ、お気になさらずに。それで、ヤンデレの定義とは何でしょうか?」

 

 妙に喰い付く相手に、ユウキは訝しみながらも、これも潜入任務、周囲に溶け込む努力だと我が身に言い聞かせる。

 

「うーん、愛が深過ぎて相手を鑑みなくなる……かな? だから、ヤンデレなんて実在しない。いるのは、ちょっと愛が深すぎる人だけって思うけどね」

 

「なるほど。確かに、それはヤンデレを端的に示していますね。ですが……『浅い』」

 

 フードの向こうでツインテールを揺らし、隣の少女は銀のスプーンでカレーの入った皿を軽く滑らせる。

 

「相手を鑑みなくなる愛。確かに言い得てます。ですが、一体どれだけの愛が相手の事を真に想っている産物と言えるのでしょうか? 大抵の場合は『愛想を尽かす』なんて言葉からも分かる様に、熱せられた鉄が冷めてしまうもの。それが本当に愛と言えますか?」

 

 言われてみれば確かに、とユウキは思わず頷く。世の中に離婚やら浮気やらが多いのも、相手への愛が不足しているが故の結果かもしれない。あるいは、時間の経過と共に冷え切ってしまうものは愛と呼べない、ただの生物がつがいを求めた結果に過ぎないとも言えるだろう。

 ならば、相手を傷つけるとしても、深くどろどろとしていたとしても、狂える愛の方が遥かに純粋ではないだろうか?

 

「ヤンデレとは他者が愛の足りぬ我が身を隠す為に考え付いた、浅はかな蔑称に過ぎません。いえ、むしろ誉れ高い名誉の称号とすべきです。『我々』は愛す。愛される事を望む。その全てを独り占めにしたい。ただの独占欲? ふふふ、そう嗤わせておけば良いのです。独占欲無き愛など愛ではありません。その形を愛し、あり方を愛し、言葉を愛し、血を愛する。故に全てを捧げる。それが当然。それが必然。それこそが真の愛。無償の愛? それは何処にいるかも分からない神に任せておきなさい。人の愛は見返りを求める愛。自身の欲求より湧きだす愛。自己満足? 当たり前じゃないですか。この愛は我々が自らの内に見出した、愛する者に殉じる意志なのですから」

 

「そ、そうなんだぁ」

 

 た、助けて、クー! なんかすごい変な人に絡まれちゃったよぉ! 気軽な気持ちで受けた仕事のはずが、仕事は全く関係の無いところで、確実にネジが外れているだろう人物と接触してしまい、思わずユウキは心の内で助けを求める。

 だが、その一方で少女の言葉は砂糖が水と混ざり合うかのように、胸の内に吸い込まれていく不思議な力があった。それは彼女の語る『真理』に少なからずの共感をユウキが得ていたからなど、彼女自身に気づけるはずもない。

 砂糖は取り過ぎると毒になる。それは今や誰もが知る『真理』だ。

 

「……深いです、師匠!」

 

 と、反応を示したのは、ツインテール少女の前の席を取っていた、何処かで見覚えがある女性プレイヤーだ。ユウキはフードの下に隠された顔を記憶に検索をかけ、やがてそれが太陽の狩猟団の幹部の1人であるミスティアだと気付く。

 

「アタシはまだまだでした。愛という単語1つに込められていた想いが、真実が、こんなにも深いものだったなんて」

 

「良いんですよ。誰もが最初は無知なんですから。全知の赤子などいません。故に私たちは知るのです」

 

 ぐるりと、ツインテールの少女はユウキを捉えるように首を曲げる。それは小さい頃に姉と一緒に見た見た映画……エクソシストを思い出さるものであり、思わずユウキは短く『ヒッ』という悲鳴を上げてしまう。

 だが、そんなユウキをまるで泣き子をあやすように、あるいは蔦で絡め取る食肉植物のように、少女はユウキの手にそっと自分の手を重ねる。

 

「ふふふ。怖がらなくて良いんですよ。あなたはどうやら愛の迷い人のようですね。それを導くのは先人の役目」

 

 逃げられない。ユウキは自分が深い闇……深淵に落ちていくイメージを脳裏に思い浮かべる。

 

「お名前を聞いても良いですか?」

 

 言うべきではない! 無言を貫き、即時に脱出すべし! 頭の中の無数のユウキたちの中で、何とか闇より這い出た司令塔ユウキがメガホンから伝令を放つ。だが、その司令塔ユウキも闇より伸びた蔦に捕まり、引き摺り込まれていく。

 

「ボクは……ユウキ」

 

 言ってしまった。教えてしまった。無念と言うように、闇の中に司令塔ユウキが溶けていく。

 

「そう、ユウキさんですか。私は『シーラ』って言います。こちらはご存知かもしれませんが、ミスティアさん。私の事を師匠なんて言ってますけど、ごく普通の、仲良くさせていただいている友人です」

 

 にっこりと、シーラはユウキの右手を両手で抱擁し、まるで祈るように持ち上げると、可愛らしく小首を傾げて笑った。

 

 

 

 

 

「私たち、とても良い友達になれそうですね、ユウキさん?」

 




今回のテーマは、繰り返しますが、『感染』です。


それでは、202話でまた会いましょう。

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