SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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本作のヒロインから見る主人公(黒)の人間関係を簡単に表した図

       ヤンデレ
     ヤンデレヤンデレ
   ヤンデレ黒い人ヤンデレ
     ヤンデレヤンデレ
      ヤンデレ


     シノン





Episode16-20 命を大事に

 地下街を出発し、停止した長いエスカレーターを階段のように駆け上がり、崩落のせいで無駄に入り組んだ通路と各所に攻略活動として作られた鉄板を繋いだだけの橋を渡り、そうして30分以上の時間をかけて到着したのは、地下駐車場と思われる空間だった。大半の自動車はただのオブジェクトであり、運転できるものではないらしく、これさえあれば古いナグナでも機動力を確保できるのに、と愚痴を零すグリセルダさんを先頭にして地下駐車場を出た瞬間がこれである。

 黒ずんだ木の葉を揺らす街路樹、空は赤黒い暗雲が渦巻き、コンクリートで舗装された車道と歩道は先進的な都市のものだ。立ち並ぶのはビルや研究施設の類だけではなく、娯楽施設も多い。そんな何処か現実世界の風景を思わす古いナグナであるが、感傷に浸らせる暇も与えずに『これ』である。

 オレ達を迎えたのは可愛いバニーガールでもなければ、美人のおねーさん達でもない。ムキムキの強化巨人兵だ。しかも3体である。いずれも頭部には顔が無い窪みだけがあり、アサルトスーツを思わす黒光りする装甲を纏っているが、素の防御力が高いと物語る様に要所だけを覆っている。1体は鉄骨を引きずり、1体は火炎放射器とモーニングスター、1体は4連装だろうロケットランチャーと赤熱した大型ブレードを装備している。

 さて、どうしたものだろうか。背中から抜き放った深淵殺しの先端でコンクリートの地面を抉りながら、3体に突撃するオレは思案する。グリセルダさん達はボス攻略の為に今まで情報収集を続けてきた。安全ルートを割り出したと言っていたが、序盤からその大前提が崩れた事になる。それは浮足立つことはなくとも、明らかな苦渋が見られる脱出組の面々を見れば分かる。

 強化巨人兵相手に消耗が強いられれば、それだけボス攻略は遠のく。そうなると、いかにスピーディかつ損害を被ることなく巨人兵3体を撃破するかが焦点か。

 まずは突撃するオレに強化巨人兵の火炎放射器持ちが大口の砲口からドラゴンのブレスを思わす火炎を吐き出す。直線的な炎を右に避け、そこに跳び込んで来た鉄骨持ちの振り下ろしを更にサイドステップで躱し、飛び散る瓦礫の中で見失うことなく、ロケットランチャー持ちが距離を取ってトリガーを引く瞬間にマシンガンを放つ。それは射出タイミングと同時にロケットランチャーに誘爆させ、至近距離での爆発がロケットランチャー持ちを呑み込む。

 

「まずは1体」

 

 もちろん、誘爆程度で仕留められるなど思っていない。だが、すでに『奴』が駆けたのは分かっている。

 エドガーだ。オレが突撃したタイミングで意図を把握したのか知らんが、『距離を取るように誘導させた』強化巨人兵の背後に回り込んでいる。その体勢が整うより先に、片膝をついたロケットランチャー持ちの肩に飛び乗り、その首裏に重ショットガンを突き付けていた。

 轟音が響いて超至近距離から重ショットガンがロケットランチャー持ちの首を吹き飛ばす。なおもHPを残す強化巨人兵のタフさには驚かされるが、エドガーは重ショットガンの反動すらも利用して腕を振るって彼を払い除けようとするロケットランチャー持ちから退避し、そのまま着地と同時に右手の両刃剣のソードスキルの連撃を浴びせる。ダウンした所に、しっかりと心臓を串刺しにして復帰させる事無く強化巨人兵を1体討伐する。

 火炎放射持ちが唸り、まだリーチ内に収めているオレを薙ぎ払うようにモーニングスターを振る。鎖の先端についた禍々しいトゲトゲの鉄球はオレに接近するも、膝の力を抜いて脱力し、姿勢を下げたオレの頭上を掠めるだけに留まる。鉄骨持ちが槍のようにオレの背後から大質量の金属を突き出すも、ふわりと跳躍して必殺の刺突を躱して、逆に地面に突き刺さった鉄骨を足場にして深淵殺しで強化巨人兵の胸を薙ぐ。

 

「これで2体」

 

 鉄骨持ちはたじろぐ事無く反撃しようと鉄骨を持ち上げるが、鈍足であろうとも駆け寄るだけの時間があったベヒモスに背後を取られ、ガトリングガンの砲口を背中に押し付けられる。吐き出されたガトリングガンの弾丸が強化巨人兵の腹をぶち抜いていき、その間にオレは退避ついでとばかりにマシンガンをしまって、チェーンモードを起動させた《両手剣》単発系ソードスキル【シャドウ・ステイ】で鉄骨持ちを横に薙ぐ。後退しながら発動するこのソードスキルは火力ブーストこそ低いが、使い所を間違えなければ回避と攻撃を同時にできる利点がある。何よりもソードスキルによるシステムアシストはチェーンモード中の深淵殺しを矯正してくれる。

 猛獣の咆哮のような駆動音を響かせ、暴れ馬のように手元から抜け出そうとし、STR出力を最大限に高めなければ斬撃の軌道が歪んでしまう。オレのSTRでは出力を全開にしてもコントロールしきれるのは一閃が限度だ。何よりもコイツはチェーンモードのチャージが無く、自由に発動できる代わりに毎秒ごとの使用スタミナ量が桁違いだ。15秒も連続起動させればオレはスタミナ切れになってしまう。

 首をチェーンモードで斬り飛ばされ、そこから即座にダッシュして心臓どころか胸そのものを回転する刃で抉り飛ばす事で鉄骨持ちが赤黒い光になって爆散する。後は火炎放射持ちだけだが、すでにグリセルダさんの指揮の下で包囲網が敷かれ、遠距離からのライフル攻撃によって順調に削られている。

 

「これで3体」

 

 勝負はついた。オレは焼夷手榴弾を取り出してピンを外すと、火炎放射持ちに背中を向けて離れながら背後に投擲する。それはライフル攻撃の包囲網から脱そうとモーニングスターを振るったまさにその瞬間の強化巨人兵の眼前で弾丸が命中して爆ぜた。強化巨人兵の声ならぬ悲鳴が上がり、炎に呑まれた体で暴れ回るも、接近戦を主とする、穂先に電撃を纏った槍装備3人が同時にソードスキルによる突進突きを放ち、3人に腹・横腹・心臓を串刺しにされた強化巨人兵は撃破された。

 

「ロケットランチャー装備を早期に倒せたのが功を奏しましたな」

 

 オートリロード分の弾数がかなり制限される重ショットガンは継戦能力もそうだが、再射撃までのインターバルも長い。その分だけ1発の火力は増したのだが、エドガーの性には合わないのだろう。彼は使い難いと言うようにショットガンを肩にかける。

 

「アレを野放しにしてたらアウトレンジから馬鹿みたいに撃たれるのは目に見えてたからな。オマエならすぐに始末するだろうと思ってただけだ」

 

「ですが、誘爆させるタイミングも見事としか言えません」

 

「オマエごと吹っ飛べば良かったと心底思ってるさ」

 

 エドガーの称賛にオレは睨みで応じる。別に本当に吹っ飛べば良いと思っていたわけではないが、体の半分くらいは焼かれちまえと願っていたのは事実だ。

 深淵殺しを背負い、オレはこんなものかと息を吐く。初戦では苦戦した強化巨人兵であるが、思っていた程ではない。もうコイツの動きは『喰らった』後だ。ヤツメ様も残り火の中で退屈そうに欠伸を掻いている。『この程度』など1度食べれば十分だ。AIが余程アップデートされて一新でもされない限り、何体いようとも本能の範疇内で見切れる。

 それに武器が通るのも大助かりだ。特に深淵殺しのダメージはチェーンモード無しでも想像以上だった。これならばチェーンモードに頼らずとも十分に使える。

 

「巨人兵3体がこんなにあっさりと」

 

「あの2人の動き、まるで見えなかった」

 

「あんな連撃を無傷で掻い潜って反撃まで……バケモノかよ」

 

 口々に脱出組の連中が驚きの声を漏らしているが、これでは底が知れたようなものだな。ボールドウィンの言う通り、≪銃器≫による距離を取った攻撃に慣れ過ぎている。頼みの綱の近接攻撃班もアシッドレインとグリセルダさんを除けば、槍装備でボールドウィン作の【攻守一体ガンシールド】持ちだ。拡散率を高めたショットガンと盾の組み合わせであり、火力よりも牽制を目的としたショットガンらしく、反動もぬるいそうだ。むしろ防御の肝である盾にショットガンというオマケを付けて慰め程度に火力の増加を目論んだといったところか。まぁ、お陰でガード性能はかなりピーキーらしく、重い一撃を受ければ簡単に弾かれてしまうらしいが。

 感染攻撃と死への恐れが射撃攻撃重視という選択をさせたのか。あるいは近接攻撃を好む『死にたがり』が淘汰されていった結果、生き残ったのが射撃攻撃重視だったのか、どちらにしてもボス攻略の大きな障害になったのは彼らのバトルスタイルそのものだな。

 と、何故か厳しい顔をしたグリセルダさんがオレの元にやって来る。何かまずい事をしただろうかと思った時、ヤツメ様が突如としてオレの首根っこをつかんだ。

 危うくオレの頭部があった場所をグリセルダさんの超加速された右ビンタが通り過ぎる。あれをまともに受けていたら、間違いなく数メートルは吹っ飛ばされたぞ!?

 

「グリセルダ!」

 

「あなたは黙ってて。クゥリくん、どうして1人で飛び出したの?」

 

 グリムロックの非難の声を一声で黙らせる鬼セルダさんが降臨し、オレは背筋を伸ばす。エドガーは使った1回分の銃弾補充に取り掛かり、他の面々も周囲索敵を名分にしたようにオレから離れていく。残されたのは我らがギンジくんとグリムロックだけだ。

 

「お、俺も索敵に協力します!」

 

 そしてギンジ君はあっさりと状況を察して裏切りやがった。恨めしそうにオレは彼の背中を見送りながら、鬼セルダさんの前で直立不動を崩さずに、いつでも敬礼できる準備をする。

 

「どうして1人で飛び出したの? あなたのステータスについてはグリムロックから聞いてるわ。VITにポイントをほとんど振っていない『紙』なんでしょう? 強化巨人兵の攻撃をまともに受ければ、私達は貴重なボス撃破の戦力を失う事になっていたわ」

 

「い、いいいいいい、いや、だって――」

 

「『いつも通り』? でしょうね。そうでしょうね。でも、今は『チーム』で動いているのよ?」

 

 オレの反論を先取りし、鬼セルダさんが足下を這う、モンスターですらない、オブジェクト扱いだろう、蜘蛛に似た黒い虫を踏み潰す。ぐちゅりと中身が漏れる音がして、ヤツメ様があわわわわと顔を真っ青にしてオレの背後で頭を抱えて体を小さくする。

 

「今のあなたは『ソロ』じゃない。確かに強化巨人兵3体を同時に相手取るのはしんどいわ。でも、今まで全く無かった事じゃない。指揮を執れば、たとえ消費が嵩んでも死者を出すことなく撃破できるわ」

 

「消耗するなら作戦の意味ないじゃねーか……なぁと思います」

 

 いつものように汚い言葉が出て、鬼セルダさんの視線で殺すような目にオレはガチガチと歯を鳴らして言葉尻を正す。そ、そういえば母さんも言葉遣いには結構厳しかったなぁと現実逃避する。SAOから帰って来た時にはすっかりこの口調が馴染んでしまっていて、思わず泣かせてしまったものだ。母さんの本気の涙は今思えばあの時が最初で最後だ。

 

『あなた! 篝が……私の篝が不良になってしまったわ!』

 

『篝、母さんに謝りなさい』

 

 うん、実に通常運転過ぎる糞親父だったな。SAOから帰って来て第一声がコレだぞ? もう少し労わってもいいんじゃねーのか? しかもオレの見舞いに来たのが現実世界に帰還してから2週間目だったからな。まぁ、仕事が忙しいのは理解するが、それでも3年近く仮想世界に囚われていた息子への第一声がごく普通の説教って何か間違ってるだろう。

 現実逃避終了だ。頭上の赤黒い暗雲のせいで、鬼セルダさんの顔に禍々しい陰影が生まれて実に肝が冷える表情を生み出している。糞が、茅場の後継者め! これも貴様の作戦だと言うのか!?

 オレを影で覆う鬼セルダさんは、ヤツメ様と一緒に震えるオレをたっぷりと30秒ほど見下ろしたあと、グリセルダさんの表情に戻って溜め息を吐いた。

 

「優れたプレイヤーは率先して活路は切り開くべきでしょうけど、限りなくリスクは皆で分け合うものよ」

 

 ……手厳しいな。オレは頬を掻き、グリセルダさんが伝えたかった事を噛み締める。

 エドガーがどう動くかは本能で分かっていた。ヤツメ様の導きに従えば、強化巨人兵3体など始末は簡単だった。その道筋は全て見えていた。だが、チームで動く以上は、命が1つしかないこのデスゲームで仲間と共に動くという事は、仲間を信用して役割分担をするという事だ。

 

「犠牲は出さない。それが最善よ。必要な犠牲は許容するけど、不必要な死を受け入れられる程に……私は強くないわ。私達を信用しなさい。私があなたを信用するように、チームで戦う時にはもっと命を大事にするように動きなさい」

 

 コツンとオレの額に優しく拳骨をして、グリセルダさんは情報収集を終えた仲間からの報告を聞くべくオレに背中を向ける。

 やっぱり、オレには難しいな。エドガーの動きは分かっていた。彼もソロ慣れしている、単身での暴れ回る事を得意とするプレイヤーだからだ。要は同業者、傭兵の協働相手と思えば良い。だが、他の連中がどう動くかなど考えてもいなかった。

 ギンジには偉そうに言ったが、オレ自身が1番『仲間』の為に戦う事を不得手としているわけか。自嘲も出ねーな。まぁ、アレは『アイツ』の言葉であってオレの言葉じゃない。元よりオレから1番縁遠いものだ。

 

「グリセルダはキミを心配しているんだ。悪く思わないでくれ」

 

「それくらい分かってるさ」

 

 フォローしに来たグリムロックに、オレは当たり前だと苦笑する。

 自分の命を大事にする……か。今まで1度もそんな事は考えたことは無かった。本能に従って戦略的撤退をした事は何度となくあるが、それはきっと意味が違う。

 

「なぁ、グリムロック」

 

 だからだろう。オレの口は自然と動いていた。その素朴な疑問をぶつけずにはいられなかった。

 

「自分の命を大事にしながら戦うって矛盾しているよな。具体的に『何』をすれば良いんだ?」

 

 

▽     ▽     ▽

 

 

 専属鍛冶屋として、グリムロックは常に見て来た。

 武器や防具を通して、その激戦の数々を見守って来た。

 破損や全壊は当たり前。依頼の度に武器を壊してくる勢いのクゥリは鍛冶屋泣かせの見本のようなプレイヤーだ。傭兵は無茶な依頼を受ける事が多々あるが、クゥリ程に武器を摩耗させる者はそういないだろう。

 彼の武器が破損し続ける理由はただ1つ、単身で常にあり得ないような死闘を行い、その中で安全策を放棄して苛烈に攻め続けるからだ。武器が連続攻撃の中で摩耗していき、本来意図しないガードなどで耐久力の限度を超え、限界を超えるまで常に酷使されているからこそだ。

 武器屋泣かせであると同時に、武器を『戦いの道具』と見れば、これ程までに嬉しい客もいないだろう。ポリゴンとなってデータの海に帰ったとしても、最後まで使い切ってくれたのだから。

 だが、同時にグリムロックは不安も感じていた。クゥリはいかなる戦いにおいても必ず勝ち残る。敵を倒す。その結果として今も生きている。だが、同時に彼は限界まで武器も自分も擦り減らしている。

 今まで漠然として形を持っていなかった、クゥリへの不安。それは他ならない、彼の無垢な疑問によってグリムロックに答えを与えた。

 誰だって、それこそ『本能的』に分かっているはずなのだ。自分の命を大事にする、安全を重視する事を。戦いにおいてもそれは如実に表れる。無理に攻めることなく、恐怖心に素直に従って跳び込まず、堅実性を持って立ち回る。クゥリも『戦術』としてはそれを理解しているだろう。有用性も解しているだろう。

 だが、クゥリは真の意味で分かっていない。彼が堅実な戦い方をする時は敵を討つ上で『最適』と判断した場合だ。断じて自分自身の命を重視した結果ではない。

 攻撃が嵐のように襲い掛かる? だったら潜り抜ければ良いではないか。

 一撃でHPがゼロになる? だったら避ければ良いではないか。

 攻撃する隙間が無い? だったら無理矢理でも攻撃を差し込んでいけば良いではないか。

 常人が狂人の所業と判断するような選択を、迷いなく、ノータイムで、ラグすらも無く、即断する。元からそうした選択肢しかないと言うかのように。

 

(常に不利な状況下で『戦うしかなかった』からなのか? それとも生まれ持ったものなのか?)

 

 傭兵は大なり小なり命知らずな面を持つ。だが、クゥリは余りにも自分自身の生命に対して無頓着だ。死を受け入れているのではなく、自分が生き残ると疑わないわけでもなく、最初から自分の命に重いも軽いも無い。価値が無いと言う以前に値札をつける行為すらしていない。

 あるのは闘争本能のみ。戦えるならば、より強敵と『遊べる』ならば、その結果が敵の死だろうと自分の死だろうと受け入れる。弱きは死に、強きは生きる。弱肉強食の掟を残酷なまでに自分に適応している。

 

『殺した連中の死に顔も名前も一々憶えたりしないさ。でも、彼らの「命」はオレの糧になった。そうである以上は無駄にしない。それだけさ』

 

 武器を修理する合間に、グリムロックの何気ない、自責の念に駆られることはないのか、という質問にクゥリは素っ気なくそう返した事がある。

 生命観の時点で違う。だからこそクゥリは人殺しすらも躊躇しないのかもしれない。自分の命も他人の命も同じなのだ。

 狩り、奪い、喰らい、戦い、そして殺す。クゥリのもう1つの口癖は、まるで『脈々と受け継がれた理念』のように思えてならない。それはおよそ社会秩序の中で培われた倫理観に基づいたものではなく、人間がいつの間にか忘れてしまっていた世界の残酷な真実を嘯いているかのようだ。

 

 

 どれだけ綺麗事を並べても、『命』を喰らって生きているのだ、と。

 

 

 戦場で思考の海に溺れていたグリムロックに我を取り戻させたのは、モンスターが撃破されて飛び散る赤黒い光だった。

 

「はぁはぁ……やった! レベルが上がった!」

 

「そりゃ上がるだろ。ここは最前線のイベントダンジョンだからな。雑魚でも経験値たっぷりだ」

 

 大型犬や狼どころではない、4メートルはあるだろう、グリセルダが危険視していたブラックドッグにトドメを差したギンジが歓声を上げる。それをクゥリは冷めたもの言いながらも、ぎこちなくも笑いながら彼の肩を叩く。

 ギンジに与えられた新しい武器は2つ。1つは連射性を犠牲にした高精度・高威力特化の【カーボンブリッチ】だ。高威力の【ブラックカーボン鋼の矢】を使用する事を前提に、彼の狙いを付け過ぎる癖を考慮してボールドウィンと共に在庫品を改修して仕立てたものである。出来栄えはグリムロックとしては不満も残る60点仕様なのであるが、ギンジの実力を考えればそれが『身の丈』にあっていたとも言うべきでだろう。

 そして、もう1つは腰にある分厚い片手剣……鍔にあたる部分がクゥリの持つ深淵殺しと同じような動力部となっている、片手剣版チェーンブレードのチェーンカッター【デス・アリゲーター】だ。ボールドウィンが深淵殺しの開発の中でぼんやりとした案として浮かんでいたものをグリムロックが(HENTAI)技術的助言をする事によって完成された試作『変形』武器だ。

 普段は片手剣モードであり、チェーンモードを起動すればギンジのSTR値や出力ではまともに振れない状態になる。チェーンブレードが両手剣ばかりなのは、そもそもチェーンモードの制御が片手では困難だからだ。片手剣に実装すればどうなるかなど火を見るより明らかだ。

 だが、そもそもギンジはレベルが足りない。結果として火力も出せない。ならば、堅実性こそ売りの片手剣でどうやって火力を出すか? チェーンモードしかないではないか! そして、どうせならば『遊び心』をふんだんに入れないでどうする!?

 デス・アリゲーターには変形すると柄が伸び、動力部で刀身が90度曲がり、まるで鎌のような形状になる。実はデス・アリゲーターは≪片手剣≫・≪槍≫・≪戦斧≫を持つ意欲作なのである。結果としてステータスボーナスがかなり散らばる結果となったが、それは変形機能によってある程度解消した。片手剣モードは≪片手剣≫と≪戦斧≫が、鎌モードでは≪槍≫と≪戦斧≫がステータスボーナスの比重を持つ。つまり、ギンジが鎌モードを使用してもほとんどステータスボーナスが乗らないという恐ろしい武器なのだ!

 これを知らされた時のギンジの顔は……グリムロックも憶えていない。とても……とても、人類史でも稀に見るくらいの絶望的な表情をしていたと思うのだが、グリムロックは綺麗に記憶から消去していた。

 だが、グリムロックもボールドウィンも、何も無意味に変形機構を持たせたわけではない。鎌モードならば両手でも使用できるようになるのでSTR制御もし易く、そもそもチェーンモードによるダメージを狙うならばステータスボーナスも必要ないという結論に至ったからなのだ。

 

『おい、正座』

 

 完璧な理屈に基づいたギンジの武器だったが、雑魚相手に披露した時に何故かクゥリによってグリムロックは正座をさせられた。

 

『良いか? オレは別に良い。どんな武器だろうと使うさ。文句も言わねーよ。だがな、他人の武器の時は限度を持て。じゃじゃ馬なんてレベルじゃねーぞ!? 危うくギンジが自分の腕を切り落としそうになったじゃねーか!』

 

 武器を使いこなせない方が悪い、とグリムロックが自信満々に言い返そうとしたが、それを問答無用でクゥリの男性とも女性とも思えない中性的な美を宿す顔が最凶の『にっこり』を作った事で黙らせ、彼は全面降伏して頷いて土下座するしかなかった。

 

(はぁ。私としては、他人の心配よりも自分の心配をしてもらいたいんだけどね)

 

 クゥリは何だかんだで世話好きだ。グリセルダに注意を受けて以降は、自分はなるべく下がって、ギンジのサポートについて回っている。彼になるべくダメージを稼がせ、ラストアタックを決めさせて経験値を回し易くして、少しでもレベルアップと戦闘経験を積ませようという腹だ。これが彼なりに思いついた『自分の命を大事にする』戦い方なのだろう。確かに背負うリスクは下げているが、限りなく間違っているとグリムロックは声を大にして言いたい。

 

「少し休憩をしましょう」

 

 と、そこでグリセルダは額の汗を手の甲で拭い、ブラックドッグが収集した感染犬の頭を叩き割った両手剣にべっとり付着した赤黒い光を振り払いながら提案する。予定よりもルートが変更された結果、必要以上の戦闘が重ねられ、1部を除いて疲弊が大きい。この辺りで休憩を入れるのはベストな判断だろう。

 スーパーマーケットを思わす、多数の商品が陳列する店内に入り込み、クリアリングを済ませて安全を確保した上でグリセルダは全員を招き入れる。アシッドレインとエドガーが見張りに立ち、クゥリはギンジに戦闘に関する質問を受けて不慣れな様子で受け答えをしているようだった。

 

(ほとんど疲弊していないのはクゥリくん、エドガーさん、ベヒモスさんか)

 

 脱出組は全員が≪索敵≫持ちだ。徹底したリスクマネジメントを心掛け、臆病と言えるくらいに警戒を怠らない。それが低レベルの時からナグナに放り込まれていた彼らに染み付いた習性なのだろう。だが、それ故に古いナグナの危険を熟知し、いかなる脅威が潜んでいるかも分かっている。精神を擦り減らしているのだ。

 たとえ1年間ナグナにいようとも、地獄の中で戦っていようとも、それが終わりつつある街から始まったDBOプレイヤーの激戦よりも遥かに厳しかったというわけではないのだ。むしろ、彼らの方がボス戦などを幾度となく経験し、また強敵に次ぐ強敵との戦いやDBOの悪辣さに場馴れしていると言えるだろう。

 そして、3人の中でも更にクゥリとエドガーは異質だ。ベヒモスは多少の疲れを見せているが、2人はむしろ戦場こそが生き甲斐というようにリラックスをしているようにも見える。だからこそか、クゥリはエドガーに何故か辛辣な視線を向けながらも戦力として絶大な信用を置き、エドガーもクゥリがどのように動くか分かり切っているように立ち回る。ある種の絆が2人にはあるのだ。

 倒れた商品棚を椅子代わりにして、摩耗した武器の修理を請け負うグリムロックは自分にできるサポートを淡々と行う。予定よりも激しい消耗はそのままボス戦での不安要素になる。だが、グリセルダは敢えてクゥリに突貫させる事を控えさせ、不慣れな連携の場に置いた。それは彼女の戦闘理論に基づくものだけではないのは目に見えている。

 

「キミは彼を子ども扱いし過ぎじゃないかい?」

 

「まだまだ子どもよ」

 

 隣に腰かけたグリセルダに、キミらしいよ、とグリムロックは無言で微笑み、預かっていた最後の武器の修理を終える。耐久度こそ下がっているが破損は無い。いずれの武器もベストな状態だ。銃弾もどうせボス戦中にオートリロード分を使い切れば再装填作業などできないのだ。余分な弾薬を多量に持ち込んでいる以上は、ボス戦時にフル装填できてさえいれば良い。1番の問題は回復アイテムであるが、太陽の狩猟団のヒーラーとエドガーは奇跡を徹底的に温存してもらっているのでやや消費が予定よりも高いが、ボス相手ならば高火力で一撃死か逃げ切れない連撃で殺されるかのどちらかだろうと踏むグリムロックはあまり心配していなかった。

 

「あれでも成長した方だよ。だからこそかな? 時々凄い大人びた事を言うから……」

 

「アンバランスでしょ? 分かるわ。あの頃からそうだったもの」

 

 呆れたように頬杖をつくグリセルダが思い出しているのは、黄金林檎時代にクゥリを雇用していた頃だろう。鍛冶屋だったグリムロックは詳しく知らないが、あの頃から無理と無茶と無謀ばかりを繰り返していた事は彼女の語らいによって知っている。

 

「だから、あんな事を言ったのかい?」

 

「頭では分かっているわ。消耗を最大限に抑えるならば、クゥリくんやエドガーさんに大半のリスクを背負ってもらうのが1番効率良い。ベヒモスさんは援護も得意みたいだし、そうなればボスまで温存できる。でもね、強過ぎる存在は浮足立たせるわ」

 

 それを心配してのことか、とグリムロックは頷く。クゥリとエドガーが余りにも突出し過ぎて、他の面々が完全に呑まれていた。あの状態のままボス戦にいけば、険しい現実を前にして余計にギャップを受けて混乱を招いていたかもしれない。

 

「それが半分……いいえ、4分の1ね。残りはクゥリくんが望んでいたからよ。『独り』で戦いたくないと言っていた……あの迷子の子猫みたいな彼を放っておけなかったからよ」

 

 そんな事をいつの間に彼女に漏らしたのだろうか、とグリムロックは驚く。自分すらも聞いた事が無いクゥリの願いを再会から僅かな時間に聞き出すとは、さすがは我が妻だとグリムロックは鼻を高くする。

 

「クゥリくんにいきなりチームワークを理解しろと言っても無理だよ。彼は戦闘に関して勤勉だ。連携や役割分担の重要性は『知識』として頭に叩き込んでいる。でも、どうやっても『実践』することはできないんだろうね」

 

 個性を活かすのがチームワークと言うならば、クゥリの最適の使い方は単身で暴れ回らせる事だ。間違いなく、彼の能力を最大限に発揮する方法を心得ているのは、彼をより孤独な戦いへと駆り立てるような依頼を仕向ける大ギルドだ。

 独りだからこそ強い。仲間がいれば『弱くなる』という致命的な欠陥を持っている。先天的なものだけではなく、常に敵だらけの中で戦い続けたクゥリはどうしても同士討ちというリスクの管理が下手なのだ。だからこそ、協力など表面上だけで好き放題に暴れ回って報酬を奪い合う協働相手ならば最高の連携を発揮する。何故ならば、彼らは『チーム』ではなく『独りと独り』で戦っているのだから。

 

「やっぱり無理してでも、あの子をギルドに入れるべきだったわ。そうすれば、私も殺されなかったかもしれないし」

 

 ジロリ、とグリセルダに横目で睨まれる。自分は反対していないよ、と言うようにグリムロックは肩を竦めるも、確かに彼女の言う通り、クゥリがギルドに入ってくれていればグリセルダを殺そうなど2つの意味で考えなかっただろう。

 1つはもちろんグリセルダに懐いていたクゥリに勘付かれれば、間違いなく自分は惨殺されるだろうという恐怖。

 もう1つは、当時はまさに『天使』としか言いようが無かった、人見知りだが礼儀正しく、蕩けるような微笑を常に絶やさないクゥリがいれば、自分と妻の間のズレを埋めてくれたのではないかという夢想だ。

 

「本当に、あの頃は天使だったね」

 

 晩餐会の1度しか出会った事は無いが、本当に天使だった。女の子にしか見えないような長めの髪を揺らし、やや大きめのコートをしっかり襟までファスナーをあげているのでスカートにしか見えず、澄んだ声音で礼儀正しく品のある態度を崩さなかったクゥリを想起し、グリムロックはほぅと息を漏らす。

 それが本当に何がどう転んで『あんな風』になってしまったのだろうか? 外観は成長してより中性さが増して綺麗になったが、性格は男勝りを通り越して粗野そのものであるし、食べ方1つを取っても盗賊を思わすように野蛮、訓練終わりには平然と上半身裸体で歩き回る始末だ。最後だけは目の保養になって良いのだが……と感想を抱いたグリムロックは悶絶する。

 だから彼は男ではないか! 自分は何を考えているのだ!? ガンガンと頭を商品棚に叩き付け、ダメージでHPが削れる中で、グリムロックはなんとか正気を取り戻す。

 

「あら、クゥリ君は変わってないわ。あんな風になっても、昔と同じよ。『本質』は誰も変えられない」

 

「そういうものかもしれないね」

 

 言われてみれば確かに、クゥリは『気を抜く』と品行方正な面が意外と出てくる。テーブルマナーも意識せずともでき、開けたら閉めるといった基本も完璧だ。仕事で『会食』がある時に正装をすれば、馬子にも衣裳などと言えない位に板についている。

 もしかせずとも、かなり裕福な家庭で育っているのではないだろうか? そう考えれば、真面目に育っていた子どもが反抗期に不良漫画を読んでアウトローな主人公に憧れを抱いて真似ているようにも見えなくもない。むしろ、純情過ぎる面が多過ぎて、改めて考えてみればそうとしか思えない。

 

(あれ? やっぱりクゥリくんって精神的にはまだまだかなり子どもなんじゃ?)

 

 20歳そこらで成熟しているとは言えない。グリムロックですら未熟の塊だ。だが、クゥリはかなり年齢不相応である。

 迷子の子猫とは、実に的を得た表現かもしれない。だからこそ、迷子の子猫がどんな道を選ぶかは重要だ。飼い猫か、野良猫か、あるいは……。グリムロックはそう納得して、システムウインドウを開いて設計図を展開する。

 

「あら? それは……なんていうか、HENTAI的ね」

 

 覗き込んだグリセルダが渋い顔をするのも仕方ない。グリムロックもコレが武器としてまともに機能するとは思えないからだ。

 だが、ボールドウィンのアドバイスを基に、前々から温めていたアイディアを投与し、最高の『素材』を注ぎ込む事によって、操作性を限りなく無視したピーキーという表現すらも生温い問題児はできあがる。

 

「『素材』がとてもレアだからね。失敗は許されないから、設計段階から詰めを行っているんだ。武器には戦闘ログが最大72時間分蓄積される。それをアンロックするパスコードを知らされているのが専属の特権でね。彼が戦闘した『あるモンスター』から発想を得たんだ。幸いにも似た武器はあったし、『試作』の運用データも得られた。ある意味で『今回の展開』は都合が良かったよ」

 

「あなた……かなり悪い顔をしてるわよ」

 

「惚れ直したかい?」

 

「ええ、とっても」

 

 ならば、増々キミの判決が楽しみだ。ボールドウィンから『もう1つ』のアイディアも渡されている。そちらは試作開発からになるだろうが、ほぼプランと設計は頭の中で出来上がっている。こちらはある程度のトライ&エラーが必要になるだろうが、こちらも間違いなく最難度となるだろう。

 これらが私の遺作になるか、それとも……グリムロックは小さな不安を込めて、自分の死後も残るように、保存クリスタルに設計データを記録する。

 

(クゥリ君ならば、必ず生き残る。何があろうとも、必ず……)

 

 どれだけ自分を傷つけても、ボロボロになっても、クゥリは敵を討つ。生き抜く。彼は敵の、そして味方の死すら糧にする。そんな風に生まれてきてしまったのだろう。ならば、たとえグリムロックが無念の死を遂げようとも、必ずその死を喰らって強くなる。

 そして、もうグリムロックがいなくとも、彼には待ってくれている人がいる。自分とは違い、欠片として恐れる事無く受け入れてくれる人がいる。彼女ならば、迷い猫が雨の中で震えていても、その血塗れの爪にも牙にも怯えることなく抱きしめてあげる事ができるだろう。

 だから、グリムロックは残す。もちろん、自分でこの武器を仕上げたいが、設計データさえ残していれば、自分の遺志が彼に武器を届ける。ボールドウィンに言われた美学の追究はまだまだであるが、それでも、これまでの中で最高傑作と言えるものだ。クゥリならば必ず自分の遺品を探り、そして保存クリスタルを見つけてくれるだろう。

 細やかなメッセージを一緒に同封し、グリムロックは瞼を閉ざしてクリスタルをアイテムストレージに入れた。

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

「もっと普通の武器が良かった」

 

 膝を抱えてギンジは諦めきったようにデス・アリゲーターを眺めている。

 うん、ギンジくん。キミの感想は尤もだ。今回ばかりはオレもキツイ言葉は口にできない。HENTAI鍛冶屋2人が作り上げた、即席にしてはどう考えても『温めていたアイディアを全投入しちゃった。テヘペロ!』感が溢れている、片手剣のメリットにして特性である『特徴も癖も無い』を完全粉砕した変形武器には、さすがに弁解のしようも無いくらいにギンジが哀れだった。

 片手剣モードはチェーンモードを起動させなくとも元の攻撃力もあるので、それなりには使える。あくまで『それなり』だけどな! ボーナスが分散してしまっているものだから、ただでさえ片手剣はステータスボーナスが命なのに、火力が出辛くなっている。だが、ソードスキルは使える訳だし、重量級片手剣だからやり方次第ではまだ何とかなる。

 問題は変形後だ。そもそもギンジは竿状武器など未経験であり、≪槍≫も≪戦斧≫も持っていないならばボーナスも米粒みたいに低い≪片手剣≫分だけだ。ほぼ素の攻撃力である。しかも変形機構が浪漫優先し過ぎて強度が『アカン』としか言えない状態だ。特に柄を伸ばした状態は中身がスカスカだから壊れやすいのなんの。むしろ、ギンジはリーチが伸びたメリットと扱い辛い鎌を上手く運用できている方だ。

 だが、それでも火力が無い。完全にチェーンモード頼りだ。スタミナ消費量は深淵殺しよりも緩いが、それでもこちらは深淵殺しとは違いチャージ方式であり、1度発動させると30秒稼働する上に、容赦なく発動分のスタミナを消費する。足りない制御STRを補うためにシステムアシストがあるソードスキルを併用すれば、スタミナは瞬く間に枯渇だ。マジで使えねーな、おい。

 

「俺が死んだら【渡り鳥】にやるよ。はは、きっとオレよりも上手く使えるはずさ。確か≪槍≫も≪戦斧≫も持ってるんだよな? うわぁ、俺よりも適性あるなぁ。さすがグリムロックさんだぁ」

 

 だ、駄目だ! 完全にギンジ君の目が死んでいらっしゃる!? まぁ、戦闘中に何度自分自身を斬りそうになったか分かったもんじゃねーからな。役立たずになる以前に武器が頭のおかしいレベル過ぎて、どうこう言えない。それはオレ以外の全員も気づいているから安心しなさい。キミの的確な弓矢の援護は十分に役立ってるから!

 

「分かった分かった。オマエが死んだらデス・アリゲーターちゃんはオレが使ってあげるから、もっと元気出せ。これで万能薬のレシピを持って凱旋すれば、愛しのアニマちゃんのハートは間違いなくオマエに傾くぞ?」

 

「……マジで?」

 

 あ、コイツって意外とチョロい? というか、恋に盲目過ぎてやる気スイッチが凄い緩い? 元気を取り戻したらしいギンジに安堵するも、どうにも騒がしい外が気になってオレは深淵殺しの柄を握りながら足を進める。

 

「何があった?」

 

 見張りを行っていたエドガーとアシッドレインだが、彼らの表情は芳しくない。特にアシッドレインはうな垂れ、その周囲でも他の面々が絶望の表情を浮かべている。

 

「どうして強化巨人兵が大幅に移動していたのか、理由がわかった」

 

 覗けと言わんばかりにアシッドレインはオレに遠望鏡を押し付ける。まったく、オレの事が嫌いなのは重々承知だが、もう少し態度は何とかならないのだろうか? オレは遠望鏡を覗き、古いナグナを囲む薄い青の光のカーテンを見る。

 情報によれば、古いナグナは多重円構造だ。外・中・内の3つの区画に分けられる。とはいえ、内はボス部屋がある中心研究所だけであり、広めの外区画と複雑な構造をした中区画がダンジョンとしてのメインになる。そして、これら区画はそれぞれ柵によって区切られており、安易に跳び越えられないようにバリアのようなものが張られているのだ。よって別区画に移動するには、必ずいずれかの境界線の通り道を進まねばならない。

 もちろん、それらのルートも割り出し済みであり、イレギュラーな動きをするモンスターに悩まされながらも随時修正してきたわけであるが……

 

「……なるほどな」

 

 オレは青い光の壁の向こうで、遠望鏡に映り込んだ『ヤツ』の姿を見て……笑う。

 

「『奴』が地下から這い出るなど、今までに無かった事だ。徘徊ルートから逸脱している。『奴』が他のモンスターをエリアから追い出し、古いナグナ全体のダンジョンロジックを狂わせているんだ!」

 

「何言ってやがる。『ヤツ』は命があるんだ。決まりきったオペレーションに囚われるわけないだろうが。この程度は欠伸が出るくらいに想定しておけ」

 

 歯ぎしりするアシッドレインに遠望鏡を押し付け、オレは胸の奥に湧きだした闘争本能の熱を鎮めるように唇を舐める。いや、それすらも本来はすべきではない。この場において望むべきは無い。

 オレが遠望鏡で見たのは、ビルの壁を這いあがる異形の怪物。僅か数十秒でボス戦慣れした上位プレイヤー達を壊滅させ、多数の死者を出し、本能を……ヤツメ様の導きすらも1度は超えてきた規格外の存在。

 

「『再戦』を求めるのはお互い様ってわけか」

 

 距離がある以上聞こえるはずがない深淵の魔物の咆哮が耳を擽ったような気がした。

 悪いが、今は『チーム』で動いてるからな。気が向いたら決着を付けてやるよ。安心しろ。そうでなくとも、全てが片付いたらこちらから殺しに行ってやる。




HENTAIにむしろまともな武器を作らせるのは苦行である。

それでは、206話でまた会いましょう。

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