SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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前回のあらすじ

主人公(白)がまともになろうと頑張っていたら、ヒロインが総ヤンデレ化の危機。




Episode16-17 願い

 各武器には装備条件ステータスが設定されており、それを満たしていない武器は装備しても攻撃力が激減し、なおかつスタン蓄積や怯み効果も無い。武器に備わった能力は発動こそするが、効果は大きく減少する。

 だが、ハイレベルになればなるほどに、目当てのステータス以外に『浮気』する余裕もできるし、デスゲームということもあってか、1点強化に不安を覚えたり、対応能力を身につける為に他のステータスにもポイントを振る傾向がある。そうなると、必然的に装備条件ステータスを満たし、より多くの武器が扱えるようになる。特に、装備条件ステータスはそこまで著しく要求されるものは稀なので、ある程度のポイントに振れば大抵の武器は使えるようになる。

 だが、ここで問題になって来るのが、制御STRである。重たい武器を扱えば体が振り回されるように、武器ジャンルや各武器ごとに制御STRは異なる。この制御STRが要求ステータスよりも乖離が大きければ『重量型』であり、要求ステータスさえ満たせていれば可もなく不可もなく扱えるのが『中量級』であり、満たしていれば羽のように軽やかに振れるのが『軽量級』である。

 まぁ、これらの住み分けは装備重量の圧迫具合で大よそ分かるんだがな。軽い武器はそれだけ制御STRが低い。それだけの話だ。そして、制御STRと重量は必ずしも一致しないのもゲームならではの要素といったところか。

 スピードファイターは装備重量が増えてDEX下方修正されるのを嫌がるので徹底的に軽量級を好む。逆にパワーファイターならば装備重量の圧迫によって速力が劣る分だけ火力で勝る事を選ぶ。そして、防具などの重量を削って装備重量の圧迫分を補い、攻撃力とスピードを両立させる者もいるわけだ。

 オレの場合は複数の武器を扱うだけに、装備重量は意外と厳しい。スピードも維持したいし、火力もある程度は保持したい。だから、オレは防御力が高い鎧どころか、胸当てすら装備しない。まぁ、CONとSTRにはバランスよくポイントを振っているから装備重量には余裕がある方ではあるがな。お陰でVITがあり得ん数値なのはご愛嬌である。

 

「あまり重量武器は使わねーんだがな」

 

 深淵殺し。ボールドウィンが深淵の魔物を討つべく作り上げたチェーンブレード。黒光りする刀身は先端が尖っている事以外はチェーンソーという工具にしか見えないが、それでも以前取り扱っていたものよりも外観は剣に近い。鍔にあたる部分には動力源となるモーターが黄色いボディに包まれて組み込まれ、高速回転する刃は鈍くも鋭い。

 そして、何よりも重い。オレも滅多に使わない重量型両手剣は軽量型特大剣にも匹敵する火力を出せるポテンシャルがあり、制御STRも相応に求められる。この制御STRの減少にTECが関係しているという話だが、まだ裏付けは取れていない。

 右手では振れない。針帯を装備した左手ならば単調な斬撃を隙だらけで使える程度だ。

 引き上げる。呼吸と共に脳髄に組み込まれたギアを上げ、STR出力を高めていく。しっかりと両手で握った深淵殺しの重々しさに、オレは感嘆しながら、全身を使って横薙ぎを放つ。そこから即座に深淵殺しを操ってイメージする深淵の魔物の頭部に向かって振り下ろし、地面に接触する寸前で斬り上げに派生させ、退いた深淵の魔物の額を貫くビジョンを描きながら刺突を繰り出す。

 ……最低でも6割半ってところか。チェーンモード無しでこれだ。チェーンモードを発動させれば、求められる制御STRは更に跳ね上がる。一撃の火力を高められるのは嬉しいが、使い所を間違えれば致命的な隙を生むだろう。

 

「何とかなるさ」

 

 要所で外さなければ良い。それだけの話だ。ヤツを相手に1度のミスは死に直結する。ならば武器が生む隙など些細なものでしかない。

 だが、さすがに深淵殺しはメインウェポンとして使い続けたいとは思わねーな。ヤツを狩る以上の役目は無さそうだし、使い潰す勢いで扱わせてもらおう。武器なんて壊れるまで酷使させるべきだ。……さすがに死神の槍が壊れたのは予定外かつ痛手だったけどな。

 それに『アレ』も思っていたよりも時間がかからなかった。要調整が必要であり、深淵の魔物に何処まで通じるかは分からんがな。

 

「……鍛錬は構わないけど、服くらい着てもらえる?」

 

 と、そこに声をかけてきたのは白衣姿のヨルコだ。ここは地下街でも隅のまた隅、壁どころか地面から崩れ、坑道の1部と繋がったような崖際だ。地下街の灯りもまばらにしか無く、クリスタルの輝きだけが星の光のように崖の向こう側と底の闇を薄らがせている。

 ボタボタと垂れる汗が上半身裸のオレを滴らせ、首筋に崖側から吹く微かな風が撫でて、運動と感染で火照った体を涼ませる。ゴムで後頭部付近に纏めるように結っただけの髪も汗を束ねたようにやや重く感じる。

 

「別に構わねーだろ? 誰か来るわけじゃねーんだし」

 

「ここ、私のお気に入りの喫煙スポットなの。つまり私のプライベートエリア。汗だく野郎がいるだけで不快なのよ」

 

「今日は先客がいたみたいだな。そう、オレだ」

 

 ジョークはこれくらいにしておこう。下手に怒りを買うのも面倒だ。それに邪魔だと言うならば出ていくさ。やりたい事は済んだからな。

 水筒に入った水を飲み、喉を潤すオレを、何故かヨルコはやや頬を赤らめてマジマジと見ている。そういえば、ヨルコも医者みたいなものか。ボールドウィンみたいにオレの不調を感じ取って観察しているのかもしれない。そうなると後遺症を悟られる前に退散した方が吉か。

 

「あの頃は可愛いお子様だったけど、これはこれで……じゅるり」

 

 ……この人、なんで涎を拭ってるんだろうな。あれか? 感染状態になると涎が過剰になるのか? オレも実は涎ダラダラだったとかさすがに嫌だぞ。

 

「ねぇ、今幾つ?」

 

「20だ」

 

「見えないわね。まだ10代後半……ううん、半ばくらいに見える」

 

 おお、オレも少し成長したな。ついこの間までは中学生に間違えられていたんだぞ。

 ……よくよく考えれば、10代半ばって中学生もエリアに入ってるじゃねーか。つまり、まるで成長してないのかよ。というか、仮想世界では成長するはずがないから、オレのアバターは1年前と寸分も狂っていない。成長する余地が無い!

 

「そんじゃ、オレはこれで」

 

「ええ。あ、その前に写真撮って良い? 医療記録でアルバム作ってるのよ。皆の生きた証を残したいし、あなたも加えてあげる」

 

 お好きにどうぞ。何やら気持ち悪い笑みを零してアイテムストレージから取り出したカメラのシャッターを切るヨルコに辟易しながら、オレは深淵殺しをオミットし、コートを肩にかけて崖際から離れる。なんかヤツメ様がドン引きしているので、恐る恐る振り返ったら、フォトデータをチェックしているヨルコが想像を超えるくらいにニヤニヤしていた。

 ……そっとしてこう。アルバム作りが趣味なおねーさんは、きっと心の闇も深いのだろう。つーか、オレの写真を撮りたがるとか、SAOにいた頃のヨルコだったら考えられなかったな。どれだけナグナで性格ねじ曲がったんだよ。

 しかし、やはりサブウェポンも鍵になってくるな。アサルトライフルは深淵の魔物相手には使えん。『オレでは有効に使いこなせない』な。スミスならば、同じアサルトライフルを持っても立ち回りで活かしきれるのだろうが、オレはまだその領域に至れていない。

 そうなるとマシンガンに頼るしかない。だが、接近して撃ち込むにしても、鎧モードの深淵の魔物相手には弾かれて終わりだろうな。そうでなくとも、ヤツの硬い肉に何処までマシンガンが通じるか分からないし、何よりも弾速が落ちやすいマシンガンでは巨体に似合わず高速戦闘を得意とする深淵の魔物相手には瞬間火力を発揮するタイミングが限られ過ぎて、左手を埋める重荷になりかねない。

 だからと言って深淵の魔物相手ではばら撒きの牽制すらも意味を成さないだろう。やはり、ここはいつも通りに4つの武器を使うべきなのか? だが、≪銃器≫は距離を取りながらでもダメージを稼げる貴重な存在だ。やはり、深淵の魔物と対峙する上では欲しいところだ。

 悩みながら歩いていると、どういうわけか、変な視線を感じてならない。ヤツメ様が唸って周囲を警戒しているのだが、よもや深淵の魔物の襲来が近いのだろうかとオレは焦る。さすがに深淵殺し1本でヤツを仕留めきれるとまで驕っていない。万全の準備が無ければヤツには勝てないだろう。

 だが、周囲を見回しても、非戦闘員の烙印を押された脱落者のプレイヤーが壁にもたれているくらいだ。いずれも、【渡り鳥】という悪名に怯えるように……怯える、ように?

 おかしいな。なんか、ヨルコと同じように、変な目をしている連中ばかりだ。男も女も関係なく、チラチラとオレの事を見やがって。そんなに上半身裸体が珍しいか。そんなにオレが臭いか!? 仕方ないだろうが! スタミナ切れ寸前まで深淵殺しを物にしようと振るい続けてたんだからさ!

 

「クゥリくん、何をやっているの!?」

 

 そこに土煙を上げる勢いで駆け寄ってきたのはグリセルダさんだ。グリムロックと会議室に籠ってから、いつの間にか6時間以上か。さすがに話は終わっていたようだな。

 

「ああ、グリセルダさん。ちょっと、向こうの崖際で武器の――」

 

「良いからこっちに来なさい!」

 

 そう言って鬼セルダさんの表情でオレの首をホールドする。あ、さすがはヒートパイル使い。オレよりもSTR高いな。だけど出力を上げれば……あ、駄目だ。抵抗したら首を折られる。大人しくしておこう。

 連行されたのは、質素ながらも、ベッドと棚が設置された小部屋だ。私物らしい私物は無いが、数冊の本と飾られたヒートパイルを見て、ここがグリセルダさんの部屋だと分かる。さすがは脱出組のリーダーというだけあって、私室が与えられていたわけか。

 

「少しは他人の目を気にしなさい! 少しは大人っぽくなったと思ったら、中身はあの頃と同じ子どものままじゃない!」

 

 水で湿ったタオルを無理矢理椅子に座らせたオレの頬におしつけ、髪をわしゃわしゃと拭く。汗とは違う、冷たく清涼な水が肌を伝い、オレは思わず身震いした。

 

「これでも気にしてるさ。でも、一々取り合ってたら疲れるだけだ。どれだけグリセルダさんが誉れを込めた名前でも、【渡り鳥】は悪名だ。それは受け入れるさ」

 

 されるがままに抵抗はしない。だが、今度は乾いたタオルでオレの頭を包んでいたグリセルダさんの手は何故か止まる。

 

「……そういう事を言ってるんじゃないわ」

 

「だったらどういう意味だ?」

 

 訳が分からん。首を傾げたくなるオレに、グリセルダさんは何故か苦しそうに微笑む。

 少しだけ……本当に少しだけ、母さんに似ているな。母さんもオレによくそういう顔をした。何を伝えたら良いのか分からない、言葉にすることが出来ない想いを伝えたいような、不器用な人が見せる微笑みだ。

 オレは良い子になりたかった。兄貴やねーちゃんみたいに勉強はできないし、学校ではトラブルばかりを起こしていた。母さんには迷惑ばかりをかけていた。

 我慢したかったんだ。でも、ヤツメ様の瞳を馬鹿にするヤツらを許せなかった。この瞳は……久藤の女にだけ継がれるはずの血の赤が滲む黒色は、オレにとって確かな、久藤の血を継いでいるという、ヤツメ様を奉じる狩人の子孫だという誇りだったんだ。

 もちろん、年齢を重ねて自制心を育てれば、言葉の1つや2つで暴力で訴える真似はしなくなった。でも、必ず思い知らせた。そうしなければ気が済まなかったんだ。

 怪物? 悪魔? 鬼? 違う。そんな毒の言葉を吐きつける連中こそが本物の怪物だ。

 

「オレは……何か悪いことをしたか? もしかして、ここの秩序を乱す真似をしたか?」

 

 さすがに半裸で歩き回ったのは……うん、考え見てれば公共の場に相応しくなかったかもしれない。幾ら戦場と同化した場所でも安全地帯だ。守られるべきルールがあるのだろう。

 

「何も悪いことはしていないわ。半裸で歩き回るなんて日常的よ。ここは地下で暑くて息苦しいし。それに最近は何故か汗も掻くようになったから、私もこの前ついついブラが透けたままタンクトップ姿で歩き回っちゃったわ」

 

「目の毒だな」

 

 お世辞でなくとも美人のグリセルダさんがそんな姿ならば、ここの男共も劣情を催したのでないだろうか? これはグリムロックの怒りポイント上昇ネタだな! 過去はどうであれ、今のアイツは日本でも十指に入る愛妻家だぞ!

 

「そうね。でも、あなたはそれ以上よ。クゥリ君、あなたはとても……男の子に言うのはおかしいかもしれないけど、とても綺麗になったわ。男か女かも分からない、本当に綺麗な人に。だからこそ、他人の目を気にしなさい」

 

 濡れた髪を拭くタオルを再び動かすグリセルダさんの声音は厳しく、そして優しい。だからこそ、オレは彼女の顔を見たくない。彼女に名付けられた【渡り鳥】という称号が、どれだけ血で汚してしまったのかを思い知る。そこに後悔は無いが、だが、決して彼女に対して誇れるものではない。

 

「あなたは、自分が思っているよりもずっと魅力的な人よ。もっと自信を持ちなさい」

 

 はい、終わり。そう言ってグリセルダさんはタオルを取り払う。オレは上半身の衣服と防具を装備し、羽織ったコートの裾を広げながら、椅子から立ち上がれずに、グリセルダさんを見上げる。

 黄金林檎に入れようとしてくれた。あの日の晩……グリセルダさんに夕食に誘われた、グリムロックと初めて出会った夜、彼女が他のメンバーを説得してオレをギルドに加えようとしてくれた。

 でも、グリムロック以外の全員が反対した。きっとグリムロックも『良い夫』を演じる為に、表立ってグリセルダさんの反対をしなかっただけだろう。ベッドに潜り込んでも眠れなかったオレは彼らの口論を耳にして、やっぱり独りになるしかないんだ、って思ったんだ。

 だから逃げ出したんだ。窓から飛び降りて、もしかしたらグリセルダさん達が追って来てくれるんじゃないかって子どもながらに期待して、でも誰も来なかった。

 寂しさは無かった。ただ『痛み』だけが胸の中で泡立ち、石となって、水底に沈んだ。

 

「……分からないんだ」

 

 ぼそり、とオレは呟く。そうすべきでないと分かっていても、呟いてしまう。

 

「独りで『戦うしかなかった』んだ。それが普通になってたんだ。『アイツ』と一緒に戦ってた時だけが、オレにとって、独りじゃなかった頃なんだ。だけど、理解し合うことはきっと出来ていなかった。友情を確かめることもできなかったし、仲間意識も持てたかどうか分からない。オレが『アイツ』に感じていた友情なんて……ただの一方的なもので、『アイツ』はいつだってオレの『力』だけを見ていたんじゃないかって、そう思えてならないんだ」

 

 分かっている。『アイツ』はそんなヤツじゃない。きっと、友情ではなくとも、オレには仲間意識を持っていてくれたはずだ。傭兵だから道具のように扱うと割り切れる程に器用な男じゃない。

 でも、オレは『アイツ』を殺したかった。ずっと殺したかった。壊して、グチャグチャにして、絶望塗れになっている顔面を潰して、笑いたかった。

 こんな欲求が源のオレに、正しく友情を抱けていたとは思えない。単に『アイツ』を殺したくて、その願望を友情と勘違いしていただけなのではないだろうか?

 オレはまだ独りでやれる。ひたすらにそう繰り返して、DBOでも戦い抜いてきた。ディアベルやシノンと道を違え、クラディールとキャッティを死なせ、ユイの手を振り払い、傭兵として戦ってきた。

 

「もう、独りで、戦わないで、良いのかな?」

 

 ベヒモスは言ってくれた。少なくとも『この戦い』でオレは『独り』ではない、と。

 ならば、追い求めて良いのだろうか? 変わりたいと望んだオレでも、この身に染み付いた独り身の戦い方を捨て去り、真っ白にして、たとえ不器用でも、誰かが隣にいる、誰かが守ってくれる、誰かが力を貸してくれる、勝利の後に肩を叩き合って笑える人々を求めて良いのだろうか?

 深淵の魔物と戦っていた時、会いたい人たちを思い浮かべた。それが立ち上がる力になった。

 

「オレも……こんな汚れきった【渡り鳥】でも、『誰かを救える』って、『仲間を助けられる』って……思いたいんだ」

 

 ユウキ、これで良いのかな?

 普段は胸の内に閉じ込めているものを、少しずつでも、他人に知ってもらおうとすることが、変わる為に必要な事なのだろう?

 鉄の城で戦い続けた頃に、それぞれの心が壊れていった、絶えず死がそこにあった、常に死線と交差しながらも頂上を目指していた頃は、『アイツ』だけが隣にいてくれた。

 オレは帰りたいのかもしれない。『アイツ』と共に冒険していた日々に。オレが『オレ』を感じられた時間に。たとえ『アイツ』のヒースクリフへの憎悪を、アスナを失った事への後悔を出汁にして自分の本質から目を背け続けていた微睡の時間だとしても、今度は夢から覚めずに現実のものにしたいのかもしれない。

 いつか、全てが終わって、ちゃんと変わることができて、現実世界に戻った時に、生還した事を喜び合える人々が欲しいんだ。そう、願える『オレ』が欲しいんだ。

 

 

 

 嘘吐き。本当はこの殺し合いの世界が永遠に続けば良いって思ってるくせに。そうすれば、いつまでも『狩り』が続けられる。狩人の業と獣の本質、その両方を満たせる楽園は他でもない、数多の強敵と恐怖と死に塗れたこの狂える世界なのだから。それだけが『私たち』の飢えと渇きを満たすのだから。

 

 

 

 後ろからオレを抱きしめるヤツメ様の囁き。オレ自身の本音。ああ、分かってるさ。だからこそ願うんだ。だからこそ祈るんだ。

 好きなように生き、好きなように死ぬ。それがオレの祈りだ。

 願いが本質に反するものだからこそ、オレは祈るんだ。それが変わるって事だろう? それがいけない事なのか? 教えてくれよ、ヤツメ様。

 

「……クゥリくん、やっぱりあなたは優しい子ね」

 

「違う。本当に優しいヤツに失礼だ。オレはただの……利己主義な傭兵だ」

 

 独りになりたくないと願う自分が欲しいだけだ。それ以外の何物でもない。

 なのに、グリセルダさんはゆっくりと首を横に振り、悪戯っぽくオレの額を右手の人差し指で突く。

 

「良いことを教えてあげるわ。本当に優しい人はね、いつも自分のことを『優しくない』って言うの。あの人と同じ」

 

「惚気かよ」

 

 他でもない『あの人』とはグリムロックの事だろう。オレは額を抑えながら、ベッドに腰かけるグリセルダさんの複雑な感情を映す口元の曲線に眼を向ける。

 

「私を殺した理由と経緯、それに今日までの断罪の旅。全てを聞いたわ。正直ね、呆れたわよ。私が『ユウコ』から変わっていったから殺すなんてね。本当に……私の自業自得過ぎて笑えたわ」

 

 いやいや、それはおかしいだろう? オレは思わずツッコミを入れたくなるも、グリセルダさんの話には続きがあるのだからと口を紡ぐ。

 

「私は呑まれていた。あの人は呑まれていなかった。SAOという『ゲームだけど遊びじゃない』世界に、私はきっと狂っていたのね。今もきっとそうなのよ。あの頃と同じまま……いいえ、きっと悪化しているわ。あの人と出会った『ユウコ』は死んでしまった。命という意味ではなく、心という意味で、精神という意味で、死んでしまった。ここにいるのは……『SAOプレイヤーであり、死んだのに蘇ったゾンビ同然のグリセルダ』なんていう、醜い存在」

 

 それは違う。グリムロック自身が言っていたが、倫理観が薄れていくSAOに、アイツも溺れていたのだ。だからこそ、妻殺しなどという凶行に手を染めた。

 そこまで考えて、オレは気づく。

 似ている。最悪なくらいに、グリムロックとグリセルダさんは……似ている。互いに罪を見出し、自身を責めている。グリセルダさんはそんな必要が無いのに、自分が殺された事への罪を探そうとしている。

 どうして? なんで? 理屈に合わない。殺されたグリセルダさんは罰する側なのだから、我が身に罪を探し出す事にどんな意義がある? そんな狂える所業が何の価値を持つ?

 ああ、分かっている。分かっているんだ。馬鹿らしいくらいに、オレにだって『理由』は分かっているんだ。

 

「今のあの人は『グリセルダ』を愛してくれている。『ユウコ』も『グリセルダ』も愛してくれている。ここにいるのは……『グリセルダ』だけなのに」

 

 もう、思い出せないんだ。

 記憶が無いとか、そういう意味ではなくて、グリセルダさんは分からないのだ。グリムロックと出会った頃の自分を。SAOにログインする前の自分を。もはや『演じる』こともできないくらいに、SAOの日々の中で殺し尽くしてしまったんだ。

 ならば、彼らが最初に結んだ夫婦の絆は何処に行ってしまったのだろうか? もう、グリムロックが凶行を成す前に、焼き尽くされて灰となっていたのだろうか?

 

「それが『変わる』って事なんじゃないのか?」

 

「違うわ。これは『変わる』なんてものじゃない。『捨てた』と言うのよ。ヨルコと同じ。彼女もこのナグナで擦れて、壊れて、あんな風になってしまった。あれが『変わる』と言える? 言語としては言えるかもしれないわ。でもね、本質的には『壊れた』と言うのよ」

 

 ヤツメ様がオレの足下でニヤニヤしながら笑い、両手で頬杖をついている。もしかしたら、オレも1つ間違えればグリセルダさんと同じになっていたかもしれない。『変わる』と『捨てる』、『変わる』と『壊れる』はきっと違うのだ。ヤツメ様を捨て、閉じ込め、消し去ろうとするのは……オレ自身を砕く最悪の選択なのだ。

 エドガーは聖職者になった。本質が聖職者だったからだ。だが、エドガーもまた死者とはいえ、現実世界を生きた個人だったはずだ。その人生を歩み、培われた心は何処に消えた? 今も受け継がれているのか? 今も彼の中に刻み込まれているのか? それとも、すでに炎に呑まれて灰となったのか?

 

「……哲学的だな」

 

 以前にサチを見て抱いた。記憶喪失の人間は果たして元の人物から連続した存在と言えるのか否か。オレは肯定したが、心と魂が失われていたならば、たとえ記憶が連続していても、肉体を形作る血が同じでも、それは同質の存在とは言えないのかもしれないな。

 

「ええ。深く考えるべきではないわ。でも、忘れるべき事柄でもないはずよ。特に、私のような死者はね。でも、クゥリくんは生きているわ。だから、『変わりたい』と望むならば変わりなさい。捨てることなく、壊れることなく、変わりなさい。これは『その程度』で良い事なのよ」

 

 そして、『その程度』を忘れてはならない。それがグリセルダさんにとっての教訓であり、オレへの戒めなのだろう。

 ヤツメ様の手を改めて握りしめる。絶対に離さない。共に行こう。彼女は嬉しそうにオレに抱きついて、グリセルダさんを殺そうと誘う。あの優しげな微笑が崩れるまで、何度も何度も壊そう。そして、それをグリムロックに見せて、彼に恐怖と狂気を植え付けてから殺そう。ヤツメ様は甘く、蕩けるように、オレの耳に息を吹きかけながら、囁いてくれる。

 これで良いんだ。オレはヤツメ様と生きていく。だから、彼女の願いを知り続けよう。オレの本質を見つめ続けよう。でも、深淵を覗き込んでも呑まれないように、怪物に成り果てないように、生きていこう。

 

「ありがとう」

 

「そういう素直なところは変わらないわね」

 

 オレが素直とかあり得ん評価だな。だが、グリセルダさんが鬼セルダさんになっても困るので、いつもの皮肉と憎まれ口は封印だ。

 

「じゃあ、グリセルダさんの判決は?」

 

「とりあえず、ケツパイルだけで許してあげるとするわ。フフフ、縛り上げて豚のように悲鳴を上げさせてから、何度も何度も背中を踏みつけた後にケツパイル。心が躍って涎が……」

 

 しばらく考える素振りも無くグリセルダさんは満面の笑顔でグリムロックへの罰を……罰と言えるのかどうかは知らんし、あのグリムロックならばグリセルダさんにされる行為は全て『ご褒美』とか『夫婦のコミュニケーション』とか『性活を彩るスパイス』とか言いそうだな。それはともかく、やはり感染は過剰な涎をもたらすのか。ヨルコと似たような気持ち悪い顔で美人を台無しにしたグリセルダさんが袖で口元を拭う

 だが、その笑顔に隠された苦悩は必ず芽吹く。グリセルダさんが『ユウコ』ではない限り、グリムロックを見る度に彼女は自身に罰を下す。そして、グリムロックもまたグリセルダさんに罰を下されないという罰を受ける。

 それで良いのだろう。それが結末で……良いのだろう。

 

「あとはグリムロックがどう『決着』をつけるかだな」

 

「決着?」

 

「ああ。でも、それはグリセルダさんが決めるべき事じゃない」

 

 忘れるなよ、グリムロック。オマエは生者だ。そして、グリセルダさんは死者だ。つまり、DBOを攻略する手助けをするという事は……たとえ傭兵でも攻略の一助となっているオレの鍛冶屋を続けるという事は、グリセルダさんに1段ずつ死刑台に上らせるという事だ。だから、オマエは選ばないといけない。

 DBOの攻略を望むか否か。この仮想世界に囚われたプレイヤーに反逆してグリセルダさんと共にあり続ける道を目指すか。どちらを選んだとしても、オマエならばきっと後悔はしないはずだ。それだけはオレも確信を持てる。

 それを考えた時に、同時にオレは『裏道』もあるのだろうとも考える。『アイツ』がアスナを取り戻すという作戦を立てた時に、このロジックに気づかず、感情のままにDBOにログインしたとは思わない。必ずこの理屈の攻略法を握りしめていたはずだ。まぁ、大体予想がつくが、だからこそ茅場の後継者も手抜かりなく『アイツ』を殺そうとするだろう。

 ……『決着』をつけるべきはオレか。早めに『アイツ』と戦い、この殺意の欲求に答えを出さねばならない。殺すにしても、生かすにしても、敗れるにしても、死ぬにしても、『アイツ』と戦わねば何も始まらない。

 手加減はしない。オレは傭兵としてではなく、『アイツ』の友でありたい男として、全力を尽くす。

 

「それにしても、本当に綺麗になったわね。危うく嫉妬しそうになったわ。もしかしなくても、モテモテなんじゃないの?」

 

 ぶにぶにとオレの頬を両手でこねくり回しながら、グリセルダさんはまじまじとオレの顔を見つめる。あのね、幾ら人妻でもね、美人さんにそういう事されるとオレも相応に恥ずかしいというか、男として嬉しいというか、とにかく止めてもらいたい。

 そもそもオレは男なのだから綺麗とか言われても複雑なだけだ。あの忌々しい男子校時代が……糞ホモ共に告白されまくった暗黒時代の記憶が蘇ってしまう。うん、これは『壊す』べきものだ。ヤツメ様も笑顔で踏み躙ってくれている。そうさ。不要なものはごみ箱に捨てないとな!

 

「残念ながら、オレはお独り様だ。むしろ彼女募集中だ、糞ったれが」

 

「そういう汚い言葉遣いは止めた方が良いわ。まったく、あの頃はとても丁寧で品もあったのに、どうしてこんな風に捻くれてしまったの? だけど、身長もすっかり伸びちゃって。まだまだ子供っぽいけど、あなたも大人になっているのね。だったらこれって反抗期の1種かしら?」

 

「……ちょっと待ってくれ」

 

 グリセルダさんの何気ない一言に、オレもヤツメ様も糞ホモ共の悪夢の記憶掃討作戦を緊急停止する。

 

「今、何て、言った?」

 

「え? だから、あなたも大人になって――」

 

 そういうお決まりは要らないから! オレは椅子から立ち上がり、先程とは逆にグリセルダさんを見下ろす。

 こうしてはいられない。グリムロックを……グリムロックを探さないと!

 

 

▽    ▽    ▽

 

 

 壊れた打剣を見て、やはりか、という無念さをグリムロックは抱かずにはいられなかった。

 分かってはいたことであるが、深淵の魔物との戦いは苛烈を極めたらしい。会議室で見たクゥリは疲弊し、なおかつ死神の槍も未装備状態だった。恐らくは致命的な破損をしてしまったと見るべきだろう。

 脱出組の工房を一手に担うボールドウィンに渡された打剣に修理を試みるが、やはり破損修復素材が必要だ。そして、それはボールドウィンの保有する、脱出組が貯蓄した膨大な素材系アイテムのリストにヒットするものはない。

 つまり、打剣の修復は絶望的という事だ。いずれも優れた素材系アイテムであるが、肝心要の修復に不可欠な素材系アイテムが無い。これではレア素材も無意味だ。

 

「うーむ、いっそソイツを基に新しく開発し直した方が早いかもしれんのぉ」

 

「やはりそう思いますか?」

 

 顔を合わせた当初こそボールドウィンはグリムロックを若造扱いしていたが、彼が≪鍛冶≫を披露すればすぐに『同志』と理解したのだろう。瞬く間に態度を友好的に変えて接してくれていた。

 

「あの小僧の戦闘スタイルに合わせてるつもりじゃろうが、どうにもオマエさんの武器は『殺し』が足りんのぉ」

 

「どういう意味です?」

 

「言葉通りじゃ。あとは自分で考えろ」

 

 ボールドウィンが言わんとする事を理解しきれず、グリムロックは思案し、やがて自分の中で回答を出す。

 

「つまり、私の武器は『敵を殺す』為の武器ではない、と?」

 

「本質は捉えているな。どうにもオマエさんは遊び心があり過ぎる。武器の本質は『敵を殺す』に尽きる! 機能美や外観など所詮はそれを目指した結果に過ぎん!」

 

 それはボールドウィンの美学だ。鍛冶屋の数だけ美学があるように、それが絶対的な真理ではない。グリムロックは知る限りの優れた鍛冶屋を思い浮かべる。

 トータルコーディネートこそが真に目指すべきものとしたヘンリクセン。

 変形こそ浪漫。革新的な構造を持つ武具の開発を求めたマユ。

 エドガーの話でしか分からないが、思想を色濃くした武器こそが強さと信じているだろう事は明確なイド。

 そして、グリムロックが目指したのは『作りたいものを作る』である。それ以上でもそれ以下でもない。鍛冶屋として純粋であり、同時に他の者が個々の道を選んだのに対してグリムロックは『枠』をそっくりそのまま抱え込んでいる。

 それ故にボールドウィンの言葉は突き刺さる。クゥリのオーダーに応える事はあっても、望むままに武器と防具を提供する腕前はあっても、彼には目指すべき完成系が未だに明確化されていないのだ。それ故に開発は多岐に亘って自由であり、他の鍛冶屋よりも著しく好奇心を優先する傾向があるが、だからこそ発展途上とも言える。

 

「『敵を殺す』ですか」

 

 自分の武器で命を奪われる事に不満は無い。むしろ、クゥリはDBOでも屈指の『殺人者』だ。それは悪意でも何でもなく、事実として認めるべき事だ。

 だからこそ、グリムロックが掘り下げるべきなのは何なのか、考えさせられる。まず思い浮かべたのはレイレナードだ。アレが完成すれば、間違いなく、DBOに激震が走るだろう。その一方で、使いこなせるのはクゥリぐらいだろうという諦観もグリムロックにはある。大衆に提供したいという名誉心からではなく、クゥリの能力を基準として開発を進めてきた弊害だ。

 

「ワシはなぁ、孫にせがまれて良く分からん仮想世界なんてものに囚われた老いぼれよ。じゃがな、これでも仕事一徹の刀鍛冶じゃ! 目指したのは良き刀ではない。人斬り包丁じゃ! こう言えば異常者扱いされるが、ワシは日本刀を美術品ではなく武器として鍛えた! 名声とも程遠く、同じ刀鍛冶からも理解されず、挙句に危険人物扱いされる始末じゃ」

 

 それは仕方ない事だろう。現代日本で、たとえ美術品として評価されていても『凶器』を作る人物の目的が『人殺しの武器を鍛える事』など、それこそメディアにセンセーショナルに取り上げられかねず、また同じ鍛冶の道を歩む者からも賛同は得られない。

 だが、グリムロックはSAOとDBOに長く身を置いた鍛冶屋だ。たとえ、歴史ある本物の鍛冶技術は知らずとも、≪鍛冶≫というシステムを齧り尽くし、その極みを目指している。

 

「どんなものでも、作り手の想いとは存外分かり易い形で反映されるもんじゃ。たとえ、この世界が人間様の作り出した夢みたいなものだとしても、真理は変わらん」

 

 ただオーダーに応えるだけでは駄目なのだ。確かにそれは優れた武器かもしれないが、ボールドウィンの言う真理には至れない。

 

「ただひたすらに強き武器を」

 

 グリムロックは呟き、右手を見つめ、握りしめる。

 

「今の私には……無念ですが、それだけしか見えません」

 

「十分じゃ。ワシもこの歳になっても良く分かっておらん。ただ『殺し』の武器を。狂信と罵られても傑作を。今にして思えば、ワシは深淵の魔物を見た時に震えたのじゃ。あの怪物を討ち取る武器を鍛えられるとは何たる僥倖か、とな。じゃが、蓋を開いてみれば、誰も彼もが奴から逃げる事ばかり。誰も挑もうとは思わん。じゃが、あの小僧を見て分かった。アレはヤツを前に心折れず、むしろその首を獲らんとする目じゃ」

 

 それは幸せな事なのだろうか。恍惚といった表情を浮かべるボールドウィンの眼には、未だ衰えぬ探究心がある。深淵殺しもまた、彼が求める『殺し』の武器には程遠いのだろう。

 

「全力を尽くす。それ以外に今はありませんね」

 

 グリセルダは何も言わなかった。グリムロックが全てを話し終えても、彼女は無言を貫き、微笑むだけだった。

 罰はなく、戦いへの準備に駆り立てられる。ならば、このナグナを脱出した時にこそ、自身の求める断罪の時が来るのだろうとグリムロックは信じる。

 

「サブウェポンですが、とりあえずは急場拵えでボールドウィンさんの作品に手を加えるというのはいかがでしょう?」

 

「うむ。それが良かろう。そうなると、深淵殺しはちょいと重過ぎるからのぉ。軽めの武器が良いかもしれん」

 

 理想としてはカタナだろう。クゥリはカタナと両手剣の組み合わせにある種のこだわりがあるような気もする。無意識なのかもしれないが、そのセットが多いのは、彼にとって何か特別な理由があるような気もする。

 だが、カタナはその性質上故に、繊細な設計を要求される。事実としてグリムロックは今までに1度としてクゥリのカタナを仕立てた事が無い。それは満足いく設計が今以って成されていないからだ。前々から温めているプランも幾つかあるが、それを実現できるだけの素材が無い。

 

「やはりクリスタル系の素材が多いですね」

 

「余っているのは【雷帝結晶】ばかりじゃがな。それも大半は純度が低くてレアリティも無い屑石ばかりじゃよ。とはいえ、【被雷合金】や【伝雷合金】を作るのに重宝するがな。タンク共がいた頃は盾の素材にしてロボット共の雷属性攻撃を誘導していたんじゃがな。他にも設置型避雷針をアイテムとして開発したんじゃが――」

 

 この語りの様子だと十分に効果を発揮できなかったという事だろう。グリムロックは雷帝結晶のレアリティが低いと聞かされていながらも、通常ならば屑石クラスでも安売りはされないだろうものばかりである事に、ボールドウィンを始めとした脱出組がいかに素材集めに執心したかを把握する。特に【雷帝結晶の塊】は、ナグナに囚われ続けているにも関わらず、僅か5個しか在庫が無いのを見るに、奇跡級のドロップアイテムと見るべきだろう。しかもその中でも純度が納得できるレベルで高いのは2個だけだ。

 

「これらを武器素材にするにしても、癖が強過ぎますね」

 

「そういうわけじゃ。ワシにもプランはあるのじゃが、それにはやはり最高の素材! 【純粋な雷帝結晶】が欲しいところじゃな!」

 

「悩みは尽きませんね。ですが、足を止めて考えるばかりでは良い物もできません。まずはある物を活かしましょう」

 

 頭の中で並行して幾つかの開発計画を組み立てながら、グリムロックはボールドウィンの作品を1つ1つ選別し、クゥリに適切なサブウェポンの作成に取り掛かる。あくまで彼に合致するように改修する事が目的なので、癖とステータスを知り尽くしたグリムロックならば時間もかからないはずだ。

 と、そこに現れたのはクゥリだ。修復が終わったと思って打剣を受け取りに来たのかと思い、グリムロックは渋い顔をする。彼はそれなりに打剣も気に入っていた様子なので、修復が難しいと知れば顔を顰めるだろう。

 

「クゥリくん、実は打剣の――」

 

「そんな事よりもメジャーだ!」

 

 めじゃー? メジャーリーグボールの速報でも入ったのだろうか? 生憎、野球には興味が無いグリムロックは、必死、あるいは嬉々、または驚愕した表情のクゥリを前に顎に手をやって、どのようなボケで返すのが正しいだろうかとたっぷりと1分ほど悩む。

 そこに、クゥリの後を追って来たらしいグリセルダも工房に到着する。彼女はグリムロックを見ると視線を逸らすも、それは彼も同じだ。まだ互いに感情の整理がついていないのだから仕方ないだろう。

 だが、それもお構いなしにクゥリはグリムロックの襟首をつかんで振り回す。

 

「早くメジャーだ! オレの……オレの身長を測れ!」

 

「身長?」

 

 何を言いたいの変わらず、だが求められるままに、簡易鍛冶道具セットの中にあるメジャーを取り出し、直立不動の姿勢を取るクゥリの身長を測定する。

 そして、グリムロックは思わず唖然とした。

 専属鍛冶屋として、腕の長さから身長まで、グリムロックはクゥリのあらゆる要素を完璧に記憶している。それによれば、クゥリの身長は151センチ。正確に言えば、151.2センチである。

 だが、今のクゥリの身長は……身長は……!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………………ひゃ、160.9センチ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それはクゥリが仮想世界の夜空を駆ける流れ星に捧げ続けた願いの叶う神秘。

 

「成長期ばんざぁああああああああああああああああああああああい!」

 

 ガッツポーズしてそのまま神への祈りの姿勢に変わったかと思えば、ムーンウォークを披露し、黄金の意思を持つ奇妙な冒険野郎共のようなポーズを取るクゥリに、グリムロックはあり得ないと頭を振る。

 ここは仮想世界なのだ。クゥリも、グリムロックも、現実世界と同じ姿をしているのは、初期起動のキャリブレーションのデータが流用されているからに他ならない。だが、現実としてクゥリの身長は伸びている。

 そういえば、SAO事件後に聞いた事であるが、医療スタッフは眠り続ける被害者をナーヴギアと医療機器を接続する事で心拍や脳波といったデータを測定していたらしい。ならば、より世代交代が進んだ最新型のアミュスフィアⅢならばそれらの機能も拡張され、より高度かつ複数の医療データ管理ができるのではないだろうか? そして、それをアミュスフィアⅢ側がハッキングして、外観情報……たとえば身長などを収得してフィードバッグしているとしたら?

 

(だが、そこまでする意味は? 意義は?)

 

 まるで茅場の後継者の意図が分からない。だが、成長するアバターに、純粋に喜んで小躍りするクゥリを前にしながら、グリムロックは薄ら寒いものを覚えた。

 

 

 

 

 それはまるで……アバターが『本物の肉体』にまた1つ近づいたかのようではないか、と。




主人公(白)、夢の160センチ台へ。

それでは、203話でまた会いましょう。

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