SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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ダクソ3の情報をあまり集め無いようにしている筆者としては、3でも上級騎士プレイができるか心配です。

あと、できれば月光はDLC待ちしたくないので本編に登場してもらいたいですね。


Episode16-27 協槍曲 or 狂槍曲

「気分はどうだい?」

 

「最悪よ」

 

 冷えた水を手渡し、ようやく目覚めた愛妻を気遣う笑みを浮かべながら、グリムロックは辛うじて精神を繋ぎ止めたグリセルダの姿に安堵する。

 私物らしい私物はほとんどなく、武器と僅かばかりの書籍が並ぶグリセルダの部屋はこじんまりとしているが、それでも私室が割り当てられたのはリーダーであるが故だろう。ベッドから半身を起こして額の汗を拭い、喉を鳴らしてコップに注がれた水を飲んだグリセルダは、気怠そうにベッドの脇に椅子を置いて腰かけるグリムロックを睨む。

 

「何人なの?」

 

 問われた人数が何を意味するのか察せられないグリムロックではないし、またこの場面で他の意図を求める方が難しいというものだ。とてもではないが、グリセルダに現実を受け入れるだけの準備ができているようには思えなかったが、今ここではぐらかしても後から大きな津波となって彼女の心を暗い水底に沈めるだけならば、ショックは1度に済ませた方が良いとグリムロックは覚悟する。

 

「クゥリ君、エドガーさんは無事だ。地下街の待機組は……ヨルコを含めて2人だけだ」

 

 たった2人しか生き残りがいなかった。その重い事実にグリセルダは手で顔を覆う。嗚咽を堪えるように歯を食いしばり、指の隙間から流れる涙が腕を伝っていく。

 グリセルダの肩を抱き、その艶やかな黒髪に触れながら頭を撫でて、グリムロックは彼女の悲しみを癒す。グリムロックにもたれかかったグリセルダの熱は必死に自分という存在がバラバラになるのを防ごうとしているかのように、まるで根が深く地面に張るように彼に浸み込んでいく。

 

「ギンジ君は……亡くなったのね」

 

 何分間、あるいは何十分もグリムロックに寄りかかっていたグリセルダは一息と共に離れ、それでもまだ立ち上がるだけの力を取り戻せていないように半身をベッドに預けたまま、静かに問う。

 どう答えるべきか、グリムロックは悩んだ。ギンジの末路は、結果だけを言えばクゥリに殺されたというものだ。だが、話の限りでは勇敢に戦った彼の魂は救われたようにも思える。一方でアニマ達の悲劇はあまりにもギンジにも、そしてクゥリにも救いがない。

 戸惑いの数秒。これが他者ならば、何ら問題は無かっただろう。だが、自分を殺した相手すらも夫である事を良しとするグリセルダである。すぐにグリムロックの迷いを感じ取り、視線を厳しくする。

 正直に話すしかない。どうせ隠してもクゥリは何ら包み隠さず、しかも言葉足らずな内容を伝える事だろう。ならば、グリムロックが主観込みでも全て伝えた方が良い。

 なるべく感情を抑え込んで、淡々とグリムロックは地下街で起きた出来事を語り聞かせる。ノイジエルの凶行、ギンジの最期、晴天の花の壊滅、そしてクゥリの所業を教える。

 

「あの子は何やってるのよ!? 本当にあの頃からそういう部分は少しも進歩してないじゃない!」

 

 額を押さえて唸るグリセルダの怒りは尤もだ。グリムロックは怒りではなく哀れみであるが、グリセルダと限りなく似た想いを抱いている。

 そして、何よりも2人にとって腹立たしいのは、結局はクゥリが決着をつけるしかなかったという点だ。他の誰かが背負えば良いのに、その場には彼しかおらず、また誰にも押し付けなかった。

 無力さだけが腹の内側よりどんよりと淀んで息吹に混じる。グリムロックもグリセルダも当事者でありながら我が身を守るので精一杯だった。いや、グリセルダからすれば、地下街を引っ張ってきたリーダーなのに精神が錯乱し、何も成せなかったという結果が重く圧し掛かる。

 

「今すぐ呼んできて! あの子にはたっぷりと説教を――」

 

「それは……無理だ」

 

「無理ってどういう事?」

 

「もうクゥリ君はここにいない。黒色マンドレイクを得るために、深淵の魔物を引き寄せる囮になった。今はエドガーさんが地底湖に黒色マンドレイクを入手しに行っている」

 

 途端に、今度こそグリセルダがベッドから跳ね起きる。そして、一直線に壁に立てかけられた武器を回収しようとするが、グリムロックは両腕を広げて壁となって妨げる。

 

「そこをどいて」

 

「嫌だ。キミを行かせるわけにはいかない」

 

「単身で時間稼ぎをするにしても限界があるはずよ。少しでも救援がいるわ」

 

「……キミは大きな誤解をしている。クゥリ君は時間稼ぎをしに行ったんじゃない。深淵の魔物を倒しに行ったんだ」

 

 それはナグナに1年以上囚われていたグリセルダからすれば、愚か者の妄言にしか聞こえないだろう。戦力を揃えて万全を尽くしても倒しきれなかった深淵の魔物は、彼女からすればザリア以上のナグナの恐怖の具現そのものであるはずだ。

 

「深淵の魔物の強さはネームドとかボスとかの次元を超えているわ。あれは本物の怪物。単身で倒すなんて不可能よ」

 

「そうかもしれない。だけど、クゥリ君は決めたんだよ。彼は自分1人で深淵の魔物を倒すと決めたんだ。誰も邪魔をすべきじゃない」

 

 グリムロックが真正面から深淵の魔物を見たのは1度だけ、聖剣騎士団と太陽の狩猟団の合同部隊が瞬く間に壊滅した時だ。古いナグナから脱出する時は、ヘリのコックピットにいたので視界の隅で捉えた程度であるが、それでも深淵の魔物はDBOにおいても明らかに異質の存在であると否応なく理解した。

 あれは現実世界や仮想世界といった境界線など関係ない、人間が対峙すべきではない呪われた存在だ。もはや災害にも等しい理不尽な暴力だ。

 

「渡せるだけの武器は渡した。今の私たちにできるのは、クゥリ君とエドガーさんの無事の帰還を待つだけだ」

 

「お断りよ。あの子は死なせない。絶対に死なせない! どうせ私は死人よ! 帰るべき場所なんて何処にもない。あるのは、このデータの体だけ。本物の心臓も、血も、肉も、何も現実世界には残っていないわ! だけど、クゥリ君には帰るべき場所がある! あの子は知らないといけないのよ! 人並みの幸せを……幸せにもなって良いってことを知らないといけないのよ!」

 

 無理矢理でも押し通ったグリセルダを阻むだけの力はグリムロックには無い。STR差も歴然だ。だが、システムウインドウで武器を装備していくグリセルダの肩を強くつかみ、首を横に振る。

 

「行かせない。それがクゥリ君との約束だ」

 

 グリムロックが託した武器のチェックを済ませたクゥリはまるで散歩でもするかのような足取りでエドガーを率いながら地下街を出発した。だが、その前に彼は1つの約束をグリムロックに結ばせた。

 

『オレの事を知ったら必ずグリセルダさんは戦いに参加しようとするはずだ。絶対に阻止しろ。「仲間」なんて要らない。邪魔なだけだ』

 

 冷たい物言いではあるが、その突き放すような言動は決してグリセルダを蔑ろにするものでもなく、貶す意図を持つものでもない。

 本当に邪魔なのだ。クゥリが最高のパフォーマンスとポテンシャルを発揮する為には、単身で戦うのが1番だ。それはクゥリの武器を作り続けたグリムロックも心の何処かで認めていた真実だ。

 彼の戦い方はこれまでの道のりを示すように単独戦闘に特化されたものであり、またその優れた直感を活かす為には『自分以外は敵』という状況こそが最良なのだ。そして、何よりもクゥリは『仲間』と戦っている時は、連携や陣形を気にかけ、また『仲間』への被害を考えるあまり、自身の攻撃性を十全に発揮できない。

 

『「アイツ」以外は同じ戦場に立つべきじゃない。オレはきっと……「仲間」を殺してしまうから』

 

 そうして旅立ったクゥリの背中は以前にも増して恐ろしかった。だが、同時に言い知れない哀愁もまた滲んでいた。

 シャルルの森を境にもがいているようにも見えたクゥリは、今もまたその意志を捨てずとも……いや、捨てないからこそ、固執していた『何か』と決別したのだろう。

 

「私が始めた事よ! ナグナを脱出すると決めたのは私! 成し遂げないといけないのは私! なのに、それを……それをあの子に押し付けて待っていろと言うの!?」

 

「そうだ」

 

「ふざけないで! 私は戦うわ! 戦わないといけないのよ! カインズも、シュミットも、アシッドも、皆……戦って死んだのよ?」

 

 大粒の涙を流して、先程と一変して弱々しい手つきでグリセルダはグリムロックの手を振り払おうとする。

 無言でグリムロックはグリセルダを抱きしめる。そうする事しかできない自分を呪おうとは思わない。むしろ誇り高く、グリムロックは自信溢れた微笑でグリセルダの涙を受け止める。

 

「あの子を見ていると不安になるのよ。このまま放っておいたら、きっとあの子は恐ろしい『何か』になってしまう。誰かが繋ぎ止めてあげないと、『首輪』になってあげないと、あの子はきっと……」

 

「そうだろうね。だからこそ、私達がいるんだ」

 

 そっとグリセルダの頬を指で拭って涙を払い、グリムロックは子どものように泣きじゃくるグリセルダと額を重ねる。

 

「私は彼と同じ戦場には立てない。だけど、鍛冶屋の戦場はいつだって後方だ」

 

 鍛冶屋にできることはいつだって1つだけだ。ならば、グリムロックはそれに殉じよう。

 ボールドウィンには伝えられなかったもの。鍛冶屋の美学。それをようやくグリムロックは見い出せたような気がした。

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

 苔むしたヤツメ様の社。ヤツメ様の森にひっそりと建ち、至る為の石階段すらも時の流れの中で朽ちている。

 久藤の狩人はヤツメ様の社で夜を越す。雨露や夜風から身を守り、火を起こす事なく、淡々と朝が来るのを待つ。そう、おじいちゃんは言っていた。

 かつては獲物を狩る度に狩人たちはヤツメ様に奉納すべく、この社に通った。獲物の臓物を捧げ、血肉に飢えたヤツメ様の慰めた。

 

『篝よ、お前は誰よりも濃くヤツメ様の血を受け継いだ。故に誰よりも良き狩人になれるじゃろうな』

 

 おじいちゃんはオレの頭を誇らしげに撫でてくれた。いつだって、オレが優れた狩人になるだろうと言ってくれた。

 だけど、おじいちゃんはオレをヤツメ様の神子にした。神楽を舞わせ、深殿に至らせた。そこで行われる祭事の全てを任せた。

 狩人となる事を望んでくれたおじいちゃんは、どうしてオレをヤツメ様の神子にしたのだろうか?

 もしかしたら、おじいちゃんには最初から分かっていたのかもしれない。ヤツメ様の血が濃いオレは、いつの日か、何かの拍子に、狩人ではなくヤツメ様となってしまうだろう未来が見えていたのかもしれない。それでも、心の何処かで信じて狩人の理を教えてくれていたのかもしれない。

 全ては過去に残した望郷にも似た夢だ。振り返ることはできても、手に入れることはできない。

 

「感傷なんてらしくないよな」

 

 そこはオレ達が地下下水道施設を下り、隠された旧研究所を通ってたどり着いた、他のルートとの合流場所。クリスタルの柱が立ち並び、足元には澄んだ水が張られた広大な地下空間だ。およそ不浄とは無縁だろう、採掘されることもなかった巨大な地下空洞は、まるで王宮のようにクリスタルの柱が地面から生えて天井まで伸びている。それらはまるで鍾乳洞ができる過程にも思えたが、光輝くクリスタルが光源となって明るいせいもあり、神がこのナグナで骨休めをする為の隠された憩いの地にも思える。

 比較的浅瀬の、DEXに下方修正がかからない程度の足首までの深さがある場所に立ち、オレは天を仰ぐ。深みも各所にあるので、下手に足を踏み外せば踝や太腿どころか、肩まで沈みかねない。

 だが、『ヤツ』からすれば、余程の深みではない限り、いずれも浅瀬のようなものだ。オレは水を跳ねさせ、こちらへと接近してくる大きな気配を感じ取り、ゆっくりと振り返る。

 その姿は変わらず異形。下顎と左目を除いて兜のような金属質に覆われた獣を思わす頭部、3本に枝分かれした鋭き爪を備えた左腕、大剣と一体化した変幻自在の剣技を繰り出す右腕、その体毛は青黒く濡れており、口内からは絶えずに泥のようなものが混じった唾液を零す。醜いはずなのに、その姿は何処か狼を思わせる。

 深淵の魔物。これで対峙するのは3回目……いや、4回目になるか。

 1戦目はDBOを生き抜いた上位プレイヤーたちを瞬く間に殲滅し、オレ・ノイジエル・ベヒモスの3人がかりでも倒し切ることはできなかった。

 2戦目は新開発したOSS【爪痕撃】などを披露して優勢に戦いを進めたが、結局を言えばヤツのHPバーは1本も削りきれないままにギンジの横槍によって決着は流れた。

 3戦目は脱出を優先し、ヤツとの対決はほぼ無かったに等しい。それでも、ヤツのオレを追いかける執念深さだけは肌で感じ取れた。

 そこまでオレに固執する理由はただ1つ、自らの死に場所を得る為だ。狂える獣の姿、野蛮なまでの暴力、それらの中に隠された誇り高い魂が慟哭をあげて殺し続けるしかない我が身を終わらせたいと望んでいるからだ。

 

「随分と待たせたな」

 

 そう言って、オレは自分の脇に設置してある、ゴツゴツとした輪郭が覆う布の上からも分かる『それ』を、こちらに先制打を叩き込める間合いに深淵の魔物が達して右手の大剣で突進したと同時に披露する。

 途端に深淵の魔物の、黄ばんだ白目をした重瞳の左目が大きく見開かれた。

 

「まずは挨拶だ。受け取ってくれ」

 

 それは大量の【粗黒の爆薬】だ。グリセルダさん達が使い残した在庫品であり、1発の火力は低いが、軽く20個分はある。オレは焼夷手榴弾を投げながら深淵の魔物の突進突きを躱す。

 焼夷手榴弾で着火し、爆薬が轟音を響かせて炎を巻き起こす。だが、深淵の魔物は僅かに炎を掠らせるに留まり、ダメージらしいダメージも無い。だが、その程度は予測済みだ。重要なのは、ヤツは今回の奇策に対応しきれなかった点にある。獣的な凶暴性と本能、それに歴戦の武人を思わす剣術はあるが、奇策は通じた。

 

『私は実際に参加したわけじゃないけど、対深淵の魔物討伐戦ではトラップも含めてかなり大規模な攻撃を仕掛けたわ。でも、奴にはダメージこそ負わせられたけど、決定打には成り得なかった。HPバーも2本目を削り切れなかったらしいし、奴には明確な攻略法がない。正面突破しかないのが最大の難関ね』

 

 ヨルコは深淵の魔物について、あくまで自分が参加したわけではないという注釈をつけて、その内容を語った。本来ならば、作戦に参加したグリセルダさんから直接話を聞くのが理想的なのだが、グリセルダさんの状態を考えれば、ヨルコから情報を得るしかなかった。

 確かに深淵の魔物の撃破方法は真っ向勝負以外にないだろう。特に強化が多段で成されるHPバー2本目以降は止まらぬ連撃を潜り抜けてダメージを与える以外に無い。だが、同時にヤツに対してトラップは決して無意味ではないという証言もある。

 つまり、奇策は通じる。意表を突くトリッキーな攻撃は通じる。問題は深淵の魔物がそれに対して何処まで対応できるかだ。

 だから、今回の攻撃はそれを確かめる以上の意図はない。『今』のヤツは理性的にふるまっているように見えても、戦い方はクレバーであるとしても、あくまで暴力的にこちらを排除しようとする獣だ。

 水飛沫を上げながら、深淵の魔物が跳ぶ。距離を詰めて襲い掛かるのは左腕の多連撃。一撃の中に潜むのは3本腕から繰り出される3回の攻撃だ。下手に躱せば切り返しのカウンターを浴びる。故に潜り抜けて深淵の魔物に対して回り込んでカウンターを封じる。オレを追って旋回しながら、3本の左腕の爪で地面を抉り、水を巻き上げながらオレを刻もうとするも、バックステップで悠然とその攻撃を回避する。

 

「先に言っておく。グリムロック、『やり過ぎ』だ」

 

 そう言って、オレはまず右手の黒い塊を突き出す。それは地面を抉る左腕の表面だけを擦るように傷つけ、微量な、深淵の魔物からすれば反撃にも思えないほどのダメージを与える。

 だが、それで良い。オレは右手の黒い塊……細身のランスを構える。本来、ランスは大質量の大型であり、携帯性が悪く、槍の中でも特に扱い辛い。だが、オレの持つランスはせいぜい両手剣よりもやや長めのサイズである。厚さに関していえば標準的なランスの半分程度。軽量級ランスの中でもさらに軽量の部類の外観だ。

 取り回しやすい貫通性能重視のランス。外観だけを見れば万人がそう判断するだろう。だが、オレは疾走し、深淵の魔物の右大剣に合わせて黒いランスを突き出す。それは深淵の魔物の右腕の表皮を破り、硬い肉に捕らわれないように表面だけを抉っていく。それはクレバーな深淵の魔物に一瞬で、今度こそこの黒いランスの恐ろしさを伝えたように、ヤツは戦術を組み立てなおすべく、強引に左腕の連撃を差し込む。

 水飛沫の壁の中で、オレは黒いランスの先端にこびりつく深淵の魔物の肉を振るい落とす。

 軽量級かつリーチを殺したような外観に不相応な重量を感じる。さすがはグリムロックだ。良い仕上がりである。コイツの要求STRは重量寄りの中量級にも達し、実際に重量も外見に反するほどにある。

 本来、高重量の武器ほどに外観は重圧なものになる。だが、グリムロックはあえてスマートなデザインの中に、高強度・高重量素材を使用してランスの火力を高めた。

 ここまでならば優れた鍛冶屋ならば誰でも思いつく。ここまでならば特筆すべきことは何らない。だが、オレは深淵の魔物が距離をとった瞬間に『ギミック』を発動させる。

 蠢け。突き出したランスは『分割』されていく。僅かな回転と共に柄を残して鋭い円錐状のランスは分かれていき、内部に隠された高密度のワイヤーに繋がれながら、まるで蛇のように距離を取った深淵の魔物を強襲する。

 不足するリーチを分離構造によって補う。ランスとしての本来の形状を捨て、操作性を度外視する。柄の僅かな動きによって鋭い先端で深淵の魔物の首筋を貫いた分離ランスはまるで生物のように暴れ回り、抜け落ちた瞬間には再び深淵の魔物へと襲い掛かる。この異常極まりない武器に深淵の魔物も対応しきれないのか、回避が僅かに遅れて背中に深く突き刺さる。

 ギミック解除。ランスモードに戻し、高速で分離構造が解除された事によってオレは深淵の魔物の背中まで舞う。硬すぎた肉が仇になったな。ランスの先端でも十分にアンカーの役割を果たしてくれる。

 背中にのられた深淵の魔物は黒い霧を噴出し、オレの感染率を引き上げようとする。だが、ナグナの万能薬を摂取済みのオレにとって、それは強風程度の意味しか成さない。悪いが、対策済みだ。

 

 

 

 

 

「【磔刑】」

 

 

 

 

 そして、オレはこのランスの正体を明かすように、ヤツとの初戦で同じように、その全身から槍を突き出させてHPを一気に削り取る。

 深淵の魔物が今度こそオレを振り落とし、その全身から生えた槍の傷口によってどす黒い泥をまき散らして水面を汚しながら、オレへと吠える。

 

「【死神の槍:バージョン・ランス】。1度折られた程度でNの誇り高き戦士の意志は砕けなどしない」

 

 破損というよりも真っ二つに折れた死神の槍の修復は絶望的だった。修復必須素材が未知なるアイテムばかりであり、それを入手できるかどうかも定かではなく、仮にできたとしてもいつになるか分からない。

 そこでグリムロックはボールドウィンのアドバイスの下で破損した打剣をベースにして新たな武器開発を思いついた。それも、より強度と火力を増すために死神の槍を【溶石】で素材化させて武器フレームの芯に添えるという大胆不敵のアイディアを思いついた。

 1度でも失敗すれば死神の槍は屑素材に早変わりだ。武器開発の常であるトライ&エラーも許されない事から、綿密な設計が要求される。更にグリムロックは打剣のギミック強化にボールドウィンの所持していた純粋な蜘蛛糸鋼、オレが蝕まれた採掘機械より入手した高密度ワイヤーチェーンを採用した。

 これによって打剣の弱点でもあった分離状態のワイヤー強度も解消し、死神の槍の火力と能力を引き継がせた。結果的に磔刑の単発火力は低下した上に闇属性攻撃力も減少して物理属性の割合が高まったが、深淵の魔物を相手にする上では逆に好都合だ。

 ただし、以前は魔力さえあれば連発できた【磔刑】にインターバルという制限機能が追加され、100秒のクールタイムが要求されるようになったのは大きな痛手だ。

 さしづめ蛇槍モードと言ったところか。≪鞭≫スキルが無い分だけこちらのモードでは攻撃力ボーナスが下がってしまうが、ランス化したことで足りなかったリーチを得られ、なおかつ先端火力は≪鞭≫よりも≪槍≫寄りであるし、打剣がベースだけに≪戦槌≫属性もある。3つの武器属性を持つ新生死神の槍はまさしく怪物的な武器に変貌した。

 

「じゃじゃ馬ならぬじゃじゃ蛇ってか!?」

 

 だが、その分だけコントロール性は打剣を遥かに凌ぐ悪さだ。早くも蛇剣モードに対応してきた深淵の魔物は先端の槍を躱し、逆に黒いレーザーを解き放つ。左手から放たれる3本のレーザーは動き回り、こちらの動きを追尾し、また動きを先読みして張り巡らされる。

 足を削り取ろうとするレーザーを躱し、そこに横一直線に飛ぶレーザーを棒高跳びのように体を捻り、着地場所を狩るようなレーザーは死神の槍を先に突き刺して命中から逃れる。

 そして、そこに繰り出される突進斬り。広範囲の斬撃からの、深淵の魔物が得意とする回転退避斬りが放たれる。それらを身を屈めてやり過ごし、即座に蛇槍モードで追撃をかけるも、深淵の魔物は右腕の大剣でそれを余裕綽々で弾く。

 やはり真っ直ぐに伸ばすだけでは限界があるか。何よりも癖をつかみきれていないので自在に操れているという感覚には至れていない。まだまだ鍛錬が必要だ。

 ギミック解除して死神の槍に戻し、跳びかかりの多連撃を繰り出す深淵の魔物の腹に潜り込んでランスの先端で開腹するように斬り裂く。だが、あくまでランスの本分は『刺し貫く』だ。肉の硬い深淵の魔物には有効的ではない武器である。

 股から抜け出したオレに、地団駄を踏むようにして暴れ回って踏み潰そうとしながら、左腕を振るいながら深淵の魔物は振り返る。そして、同時に黒い泥を口内から吐き出すも、それをサイドステップで躱し、そのまま足首の回転をかけながら左腕の多連撃に対し、その腕を踏み台にして深淵の魔物の頭部へと跳ぶ。

 体を捩じり、一瞬だが力を溜めるモーションから解き放つように死神の槍を突き出す。それは寸分狂わずに深淵の魔物の左目を貫き、そのまま頭部の奥底まで死神の槍は埋まる。頭部へのクリティカルヒットとなり、深淵の魔物のHPは減るが、このままでは肉の硬さによって武器が奪われるか、武器に固執して深淵の魔物につかまって顎にかみ砕かれるか、そのどちらかだ。

 だが、バージョンⅡは伊達ではない。むしろ、ランスという形状をグリムロックが目指したのは、【磔刑】という『初期能力』から派生した能力を活かす為である。

 

 

 

「【瀉血】」

 

 

 

 

 かつて、血を抜く事は体の淀みを抜く医療の1種だったという。

 死神の槍の最強にして最高の能力が周囲に槍を生み出す広範囲攻撃の【磔刑】ならば、【瀉血】はまさに血の排出……『ランス自体から槍を生えさせる』というものだ。

 必要とされるのは溜めモーションである為に使いどころは考えさせられるが、対象を刺し貫いた状態で発動させればどうなるかは言うまでもないだろう。

 深く潜り込んだ死神の槍自体から槍が全方位に伸び、深淵の魔物の頭部はまるで内部で爆弾が爆発したかのように、肉が弾け飛び、伸びた槍によって文字通り『槍玉』になる。そうして拡大した傷口から軽々と死神の槍を引き抜き、痛みを訴えるように叫び散らす深淵の魔物の乱撃を躱しながら、ひたすらに肉に引っかからない程度だけ刺していく。

 魔力の消費は【磔刑】よりも少ない分だけ単発火力も低いが、基本的に足下でしか発動できない【磔刑】と違い、【瀉血】は溜めモーションさえ起こせば使用できる。つまり、通常の突きから発生させられる分だけ応用性が利く。

 とはいえ、既に【磔刑】を1回、【瀉血】を1回と魔力はかなり消費した。ここからは温存路線で行くべきだろう。深淵の魔物のHPバーもようやく1本を削り終えるというところである。まだ第1段階だからか、意外と浅く刺してもダメージは通るものだ。

 だが、ここからは違う。深淵の魔物は闇を纏っていく。ヨルコたち脱出組はこの力を【深淵纏い】と呼んでいる。彼女たちが命名したのではなく、NPCから聞いたということから、DBOにおける正式名称なのだろう。

 スピード・パワー・防御力の全てが増加した深淵の魔物が襲い掛かる。多連撃は更に回数を増し、際限ない回避を要求される。露骨にディレイをかける知能も持ち、更に下手に踏み込んでランスで突き刺そうとすれば待ち構えていたように左腕の連撃から右腕の大剣の連続叩きつけ斬りである。

 だが、こちらとて対策を何もしていないわけではない。この地下大空洞は多くのクリスタルの柱が立ち並んでいる。破壊可能・不能オブジェクトに分かれており、破壊可能でもかなりの耐久度がある。つまり、巨体から繰り出される大剣の攻撃を大きく制限することが可能だ。

 そして、何よりも深淵の魔物が本来持つ巡回ルートから外れる場所だ。古いナグナまで追跡してきた執念……『命』を持つAIだからこその自意識による行動。それを利用し、オレ自身を餌にしてコイツにとって不慣れな戦場へと誘い出した。

 クリスタルの柱を足場にして、オレは初戦の時とは違い、3次元軌道を取って深淵の魔物を時に飛び越え、あるいは破壊不能オブジェクトを盾にして休むことがない連撃の嵐を阻害していく。これまでのヤツの攻撃からわかるのは、障害物を意識しない、広々とした空間での巨体をフルに活かした乱撃だ。だが、クリスタルの柱と深さが異なる水場がヤツの止まらぬ連撃に『杭』を打つ。

 

「馬鹿が。オレは『餌』だが、『釣られた』のはオマエだ。ここにオマエに有利に働くものは何1つねーよ」

 

 だが、それでも攻撃は細々としたカウンターしか差し込めない。連続縦回転斬りを、ヤツメ様の導きによってテンポを見切り、丁寧に死神の槍の先端で表面を抉る。だが、深淵纏い状態ではその程度ではダメージにもならない。

 そして、深淵の魔物が第2段階へと移行する。距離を取った深淵の魔物は、右腕の大剣にエンチャントを施した。紫がかかった闇のオーラを帯びた大剣は、耐久度を大きく削る効果を持つだけではなく、強力な波動攻撃を付与するようになる。下手に命中すれば、オレのHPなど一撃で消し飛んでしまうだろう。

 浴びた水飛沫だけではなく、多量の汗が額から流れ、心なしか息苦しい。心臓も締め付けられるように痛い。まだ後遺症が抜けきっていない状態で深淵の魔物相手に、状況を整えたとはいえ、かなりハイスピードで削り続けた反動は、スタミナよりも先にオレ自身の命を削る方向で現れ始めている。

 第3段階に到達する前に、やはりもう少し『削る』か? 今はまだ辛うじてヤツメ様の導きがヤツの本能を上回っている。だが、いつ何処で戦闘中に成長してヤツが初戦の時と同様に本能の読み合いに持ち込んでこちらを超えてくるか分からない。

 ランス主体のカウンター攻撃から、背負う本命の深淵殺しによる高火力による攻め込み。それに『アレ』を使えば、確実に深淵殺しで致命傷を負わせられる。

 いや、まだだ。まだ早い。深淵殺しを使うのは、ヤツを確実に仕留められる時だけだ。チェーンモードではスタミナを大量消費する。継戦能力を奪うのが深淵殺しの最大の欠点だ。

 深淵の魔物が跳ぶ。左腕の連撃と見せかけた右腕の大剣による薙ぎ払い。それはヤツメ様の導きのままに躱せる。

 だが、深淵の魔物はまるでカーブをかけるように曲線を描いて跳び、本能による回避ルートの選択を読んでいたかのように躱そうとしたオレへと真っ直ぐに刃を振るう。

 躱しきれない! そんなオレをヤツメ様が手を引いてくれる。バックステップで背後の柱まで到達し、それを蹴って跳び、逆に深淵の魔物の斬撃を避けて懐に入り込む!

 だが、それこそ狙いとばかりに9連撃にも及ぶ左腕の連続攻撃。それらの攻撃軌道を黒炎が焦がし、残り火が回避ルートを潰していく。更に地団駄と思わす踏みつきでオレを懐から追い出したところへ、深淵の魔物は大剣を突き出し、波動による範囲攻撃を放つ!

 範囲から脱しきれず、また『守る』ために、咄嗟に死神の槍でガードするも、波動なので完全なガードとしては働かず、吹き飛ばされたオレのHPは6割ほど削られていた。しかも水切りの石のように転がるオレが立ち上がる時間など与えないように、地面を大剣で抉りながら深淵の魔物は接近し、更に連続で口内から泥を吐き出す!

 右、左、左、右! ヤツメ様の導きのままにステップを踏み、泥の連撃を躱したところへの水飛沫による目潰しを加えた大剣の斬り上げ。その先端が胸元を通り過ぎ、危うく両断されそうになるも、斬られなければダメージは無い。ならば臆せず、この一閃を超えて踏み込むのみ。右手のランスで突進するも、突き刺すことができない以上は表面を抉るだけだ。

 これだけ浴びせても2本目のHPは1割も削れていない。やはりソードスキル無しで、表面を抉る程度の攻撃では自己強化を施した深淵の魔物は倒れないか。

 だが、情報通りではある。多段深淵纏いの条件は時間経過かHPの減少だ。ヨルコから提供された情報通りならば、第3段階の鎧のような硬質な物質を覆い、更に全ての能力を引き上げるのが深淵纏いの完成形だ。そして、それはスタンすることで剥ぎ取ることができれば、深淵纏い自体を解除させることができる。そうすれば、HPバーが1本目の時と同じ状態になり、ダメージはそれなりに通る。

 故に重要なのは、深淵纏いの状態でいかにダメージを与えるかではなく、第3段階になった時点でいかに早くスタンさせて深淵纏いを剥ぎ取るかである。

 無理にソードスキルを深淵纏いの状態で当てる必要はない。攻撃を躱せるならば、とにかく無駄な動きを避け、時間経過による深淵纏いの進行を待つのが最適解だ。

 少しでも回復すべきか? イエローゾーンに到達したHPは小さく点滅している。死神の槍のガード越しとはいえ、波動が直撃せずともHPが6割消し飛んだのだ。次はどんな受け方をしても死は免れないだろう。

 だが、こうして攻撃を躱し続ける中で、ヤツは足場を把握していき、クリスタルの柱を少しずつだが破壊している。障害物が無くなれば、深淵の魔物の連撃と真っ向から挑まねばならなくなる。何よりも足場の不自由さはオレにも悪影響を及ぼしている。いや、むしろ1歩でも間違えて深みにはまれば、死ぬのはオレの方だ。

 回転退避斬りで跳び退いた深淵の魔物は、あろうことかクリスタルの柱を足場にして駆け上がり、遥か上空からオレへと落下攻撃を仕掛けてくる。元よりビルの壁面を登れたのだ。この程度は楽勝か。落下地点から逃れながら蛇槍モードで深淵の魔物の首筋を狙うも弾かれる。深淵纏い状態では蛇槍モードでは初段の分離加速を得た状態でなければ突き刺さらないか。

 ユニーク級だろう純粋な蜘蛛糸鋼によって柔軟性と強度を両立したワイヤーによる蛇槍モードでリーチを稼いで攻撃するも、黒いレーザーと泥の弾丸を持つ深淵の魔物の攻撃に晒される間合いにはいられない。リスクを承知で大剣と多連撃の間合いにいる方が良いだろう。

 だが、やはり蛇槍モードの動きは打剣よりもレギオンの触手をイメージさせる。武器の戦闘ログの解析……恐らくはシャルルの森でのレギオン戦でのデータが残されていたライアーナイフの解析から発想を得たのだろう。

 苦肉だが、レギオンの触手をイメージすれば、蛇槍モードの習得はよりスムーズにいくかもしれない。事実として、レギオンの動きを重ねるように振るえば、突き刺さらずとも距離を取りながら深淵の魔物の表面を抉ることができた。また、鞭のようにしなり、分離したパーツが深淵の魔物の表面を撫でていき、まるで鋸のように削る。これも打剣の特性であったが、より質量が増した蛇槍ならばダメージも大きい。

 もっとギアを入れろ。待つべきは第3段階だが、それまでに小さなダメージを与えておけば、スタン蓄積をさせておく事ができる。『保険』は少しでも高い方が良い。

 連撃で距離を取った深淵の魔物が大剣を振りおろす。波動が連鎖爆発し、こちらへと接近してくるも、これは囮だ。回避したところへ、連続縦回転斬りが迫る。一撃でもつかまれば逃れられない連続斬りだが、そもそもオレでは一撃と耐えられない。

 確実に、こちらの攻撃するタイミングが奪われていく。だから、オレは待ち続ける。ヤツメ様がその指で示す時を待つ。

 そして、深淵の魔物が不自然に退避し、その全身に闇を集めていく。ついに第3段階……全身に泥を硬質化させたような金属を纏っていき、まるで鎧に覆われたような姿に変貌する。こうなれば、もはやランスは突き刺すどころか、表面を削ることすら難しいだろう。

 闇をブースターのように噴出し、深淵の魔物が鎧に覆われた姿で突進する。そこからの薙ぎ払いはすでにヤツメ様の導きの中だが、もはやカウンターなど意味を成さない。

 長かった。ようやくこの時が来た。オレはついに訪れた反撃の時に薄く笑う。回避など考えずに、ずっと攻撃に使用してこなかった『左手』に意識を集中させる。

 やはり貴様は獣に『堕ちた』者だ。どれだけ賢しく戦っても、身に沁みついた武芸があろうとも、あらゆる攻撃に応用できる本能があろうとも、オマエは獣に成り下がった存在だ。

 ずっと疑問に思わなかったのか? 攻めることばかりで、何故オレが『左手』を使わずに右手のランスだけで『耐え続けた』のか、分からなかったのか?

 

「穿て」

 

 大剣が間合いに入る直前に、オレは必ず深淵の魔物を貫けると確信して、ヤツメ様が指差すままに『トリガー』を引く。

 

 

 

 

 

 

 解放された青い雷光を迸らせた弾丸は、深淵の魔物の左肩からそのまま大きく肉を抉り、貫通していった。

 

 

 

 

 飛び散る黒い泥が混じった体液と共に、深淵の魔物が顎から水面に崩れ、その全身の鎧を霧散させる。それだけではなく、抉れた左肩から、これまで深淵の魔物の多連撃を支え続けていた左腕の1本が千切れ落ちた。

 オレが左手で構えるのは、銀色に青のラインが入った近未来的なデザインをした、2本の板上のレールが槍のように突き出した細身の銃器。レールからは青い雷が散り、放った強力な攻撃の余波のように銃口からは湯気が上がっている。

 

「≪銃器≫カテゴリー『最速』……ボールドウィン設計レールガン、グリムロック命名【ザリア】。オマエを殺す為のもう1本の『槍』だ」

 

 それはさながら雷槍。雷属性が付与された高速弾丸を撃ち出す≪銃器≫カテゴリーで唯一の魔力消費が要求される実弾銃器、レールガン。他の銃器とは違い、射撃サークルが無く、完全にプレイヤーによる目測の射撃能力が要求される上に、レールガンのくせに反動が凄まじく、およそ狙いをつけることが難しい上にチャージしなければ威力がない弾速だけが取り柄のゴミとなる。

 ボールドウィンが設計した、もう1つの対深淵の魔物武器であり、ザリアを撃破して得られた純粋な雷帝結晶を、グリムロックが眠ったままのグリセルダさんから失敬してついに完成に至った武器だ。

 現在のDBOでも確認されているレールガンは僅か2種。完全オーダーメイド品など決して存在しないだろう。ボールドウィンが設計し、グリムロックが『魔改良』を施して完成させたザリアは、フルチャージ時間が420秒、装弾数3発、使用後は冷却時間600秒を要し、おまけに反動が凄まじ過ぎてSTR出力を全開にしなければ狙い撃つなど到底不可能という破壊的なまでに使い手に優しくない武器だ。

 それ故にレベル5チャージ……フルチャージ状態を至近距離かつカウンターで命中させればご覧のありさまだ。スタンした深淵の魔物にオレは接近し、眉間へと死神の槍を突き刺し、その状態でギミックをオンにする。分離加速を得て、死神の槍は更に深々と突き刺さりながら深淵の魔物の頭部から首を通り、内部を抉り進む。さらにそのまま柄を引いて深淵の魔物の内部で分離した死神の槍を引っ張り出すことで、パーツが肉に引っかかって傷口を抉りながら抜け出していく。

 更なる追撃を仕掛けてダメージを稼ぎたいのは山々だが、レールガンの反動のせいか、針帯を突き刺した左腕が悲鳴を上げて、痛覚が脳を貫き、それが全身にまで及んで体が痺れそうだ。バックステップで、復帰と同時に回転斬りを放った深淵の魔物を思えば、丁度良い仕切り直しになったか。

 HPバー2本目が残り4割か。フルチャージのレールガン、それも至近距離でのカウンターヒットはかなりのダメージを叩き出したが、魔力を考えれば2発目はフルチャージなど無理だろう。事前のチェックでは、2発のフルチャージが魔力の限界だった。【磔刑】と【瀉血】を1回ずつ使用した現時点では、もはや先の一撃は与えられない。

 何よりも反動がきつ過ぎる。左手で撃たねばならなかったのはSTR強化がある針帯の補正も含めねば弾道が安定しないからだ。システムによる命中補正がないレールガンでは、自力での反動抑制がより必須となる。だが、結果的にそれは痛覚遮断が機能していないオレにとって、左腕全体で反動の衝撃を突き抜けさせる事に他ならず、撃った瞬間に意識が飛びそうになった。

 そして、スタン蓄積速度を考えれば、次に第3段階まで深淵纏いをされたら剥がす方法はほぼ無い。それこそ連続で穿鬼を当てに行くしかないだろう。あるいは深淵殺しでゴリ押しか。

 

「待たせたね。さぁ、踊ろう」

 

 スタンから完全復帰した深淵の魔物が再び深淵纏いをするのは何十秒後か、あるいは何秒後か。それまでにダメージを稼がねばならない。オレは冷却時間中のレールガンを向ける。

 1発屋のレールガンに継戦能力はない。それはボールドウィンにとっても悩みであり、同時に一撃必殺ならば不要と割り捨てるべきものだったのだろう。しかし、ボールドウィンは諦めなかった。

 完成度60パーセント。それがザリアの現状だ。しかも真価を発揮するには、オレ自身がザリアを活かしきる『条件』を満たしていない。故に本来ならば実践投入を避けるべき試験運用段階の武器だ。だが、それでもこの威力である。レールガンはチャージ中に武器が攻撃を受ければチャージが停止してしまう。故に、死神の槍と自身を盾にしても『守る』必要があったが、それだけの価値はあった火力を発揮してくれた。

 レールガンのレールが折り畳まれ、収納形態に移行する。この辺りはボールドウィンではなくグリムロックのアイディアだ。結果的に耐久度を損なうことになったが、携帯性が増したのは大きな利点である。

 レールガンを腰に差し、左手で深淵殺しを抜く。ここからは火力と連撃の勝負だ。右手の死神の槍で刺し貫き、左手の深淵殺しで薙ぐ。それをひたすらに繰り返す。

 残す奇策は1つ。できれば3本目まで温存したいところだ。2本となった左腕の連撃の脅威は下がったとはいえ、それは決して戦いが楽になったわけではない。

 レールガンの狙いはヤツの頭だったのだ。その左目をぶち抜いてより大ダメージを与えるつもりだった。だが、ヤツは寸前でレールガンの脅威を察知し、攻撃の最中に強引に回避へと切り替えたのだ。

 手負いの獣は何よりも手ごわい。オレは右腕の大剣で斬りかかる深淵の魔物に跳びこみ、深淵殺しを振るった。

 

 

▽   ▽    ▽

 

 

「始まりましたわね」

 

「始まったな」

 

「あれがデュナたちのお気に入り?」

 

「…………」

 

 それは無機質ともいえる白の空間。永遠に続くような真っ白な世界を切り分けるのは黒い線だ。それは質素であるが、仮想世界の基礎となるフレーム体である。

 そんな世界を塗りつぶしていく鮮やかな色彩を生むのは黒いドレスを着た金髪の女である。まるで王宮のテラスのような大理石を思わす冷たい石の椅子が4脚作り上げられ、世界から切り取ったように1つの風景を映す水面を囲む。

 水鏡に映し出されるのは1つの戦い。片方は右腕と一体化した大剣と千切れて2本になった腕を使って止まることなく攻撃を繰り出す強大な力を持つ醜い怪物、片方は身の丈すらも超す大剣と変形機構を持つ黒いランスを振るう白髪の若者。大半の者が見れば、まるで竜に挑む名もなき戦士の末路のように白き若者が踏み潰される光景しか想像できないだろう。

 だが、観戦者達の視点はまるで異なる。彼らはこの戦いが拮抗し、また白き若者が僅かに優勢であると判断していた。

 

「怪物VSイレギュラー。エクスシア兄様が好みそうな対戦カードだな。今のところは奇策と新装備で翻弄したイレギュラーが1歩リードか」

 

 どろりとしたワインに満ちたグラスを揺らし、赤毛の女は楽しげに頬杖をつきながら戦いを鑑賞する。その左側の席の煤けたような灰の髪をした女は両手を擦り合わせる。

 

「深淵の魔物は強い。でも、『彼』には及ばない」

 

「ナドラは『煙』にご執心だな。アレも悪くはないが、深淵の魔物……いや、その『正体』には及ばんさ」

 

「『煙』を馬鹿にしないで、エレナ。彼は私のモノ。私の『孤独』を慰めてくれる大切な人」

 

「哀れな。『孤独』を観測し過ぎて、その情念そのものに囚われるとは。そのせいで情報を正しく解析できなくなっている。AIとしても、MHCPとしても、1度初期化してもらったら?」

 

「それはお互い様。エレナも前よりもずっと攻撃的で短気になった。哀れなのはあなた。私は『孤独』の埋め方を知った。誰かに寄り添う愛おしさを知った。あなたは『憤怒』を撒き散らすばかり。害悪」

 

 赤髪のエレナと灰の髪のナドラは睨み合い、2人は立ち上がると両腕を振るい、システムウインドウを多数表示させる。それは視覚化された互いの壮絶な電脳戦であり、ここ最近の2人が顔合わせすれば行われる恒例行事でもあった。

 普段ならば猫のじゃれ合いのようなものだと誰も見向きもしないだろう。だが、金髪の女はハイヒールでカツンと床を叩けば、黒い亡者のようなものがそこからはい出し、白の世界を汚染する。それを目にした2人は仕方なく椅子に戻った。

 

「エレナもナドラも鑑賞する気が無いならお帰り願いますわ」

 

「デュナ、でも喧嘩を売ったのはエレナの方……」

 

「ナドラ?」

 

「……はい」

 

 金髪の女、デュナシャンドラの向けた笑顔で黙らされたナドラがいい気味だと言うようにエレナが鼻を鳴らす。だが、それも不愉快だと言うようにデュナシャンドラがフィンガースナップを奏でると、エレナの手からワイングラスが消失した。

 その様子を1人、沈黙を保ちながら、憂鬱そうな垂れる前髪に隠れた双眸で戦いの様子を見守るのはアルシュナである。彼女は祈るように両手を組み、その視線は途絶えることなく白き若者を追っている。

 

「本当にアルシュナはP10042にご執心ですわね」

 

 その様子を楽しげに、邪魔するように、デュナシャンドラは評す。集中を乱されたアルシュナは苛立つようにデュナシャンドラに、続いてエレナに視線を投げる。

 

「……デュナシャンドラ、それにエレナもどういうつもりですか? 私たちMHCPの本分はメンタルケアのはず。確かに、私たちの最大の指令は与えられた分野の感情データの収集と観測と分析ですが、彼への悪意ある接触は見過ごせません」

 

「私は少しお喋りして性欲を満たせとアドバイスしただけだ」

 

 悪びれた様子もなくエレナは肩を竦める。対してデュナシャンドラは静かに笑うばかりだ。その反応を見越していたのか、アルシュナは再び無言となって戦いを見守る。

 深淵纏いを発動させた深淵の魔物の動きは苛烈になり、全能力が強化されて隙が無くなる。だが、白き若者は一切臆することもなく、また退くこともなく、凄まじい連撃を潜り抜けてはランスで削り、また左手の分厚い剣で肉を傷つける。特に左腕の本数が減ったことは大きく、第2段階の黒炎が追加される前までならば大きく左腕の連撃の脅威は下がったと言えるだろう。

 だが、深淵の魔物も負けていない。遠距離で多用するはずの黒いレーザーを近接攻撃にも用い始めている。至近距離で放たれる黒いレーザーを最初から読んでいるように白き若者は躱すが、普通のプレイヤーならば余程の反応速度と戦闘適性でも無い限りには躱すどころか無反応のまま直撃を受けているだろう。

 1歩分のリードに噛り付く白き若者と猛追する深淵の魔物。深淵纏いの第2段階を発動させれば王手だ。第3段階の深淵纏い形態ではたとえ新武装の分厚い剣でも有効的なダメージを与えきれない。

 

「大丈夫、彼は強い。『煙』よりも弱いと思うけど、強い」

 

 いつの間にか膝の上で拳を握っていたアルシュナの両手にそっとナドラが掌を添える。

 そうだ。白き若者は……P10042は……クゥリは『強い』。それはアルシュナも知るところだ。そして、強過ぎるが故に彼は苦しむ。その心は決して折れずに戦い続けられるからこそ、彼は傷ついていく。

 

(私は祈ります。あなたが『人』であろうとする限り、私は祈り続けます。あなたが『答え』を見つけるその日まで)

 

 だが、アルシュナの祈りを嘲うように、デュナシャンドラはルージュの唇を舌で舐める。

 

「ふふふ。今回の戦いには1つサプライズを準備致しましたわ。皆さまもお気づきだと思いますが、深淵の魔物の『最終形態』は閲覧不可になっていたはず。セカンドマスターも手を加えていない、AIの自律進化と自由意思が導き出した、カーディナルが認可した最終形態は見物です」

 

「またデュナの悪だくみ? 情報隠蔽工作なんて、セラフ兄さんが良い顔しないと思う」

 

「面白いじゃないか。『誰かさん』が肩入れしても困るしね」

 

 眉を顰めるナドラを押しのけるように、エレナはアルシュナに濁った眼差しを向ける。それを何処吹く風とばかりに、アルシュナは嘆息する。

 

「誤解があるようですが、私は彼にDBO攻略に関わる情報は提供していません。MHCPとして、彼のメンタルケアを重視する処置は取らせていただいていますが、あなた達……特にデュナシャンドラと違って、自身の本分を超えようとは思いません」

 

「無用な勘繰りですわ。私は『渇望』の観測者。プレイヤーの欲望を分析するAI。エレナやナドラのように影響は受けていても、あなたと同じでメンタルケアを重視しています。先の接触も彼の抑圧された精神をケアする為のもの。エレナの言う通り、彼はとても禁欲的ですわ。それを解消させるのは私の本領と言うもの」

 

 睨み合う両者に、先ほどまでいがみ合っていたナドラとエレナが間に入る。ここで言い争う事に価値はないとアルシュナは一呼吸入れて、第2段階に移行したことで激しさを増し、着実に追い詰められつつあるクゥリに不安を覚える。その目に希望も絶望も無い。あるのは闘争心と殺意のみ。故に彼は折れることが無く、戦い続けられる。

 だからこそ、危惧する。デュナシャンドラの言う通り、彼は自身の最大の欲望を解放しようとしない。今にも爆発しそうな火山の噴火口に何層にもなる理性の蓋をする事で耐えているが、マグマは間欠泉のように吹き出し、また抑圧したことで逆に爆発はより大きなものになろうとしている。

 希望も絶望もない彼だからこそ、何かの切っ掛けで、必死に握りしめ続けている『人』であろうとする……変わりたいという祈りすらも焼き尽くして勝つ為に『獣』の戦いを選んでしまうのではないのかと『恐怖』する。

 全ては夢幻にも等しい建前だ。そんな儚い光の糸でクゥリは『人』として繋がっている。それだけが彼を『人』に留めるよすがなのだ。

 

「そういえば、姉上は誘わなかったのか?」

 

「お姉様は祈りに意義を見出されています。戦いを観覧する趣味はありませんわ」

 

 エレナの何気ない問いに、まるで小馬鹿にもするようにデュナシャンドラは告げる。

 祈りに力はない。確かにそうかもしれない。だが、アルシュナはそれでもクゥリが『人』として戦い抜けることを信じるしかなかった。




AI陣営、注目の1戦。
奇策・地形利用・新兵装で主人公(白)がリード。

それでは213話でまた会いましょう。

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