SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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AI陣営観戦の下で、傭兵VS醜い獣の戦いは続行です。

あと、今回のエピソードはなんとか40話以内に収まりそうで安心している筆者でした。


Episode16-28 騎士の凱歌

 情報通り、ナグナの地底湖にたどり着いたエドガーは、群生する食人植物を双眼鏡で捉えながら、高台のような岩場から状況を整理していた。

 クリスタルの柱が並ぶ複数のルートの合流地点である地下空洞で深淵の魔物との決着を望むクゥリが予定通りに囮となった隙に地底湖に向かう。作戦通りに進んだのは喜ばしい事であるが、小型のもので全長1メートル、大型で5メートルにも達する食人植物が蠢く地底湖の攻略は一筋縄ではいかないだろう。

 だが、エドガーは笑みを崩すことなく、冷静に目的を達する為の手段を考案していた。

 

(数は視覚内で捉えられるだけでも50体以上。スピードは無さそうですが、蔦で絡め取る束縛攻撃が予想されますね)

 

 ヨルコの情報通りならば、黒色マンドレイクは地底湖でも水辺で入手できるとのことだ。採取道具の【根刈り鎌】があるとはいえ、≪採取≫を持たないエドガーではドロップ率も期待できない。

 そうなると、確実に黒色マンドレイクを入手する唯一の方法……食人植物に混じっている10メートル級の巨大な食人植物……通称『女王体』を撃破することが最も効率的だ。ヨルコ曰く、ドロップ率はほぼ100パーセントであり、なおかつ運が良ければ複数の黒色マンドレイクが1度に手に入る。

 だが、当然ながら女王体は他の食人植物に比べて格段に強く、ネームド級のHPと攻撃力を保有する。また、交戦状態になると他の食人植物が活性化するだけではなく、次々と新しい個体を召喚する。言葉にして並べただけでもその厄介さが分かる。

 弱点は外観通り火炎属性であるが、著しく通るというわけではなく、他の属性に比べればダメージが稼げる程度である。故に有効的なのはバトルライフルやヒートマシンガンなどであるのだが、エドガーが持ち込んでいるのはザリア戦でも使用した重ショットガンだ。使い慣れた古式銃のショットガンは弾薬切れで補給できていないので仕方ないと言えば仕方ないが、反動が大きく、装弾数も少ない重ショットガンはエドガーにはやや使い辛かった。

 だが、密集した食人植物を相手取るならば、範囲攻撃ができるショットガンは決して相性の悪い武器ではない。エドガーは背負った重ショットガンを意識しながら岩場の上に立ち、両手に銀の剣を握る。両刃剣モードでも片手剣モードでもあの数を相手取るならば単発威力が要求されるが、回避優先ならばどちらでも問題はない。

 

「【渡り鳥】殿はご無事でしょうか」

 

 要らぬ心配であるとはいえ、言葉にして囮になった【渡り鳥】の安否を気にするのは、相手が相手であるからだ。

 エドガーは知っている。深淵の魔物の正体を知っている。

 

(偉大なる英雄の御霊がこれ以上愚弄されるべきではありません。聖遺物の情報を流し、聖剣騎士団と太陽の狩猟団をおびき寄せる事には成功しましたが、ノイジエル殿とベヒモス殿の力を合わせても倒しきれぬとは)

 

 予定の『第1段階』では、自分・【渡り鳥】・ベヒモス率いる太陽の狩猟団・ノイジエル率いる聖剣騎士団の戦力で以って深淵の魔物を倒すつもりだった。

 だが、ファーストコンタクトの時点で結果の通り、上位プレイヤーたちは1分と陣形を保てないままに壊滅した。

 凄まじい攻撃力、巨体に似合わぬ俊敏さ、多種多様な特殊攻撃と能力。ネームドというよりもボスという扱いの方が数倍相応しいだろう深淵の魔物は、エドガーの計画を狂わせた。

 

(ザリアを倒し、聖遺物を回収する。その為にはナグナで暮らしていたグリセルダさん達の協力が不可欠でした。全てが終わった後に彼らを教会に迎え入れる。事は思うように運ばぬものです)

 

 エドガーもザリアの第2段階……再誕のザリアについては無知だった。そもそも今回の計画は【渡り鳥】と良好な関係を築き、まずはビジネスライクな付き合いを始め、最終的には神灰教会に引き入れる事を視野に入れていた。

 ベヒモスは敢えて問わず、ギンジはアニマの危機で必死になって考えが回っていなかったようだが、普通の人々ならばグリセルダ達と面会した瞬間に、まずはこう考えるはずだ。

 

『彼らはNPCではなくプレイヤーだ。なのに1年間もナグナに囚われていた彼らは「何者」なのだろうか?』

 

 エドガーの狙いの1つはここにあった。

 噂をばら撒くだけでは駄目なのだ。確固たる証拠として、『死者は蘇り、仮想世界の地で生きている』という聖書の一文に登場するのような『奇跡』の現物が必要だった。

 多くの上位プレイヤーと共に『死者』を凱旋させる。【深淵の魔物】の討伐という武勇伝と共に真実は拡散されていき、誰もが認めねばならなくなる。

 

 自分は本当に生者なのか死者なのか。そもそも帰るべき現実世界という『現実』はあるのだろうか? そんな隠された恐怖と対面する。

 

 もちろん、エドガーの目的は混乱を招くことではない。一時的な狂乱はあるだろう。だが、聖剣騎士団の団長たるディアベルもまた死者であるという真実を公表し、それを肯定する者……彼を看取ったとされる【黒の剣士】が認めれば良い。

 そうしてDBOは生者と死者が共存する世界……いや、『仮想世界で等しく命を持ち、生きている人々が暮らす』世界と認知されていく。それを主導するのは大ギルドではなく、神灰教会の役目だ。

 そして、【黒の剣士】を説得することができるのはただ1人、彼の相棒だった男だ。

 

『あなたが死ぬべき時は今じゃない。そう思ったから』

 

 彼は憶えていないだろう。自分と出会った夜の出来事を忘れてしまっているだろう。

 ただ救いたかった。神の御心と信じて、弱き人々を庇護し、暴力の愚かさを訴え、人の善意はあらゆる悪意に勝ると信じていた。

 そうして騙され、死の危機の淵にあった彼を救った、神が遣わしたような白き天使。

 真っ白な髪を夜風に揺らし、月明かりの無い仮想世界の中でその赤みがかかった黒の瞳はエドガーに天啓をもたらす月光のようだった。

 エドガーを罠にはめた者たちを尽く皆殺しにして、何ら悪びれることなく、何故彼らを殺したのかと問う愚かな自分に、白い天使は不思議そうに首を傾げて微笑んだ。

 

『あなたが怖いのは「殺す」事じゃないよ。「罪」を犯す事。でもね、命の摂理にそもそも罪も罰も無い。強いモノが弱いモノを食べる。「命」は等しく糧となり、力となって明日の夜明けを迎える血肉となる。ぼくは食べる側。いつか食べられるその日まで。あなたが本当に怖いのは「何」?』

 

 幼さばかりが目立つ少女のような顔立ちをした白の天使は、エドガーにそう問いかけて去っていった。

 まさしく神の啓示。否、エドガーは神の代行者、あるいは神そのものと出会った。縋っていた神は救いを与えず、人の御霊を持った神の憑代が仮想世界に囚われた自分に新たな天啓を授けてくれた。

 当時の自分はなんと愚かだっただろうか。得られた福音に従えば、無力なままに死を迎えることはなかっただろう。

 だが、DBOで目覚めた時にエドガーは福音の真意を悟った。

 死からの復活。あらゆる神話と宗教における最大の禁忌にして奇跡。白の天使の言葉通り、死ぬべき時はまだ訪れていなかったのだ。

 DBOが何を目指して設計されたのかを知った時に、エドガーは確信した。今まさに、世界は神話の時代へと踏み入り、自分たちはいずれ綴られる聖書の一文に記される創世記の住人なのだと。

 

「『現実世界への帰還』など不要です。この地こそ我らの新しき世界。開拓されるべき新時代」

 

 その為に必要なのは『勝者』だ。このDBOを真なる新世界たらしめる為の聖杯を手にし、そこに油を注ぎ、大火を以って灰より出でる新たな神を迎え入れる。

 攻略を目指す者を皆殺しにすれば良いなどという野蛮な考えをエドガーは持たない。むしろ、現状ではあまりにもDBOは新世界としては不十分だ。茅場の後継者の狙いがエドガーの推測通りならば、完全攻略を成し遂げた時にこそ世界の命運を決める聖杯が現れるはずだ。

 その時の『勝者』に神灰教会が擁立する者がなる。候補者は幾人かいるし、エドガー自身もその資格は『実力』だけならばあるが、やはり選択は復活した死者ではなく、あくまで現実世界に肉体を残した生者が成すべきだと判断している。

 

「ミサは明日でしたか。不測の事態はありましたが、『スケジュール』は進んでいるでしょうね」

 

 今回の計画はエドガーが立案した通りには進まなかった。元より彼自身が出張り、また事前に下調べしている時点で、被害者を最大限に抑える予定だった。だが、イレギュラーな事態が多すぎただけではなく、どうやらエドガーの計画を利用しようとした大ギルドの思惑もあったようである。

 誰かが聖剣騎士団に1枚噛んでいる。そして、それは太陽の狩猟団とも繋がっている。その『誰か』が晴天の花を生贄にして、エドガーの計画を利用し、ノイジエルとベヒモスの抹殺を図った。彼らは穏健派であり、戦争にも否定的な立場だ。そうなると戦争派の仕業だろうか? それにしてはやり方に何か奇妙なものを感じる。

 クラウドアースのやり方に似ているが、違う。今回の件で神灰教会としてクラウドアースから引き出した助力は【渡り鳥】の誘導であり、またクラウドアースが有利に進められる条件で今後の『スケジュール』を援助してもらう事だ。

 

(私の計画を狂わせた『誰か』の真意は何処にある? このエドガー、【渡り鳥】殿のご信頼に背くことなく、神の名の下に善意に殉じる所存。それに仇成すものは等しく生かす価値もない生ゴミも劣るゴキブリ未満の蛆虫)

 

 まさか茅場の後継者が? いや、あの男からすればエドガーの目的は完全で無いにしても本意に触れているはずだ。ならば、露骨に邪魔するような真似はしないだろう。そこまで計算してエドガーは神灰教会の設立と根回しを進めた。

 この状況を作り出して得をする者は多い。たとえば、聖剣騎士団と太陽の狩猟団の今回の損害は今後に大きな影を落とすことになるだろう。それはクラウドアースにとってこの上ないほどに有益だ。だが、クラウドアースは先のシャルルの森の件で十分にポイントを稼いだ。また、クラウドアースに深淵の魔物がこれほどに脅威だったと読めていたとは思えない。

 ならばと発想を逆転させ、エドガーは『誰か』の狙いの1つを思いつく。

 すなわち真逆。この状況で最大の損を被っているのは? 聖剣騎士団と太陽の狩猟団が大損害を出した中で生き残れば、否応なく悪名を高め、更なる排斥の意思に晒されるのは?

 

「……これはいけませんね」

 

 だとするならば、『誰か』が次に指す一手も予想できた。そして、その仕込みはすでに済んでいるとみるべきだろう。

 そもそも何故ノイジエルがあそこまで狂気的な行動に移ったのか、エドガーには疑問だった。高潔な彼はたとえ自身がバケモノになり、確定した死の運命があろうものならば、自ら命を絶つくらいの気概を見せるだろうと、かつて同じ戦場に立っていた『仲間』としてエドガーは何ら迷いなく信じられる。

 

「早めに事を済ませ、【渡り鳥】殿に要らぬ援護でもして『点数』を稼ごうかとも思っていましたが、どうやら先に地下街に戻らねばならないようですね」

 

 立てていた作戦を放棄し、力任せの強行突破へと切り替えたエドガーは岩場から飛び降り、食人植物の群れの前に立つ。エンカウント判定と共に全ての食人植物が巣穴に潜り込んだ獲物を我先にと貪るように彼を囲う。

 だが、分からない。『誰か』がエドガーの予想通りならば、彼の狙いはあくまで【渡り鳥】の帰還が含まれているはずだ。ベヒモスやノイジエルを加えても倒しきれなかった深淵の魔物に、他でもない【渡り鳥】が敗れるのも十分にあり得たはずだ。

 信頼……いや、信用か。必ず【渡り鳥】ならば深淵の魔物を倒す……『殺す』という冷たい信用が『誰か』にはある。

 

「灰より出でる新たな神の名の下に」

 

 銀の剣をまるで十字架でも模るように構えたエドガーは、このナグナにおいて生き残れる絶対的な自信の源を解放する。この力はあまり使いたくないのが本音である。というのも、エドガーの意図としない被害が周囲に現れるので単身以外では使いづらいのだ。

 

「アンバサ」

 

 そして、『虐殺』が始まった。

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

 深淵纏い第2段階になり、魔物の動きはより苛烈になり、休む暇もなく繰り出される連撃の中で僅かにカウンターを差し込んでいく以外に反撃手段はない。

 特に、新生したとはいえ、死神の槍は深淵の魔物と相性が悪い刺突属性武器だ。≪戦槌≫を持つので振るって打撃攻撃にも利用できるが、どちらにしても深淵の魔物とは相性最悪である。やはり、コイツを相手取るならば斬撃属性武器が必要だ。深淵殺しはまさにその上では大質量と大型という良点を持つ深淵の魔物キラーな仕上がりである。

 だが、ボールドウィンが運用を予定していたのは、よりSTR特化のプレイヤーだったはずだ。左腕で振るう深淵殺しはどうしても斬撃速度が鈍い。ならば両手で使用すれば良いのだが、死神の槍にはまだ【磔刑】と【瀉血】が使用できるだけの魔力がある。何よりも攻め手にランスによる貫通は残しておきたい意図があった。

 

『【瀉血】は単発威力を引き下げて運用性を増した能力だ。だけど注意してくれ。【磔刑】ほどではないとはいえ、魔力の消費はかなりのものだ。まだ運用データが少ないから正確なところは言えないけど、【磔刑】の半分ほどの魔力は使うだろうね』

 

 魔力の危険域アイコンがHPバーの下で明滅している。グリムロックの忠告通り、死神の槍の能力はどうにも燃費が悪い。いや、与えられるダメージと能力の凶悪さを考えれば妥当なのだろうが、ともかく継戦能力が欠ける。レールガンにしてもそうだ。もう少し威力を下げてでも連射性と継戦能力の向上を目指してもらいたかったものである。まぁ、レールガンに関しては解決案があったようだが、オレが『条件』を満たしていないのが最大の理由なんだがな。

 破壊可能オブジェクトのクリスタルの柱は大半が崩され、残るのは太い破壊不能版ばかりだ。深淵の魔物にとって有利なフィールドが出来上がりつつあるが、追い詰められているのはヤツも同じだ。左腕の断面からは絶え間なく黒い泥混じりの体液が零れ落ちて澄んだ水を汚染していき、ほとんど目には見えないくらいではあるが、欠損ダメージもある。

 ヤツの残りHPは2本目が3割。対してこちらは3割半ほどだ。せめて回復したいのだが、白亜草は品切れである。あるのはヨルコが作成した【ナグナの回復薬】だ。コイツは1本しか所有できないが、使用すればHPを即座に5割回復させることができる。作成に手間とコストがかかるらしいが、それに見合うだけの効果がある。

 とはいえ、飲み薬系は総じて戦闘中には使い辛い。性質上どうしても瓶詰めであり、全部飲まねば効果も無い。草系は回復に時間こそかかるが、アイテムストレージの消費容量を考慮すればパフォーマンスが良い。

 というか、ナグナの回復薬は見た目だけならば500ミリリットル近くもあるので飲むだけでも大変なのだ。噛んで飲み込めば良い草系とはやはり運用方法が違う。

 

「そもそも回復する暇がないんだけどな!」

 

 頭上を右腕の大剣突きが通り抜け、そこから間髪入れずに突進からの巨体によるまさかの回し蹴り。それらを潜り抜けながら腹下を深淵殺しで斬り裂くも、肉が引っかかって思うように振りぬけない。やはりチェーンモード無しでは深淵殺しでも十分に対応しきれないか。

 破壊不能オブジェクトのクリスタルの柱に隠れたオレに、2本となった左腕で黒炎を撒き散らす。危うく直撃しかけたが、さすがの深淵の魔物も破壊不能オブジェクトというシステム的不可侵までは破れないらしい。

 だが、あろうことかヤツはクリスタルの柱の『根元』を攻撃する。地面は抉り取られ、柱の根元はどんどん露になり、やがてその巨大さ故に天井まで伸びるバランスを保ちきれなくなり、ゆっくりと傾いていく。

 冗談じゃねーぞ!? そんなの反則技だろうが! オレに向かって倒れてくる柱は破壊不能オブジェクトであるが故に自重で砕けることはないが、天井と繋がっていた部分から亀裂が広がり、まるで豪雨のように崩落した天井から岩石とクリスタルが降り注ぐ。

 ヤツメ様の糸を手繰り寄せ、オレは落ちる岩石とクリスタルを躱していくも、必然として動きが制限されたところに、第2段階特有の大剣エンチャントを施した深淵の魔物が連鎖波動攻撃を放つ。振り下ろしと同時に波動の連撃が直進し、オレの回避ルートを真っすぐと狙ってくる!

 ギミック発動! 死神の槍を伸ばし、瓦礫を突き破らせながら手近なクリスタルの柱に巻き付け、瓦礫がぶつかり続けることも厭わずに体を引っ張る! まるで投球の的にされたような……それよりも更に酷い痛みが全身で芽吹くも、何とかHPが赤く点滅する状態で窮地を脱する!

 だが、そこにすでに深淵の魔物は到達し、跳びかかると同時に黒炎を連れた左腕の連撃を繰り出す……と見せかけて、ストップをかけて左腕を振るいながら後退する。ヤツメ様が手を引っ張ってブレーキをかけてくれなければ、オレはそれを躱すべくヤツの懐に跳びこもうとして黒炎の餌食となっていただろう。

 ギミック解除して引き戻しながら鞭のようにしならせて蛇槍モードで深淵の魔物の頭部を叩く。だが、深淵の魔物には刺突・打撃属性はかなり効きが悪い。ダメージもあるか無いかくらいである。

 やはり深淵纏いに対して正面切った戦いが有効なのは第1段階までだ。第2段階になると回避優先するしかない程に凶悪化する。

 深淵殺しを背負い、燐光紅草を取り出して頬張ろうとするが、それを許さずに深淵の魔物が右腕の大剣で薙ぐ。開脚して伏せて斬撃を躱し、口内に今度こそ燐光紅草を放り込んで咀嚼する。危うかった。連鎖波動攻撃を使われていなければ、今のタイミングで波動を合わせて殺されていたな。

 強い。やはりHPバー1本目と2本目では別次元だ。どれだけ能力と攻撃方法が分かっていても、陣形や作戦を無視した個人の力量が問われる。グリセルダさん達が倒せないのも頷ける。≪銃器≫に依存した戦いを続けていた彼らでは、安全優先した戦いを是としてきた彼らでは、深淵の魔物には決して届かない。

 死線を幾多と潜り抜けて攻撃する。それができなければ深淵の魔物には勝てない。

 そろそろ第3段階か。さすがに左腕をもう1本とまではいかないが、ダメージを稼ぎたかったな。跳び上がってプレスを仕掛け、派手に水飛沫をあげる深淵の魔物に、オレは≪槍≫の投擲系ソードスキルであるシューティングライトを発動させる。まさかの死神の槍を放棄するソードスキル攻撃に反応しきれず、深淵の魔物の胸に深く死神の槍が突き刺さる!

 叫び声が響き、死神の槍を深く胸に突き刺したまま深淵の魔物が跳び退き、その全身に鎧のような金属物を纏う第3段階へと移行する。その間に更にもう1枚燐光紅草を食して回復しておきながら、第3段階となった深淵の魔物を睨む。

 以前と違ってスタン蓄積が十分ではないので穿鬼1発でスタンはさせられないだろう。また、発動時間が極めて短い穿鬼はヤツに見切られている危険性もあるので外した時のリスクも大きい。いや、ヤツならば確実に躱してくるだろうから却下だ。

 死神の槍を投げた事でフリーになった右手を深淵殺しに這わせる。できればチェーンモードは温存したかったんだがな。

 スタミナも派手に動き続けたので消耗も大きいはずだが、以前に比べれば地形利用のお陰で連撃も緩かったので幾分か余裕もある。だが、元より深淵殺しのチェーンモードはスタミナがフルでも20秒と保てないのだ。要所要所の使用が求められる。

 仕込みは済んだ。死神の槍は狙い通り、ヤツの胸に突き刺さったままであり、その1点に限れば鎧は纏われていない。つまり、死神の槍が抜け落ちた瞬間、そこは鎧に守られていない無防備だ。

 さて、問題はどうやって深く突き刺さって半ば同化したような状態になった死神の槍を抜き、なおかつそこに深淵殺しを突き刺してチェーンモードを発動させたものだろうか。手元から離れているのでファンブル状態だから握ろうとすればシステムに弾かれるだろうし、だからといって無理矢理深淵殺しを押し込めるほどの隙間もない。まぁ、死神の槍ごとぶった切っても良いのだが、かなりの耐久度があるので幾らチェーンモードでも破壊するのには時間がかかる。

 自然に抜け落ちることも期待できない以上は、策は1つしかないか。柄に仕込まれたギミックオンのトリガー。目立たないが、ソイツを拳でも蹴りでも良いから打撃をぶち込んでオンにしてギミックモードに変形させることで排出させる。

 

「シ、フ……ドこ……だ? ここハ、やミばかリだ。……な、ニも、みエな……イ」

 

 人からかけ離れた造形をした深淵の魔物より、明らかに自分以外の誰かを求める声が聞こえる。

 殺すしかない。アルフェリアだってそうだった。シャドウイーターは愛する人を守る為に戦ったが、その苦痛から解き放つことはできなかった。あのまま生とも死とも言えない状態で放置し続けるのが正しかったのか?

 そんなはずはない。あの時の決断に間違いはない。アルフェリアは死によって絶え間なく続く苦痛から解き放たれたはずだ。

 

「終わらせてやる」

 

 必要なのは深淵の魔物を倒す事だ。それ以上は不要だ。深淵殺しを肩で担ぎながら、オレは第3段階となった深淵の魔物の右腕の大剣の回転斬りの後の僅かな隙間で懐に入り込もうとするも、左腕を防御の手段へと切り替えた深淵の魔物は腕を振るって黒炎を散らすことで盾とする。

 獣に成り下がっているとしても、ヤツはあくまでクレバーにこちらを殺しにかかる。レールガンの2射目もまるで警戒していない。チャージに時間がかかることを把握されている。

 追い詰められているのはオレの方か。深淵殺しはその重さ故に斬撃速度がどうしても鈍い。チェーンモードで押し切るにしても、深淵の魔物を完全に捉えた状況でなければならない。

 最後の奇策を使うか? 温存したかったが、HPバーの2本目を終わらせねば先には進めない。3本目でいかなる強化が待っているとしても、切り札を抱えたまま死んでは笑い話にもならない。

 大丈夫。オレはまだ戦える。まだ独りでやれる。深淵の魔物は全身から闇を吹き出し、足下の清浄なる澄んだ水を穢していった。

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

 状況は覆された。深淵の魔物の2本目のHPバーは残り3割を切ったが、【渡り鳥】の手札は尽きかけている。もはやリードは失われ、五分五分とも言い難い。

 深淵の魔物は左腕を1本失ったことで連撃の脅威度を下げたが、第2段階の深淵纏いから発生する黒炎を使いこなしている。黒炎は威力自体は深淵の魔物の攻撃手段でも最低クラスであるが、高い怯み効果とスタミナ削りがある。ましてや、紙装甲の【渡り鳥】では直撃すれば相応のダメージを受けるだろう。

 防御手段である破壊不能オブジェクトのクリスタルの柱も、まさかの根元を掘り起こしてバランスを崩壊させて倒すという荒業によって攻略されてしまった。まだ数は十分にあるし、崩落した岩石やクリスタルの柱が足場をより乱雑化させているので、隠れる場所はあるが、深淵の魔物もまた地形に適応し、利用し始めている。

 こうなれば、誘い出した地形は逆に【渡り鳥】にとって足枷となる。深みが多数ある水場は必然として巨体である深淵の魔物の方が有利に動き回れる。対して【渡り鳥】の動きは必然と選択肢が限られ、見切られ易くなる。

 

「買いかぶり過ぎたか?」

 

 頬杖をつき、エレナはつまらなさそうに評する。元よりネームドとて単身で挑むべき相手ではないし、深淵の魔物は尚更のことだ。トップクラスの精鋭が多大な犠牲を容認して、ようやく討伐できるクラスだろう。ボス級どころか、生半可なボスを遥かに凌ぐ。

 だが、【渡り鳥】はその本来あり得ない真似を成し遂げ続けてきた。特にハレルヤとシャルルの撃破はエレナも純粋に驚かされた。

 ならば今回も倒すとまではいかずとも3本目のHPバーまで到達するかとも思ったのだが、第3段階の深淵纏いは伊達ではなく、カウンターを差し込む事すらも困難になっている。

 イレギュラー値が低く、【人の持つ意思の力】を持たない身でありながら、純粋な戦闘能力だけでカーディナルに新規のイレギュラー規定を登録するに至った存在。

 

(今までのは偶然か? まぐれの勝利か?)

 

 左腕の連撃で黒炎を巻き上げ、懐に跳びこませないようにしながら深淵の魔物は右腕の大剣で水面を裂きながら回転斬りを放つ。それを【渡り鳥】はバック転するように躱し、続く左腕の連撃を最初から読んでいたように距離を取って逃れる。着地と同時に炎の僅かな揺らぎの隙間を潜り抜けて【渡り鳥】は深淵殺しで腹を薙ぐ。

 

「上手い。炎の発生時間とタイミングを完全に把握してる」

 

 冷静にナドラは【渡り鳥】を評価する。だが、エレナからすれば甘過ぎる。『あの程度』はできてもらわねば困るのだ。

 途切れることが無い集中力。荒々しいように見えて常に針の穴に糸を通すような繊細な動き。もはや予知の領域にあるとも思える驚異的な予測能力。いずれも『殺す』という1点にのみに収束されたような才覚であり、それを支える精神もまた戦闘と殺戮に特化されている。

 だからこそ、エレナには観測できる。『憤怒』を……あらゆる生物が暴力的になる根源の1つである怒りをモニターし続けているエレナだからこそ、【渡り鳥】の胸中にある火種が見える。その正体をエレナは知りたい。

 この戦いの中で発露すれば、あるいは、とも思ったのだが、この様子では生き残れるかどうかも怪しい。

 苦し紛れか、【渡り鳥】は焼夷手榴弾を投擲するも、足場が水場である為か、炎の壁を作り出すこともできない。命中の度に深淵の魔物は炎に包まれるも、深淵の鎧を纏った現状ではダメージ源としてはあまりにも弱々しい。

 ついに焼夷手榴弾も尽きてプラズマ手榴弾に切り替えたようだが、今度は命中前に泥の弾丸で起爆されて掠りもしないどころか、質量がある泥攻撃の方が【渡り鳥】を襲う始末だ。

 闇属性のレーザーも遠距離ではなく、回り込まれた際の薙ぎ払いに使用している【深淵の魔物】の優勢は覆らない。いつ発動するかも分からない大剣の波動エンチャントと黒炎のせいで回避とてどうしても大きくなる。

 だが、本来は単身であれだけの攻撃に晒され続けながら、一撃として直撃することなく躱し続ける事の方が異常だ。あれがハレルヤとシャルルを討ち倒した本能の力だ。

 チェスや将棋といったボードゲームでAIは既に人間を凌駕した。だが、限られたルール下での強さがそのまま戦術・戦略の強さに直結するはずもない。ましてや、駒の性能は一定ではない。故に戦闘AIの最大の利点は『感情を持たない』点だ。

 人間は殺すことを躊躇う。それが道徳と法によって培われた精神の弱点だ。どうしても殺意を鋭利にしていくことができない。故に各国は機械的に殺すAIを開発し続けた。

 そうして機械として淡々と殺すAI開発の先進が、自分たちのような自我と自意識を持った存在……【渡り鳥】風に言えば『命』を持ったAIなのだから嘲笑しか出ない。

 観測している【渡り鳥】が深淵の魔物の突進攻撃に合わせてサイドステップを踏んだ直後に、深淵の魔物が強引に右腕の大剣を突き立ててブレーキをかけた瞬間に、エレナは戦いへと意識を戻す。

 このまま攻め続ければ深淵の魔物の勝利は揺るがない。だが、魔物は【渡り鳥】が何かを狙っていると察している。

 だからこその更なる猛攻。あろうことか、深淵の魔物は黒いレーザーで自らの左腕の1本を千切り飛ばし、それを最後の1本となった左手でつかむ。そして、それを回避行動を取った直後の【渡り鳥】へと振り下ろす。

 背筋が凍るほどの凄まじい闘争心! 自らを傷つけることで、必殺の一撃を叩き込むリーチを得た! 水面は激しく飛沫を上げ、黒炎が散る。どう見ても直撃だ。【渡り鳥】では到底耐えきれないだろう。

 

「勝負あ――」

 

「≪歩法≫ソードスキルのスプリットターン。P10042の十八番」

 

 決着はついたと述べようとしたエレナに、ナドラは当然の如く次なる光景を示す。指摘した通り、水飛沫と黒炎で視界が潰れた深淵の魔物、その背後へと三日月を描くようなソードスキルによる加速を得た旋回ステップで回り込んだ【渡り鳥】は懐に忍ばせたレーザーナイフを投擲する。

 あの奇襲を読んだ? あり得ない。深淵の魔物の常軌を逸した攻撃は完全に予測できなかった。だが、あの場面で【渡り鳥】の反応速度で咄嗟にスプリットターンを発動させるのは不可能だ。ならば、すでに回避中に予備動作を先行させていたとしか思えない。

 

(だが、どういうつもりだ? あの場面ならば大ダメージを狙えるソードスキルが使えたはずだ)

 

 なのに、鎧に半ば弾かれるレーザーナイフによる投擲攻撃とは奇怪だ。バックステップを踏んで安全を確保するように距離を取る【渡り鳥】を見るに、ソードスキルの硬直時間を恐れたのだろうか?

 違う。そこで深淵の魔物が左手に握った腕を振り回し、増加した攻撃範囲と燃え広がる黒炎の中で、明らかに動きが制限されている事を知る。

 水場の深みだ。【渡り鳥】は崩落した天井の瓦礫、それが水没して高まった僅かな浅瀬を踏んで移動している。そうであるが故のステップ重視の移動だ。そして、あの場面では深く踏み込めなかったのだ。

 やはり追い詰められている? それも違う。明らかに【渡り鳥】は自分から深みの方に移動している。そして、ついに足を踏み外して首まで水没する深みにはまる。それを見逃さない深淵の魔物ではなく、跳びかかり、右腕の大剣を振り下ろす。

 今度こそ決着か。呆気ない。アルシュナが小さな悲鳴を上げるように息を呑む。

 

「勝負あり、ですわね」

 

 そして、デュナシャンドラがクスクスと楽しげに笑う。

 

「深淵の魔物の『負け』ですわ」

 

 

▽   ▽   ▽

 

 

 ようやく食いついたか。ここまで仕込みが長かったな。オレは口内に水が入り込みかねない深みの中で、≪歩法≫のムーンジャンプを発動させて、深淵の魔物の必殺の斬撃が振り下ろされるより先に水中から脱して高く跳び上がる。高度を稼ぐことしかできず、得られる加速は小さいムーンジャンプは戦闘には向かないソードスキルである。

 長い滞空時間は無防備を晒し、即座に反撃に移る深淵の魔物の攻撃は今度こそ躱すことができずにオレを呑み込むだろう。だが、ヤツもまた深みにはまり、その異形の足と左腕を水没させてしまっている。

 この状況が欲しかった! オレが取り出したのは最後の奇策。ナグナに持ち込んで温存していた、1つ2万コルとかいうふざけた金額をした凍結剤拡散爆弾だ。見た目はスプレー缶のようであるが、ピンを抜いて投げつければ、深淵の魔物を呑み込むように白い霧が爆散する。

 ようやく捉えた……いや、『捕らえた』。全身が凍てつき、更に体を浸らせる水すらも凍結して動けなくなった深淵の魔物は全身に霜を纏って吠える。拘束時間は決して長くないが、数秒捕らえれば十分だ。

 凍った水面に着地し、唯一自由な右腕の大剣を振るって氷を砕き、またその巨体のパワーで抜け出そうとする深淵の魔物に、オレはレーザーナイフを柄の方から投げつける。一直線に飛んだそれは胸を凍った水面から晒している……まさに胸に突き刺さった死神の槍に飛来し、柄に仕込まれたギミックトリガーに命中して強く押し込む。

 深淵の魔物に突き刺さった状態の死神の槍が蛇槍モードに変形し、変形加速で以って伸びた先端が深淵の魔物の内部で深く抉りながら、持ち手がいないが故に変形反動を抑え込む者がおらず、むしろ傷口からずるりと抜け落ちていく。

 オレの狙いを察した深淵の魔物が泥を吐き出すも、それらを深淵殺しで薙ぎ払って弾きながら接敵する。それでも足掻き、必殺の波動エンチャントで我が身が傷つくことも厭わずに氷を破砕して抜け出すも、その波動が消えた瞬間にオレは深淵の魔物の胸に……左目を除けば鎧が纏われていないたった1つの隙間へと両手で握った深淵殺しを押し込み、チェーンモードを発動させる。

 

「ボールドウィンの殺意だ。存分に味わいやがれ」

 

 高速回転する刃が傷口を醜く抉りながら胸に深く沈み、そのままオレは斬り上げる。傷口を割れ目にして砕けた鎧の破片を浴びる。どれだけ肉が硬かろうとも真価を発揮した深淵殺しの前では無意味だ。

 悲鳴を上げて深淵の魔物が胸から黒い泥の血を流しながら退却するも、浮かぶ氷の破片を蹴って浅瀬に戻ったヤツへとオレはすでに跳びこんでいた。

 スタミナが危険域に到達する。チェーンモードを解除し、迎撃の右腕の大剣に対してオレは敢えて深淵殺しをその場に突き立ててブレーキをかけた。

 先ほどのお返しだ。傷口に向かって跳びこんでくると思っていたのだろう。深淵の魔物は見当違いな右腕の大剣の連撃で引き下がるも、そこにオレは最後のレーザーナイフを投擲する。3本のそれらは魔物の左目に突き刺さり、もはや目にも見えないHPバーの2本目を削り切った。

 スタンしたのか、鎧が霧散し、元の形態に戻った深淵の魔物が自身の流血でどす黒く染まった水面に体を倒す。右腕の大剣を突き立てて完全なダウンを防ごうとする魔物であるが、それは無駄な抵抗であり、頭部は力なく水面へと落下し、ピクピクと弱々しく痙攣している姿はいっそ哀れだ。

 このチャンスを逃すものか。その左目に深淵殺しを突き立ててやる。オレは突撃してスタン状態の深淵の魔物に大剣を突き刺そうとするも、ヤツメ様がオレの腕を引いて留める。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、狼の咆哮が轟き、まるで深淵の魔物を守るように青を纏った灰色の光が吹き荒れた。

 

 

 

 

 

 

 

「なんだ……これは?」

 

 思わず声に出すほどに、その光は温もりに満ち溢れていた。そして、何よりも深淵の魔物を守ろうとする気高い意志を感じる。光の暴風が深淵の魔物に近づくことを妨げる中で、青を纏った灰色の光は形を取っていく。

 この光……知っている。そうだ。アイテム画面で確認できるソウル系アイテムと似た光だ。ならば、これはまさに誰かの魂だというのか? この仮想世界に生きた『命』の輝きだというのか?

 泥が混じった黒い血が浄化されていく。光が水面に澄んだ透明を取り戻させ、地下空洞に散乱するクリスタルは光に呼応するように瞬いている。

 動けない。この光の風を押し切って、完全に動けなくなっている深淵の魔物を斬りに行くべきなのに、足が動かない。何故だ?

 深淵の魔物の右腕の大剣が……黒い泥と闇のエンチャントで穢されていた大剣が……ゆっくりと、まるで優しく洗い流されていくかのように、本来の青の光を纏った銀の刀身へと変貌……いや、『戻って』いく。

 形を取っていく光が成したのは、まさに狼。灰色の毛並みを持つ大狼だった。

 

「ああ……ずっと、ずっと傍にいてくれたのか」

 

 これまでとは違う、確かな抑揚と感情が伴った声音が……聞いただけでその誇り高さを感じずにはいられない男の声が聞こえた。

 重瞳の黄ばんだ左目がゆるやかに色を取り戻していき、1つの瞳に戻る。黄ばんだ白目は光によって浄化され、その眼光には深淵の魔物を蝕んでいた獣が鎮まっていくかのように、歴戦を超えた勇士にのみ許された、1つの極みに至った者の威圧感が宿る。それは、あのシャルルが空洞の双眸で燃え上がらせたものと同じ、武人の魂だ。

 

「我が友、シフよ。見守ってくれていたのだな」

 

 大狼は深淵の魔物に頭を擦り付け、遠吠えを上げる。同時に灰色の大狼は光となって大剣に注ぎ込まれていく。そこから発する青を纏った白光が深淵の魔物を包み込んだ。

 

「共に行こう」

 

 巨大な水飛沫が上がり、光の風が視界を眩ませる。風圧の前に踏ん張らなければ立っていられず、突き立てた深淵殺しに縋りついて飛ばされるのを防ぐ。

 

「今こそ、騎士としての死に場所を」

 

 光が弱まった中で見たのは、自らを滴らせる泥を汚らわしそうに振り払う者。

 先ほどまでの狼を思わす獣の姿とは異なり、人間よりも一回り以上の巨体であるが、人型の姿をしている。全身には傷つきボロボロになった鎧を纏い、その首には元々ついていただろう青いマントの切れ端だろうものがぶら下がっている。左腕は変わらず異形であり、3本指となった多関節であるが、光の鎖に縛られて自由を奪われている。

 その右手に握るのは、まさに聖剣と呼ぶ他にない青き光を帯びた銀の大剣。装飾は剥げているが、その壮麗さは欠片として損なわれず、むしろ数多の戦場を主と共に潜り抜けた事を証明するかのようだった。

 

 

 

 

 

 

 

<騎士アルトリウス>

 

 

 

 

 

 

 醜い獣を脱ぎ捨てた騎士は右手の大剣を、唯一ケダモノだった頃の名残を持つ異形の頭部を隠すように構える。

 強い。シャルル以上のプレッシャーを感じ取り、ヤツメ様が撤退を訴える。もはや時間稼ぎは済んだ。倒しきれずとも目的を達することはできるはずだ。

 そうだ。あの時とは違う。ハレルヤの時とも、シャルルの時とも、違う。ここで戦い続ける必要なんてない。逃げれば良い。

 アルトリウス。その名前は聞いている。エドガーが言っていた銀のペンダントの持ち主だ。ならば、彼がここにいる理由はやはりエドガーが知っているのか?

 分かる。コイツは強過ぎる。ボタボタと嫌な意味での汗が先ほどから垂れている。間違いなく、これまでの戦いの中で出会った敵の中で最強格だ。それは剣を交えずともわかる。

 

「ごめんね、ヤツメ様。それでも、オレは逃げない」

 

 戦うことこそが宿命。殺すしか能がない破綻者。そんなオレが唯一の道から逃げてどうする? そもそも、今ここでアルトリウスに背を向けても逃げ切れるとは思えない。魔物の頃の巨体ではなくなったアルトリウスならば細道でも追跡可能だ。

 いや、そんなことはどうでも良い。アルトリウスは剣を構えたまま不動だ。オレを待ってくれているのだ。

 一呼吸を入れ、ナグナの回復薬を飲み干す。HPが完全回復するまでアルトリウスは沈黙を保ち、斬りかかる気配はない。このままダラダラと時間を稼いでスタミナを回復させるべきかもしれないが、無礼を成す気はない。深淵殺しを引き抜いて両手で構える。

 

「悪いが、オレは騎士じゃない。だが、名乗らせてもらう」

 

 左腕を刺し貫く針帯から押し寄せる痛みの波の中で、オレは言葉を紡ぐ。先程から心臓の動きが鈍く、また不規則になっているような気がする。気を抜けば意識が遠くに去ってしまいそうだ。

 まだだ。まだ、あのバスに乗るわけにはいかない。ここで勝たねばならない。歯を食いしばり、一瞬だけ真っ暗になった視界に光と色を取り戻させるように、自らの胸を叩く。

 好きなように生き、好きなように死ぬ。それが望みだ。だけど、まだアスナを助けていない。『アイツ』の悲劇を止めていない。サチと約束したんだ。

 

「サインズ傭兵ランク41【クゥリ】だ」

 

「グウィン王の四騎士の1人【アルトリウス】」

 

 

 そして、オレ達は互いに踏み込んで剣を交えた。




いつから、獣の状態で聖剣を振るうと錯覚していた?

騎士アルトリウス、友の導きを得て、騎士の姿を取り戻して見参。
なお、聖剣は超強化されています。

それでは、214話でまた会いましょう。

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